スパニッシュ・マイルズ(1)
マイルズ・デイヴィスがあれだけこだわったスパニッシュ・ナンバー。彼が録音史上はじめてスパニッシュ・スケールを使ったのは、僕が気づいている範囲では1959年4月22日の「フラメンコ・スケッチズ」だ。お馴染み『カインド・オヴ・ブルー』のラストに収録され、リアルタイムで発売された。この日録音の別テイク(テイク1)も、いまでは公式リリースされている。
しかしそれ以前からスペインへの言及があるにはあった。はっきりしているのは1957年10月21日発売のコロンビア盤『マイルズ・アヘッド』収録の二曲「カディスの娘たち」(57.5.6.録音)「ブルーズ・フォー・パブロ」(57.5.23.録音)。前者(Les filles de Cadix)を書いたレオ・ドリーブはフランス人コンポーザーだが、カディスとあるようにこの曲はスペインを意識して書かれたもの。原曲はリズムもスパニッシュ・ボレーロだ。ジャズ界ではマイルズ以前にベニー・グッドマン七重奏団もとりあげている(1947)。
「ブルーズ・フォー・パブロ」はギル・エヴァンズのオリジナル・ナンバーだけど、このパブロとは画家ピカソへの言及に違いない。でもこっちの曲のほうは特にスパニッシュ・タッチも感じないし、曲題通りの12小節定型ブルーズ・ナンバーだ。だけど、この『マイルズ・アヘッド』にあるこれら、すなわちスペインふうとブルーズという二つは、マイルズのなかでは関係があったのかもしれない。
どんどんスパニッシュ・スケールを使った曲をやるようになって以後のマイルズは、インタヴューで「スペイン人にとってのフラメンコは、僕たち黒人にとってのブルーズに相当するものだ」と発言している。アメリカ黒人ブルーズの世界はちょっとだけ知っているつもりの僕だけど、フラメンコのほうはつまみ食いだから、マイルズの言わんとするところはわからないようなわかるような…、う〜ん、どうだろう?
というのはマイルズが1959年の「フラメンコ・スケッチズ」以後どんどんやったスペインふう楽曲を聴いてスパニッシュ・スケールがどんな効果を生み出しているかを判断すると、一種の孤独感、寂寥感、哀愁とか、そういったものを強く感じるよね。これはたぶん僕だけじゃなくてリスナーのみなさんはだいたいそうだろうと思うんだけど、これはスパニッシュ・スケールがいつでも持ちうる特徴なのだろうか?
もう一つ、スパニッシュ・スケールにはちょっとした中近東ふうなニュアンス、オリエンタル・ムードというか、エキゾティックな雰囲気があるんじゃないかなあ。スペイン人にとってすらも。僕はそう感じるんだけど、勘違いかもしれない。正確にはアンダルシア要素ということなんだろう。だったらアラブ音楽方向と無縁なわけじゃない。
マイルズが(アラブ・)アンダルシア音楽まで意識してスパニッシュ・スケールを使っていたのかはぜんぜんわからない。たぶんそこまでは意識していなかったような気がする。北アフリカや中近東の音楽要素は、直接にはマイルズのなかにぜんぜんない。でもなんとなくのエキゾティックな響きをこのスケールに感じ取って使ってはいたんだろう。
異国の荒野をたったひとりで歩んでいるかのような孤独感。これがマイルズのやるスパニッシュ・ナンバーに僕が最も強く感じるものだ。だからまあ、ブルーズ(・スケール)と共通するニュアンスがあるからと、マイルズもそう感じとってスパニッシュ・スケールに染まったんだと思うんだよね。
マイルズ初のスパニッシュ・スケール・ナンバーである1959年の「フラメンコ・スケッチズ」は、しかし五つのスケール(モード)が順番に出てくるという曲で、スパニッシュ・スケールは四つ目。この順番で五つぜんぶを使いさえすれば、各々のスケールで何小節ソロをとっても OK という指示だった。しかも、この曲はマイルズの録音史上、ブルーズ楽曲を除けば、はじめてテーマ・メロディが存在しない。あらかじめにはスケールしか用意されていなかった。
つまり要するに、ブルーズでならそんなやりかたをマイルズもずっと前からとっていた。マイルズだけじゃなくほとんどのアメリカ人ミュージシャンがブルーズをやるときはほぼ同じ。テーマ・メロディがあるばあいでもあまり参照されず、キーやスケールだけに基づいて演奏されるのがブルーズ。
そんなやりかたをブルーズ曲以外でマイルズがはじめてやったのが「フラメンコ・スケッチズ」だったんだよね。しかもですよ、この曲では上でも書いたように小節数が決められていない。ワン・コーラスが短くても長くなってもいい、っていうか五つのスケールを並べただけでワン・コーラスという考えかたもしていないという曲は、それまでの通例的なジャズ演奏にはほとんどない。
ここでだいたいのみなさんがお気づきだと思うけれど、1959年というとちょうどオーネット・コールマンが出現したあたりじゃないか。ブルーズ・ベースのモーダル・ミュージック(だからオーネットは無調じゃないんだ)で、小節数とかワン・コーラスという考えかたなしでジャズ演奏を繰り広げる新時代の新演奏家とされていた。
いっぽうマイルズはどっちかというと守旧派で(そう、ここはあんがい勘違いされていて、革新的音楽家だとされているが、本当は違うんだ)、オーネットとかアヴァンギャルド派、フリー・ジャズ一派には明確に否定的な言辞を繰り返していた。だけどこう考えてくると、1959年というあの時代のそもそものはじまりのころからマイルズとオーネットたちは同じ方向を向きつつあったのかもしれない。
「フラメンコ・スケッチズ」のばあい、五つのスケールが並んでいる四番目でスパニッシュが出てくるので、一層そこでグイッとエキゾティックなニュアンスが強まっているように、いまの僕には聴こえる。むかしはもっと全体がスペインふうだったらよかったのに、と僕は感じていたのだが、嗜好が変化しつつあるかもしれない。
そんなわけで、『カインド・オヴ・ブルー』の次作にあたるギル・エヴァンズとのコラボレイション作『スケッチズ・オヴ・スペイン』だと全面スパニッシュだから、ここまで二人が本格的にスペイン音楽を追求したという意味を強く感じはするものの、できあがりはちょっと大げさで、う〜んなんだかこれはなぁ〜。たまに聴くなら、そう、五、六年に一回程度ならとても素晴らしく聴こえる。いつもいつもは遠慮したい気分。
特に一曲目のホアキン・ロドリーゴ作「アランフエス協奏曲」(Aranjuez は「アランフェス」?「アランフエス」?)の大上段に構えすぎなカッコ悪さたるや。しかしながら、このマイルズ&ギル・ヴァージョンの評価が高く人気もあるおかげで、ジャズ・ファンだってみんなあの曲の第二楽章アダージョを知っているし、多くのジャズ・メンがこの曲をとりあげるきっかけになったのは間違いない。
以前もマイルズのベスト10曲という記事で選んだように、アルバム『スケッチズ・オヴ・スペイン』では(オリジナル・レコードの)ラストに置かれた「ソレア」(ギル作)がいちばんいいと僕は思うんだよね。マイルズのソロも情熱的だし、独り異国の荒野を行くみたいな寂寥感、哀愁がよく出ていて、しかもその背後で入るギル・アレンジのホーン・アンサンブルも効果的。これ、ホントかなりいいよね。
しかも「ソレア」ではリズム・アレンジだっていいよなあ。ドラムスはエルヴィン・ジョーンズなんだけど、エルヴィンがマイルズと公式共演したのはこのアルバムだけのはず。しかし「ソレア」のリズムはエルヴィンがドラムスで表現するだけじゃなく、ホーン群、というかブラス・セクションが入ってくるその反復でもかたちづくられている。これもギルのペンの素晴らしさだ。
「ソレア」は全面的にスパニッシュ・スケールを用いてギルが用意した曲で、しかしこの曲でもやはりテーマ・メロディがない。冒頭部にテンポ・ルパートでファンファーレみたいにマイルズが吹いているメロディはギルの書いたものだろうけれど、アド・リブ部のベースにはなっていない。リズムが入ってきてアド・リブ・ソロをマイルズが吹く部分のトーナリティはそれとは関係ないんだよね。そこでマイルズがソロを吹く土台としてギルがあらかじめ用意していたのは(スパニッシュ・)スケールだけだったんだよね。
『スケッチズ・オヴ・スペイン』以後、マイルズのレギュラー・コンボでやるスパニッシュ・ナンバーというと、いますぐパッと思い当たるのが1961年5月21日録音の「テオ」(『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)と、65年1月22日録音の「ムード」(『E.S.P.』)。ほかにもいくつかあった気がするけれど、確かめないと思い出せない。つまりこの二曲は僕にとって印象がかなり強い。
これら二曲ともテーマなんてなく、演奏前にはスケールが示されていただけ。しかもアルバム『E.S.P.』のラストに収録されたその曲のタイトルは「ムード」じゃないか。そう、モード(=スケール)とはムードなんだよね。色合いを決めたり変えたりするもので、スパニッシュ・スケールはそれ独自の色調とかムードを出すからというんで、マイルズも好んでいたんだろう。ちょうどブルーズ・スケールがそうであるように。
そしてコーダルというよりモーダルな作曲演奏法を追求するようになった時期とスパニッシュ・スケールをどんどん使うようになった時期は、マイルズのなかでは一致しているもんね。
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