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2018/02/27

カーティス・メイフィールド化したオーガニック・プリンス

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プリンスの2001年リリース作品『ザ・レインボウ・チルドレン』について、なにが言えるだろう?この音楽家がここまで殊勝になったことはなかった。スピリチュアルの一言だ。まず、あんなに乱発していたダーティ・ワードがまったくいっさい出てこない(本当にアルバム全体でただの一度もない)。さらに歌詞の中身も宗教的かつ社会派で、神の前にひざまずいて敬虔に祈りを捧げているようなものが大半を占める。

あのプリンスがこんなふうになるなんて、だれが想像できただろう?しかし、音楽は音楽。毎度毎度の繰り返しだが、歌詞の言葉の意味内容に寄りかかりすぎず、曲調や、歌いかたや声のトーンや、楽器の音色や演奏スタイルや、全体のサウンドやリズムなどのほうにより大きな注意を払いながら聴いていきたい。

そうなるとプリンスのアルバム『ザ・レインボウ・チルドレン』は、まずジャジー。っていうかジャズそのものだと言いたくなるほどのものがある。1990年代半ばごろから(かな?)回帰色を濃くしていたジェイムズ・ブラウン・マナーのファンクもしっかりあるが、それをしつこすぎない程度にまでアク抜きし、さらに21世紀のネオ・ソウルふう、すなわちオーガニック・サウンドにやわらかくつつんでいる。

これで『ザ・レインボウ・チルドレン』の音楽性はぜんぶ言ってしまった気分だが、もう少しだけ書きくわえておこう。このころ、かつてスライ&ザ・ファミリー・ストーンで一斉を風靡したラリー・グレアムの手ほどきでエホバの証人へ入信し宗教色を強めていたことがアルバムにストレートに反映されているのだが、必ずしもそれを意識しなくても問題なく楽しめる音楽作品だ。キリスト教徒ではない僕だってそうなんだから。

まずアルバムの出だしで鳴って、そのほかいたるところで男声の低音ヴォイスが流れる。それがメッセージ伝達役みたいなものなのかもしれない。たぶんプリンス本人がしゃべってヴォコーダーかピッチシフターを使って変調してあるのかなと思う(映画『スター・ウォーズ』で聴けるダース・ヴェイダーの声はヴォコーダー)んだけど。21世紀の作品だから、テープ回転速度を落としてというやりかたじゃないと思う。

しかし僕はそんな男声低音にさほど強いメッセージ性は感じとらない。むしろ、以前も『1999』のときに書いたけれど、P ファンクなんかがよくやっていたのと同じように、そんな低音モノローグで音楽本編の導入部としたりするやりかたと似たようなものだと考えている。言葉の意味を真剣に考えすぎず、あの重たく低い男声が『ザ・レインボウ・チルドレン』全体を彩っていることで、このアルバムで聴けるプリンスの音楽が色彩感を増しているんだと思っている。

そんな低音男声に導かれた1曲目「レインボウ・チルドレン」の本編はメインストリームなストレート・ジャズだ。4/4拍子のフラットなリズムを刻み、楽器の音色もナチュラルでアクースティック…、っていうのは不正確だからオーガニックと言いなおす。ドラムスの音はジョン・ブラックウェルの生演奏で、管楽器とヴォーカル・コーラスはもちろん生演唱だよね。

そう、つまりオーガニック・サウンドなんだよね、このアルバムは。2001年だから、まだ音楽の形容詞として “オーガニック” という言葉は使われていなかったと思うけれど、プリンスの『ザ・レインボウ・チルドレン』は間違いなくそんな時代の音楽を先取りしていた。アメリカのネオ・ソウルや、世界にあるアフロ・クレオール・ミュージックなどなどで聴けるそんなようなものを。

『ザ・レインボウ・チルドレン』全体を通し、このオーガニックな質感のサウンドでやるジャズ〜ネオ・ソウル〜ファンクというポリシーが貫かれている。しかも楽器演奏はジョン・ブラックウェルのドラムスと管楽器(隊)を除き、やっぱりプリンスの一人多重録音であるにもかかわらず、インプロヴァイズド・ミュージックみたいなバンドの生演奏ふうのスポンティニアスさが強く感じられる。これは重要なことだろう。

たとえば、このアルバム収録曲の多くは、2002年のライヴ・アルバム『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』でも披露されている。それらと『ザ・レインボウ・チルドレン』収録のスタジオ・オリジナルを聴き比べると、バンドの生演奏的な質感にほぼ違いがない。これも驚くべきことだ。

1曲目「レインボウ・チルドレン」、2「ミューズ・2・ザ・ファラオ」、7「メロウ」、8「1+1+1 Is 3」、12「ファミリー・ネーム」、13「ジ・エヴァーラスティング・ナウ」がそうなんだけど、後ろ三曲のファンク・チューンのオリジナル・ヴァージョンでも、生演奏っぽいグルーヴ感がある。つまり、スタジオでいじりすぎていない(かのような)オーガニックなサウンドの質感。

プリンスがオーガニックなサウンドへと転向(?)したのは、それが人間の生々しい、しかしやわらかい暖かさを感じさせるものだからなんじゃないかという気がする。あまり感情的に露骨になりすぎず、かといってドライすぎる感じでもなく、ナチュラルなフィーリングをそのままパッケージングしたい、ソフトな感情をそのままストレートに表現したい、そんな気持ちがあったのかもしれない。

その根底には宗教体験から来るスピリチュアルなものはあるんだろうが、『ザ・レインボウ・チルドレン』の音楽の中身は、そんなに強くスピリチュアルな感じでもない。少なくともジャズ関連でスピリチュアル(・ジャズ)と言われるときのような、あの1960年代ジョン・コルトレイン発祥のあんな感じではないし、クラブ・ミュージックふうな部分も薄い。

そんな激しさは『ザ・レインボウ・チルドレン』にはなく、もっとしっとりと落ち着いた感じで、各種楽器の音色もプリンスのヴォーカル・スタイルも柔和でおだやかなテイストで貫かれている。だからその底には精神的充足感があったんだろうと推測できるんだけど、その結果、こんなにもやわらかい、それでいて近づきがたいような孤高の気高さも感じるような音楽ができあがったんだから、やっぱり凄いよなあ、プリンス。

そんなわけで、メッセージ性もカーティス・メイフィールド的だけど、ヴォーカルやサウンドやリズムのテイストもカーティス・メイフィールド的なプリンスの『ザ・レインボウ・チルドレン』ということなのだった。こりゃ素晴らしい傑作だね。

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