カエターノ越しのマイルズとジョアン 〜 『クワイエット・ナイツ』
フル・アルバムとしては(といってもオリジナル・レコードは合計26分程度しかないから片面相当なんだけど)マイルズ・デイヴィスとギル・エヴァンスのはっきりクレジットされているコラボレイション最終作『クワイエット・ナイツ』。現行 CD などでは末尾におまけとして「ザ・タイム・オヴ・ザ・バラクーダズ」が収録されているが、なんの関係もないので外そう。これがなんなのかは、以前詳述した。
さらにオリジナル収録分でラストの「サマー・ナイト」も関係ないので外すことにする。この一曲はマイルズが新クインテットを結成する直前に、ヴィクター・フェルドマンらとハリウッドで録音したセッションからのアウトテイクで、つまりアルバム『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』の半分と同じときのものだ。ギルはまったく関わっていない。
となると1962年7〜11月にかけてマイルズとギルのコラボでやった<オリジナル>の『クワイエット・ナイツ』分は、全六曲でトータル再生時間21分しかない。マイルズもギルもこれはリリースされるべきではなかったものだと発言しているし、1964年にテオ・マセロが無断で発売したことにマイルズは立腹し、66年10月(『マイルズ・スマイルズ』の録音セッション)まで口を利かなかったそうだ。
だけど、そのたった21分間の『クワイエット・ナイツ』は、なかなか興味深い。音楽は創りだす音楽家、製作者の意図、意思とは関係なく自律するものだ。音楽じたいは音楽家の手にすら負えないものだと思うんだよね。『クワイエット・ナイツ』はなんとなく(なんちゃって)ボサ・ノーヴァふうのムード、ぬるめのお湯につかっているような心地よいムード・ミュージックで、その点だけでもいい感じで楽しめるんだけど、それだけじゃない。あっ、そういえば以前ムード・ミュージックそのものに否定的なことを言う人もいたなあ。アホかいな。
アルバム『クワイエット・ナイツ』のことが、僕にもおぼろげに見えてきたのは、カエターノ・ヴェローゾのライヴ盤『プレンダ・ミーニャ』(1998)を知ったころだ。このカエターノのライヴ盤、マイルズ(&ギル)好きだったら、オッ!エッ?と思う仕掛けがいくつかある。
まず『プレンダ・ミーニャ』の一曲目「ジョルジ・ジ・カパドーシア」の冒頭部でカエターノがギターを弾きながら複数の人名をあげている。こういう人たちの曲をこのコンサートではやりますよ、こういう演目でこういったライヴになりますよという紹介ってことかなあ。まず「伝承曲」(ドミーニョ・プブリコ)、次いでジョルジュ・ベン以下何人か名前を出しているなかで「マイルズ・デイヴィス」とはっきりしゃべっているんだよね。
そのときは、えっ?なんでマイルズ?と疑問にしか思わないんだけど、謎が解けるのは二曲目の「プレンダ・ミーニャ」を聴いたときだ。これはマイルズ『クワイエット・ナイツ』一曲目の「ソング No. 2」と同じものなんだよね。1998年にこのカエターノ・ヴァージョンを最初に聴いたときは、ええっ〜?と思った僕。だって『クワイエット・ナイツ』ではマイルズとギルの自作とクレジットされているんだもんね。
カエターノの種明かしによれば、この曲がドミーニョ・プブリコで、ブラジル南部リオグランジ・ド・スル州で歌い継がれてきた伝承曲だとのこと。カエターノはたぶんジョアン・ジルベルト由来でこの曲を知った可能性がある。ジョアンは最初リオグランジ・ド・スルで音楽生活を送っていたからだ。録音はないはず。
ジョアンというのも、マイルズ&ギルの『クワイエット・ナイツ』においてはキー・パースン。アルバムにある「コルコヴァード」(英題が「クワイエット・ナイツ」)はアントニオ・カルロス・ジョビンの書いた曲だけど、ジョアンがレコーディングしているのはご存知のとおり。さらにアルバム三曲目の「アオス・ペス・ダ・クルス」はマリノ・ピントの曲で、これもジョアンがやっているんだよね。
つまり、マイルズ&ギルの『クワイエット・ナイツ』はジョアンに触発されて、曲をアダプトしたのはたぶんマイルズじゃなくてギルだと思うんだけど、いくつものボサ・ノーヴァ楽曲やそれと関係のある伝承曲などをやったものだ。しかし「コルコヴァード」を除き、僕はカエターノの『プレンダ・ミーニャ』を聴くまで、ま〜ったく気づいていなかったよ。いまでもマイルズ専門家やジャズ・ファンは、これ、だれも言ってないよね。
しかも『クワイエット・ナイツ』の「ソング No. 2」はマイルズ&ギルの自作とクレジットしているんだから、このことだけはちょっとダメだ。マイルズがこういった傾向のある人だとはみんな知っているが、このブラジル南部の伝承曲をアダプトしたのはギルに違いない。う〜ん、こりゃちょっと…。
さらに、アルバム四曲目の「ソング No. 1」も自作扱いになっているが、これだってスペインのフランシスコ・タレーガのギター・ピース「アデリータ」なんだよ。イカンよなあ、ギル…。
こういったたぐいのことは、『クワイエット・ナイツ』のレコーディング・セッションがうまく運ばなかったことの証左でもある。そもそもこれの発端はシングル盤のための企画で、1962年7月27日に「アオス・ペス・ダ・クルス」と「コルコヴァード」の二曲だけを録音。これが45回転のシングル盤となって発売されたのだ。
コロンビア側としては、1960年代初期というとちょうど北米合衆国でもボサ・ノーヴァがブームになっていたので、それに便乗してマイルズとギルにちょっとなにか、軽く二曲、やってくれないか、それをシングル盤で発売したいというだけのプロデュースだったんだろう。もっともそのシングル盤はまったく売れなかったそうだけど。
それで引き続き同じような路線で何曲か録音して、アルバムにでもできれば御の字みたいな、そんな作業で1962年8月と11月に散発的にレコーディングが進行したんだろう。だが、当のマイルズとギルは気乗りせず、素材も見つかりにくいし自作もできにくいというんで、上記二曲「ソング No. 2」と「ソング No. 1」が、上で書いたようなことになっているんだと推測する。
そんでもってアルバム『クワイエット・ナイツ』にある、ここまで書いてきたもの以外は北米合衆国の職業作曲家が書いたスタンダード・ナンバー「ワンス・アポン・ア・サマータイム」「ウェイト・ティル・ユー・シー・ハー」で、つまりこのアルバムにあるのはぜんぶ他作曲だ。
と、ここまでお読みになると、あたかも僕がアルバム『クワイエット・ナイツ』を否定的に見ていると受け取られそうな気がするが、それは逆だ。実際、ファンも多いし、僕だってこのフワ〜っとしたなんちゃってボサ・ノーヴァな(まがいもの的)ムード・ミュージックがわりと好き。リラックスできて心地いいもんね。
しかしもっとおもしろいのは、「ソング No. 2」がキューバのアバネーラのリズム・パターンを使ってあるってことだ。だれひとりとしてこれを指摘した人はいないけれどね。三拍子系のリズムを潜在させながらシンコペイトし、ゆったり跳ねて大きくうねる二拍子じゃないか。これはカリブ音楽の、つまりアフロ・クレオールのグルーヴだ。
こういったアフロ・クレオールな汎カリブ〜ラテン・グルーヴは、アルバム『クワイエット・ナイツ』の随所で聴けるものだ。こういった音楽要素を、マイルズ(がギルとのコラボで)が取り入れ表現した、間違いなく最初の一例。
こんなことが1967年末ごろからのマイルズ・ミュージックにあるカリブ〜ラテン〜アフリカ路線へとつながっているんじゃないかと思うんだよね。ボサ・ノーヴァなんてマイルズにないとか、マイルズ自身もボサ・ノーヴァは好きじゃないとか発言しているが、1974年の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にある「マイーシャ」は鮮明なボサ・ノーヴァだよ。そのほかこの二枚組にはラテン路線がいくつもある。
電気楽器と8/16ビートを導入しファンク化して以後のマイルズの音楽は、1991年に亡くなるまでずっと間違いなくアフロ・クリオール路線だったんだから、そんな志向の端緒だった62年録音のアルバム『クワイエット・ナイツ』は、たんなる心地いいムード・ミュージックというだけにとどまらないんじゃないかなあ。重要性が見えてきたような気がする。
最後にカエターノ・ヴェローゾのことをすこしだけ。カエターノのライヴ・アルバム『プレンダ・ミーニャ』は、ある意味、『クワイエット・ナイツ』で聴けるマイルズ&ギルへのオマージュ的な作品なんだよね。「ソング No. 2」になった「プレンダ・ミーニャ」だけじゃない。アルバム全体をとおし、ギル・アレンジの上でマイルズが吹くがごとく、ジャキス・モレレンバウムのアレンジでカエターノが歌っている。
カエターノとジャキスがマイルズ&ギルの『クワイエット・ナイツ』を強く意識したのは間違いないと思う。オマージュ作だと宣言しているようなもんだ。そうじゃなくちゃ「プレンダ・ミーニャ」をアルバム・タイトルに持ってこないだろうし、一曲目でマイルズ・デイヴィスという名前をカエターノがしゃべらないだろう。ジャキスのアレンジだって、ギルのペンに酷似している。特にブラス群の使いかた。
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