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2018/03/26

音楽は「みんな」のものだ 〜 ネット聴きについて

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4月21日にある事実を確認できたら、同じ意味のことをもう一度書くつもりです。

ああいった複数のかたがたの考えかたは、一見、反対方向を向いているかのようでいて、僕から言わせてもらえれば、同じだ。つまり、音楽は一般庶民を含むみんなのものじゃない、限られた特定少数のマニアックな愛好家のためのものだというお考えなのかもしれない。大衆音楽を扱っているはずなのに、ちょっとおかしいような気がする。

もともとのありようが一部特権階級の楽しみのために作曲、演奏されたものである近代西洋音楽(クラシック音楽)と違って、ポピュラー・ミュージックはあくまで一般大衆のもの、みんなのものとして誕生し、いままで来た。「みんな」と僕が言うときには、そこに大金持ちも中流層も貧乏庶民も、一文無しのホームレスも、音楽を聴く気持ちと手段があるひとならば文字どおり全員を含めたい。

生演唱をその場で体験するというのは、やはりむかしもいまもスペシャルな体験だ。コンサート・ホールなりライヴ・ハウスなりレコード・ショップ店頭なり、とにかくどこかへ出かけていかないと聴けない(ばあいがほとんど)わけだから、それがなかなか可能にならないひとは日本中に、世界中に、いる。いまもいるぞ。僕だってそうだ。愛媛県大洲市で開催される音楽コンサートなんて、ない。

だからそういう生現場は非日常のものなんだ。僕にとってはね。たぶん多くのみなさんにとっても。しかし音楽を聴かないと生きていけないような人間にとって、音楽はいつでもどこででも常に触れていたいというものじゃないかなあ。少なくとも僕はそうだ。だから、ふだん聴くのは商品化された(されてなくても)録音物。

それは長らくレコードだった。19世紀末ごろの発明品で、20世紀に入ってから大規模産業化して、全世界でどんどん音楽レコードが流通するようになり消費された。大量消費される録音音楽商品という姿が、はたして音楽にとって幸せなのかどうかという問題は、今日はいったんおいておく。(多くのばあい)流通商品じゃないと、たくさん入手してふだんからどんどん聴くことはむずかしいんだから、この判断は保留するしかない。

音楽を文字どおりの日常の娯楽品として、まるで空気を吸う、水を飲むかのごとくどんどん取り込み呼吸したいという人間にとって、再生方法は簡便であればあるほどいいはず。そこはなるたけ可視化されないほうがいいんだ。本当に透明な空気のように、そこに音楽が鳴っていてほしい。僕は心の底から強くそう願い、実行しているつもり。

大金持ちではない一般庶民にとっては、そんな録音音楽商品をどんどん入手して聴きたいばあい、再生方法もなるべく簡便で透明であってほしいし、さらに購入単価は安ければ安いほどいい。そのほうがどんどんたくさん買って聴けるわけだから。そうすれば、未知の音楽に出会う可能性も上昇するじゃないか。

べつに音楽に限らず、衣料でも食品でもそのほかなんでもそうだけど、同じものを同じ質で同じ量だけ享受できるのであれば、その入手価格は安ければ安いほどいい、できうれば無料がいい。これが庶民感覚というものだ。安価だと、タダだと、あるいは簡便にすぎると、ありがたみが薄れる、なくなるというお考えのかたがいらっしゃるとすれば、それは貴族感覚だ。

録音音楽の販売、再生の歴史は、この簡便化、低価格化の一途をたどってきた。これは歴史の真実だから、いまさら変えられない。否定もできない。変えたい、否定したいならば、修正主義者と呼ばれる種類だ。蝋管、円盤型SP、EP、LP、CD と、この途をずっと歩んできているじゃないか。それがちょっと前からネット・ストリーミングになりつつあるだけだ。ダウンロード購入は CD とそんなに価格が変わらないばあいが多い(ときどきフィジカルより高価)ので、簡便な手段ではあるけれど、今日の話題の外におく。

ストリーミング再生で音楽を聴く。この種のサーヴィスはいくつかあって、最大手が Spotify かな。そのほか Apple Music や Amazon Music や、アラブ圏だと Anghami もある。僕が活用しているのは Spotify と Anghami なので、この二つだけで言うと、無制限利用するために支払う月額は、前者が980円、後者は500円。

980円か500円を支払うだけで、CD とまったく違わない音質で、しかも無制限に聴けるんだよ。サーヴィスで提供されれている音源ならば、いくらたくさん聴いてもこれ以上一円もかからない。980円か500円で、はたして LP や CD の新品をどれだけ買えるのか?考えてみてほしい。キリなくたくさん聴きたいばあい、どっちが経済的か?考えてみてほしい。

最近は CD をリリースせず、LP とネット(ダウンロード&ストリーミング)でだけしか販売しないというレーベルもある。ばあいによってはプラネット・イルンガみたいにアナログ・レコードしか生産、販売しないというところもあるんだが、なにか取り違えているような気がする。CD 生産よりも LP の限定生産のほうが経費がかからないから、CD 不況のいまの時代、しかたがないんだ、理解できるというかたもいらっしゃるんだけど、それだったらもっと経費がかからないはずのネット販売をどうしてやらない?

という疑問を、ある著名なアフリカ音楽愛好家のかたに Twitter で向けてみたら、関係ないツイートもしばらくピタリと止まってしまった。そのかたはプラネット・イルンガやハイヴ・マインドがおもしろい、楽しい、素晴らしいとおっしゃっていて、そのとき、僕がこないだ記事にしたモロッコのマアレム・マフムード・ガニアのレコード(ハイヴ・マインド)を聴いていらっしゃった。

マアレム・マフムード・ガニアのハイヴ・マインドはまだいい。LP だけじゃなくネット配信があるから、アナログ・レコードを再生するターンテーブルをいまや手放したままの僕でも問題なく聴けた。感じ悪いのはプラネット・イルンガだ。LP しか売ってないんだもんなあ。これって、いちばん上で書いた「音楽は一部のマニアックな愛好家だけのもの」であるという考えかた(=貴族意識、選民思想)にもとづいているんじゃないの?

大衆音楽なんだよ。一人でも多くの一般の大衆のところに届けなくていいの?一部のマニア(特権階級)の玩具みたいになるんだったら、ポピュラー・ミュージックの看板降ろしてくれよ。マジョリティは、アナログ・レコードの再生なんていまや方法すら知らないんだからさ。レコードがいい、おもしろいというのがブームだみたいに言われているのを、世間一般の主流であるかのように勘違いするなよな。

レコードだけじゃない。CD だっていまや再生方法を知らない、そもそも CD ってなに?そんなものがあるの?というひとたちが世間では増えているというのが事実。音楽はネットで(スマホにイヤフォンやヘッドフォンで)聴くものだとしか思っていない、というかそれ以外になにがあるの?わからない、という層がメイジャーになっているんだよね。

それをフィジカル愛好家が嘆いても、なにもはじまらない話だ。話が前へ向かない。たんにその状況を嘆き悲しんで、いっぽうでフィジカル愛を乱発するだけなら、それはたんなる後ろ向きのレトロ趣味じゃないかなあ。音楽の買いかた、聴きかたが時代錯誤なのに、音楽の中身だけは時代の最先端を追って、新しさ、進化を賞賛するなんて、逆立ちしているよね。

僕はべつに CD(や LP など)を聴くべきはないとか、手放せとか、これからはネット・ストリーミングで音楽を聴くべきだなどと、全員に向けて言っているんじゃない。そうじゃないんだ。僕だっていろんな理由で(たぶん最大のものは世代と、近年の現場体験の欠如と渇望感)今後もCD があるものは買える範囲でそれを書い続けると思う。たぶん、死ぬまで。

だけど、LP しか生産せずネット販売もなしのレーベルを賞賛したり、LP とネット販売だけのものは現実的選択肢としてネットで聴くしかないんだからそうしているのをヤイヤイ言われたりなんてのは、金輪際ごめんこうむりたい。ネット聴きと対比させるかたちでのフィジカル愛だなんて言葉もちょっとどうかと思う。

現実的に、あるいは全面的に、ネットでしか聴けないものは、ネットで聴けばいいじゃないか。それのどこが悪いんだ?どうして文句言われたり、「怒」なんて文字を向けられなくちゃいけないんだ?まるでこっちが犯罪行為でもはたらいているかのようじゃないか。繰り返すが僕は CD を買う。いまも買っている。これはみなさんよくご存知のはず。だけど、CD があっても買わずストリーミングで聴くひとたち、CD を買うための参考としてネットで試聴する人にだれも文句はつけられないはずだ。

安いんだし、音質も同じだし、Spotify だと月額980円(12ヶ月なら9800円と割安)の定額で何千万曲と無限に聴けるんだよ。ポピュラー・ミュージックは一般大衆のものなんだよ。そのなかには CD 一枚分もお金を出せない、食べるので精一杯だという貧困層もいるんだってことを忘れないでほしい。昨年12月、僕はあるかたに Spotify というサーヴィスがありますよと Twitter で紹介したんだけど、そのかたは無料期間で大いに楽しんで、それが終わるときに、翌月からの数百円の支払いが困難だと深刻に悩んでいらっしゃった(が、結局いまも支払ってお聴きらしい)。いわんや CD をや。

なんども言うようだけど、音楽好きのどんな状況下にあるどんな人間のところにも届けたい、不特定多数の一般大衆のもとへ届いてほしいという意思がないのなら、一部の特定少数にだけこの音楽商品のフィジカルは届けばいいんだという考えの音楽家やレーベルや、そういう考えを支持するリスナーのみなさんなら、ポピュラー・ミュージック愛好の看板を降ろす「べき」だと僕は思うね。フィジカルへのこだわりすぎは、もはや「ポピュラー」じゃないから。

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