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2018/01/26

津軽をわたり天城を越える

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「毎晩同じ音楽を繰り返し繰り返し演奏する、オルゴールみたいな生活は嫌だ。」(『マイルス・デイビス自叙伝 I』p. 191)

 

 

「昨日と同じ服を着る気になれない。きのうと同じ音楽をプレイする気にもなれない。退屈だからな。」(『マイルスに訊け』p. 107)

 

 

音楽家本人の言葉をそのまま文字どおり額面どおりに受けとって鵜呑みにする人は少ないと思うんだけれど、それにしてもマイルズ・デイヴィスの発言にはウソが多い。ウソが言いすぎなら、見栄や虚勢を張ったりなど、そんな態度が非常に強く見てとれる。僕がこう断言するのは、肝心のマイルズの音楽も各種発言も、少しだけ深めに接してきているという自負があるからだ。そうすると音楽と各種発言内容との食い違いがかなり見えてくるんだよね。

 

 

いままでもこういった音楽と発言の食い違いをマイルズについても散発的に指摘してきた。やっぱりね、<真実は音にあり>。これですよ。音楽家がなにを考え、どういう方針で、どんなことをやろうとして、その結果どうなったのかは、ぜんぶ、音のなかに読みとるべきものだ。肝心の音をしっかり聴かずして本ばっかり読んでいるようなヤツはダメですね。

 

 

今日は上で二つ引用したことについて。すなわちオルゴールになるのは嫌だ、実際、僕はそうはなっていないというマイルズの発言について、これが実行した音楽と大きく食い違うのだということを少し書いておきたい。といってもみなさんおわかりのように、一人の音楽家の一定期間内での演唱レパートリーなんて限られているわけだから、毎晩毎晩ライヴをやっていれば、自ずと同じものばかり繰り返すことになるはずだ。これがマイルズのばあいも真実。だからくどくど説明する必要はないのかも。

 

 

マイルズは生涯を通しずっとライヴ活動をしているが、公式ライヴ録音数が最も多いのが1960年代なので、この時代の公式ライヴ音源だけぜんぶを一つのプレイリストにしてみたら、計20時間以上。1961〜67年までだ。いちおう69年録音のものでも公式リリースのライヴ盤があるけれど、すでに電化されていて、バンドのサウンドも演奏レパートリーも変化しているので外しておいた。

 

 

その計20時間超の1960年代マイルズ・ライヴ・プレイリストでは、もううんざりだというほど繰り返し繰り返し同じ曲が出てくるんだよね。またまた今夜も「ソー・ワット」「ウォーキン」「ラウンド・ミッドナイト」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ノー・ブルーズ」「枯葉」…、その他いくつか。もうこればっかり。1961〜67年まではね。67年には「フットプリンツ」とか「ジンジャーブレッド・ボーイ」みたいな新たな曲もやっているが、一回のステージ全体から見ればそれはごく一部で、やっぱりスタンダード曲が九割方だもんね。

 

 

もちろん1961〜67年までレギュラー・バンドのメンツは変化しているので、それにあわせて演奏スタイルも変化しているということは言っておかないといけないな…、と思って、20時間超をぜんぶは聴きかえせないのでチョコチョコつまみ食いしてみたら、あ〜ら不思議、そんな強調するほどの大きな差は聴きとれなかったもんね。特にハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズの三人を起用して以後のライヴだと、1963〜67年まで、表現はもちろん深化しているが、音楽の本質としては同じなんだよね。

 

 

しかも、たとえば1965年のシカゴはプラグドニッケルでのライヴなんて、12月22日の3セット、12月23日の4セットと二日間で計7セットを、毎回毎回ぜんぶ似たようなレパートリーでやって、しかも演奏スタイルだって変化なしだ。二日間にわたる7回ステージが <同じ> なんだよ。これがオルゴールでないとしたら、なんなのだ?

 

 

1961〜67年までのマイルズ・ライヴでは、演奏曲目も同じものばかりなら、演奏スタイルもあまり変化しないわけだから、延々と判で押したような同じことの繰り返し = オルゴールを聴いているようなもんだよ。すまん、ちょっと言いすぎた。でもまあだいたいそんなようなもんだから、冒頭で引用した、僕はオルゴールみたいな音楽生活は嫌だとか、昨日と同じ音楽をプレイする気になれないよっていう本人の発言はなんなんでしょう?

 

 

ここまで1960年代に限定しているが、それは最もたくさんの公式ライヴ盤があるからというだけで、公式でもブートレグでもライヴ収録の少ない1950年代、ライヴじたいは活発だったが公式収録は必ずしも多くない70年代前半、やはりかなり活発にライヴをやっていたのに公式発売がほぼないに等しい(と言えるほどライヴじたいはかなりたくさんやった)1981年復帰後だって、マイルズのこんなオルゴール生活は変わっていないんだ。

 

 

要するにマイルズ・デイヴィスのライヴ活動とは、3〜5年くらいのタイム・スパンで見れば、ほぼオルゴールそのもの。がしかしこれは悪口なんかじゃない。上でも触れたがマイルズに限ったことじゃないしね。一人の歌手や演奏家が一定期間内で行うライヴは、毎回チョコチョコっと新機軸を試してみたりするものの、それ以外はだいたい同じことの繰り返しだろう。世の音楽家に共通する普遍の真実なんじゃないかと思う。

 

 

しかしですね、ここからが肝心なんだけど、そんな真実(すなわち、音楽はオルゴールである)を、僕は必ずしも否定的にはとらえていない。以前、ボブ・ディランのボックス『ザ・1966・ライヴ・レコーディングズ』36枚組について僕は書いて、36枚どんどん聴いてもだいたい同じだが、しかし音楽が完成され洗練されたらそういう具合になるんだから、ネガティヴに考えるんじゃなく、落語や漫才の定番を聴くように古典的芸能表現として十分楽しめるじゃないかと指摘した。

 

 

 

ディランだってマイルズだって、一定の期間、その音楽が洗練を極め完成しきっていたころはオルゴールになっているんだし、このコロンビア所属二大スターだけじゃなく、音楽家、芸能者、あるいは表現者一般か?ってみんなそうなんじゃないかと思うんだよね。レパートリーも表現様式も、一人がそんなにたくさん持つなんてまずほぼ不可能だ。音楽がオルゴールになるのを、聴く側のファンだけでなく、歌手や演奏家本人の側も、あまり否定的に考えすぎないほうが僕は健全だと思うんだ。

 

 

どうしてかというと、そんなふうにオルゴールになっても拒否されないのは、歌や演奏が真に大衆のものとなっている、ポピュラーな日常の音楽としてみんなに受け入れられているという証拠だからだ。大衆音楽のありようとは、みんなのふだんのものになるというのが理想なんじゃないかなあ。毎回「違う景色」とかよそ行きのものじゃなく、いつもいつも同じ曲を同じように歌い演奏して、つまり同じ景色を見せて、それが普段着になって、リスナーも日常的にそれを聴いて、やっぱり楽しめるっていう、そういうのが大衆の音楽ってことだと思うよ。そういうことが可能になっているのは、歌や演奏に深みがあるからですよ。古典的洗練の粋ってことですよ。

 

 

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