ウェイン・ショーターのアクースティック・ジャズでは、実はこれが最高傑作
1969年の『スーパー・ノーヴァ』以前の、ストレート・アヘッドなジャズをやるウェイン・ショーターのリーダー作というと、デビュー期のヴィー・ジェイ盤三枚以後はぜんぶブルー・ノート盤で八枚ある。がしかしそのうち二枚は、当時録音されていたにもかかわらずお蔵入りしていた。1965年録音79年リリースの『ザ・スースセイヤー』と、同65年録音80年リリースの『エトセトラ』。
『エトセトラ』のほうにはギル・エヴァンズの作編曲もあったりするのでおもしろいのだが、ふつうのメインストリーム・ジャズとして聴くぶんには、僕なら『ザ・スースセイヤー』のほうが好き。そしてこの時期のブルー・ノート盤ウェインだと、高名な『ジュジュ』『スピーク・ノー・イーヴル』『アダムズ・アップル』などのリアルタイム盤を超える最高傑作が、実は『ザ・スースセイヤー』なんじゃないかと僕は考えている。
だれもそんなことを言わないのは、『ザ・スースセイヤー』が当時未発売だったからに違いない。リリースされた1979年というとウェインはウェザー・リポートの一員で、しかもこのバンドが全盛期で大活躍の真っ只中。いちばん充実していたころだったというあたりなので、そんな時期にひっそりと?リリースされた蔵出し音源なんか、当時もいまも、高く評価しないということなんじゃないかなあ。
でも『ザ・スースセイヤー』にちゃんと耳を傾けてほしい。僕はといえば発売直後あたりに買って、これはすごくいいなあと気に入って、もちろんウェザー・リポートに夢中だったころだけど、あのバンドのあのころはウェインのソロ・パートがかなり少なくなっていたから、テナー・サックスを吹きまくるふつうのジャズ・アルバムとして、『ザ・スースセイヤー』が好きになったのだ。
そしてなにを隠そう、僕がはじめて買ったウェインのソロ・リーダー作品が『ザ・スースセイヤー』だったのだ。間違いなく当時の新リリース作品だったからだよなあ。ジャケットも店頭で見て気に入った。いまの日本盤リイシュー CD では違うジャケットに変更されているものもあって、どうしてそんなことするのかわからないが、ご存知ないかたは要注意。『預言者』というアルバム題どおり、神秘の壺?みたいなイラストのものがオリジナルで、こっちじゃないと雰囲気出ないんだ。
ふつうのメインストリーム・ジャズだと書いた『ザ・スースセイヤー』だけど、参加メンバーがバリバリ豪快にソロを取っているのかというと、実はそうでもない面がある。三管編成だから、アンサンブル部分はかなりアレンジされている。1959〜64年のウェインはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに在籍していて、三管だった時期にもアレンジを書いていたよね。あのころはウェインが音楽監督だった。だから三管アレンジは問題なくこなせるんだろう。
その三人のホーン奏者は、ウェインのテナー・サックス以外には、フレディ・ハバードのトランペット、ジェイムズ・スポルディングのアルト・サックス。スポルディングはやや知名度が低いかもしれないが、1960年代のブルー・ノート・セッションでは影の立役者みたいな存在だったんだよ。といってもぜんぶサイド・マンとしていろんな人の作品で聴けるだけ。リーダー作は1970年代に入って以後、ブルー・ノートじゃないところにある。
このジェイムズ・スポルディングの参加がおもしろいんだよね。アンサンブルが三管で分厚くなるだけでなく、そのアルト・ヴォイスがいい。正直言ってウェインやフレディ・ハバードのソロより僕は好きなほどだもんね。こんなアルト奏者がいるんだってことは『ザ・スースセイヤー』ではじめて知った僕だけど。アルトの音色にソニー・クリスみたいな湿り気というか色気と艶があって、しかしときどき、それと裏腹なエリック・ドルフィーふうのサウンドやフレイジングだったりするっていうおもしろさ。
さらにリズム・セクション三人。ピアノはマッコイ・タイナーだけど、ベースとドラムスがロン・カーターとトニー・ウィリアムズで、『ザ・スースセイヤー』が録音された1965年3月4日には、活動休止中のマイルズ・デイヴィス・クインテットのレギュラー・メンバーだ。特にトニーに着目すべき。トニーがウェインのブルー・ノート盤に参加して叩いているのは『ザ・スースセイヤー』だけなんだよね。ほかはぜんぶエルヴィン・ジョーンズかジョー・チェインバーズ。特にチェインバーズと出会って以後のウェインは、このドラマーがお気に入りになったみたい。
だけど、1965年3月時点ならいちばん素晴らしいのがトニー・ウィリアムズだったんじゃないと僕は思う。どうしてウェインのほかのアルバムに参加していないのか、あるいは唯一参加した『ザ・スースセイヤー』がどうして長年未発売のままだったのか、そのあたりはやっぱりどうも三人のボスだったマイルズの契約先であるコロンビアに気を遣ったってことだったんだろうか?わかりませんが、なんとなくそうだったんじゃないかなって気がする。
トニー・ウィリアムズが参加していることで、ウェインの『ザ・スースセイヤー』は、これ以外のアルバムとリズムの感じが少し違うんだよね。こんなこともあって僕はこのアルバムがベストだって上で書いたんだ。特にハード・ブロウするもの、たとえば二曲目「アンゴラ」、四曲目「ザ・スースセイヤー」なんかではトニーだからこそというプッシュぶりで、ちょっとポリリズムっぽくなりかけてもいて、そうでないとしても、少なくとも複雑で細かいビートを刻んでいる。そこがいいよなあ。
曲「ザ・スースセイヤー」は、曲としてもおもしろいもので、出だしのこの素っ頓狂にヒョコヒョコとやっている感じもいい。コンポーザーとしてのウェインの才能が、この時期にしてはかなりよく出ている。ソロも一番手のアルト奏者ジェイムズ・スポルディングが軽快に飛ばしていて、いいよねえ。フレディ・ハバードもウェインもマッコイもいい。アルバム題にしてあるだけあって、この曲の演奏はかなりの聴きものだ。
しかし僕にとっては、曲としても演奏としても、そしてトニー・ウィリアムズのドラミングを聴くという意味でも、オリジナル・レコードではラストだった六曲目「ヴァルセ・トリステ」(悲しきワルツ)がいちばん好き。フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスの書いたもので、ジャズ演奏家がこれをとりあげたものが、ウェインのこの1965年録音以前にあったかどうか、僕は知らない。
しかしウェインのこの「ヴァルセ・トリステ」は、シベリウスの原曲とは違って、聴いてもあまり悲しい気分にならない。なんというか中庸なというか中性的なというか、情緒が適度に乾いているよね。ウェインってそういう資質の演奏家じゃないかと以前から僕は考えているんだけど、この「ヴァルセ・トリステ」でもそうなっている。好きかどうかはまた別問題だが、演奏の出来はかなりいいと僕は思う。
そんな湿りすぎない中庸情緒をもたらす大きな原因の一つが、ウェインの資質のほか、トニー・ウィリアムズのドラミングにもあると、僕には聴こえるんだよね。最初ちょろっと原曲どおりワルツで出るのだが、途中から6/8拍子で叩いているよね。そこがおもしろいと僕は感じている。シベリウスの原曲の悲しい持ち味はやや消え気味だけど、そんなこと言ったらウェインは2002年の『フットプリンツ・ライヴ!』でこのシベリウスの「ヴァルセ・トリステ」を再演して、それは情緒なんか木っ端微塵に完全消滅していて、からっからだもんね。だからまあやっぱり、ウェインってそんな持ち味の人なんじゃない?
ジャズ演奏家がやるシベリウスの「ヴァルセ・トリステ」といえば、アート・ペッパー1977年のヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ・アルバムにも収録されている。たしかむかしは LP 三枚組だったと思うんだが、いま CD では買い直していない。だからリイシュー CD がどうなのかは知らないが、毀誉褒貶ある復帰後のペッパーにして、この「ヴァルセ・トリステ」だけはとてもとてもいい。ドラマーはエルヴィン。
こっちはシベリウスの原曲の持つ悲しみをよく表現しているよね。ペッパーがときおりエリック・ドルフィーになりかける瞬間もあるが、この曲ではそんなことしないほうがよかった。この悲しく美しいメロディを淡々とそのとおりに吹いてくれていればもっとよかった。ウェインとは真反対の湿りに湿った資質のサックス奏者アート・ペッパーの持ち味全開となったはず。でもほぼ全開に近いこのペッパーのライヴ・ヴァージョンにはすごく湿った悲しみを感じられて、これはいい。
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