
写真は、撮影可のラウンド・コーナー(岩佐美咲が客席をまわる)において自分で撮ったものしかないので、それを上 or 左で使ってある。和服姿での美咲も本当に魅力的で、しかも今回のコンサートはディープな演歌路線に傾いたようなニュアンスもあったのでますます着物姿を使いたいが、しかたがない。そのうち Blu-ray や DVD 作品になるかもしれないので、それまで待つしかない。
また、当日の演目(セット・リスト)や、岩佐美咲のしゃべりを含む前後の様子などは、わさ友(と勝手に呼ばせていただいてもいいでしょうか?)であるわいるどさんのブログに「ぜんぶ」掲載されてあるので、ぜひぜひ!そちらをご覧いただきたい。それには曲名だけでなく、初演歌手、初演年、作詞作曲編曲者名もすべてバッチリ記されていて、完璧としか言いようがない。僕がつけくわえることなどゼロですから。
昼公演分
夜公演分
二月四日昼夜の岩佐美咲のどこがどう素晴らしかったのか、僕のばあい美咲でもだれでもなんでも、いつもいつも CD や DVD など記録されたものでなんども反復再生して、微細に観察し聴き込んで確認しながら書いているので、たった一回しか体験できないライヴ・コンサート評を書くのは苦手だ。細かいことは、上でリンクを貼ったわいるどさんのブログでしっかりリポートされているので、そちらをご覧いただきたい。生体験でしかわからなかったこともあるので、僕は僕なりになんとかちょっとやってみよう。
さて、まだ一週間経っていない去る日曜日、2018年2月4日、東京は渋谷にある恵比寿ガーデンホールで行われた岩佐美咲のライヴ・コンサート。題して「岩佐美咲コンサート2018〜演歌で伝える未来のカタチ〜」。午後一時半開始の昼公演と午後六時開始の夜公演の一日二回。これを生体験してきた。はっきりいってものすごかった。音楽コンサートでこんな強い感動をもらったことは、55年の生涯で初だ。大衝撃だった。美咲としてもベスト・コンディションだったのではないだろうか。
昼夜合計で四時間以上、岩佐美咲の歌がヤバすぎた。どうしてこんなにヤバいのか…。素晴らしすぎたのだった。ルックスも綺麗だがヴォーカルがあまりにも美しい。美咲の声のどこにそんなに魅力があって、こんなに激しく感動してしまうのかわからない。僕のばあい、まず初対面だった昼公演のオープニングで美咲の姿が見えて歌いはじめた瞬間に涙腺が爆発的大崩壊を起こし、どんどん涙が溢れ出て止まらないばかりかどんどん激しく泣いて、濃茶色の小さなハンカチしか持っていなかったのでそれで拭くんだが、拭いても拭いてもどうにもならず。
まず二曲やった「鯖街道」と「鞆の浦慕情」で僕はボロ泣きし、その後のしゃべりのあいだも涙が止まらないので、耳は岩佐美咲のしゃべっている内容を聴くが姿を見られず、ただ下を向いて落ちてくる涙をハンカチで拭うばかり。しっかりちゃんと美咲を見つめたかった。歌声がヤバすぎると書いたが、正直に言うと、オープニングで美咲の姿が目に入った瞬間に号泣してしまった僕。会えたというだけで、泣いた。これって、たんにいち歌手として大好きだとかいうレベルじゃないんでは?もっと深いもの、つまり、ある種の人間的恋情みたいなものじゃないんだろうか。
岩佐美咲がしゃべり終えるあたりで僕の号泣も少しおさまったかなとホッとしていると、三曲目「火の国の女」(坂本冬美)と四曲目「風の盆恋歌」(石川さゆり)で、もっと一層激しく完全にダメになってしまった僕。あぁ、も〜う、アカンかった。自室ではなく会場でみんなで並んで聴いているのに、僕はオイオイ泣いて泣いて大声をあげ、肩が震えてどうにもならず。特にダメになったのが「風の盆恋歌」でだった。歌詞がねえ〜、ダメでしょ、こんなの。大号泣!
近くに座っていたかたに終演後お尋ねしたところによれば、「かなり大きな声を上げて泣いてらっしゃったので、たぶん半径1メートル以内にいた人はみんな気づいていたと思います」とのお話。恥ずかしい…。こんな泣き虫の感激屋でごめんなさい。うるさかったでしょう。ご迷惑だったでしょう。でもねえ、和服姿の本当に美しい岩佐美咲のあのルックスでやられ、歌いはじめたらあの素晴らしすぎるヴォーカルでやられ、しかも「風の盆恋歌」みたいなあんな歌(とてもヤバいね、あの歌詞は)をしっとりと歌われたら、僕なんかイチコロですから〜。
とにかく、あの二月四日昼夜の「風の盆恋歌」、ありゃ、すごくいい意味で、ダメだ。聴き手のハートをわしづかみにしてダメにしてしまう。少なくとも僕はそうだった。あの「風の盆恋歌」二回こそが、僕にとっては、あの昼夜計四時間のピーク二回だった。さらにこれも昼夜ともに歌った「空港」(テレサ・テン)「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)が本当によかった。それら大人のしっとり抒情歌謡がものすごく素晴らしかった。聴いていると、曲の世界に自然と吸い込まれてしまうような歌いかたを岩佐美咲はしていたよなあ。これら三曲が二月四日の神3だ。
そう、岩佐美咲はしっとり抒情演歌路線にちょっとシフトしたような部分が、二月四日の昼夜二回公演にはあったと僕は思う。それまでの美咲は、演歌と、そうでない(ライト・)ポップスの二種類をどっちもとりあげて、しかもどっちも同じように歌いこなし、同じようにチャーミングに聴かせ、第二次大戦後の現代日本の大衆歌謡史を、同じ一人の同じ歌いかたのなかで体現してしまうという離れ業を演じ、成功していた。
いわゆる歌謡曲というか、J-POP(に分類されているものも歌ったよ)でも呼び名はなんでもいいが、それらだって二月四日に岩佐美咲は歌った。なにを歌わせてもうまい美咲なんだが、僕の聴くところ、ド演歌と軽歌謡との中間あたりのレパートリーを歌うときが特に万人にアピールしやすいと僕は思う。実際、僕もアクースティック・ギター弾き語りでの「涙そうそう」でノックアウトされちゃったわけだし。
そのほか、ファースト・アルバム『リクエスト・カバーズ』にあった「つぐない」「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テン)、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)などなど、2013年リリース作品にしてすでに完成されていた。その後も「20歳のめぐり逢い」(シグナル)やライヴでの「糸」(中島みゆき)、DVD での「ノラ」(門倉有希)など、ホント〜ッに素晴らしい。いまでも輝いている。
二月四日にも、そういった傾向のポップ・ソングを岩佐美咲はたくさん歌った。写真撮影可で観客席をまわるラウンド・コーナーではそれらがチャーミングに聴こえ、また黒の洋装での美咲がキラキラ輝いていて、まぶしい光を放ちつつ歌いながら笑顔で客に接近したりするもんだから、だからオジサン連中はみんなゾッコン参ってしまうんだよなあ。
昼公演のラウンド・コーナーでは、特に「私がオバさんになっても」(森高千里)が素晴らしく、夜公演のそれでは「わたしの彼は左きき」(麻丘めぐみ)「年下の男の子」(キャンディーズ)、そしてたぶん初挑戦だと思うんだけど「冬の稲妻」(アリス)が、僕的には特によかったなあ。
また、個人的な思い入れがあって、昼夜ともラウンド・コーナーの最後にステージに上がってからやったピンク・レディー・ナンバーの「UFO」(昼)と「ペッパー警部」(夜)にマジマジと観入り聴き入った僕。よかったなあ〜。しかも美咲ちゃん、ピンク・レディーばりに激しくダンスしながら歌ってくれたもんね。まぶしかった。55歳の僕の世代だと、ピンク・レディーはリアルタイムのど真ん中ストライクなんだよね。女性も男性もファンだったみなさんは、たぶんいまでも歌って踊れるはず。僕もそう。美咲のあの歌と踊りがチャーミングだった。
また恒例になっているアクースティック・ギター弾き語りコーナーで歌ったのは、もちろんぜんぶポップ・ソング。昼夜合計六曲、なにをやったのかは、上掲わいるどさんのブログ記事をご覧いただきたい。僕としてはリアルタイムでの思い入れのある、昼の「太陽がくれた季節」(青い三角定規)、夜の「心の旅」(チューリップ)で、またしても涙腺がゆるくなりそうだったのは、なんとか辛抱できた。
しかし、もっと素晴らしかったのは、昼の「ちっぽけな愛のうた」(大原櫻子)と夜の「歌舞伎町の女王」(椎名林檎)だ。特に「ちっぽけな愛のうた」は岩佐美咲の資質にまったくピッタリ合致しているかのように僕には聴こえたんだけど、これは僕だけの印象なんだろうか?マジでよかったんだけどね。美咲がイキイキとしていたような記憶がある。今後、こういった路線も少しずつ増やしていったらいいのかもしれない。弾き語りでもそうでなくとも。
弾き語りコーナーでは、昼夜ともギター技巧だってかなり向上していた。ヴォーカル技巧もデビュー六年でかなりすごく深くなっているのだが、ギター・テクニックも急上昇カーヴを描いている。これはいままでの三枚の DVD でも実感していたことだけど、二月四日に聴いたギターはさらに上手くなっていた。昼の「粉雪」と夜の「歌舞伎町の女王」でも強く実感したことだった。
左手の押弦、右手のピッキングともほぼ狂いがない。やや難しいコードも瞬時に移動して正確に押弦し、さらに右手に持ったピックで弦をはじく強弱のニュアンスもしっかり細かく表現できていた。ダウン・ストロークもアップ・ストロークも、それらを交互に混ぜるピッキングも、それから曲によっては一瞬パッと止まってブレイクを入れ、約一秒弱後あたりにピッキングを再開するのもちゃんとしていた。
ここまで書いたようなポップ・ソングというか歌謡曲というか J-POP というか、そんなような曲でも文句なしの岩佐美咲だが、上でも触れたように二月四日の演目は、大人のしっとり抒情歌謡、演歌といった路線にシフトしたように僕には思えたんだよね。コンサートの選曲をだれがしているのかサッパリわからない僕だけど、製作者側のこの意図が鮮明に読みとれたように僕は思う。
上掲わいるどさんのブログで当日の演目を再確認いただきたい。昼夜ともにオープニングから八曲目まではストレートな演歌だ。岩佐美咲のオリジナル楽曲もカヴァー・ソングも両方あるが、演歌でまず八つ揃えて観客を引き込もうという意図があったのは間違いないように僕には思えたんだよね。昼夜とも八曲歌ったら美咲はいったん退場し、着替えてのラウンド・コーナーになり、その後ギター弾き語りコーナーなどもあるわけだから、開演からまず八つ演歌を並べたのは、どうやら演歌コミュニティにアピールしようということだったかもしれない。
岩佐美咲のヴォーカルも、それら八曲では特に力が入っていた。上でさんざん書いたが四曲目の「風の盆恋歌」に最も力点が置かれていて、実際ものすごかったし、聴き手をあんなにも(二段ロケットみたいに再号泣した僕がおかしいのかもしれないが)惹きつけてやまない悪魔のような美咲の魔力も「風の盆恋歌」でこそ、そしてほかの七曲でも、強く発揮されていた。
それら八曲を歌う岩佐美咲のヴォーカル・スタイルも、いままでとは少し変化が聴きとれたように記憶している。いままでは、過去記事でもどんどん書いてきたが、素直でナチュラルにスッと声を出し、声を強く張り過ぎずコブシもまわさずヴィブラートもなしの自然体歌唱法で、濃ゆ〜い演歌もそうやって歌っていた。
そんな、演歌歌手のなかではたぶんだれもあまりやったことのない歌唱法でやる岩佐美咲にこそ演歌の未来があると僕も感じてきた。若い世代、というか一定年齢以下の音楽リスナーのみなさんが演歌の世界に見向きもしないのは、オールド・ファンが愛する声の出しかたや歌いかたが旧態依然となっているだけで、いい曲のそのよさそのものが古くなったわけじゃない。時代遅れなのはああいったヴォーカル・スタイルであって、演歌そのものが時代遅れになったわけじゃない。
岩佐美咲はこのことを、演歌とそうでない一般の歌謡曲には本質的な違いはないんだという歴史的事実の証明とあわせ、いままで実際の歌で示してくれている。それは素晴らしいことだ。二月四日の美咲は、そこから少しだけ変化し、脱皮してというか、大人の歌唱表現を獲得して、まあ本人もコンサートの数日前に23歳の誕生日を迎えたばかりなことだし、濃いめの抒情演歌や歌謡曲を、いままでの美咲にはないちょっと濃いめの歌いかたでこなして、新しい表現を見せていた。
どの曲のどこが具体的にどうなのか、細かなことは一回しか聴いていないので忘れてしまった。だがこの、大人への脱皮と成長を遂げた、しっとりした抒情的な新しい表現法を獲得したというのは、間違いなくそうだったという強い印象があるんだよね。一つ、僕の記憶にしっかり焼き付いている歌唱法の変化がある。曲の最終盤で二段ロケット噴射のように、いったん声を止めてから再開し、グイグイッと声を伸ばすところだ。
ホント、どの曲がそうだったのかは記録された作品で確認しないと忘れちゃったんだけど、間違いなく複数の曲で聴けた二月四日の岩佐美咲の二段ロケット噴射ヴォーカル。曲全体が終わるところで、これはだいたいどの曲でもどんな歌手でも、声にサステインを効かせ持続させて伸ばすと思うんだけど、あの日の美咲はその伸ばしているのをいったん止めて、というかタメて、一秒もないあいだ、0.7秒くらいだけどストップして、こらえて、二段階目を噴射するところで再びグイッとさらに強く声を張って伸ばし、そうやってそのまま歌い終わっていた。
ピッタリ来るふさわしい言葉が見つからないので二段ロケット噴射と表現しているのだが、二月四日の岩佐美咲を生体験なさったみなさんなら、あぁ〜そうだそうだったとご納得いただけるはずだ。この、いったんストップ、タメが入る二段階サステイン歌唱法は、いままでの美咲の歌のなかで僕は聴いたことがない。
そのほか、声の張りかたもいままでよりも強くなっていたし、コブシをまわしていたとまでは言えないけれど、フレイジングのはしばしにややそれにちょっとだけ近いようなものが聴けたように思う。ヴィブラートはやっぱり効かせていなかったはずだけど、声の出しかたに震えや揺れといった感情表現がちょっとだけ混じっていた。
それでも岩佐美咲は岩佐美咲。天性のナチュラル歌唱法が失われたわけではぜんぜんない。そこはしっかり保ったままだった。ナチュラルでスムースに声を出しナイーヴに歌う自然体歌唱法はそのままに、そこにいままでにない感情表現も加わって、ヴォーカル・スタイルに深みが格段に増した。
つまり要するに、二月四日の恵比寿ガーデンホールでの岩佐美咲は大成長を聴かせてくれた。大人に脱皮した美咲が、その深化したヴォーカル表現で観客を虜にしたのが、上でも書いた神3、すなわち「風の盆恋歌」「空港」「グッド・バイ・マイ・ラブ」の三曲だったんだよね。超絶的にすんばらしかった。
ところで「風の盆恋歌」は三木たかしの書いた曲だ。三木たかしはみなさんご存知のとおりテレサ・テンにたくさん曲を提供した。二月四日の昼夜とも歌った「空港」は三木の曲じゃないが、過去に岩佐美咲も歌った「つぐない」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」(最後のは DVD にある)も三木が書いたもので、美咲は、録音作品化されていないイヴェントでならもっと歌っているかもしれない。
二月四日に恵比寿で歌ったアン・ルイスの「グッド・バイ・マイ・ラブ」も、アンのものじゃなく、テレサ・テンがやったカヴァー・ヴァージョンに沿ったような仕上がりだった。岩佐美咲自身、どれを参考にして歌っているのか、僕にわかるわけもないが、あの日の歌を聴くかぎりでは、テレサのものを下敷きにしたか、ちょっとは意識したんじゃないかなあ。
三木たかしの書いた「風の盆恋歌」こそが、岩佐美咲2.4. のクライマックスだったと僕は繰り返しているが、あの日の神3のうち、ほかの二曲もテレサの「空港」、テレサ・ヴァージョンに寄せてきた「グッド・バイ・マイ・ラブ」だったとなると、今後、美咲がどんな方向へ向いて歩んだらいいのか、う〜ん、ちょっとだけ垣間見えたようなそうでもないような…。
来たる2月27日に発売される岩佐美咲の新曲「佐渡の鬼太鼓」も、四日の昼夜ともにアンコールでフル・ヴァージョンが初披露された。これは激情的でドラマティックな演歌で、言ってみればド演歌というものに近い。今後の美咲がどうなるのか、はたしてそういった濃厚で激情的なド演歌路線を歩むのか、「風の盆恋歌」みたいなものとあわせ、そういう方向を向くのか、それとも「空港」「グッド・バイ・マイ・ラブ」「もしも私が空に住んでいたら」みたいなシットリ抒情歌謡曲路線がいいのか、僕にはわからない。
いずれにしても、岩佐美咲の大きな成長がしっかり感じられて、僕はうれしくて、どんな道を歩むことになっても見事に歌いこなし、今後も僕たち美咲ファンや、まだまだそうではない一般の多くの音楽リスナーのみなさんの耳を惹きつけるようになって、ファン層を拡大していくに違いないと確信できた二月四日、恵比寿ガーデンホールだった。
最近のコメント