スパニッシュ・マイルズ(2)
1968年電化後のマイルズ・デイヴィスにもスパニッシュ・ナンバーが多い。75年一時隠遁前までで探すと見つかりにくいのは、スパニッシュ・スケールを使ってあっても、スペインというより中南米音楽に接近していることが多いからだろう。だからラテン・ジャズ・ファンクみたいなものも含めれば、総数は多い。
1975年の一時隠遁までで中南米音楽ふうではないスパニッシュ・タッチの曲はというと、「スパニッシュ・キー」(『ビッチズ・ブルー』)と「ロンリー・ファイア」(『ビッグ・ファン』)だけってことになる。前者は、しかしやはり一聴してスパニッシュ・スケールを使ってあるとはわかりにくいものだ。後者ははっきりとした電化『スケッチズ・オヴ・スペイン』路線。
スパニッシュ・スケールを使ってあっても露骨にスペインふうを打ち出さない「スパニッシュ・キー」方式は、1981年復帰後の「ファット・タイム」「ジャン・ピエール」にも継承された。後者はマイルズが亡くなるまで頻繁に演奏していて、他作曲なら「タイム・アフター・タイム」「ヒューマン・ネイチャー」という二つのシグネチャー・ソングがあった晩年のマイルズだけど、自作曲では「ジャン・ピエール」だったんだよね。
そんな「ジャン・ピエール」。1985年のアルバム『ユア・アンダー・アレスト』に、どこもスパニッシュじゃない近未来ふうな SF ソングにアレンジされ収録されているのを除き、いままでのところ、ライヴ・ヴァージョンしかリリースされていない。オリジナル・スタジオ録音があるのかどうかすらわかっていない。ライヴではしばしば強くスペインふうになったりもした。重要曲だし、「ジャン・ピエール」のことは別個にまとめたいので、機会を来週に改めたい。
上で書いた「ロンリー・ファイア」のほうは鮮明なスパニッシュ・タッチだけど、後半部になるまでずっとテンポ・ルパートで同じモチーフを反復しダラダラとおもしろくないような感じ。10:55 で右チャンネルのチック・コリアが活発なリフを弾きはじめて以後リズムが効いて、曲としてもおもしろくなる。チックは一瞬「ラ・フィエスタ」みたいな旋律を弾いているよね。
がしかし「ロンリー・ファイア」のばあい、マイルズやウェイン・ショーターら管楽器奏者はずっと同じモチーフを反復するばかりで、いわゆるアド・リブ・ソロらしきソロはほぼない。同一モチーフ反復の背後での複数のフェンダー・ローズ隊、打楽器隊、シタールとタブラのインド楽器隊によるサウンドとリズムの双テクスチャーの変化を楽しむべき作品だ。
つまり、以前書いた「オレンジ・レディ」(ジョー・ザヴィヌル作)と同じ手法なんだよね。「オレンジ・レディ」は1969年11月19日録音。「ロンリー・ファイア」は翌70年1月27日録音。前者になぜか演奏での参加がないザヴィヌルだけど、後者では参加。左チャンネルのフェンダー・ローズがザヴィヌルだ。
そのほか、1968年の曲「ネフェルティティ」あたりから、69年「イン・ア・サイレント・ウェイ」を経て、ずっと75年あたりの一部の曲まで、どうもこの手法をマイルズは好んで試していたと思えるフシがある。ザヴィヌルも噛んでいたかもしれない。ソロ内容そのものじゃなくて、バンドの演奏するサウンドとリズムを聴かせるような方向へ向いていたかもしれないよね。
スパニッシュ・スケールを用いたスパニッシュ・ナンバーの魅力とは、やっぱり旋律のエキゾティックな美しさにあると僕は思うので、そんなこともあってか、リズム重視志向だった1968〜75年のマイルズ・ミュージックに露骨なスペインふう楽曲が少ないのかもしれないよね。そうなんじゃないかと僕は考えているんだけど。
1981年復帰後のマイルズは、当初こそまだまだリズム重視の姿勢があったものの、どんどんメロディの綺麗なものを演奏したいという方向へ向いて、というか回帰していったように見えているので、そんなわけで81年復帰後にふたたび鮮明なスパニッシュ・ナンバーが顔を出すようになったのかも。
そう、先週も書いたことだけど、スパニッシュ・スケールのおもしろさとは、書かれたものでも即興演奏でも、メロディ・ラインの動きが魅惑的だということじゃないかなあ。エキゾティックで、ちょっぴり(アラブ・)アンダルースふうで、だから中近東音楽を思わせる部分もあるっていう旋律美。
だからそういったスパニッシュ・スケールは、アルジェリアのシャアビといったアラブ・アンダルース音楽に、ほんの少しだけ関係があるのかもしれない。全然ないのかもしれない。わからない。僕がはやくからマイルズのスパニッシュ・ナンバーが好きで、だいぶ経ってからアラブ・アンダルース音楽にハマったのも関係あるのかないのか、わからない。
1981年復帰後のマイルズで、アクースティック・ジャズ時代の『スケッチズ・オヴ・スペイン』に相当するものが一枚ある。マーカス・ミラーとの全面コラボでやったワーナー作『ミュージック・フロム・シエスタ』(1987)だ。アルバム題で推察できるように映画のサウンドトラック盤。渋谷の映画館で観たあのスペイン映画はどこにも取り柄がない退屈さだったので、省略する。
CD『シエスタ』に附属のリーフレットには “This album is dedicated to GIL EVANS The Master” と記されているのだが、これはたんなるトリビュート作というだけの意味ではない。ギル自身がレコーディング・セッション(1987年1〜5月)にある程度関わっていたんだよね。ギルは1988年3月に亡くなっていて、だから僕の知る限り、マイルズの作品にギルがタッチした最後のものだったはず。
『シエスタ』はスペイン映画だから、音楽を依頼されたマーカスとマイルズもスパニッシュ・タッチで行こうと決めたというだけのことだったかもしれないが、マーカスはこれの前作『TUTU』でも、一曲「ポーシア」というスパニッシュ・ナンバーを用意して、マイルズに吹かせている(1986年2月13日完成)。
その「ポーシア」にかんし『TUTU』リリース後のインタヴューでマーカスは「マイルズはスパニッシュ・タッチが大好きだとわかっていたから、一つ用意したんだ、曲創りにあたっては、マイルズと組んだときのギル・エヴァンスのアレンジを勉強して、自分なりに活かした、特に『スケッチズ・オヴ・スペイン』をね」と明言していたのを僕は憶えている。
『TUTU』だと「ポーシア」の前の「トマース」(Tomaas)も若干スペインふうなニュアンスがあるんだけど、そっちは今日は書かないでおこう。アナログ・レコードの『TUTU』を買って帰り、自室で A 面三曲目だった「ポーシア」でマイルズが吹きはじめ、と同時にシンセサイザーがヴェールのごときやわらかい幕のようにスーッと垂れ込めた瞬間、その美しさに僕は感動したんだよね。
「ポーシア」では後半部、マーカスの一人多重録音によるリフ反復が激しくなって盛り上がり、その上にオーヴァー・ダブしたマイルズのトランペット・ソロも熱を帯びる。ちょうど『スケッチズ・オヴ・スペイン』の白眉であるアルバム・ラストの「ソレア」におけるソロと伴奏のホーン・セクションの動きに酷似している。
「ポーシア」はその後のマイルズ・バンドによるライヴでも繰り返し演奏された。いつもスパニッシュ・スケールをこれでもかというほど活用して、マイルズが哀愁と孤高の境地を表現していたよなあ。マーカス・ミラーとしては(マイルズも?)、そんな「ポーシア」の成功に気を良くしたもかもしれない。だから、スペイン映画のサウンドトラック盤でなくとも、コラボ二作目をスパニッシュ・ナンバー中心にした可能性はある。
音楽アルバム『シエスタ』の中身じたいは断片的なスケッチの連続で、楽曲として聴き込めるものが少ないのは残念。短いものは一分もなく、マイルズがまったく参加していないものも複数ある。だけど、部分的に何曲もナイロン弦のスパニッシュ・ギター(ジョン・スコフィールドとアール・クルーによる)を大胆に使って、マーカスもスペイン音楽のニュアンスを出そうとやっているのはよく理解できる。
『シエスタ』でマイルズが参加してあんな感じでソロを吹いているものだと、1トラック目「ロスト・イン・マドリード、パート1」(これがアルバム全体の共通モチーフ)、2トラック目の第1パート「シエスタ」、3トラック目の第1パート「テーマ・フォー・オーガスティン」、8トラック目第1パート「クレア」などでのトランペット演奏はなかなかいい。
マイルズが吹かないものでも、マーカスの丁寧な作業によって、アルバム『シエスタ』全体にサウンドの統一感があって、どれもこれもスパニッシュ・スケールを用い、またスペイン音楽、特にフラメンコで使われる楽器を多用しているからというだけかもしれないが、寂しくて暗い色調が全体を支配していて、マイルズの、ずっと前からのあんなトランペット・サウンドを、彼が吹いていなくてもよく表現できているように思う。
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