ジャズ・ピアノ界のインフルエンサー 〜 ウィリー・ザ・ライオン・スミスの優雅な気品
二つの世界大戦のあいだに花開いたジャズ・ピアノ音楽。それがハーレム・ラグタイム・スタイル、またの名をストライド・ピアノという。ハーレム・ストライド・ピアノ界では三人の偉大な存在の名をあげることができる。ジェイムズ・P・ジョンスン、ファッツ・ウォラー、そしてウィリー・ザ・ライオン・スミスだ。
これら三巨頭のうち、ファッツ・ウォラーはたんなるいちピアニストというにとどまらない大きな存在で、録音も完全集ボックス・シリーズが JSP からリリースされている。それは四枚組×4+五枚組、すなわちぜんぶで21枚というデカいサイズなので、二年ほど前に買い揃えた僕は、たぶんまだほとんど聴いてないな(^_^;)。折に触れちょこちょこと参照はするけれど。ふだん聴きのファッツは CD 二枚組のベスト盤アンソロジーだ。
だけど、それで済ませるわけにはいかない音楽家なので、ファッツ・ウォラーについては、そのうちしっかり取り組んでみようと思っている。ジェイムズ・P・ジョンスンとウィリー・ザ・スミス・ライオンについては仏クラシックス・レーベルが年代順の全集を出しているのだが、僕は持っていない。もはや手遅れだ。中古価格が一枚あたり5000円とか7000円とかそれ以上になっている。
だからジェイムズ・P・ジョンスン、ウィリー・ザ・ライオン・スミスは簡便なアンソロジーで、フィジカルなら我慢するしかないので、それを持っている。二人とも Spotify には全集があってぜんぶ聴けるので、音源そのものを聴くだけなら不自由しない。ここで歌っているのはだれ?このギターはだれ?とかがすぐにわからないのは不便だが。
今日はウィリー・ザ・ライオン・スミスの話だけしたい。このウィリーこそ、三巨頭のなかで最大のインフルエンサーだったかもしれないので。その後のジャズ・ピアノ界でウィリーの影響を受けていない存在は皆無に等しいと言いたいほど。かのデューク・エリントンもその一人。デュークはキャリアの最初から最後までウィリーへの敬意を言葉でも音楽でもはっきりと表現している。
デュークのピアノ・スタイルはモダン・ジャズのピアニストたちにも影響を与え、かのセロニアス・モンクなんかはデュークの直接のイミテイターにして、かつ、それもあってかなくてかハーレム・ストライド・スタイルからもはっきりと流れ出てきている。2018年現在モンクが再脚光を浴びているのはコンポジションのおもしろさゆえだけど、その作曲技法とピアノ・スタイルは不可分一体のものじゃないか。
ってことは、2018年にウィリー・ザ・ライオン・スミスの話をするのは、あながちレトロ趣味だとばかりも言えないような気がする。それにウィリーにはオリジナル・コンポジションがたくさんある。それらは自身のピアノ・スタイルがそうであるように気品と格調に満ちていて、デュークやモンクのあんなありようはウィリーが地ならしをしてくれたようなもんなんだよね。
ウィリー・ザ・ライオン・スミスのオリジナル曲と有名ポップ・ソング・カヴァーの両方を、ウィリーの持ち味がいちばんわかりやすいやりかたのソロ・ピアノで演奏し、一枚のアルバムの(もとはそれぞれ LP の片面ずつに)収録したものがある。それがウィリー入門に好適だと思うんだよね。
1989年のコモドア盤(直接の配給元は別のところだけど)CD『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ、プラス・トゥー』。全16曲のこのアルバムの<プラス2>はオマケであって、ソロ・ピアノじゃなくバンド形式でやっているもので、本編とはなんの関係もないから、今日の話題から外そう。
すると全14曲となるコモドア盤『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ』。もとの LP では A 面だったオリジナル曲が八曲、B 面のポップ・カヴァーが六曲。 録音は全曲1939年1月10日(この事実は Spotify で見るまでわかりませんでした、CD 商品のどこにも記載がありませんので)。しかしこの CD もとうのむかしに廃盤で、いまや入手不可だ。
ファッツ・ウォラーにしてもジェイムズ・P・ジョンスンにしてもウィリー・ザ・ライオン・スミスにしても、あるいはアール・ハインズにしてもだれにしてもみんなそうなんだけど、活動のメインは歌手の伴奏やバンドでの活動であって、そのなかでちょろっと数小節ソロを弾くだけなんだから、したがって残っている録音もそういうものが中心。それらではいちピアニストとしてのスタイルや偉大さはわかりにくいんだ。
CD が事実上入手不可能に近いから Spotify にある全集で聴くと、ウィリー・ザ・ライオン・スミスのばあいもヴォーカルが入ったり入らなかったりするバンド編成の録音がずっと続いていた。コモドアのボス、ミルト・ゲイブラーはそれではあまりにもったいないと考えて、自らのコモドア・レーベルで発売するためにウィリーにソロ・ピアノでの録音セッションを提案して実現したのが、1939年1月10日だったんだよね。この日には上記の14曲が録音され、39年当時は SP 盤で発売されたはず。
それが何年ごろになってのことか、LP レコードになってやはりコモドアから発売されたんだよね。LP 発売年はどこにも記載がないしネットで調べてもわからないが、おそらく1950年代あたりじゃないかなあ。LP になったというのは間違いない。なぜならば CD『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ』の解説文に “side one” とか “side two” という表現が出てくるからだ。だからレン・リヨンズと署名のあるこの解説文は、LP 発売時に書かれて掲載されたものをそのまま印刷してあるに違いない。
もとは A 面のオリジナル曲集と B 面だったポップ・ソング解釈集を聴き比べると、どうもやはり八曲のオリジナル・コンポジションのほうがグッと素晴らしく聴こえるし、ストライド・ピアノのスタイルもわかりやすい。自身の弾きかたを最大限に活かし表現できるように作曲しただろうから当然だ。そんな部分はデュークやモンクにも受け継がれている。
トラック・リストはいちばん上の自作プレイリストをご覧いただきたい。Spotify でのそれは、一枚ずつバラで存在するウィリー・ザ・ライオン・スミスのコンプリート集から、CD『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ』と同じになるようにピック・アップして、曲順も並び替えたものだ。「フィンガー・バスター」までが(旧 A 面の)オリジナル曲。CD がとうのむかしに廃盤でいまや入手不可だから、お持ちでないかたはこれで聴くしかないんですよ。
この1939年1月10日録音に先立ってバンド編成で録音済みだった曲が多いのだが、特に一曲目「モーニング・エア」、二曲目「エコーズ・オヴ・スプリング」あたりは本当に名曲だよなあ。美しい。孤独な気高さ、それと表裏一体の楽しさ、エレガントな気品があって、しかもピアノ一台で見事に完結し、自律美を放っている。
これら二つに、たとえば四曲目の「フェイディング・スター」などもあわせると、ウィリー・ザ・ライオン・スミスのピアノ・スタイル(=作曲法)を理解するこの上ない好例となるだろう。繊細微妙なデリカシーと(リズムの)力強さが見事に一つに溶け合っている。録音年順にいうと、ジェイムズ・P・ジョンスンの「スノウィ・モーニング」やファッツ・ウォラーの「ハンドフル・オヴ・キーズ」などに続くものだが、ウィリーのこれらはもっとグッと洗練の度を増している。
ここまでの三曲だけの話じゃないのだが、ウィリーのピアノにおけるパワフルさは、左手の強力なパターンと、右手によるテーマの反復と、両手によるリズムの正確さに起因する。いや、左手・右手と分割して聴くのは実はおかしい。両者が合体演奏されているし、ストライド(またぐ)というくらいで、左手が右手で弾く鍵盤のより右側を叩くべく、しばしば飛び越えて演奏され、左右両手の同時演奏で、モダン・ジャズのピアノ演奏にはないトータル・パワーをもたらしている。
「エコーズ・オヴ・スプリング」における右手で弾く繊細なメロディ・ライン。そのデリカシーは、たぶんクラシック音楽の印象派作品に由来するものなんじゃないかと思う。ウィリー自身、後年、この曲のメロディ・ラインを思いついたときの公園でのある光景と体験を語っている。つまり一種の風景描写なんだよね。それが心情の表現にもなっているという、つまりは(ジャズ・ファンなら)デューク・エリントンでお馴染みのパターンだが、デュークのああいった作風はウィリーから学んだものだ。
八曲目「フィンガー・バスター」で聴ける左手も、実に典型的なハーレム・ストライド・スタイルだ。ストライド・ピアノとはどういうものか?と問われれば、この曲を差し出せばいい。実にわかりやすいよね。しかもこの曲での左手の技巧は、右手で弾くラインから独立している。リズム表現だけど、同時に(活動開始期にはまだマイクロフォン拡声が一般的ではなかったので)スピード感を失わずに音量を得るための工夫でもあった。
五曲目「パッショネイト」でも左手のカウンターポイントが特筆すべき見事さだ。演奏前によく練り込まれたコンポジションだとわかる。右手で弾くメロディを補完してその美を際立たせるだけでなく、左手のその対位法的リズムじたいが強力に美しく、楽しい。
七曲目「スニークアウェイ」では、おもしろいことにブギ・ウギのパターンをウィリーが弾いている。1939年録音だからあって当然のものだけど、そんな同時代性だけでなく、ブギ・ウギとハーレム・ストライド・ピアノと、それらのそもそもの源流たる19〜20世紀の変わり目ごろに大流行したラグタイム・ピアノと、それら三者の密接な関係を考えることにもつながるはずだ。
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