音楽の桃源郷 〜 ソーサーダトン
僕にとってのミャンマー音楽初体験だった女性歌手ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』(2012年か13年?)。Soe Sandar Tun という名前だってソーサーダトンと表記するというのは、紹介してくださるみなさんがそうお書きだから真似しているだけで、僕なりの根拠なんかぜんぜんない。アルバム名の読みかたはいまだにわからない。
ソーサーダトンのこの仏教歌謡集『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』がミャンマー音楽との出会いだったのはかなりの幸運だったと思う。日本ではいまだに知名度ゼロのソーサーダトンで、一部で、っていうかはっきり言えば主に渋谷エル・スールとその周辺界隈だけ(?)で熱狂的に支持される歌手だけど、おそらく今後も日本で一般的人気が出ることなどありえないだろう。
がしかし、『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』はかなりいい内容の音楽アルバムなんだよね。ミャンマー音楽のことを文字どおりなにも知らなかった僕が初体験で好きになってしまったくらいなんだから、今日の今日までソーサーダトンをご存知なかったかたがただって可能性は大いにあると思う。CD 現物がなかなか入手できなくなっているが、一番上でご紹介したように Spotify にあるんだ。だからみなさん、ぜひちょっと聴いてみて。
ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』がミャンマー音楽入門にもいいんじゃないかというのは、一聴で好きになってしまった僕の個人的体験から来るオススメ言葉ではあるけれど、一歩引いて考えてみても、合理的な理由が見当たりそうだ。
一つは伴奏の楽団編成。サイン・ワイン(パッ・ワインともいう環状太鼓)、サウン(竪琴)、フネー(チャルメラ)というミャンマー伝統音楽の通例的な楽団編成にくわえ、西洋楽器のピアノ奏者も参加している。三種類のミャンマー伝統楽器だけじゃなく、ピアノまでもが西洋音楽的な弾きかたの枠から抜け出して、独自の奏法を編み出して実践していることもおもしろい。緬西折衷というよりも、ピアノも含めて全面的にミャンマー音楽に即している。
しかしピアノはご存知のとおり西洋音楽平均律の権化みたいな楽器であって、12音平均律における半音までしか表現できない(ばあいが多い)。ソーサーダトンのヴォーカル表現や、三種のミャンマー伝統楽器のサウンドを聴いてもわかるのだが、もっと小さな音程も使うんだよね。いわゆる微分音を頻用する。それを意図的に、さらに正確にヒットする。
だからそこにピアノのような(固定音しか出せない?)楽器を混ぜてうまく違和感なく聴かせるのはなかなかむずかしいことだと思うんだ。ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』で弾いているピアニストがだれなのかわからないが、まず和音は弾かず、シングル・ノートで、かつ打楽器的に弾き、めくるめくような万華鏡のようなフレーズを奏でて、たとえばサイン・ワインの打音と溶け合っている。その結果、歌手ソーサーダトンのヴォーカル・ラインを際立たせているんだよね。
CD をお持ちでないかたはぜひ上の Spotify 音源で聴いてほしい。ソーサーダトンは米欧音楽でいう歌ものとはまったく異なる器楽的でメカニカル(だと僕の耳には響いてしまうのがミャンマー音楽素人の証拠か?)なメロディ・ラインを、しかも西洋的な音階にもとづいていない独自旋律を、その上に装飾的で細かなコブシをくわえながら、さらに微分音を正確にヒットしつつ、デリケートかつ張りのある声で、完璧に歌いこなしている。
極めて高度なヴォーカル表現じゃないかなあ。しかしそんな超高度なヴォーカル・テクニックを駆使しながらも、できあがりの歌を聴くと、むずかしさ、とっつきにくさがぜんぜんない。逆に庶民的で親しみやすい表情を見せているじゃないか。ソーサーダトンはポップ歌手というのとも少し違う伝統歌手なんだそうだけど、歌だけ聴くと(歌詞がわかりませんから)ポピュラー音楽の歌手っぽいよね。
そんなソーサーダトンの伴奏をする三種のミャンマー楽器とピアノ。加えてなんだか金属音というか、仏式葬儀でのおりんの音に似た鐘みたいなものを鳴らす音も聴こえるが、それらは天然自然のアヴァンギャルドさにも聴こえる。米欧の大衆音楽的な視点で言えばね。当人たちは通例的な伝統歌謡の伴奏をごくふつうにやっているだけだろうから、僕のこの言いかたは的外れかもしれない。
以前、サイン・ワインのことは詳しく書いた。僕にとって、ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』でいちばん耳を惹いた伴奏サウンドがその環状太鼓だ。パカッパカッとのどかな音色で、しかし細かく複雑なパーカッション・フレーズを叩きこなしている。
ソーサーダトンの歌にしてもそうなんだけど、どうもそういった複雑難解なテクニックを駆使しながらも、できあがりは身近でフレンドリーな日常に聴こえるというのが、ミャンマー音楽の(東南アジア音楽の?)最大の魅力なのかもしれないなあ。しかもすぐそこでやっているような生々しい情感もたっぷりある。
仏教歌謡集だというのはおそらく歌詞で表現されているんだろうから(まあジャケット・デザインもそんな感じだけど)、ミャンマーの言葉がわからない僕にはなにも言えない。音楽好きの多くの日本人もそうじゃないかな。だから、ただひたすらソーサーダトンの声のキラメキ、可愛らしさ、高度な歌いまわしのテクニックなどを、華麗できらびやかな伴奏サウンドといっしょに楽しめばいいんだ。
ミャンマーの伝統派(でありかつ現代ポップスにも聴こえる)歌手、ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』。これこそ音楽の万華鏡、桃源郷じゃないだろうか。いままでミャンマー音楽と無縁でいらっしゃったみなさんにも、ぜひにと推薦しておきたい。そしてまたふたたび CD が日本で買えるようになるといいなあ。
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