« マイルズとコロンビアの謎契約 | トップページ | プリンスのファンク・バイブル »

2018/02/17

フェイルーズとジアードのアラブ&ジャズ・フュージョン(2)

息子ジアード・ラハバーニがプロデュースしたフェイルーズ作品。今日は2002年の『Wala Kif』のことを書こう。しかしこれ、傑作だというひとたちもいるみたいなんだけど、それはちょっとどうかなあ?以前書いた『Eh Fi Amal』のほうが、主役のヴォーカルといいジアードによる伴奏サウンドといい、すぐれているように聴こえるけれど、僕の耳がおかしいのだろうか?

もちろん『Wala Kif』だって立派な作品ではある。全体的に落ち着いているというか、やや暗めの色調で、(悪く言えば)ちょっと停滞気味のよどんだ感じに聴こえなくもないが、それにはやっぱり原因があるんだろう。その原因を探ろうとしてもよくわからないが、フェイルーズのそんな停滞気分は、激情と裏腹になっているものでもあるんだろう。

アルバム『Wala Kif』は2002年リリースだけど、録音がいつごろだったのか、判然としない。附属ブックレットのどこにも録音年の記載がないしなあ。ジアードがプロデュースした作品はそういうばあいが多く、だから『Wala Kif』だってひょっとしたら20世紀中に録音は終わっていた可能性もある。

いつごろからか、フェイルーズは笑顔を見せなくなっているらしいのだが、実際の顔の表情は写真などでしか見たことがないから、いまいちピンとこない。僕が知るフェイルーズの <笑顔が消えた> とは、もちろん歌のなかにそれが聴きとれないという意味だ。どうも故国レバノンの情勢不安定化が最大の原因らしいのだが、夫アッシ・ラハバーニを1986年に失ったことも大きなことだったはずだ。

そのあたり、たぶん1990年代ごろからのフェイルーズの歌声には笑みがなく、深く濃い陰影が刻まれている。2002年の『Wala Kif』もまたそんな作品の一つじゃないかと思うんだよね。なかには快活なリズムをともなってスウィングするヴォーカルを聴かせる曲もあるけれど、数は少ない。失った(故国、夫)愛を想って落ち込んでいるような調子が色濃く表現されているよね。

決して明るくはないそんなところが、かえってアルバム『Wala Kif』の輝きになっているんだと僕は聴いている。快活な調子を持つものといえば、四曲目の「Tinzakar Ma Tinaad」、八曲目「La Wallah」だけじゃないかなあ。九曲目「Inshallah Ma Bu Shi」もにぎやかだけど、これは快活さよりも荘厳さを感じる出来だ。

しかもその九曲目「Inshallah Ma Bu Shi」は、聴いた感じ、1950年代末〜60年代のフェイルーズがどんどん音楽劇、つまりミュージカルに出演して、ラハバーニ兄弟のアレンジとプロデュースでドラマティックな(西洋音楽ふうな管弦楽サウンドの付いた)アラブ現代歌謡を歌っていたころの、そんなころの音楽にかなり近い。

この九曲目だけが、アルバム『Wala Kif』では異彩を放つもので、群を抜いて素晴らしい出来で、このワン・トラックだけはぜんぜん停滞もしておらず、そればかりか正反対に君臨する現役の女王としてまばゆい光を放っているような躍動感がある。僕にとってはこの九曲目「Inshallah Ma Bu Shi」が、アルバム『Wala Kif』では最高の一曲だ。

このワン・トラックだけ、聴いた感じ、なんだか音の質感も異なっているし、ほかの曲とは音楽的内容も大きく違い、しかも次のアルバム・ラスト10トラック目は、7トラック目「枯葉」の別テイクで、オマケみたいなものでしかない。ってことは、九曲目の「Inshallah Ma Bu Shi」が、実質、アルバム・ラストに置いたハイライトなんだよね。ジアードのそんな強いプロデュース意図を感じる。

いったい、この九曲目だけどうしてこんなに違っているんだろう?と思ってブックレットをよく読みなおすと、アルバム中これだけがライヴ録音なんだね。Beltel Din Theatre との記載があるが、どこなんだろう?パフォーマンス年の記載も、例によって、ない。だが、素晴らしいことは事実だよね。この一曲「Inshallah Ma Bu Shi」は抜群の見事さだ。録音年がわからないが、フェイルーズ2002年リリースの新作品としては奇跡のような逸品。

実質的にアルバム・ラストのこれを踏まえると、トップに戻って一曲目「Sabah Wu Masa」は、まるでアメリカ人男性歌手フランク・シナトラのアルバムでネルスン・リドルがアレンジを書いたストリングスを聴いているような、そんな響きの弦楽ではじまり、その後もずっとそうだけど、軽いボサ・ノーヴァ風味に、躍動感とまでは言えなくても、やわらかい軽みを聴きとることはできる。この一曲目はちょっとだけアントニオ・カルロス・ジョビンの曲「ウェイヴ」に似た雰囲気もあるよね。

この、シナトラ&ネルスン・リドル・アレンジ+ボサ・ノーヴァ風味、というのが、フェイルーズのアルバム『Wala Kif』の中身の(大部分の)正体なんじゃないかと思う。もちろん主役歌手の持ち味、ヴォーカル・スタイルは、シナトラとフェイルーズではまったく異なっているのでそこを言っているのではなくて、アレンジがですね、似ているよねえ、ジアードと(シナトラ作品で聴ける)ネルスン・リドルとで。

アルバム二曲目「Shu B-Khaf」は、お馴染みルイス・ボンファの「カーニヴァルの朝」(『黒いオルフェ』)だ。しかし、このフェイルーズ・ヴァージョンの「カーニヴァルの朝」の暗さはどうだろう?もちろんもとからシンミリした曲なんだけど、主役女性歌手のヴォーカルも、伴奏の弦楽や、パラパラ入るトランペットなど管楽器の音も、お祭り騒ぎのあと一夜明けての…、というにしてはシンミリしすぎている。暗く落ち込んでいる。

アルバムにあるもう一個の超有名スタンダード「枯葉」。「Bizakker Bil Kharif (Les Feuilles Mortes)」として、7トラック目と10トラック目に置かれている。7トラック目でのフェイルーズは、シャンソン歌手のようにヴァース部分からぜんぶ歌っているが、これも秋になって葉が落ちて、(人間的恋愛だけでなく)愛するものを失った想い、人生の秋情を強く持つというようなもの。フランス語原詞ヴァース部分の歌詞にはそれだけじゃない深みがあるのだが、アラビア語の歌詞がどうなっているのかわからないから、これ以上は言えない。

アメリカ人歌手が歌った「枯葉」のなかでは、ナット・キング・コールのヴァージョンのほうが有名だけど、たしかフランク・シナトラも歌っていたよねえ。しかしながら英語詞ではヴァース部分がばっさりぜんぶカットされ、リフレイン部分でも、たんなるいち恋愛のこととしてしか “枯葉” を扱っていないのは、ちょっと残念だ。

だからフェイルーズ・ヴァージョンをプロデュースしたジアードも、サウンドというか伴奏のオーケストラ・アレンジはジャジーな雰囲気を強く出しながら自らピアノも弾いているが、歌詞を含め全体的な方向性はフランスのシャンソン歌手のやるものを参考にしたんじゃないかと思う。ウッド・ベースが刻む4/4拍子や、またドラミングや、間奏でのサックスとトロンボーンのソロは、やっぱりかなりジャジーだけど、フェイルーズのヴォーカルは、たんなる人間的な失愛、秋情を歌っているだけじゃないと思う(って、アラビア語がわからないのだが)。

上のほうでも書いたが、アルバム『Wala Kif』全体に強く漂っている停滞感というか、落ち込みかた、まるで黄昏どき、終末期に気持ちが暗くよどんでいるようなフィーリング、人生の秋、枯葉、哀感 〜〜 そういった色調を、僕はこのアルバム全体を通しかなり強く感じる。2002年リリースの作品だから、歌手本人も息子プロデューサーも、そういう方向へ傾いたってことだったのだろうか?

« マイルズとコロンビアの謎契約 | トップページ | プリンスのファンク・バイブル »

音楽」カテゴリの記事

コメント

このアルバム、わたしも持ってます。
買ったのは20歳ぐらいのときでした。

レバノンとかアラブ歌謡とかっていうよりも、ジアードのプロデュース作品はだいたいそうですけど(ジャズ・ピアニストだから??)、ジャズとかシャンソンとかボサ・ノーヴァとかに傾いたアルバムですけどね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: フェイルーズとジアードのアラブ&ジャズ・フュージョン(2):

« マイルズとコロンビアの謎契約 | トップページ | プリンスのファンク・バイブル »

フォト
2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ