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2018年4月

2018/04/30

ア・タイム・ゼイ・コール・ザ・シックスティーズ

 

 

ポール・マッカートニーの二枚組ライヴ・アルバム『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティク』から抜き出して並べたのが上のプレイリストだ。いちおう曲目だけ以下にも記しておく。だれのどんな曲で、オリジナルはどのアルバムに、なんて書いておく必要はない。

 

 

1) The Long And Winding Road

 

2) Crackin' Up

 

3) The Fool On The Hill

 

4) Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

 

5) Can't Buy Me Love

 

6) Got To Get You Into My Life

 

7) Things We Said Today

 

8) Eleanor Rigby

 

9) Back In The U.S.S.R.

 

10) I Saw Her Standing There

 

11) Twenty Flight Rock

 

12) Let It Be

 

13) Ain't That A Shame

 

14) Get Back

 

15) Golden Slumbers / Carry That Weigh / The End

 

16) Matchbox

 

 

パーソネルは以下の通り。

 

 

ポール・マッカートニー(ヴォーカル、ベース、ギター、ピアノ)

 

ヘイミッシュ・ステュワート(ギター、ベース、ヴォーカル)

 

ロビー・マッキントッシュ(ギター)

 

ポール・ウィケンズ(キーボード)

 

クリス・ウィットゥン(ドラムス)

 

リンダ・マッカートニー

 

 

『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティク』は、僕のいちばん好きなポールのライヴ・アルバムだ。上記編成のバンドで行なった1989/90年の世界ツアーからの収録で、アルバムのリリースは1990年。ポールにとっては、なんとウィングズ時代の1976年『ウィングズ・オーヴァー・アメリカ』以来のコンサート・マテリアル。

 

 

しかもウィングズ時代とはかなり大きな違いがある。上の曲目一覧を一瞥していただければ説明不要だが、ビートルズ・ナンバーがかなり多い。主にそんなものばかり僕が抜き出したというのもあるけれど、『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティク』二枚組全体のトータル37曲で、そもそも多いのだ、1960年代ものが。

 

 

お聴きになればおわかりのように、僕がこのセレクションのトップに持ってきた「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の歌本編に入る前に、ポールがしゃべっているよね。そこから今日の記事題も拝借した。ポール自身、この<1960年代再訪>に、この1989/90年ツアーの力点を置いたはずだ。

 

 

ポールにとっての1960年代とはすなわちビートルズだから、こういったセレクションになるわけなのだ。僕が入れなかったもののなかにも、『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティク』には、「バースデイ」や「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」など、いくつかある。

 

 

むろん、まだまだジョンやジョージの曲を歌うことはできないので、自分で書いてビートルズでも自分で歌ったものだけ。でも、これはかなり大きな心境の変化じゃないだろうか。ライヴ・アルバムは1976年以来と書いたけれど、そのあいだ、89年までに、なんらかの、まあ老成かもしれないが、違いが生じたんだと思う。

 

 

それを最も強く感じるのが「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」だ。ウィングズ時代のヴァージョンと比較してほしい。今日ここにいれたヴァージョンでは、アルバム『レット・イット・ビー』収録のビートルズのそれに忠実なアレンジでやっている。フィル・スペクターの施したオーケストレイションをあんなに嫌っていたポールなのに。だからウィングズ時代には、オリジナル・ヴァージョンどおりの簡素なアレンジで披露していたのに。

 

 

『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティク』では、キーボード・シンセサイザー担当のポール・ウィケンズがストリングスやホーンズなどのサウンドを出しているようだ。セレクション4曲目の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」でも、曲冒頭のサウンド・エフェクトや、その後の管弦楽もシンセサイザーで再現している。

 

 

また、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」では、1967年のレコードにあったオリジナル(1曲目)とリプリーズ(12曲目)を合体させ、そのあいだにポールとロビーのギター・バトルをはさみこんでいる。それも楽しい。

 

 

これの前、3曲目の「フール・オン・ザ・ヒル」のエンディング部では、マーティン・ルーサー・キング Jr. の演説を挿入してある。ビートルズのオリジナルに、もちろんそれはない。これを録音した1990年1月13日、英ウェンブリーのコンサートでも、やはりポールは<あの時代>をいまに伝えなくちゃ、僕はそれを肌身で体験し、音楽を創ってきたんだからと、あのシックスティーズがどんなものだったのかを端的に表現しようと、キング牧師のスピーチを入れたんじゃないかなあ。

 

 

今日の僕のこのセレクションは、基本、もとのアルバム『トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティク』での登場順に並べてあって、また曲のチョイスも、基本、ビートルズ楽曲を、ということなんだけど、彼らと関係の深い、先行するロックンロールやリズム&ブルーズ・スタンダードもすこし入れた。

 

 

つまり、ボ・ディドリー(2)、エディ・コクラン(11)、ファッツ・ドミノ(13)だ。16の「マッチボックス」もカール・パーキンスの曲だけど、これはビートルズ時代にやっている。リンゴをリード・ヴォーカルに立ててシングルでリリースされたものが、いまは『パスト・マスターズ』で聴ける。それに、そもそもカール・パーキンスよりずっと前からの歴史のある曲だ。以前書いた。

 

 

 

ところでこの1990年1月21日ウェンブリー公演の、ライヴ本番前のリハーサルから収録した「マッチボックス」。ものすごくカッコイイんじゃないだろうか。ここはオリジナルのアルバムから大幅に曲順を変更し、セレクションのラストに持ってきた。オリジナルはリハ音源でも、ここではちょうどいいアンコールに聴こえる。

 

 

この「マッチボックス」でポールとツイン・ヴォーカルをとるのが、アヴェレイジ・ワイト・バンドで有名なヘイミッシュ・ステュワート。いい味のヴォーカリストだね。ピアノ・ソロはニュー・オーリンズ・スタイル(がポール・ウィケンズは得意らしい)。左チャンネルでスライド・ギターでソロを弾くのが、ロビー・マッキントッシュ。こんなにシビレる「マッチボックス」、聴いたことないよ。

2018/04/29

きれいなものはきれい 〜 エディ・コンドンの戦後録音盤

 

 

 

 

エディ・コンドンのコロンビア盤『ジャム・セッション・フロム・コースト・トゥ・コースト』(1954)。かつて大の愛聴盤だった LP ジャケットはこれだけど、いまはたぶんこの、下の二枚組しかないんだよね。この CD しか見かけたことがないから、僕もこれで聴いている。2 in 1じゃなく二枚組だけど、バラで売ってくれたらもっとよかったのになあ。

 

 

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この二枚組の一枚目『ジャム・セッション・フロム・コースト・トゥ・コースト』が本当にいいんだよ。きれいだ。特に最初の3トラック(2トラック目は三曲メドレー)が本当に素晴らしいと、心からそう思う。アルバム題は、この LP の A 面が東海岸ニュー・ヨークでのセッション、B 面が西海岸ハリウッドでのものだということから来ている。演奏メンツも全員異なっていて、戦前からの大立者エディ・コンドンはニュー・ヨーク・セッションにしか参加していない。

 

 

それでもフル・アルバムがエディ・コンドンひとりの名義でリリースされたのは、やはりそれだけの大物だからだ。コロンビアのジョージ・アヴァキャン(東海岸)とポール・ウェストン(西海岸)という二人のプロデューサーの雑談から誕生した企画もので、最初、ポール・ウェストンが、ハリウッドで腕利きのディキシーランド・ジャズ・メンでセッションさせて録音しようと思っているんだとアヴァキャンに話すと、アヴァキャンも、実はこっちもニュー・ヨークで同じことをしようと考えていたんだよと応じ、結果、アルバム『ジャム・セッション・フロム・コースト・トゥ・コースト』ができあがった。

 

 

中身を聴くと、こりゃもう断然(CD だと4トラック目までの)A 面が段違いに楽しくおもしろい。特に最初の3トラックが素晴らしい。録音時期が判然としないが、あるいは1953年?という情報をネットでチラ見した。レコード発売が1954年3月15日となっているので、うん、53年末ごろかもしれないね。

 

 

1953/54年には、ディキシーランド・ジャズなんて、時代のスポットライトは完全に当たっていなかった。古臭く、時代遅れ。でも、そういうことと音楽の楽しさ、美しさとは関係ないんじゃないかっていうのが僕のいつもの考えかたなので。いろいろ理屈こねたいわけじゃなくって、『ジャム・セッション・フロム・コースト・トゥ・コースト』A面3トラックを聴いたら、マジ楽しいんだもん!これは掛け値なしだ。時代遅れでも(僕は)抗えない。

 

 

このアルバムのトップからの3トラック「ビール・ストリート・ブルーズ」「エマライン/ドント・ウォリー・バウト・ミー/アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニイシング・バット・ラヴ」「リヴァーボート・シャッフル」は、本当に美しいって僕は思うよ。特に2トラック目のバラード三曲メドレーなんか、最高の一言。なんてスウィートでラヴリーなんだ。

 

 

「エマライン/ドント・ワリー・バウト・ミー/アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニイシング・バット・ラヴ」。一曲目の「エマライン」はトロンボーンのルー・マクギャリティ、二曲目「ドント・ワリー・バウト・ミー」はクラリネットのエドモンド・ホール、三曲目「捧ぐるは愛のみ」はトランペットのワイルド・ビル・デヴィスンがフィーチャーされている。

 

 

この三人が、アド・リブ・ソロもなく、美しいメロディをほぼそのままストレートに吹いて、どんどんバトンタッチしていくだけ。きれいなものはきれいだと、僕は素直に認めたい。素直に今日、人生ではじめて告白するけれども、このバラード・メドレーが美しいなあと大学生のころから毎度聴き惚れていたにもかかわらず、戦前が流行期だった音楽なんだからもはや時代遅れの戦後録音なんて…と考えて、僕はみんなの前で認めてこなかった。

 

 

僕が愚かだった。間違っていた。このバラード三曲メドレーは美しい。聴きながらいつもそう感じてウットリしていたのに、こんな古いものなんか…と、聴くのにちょっとした罪悪感すら持ちつつ、みんなの前ではこの美を称えてこず、ほぼ黙ってきた。今日までね。なんてバカな僕。

 

 

だから、エディ・コンドンの3トラック「ビール・ストリート・ブルーズ」「エマライン/ドント・ウォリー・バウト・ミー/アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニイシング・バット・ラヴ」「リヴァーボート・シャッフル」は、本当に素晴らしいと、今日は心から声を大にして言いたい。

 

 

なお、「ビール・ストリート・ブルーズ」は W. C. ハンディに版権がある曲で、「リヴァーボート・シャッフル」はホーギー・カーマイケルの書いた曲。前者は有名曲だし戦前からどんどん演奏されていて、まあハンディの曲だしスタンダードだから。後者はビックス・バイダーベックがフランキー・トランバウアーといっしょにやったレコードがあるからエディ・コンドンのレパートリーに入っているんだろうと想像できる。

 

 

最後に。今日はご紹介しなかった4トラック目「ジャム・セッション・ブルーズ/オール・ミス」(の途中で作詞家ジョニー・マーサーが入ってくる)も含め、エディ・コンドンのギター演奏がかなり聴こえる。コードをジャカジャカ鳴らすだけだけど、ここまで鮮明なのはほかにないはず。

 

 

もう一点。「ジャム・セッション・ブルーズ/オール・ミス」も含めれば、エディ・コンドンによるバンドへの指示の声も鮮明に聴こえる。「ジョージ、どう思う?」とか言っているのは、もちろんプロデューサーのアヴァキャンとしゃべっているんだろう。演奏前にも、ここをこうやって、何コーラスずつソロをやれ、その後こうやって…、とか言っている。こんな部分も、僕には楽しい。

2018/04/28

楽しいね、オリヴァー・ムトゥクジのスタジオ・ライヴ

 

 

2015年ベスト・アルバムの一つ、オリヴァー・ムトゥクジのライヴ・アルバム『Mukombe We Mvura (Live at Pakare Paye)』。この年の9月3日に僕はブログをはじめたので…、と思って年末のベスト・テン記事を読みなおすと、六位に選んでいる。

 

 

 

ムトゥクジのこれは、たしか春ごろの入荷だったよねえ。それでいままで書きそびれたまま来ていたので、今日ちょっと書いとこう。今2018年にも新作が出たみたいだけど、ちゃんと聴けていないので(CD がまだ入手できないし)、とりあえず2014年作の『Mukombe We Mvura (Live at Pakare Paye)』で。ジャケット・デザインも大好き。

 

 

その雰囲気のあるジャケットに写っている、たぶん瓢箪をボディにした?アクースティック・ギターをムトゥクジが弾いているってことなんだろうか。たぶんそうだよね。彼以外にもう一名のギタリストがいて、あとはベース、キーボード、ドラムス、パーカッション。そして女性バック・コーラス。

 

 

二名のギタリストのうち、どっちがムトゥクジなのか、僕にはわからない。コードを刻んでいるのがムトゥクジ?違うような気がする。もう一本がシングル・トーン弾きでからんだり。こっちがムトゥクジ?あるいは二本ともシングル・トーンでからんだりもするしなあ。わからん。でも曲の弾き出しなんかでシングル・トーンでイントロ創ったりしているから、そっちがムトゥクジか。

 

 

二本のギターのうち、そんなイントロ弾き出しの一本は、ギターの弾きかたそのものというよりムビラ(親指ピアノ)のそれをそのまま移植したみたいな演奏法に聴こえたりもするんで、そっちがやっぱりムトゥクジってことなんだろうと思っておくことにする。だから淡々と地味にジワジワとミニマル的に進んでいるのが、いかにもアフリカ南部の音楽っぽい。

 

 

アルバムの全十曲は、一曲ごとにフェイド・アウトしてまた次のがはじまったりするので、あるいは当日のライヴ現場そのままの曲順じゃないのかもしれないが、しかしアルバム化された『Mukombe We Mvura (Live at Pakare Paye)』の進行は、かなりよく考えられている。ジワジワゆっくりとはじまって、徐々に熱を帯び、どんどん昂まっていって、クライマックスに到達し、その後また落ち着いた余韻を残し、終わる。

 

 

僕の印象では4曲目の「Dzinga Hwema」までが序章みたいな感じに聴こえ、次の5曲目「Kumbai Manyowa」から大きく盛り上がる。グルーヴが激しくなるし、サウンドも熱を帯びている。そこまでの4曲もポリリズミックだけど、それが一層ハードになって、特にドラマーとパーカッショニストが大活躍。

 

 

あんがい(?)すごいのがキーボード奏者だよなあ。5曲目「Kumbai Manyowa」ではピアノだけど、ほかではオルガン(の音のようなシンセサイザー)なども弾き、バンド・サウンドのなかでいちばんハッキリと目立って活躍している。ソロも弾く。そのキーボード奏者を中心にバンド全員が一斉にキメを演奏し反復したりする。そのキメの反復は、5曲目以後たくさん聴ける。だから事前にしっかりアレンジされているよなあ。

 

 

そのアレンジされたキメがカッコイイんだよね。6曲目「Perekedza Waro」が、アルバム中僕がいちばん好きな一曲で、鍵盤シンセサイザーを中心とするキメのリフも多く、またそれのリピートがすんごくカッコよく気持ちいい。リズムも楽しいし、こ〜りゃいいね。四分もないからあっという間に終わってしまうような爽やかさ。

 

 

7曲目「Ndururu」も熱い。ドラマーの叩きかたなんか、いや、バンド全体のサウンドとリズムが激しいと言ってもさしつかえないほど。ムトゥクジのヴォーカルも熱っぽい。アルバム全体がクールネスに満ちたアフリカ性を発揮しているんだろうけれど、この7曲目は相当にホット。この6〜7曲目あたりで、1時間7分のこのアルバムが絶頂に達するような感じだなあ。ストン!と気持ちよく終わる。

 

 

その後の8〜10曲目は、僕にとっては余韻を楽しんでいるような感じだ。バンドのサウンドはけっこう盛り上がったりするものの、主役のムトゥクジのヴォーカルは、アルバム全体でずっと飄々とした表情で、(表面的には)決して熱くなったりしない。円熟の境地ってことなんだろうなあ。繰り返し聴いて味わいが増す一枚。

2018/04/27

失われた輪ゴムを求めて

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マイルズ・デューイ・デイヴィス III 世の曲「ラバーバンド」。こないだ、2018年4月21日のレコード・ストア・デイに、(アメリカの)一部店舗で、12インチのアナログ EP が発売された。レコード・ストア・デイの限定商品なんだから、ライノがアナログしかリリースしない、しかも路面店でだけ、というのはあたりまえのことではある。

 

 

その 12インチ・アナログ EP『ラバーバンド』に収録されたのは4トラック。ぜんぶ同一曲「ラバーランド」で、その既発オリジナルと、リメイクした3ヴァージョンだ。以下のとおり。

 

 

1) Rubberband Of Life [featuring Ledisi (radio edit)] 4:21

 

2) Rubberband Of Life [featuring Ledisi] 5:43

 

3) Rubberband Of Life [instrumental] 5:39

 

4) Rubberband [issued version] 6:10

 

 

レディシというのは女性シンガーで、イシュード・ヴァージョンがインストルメンタルだったのに対しヴォーカルを加えて、今様の R&B っぽく仕上げているものだ。(1)と(2)は長さの違いしかないので、二つ続けて聴く意味はあまりないように思う。インストルメンタルな(3)も、ヴォーカルを抜いただけの新ヴァージョン「ラバーバンド」だ。(4)のオリジナルはかなり様子が違っている。

 

 

さて、(4)はイシュードとあるように既発なので、CD でもネット配信でも聴ける。(1)〜(3)もそうしてくれないか?ライノと(甥で、マイルズ・エステイトの管理人で、今回の発売プロデューサーである)ヴィンス・ウィルバーン。ぜひほしいんだけどね。聴ければいい。CD がむずかしかったらネット配信でもいい。聴けるようにしてくれ。

 

 

と書いたものの、実は聴ける。以下の YouTube リンクをご覧あれ。アナログから起こした音源なのは間違いない。スクラッチ・ノイズが聴こえる。

 

 

 

あれっ?いま見なおしてみたら、もうすでに1トラック目がデリートされているじゃないか。アメリカでの『ラバーバンド』EP 発売日である日本時間の4月22日に探してこれを見つけたときは、四つぜんぶ聴けた。速攻でダウンロードしたので、いまも問題なくぜんぶ聴いているが、やはりなあ…。だから、CD か正規ネット配信で頼むよ、ヴィンス&ライノさん。

 

 

マイルズほどの音楽家の「新曲」だから、待っていればたぶん間違いなくそういうかたちでリリースされるんじゃないかと思ってはいるのだが。

 

 

さて、上掲リンクでラジオ・エディットがもう聴けないが、でもそれは二つ目と長さ以外は違わないので。オリジナルのイシュード・ヴァージョンと、その前の三つ(というか、二つか)とは、テンポもグルーヴのタイプもサウンドの色調も、かなり異なっているよね。

 

 

簡単に言えば、1985年11月22日録音のオリジナル「ラバーバンド」は、いかにも1980年代中頃という音楽だ。カメオとか、あのへんの R&B〜ファンクっぽい。今回新発売の3トラックはテンポを落とし、重心をグッと低くして、ヘヴィなフィーリングのグルーヴに変貌させ、2010年代のブラック・ミュージックとして通用するトラックに加工してあるよね。

 

 

さて、この曲「ラバーバンド」は、マイルズ本人言うところの<ラバーバンド・セッション>からの一曲。このトランペッターがコロンビアからワーナーに移籍した直後の1985年10月〜86年1月にかけて、西海岸ロス・アンジェルスにある(レイ・パーカー Jr. の)アメレイカン・スタジオで、その一連のセッションは実施され、ぜんぶをワーナーが公式録音した。

 

 

情報によれば、そのラバーバンド・セッションで録音されたのは12曲以上あるらしいが、どうしてだかお蔵入りし、未発のまま時が過ぎていた。ラバーバンド・セッションのプロデューサーはランディ・ホールとアタラ・ゼイン・ギレス。ゼイン・ギレスの名はマイルズ・ファンに馴染みが薄いけれど、ランディ・ホールのほうはご存知のはず。1981年復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』にある、シカゴ人脈を起用した二曲「シャウト」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」に参加していた。

 

 

復帰第一作にあったあの二曲は、当時から評判が悪く、いまでもそうなんだけど、1984/85年あたりから以後のマイルズ・ミュージックで、かなり重要な役割を果たすようになっていた。あの二曲に参加していたヴィンスも、鍵盤のロバート・アーヴィング III もね。しかし1985年ごろにランディ・ホールがここまで深くかかわっていたとは、あまり知られていなかった。

 

 

いまだによくわかっていない部分があるのだが、マイルズのワーナー移籍直後の段階では、会社のトミー・ラプーマもマイルズ本人の意向に全面的に沿ってやりたい音楽をやればいいという考えだったらしく、それでマイルズはランディ・ホールにやってもらいたいと声をかけたとのこと。

 

 

ランディは、バンド、プレジャーを去りソロ・キャリアを成功させつつあった時期。しかもちょうどロス・アンジェルスのアメレイカン・スタジオにいて、自らの新作『ラヴ・ユー・ライク・ア・ストレインジャー』にとりかかっていた。マイルズのオファーを受け、ランディはこの進行中のプロジェクトに参加していたメンツをそのまま用い、マイルズの新作録音にとりかかる。

 

 

それが以下のとおり。

 

 

Miles Davis (tp)

 

Mike Stern (g)

 

Randy Hall (g, arrangements)

 

Attala Zane Giles (keyboards, b, g)

 

Adam Holzman (synth, arr)

 

Anthony "Mac Nass" Loffman (keyboards, drum programming)

 

Arthur Haynes (b)

 

Vince Wilburn, Jr. (dms)

 

King Errison (cga)

 

Steve Reid (perc)

 

 

しかしこれでぜんぶではないようだ。マイルズの録音ならサックス奏者がいて当然だから、それ以外にも何名か参加しただろうし、この一覧にある名前のなかで参加しなかったミュージシャンもいるかもしれない。また、1981年カム・バック・バンドで弾いたギターのマイク・スターンは、ランディ・ホール人脈ではなく、マイルズ本人が連れてきたのだろう。

 

 

また、くわえて以下のミュージシャンが参加しているとの情報もある。

 

 

Neil Larson (keyboards)

 

Wayne Linsey (keyboards)

 

Glen Burris (sax)

 

 

ともかくこれで1985年10月〜86年1月にロス・アンジェルスで12曲以上が完成した。セッション・プロデューサーはランディ・ホールとゼイン・ギレス。しかしそのままどうしてだか発売されなかった。トミー・ラプーマほかワーナー側が納得しなかったということだったかもしれないが、真相はいまだに闇の中だ。

 

 

マイルズのワーナー移籍発売第一作は、その後1986年2/3月にマーカス・ミラーとのコラボでやった『TUTU』ということになった。未発アルバム『ラバーバンド』は、しかし二曲だけかたちをかえて、1991年死後リリースとなった遺作『ドゥー・バップ』に収録された。

 

 

それが『ドゥー・バップ』にある「ハイ・スピード・チェイス」と「ファンタシー」。『ドゥー・バップ』録音セッションでは、イージー・モー・ビーとのコラボで六曲を録音済みだったけれど、フル・アルバムに足りないままマイルズが死んでしまい、イージー・モー・ビーはワーナーに未発音源で使えるものの提供を要求。それでお蔵入りしていた『ラバーバンド』から、上記二曲の、しかも主にトランペット・プレイ部分が流用された。

 

 

この1991年の(トランペット演奏部分だけとはいえ)「ハイ・スピード・チェイス」と「ファンタシー」が、幻のアルバム『ラバーバンド』から一部公式発売された最初だった。その後、ブートレグだけど2003年リリースの『ブラック・アルバム』に、曲「ラバー・バンド」と「シー・アイ・シー」が収録された。

 

 

 

ワーナー公式には、2010年発売の『パーフェクト・ウェイ:マイルズ・デイヴィス・アンソロジー、ザ・ワーナー・ブロ・イヤーズ』二枚組にその二曲が収録され、ようやく大手を振って表通りを歩けるようになったが、それでも二曲だけだ。この後、同二曲が収録されているワーナーの公式アンソロジーがすこしある。

 

 

ライヴでは、ブートしかないが、1985年10月28日のコペンハーゲン公演を皮切りに86年春前ごろまで、ラバーバンド・セッションからの二曲「ラバー・バンド」「ストロンガー・ザン・ビフォー」がわりと頻繁に演奏されているのが聴ける。「ラバー・バンド」だと、たとえばこんなの。この動画の記述者は切れ目がわからないと書いているが、10:02 からだ。

 

 

 

今回、いまはまだアナログ12インチ EP だけだとはいえ、しかも既発曲「ラバーバンド」のリメイクでしかないとはいえ、2010年代のブラック・ミュージック・リスナーにもアピールできそうな3トラックとなって蘇った曲「ラバーバンド」。

 

 

そして、フル・アルバムとしてはいまだ失われたままの『ラバーバンド』だけど、いつの日か、見い出される日が来ることを期待したい。

2018/04/26

ブラジル人としか思えないアナット・コーエンのショーロ・クラリネット

 

 

ショーロかな、これは。インストルメンタル・サンバ?それはショーロだから、おんなじか。ブラジリアで録音したアルバムらしい。でもこのクラリネットはイスラエル出身で米ニュー・ヨークに住み(ふだんは)ジャズ界で活動している人物が吹いている。どう聴いてもブラジル人みたいじゃないか、アナット・コーエン。ベーシストではなくトランペッターのほうのアヴィシャイ・コーエンの妹だ。そう、アヴィシャイは二人いる。注目されているのはベーシストのほうだけど、今日は関係ない。ややこしいね。イスラエルではありきたりな名前だ。

 

 

昨日書いたニーナ・ヴィルチ『ジョアナ・ジ・タル』の CD が届くのはずっと先だから Spotify で聴いていての偶然の出会いだったんだよね、このアナット・コーエン&トリオ・ブラジレイロの『アレグリア・ダ・カーザ』。Spotify でなにかのアルバムやプレイリストの再生が終了するとき、リピート設定にしていないばあいには、関連のオススメ曲がそのまま続けて流れてくる(設定でオフにできる)。

 

 

そんなわけでニーナ・ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』はリピートするようにしていたはずだけどなってなくて、続けてその関連でなんだかすごくいい感じのサンバっぽいインストルメンタルものが流れてきて、オッ、これ、いいじゃん!だれ?と思って iPhone 見たら、アナット・コーエン&トリオ・ブラジレイロの「サルエ・ラティーノ」と書いてあって、あわてて収録されているアルバムを探して出てきたのが2016年の『アレグリア・ダ・カーザ』だったんだ。

 

 

探したら結局アマゾン US で CD が買えちゃったけれど、かなりいい内容だと思うし、ブツの到着は五月半ばと表示されていて、昨日書いた『ジョアナ・ジ・タル』といっしょくらいだ。そんなに待てないもんね。ニーナ・ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』同様、フィジカルが届く予定ではあるけれど、すんごく可愛かったりすんごく楽しかったりするから、待てない。もう書いちゃう。こらえ性がなくてごめんなさい。

 

 

アナット・コーエンのことは、僕はこれまでぜんぜん知らなかったけれど、ジャズ・クラリネット(その他リード楽器)奏者として、かなり評価が高いんだそうだ。調べてみたら「年間最優秀ジャズ・クラリネット奏者」みたいな意味の賞を、もうずっと連続受賞しているみたい。そんでもってコーエン兄弟での活動もあるみたいだ。さらに、今日話題にしているものもそのひとつだけど、ブラジル音楽にかなり入れ込んいるみたい。

 

 

まだほとんど聴けていないので、そのへんは書けない。とにかくトリオ・ブラジレイロと共演したのが2016年の『アレグリア・ダ・カーザ』と、もう一枚2017年に新作があって、そっちはふつうに日本のアマゾンでも買えた。そのほかブラジル人音楽家との共演がたくさんあるみたいだよ…って、いまごろ知ったようなのは僕だけか(^_^;)。

 

 

トリオ・ブラジレイロは2011年結成で、ドゥドゥ・マイア(バンドリン)、ドーグラス・ローラ(7弦ギター)、アレシャンドレ・ローラ(パンデイロなどパーカッション)。2016年の『アレグリア・ダ・カーザ』でも、この三人が全11曲でフル参加。主役アナットのクラリネットを前面に出しながら、かげひなたとなって盛り立てている。バンドリンやギターのソロもあるけれど、短い。

 

 

11曲のほとんどは四人の自作なんじゃないかなあ。CD が届いていないし、ネットで調べても情報が出なかったけれど、僕が知っていたのはいずれもジャコー・ド・バンドリンの1曲目「ムルムランド」、9曲目「フェイア」、10「サンタ・モレーナ」だけ。この三つはショーロ・クラシックだ。それら以外は、たぶん参加メンバーの自作だと思う。

 

 

そのジャコーの10曲目「サンタ・モレーナ」から話をすると、このアナットらのヴァージョンはフラメンコにアレンジしてある。ジャコーのヴァージョンからしてショーロにしてはエキゾティックなものだったけれど、アナットらのものは、まずギターのドーグラスが完璧なフラメンコ・ギターを弾き、ほかの三人が出て以後も、リズム・スタイルだってそうだ。ちょっと聴くと、ショーロとも思えないほどのスパニッシュな激情が表れている。しかもそれをバンドリンが表現したりするのでおもしろい。クラリネットがこんなにめくるめくようにやるのなんか、たくさんは聴いたことのない演奏だ。

 

 

アナットとトリオ・ブラジレイロは、アルバムに一曲フラメンコ調を入れるのが決まりごとなのか、2017年新作にも一つある。ショーロのクールさというか、最近繰り返しているけれど、ぬくもった(湿り気のある)情緒をカラリとした乾きかたで表現するそのサウダージこそが僕にとってのショーロの味で、込めた感情はそっとひそやかにサラリ軽く聴こえるかのように演奏するのこそがイイと思っているから、内なる炎を外に出して激しく燃やしまくるフラメンコの世界はまるで正反対だ。と僕は思うけど、アナットらによるジャコーの「サンタ・モレーナ」は、アルバム全体のなかではやや浮いてはいるものの、おもしろいアクセントになっている。

 

 

ジャコーの曲のなかでも、アルバム1曲目「ムルムランド」は忠実なストレート・ショーロだ。クラリネットだって伝統的な古典ショーロ界においても珍しいものじゃない。アナットが主旋律を吹いたあと、バンドリンのソロになって、その間アナットはオブリガートを吹き、二番手でアド・リブ・ソロになる。そのクラリネット・ソロがいいよ。どこからどう聴いてもブラジル人ショーロ演奏家としか聴こえない。その後アレンジされたアンサンブルもあり、ギター・ソロもある。

 

 

これら以外の自作曲(だと思うが確証はない)でも、四人のアンサンブルとソロ・パートのバランスがいい。プロデュースはどうやら四人の共同作業らしいが、だれかがアレンジやサウンド・メイクの主導権をとったんじゃないかと思う。そこまでは僕にわかるわけがない。トリオ・ブラジレイロの三人はもちろんだけど、アナットのクラリネットが素晴らしいなあ、ショーロがうまいなあと思って聴くだけ。

 

 

ついでみたいに偶然 Spotify で流れてきたので耳を持っていかれたのが、アルバム8曲目の「サルエ・ラティーノ」だったので、これのことも書いておこう。曲題どおりたんにブラジル国内というんじゃなく中南米系、というかはっきり言えばカリブ/キューバ音楽っぽいニュアンスが感じられる。しかも陽気で快活で、文句なしに楽しくノリがいい。この一曲が、アルバム『アレグリア・ダ・カーザ』ではいちばんチャーミングなんじゃないかな。

 

 

アルバム・タイトルは、3曲目のものからそのまま持ってきている。ここでだけハーモニカのガブリエル・グロシが参加している。アミルトン・ジ・オランダといっしょにやっていたりなどするので、知名度のあるハーモニカ奏者なのかな。歯切れよくスウィングする吹きっぷりで見事だ。五人の演奏もまさにアレグリア。だれが書いた曲なんだろうなあ。

 

 

4曲目が「バイアーノ・グーリ」というタイトルだけど、う〜ん、バイーアふうなところがあるかなあ?リズムの感じが、たしかにちょっと(リオやサン・パウロなどの)ストレート・ショーロとはすこし違うのかも?と思わないでもない跳ねかただけど、そんな気にするほどじゃないような。途中でバラードふうになる。

 

 

5曲目「イン・ザ・スピリット・オヴ・バーデン」は、だれが書いて曲題もつけたのかホント知りたいが、おそらくはバーデン・パウエルへの言及だよね。タイトルだけでなく曲想やリズムや演奏スタイルも、ショーロからやや離れてモダンな MPB っぽい感じ。古典ショーロの趣は薄い。いや、ほぼない。

 

 

ここまで書いたもの以外では、2曲目「ウェイティング・フォー・アマリア」は快活でグルーヴィな典型的クラシック・ショーロ。6曲目「ヴァルス・パラ・アリセ」もショーロに多いワルツもの。7曲目「エンゴレ・オ・ショーロ」もティピカルだ。9「フェイア」11「アナッツ・ラメント」などのしっとり系バラード調でアナットが吹く情緒は、なかなか得がたいものがあるよ。

 

 

伴奏のトリオ・ブラジレイロの三人はもちろんいいんだけど、クラリネットという硬質じゃないサウンドを持つリード楽器は、独特の湿ってしっとりした丸いフィーリングを表現しやすいものだと僕は思う。北米合衆国の戦前古典ジャズ界でもそうだった。現代においてそんな楽器をメインにやっているジャズ・レイディだからアナットはショーロに惹かれるのか?そんな楽器だからここまでうまくハマっているのか?わからないが、『アレグリア・ダ・カーザ』で聴けるこんなクラリネットは、ブラジル人でもなかなか吹けないものだろう。

2018/04/25

可愛いニーナ

 

 

楽しく美しい音楽は、日々の生活で心にたまったほこりを洗い流してくれる。ニーナ・ヴィルチの2012年デビュー作『ジョアナ・ジ・タル』もそのひとつ。昨日書いた昨年の新作『ション・ジ・カミーニョ』もいいけれど、僕の好みだと断然『ジョアナ・ジ・タル』だなあ。だ〜いすき!

 

 

ルイス・バルセロスとの(ほぼ)完全デュオ作だった『ション・ジ・カミーニョ』は、ややシリアスな方向に流れていて、重く暗めになっていたと僕は思うんだよね。そういうコンセプトの作品だったけれど。ニーナ・ヴィルチ本来の(?)言ってみればライト・タッチのコメンディエンヌ的な資質が全開なのが『ジョアナ・ジ・タル』だ。キュートで可愛くてコケティッシュで。すんごくいいなあ、このデビュー作のニーナは。

 

 

それはアルバム・ジャケットでも端的に表現されている。『ジョアナ・ジ・タル』のジャケ・デザインは、ご覧のようなレトロなコメディ・タッチ。そして中身の音楽も、完璧にオールド・ファッションドなショーロ・サンバなんだよね。でも必ずしも懐古趣味にひたるばかりではなく、サラリと自然に仕上げているのが好感度大。

 

 

だからまあたぶん、ブラジルという国の音楽は、過去の伝統が現代まで断絶せず、北米合衆国の音楽みたいに古いものを否定しないと新しいことができないみたいな(日本もそうか)そんな考えかたがないんだろうな。ごく自然に流れて受け継がれているっていう。だから2012年にニーナ・ヴィルチがこんなデビュー・アルバムも出せて、それが瑞々しく響くっていう。いいなあ、ブラジル。

 

 

『ジョアナ・ジ・タル』ではホント〜ッに可愛いニーナ・ヴィルチ。たったの30分しかないこのアルバムの全11曲は、新旧サンバ楽曲を取り混ぜて歌っている。曲順に歴史的年代は考慮されていないが、その必要もなかった。できあがりを聴けばスムースに流れゆく。

 

 

旧世代のアロルド・バルボーザ(1)、ノエール・ローザ(2)、ボロロー(9)、ルピシニオ・ロドリゲス(11)も、また、新世代のギリェルミ・ジ・ブリート(4)、ウィルソン・モレイラ(6)、マルコス・サクラメント(7)、ペドロ・アモリン(10)も、まったく違和感なく溶け合っている。

 

 

そんな統一感のあるサウンドを練りこんだのが、プロデューサーなのか、ニーナ・ヴィルチなのか、あるいは全曲のアレンジをやっている弟グート・ヴィルチなのか、三者のコラボなのかはわからない僕。でもたぶんサウンドの方向性はグートが決めたんじゃないかという気がする。選曲をしたのがだれだかは、やはりわからない。

 

 

伴奏陣は、10弦バンドリン(ルイス・バルセロス)、7弦ギター(一曲を除きラファエル・モールミチ)、ベース(グート・ヴィルチ)、パーカッション(チアーゴ・ダ・セリーニャ)の四人が、基本、全曲の土台。それにアコーディオンが参加していることが多く、またクラリネットやトランペットが吹いているものがある。トランペッターはアキレス・モラエスみたいだ。

 

 

オールド・タイミーでオシャレで趣味のいいサンバ・アルバムなんだけど、サンバといってもニーナ・ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』はエスコーラのカーニヴァル・サンバとかのたぐいじゃない。室内楽的なサロン・ミュージックとしてのサンバ/ショーロなんだよね。

 

 

上記伴奏陣がそんな軽快でノリよく趣味もいいサウンドを、100%生音の生演奏でやる上に、ニーナ・ヴィルチの軽みを前面に出しながらも丁寧につむぐキュートなヴォーカルが乗り、丁寧にといっても重くはならずあくまで軽くコミカルでキュートに微笑みながら、リラックスした様子で歌う。とってもイイ。声そのものと歌い口が、とっても可愛い。ニーナ…可愛いよ、ニーナ。

 

 

ニーナ・ヴィルチは、曲によっては歌いながら軽くしゃべるように笑う声が聴こえたり、一個一個のフレイジングの末尾をコケッティシュに持ち上げてみせたり。あまり声も張らず伸ばさず、たぶん声量じたい小さいのかも。だけど、歌のあいだ、歌の終わりでかすれ気味に弱くなっていって消え入る瞬間も、たまらなく愛おしい。

 

 

この『ジョアナ・ジ・タル』のニーナ・ヴィルチの声だけずっと聴いていたい。永遠に、この時間が続けばいいのに。ノエール・ローザの2曲目「ヴォセ・ソー...メンチ」は4ビートのストレートなオールド・ジャズ・ソングにアレンジされていて、ニーナの声が楽しく軽く、しかし仄かにゆらめいたり。

 

 

ギリェルミ・ジ・ブリートの4曲目「アキリ・ジスペルタール」が怪談音楽みたいにややおどろおどろしかったり、5「アカーゾ」では途中ちょっとタンゴっぽいザクザク刻むリズムになって、アコーディオンがバンドネオンみたいに聴こえたり、マルコス・サクラメントの7「オージェ・エ・プラ・ミン」では本当にユーモラスで、ニーナもキュートに振舞って可愛く聴こえるし。

 

 

ボロローの9曲目「クラレ」ではパーカッショニストがずっとギロを刻んでいるが、このゆったり大きくノる歌と演奏では、ややキューバ音楽ふうなニュアンスもあり、特にエンディングでルイス・バルセロスの10弦バンドリンが「ラ・パローマ」ちっくなアバネーラを弾くのもいい。

 

 

アルバム・ラストの11曲目「ゼ・ポンチ」。オルランド・シルヴァも歌ったこのルピシニオ・ロドリゲス・ナンバーが、こりゃまた最高に魅惑的。このアルバムで僕の最愛曲がこれだ。しっとり系バラード。伴奏は途中までヤマンドゥ・コスタの7弦ギターのみ。

 

 

途中からグート・ヴィルチの(コントラバスではない)ベース・ギターが入ってくるが、ほぼギター伴奏と歌だけというようなアレンジで、ニーナは微笑むようにそっとやさしく語りかけてくれる。ほかの曲よりニーナの声に深めにエコーが効かせてあって、そんなところもサロンふうな音響でいい雰囲気。ちょっとこう、ニーナと室内で二人きりでいるかのようなアトモスフィア。

 

 

あぁ、ニーナ・ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』、早く CD 届かないかな。五月半ば以後から六月ごろらしいんだけど。

2018/04/24

ちょっとファドっぽい(?)声と弦

 

 

ショーロだけが持っているこの雰囲気だ。ぬくもった(湿り気のある)情緒を、カラリとした乾きかたで表現するそのサウダージ。これは世界でショーロしか持っていない。それをニーナ・ヴィルチ&ルイス・バルセロス共作名義の『ション・ジ・カミーニョ』にも感じる。しかしほんのすこし、軽いファド風味もあるんじゃない?

 

 

ファドみたいだなというのとショーロだというのは反対のことみたいだよね。僕の言っていることは矛盾しているのかも。しかしニーナ&ルイスの『ション・ジ・カルミーニョ』のことを、たしかにそうだと思う実感がある。そこにサンバ・カンソーンを置けば、なんとなくつながるような気がしないだろうか。

 

 

実際、ニーナ&ルイスの『ション・ジ・カルミーニョ』で歌われている曲は、新旧サンバ・カンソーンが多い。なかには1944年のアルゼンチン・タンゴである5曲目「フルータ・アマルガ」があったり、またこっちは有名な9曲目「ニッケの花」(La Flor de la Canela)、すなわちペルーのヴァルス・クリオージョがあったりなどもするけれど。

 

 

それら二曲のスペイン語圏の歌曲でも、前からひっぱりだこなこの楽器の当代随一の人気実力演奏家であるルイスの10弦バンドリンは、湿りすぎず乾きすぎず、しかしいままで聴いてきたルイスのプレイよりもやや重い感じで、ひきずるようなフィーリングの弦さばきを僕は感じとっている。1曲目「ション・ジ・カルミーニョ」のイントロ弾きだしだけで、そう思ったんだけどね。

 

 

続いて出るニーナのヴォーカルも、ショーロ・ヴォーカルと呼ぶにはやや重い。ファドっぽいとまでするのは言いすぎだけど、一部のサンバ・カンソーンとはかなり多くのものを共有しているような湿った情緒を歌い込んでいるんじゃないかなあ。サンバ・カンソーンとファドって関係あるんだろうか?

 

 

サンバ・カンソーンといえば、僕がはじめてルイスのバンドリンを聴いたニーナ・ベケールのドローレス・ドゥラン集『ミーニャ・ドローレス』。ここではルイスは爽やかだった。ニーナ・ベケールのキュートでさっぱりした歌い口ともあいまって、暑い季節に聴くとちょうどいい冷感があって、今後とも夏の愛聴盤になっていきそう。

 

 

ドローレス・ドゥランはサンバ・カンソーンのひとだけど、そのレパートリーをニーナ・ベケールとルイス・バルセロスは(デュオ作品じゃないが)除湿して、聴きやすく仕上げていたよね。今日の話題のヴィルチのほうのニーナとは、一曲を除き完全デュオでルイスはやって、ちょっぴり重たい感じで、爽やかさからは遠ざかっている…、ように僕の耳には聴こえるけれど。

 

 

アルバム『ション・ジ・カルミーニョ』では、しかしそんな湿度がちょうどよく感じる具合で、バンドリンってドライで硬質なサウンドの楽器(に僕には聴こえる)なのに、まるでファド伴奏のポルトガル・ギターみたいに響き、それがニーナの、必ずしもブラジル的ではない(かも?)サウダージを濃縮し、声と弦だけで昇華された美を放っている。

 

 

ここまで美しいポピュラー歌謡のヴォーカル・アルバムって、なかなかないと思うんだよね。その美の根源は、僕の見方では、軽くファドにも通じているような独特の重さ、と軽さのちょうどいいバランスの徹底だ。タンゴ楽曲の5曲目「フルータ・アマルガ」でも、ときおりルイスがバンドネオンみたいにザクザクと刻んだりもするけれど、ニーナの声はさっぱりしている。

 

 

ブラジル人ではカエターノ・ヴェローゾもやった「ニッケの花」でも同様のことが言える。タンゴといいヴァルス・クリオージョといい、重い感じになりすぎがちなレパートリーを、ニーナの声とルイスの弦だけで鮮やかに、そして軽みを持たせ花咲かせている。派手に咲きすぎず、ひそやかにちょうどよく、そこにある。

 

 

アルバム7曲目の「アモール、ノ・フメス・エン・ラ・カーマ」(アドルフォ・サラス)にだけコントラバスが参加しているが、弾いているのはグート・ヴィルチ。ニーナの一歳年下の弟だ。姉も弟も、現在はリオ・デ・ジャネイロで活動している模様。

 

 

ショーロ・ヴォーカルなのか、サンバ・カンソーンなのか、はたまたファドっぽい部分があるのかないのか、正直ちゃんとしたことがハッキリとはわからないけれど、それら三つを足して三で割ったような(?)ニーナ・ヴィルチ&ルイス・バルセロスの『ション・ジ・カルミーニョ』。ブラジルでしか誕生しえない音楽であるのは間違いない。

2018/04/23

音が、好き

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「ニューヨークは最高だ。音が氾濫しているからな。地下鉄、クラクション、サイレン。騒音のない場所は耐えられない。気がふれるぜ。」

 

(『マイルス・オン・マイルス:マイルス・デイヴィス インタヴュー選集』p. 283)

 

 

音楽について、その音楽家(個人だったり集団だったり)の来し方行く末か事情とか人生とか、あるいはその音楽作品が生み出されることになった社会、時代などの背景とかは、僕にとって、基本的に、どうでもいい。関係ない。僕は音そのものが好きなだけ。社会性を持たない音楽など存在しないが、それでも、僕は音だけが、好き。

 

 

極論を言えば、音がそこに鳴っていさえすれば、僕はそれだけでいい。音楽とは音でしかないわけだから、文字や画像などの情報で手に入るもろもろのものは、本当にどうでもいんだよね。は、ちょっと言いすぎだ。本質的にはあまり重視しないと言い換えたい。いや、もっと言い換えて、諸情報は音を理解するためにだけ最大限に活用する。

 

 

音楽は音でしかないと書いたけれど、耳に入るものだとは限らないようだ。聴覚障害者で音楽を楽しんだり、ばあいによっては演奏に参加したりするひとびともいる。そのばあい、聴覚障害のない人間が耳で受け神経回路に伝達できるものとなるものを、彼らは肉体的振動として感じ取って信号とし、脳内で音として認識しているんだそうだ。

 

 

どっちにしても音は振動ってことか。僕にとっては音でありさえすれば、不快なものはやっぱりちょっとあれだけどそうじゃなければ、好きだ。音が聴こえるということじたいが好きなわけだから。日頃の自室内でも寝ている時間以外はノン・ストップで音楽を鳴らしているけれど、同時にいろんな音が聴こえるのがいい。水が出る音、料理をつくる音、手を叩いたりなど自分の体で出す音、お米を研ぐ音、床を歩く音、トイレの音…。

 

 

お風呂場にも、朝と夜の二回、必ず防水スピーカーを持って入り音楽を聴いているのだが、同時に聴こえるシャワーの音、浴槽につかっているあいだの音、シャンプーしたり体を洗う音など、つまり音が、僕は好き。学校の教室内でなら、黒板にチョークで字を書く際の音もわりと好き。

 

 

自動車やバイクや自転車、電車や飛行機や船など、交通機関に乗り移動中にそれが出す音、また乗り物が近づいてくるのをホームなどで待っているときに音がするのも好きだ。声も好き。人間のしゃべる声も、猫など動物の出す声も好き。

 

 

にぎやかなのが好きだから、僕は都会の、かなりさわがしい場所だって好き。僕の東京での主たる職場は渋谷にあったけれど、あの大きなスクランブル交差点やセンター街など、あんなにごみごみした喧騒が、大好きだった。音のない静寂(に近いもの)のなかにしばらくいると、気がふれそうになってしまう。沈黙に耐えられない。

 

 

音そのものが好きだから、音が美しく聴こえるように一定法則で並べられたものである音楽というものが好きになったのか、その逆に音楽好きになって以後、音そのものが愛おしく聴こえるようになり愛でる対象となったのか、それはわからない。

 

 

わかっているのは、僕の音(音楽)好きは、理由のない根源的衝動といってよいものだってことだ。ただたんに好きなだけ。音が。それだけ。そこに理屈なんかない。

 

 

無数にある「これが好き!」という衝動のなかで、「言語好き」「文学愛好家」「数学マニア」「物理学の大ファン」といったものだけが「偉いね」とかって褒められることになっている。その陰では「ぬいぐるみ愛好家」とか「熱狂的ゲーマー」が涙をのんでいるわけだ。

 

 

たとえば、和歌の才能が飛び抜けて素晴らしくても、現代ではそれほど活きないかもしれない。特定の場面以外では活躍できることもないし、歌人か専門家になる以外は職業にもなりにくく、それ以外は趣味としてしかあまり意味がないかも。だが、約千年前の日本でなら、歴史に名を残せたかもしれないのだ。

 

 

なにかがすんごく好きで、も〜う好きで好きでたまらず、その根源衝動のおもむくままに熱狂的愛好行動を続け、その結果、評価なり、金銭的報酬があるとかないとか、そういうことは僕にはどうでもいい。ただ好きだから音を聴く。聴かずに生きていることができないだけだから、空気なんかとおんなじで、そこに生存以外の意味なんかない。

 

 

だから、僕は「いろんな音楽を聴いていて、すごいね」と言われるたびに(って、ぜんぜん言われないのだが)、「ゲームばっかりしてちゃダメよ」とか「カメラに熱中してないで勉強なさい」とか言われてきた無数の人々に対し、申し訳ない気持ちになるのだった。音楽好きっていうのも同じようなことだから。

 

 

つくづく、僕は、音という岩礁をとっかかりにしてしか現世に顕現できないんだな、と思っている。幸いこの世のほぼすべてのものには音があるということになっているのでかなりのものに関わることができるけれど、音がなかったら僕は濁流の底に飲まれたまま浮かび上がれず、埋もれたままだ。

 

 

僕にとって、音(音楽)というものはすべてたとえようもなく美しく、また音を生む人間とその社会はいずれもまばゆく輝いていると思っている。ただ、そのなかで僕の好みで音の響きや配列が特別きれいだなぁ〜って思うものがやはりあるわけで、それが音楽の趣味と化しているだけなのだ。

2018/04/22

ブルーズ・ロック・ギターをすこし

 

 

理屈なんかない。単純に生理的快感なだけ。聴くと気持ちいい。ただそれだけのことで大好きなブルーズ・ロック系のギタリストがやる定型12小節ブルーズのソロ。いちばんいいのは1960年代にデビューした白人(のほうがわかりやすくブルーズ臭さを煮詰めている)で、それも英国勢。その世代じゃなく、米国人で、黒人でも、同じ感じのひとはいる。そのばあいはジミ・ヘンドリクスが共通項だったりすることも。

 

 

そんなプレイリストを Spotify でつくってみたのがいちばん上だ。ただし僕の iTunes にあるのと同じにはなっていない。プリンスの音源が一部 Spotify にないからだ。プリンスの弾くブルーズでいちばんカッコいい「パープル・ハウス」と「ザ・ライド」が使えない。しかし、ないないばかり言っててもしょうがない。すこしでもみなさんとシェアできたほうがいいから、あるものでなんとかしないと。

 

 

1) Albert's Shuffle [2002 Remix Without Horns] (Mike Bloomfield, Al Kooper & Steve Stills)

 

2) Shake Your Moneymaker (Fleetwood Mac)

 

3) I Ain't Superstitious (Jeff Beck)

 

4) Have You Ever Loved A Woman (Derek & The Dominos)

 

5) Merely A Blues In A (Frank Zappa)

 

6) Cosmik Debris (Frank Zappa)

 

7) Have You Ever Loved A Woman (Eric Clapton)

 

8) I Can't Quit You Baby (Led Zeppelin)

 

9) Stop Breaking Down (The Rolling Stones)

 

10) The Sky Is Crying [Live] (Stevie Ray Vaughan) 1984 NYC

 

11) Red House (Jimi Hendrix)

 

12) Purple House (Prince)

 

13) The Ride (Prince)

 

14) Peach (Prince)

 

 

Spotify にないプリンスの12、13はこれ。

 

 

Purple House (Prince)

 

 

 

The Ride (Prince)

 

 

 

ここまでご覧になって音源をお聴きになれば、なにも説明の必要はない。感じるか感じないかだけだ。基本的に多くがアメリカ黒人ブルーズ・メンの曲をカヴァーしている。1960年代にデビューした白人ブルーズ・ロッカーはそこからはじめて、いまでもだいたいずっとそうなんだから当然だ。

 

 

オリジナル・ソングは1「アルバーツ・シャッフル」のマイク・ブルームフィールド、5「ミアリー・エイ・ブルーズ・イン A」6「コズミック・デブリ」のフランク・ザッパ、13「ザ・ライド」14「ピーチ」のプリンス、とこれだけ。12「パープル・ハウス」は、11のジミ・ヘンドリクス 「レッド・ハウス」を焼き直しただけだとわかりやすくしておいた。

 

 

プリンスだけでなく、10でエルモア・ジェイムズの「ザ・スカイ・イズ・クライング」をやるスティーヴィ・レイ・ヴォーンもジミヘン・チルドレンの一人。SRV には「ヴードゥー・チャイル」のストレート・カヴァーもある。「ザ・スカイ・イズ・クライング」だってスタジオ録音があるけれど、ここに入れておいたライヴ・ヴァージョンのほうがずっといい。

 

 

エリック・クラプトンがやる「女を好きになったことがあるか?」(フレディ・キング)だけ、同じ曲を2ヴァージョン入れたのは例外だ。デレク&ザ・ドミノス時代のと、ソロ時代のライヴ・ヴァージョン。クラプトンが弾くブルーズでいいものは、1975年くらいまでならいっぱいあるが、この身悶えするような内容の歌でエモーショナルになるときがいちばん好き。

 

 

フランク・ザッパのブルーズは、5「ミアリー・エイ・ブルーズ・イン A」だけでもよかったんだけど、すこし前に七枚組の『ザ・ロキシー・パフォーマンシズ』がリリースされたばかりだからと思って、「コズミック・デブリ」も並べておいた。ただのブルーズだから、いわゆる "曲" っていうんじゃなく、ただの即興演奏なんだろう。「コズミック・デブリ」のほうではザッパ本人のソロ時間は長くない。が、弾いているあいだはチョ〜カッコイイので。

 

 

スライド・ギターでソロを弾いているのは、エルモア・ジェイムズの2「シェイク・ユア・マニー・メイカー」をやるフリートウッド・マックのジェレミー・スペンサーと、ロバート・ジョンスンの9「ストップ・ブレイキング・ダウン」をやるストーンズのミック・テイラーだけかな。疾走する前者も、まろやかでコクのある後者も文句なしに快感。

 

 

プレイリストの締めくくりにプリンスの弾くブルーズを三曲置いた。ホント〜ッに大好き!12「パープル・ハウス」はもちろんだが13「ザ・ライド」も、ジミヘンがそのまま降りてきているような内容だよね。どっちも歌はどうでもよくって、プリンスの弾くギターにこそ聴きどころがある。なんてナスティでなんてカッコイイんだ。なんて気持ちいいんだ。

 

 

ラストの「ピーチ」は、いかにもプリンスらしい性的に露骨でジャンピーなワン・トラック。プリンスらしさが横溢でイイネ。これは12小節定型ブルーズのかたちを借りたオリジナル楽曲とも言える。しかしやはり聴きどころは二度の歌が終わってからの二度のギター・ソロ。エンディングでシンバル一発の残響音だけが残るところまでも、愛おしい。

 

 

こういったものは、繰り返しになるけれど、理屈じゃない。だれがなんと言おうとも、ピュアでシンプルな快感なんだ。だから、聴く。それだけ。

2018/04/21

在りし日のヴェトナム 1937~1954

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というのはライスからリリースされている日本盤のタイトルで、僕の持っているのは仏 Buda 盤。でもオフィス・サンビーニャのオフィシャル・サイトに曲目や演者名がカタカナ表記されているのが載っているから大いに助かるなあ。以下、コピペ。その後そのまま使う。

 

 

1. この古いチュニックをまとって/アンサンブル・ホアイ・チュン

 

2. 爪/ゴック・バオ

 

3. 月下の白米/ゴック・カン&グエン・ティエット

 

4. もしあの道を行くのなら/マン・ファト

 

5. 山国の女/チャウ・キー

 

6. 絹の糸、愛の糸/ゴック・バオ

 

7. 帰路/ホアン・トラン

 

8. 音楽万歳/ゴック・バオ

 

9. 夢想/ゾアン・マン

 

10. 香江の歌/ゴック・バオ

 

11. 人生のために愛する/ゴック・バオ

 

12. 2つの家族の水牛/チュ・ヴァン・トゥック&ミン・リ-

 

13. 亡命の怨恨/ウト・トラ・オン

 

14. 経典/イエン・フー村のフオン・ジアト

 

15. 女戦士の親密な感情/ナム・カン・ト

 

16. 金雲翹/アイ・リエン&キム・チュン

 

 

ブダ盤『ノスタルジーク』シリーズは、ヴェトナム篇のほかにもエジプト篇、アルメニア篇とあるのだが、今年か昨年暮れかアルメニア篇が出るまで、僕は日本でもリリースされているとは気づかず。だからヴェトナムのとエジプトのはフランス盤で持っているのだ。これら三つの国の音楽はなにも知らないから、最初から日本盤もあるとわかっていればなあ。アルメニア篇の日本盤は、今年二月の上京時に渋谷エル・スール店頭で買った。

 

 

さて、このブダ盤『ノスタルジーク・ヴィエトナム』は1937年から1954年と題されていて、だからまずはフランス植民地時代の音源から収録されているってことなんだろう。いわゆるインドシナ戦争(対フランスの独立戦争)が1946〜54年。54年のインドシナ戦争終結と同時に南北分割。南北対立のいわゆるヴェトナム戦争が1962〜1975年。ふたたび統一国家となったのが76年だ。

 

 

1937〜54年の音源集ってことは、たぶんすべて78回転のグラモフォンがソースになっているんだろう。仏英二か国語による解説文を読んでみても、そう書いてあったりなかったり、録音・発表年もわかったりわからなかったり。さらにデジパック裏に書いてあって iTunes に読み込ませると出る人名(はすべて上記カタカナ表記と同一みたい)も作者だったり演者だったり、するの??そのへんもなんにもわかりませんがゆえ、まあいちおうは歌手、演奏家名と判断して、そして聴ける音楽のザッとした大雑把な印象だけ書いておく。

 

 

『ノスタルジーク・ヴィエトナム』で聴ける南北分断前のヴェトナム音楽は、ヴェトナムの音楽伝統というものがどんな感じなのかわからないので軽々に言えないが、まあそんなようなものと、これは僕でもすこしはわかる中国音楽からの影響、そして支配していたフランスの歌謡の流入、フランスを含む欧米の古典・大衆音楽、さらにラテン音楽のニュアンス、もう一つ、世界のギター界に多大なる影響を及ぼしたハワイアン・ギターも入ってきていると、ここまでは聴けば僕でもわかることだ。

 

 

アルバムにいちばんたくさん収録されている(五曲)ゴック・バオ。男性歌手だが、歌っているのとしゃべっているのとの中間あたりに聴こえる親しみやすいシンギングで、ちょっと微笑みながら軽く口ずさんでいるみたいな軽みがあって、解説文によれば、かのティノ・ロッシのマニアックな大ファンだったとのこと。コルシカ生まれのこの歌手の SP 盤がヴェトナムに来ていたんだろう。

 

 

ゴック・バオの持ち味は典雅で流麗な流行抒情歌謡みたいなもんかな。そう聴こえる。でも決して湿ってなくて、重くもない。書いたようにカラッとしたライト・タッチがいいね。彼が歌う五曲は、いずれもシャンソンふうなところが聴けるけれど、それより中国の影響もありつつの東南アジア風味のほうが強く漂っているような気が僕にはする。それがヴェトナム歌謡の伝統というものなのかどうか、わからない。

 

 

それでも10曲目「香江の歌」、11曲目「人生のために愛する」は、ほんのりかすかなアジアン・テイストを残しつつのシャンソンみたいだなあ。どっちもワルツだからかなあ。ポリリズミックな6/8拍子を除く三拍子系がすこしだけ苦手な僕でも聴きやすくてとっつきやすい。この二曲でもゴック・バオは軽くソフトな歌い口。10曲目ではエレキ・ギター1台(?)だけが伴奏につく。シンプルだけどゴック・バオの歌唱表現に深みがあるね。クラリネットとストリングスも入る11曲目なんかは、かなりわかりやすい。

 

 

『ノスタルジーク・ヴィエトナム』で聴ける伴奏は、欧米音楽ふうのものをコンボ編成化したようなものが多く、それはゴック・バオだけでなく、アルバムの多くの歌でそう。でもなかには中国伝統楽器(に聴こえるが、あるいはヴェトナム産?)だけの伴奏に聴こえたり、その上で長大な叙事詩を朗々とやっているかのように聴こえるものだってある。

 

 

13曲目、ウト・トラ・オン 「亡命の怨恨」が17分もあるんだよね。これの伴奏楽器は聴き慣れないが、中国系のものなのかなあ?二胡みたいな音の擦弦楽器と、なんだか弦をはじく琴かなにかそんな音と、その二つが伴奏していて、これ、歌詞の意味がわからないとダメな一曲なんだろうけれど、伴奏楽器とウト・トラ・オンが表現するサウンドや旋律の動きかたはヴェトナム伝統にもとづいている?ような…、気がするが、わかりません。しかし故郷を離れざるをえなかった怨恨って、聴いてもそこまで深く強い感情は、直截には表現されていないような…。怨恨きわまってアッサリ感に到達しているということか…?京劇っぽい痛烈な一曲ってこれのことかなあ。

 

 

『ノスタルジーク・ヴィエトナム』では、ヴェトナム伝統(中国由来もある?)歌謡を、フランスなど欧米産のポップな味で包み合体させたハイブリッド形式のほうが目立つ。書いたように13曲目のウト・トラ・オン 「亡命の怨恨」は叙事詩らしいもので、14、イエン・フー村のフオン・ジアト「経典」は、文字どおり仏教祈祷(日本の仏式葬儀で聴けるサウンドにやや近い)に聴こえるけれど、この二曲以外はだいたいすべてポップな流行歌の趣だ。

 

 

1曲目、アンサンブル・ホアイ・チュン「この古いチュニックをまとって」なんか、だれが歌っているのか複数の男性だけど、笑いながら微笑みながら、ときには咳払いしながら軽〜く、まるで鼻歌みたいに歌い、ライト・ポップスみたいで、日本のテレビ CM なんかで流れても違和感なさそう。なにかのアジアン・ティーの広告なんかだとピッタリ来るかも。

 

 

3曲目、ゴック・カン&グエン・ティエット「月下の白米」ではラテン・リズムが使ってある。ラテン・アメリカのどの音楽の?っていうのを指摘しがたいが、間違いなくラテン・ミュージック由来のリズム・スタイルとパーカッションの使いかたじゃないかな。しかしその上に乗るメロディは(東南)アジアふうのもの。

 

 

ラテンつながりで7曲目、ホアン・トランの「帰路」。これは鮮明なタンゴ楽曲だ。ストリングスとピアノとバンドネオンが伴奏について、歌のメロディにも(東南)アジアふうとかヴェトナムふうとか中国ふうなところがあまりなく、かの地のタンゴそのまんまだ。ヨーロッパ大陸でもタンゴは大ブームだった時期があるので、フランス経由で入ったか、それとは関係なくアルゼンチン・タンゴの直接の影響も世界で大きかったけれども。

 

 

9曲目、ゾアン・マン「夢想」。この曲でハワイ・スタイルのスティール・ギターが聴ける。この曲のばあいは、可愛らしい声で女性歌手が歌うメロディはアジアふうだけど、合間合間でびょ〜んとあのハワイアン・スライドが聴こえるので、えもいわれぬ混交音楽風味、エキゾティック・テイストだ。ライ・クーダーはハノイの吟遊詩人キム・シンを絶賛したけれど、ありとあらゆるギターとその同族楽器を弾きこなすライが時間空間を旅して越えて、この時代のヴェトナムで現地の歌手と共演していたら?なんていう妄想もひろがって、楽しいね。

2018/04/20

フォーマットの自由化とグルーヴ重視へ 〜 『マイルズ・イン・ザ・スカイ』

 

 

1968年1月(「パラファナーリア」)と5月(ほかの三曲)の録音であるマイルズ・デイヴィスの『マイルズ・イン・ザ・スカイ』。このアルバム題とジャケット・デザインは、ビートルズとサイケデリック・カルチャーを意識したもので、同68年7月22日発売時点での時流に乗ろうとしたってことだね。ジャズのそれではなくロック/ポップ・カルチャーの文脈に。

 

 

それにしてはアルバム『マイルズ・イン・ザ・スカイ』の中身はかなり入り組んでいて、ポップ・カルチャーにアピールできそうなシンプルな明快さからはやや遠い。それに8/8拍子のロック・ビート(というより、これはリズム&ブルーズやソウルなどのものに近いのかも)を使ってあるのは二曲だけ。電気楽器を使ってあるのはそのうち一つだけ。

 

 

だからアルバム・オープナーの「スタッフ」が異様に輝いて聴こえる。ずっと前にも書いたけれど、これはグルーヴ・オリエンティッドな一曲で、フェンダー・ローズを弾くハービー・ハンコック、エレベを弾くロン・カーター、ドラムスのトニー・ウィリアムズ三人が一体化して生み出すファンキー・フィーリングにこそ聴きどころがある。

 

 

「スタッフ」だと、三人のソロ内容にはさほど集中して耳を傾ける必要がないと思える。スタジオ入りして、そこに置かれてあるフェンダー・ローズを一瞥、たしかに鍵盤があるものの数が少ないし、グランド・ピアノと比べたら楽器全体のサイズも小さいそれを見て、「このオモチャを弾けというのか…?」と思ったらしいハービーのエレピだけでなく、マイルズとウェイン・ショーターのサウンドも電気アンプリファイされている(のはわかりにくいけれど)。

 

 

電気でアンプリファイされて、といってもマイルズとウェインが向かって吹くマイクロフォンがアンプに直結されていて、エンジニアはそのアンプのスピーカーから音を拾って録音したというだけの話だから、そんなどうってことないけれど、マイルズのキャリアでは初の試みだった。

 

 

だから「スタッフ」における電気楽器は、やはり主にフェンダー・ローズとエレベだ。それでもってモータウン・ビートというかブーガルー・タンゴというか、そんなグルーヴィさを出していて、曲じたいの魅力もそこにあるわけだからわかりやすいものになりそうなのを、そうなっていない最大の要因はテーマ部の複雑さにある。

 

 

同じようなモチーフというかリフみたいな短いパッセージを変奏しながら反復し成立している「スタッフ」のテーマ・メロディ。とその背後でのリズム・セクションの動き。一回通してぜんぶを演奏するだけで三分もかかってしまうから、ふつうのポップ・シングルだったら、それだけで終わりだ。マイルズらはそれを二回演奏しているので、ソロに入るまでに約六分もかかっている。

 

 

その六分間のテーマ演奏で聴けるハーモニー構造から察するに、ここにもギル・エヴァンズのペンが入っていたのは間違いないと僕は判断する。次作にあたる『キリマンジャロの娘』は事実上マイルズとギルの共作だというのはひろく知られているし、僕も一度強調した。そもそも1968年において、この二人はかなり近かった。

 

 

このあたりのマイルズ&ギル関係の詳しいことは、1968年2月16日録音のコラボ曲「フォーリング・ウォーター」関連で書きたい。その後、4月にロス・アンジェルスのグリーク・シアターで共演ライヴを開催し成功している。そのまま5月の「カントリー・サン」「ブラック・コメディ」「スタッフ」の録音に入ったというかたちになっているんだよね。

 

 

でも「カントリー・サン」「ブラック・コメディ」にギルは介在していなさそうだ。特に5月16日録音の「ブラック・コメディ」は従来路線というか、このクインテットのそれまでの諸作にとてもよく似ていて、この時点での新鮮味はほぼない。トニーの叩きかたが(特に別テイクのほうで)すごいけれど、前からずっとそうだから。

 

 

「カントリー・サン」のほうはなかなかおもしろいよ。三部構成になっている。4ビート・スウィング、3拍子バラード、8ビート・ロック、このスリー・パートだ。 マスター・テイクはいきなりマイルズのソロからはじまって、それはメインストリーム・ジャズの4/4拍子だけど、しばらく経ってバラード調になって、マイルズが吹き終えるとロック・ビートにチェンジ、ウェインのソロになる。

 

 

ウェインのソロはロック→バラード→ジャズ・スウィング→バラードの順で変化しながら進行。バラード状態のままハービーのアクースティック・ピアノ・ソロになる。ハービーはすぐにロック・セクションに入り、かなりファンキーに弾く。ふたたびバラードになったかと思うとそれは一瞬で、即座に4ビートのパートになる。バラードでハービーは終わり、そのままマイルズがきれいに吹き、ファンキーなロック・パートになる。

 

 

その8ビート・パートでのマイルズのロック・トランペット・ソロの内容がかなりいい。タイトだし、フレイジングの組み立ては、すでに1968年末〜69年ごろからの、簡潔なリフを反復するファンキーな演奏に近づいている。ちょっとブラス・ロックみたいじゃないかなあ。「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(『イン・ア・サイレント・ウェイ』)でのトランペット・ソロが僕は本当に好きなんだけど、それに近づいてきているよね。

 

 

そこがずっと続けば、もう新たなる地平に踏み込んだということになるけれど、「カントリー・サン」ではふたたび4ビートなジャズ路線とバラード路線が出てきて終わる。だから過渡期だったのかなあという印象だけど、でもこれを録音した1968年5月15日時点で、リズムの自由化とか従来フォーマットの打破といった試みをマイルズもやった。当時としてはおもしろい遊びだ。

 

 

5月16日の「ブラック・コメディ」録音をはさみ17日録音の「スタッフ」で、上で書いたようにギルの手を借りながら、マイルズも全面的にグルーヴ最重視型の音楽家へと変貌したってことになるのかな。それにしても「スタッフ」ではあんなにウネウネ入り組んだテーマ・メロディがあって、しかしその三日前録音のマイルズ作とクレジットの「カントリー・サン」にはテーマがないっていうのも、不思議だ。

 

 

リズムやその他のフォーマットの自在化、グルーヴ・オリエンティッド志向への変貌、反復リフをベース+ギター+鍵盤で重ねてサウンドを創る手法の導入などとあわせ、テーマ・メロディの有/無も、この時期のマイルズ・ミュージックの変貌を物語る1ページだ。

2018/04/19

ザヴィヌル・プロデュース・サリフ

 

 

1987年『ソロ』でソロ・デビューって、カタカナ書きだとややこしやサリフ・ケイタ。solo デビュー作が『Soro』ってことだけど、そうかといってアルバム名を『ソーロー』って書くともっとヤな感じで困っちゃう。ところで、昨日も触れたけれど、サリフをジョー・ザヴィヌルがプロデュースしたのが、もちろんマンゴ盤の1991年『Amen』。ワールド・ミュージック・リスナーでザヴィヌル嫌いはけっこういそうだから敬遠されているかもだけど、それでも一部で評価は高いらしい。僕は好き。

 

 

『Amen』は、『Soro』以来のサリフ・ミュージックの基本路線をほぼ引き継いでいるように思う。あの声があるからゆえ、それが強靭なままだったあいだは変わりようもなかったんじゃないかな。アクースティック・サウンド路線に転向したのは『Moffou』だっけな。あのころユッスー・ンドゥールにも『ナッシングズ・イン・ヴェイン』があった。

 

 

だから『Amen』のザヴィヌルも、サリフの音楽の基本は尊重したサウンド創りをしているように僕には思えている。1曲目「Yele N Na」はちょっとキューバ音楽っぽいようにも聴こえるよね。アフリカのポップ・ミュージックにキューバン・ミュージックの影響はたしかにあるので、不思議なことじゃないんだろう。「Yele N Na」でもリズムの感じや、ホーン&ストリングスのリフの使いかたなんか、明らかにキューバン・スタイルの痕跡がある。

 

 

「Yele N Na」でギュイ〜ンと入るシングル・トーンのエレキ・ギターが、ザヴィヌル・コネクションで参加したカルロス・サンタナってことかなあ。エレキ・ギターではサリフの盟友カンテ・マンフィーラもクレジットされているが、カンテはカッティングでサウンドの中心をかたちづくる役割を果たしているんだろう。

 

 

2曲目「Waraya」は昨日書いたので、詳しいことは省略。この6/8拍子のポリリズムが、いかにもアフリカ音楽(由来のアメリカン・ミュージックとか)だというもので、大好き。ザヴィヌルが選択したシンセサイザー音や弾きかたには、そのまんまウェザー・リポートだという部分もあって、気に入らないひとは気に入らないはず。サリフ本人だってそうだったかも。

 

 

3曲目「Tono」も6/8拍子で、しかもこの女声が大きく聴こえるバック・コーラスの雰囲気は、『Soro』からすでにあるものと同じだ。このギター・カッティングもカンテ・マンフィーラなんだろうか。バラフォンが聴こえるのがケレティギ・ジャバテ(Kélétigui Diabaté)ってことだね。

 

 

アルバム『Amen』がすごいことになるのは、たぶん次の4曲目「Kuma」からじゃないかなあ。この大きくゆったりうねるグルーヴの上で、おそろしさすら感じるサリフの声が咆哮する。ソプラノ・サックスが聴こえるのが、これまたザヴィヌル人脈のウェイン・ショーター。でもウェインはいてもいなくてもよかったように僕は思う。サウンド上の必然性を感じない。

 

 

個人的にアルバム『Amen』がマジでとんでもないなあと感じるのが、続く5曲目「Nyanafin」。最初ナイロン弦ギターがやさしくバラード調で弾きはじめ、そこにコーラス隊が参加し、だからふつうの気分で聴いていると、ドラムスとエレベなどバンドが入ってきてからのリズムの躍動感、グルーヴの強さがハンパじゃない。サリフの叫び声もとんでもない。こりゃすごい。僕はこの「Nyanafin」がものすごく好き。

 

 

またしてもバラフォンや、カルロス・サンタナかな?と思えるギター・サウンドが聴こえるこの「Nyanafin」の、そのリズム・アレンジを、サリフではなくザヴィヌルがやったのだとすれば、立派な仕事じゃないか。ウェザー・リポートに同系の曲はあるので、可能性はあると思うなあ。うん、素晴らしい。むろんサリフのヴォーカルがいちばんすごいんだけど。

 

 

僕のなかでは「Nyanafin」がピークなので、6曲目以後はまるで余韻みたいな感じに聴こえるが、ハイ・クォリティな曲が並んでいるには違いない。英語とフランス語も出る7曲目「N B'l Fe」で聴こえるギターもカルロス・サンタナかなあ?それにしても、サンタナって、こないだの2018年のシェウン・クティ新作『ブラック・タイムズ』にも呼ばれてたけれど、長いあいだひろく活躍しているよなあ。

 

 

アルバム・クローザーの8曲目「Lony」は、『Soro』のラストが「Sanni Kegniba」だったのと同じ締めくくりかただ。ミドル・テンポでゆったりとノる大きな曲。女声バック・コーラスも大きくフィーチャーされ、サリフは落ち着いた雰囲気で、なだめすかすように歌うが、やはりときおり強く刺すようなトーンで声を張る。コンガの音も気持ちいい。ザヴィヌルが「バディア」(ウェザー・リポート『幻想夜話』)で使ったシンセ音を挿入するのは余計だった。

2018/04/18

ザヴィヌルとエスニック・フュージョンの時代

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ウェザー・リポート時代からヴォーカル重視とエスノ路線があったジョー・ザヴィヌルの音楽。特に『幻想夜話』(1975)『ブラック・マーケット』(1976)あたりからは顕著だよね。ウェザー解散後はそれが一層強化された。そのピークが CD 二枚組のライヴ・アルバム『ワールド・ツアー』(1998)じゃないのかと思うんだが、それはスタジオ作『マイ・ピープル』(1996)のライヴ版みたいなものだ。

 

 

だからまず『マイ・ピープル』のことについて、今日は書いておこう。ところでザヴィヌルの音楽志向は、ワールド・ミュージックというよりもエスニック・ミュージック路線と呼ぶのが、よりふさわしいように思う。アメリカやヨーロッパから見た際の異国音楽要素をとりいれたということじゃないかな。ウィーン生まれのザヴィヌルで、アメリカでブラック・ミュージックをやったけれど、そういう志向はやっぱり植民地主義根性なのかもしれない。それはレッド・ツェッペリンなんかにもつながるものだけど、音楽じたいは僕は好きだから、そこは(中村とうようさんみたいに)否定できないんだ。

 

 

ザヴィヌル『マイ・ピープル』。曲想やサウンド創りの根幹は、このひとのばあい、上でも書いたウェザー・リポート『幻想夜話』あたりからあまり変わらず。とうようさんなんかはそういったザヴィヌルのことを、1981年ごろ「煮詰まっている」と表現したけれど、うん、そうなんだよね。曲創りも、シンセサイザーの音色選択も弾きかたも、ほぼすべてと言っていいくらい『幻想夜話』あたりから死ぬまでだいたい同じだ。

 

 

ただし、ヴォーカリストの、というかひとの声の使いかたは刷新されている。それだって後期ウェザー・リポートのあたりから変化していないじゃないかというのはそのとおりなんだけど、『マイ・ピープル』にはとても強力な歌手が参加している。マリのサリフ・ケイタだ。このアルバムの隠しテーマはサリフなんだよね。

 

 

いやまあ隠れてもいないけれど、ジャズ専門のリスナーのみなさんはひょっとしてザヴィヌルとサリフのことを詳しくはご存知ないのかも?と思ったりすることがちょぴりある。サリフも知名度はどこででも高いけれど、あんがいジャズ・ファンは真剣に聴いてないかも?アフリカ音楽好きならみなさんご存知、サリフの1991年作『Amen』をザヴィヌルがプロデュース、演奏にも参加している。ウェイン・ショーターやカルロス・サンタナも参加。

 

 

『Amen』のことは明日書こうと思うのだが、『Amen』の2曲目「Waraya」が、ザヴィヌルの『マイ・ピープル』でもとりあげられているんだよね。さらに『マイ・ピープル』3曲目の「Bimoya」はサリフがこのアルバムのために書いたオリジナル曲で、サリフ自らゲスト参加で歌う。

 

 

「Waraya」

 

 

 

 

「Bimoya」

 

 

 

ザヴィヌル『マイ・ピープル』ヴァージョンの「Waraya」で歌っているのはジョー・ザヴィヌル自身だ。ヴォコーダーで変調、加工してある。そりゃあサリフが歌う『Amen』ヴァージョンと比較はできない。だいたいサリフ・ヴァージョンの「Waraya」だって、アフリカ音楽愛好家のあいだでは、たぶん評判が悪いかも。アルバム『Amen』じたいがそうかな。

 

 

バンド・サウンドそのものに、サリフ・ヴァージョンとザヴィヌル・ヴァージョンでさほど大きな変化は聴きとれないように思う。ひょっとしたら『Amen』のときはサリフの主張と抵抗もあって、ザヴィヌルの意図するサウンドをフルに実現できずに、だから自らのソロ・アルバムでやりなおしたんじゃないかという気もするんだよね。ヴォーカルの比較はできないが、その点を除けば、僕なら『マイ・ピープル』ヴァージョンの「Waraya」のほうが好きだ。リズムもサウンドもより強靭だし。

 

 

サリフ本人をゲスト・ヴォーカリストに迎えた「Bimoya」。サリフ本人の声の使いかたがイマイチかも?と思わないでもない。もっとこう強い張りのある声で歌う人なのになあとかっていう感じなんだけど、サリフの書いた曲じたいはとてもいいね。そこにザヴィヌルが施したオーケストレイションも僕は好きだ。

 

 

ザヴィヌルとサリフの関係はこういったことだけでなく、『マイ・ピープル』〜『ワールド・ツアー』期のザヴィヌル・シンディケイト(という名のレギュラー・バンドだった)のメンバーの核は、サリフからもらったようなものだった。ベースにカメルーンのリシャール・ボナ、ドラムスにアイヴォリー・コーストのパコ・セリー。

 

 

特にパコ・セリーがすごい。この時期の最強ドラマーのひとりだった。リシャール・ボナのほうは、作品化された『マイ・ピープル』『ワールド・ツアー』では部分的にしか弾いていないのでわかりにくいかも。それでもたとえば『マイ・ピープル』だと7曲目の「オリエント・エクスプレス」でのエレベなんか、いいよなあ。ちょっとジャコ・パストリアスを想わせる細かいパッセージの弾きかたで、カッコエエ〜。

 

 

そうそう、この時期のザヴィヌルの活動で僕がいつも思い出すのはインド人パーカッショニスト、トリロク・グルトゥだ。1993年の『クレイジー・セインツ』。これ、僕が渋谷東急プラザ内新星堂で見つけオッ!と思ったのはザヴィヌルが参加しているからだもん。パット・メセニーが弾く曲もあるし、ジャズ・ファンはここからグルトゥ入門したばあいも多いんだ。ザヴィヌルの悪口ばっか、言わないで。

 

 

トリロク・グルトゥは、今日の話題『マイ・ピープル』にも参加している。先の7曲目「オリエント・エクスプレス」と8曲目「Erdapfee Blues」。後者のリード・ヴォーカルがやはり電子変調させたジョー・ザヴィヌル本人で、曲じたいはウェザー・リポートの『幻想夜話』にある「バディア」そっくり。

 

 

『マイ・ピープル』にいるゲスト・ヴォーカリストは、サリフ・ケイタ、リシャール・ボナ以外にも、アルタイ山脈/南シベリアとクレジットの Bolot、トルコ人の Burhan Öçal、アナトリアとクレジットされている(トルコはイスタンブル生まれのアルメニア系) Arto Tuncboyaciyan、ベネスエーラのタニア・サンチェス。バック・コーラス担当ならほかにも数多い。

 

 

なかでもトラディショナルとクレジットされている6曲目「Ochy-Bala/Pazyryk」。Bolot が歌うのがこれだけど、まるで仏教の声明なんだよね。しかしアダプトして歌うのはアルタイ山脈の音楽家だから、う〜ん、これはなんだろう?楽しいなあ。これだ(なんでショーターが写ってんの?)。

 

 

 

ザヴィヌル『マイ・ピープル』のテーマともいうべきサリフ・ケイタ関連でないものだと、この「Ochy-Bala/Pazyryk」とか、アナトリアの Arto Tuncboyaciyan が歌う4曲目「ユー・ワント・サム・ティー、グランパ?」とか、あるいはウェザー・リポートにも多い、いかにもな南米系ジャズ・フュージョンだけど、タニア・サンチェスが伸びやかな声を聴かせる9曲目「ミ・ヘンテ」あたりが、最大の聴きものかな。

 

 

この「ミ・ヘンテ」(Mi Gente)を英語にすると「My People」になるけれど、アルバム題は、あくまで直接的には1曲目「イントロ・トゥ・ア・マイティ・テーマ」でフィーチャーされているデューク・エリントンのしゃべりから持ってきている。このワン・トラックも、曲想は『8:30』D 面にあった「ジ・オーファン」そのまま。

 

 

だからダメっていうんじゃなく、ワールド・ミュージック・フュージョンというか、僕の使いたい表現だとエスニック・フュージョン化していたザヴィヌルの音楽を評価したいみなさんは、ウェザー・リポート時代からそれはほぼ姿も違わずあったんだから、ちゃんと聴いてほしいってことなんだよね。

2018/04/17

大胆にしてエレガントな3ピース・ショーロ 〜 ファビオ・ペロン

 

 

たしかにこのジャケットのルックスは新世代ジャズみたいだよなあ。でも中身は正真正銘のトラディショナルな王道ストレート・ショーロ。といってもコンボ編成や、またビッグ・バンド編成(のショーロはとっくに失われたのか?)とかじゃない。バンドリン&ギター&7弦ギターと、たった三人だけでアルバム全編をやっている。

 

 

主役のファビオ・ペロンはサン・パウロの若手バンドリン奏者で、キャリアは浅い。しかし脇を固める二人のうち、7弦ギターのゼ・バルベイロはショーロ・パウリスタのなかでも大きな存在で、シーンの重鎮。シーンの、というだけでなく、ゼの演奏で作品がピリリと締まるという、脇役をやらせても当代随一。

 

 

もうひとり、6弦のギターがダニーロ・シルヴァ。よく知らないんだけど彼の Facebook ページによれば、やはりサン・パウロ出身でいまでも同地で活動するギタリストのようだ。写真にはエレキ・ギターを弾く姿があるので、古典ショーロだけでなく、もっと幅広く活動しているのかも。

 

 

今日話題にしている『アフィニダージス』の中身は、ファビオ・ペロンのバンドリンとゼ・バルベイロの7弦ギターが中心になって進んでいる。基本、ファビオのバンドリン演奏をフィーチャーしているが、ときおりギター・ソロも聴こえ、それはゼなのかダニーロなのか、僕の耳では判断できない。

 

 

7弦ギターは通常の6弦の最低音弦にもうひとつ低い音の弦を追加しているものだから、やはりベース的な弾きかたでボトムスを支える部分にも聴きどころがあるんじゃないだろうか。ファビオの『アフィニダージス』でも随所で七弦の低音が聴け、それがファビオの弾く硬質なバンドリン・サウンドをよく際立たせている。

 

 

ぜんぶが弦楽器のトリオ編成で作品とするわけだから、三人ともが相当な実力を持っていないと成り立たないはず。そんな技巧は、ゼ・バルベイロのものは折り紙つきだけど、ファビオ・ペロンのバンドリンだって素晴らしく上手い。早弾き的な部分だけじゃない。それもたくさん聴けるけれど、もっとこう、メロディを歌わせる技術に長けているというのが最大の美点だ。

 

 

だいたいショーロってそんな音楽だよね。きらびやかさとか派手さとは、ふつう縁遠い。しかしこないだ書いたメシアス・ブリットのカヴァキーニョ独奏作とかもそうだったけれど、地味きわまりない滋味さにこそ、ショーロの深み、愛すべき輝きがあると僕も思う。丁寧に弾き込む三人のからみには、やはり真のきらびやかさがあると見ることもできる。

 

 

と書いてきたけれど、これ、たった三人でやっているわけだから、やはり冒険的、野心的で、かなり大胆なアルバムでもあるよねえ。流麗だから、聴いているあいだはそれを忘れているんだけど、そこまでスムースな音楽に仕上げることができるのが、三人の腕前の素晴らしさってことなんだろうなあ。

 

 

『アフィニダージス』全九曲の中で、僕のいちばんのお気に入りは、いかにもショーロ(泣く)という8曲目「カンソーン・ド・リベルタール」。も〜う、こういうのが、僕はだ〜いすきなんですよ。アルバムの曲はすべてファビオか参加しているほかの二名か共作か、とにかくぜんぶオリジナルだけど、8曲目「カンソーン・ド・リベルタール」はファビオ作。

 

 

こういった曲が書けるというのが王道ショローンたるゆえんなんだけど、こんな切なく哀しそうなメロディを表現するファビオのバンドリンは音の粒立ちが良く、アタック音も強い。ストレートに弾いたり、オルタネイト・ピッキングのトレモロで音を反復しながら装飾したり(つまり、同系楽器であるマンドリンと同じ)。それにゼ・バルベイロの7弦ギターがコントラ・ポント的に入り、メロディのサウダージを際立たせる。あぁ、最高だ。素晴らしいギター・ソロが二名のうちどっちかのか、どなたか教えてください。

 

 

また、これだけどうしてだか英語題の5曲目「ワルツ・フォー・ペロン」。というくらいだからファビオ作ではなくギターのダニーロ・シルヴァが書いた曲。タイトルどおり、導入部が終わると三拍子になる。そのワルツ・タイムを刻むギター・カッティングがダニーロかなあ?三拍子部分はそうでもないんだけど、後半部でスリーサムでの複雑なからみあいになってからが、かなりの聴きもの。すごいんだ。淡々と来ていたのに、そこだけかなりパッショネイト。特に七分すぎあたりから、とんでもない。

 

 

アルバム『アフィニダージス』には、そのほか快活に躍動するものや、ミドル・テンポでゆったり進む乾いて無垢で愉快な調子のもの、バラード系のゆったりしっとりしたものなど、曲や演奏のヴァラエティはふつうに豊富だ。たった44分間だけど、ショーロ・アルバムはいまどきの新作でもこの程度が標準なんだろうね。

 

 

あっちは二人だけど、北米合衆国のジャズがお好きなファンのみなさん向けには、ビル・エヴァンスとジム・ホールのデュオ作を想像していただければ理解していただきやすいかもしれない、ファビオ・ペロンら三人の『アフィニダージス』。複雑で緊密な連携、高度な楽器技巧、それらを聴感上ゼロにする旋律美の際立たせかたなど、共通点は多い。

 

 

でもジャズとの最大の違いは、ショーロだけが持っているこの雰囲気だ。ぬくもった(湿り気のある)情緒を、カラリとした乾きかたで表現するそのサウダージ。世界でショーロしか持っていない。

2018/04/16

ポップで軽やかなオーネット&プライム・タイム 〜『ヴァージン・ビューティ』

 

 

素直にわかりやすく、ただたんに生理的に気持ちよく、ポップで聴きやすいオーネット・コールマン・アンド・プライム・タイムの『ヴァージン・ビューティ』(1988)。これ、かなりいいよね。すくなくとも僕は大好きだ。グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが三曲で参加しギターを弾いているのは、あまり関係ないんじゃないかな。ロック・ファンのみなさんはここから入ってくる可能性もあるけれど、その三曲とそれ以外を聴いても特別どうという違いはないなあ。

 

 

僕にとってのオーネット『ヴァージン・ビューティ』の魅力は、リズムのタイトなファンクネス、メロディのちょっと童謡っぽいというか、軽く口ずさめそうなフォーキーなポップさ、短いパッセージというかわかりやすいリフの反復、そして主役のアルト・サックスが本当に美しいなあっていう 〜 こういうことだ。

 

 

どの曲でも美しいオーネットのアルト・サウンドだけど、1988年に最初に聴いたときに大いに感激したのがアルバム・ラストの「アンノウン・アーティスト」。無伴奏アルト・ソロだと記憶していたが、その後聴きかえすと、後半部でバンドがフワ〜とヴェールのような伴奏をしている。アテにならない僕の記憶力。それくらい前半部のアルト独奏の美しさが印象深かったんだよ。

 

 

ほ〜んと「アンノウン・アーティスト」前半部におけるオーネットのアルト独奏を聴いたら、みんな降参しちゃうと思うよ。フリー・ジャズだ、ハーモロディックだ、なんだかんだとむずかしそうだからと、オーネットもちょっとだけ敬遠されている気がするけれど、ただただシンプルに綺麗だ。

 

 

 

それにオーネットのアルトの音色って、暖かみがあって丸くて、親しみやすいよね。僕はそう思っているんだけど。それが『ヴァージン・ビューティ』みたいなポップなアフロ・ジャズ・ファンク・フュージョンとでもいうべき作品だと、かなりわかりやすい美点になっていると、僕は感じている。この明快さはロックのわかりやすさにも通じている。ジェリー・ガルシアの参加云々は関係なく。

 

 

「アンノウン・アーティスト」に通じる曲がもう一つあって、アルバム4曲目の「ヴァージン・ビューティ」。ここでは最初からバンドの伴奏が入っているけれど、ほぼ同系のキレイ目バラードだね。曲題どおりのアルト演奏をオーネットが聴かせてくれて、バック・バンドの演奏には、はっきり言って僕の耳はあまり行かない。

 

 

これら二曲以外はファンキーなエレクトリック・フュージョンみたい。えっ、フュージョンですよ、このオーネットのアルバムも、ええ。ちょうどこのころか、このすこしまえあたりの渡辺香津美の作品にとてもよく似ているものがあると、僕は聴いている。香津美のどれ?っていうのをいますぐ思い出せないが、1980年代のあの時代のジャズ系フュージョン/ファンクって、こんな感じだったよね。

 

 

オーネットの『ヴァージン・ビューティ』だと、たとえば7曲目の「デザート・プレイヤーズ」なんかも僕は超好き。オーネットのアルトが出るまえのイントロがカッチョエエ〜。その15秒間にシビれちゃうなあ。エレベ(クリス・ウォーカー?)がブンとやったあと、うんそれが爽快だし、デナードが叩きはじめ、ジェリー・ガルシアが弾くフレーズもたまらなく快感だ。

 

 

 

そのギター・フレーズがうまくまとめてオーネットを導いている。オーネットは、このアルバムだとほかの曲でもそうなんだけど、いつもどおりそんなに逸脱しない。シンプルな短いパッセージとかリフとかを反復するようにヴァリエイションを演奏しているだけで、とてもわかりやすい。アルバム『ヴァージン・ビューティ』だとバンド・サウンドもリズムもきれいにに整理されているから、一層オーネットの明快さがフロントに出ている。

 

 

3曲目「ハッピー・アワー」がポップなカントリー・ソングみたいだったり、10曲目「スペリング・ジ・アフファベット」が、曲題どおり、数え歌の童謡ふうな親しみやすさで、ちょっとディズニーの「ビビディ・バビディ・ブー」みたいだったり。ポップなリフ反復は、1曲目「3・ウィッシズ」でも2曲目「ブルジョワ・ブギ」でも6曲目「シンギング・イン・ザ・シャワー」(「雨に唄えば」へのオマージュ曲題?)でも使われている手法。「3・ウィッシズ」のモチーフなんか、かなりキャッチーだよね。

 

 

そんなわけで、どこもまったくむずかしくないオーネットの『ヴァージン・ビューティ』。オーネット・コールマンという看板と、わかりにくさをふりまいて一見さんお断りみたいなフリー・ジャズの敷居の高さにおそれをなして敬遠している音楽リスナー、特にロック/ポップス愛好家のかたがたは、まずこのアルバムを聴いてみたらどうでしょうか。

2018/04/15

むかし、レコードをたくさん持っている男子はモテた?

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今2018年2月2日に渋谷エル・スールを訪問し、原田尊志さんと二時間ほど楽しく(僕だけ?)お話させていただいたときに、当然いろんな音楽の話題になったわけだけど、なかでも二人で笑ったのが原田さんがおっしゃっていた「レコードをたくさん持っている男子は、むかしモテましたよね、いまはそんなのキモチワルイ〜ってことになってるみたいですけど〜」っていうくだり。

 

 

そう、そうだったんだよね。レコード、それもロックのレコードをたくさん持っていたり、ギターを弾いたり歌ったりする男子は、モテた。それなのにモテなかった僕は数少ない例外というか、まあ要はむかしから気持ち悪いだけの男なんだろうなあ。レコードの貸し借りを、男子だけでなく女子とのあいだでもさかんにやっていたにもかかわらず。

 

 

僕がどんどんレコードを買いまくるようになったのは高校三年のときからなので(遅すぎ?)、主にそれから、しかもだいたいジャズのレコードだけど、でもそれ以前から、レッド・ツェッペリン(ぜんぶ持っていた)などのブルーズ・ベースなハード・ロックや、当時の僕としては例外的なシティ・ポップスのビリー・ジョエルとか、あとこっちは45回転のドーナツ盤だけど歌謡曲や演歌などのレコードもすこし持っていて、貸したりテープにダビングしていた。

 

 

あと、前から言うように高校生のときのスクール・バンドでツッェペリンのコピーをやって(いるアマチュア・バンドって、多かったんですよ)、僕はヴォーカル担当だったけれど、そっちでもモテたという憶えがないなあ。僕が高校生当時、ツェッペリンはかなり人気があったんだけど、聴くのは男子ばかりだったのかなあ?そんなことないよ。たんに僕の歌が下手でカッコ悪かったってことだ。

 

 

以前も書いたけれど、友人間でレコードや CD の貸し借りなどのたぐいの経験がない音楽ファンって、ある一定年齢以上のなかにはいないんじゃないかと思うよねえ。情報も紙媒体か口コミか(ジャズ喫茶その他のような阿片窟様の場所含む)しかなかったわけだし、いまはネットに音楽情報もあふれかえっているけれど、あの当時、情報を持っていて、さらに音源もあるよという人物は、やっぱりかなり重宝されたんだよね。

 

 

ジャズきちがいになってからは主にジャズ喫茶へ行けば、情報もレコードもあって、そのどっちも同時に享受できた。あとは本とか雑誌だなあ。それもジャズ喫茶にあったし。それだけあれば、というかそれらだけしかなかったけれど、だからレコードその他がものすごくたくさん置いてあるジャズ喫茶は、まさにこれ以上の場所はない天国だったね。

 

 

レコード・ショップ(やある時期以後は CD ショップだが、今日は便宜上レコ屋、レコードと呼ぶ)には、もちろんレコードがものすごくたくさんあるわけだから、でもあんまりひっくり返しつつ長居しすぎるのもどうなのか、一枚も買わないというとき(なんてなかったけれど)は…、とか遠慮する気分も僕にはあった。ジャズ喫茶だと珈琲一杯で何時間座っていてもオーケーという暗黙の了解があったもん。

 

 

あっ、そうだそういえばちょっと触れたが、これもエル・スール原田さんとのお話を思い出したぞ。僕はむかしからレコ屋に入って一枚も買わずに出てきたことがないのだった。さらに一枚だけ買うってこともできない性分で、今日はこれがお目当てだという頭のなかのウィッシュ・リストに一枚しかないばあいでも、必ず絶対に、もう一枚、二枚、三枚と添えて買う。100%そう。これを原田さんに言うと「へぇ〜、そ〜なんですかぁ?」と言われたけれど、ずっとそうなんだよね、僕は。

 

 

2月2日のエル・スール実店舗訪問時も、なにも買わずに延々と話だけして帰ることは不躾だなと思うのと、そもそもレコ屋へ行くんだから、最大の目的は原田さんに久々に再会してジックリお話しさせていただきたいということだったけれど(買うだけなら郵送してもらっているわけだから、いつも)、それでもレコ屋なんだから買うのがあたりまえだろうという気分があった。

 

 

それで僕はやはり二枚買ったのだった。量のある取り置き分からたったの二枚にしたのは、旅行で行っているんだから帰りの荷物でかさばったらちょっとあれだなと思っただけ。仏 Buda の『在りし日のアルメニア』と、もう一枚はアンゴラの、だれかだったかを買った。荷物になったらいやだという気持ちもあったんだから一枚にすればよかったかもしれないが、それができない。その支払いのときに財布からお金を出しながら、僕は原田さんに、僕は必ず複数枚買うんです、と言ったのだ。

 

 

インプロヴィゼイションで話がどんどん違う方向へ流れているが、いつものことだ。でもちょっとテーマに戻そう、ジャズなら戦前もののほうが好きな僕だから。レコードをたくさん持っている男子はモテたんですよ、という原田さんのお話。これは、たぶん、原田さんがモテたという自慢話なのかなあ。僕はそんな実感がゼロに等しいので、よくわからんもん。あんなにたくさんレコード持っていたのに。

 

 

ジャズ・レコードばっかりだったのがモテなかった原因なのか。ロックだろうがなんだろうが、所有レコード枚数の多寡に関係なく僕はモテない人間なのか、どうなんだろう?上で書いたように、レコードをたくさん持っているというのは、これすなわち情報源だから、そんでもってフィジカル・オンリーの時代にはレコード情報と音源を豊富に持っている人間は、音楽リスナーのあいだではいわば神ですがゆえ、だからモテるか、モテないまでも注目を集めるというか、なんだか新興宗教の教祖みたいにはなるよね。

 

 

それだからジャズ喫茶のオヤジとか、マニアックなラインナップのレコ屋のオヤジとかが、やっぱり教祖化するんだよ(笑)。そういった商売抜きの素人リスナーでレコードをたくさん持っている人間も、やっぱり大なり小なり似た感じになる。僕は異性にはモテたことがないけれど、恋愛感情抜きでのおつきあいの音楽ファンの女性とか、同種の音楽愛好趣味の男性とかのあいだでは、ちょっとだけ、音楽面でだけ、人気があったかもしれないと、うぬぼれておこう。

 

 

エル・スール原田さんがあのとき僕におっしゃった「レコードをたくさん持っているとモテましたよね!」というのは、こんな意味だったかもしれないなあ。あるいは、うちの店でもっともっとたくさん CD を買ってください、そうすれば、戸嶋さん、モテるようになりますよ、だからもっとどんどんうちで買って!というプロモート文句だったかもしれませんが(笑)。

 

 

原田さんのおっしゃるには、でもそういう傾向はもはや過去の話で、いちばん上でも書いたけれど、いまやレコードでも CD でも(本でも?)物体をたくさん自分で持っていると、若いみなさんにはキモチワルイ〜って言われるようになってしまっていますよねとのことで、原田さんいわく。物体を売ることで生計を立てている原田さんとしてはたそがれているというか、現況と未来を冷静に見据えているってことかなぁ、って気分に、あのエル・スール実店舗のカウンター前のストゥールに座っていた僕はそう感じたのだった。

 

 

うん、そう、いまは自分のライブラリになくたって、ストリーミングでどんどん聴けるから、物体もいらないばあいもあるし、ダウンロード(は結局自分のライブラリに所有するということだから)の必要すらなく、Spotify でも Apple Music でも YouTube でもアクセスできるディヴァイスさえ一個持っていれば、それで事足りる。ブロードバンドのネット回線常時接続時代になって以後、ネットでのコミュニケーションなどもアクセス型になっていて、Twitter も Instagram もFacebook も写真だってテキストだってなんだって、あっち側のサーヴァーにあるわけで、僕らはアクセスして読み書きするだけ。

 

 

あっ、そういえば写真にかんしては僕も(主に Instagram だけど)アップしたら削除しているなあ。僕のばあい、写真アプリにあるファイルと全テキスト・ファイルはぜんぶ iCloud にあるので、最近はもとから自分のローカル・ディスク内には存在しない。できうればオーディオ・ファイルもそうできたら複数のディヴァイスでシェアできるのになぁと思うけれど、サイズがデカすぎて、どんなサーヴィスをもってしても不可能だ。

 

 

今日は、結局、なんの話をしたんだろう?

2018/04/14

ショーロ・バイブル復活に寄せて

 

 

本日2018年4月8日にリイシューされたライス盤『ショーロの聖典』。ピシンギーニャとベネジート・ラセルダとの共演録音集だ。その記念に、というかまあ販促活動の一環として、オフィス・サンビーニャとは縁もゆかりもない僕だけど、ちょっとなにか記しておきたい。だってね、アルバム題どおり本当にバイブルなんだよ。

 

 

2018年リイシュー盤にも、僕の持つ2002年盤と同じく田中勝則さんの丁寧な解説文が付いているはずだから、僕の以下の文章は、そのライス盤 CD をお買いになれば不要なものだ。今日のこれは田中さんの文章のただの受け売りのコピペで、まだお持ちでないみなさん向けに、この CD が一枚でも二枚でも売れたらいいなという、そんな気持ちで記すだけ。

 

 

ピシンギーニャとベネジート・ラセルダ両名の経歴なんかは書いておく必要などないはず。もちろんピシンギーニャのほうが先輩。基本彼はフルート奏者で、ラセルダとの共演録音ではテナー・サックスを吹いている。と同時にピシンギーニャの偉大さはいち楽器奏者というだけでなく、ショーロ/サンバ史に残る作編曲者という面にも(こそ)ある。

 

 

ベネジート・ラセルダ(ジャケットでは Benedicto となっているが、これが当時の表記)はフルート奏者。曲も書くが、ある時期ビッグ・バンド活動がメインだったピシンギーニャと違って、少人数コンボ編成のバンドで活動。1930年代に多くのサンバ歌手の伴奏もやった。

 

 

この二人が手を組んで共演録音を開始したのが1946年。終わったのが1950年。その間ぜんぶで44曲の録音がある。ライス盤解説文の田中勝則さんは41曲とお書きだが(p.14)、僕が持つこの二名の共演録音コンプリート集には44曲ある。持っていないかたも Spotify で(ジャケットも)同じものが聴ける。

 

 

 

1946年にどうしてピシンギーニャとベネジート・ラセルダが(レコード録音だけだなく生演奏でも)共演を開始したのか、どうし1950年に終了したのかということも、田中勝則さんの解説文に詳しくある。肝心の曲や演奏そのものの持つおもしろさ、魅力、聴きどころなどについてすこし記しておく。

 

 

アルバム1曲目が、録音順を無視して「1対0」(Um A Zero)になっているのは当然だ。この一曲こそ、ピシンギーニャ(テナー・サックス、作編曲)とベネジート・ラセルダ(フルート)の全共演において、最も輝いている宝石だからだ。これ一つ聴けば、ショーロ・ミュージックの軽快な楽しさ、ゴキゲンな気分というものが手に取るようにわかるはず。

 

 

 

この「1対0」については、二年以上前に、詳しく書いたことがある。

 

 

 

この二名の共演ではベネジート・ラセルダが書いた曲もあるし、またもっと古典的なショーロ楽曲のカヴァーもあったりするが、メイン・コンポーザーはあくまでピシンギーニャだ。そしてこの「1対0」でもおわかりのように、どこまでが演奏前に存在したラインで、どこからが即興演奏などとの区別がつかない。全体的にインプロヴァイズドな自然発生的に聴こえるのが、ピシンギーニャの作編曲の、そして二名の演奏能力の、高さだ。

 

 

ベネジート・ラセルダのフルートは、まるで蝶か小鳥のように軽くひらひらと自在に舞っているよね。ちょっと聴いた感じ、ピッコロなのかな?と思ってしまうほどだ。ピシンギーニャのほうも一流のフルート奏者だったんだけど、ラセルダも同じくらい上手い。ひょっとして…ラセルダのほうが…?1946年にラセルダとの共演開始を機に、ピシンギーニャが手の震えを理由に、フルートをおいてテナー・サックスに専念したのは…あるいは…?

 

 

「1対0」でも他の曲でも、主旋律はベネジート・ラセルダが吹く。そもそも40曲以上あるこの共演録音では、ピシンギーニャがテナー・ソロを吹く時間はかなり少ない、というか稀で、ほぼ全面的に後輩ラセルダを表に出してフィーチャーしているようなアレンジと演奏だ。古典曲のカヴァーでも同様。

 

 

そしてピシンギーニャはバックにまわり、ベネジート・ラセルダの盛り立て役に徹している。フルートの旋律とからみいながら、対位法的に伴奏するラインをテナー・サックスで吹いているよね。それがコントラ・ポントだ。カウンター・メロディみたいなもの。ショーロ史でこれを確立したのがピシンギーニャの師匠イリニウ・ジ・アルメイダだった。引き継いだピシンギーニャはコントラ・ポントをフル活用、ラセルダとの共演録音でも、それが作編曲演奏の根幹を形成している。

 

 

 

 

ベネジート・ラセルダがフルートで吹く主旋律も本当に可愛らしくてチャーミングなんだけど、ピシンギーニャがテナー・サックスで吹くコントラ・ポントが最高におもしろいよねえ。と、僕はいつも思って聴いているんだけど。いちばん楽しいと思うのは、対位法的な旋律の動きもさることながら、テナーで演奏するリズムだ。

 

 

たとえば「1対0」でも、ピシンギーニャのテナー・サックスは、一音程を反復したりするパートでもそうでないパートでも、そのフレイジングをリズミカルにやって、演奏全体の土台を創りグルーヴを生んでいる。特に 0:34 〜 0:42、0:51 〜 1:00 のあいだで、ブッブッブ、ブッブッブとやって、そのテナー・リズムが本当にグルーヴィ!ほかの部分ではメロディアスで流麗にやったり、また一音程をなめらかに続けたりと、実に表情が豊か。そして大胆。

 

 

私見では、ピシンギーニャ&ベネジート・ラセルダ共演録音集『ショーロの聖典』最大の聴きどころは、ピシンギーニャがテナー・サックスで演奏するコントラ・ポントの妙味あると思ってすらいるくらいなんだよね。たぶんかなりな程度まで作曲されていたか、事前に練りこんであったか、スタジオ録音前にライヴ・ステージなどで繰り返し演奏し熟達していたかに違いない。

 

 

ここに収録されているこの二名の共演録音がきっかけでショーロ・スタンダードとなったナンバーは多い。「1対0」は言うまでもないが、5「私は生きてゆく」(Vou Vivendo)、13「インジェヌオ」(Ingenuo)、17「女たらし」(Sedutor)などもそう。14「新しい靴のアンドレー」(Andere De Sapato Novo)はアンドレー・ヴィクトル・コレーアの曲だけど、これもこの共演録音でスタンダード化した。

 

 

またカルメン・ミランダの歌で有名なはずの7「チコ・チコ・ノ・フバー」(Tico Tico No Fuba)もあるし、また25「ただ疲れさせるために」(So Para Moer)は、ショーロ第一世代ヴィリアート・フィゲラ・ダ・シルヴァの曲、26「アトラエンチ」(Atraente)はシキーニョ・ゴンザーガの曲、27「マトゥート」(Matuto)はエルネスト・ナザレーの曲で、なかにはノスタルジックな雰囲気が聴けることもあるけれど、刷新されてピシンギーニャ&ベネジート・ラセルダ共演のために用意されたものであるかのように変貌し、瑞々しく聴こえるのが素晴らしい。

 

 

最後に。ピシンギーニャとベネジート・ラセルダとの共演コンプリート集からピック・アップして、ライス盤『ショーロの聖典』と同じになるようにしたプレイリストを Spotify で作成しておいたので、参考にしてほしい。お聴きになって、うんこりゃホント楽しいね!とお感じになったら、ぜひライス盤 CD を買っていただきたい。

 

 

2018/04/13

マイルズの最初にして最大の発見だったコルトレイン 〜『ザ・ファイナル・ツアー』

 

 

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天性のバンド・リーダー資質を持っていたといえるマイルズ・デイヴィス。そんなマイルズをもってしても自己のバンド内でコントロールできなかったのが1960年のジョン・コルトレインだ。ここまでのものになる存在を1955年時点でバンドのレギュラーにしたわけだから、コルトレインもえらいがマイルズも、まあ好き嫌いの別はともかく、目利き能力だけでも認めていただきたい。

 

 

1960年春のマイルズ・クインテット欧州ツアーは、マイルズのレギュラー・バンド初の海外公演というだけでなく、ある程度まとまった期間の楽旅を、アメリカ国内ですらも、バンドでやったはじめての機会だった。意外に思われるかもしれないが、これが事実だ。

 

 

それはマイルズ・バンド単独のものではなく、ノーマン・グランツ主催の例の JATP の欧州版だった。マイルズ・コンボといっしょに欧州をまわったのはオスカー・ピータースン・トリオとスタン・ゲッツ・カルテット。ツアーは1960年3月21日から4月10日まで。フランス(3/21)、スウェーデン(3/22)、デンマーク(3/24)、西ドイツ(不明)、オーストリア(不明)、スイス(4/8)、オランダ(4/9、10)をこの順で巡業。

 

 

日付を明記したところは音源化されている。今回発売された公式盤もブートレグも含め、日付と場所は、そもそも僕のばあい、音源がこの世にリリースされているからわかっているだけだ。レガシー盤『ザ・ファイナル・ツアー』になっている3/21のパリ、3/22のストックホルム、3/24のコペンハーゲンも、いままでぜんぶブートがあったので、マイルズ・マニアはたいていみんな聴いていた。

 

 

さらにもう一日だけコロンビア/レガシーから公式発売されているものがある。4/9のデン・ハーグ公演だ。ただし「ソー・ワット」一曲だけ。それは『カインド・オヴ・ブルー』の二枚組レガシー・エディション(2008)の末尾に入っているんだよね。これ、どういうこと?4/9のデン・ハーグ音源を、レガシーはフル・セットで権利所有しているってことじゃないの?

 

 

それらぜんぶ、もとは欧州のラジオ放送音源で、ブートもそれをソースにしているし、レガシーだってそれを買い取っただけに違いない。ってことは、上記の三週間にわたる欧州ツアーでのマイルズ・バンドの演奏記録を、ラジオ放送されたものならば、レガシーはぜんぶ持っている可能性があるよなあ。

 

 

少なくとも4/9のデン・ハーグ公演音源はあるんだってわかっているわけだから、どうして今回の『ザ・ファイナル・ツアー』ボックスに含めなかったのか、謎だ。というかあこぎな商売だぞ、レガシー。しかもですよ、今回の四枚組ボックスでいちばん回数多く演奏、収録されているのは「ソー・ワット」なんだけど、私見ではいちばんすごい「ソー・ワット」が、4/9デン・ハーグ・ヴァージョンということになる。

 

 

そんなわけで、いちばん上の Spotify プレイリストでは、末尾にその4/9 デン・ハーグの「ソー・ワット」を追加しておいた。だから『ザ・ファイナル・ツアー』公式商品そのままじゃない。『カインド・オヴ・ブルー』のレガシー・エディションとか、みんな買わないだろうから、ちょっと聴いてみて。こういったことが実に簡単にできちゃうのも Spotify のよさだ。

 

 

これで1960年春の欧州ツアーで演奏された「ソー・ワット」は、公式だけでも計五種類。この曲こそがこのときの欧州ツアーでの目玉だから、この五つを聴いていくだけでこの1960年におけるマイルズ・バンドのことや、ボスとコルトレインの関係や、どうしてこのときのツアーがコルトレインのマイルズ・バンドにおけるラストになったのか、なども考えやすいかもしれない。

 

 

「ソー・ワット」はもちろん『カインド・オヴ・ブルー』からの曲で、1960年欧州ツアーでは、そんな新レパートリー(もう一個は「オール・ブルーズ」)と、1958年のスタジオ収録曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」)、もっと前からの従来曲(「ラウンド・ミッドナイト」その他)と、それら三種に分けることができる。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』は1959年のスタジオ録音なので、58年ものとあわせ、同傾向の新曲たちと考えていいだろう。それら以外の旧来レパートリーとでは、やはり演奏内容も異なっている。『ザ・ファイナル・ツアー』では、演奏回数も圧倒的に58/59年物が多いし、ボスのマイルズも、ツアーじたいでそこに力点を置いたに違いない。

 

 

それで、話を五つの「ソー・ワット」だけにしぼりたいのだが、五つのヴァージョンはほぼ同じ演奏展開を見せている。テーマ演奏後、マイルズ、コルトレイン、ウィントン・ケリーの順で必ず三人のソロがあり、コルトレインのソロが…、あまりにも饒舌すぎる。時間も長いが中身も、アイラ・ギトラー命名のかのシーツ・オヴ・サウンズの円熟期で、ビ〜ッチリと音を隙間なく敷き詰めるっていう、あれだ。も〜う!あまりにもしゃべりすぎだ、トレイン。

 

 

一番手でソロを吹くマイルズは、リリカルというんじゃないけれど、やはり抑制の効いた内容の美しいソロを吹いている。ずっと前から繰り返しているが、このひとは全体の均整、構成美、統一感に心をくだくひとで、そこにこそ音楽の意味があると信じて疑っていなかったから、ばあいによってはあらかじめ譜面を用意させてそのまま吹いてソロとしたり、そこまででなくとも事前にしっかり練り込んだ内容を綺麗に吹く。それがマイルズ。

 

 

それなのに、二番手で出るコルトレインが逸脱しまくって、「ソー・ワット」という曲全体のバランスが崩壊しているよね。1960年3/4月の記録だけど、コルトレインのソロ時間だけに限定すれば、この欧州ツアーでのこのマイルズ・バンドはアヴァンギャルド・ジャズに近づいているとしてもいいかもしれない。実際、お聴きになっておわかりのようにトレインはオフ・スケールの連続。師匠マイルズの導入によって、目から鱗で水を得た魚になれたモーダルな演奏法を、さらに一歩拡大しているよね。

 

 

オーネット・コールマンとか、セシル・テイラーとかサン・ラー(のバンドのサックス)とか、そのあたりのジャズに、この1960年欧州ツアーのコルトレインは近づいているんじゃないかな。おもしろいのは、そんなトレインの伴奏をしているリズム・セクションは、似ても似つかぬコンサヴァティヴなスタイルを持つ三人だってこと。

 

 

コルトレインがオフ・スケールやホンキングの連続で(だからちょっとリズム&ブルーズ的でもあるのだが)逸脱する饒舌ソロを延々と展開しているあいだも、ピアノ+ベース+ドラムスの三人は決して乱れない。淡々と決まったビートをキープして安定しているよね。この、なんというか絶妙なバランスみたいなもの、安定リズムの上に、崩壊寸前の爆発的サックス・ソロが乗るという、この妙味が、1960年のこのマイルズ・バンド最大の魅力なんじゃないかと僕は思う。

 

 

抑制と均整を心がけているマイルズと崩壊的混沌に至らんとするコルトレーンもいいバランスというかコントラストで、三番手のウィントン・ケリーのピアノ・ソロになると、突如、明快なブルーズ・ベースのよく跳ねて快活な、聴きやすくノリやすい、ふつうのメインストリーム・ジャズ演奏になり、そのピアノ・ソロのあいだは、マイルズ、トレイン二人のソロでテンションが高かったもんだから、ホッとリラックスできるいい雰囲気で、楽しいんだ。

 

 

見方をかえて意地悪な言いかたをすれば、「ソー・ワット」だけじゃなく1960年欧州公演に、マイルズ・デイヴィス・クインテットは存在しない。そこにあるのはマイルズ・カルテット、コルトレイン・カルテット、ウィントン・ケリー・トリオの三者で、それが順番に連続演奏しているだけだ。だから、クインテット五人の一体感みたいなものは、弱い。

 

 

このバンドとしてのトータルな構築感、統一感の薄さに、ボスのマイルズも、サイド・マンでそんな事態を招いている張本人のコルトレイン自身も、我慢できなかったんじゃないかと僕は考えているんだよね。このときのコルトレインのものすごさを皮膚感覚で理解していたマイルズだって、どうか辞めないでくれとトレインに懇願しながらも、辞めざるをえないだろうなともわかっていたはずだ。

 

 

「ソー・ワット」でもほかの曲でも、コルトレインのソロが終わりウィントン・ケリーのソロになると、まるでむかしなじみの場所で仲間が親しく楽しげにしゃべっているような、そんなファミリアーな雰囲気になっているじゃないか。だからコルトレインは、場で浮く異物となってしまっていた。1960年のマイルズ・バンドにおいては。

 

 

コルトレインをそこまでの存在にしたのは、もちろんマイルズだ。あんなに吹けなかったフィラデルフィアのいもサックス奏者を見出して、自分のファースト・レギュラー・クインテットに起用し、なにもかも教え込んできた。まるでひとりの肉体の内部になにかが芽生え、それがグングン体を活性化するものの、成長しすぎて今度はかえって邪魔者となってしまった。癌のように。

 

 

マイルズとコルトレイン、それはあの双顔の神ヤーヌスだったのだ。

2018/04/12

オーティス・クレイのハイ・シングル集

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オーティス・クレイ。日本のファンにとってはやっぱり1978年の『ライヴ!』がいちばん思い入れの強いものだよね。僕はリアルタイムでは知らないから、そこんところイマイチな気分もあるけれど、それでも特にライヴ分の MC から出だし三曲メドレーなんか、どうしてこんなにカッコイイんだぁ〜!って、なんどもなんども聴いちゃうな。やっぱり大好きだ。

 

 

その1978年の『ライヴ!』で代表曲はやっているし、力が入ったヴォーカルも伴奏陣も文句なしに見事で、だからこの完全版の CD 二枚組(2014年)があればオーティス・クレイは必要十分なのかもしれない。だけど好きになったら、もとのスタジオ録音ヴァージョンがどんなだったのか聴いてみたいと思うよね。

 

 

スタジオ録音でいうと、オーティス・クレイはハイ・レーベル時代(1972〜74年)がいちばんよかったということになるんじゃないかな。レコード・アルバムが二枚あるけれど、もちろんソウル界の御多分に洩れずシングル盤リリースが中心。本国アメリカにおき、どんなかたちでクレイのハイでのシングルがまとめられているのか知らないが、少なくとも日本には CD『ハイ・レコード・シングル・コレクション』(ウルトラ・ヴァイヴ 2014年)がある。

 

 

このアルバム、ハイのシングルだけじゃないのがかなり貴重だ。ワン・ダフル(One-derful)でのものとダカーでのものも収録されていて、しかもワン・ダフルでのものはハイで再演されたものと続けて並んでいるのがおもしろい。両レーベルでの伴奏アレンジやオーティス・クレイの歌唱法の変化など、聴き比べることが容易。

 

 

ワン・ダフルのシングルでハイでも再演しているのは、「ガッタ・ア・ファインド・ア・ウェイ(トゥ・ゲット・ユー・バック」「ザッツ・ハウ・イット・イズ」の二曲。特に前者は1978年日本ライヴのオープニング・ナンバーなだけに、リアルタイム体験のない僕だってそれなりに感慨深い。これで、三種類の「ガッタ・ア・ファインド・ア・ウェイ」が聴けることになる。

 

 

伴奏陣含め全体的なアレンジは、1978年日本ライヴだとハイ・ヴァージョンに沿っている。

 

 

ワン・ダフル(1967) https://www.youtube.com/watch?v=-Aw-LC4LqvQ

 

 

 

 

どう聴いてもハイのシングル・ヴァージョンがいちばん整っているよね。精緻だ。さすがはウィリー・ミッチェルの手になるだけあるなあ。伴奏アレンジはハイ・ヴァージョンがいいので、だから来日公演時もそれをそのまま踏襲したんだろう。ワン・ダフル・ヴァージョンはかなり荒削りというか乱暴というか、これはだれがアレンジしてだれが伴奏しているんだろう?

 

 

しかしオーティス・クレイのヴォーカルの迫力はワン・ダフル・ヴァージョンのほうが上かもしれない。整ってなくて、まるで勢いに任せファイト一発でかましたみたいな歌いかた。こんなんじゃあ君をとりかえす方法を見つけなくちゃなんてできないような粗雑さだけど、なんだか一途な執念がストレートに出ていて、こっちのほうに僕はより共感するなあ。

 

 

でもハイ・サウンドの洗練もやはり捨てがたい。CD アルバム『ハイ・レコード・シングル・コレクション』では連続再生されるので、どうしてもワン・ダフルのとハイのとを比較しちゃうから、ハイの「ガッタ・ア・ファインド・ア・ウェイ」が流れてくるとやや拍子抜けしちゃうんだけど、こっちのほうがいいと聴こえる気分のときだってある。

 

 

1978年日本ライヴでの「ガッタ・ア・ファインド・ア・ウェイ」は、アレンジの精緻な洗練はハイ・ヴァージョンそのままに、ヴォーカルの迫力と力強さはワン・ダフル・ヴァージョンのものを再現しているみたいな感じで、それでいてヴォーカル・フレイジングの端々に細やかでしゃれたフィーリングもあるから、結局これがいちばんいいぞという結論に達してしまうが、その話は今日はしない。

 

 

日本ライヴではやっていないが、やはりワン・ダフルとハイの両ヴァージョンが並ぶ「ザッツ・ハウ・イット・イズ(ウェン・ユア・イン・ラヴ)」にも、こういったことが当てはまる。それにしてもハイはメンフィスの会社だからサザン・ソウル・サウンドで、ワン・ダフルはシカゴ。オーティス・クレイはシカゴの人間だけど、ハイ移籍前からサザン・ソウルを意識したような曲を歌っていたんだ なあ。

 

 

 

だから、シカゴの現場に足を運んでいたハイのウィリー・ミッチェルも、間違いなくナイト・クラブかどこかで、オーティス・クレイがこれらワン・ダフルのシングル・ナンバーを歌うのを生で耳にしたはず。それでクレイに可能性を感じ、こういったサザン・ソウルな曲ならうちのほうがもっとうまくやれるはずとの考えでスカウトしたんだろう。結果は書いたとおりだけど。

 

 

アルバム『ハイ・レコード・シングル・コレクション』20、21曲目のダカー録音シングルは飛ばして、ハイ時代のシングル・ナンバー。このアルバムだと3曲目「プレシャス、プレシャス」(1972)、そして必殺の決定曲5の「愛なき世界で」(Trying to Live Life Without You、1972)。前者はジャッキー・ムーアのヒット、後者はジョージ・ジャクスンが書いた曲だけど、オーティス・クレイのヴォーカルが最高だ。

 

 

 

 

 

「プレシャス、プレシャス」も「愛なき世界で」も、いかにも1970年代のハイらしいミディアム・グルーヴ・ナンバーで、このレーベルの持ち味なサウンドが満開。「プレシャス、プレシャス」はもともとオーティス・クレイのものじゃないけれど、その後はクレイの持ち歌になった。「愛なき世界で」の素晴らしさなんて、なにも言うことないね。聴くとグッと胸に迫り来るリアリティがある。

 

 

ハイでの最後のシングルになった、アルバム14曲目「イット・ワズ・ジェラシー」。これもなんといえばいいのか、歌に力が入っているなあ。全身のあらんばかりのパワーを込めたようなこの迫力には思わずのけぞってしまうほど、すごい。でもこの曲、アン・ピープルズのものだったんだよね。鈴木啓志さんいわく、廃物処理。その意味でもオーティス・クレイに強いシンパシーを抱いてしまう。

 

2018/04/11

カヴァキーニョ完全独奏!

 

 

だから、超絶技巧をこれでもかと見せつけたような作品かと思われそうだけど、さにあらず。メシアス・ブリットの新作『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』(2017)。このアルバム題("多声カヴァキーニョ")と、しかもオーヴァー・ダブもなしのカヴァキーニョたった一台だけの演奏であることを踏まえれば、なかなかすごい自信の表れだだとわかりはするものの。

 

 

それでもやはり技巧見せつけ系の作品じゃあないんだよね。メシアス・ブリット(Messias Britto) はバイーア出身の若手カヴァキーニョ奏者。『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』はセカンド・アルバムなんだけど、たった二作目でこれだけのものを創ってしまう技量の高さと、歌心あふれるショローンとしての心意気に本当に感心する。

 

 

カヴァキーニョは、基本、リズムを刻むための楽器なので、それのたった一台の完全独奏を音楽作品として成立させるからには、もちろん相当な技術がないと不可能だ。しかし、メシアスはその領域だけに踏みとどまっていない。メシアスの弩級の超技巧は、『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』のなかでもふつうにどんどん聴ける。あたりまえにそこにあるので、ことさら言いたてる必要もないほど、そこにある。それよりもメロディの歌わせかたに注目して聴きたいんだよね。

 

 

デビュー作となった2014年の『バイアナート』だって、ついこないだ bunboni さんに教えていただいたばかりの僕で、だから2017年のカヴァキーニョ完全独奏作と同時に二枚、ディスクユニオン通販で買った。それで新作のほうを今日とりあげて書こうと思ったのは、昨日書いた『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』に、メル・トーメの歌う「バイーア」があるからだ。

 

 

このメル・トーメ・ヴァージョンの「バイーア」を聴き憶えていた僕は、メシアスの『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』七曲目「ナ・バイーシャ・ド・サパテイロ」で、オッ!?となったのだ。同じ曲なんだよね。しかし僕はメシアスがカヴァキーニョ独奏でやるそれを聴いて、あぁよ〜く知っているやつだ、スタンダードだ、でもなんだっけ?思い出せないなぁ、もどかしいとムズムズしていたら、bunboni さんに、戸嶋さんが知っているのはひょっとしてスタン・ゲッツ・ヴァージョンでかも?と教えていただいた。

 

 

実はスタン・ゲッツの「バイーア」は聴いたことがないんだよね。だいたいこのひとのボサ・ノーヴァっぽいもの、ブラジル素材には偏見を抱いていて、『ゲッツ/ジルベルト』しか聴いていないんだ。調べてみたら『ジャズ・サンバ』に収録されているらしい。Spotify で探して聴いた。これだね。

 

 

 

メル・トーメのもだいたいこんな感じだ。はっきり言えばなんちゃってボサ・ノーヴァだけど、メシアス・ブリットがやる「サパテイロ通りの坂下で」はかなり違う。いちばん上のプレイリストで七曲目を聴いてほしい。メロディのチャーミングさを際立たせながらも、シャープな厳しさがあるよね。キリッとしているっていうか、節度を保っているというか。それでもって、このアリ・バローゾの書いたメロディの魅力がより一層増している。

 

 

メシアスは細かい装飾音をくわえながら、本来の旋律をなぞるように弾き、シングル・トーンで弾いたりコード弾きをやったりを不可分一体に混ぜながら、リズムも細かく動かしている。進んだり一歩止まったり、行ったり来たり、よりみちも繰り返しながら、やはり最終的には本道をまっすぐ進んでいる。

 

 

「サパテイロ通りの坂下で」でもほかの曲でもそうだけど、サビの部分でパッとリズム・パターンを変えるよね。それと細かい装飾音を曲本来の旋律にどんどんくわえながら進むという、カヴァキーニョ一台でのメロディの弾きかた、歌わせかたは、このアルバム『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』では一貫しているものだ。

 

 

新作のばあい、全11曲のうち、1(ルイス・ゴンザーガ)、3(エルネスト・ナザレー)、4(ピシンギーニャ)、7(アリ・バローゾ)、9(ヴァルジール・アゼヴェード)、10(アントニオ・カルロス・ジョビン)はぜんぶ超有名スタンダードなので、それらと、ジアン・コリアの6曲目を除けば、ほかはメシアスの自作ナンバー。

 

 

でもアルバム全体をとおし、自作・他作の別はまったく感じない。メシアスの自作曲が完璧な古典ショーロの趣なせいもあるんだろうけれど、カヴァキーニョ一台で自作も他作も弾きこなすそのやりかたが、上で書いたように同じ共通の演奏法をとっているからじゃないかなあ。

 

 

しかもメシアスの弾くカヴァキーニョの音の粒立ちが、とてもイイ!綺麗で、立っている。メロディを歌わせるフレイジングも素晴らしく美しいんだけど、僕はアルバム『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』では、なんど聴いても一個一個のサウンドの美しい粒立ちに心からため息をついてしまう。カヴァキーニョでこんな音、聴いたことないなあ。

 

 

ショーロらしい泣きというか、サウダージも随所にふんだんにありながら、しかしセンティメンタリズムには流れすぎていない厳しさがあって、カヴァキーニョ一台で美しく屹立しているメシアス・ブリットの『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』。泉の水がどんどん湧き出ながらも静かにたたずんでいるかのような感じのグルーヴもあって、これはオススメ。

2018/04/10

ラテン・アメリカを歌うアメリカ

 

 

ザヴィア・クガート楽団、アンドルー・シスターズ、マチート(とディジー・ガレスピー、 チャーリー・パーカー)などを持ち出すまでもなく、ジャズでもなんでもアメリカ音楽(と今日はあえてこう呼ぶ)にはラテン・アメリカン・アクセントが濃厚にある。それどころか、そもそもラテン・アメリカ音楽、ことにアフロ・クレオール文化なくしてアメリカ音楽が誕生したかどうか疑わしいくらいだ。キューバなどカリブ音楽、メキシコなど中米音楽、ブラジルなど南米大陸音楽がなければ。

 

 

しかしながらそれでも、1950年代に入って、突如、ラテンの波が大流入したかのようになっているのをどう見たらいいのだろう?とにかく50年代にラテン・ベースのアメリカ音楽のアルバムが突然多く出現した。アメリカ音楽におけるラテン・アメリカの突然の爆発。ナット・キング・コール、メル・トーメ、コニー・フランシス、ジュリー・ロンドン、ローズマリー・クルーニー、ロバート・ミッチャム…。

 

 

これらとあわせ、その1950年代当時のラテン世界からのアメリカへのニュー・カマーたち、すなわちハリー・ベラフォンテ、ティト・プエンテ、ペレス・プラード、ボビー・カポ、ティト・ロドリゲスなどなどがどう関係していたのか?こっちのほうは(も)1960年代末ごろからのカルロス・サンタナ、ウィリー・コローン、フラーコ・ヒメネスらへつながる系譜であるようにも見える。じゃあライ・クーダーらとの関わりは?

 

 

だいたいいつもアメリカの空をキューバやカリブやラテン・アメリカ大陸の鳩が飛んでいるわけだけど、ことに1950年代にはそれがはなはだしかった。まるでラティーナな鳩の大軍が大挙してアメリカ上空に侵入したかのようになっていた。あの1950年代のラテン・インヴェイジョンの背後には、いったいなにがあったのだろうか?それともアメリカは全面的にラテン・アメリカを抱擁していたということなのか?

 

 

1960年代末からのサンタナなどラテン・ロックや、サルサの爆発などは、こういったあたりからの流れを踏まえて考えないといけないように思う。さて、アメリカの1950年代における突如のラテン勃興の前にも、そもそもジャズ初期の巨人ジェリー・ロール・モートン、の特にソロ・ピアノ録音や、サッチモことルイ・アームストロングの1930年代オーケー録音などのなかにも、当然強いラテン・アクセントがある。

 

 

それはつまりアメリカ国内におけるアフロ・クリオールなラテン・キャピタルたるニュー・オーリンズの国際性ということだ。その後しばらく経った時期以後は西海岸にも目を向けないといけない。西海岸にはメキシコ系とスペイン語の影響がそもそも濃厚だったから(のちのフラーコ・ヒメネスやライ・クーダーらにつながったと)いうこともあるし、さらにまた、僕はあんがい重要だと思っているハリウッドへのカルメン・ミランダの侵入もあった。

 

 

ってことはニュー・オーリンズを含むルイジアナなどの南部はキューバ、カリブ音楽を愛で、西海岸はチカーノやブラジル系ってことかなあ?いやいや、そんな単純なものじゃない。とにかくアメリカ音楽史を見渡すと、第二次世界大戦の終了あたりからヴェトナム戦争あたりまでのあいだの時期にラテン要素が強く出現しているのは間違いない。しかもそういったアメリカ人音楽家のなかには黒人も多かった。時期的にはちょうど公民権運動と合致するじゃないか。

 

 

それとキューバにおけるフィデル・カストロらによる革命完遂も時期的にほぼ一致する。あのキューバ革命までは、キューバはアメリカの庭みたいなもんで、観光地として賑わっていた(それじたいの良し悪しは抜きにして)。キューバだけじゃなくプエルト・リコもバミューダもその他も、つまりスペイン語、フランス語、英語が使われる(南米大陸ではポルトガル語も)ラテン・アメリカ地域、特にカリブ海諸島はアメリカと密接な関係があって、人的、文化的交流も盛んだったことはご存知のとおり。

 

 

アメリカ人音楽家が、その19世紀末から2018年の現在まで、ある意味、ずっと絶えずラテン・アメリカを吸収し続けてきていて、まあ言ってしまえば<アメリカ音楽とはラテン・アメリカ音楽である>との命題を立てることだって可能なほどだというのは、ラテン・ミュージックにあるリズムとメロディのおもしろさと(死と隣り合わせの)甘美な官能性、ラヴ・ソングにおけるパソスとエロクワンスなどに惹かれ取り入れたというだけなのかもしれないが。

 

 

そこにはスパニッシュ・スケールがあり、それにもとづくあのメロディ構成、旋律の動きがあり、またアフロ・クレオール由来のあのリズムがある。三拍子を内在しながら二拍子で跳ねる、あの細かく刻みながら大きくゆったりとノるあれが。(アフリカ由来である)カリンダをベースとするアバネーラもカリプソもタンゴも。ソンもボレーロもマンボも。またサンバもボサ・ノーヴァも。

 

 

上で触れたように、特にカリブ地域と最も密接な関係があったのがニュー・オーリンズで、この地の音楽はジャズ誕生期からそもそもラテン・アクセントが強い。なかでもキューバのアバネーラの痕跡は明白で、ジェリー・ロール・モートン(の特にピアノを弾く左手)にもあるし、またアバネーラとはいえないが、ルイ・アームストロングは、かの大ヒット曲「南京豆売り」を、アメリカでの大流行だった1930年に録音、発売している。それが、フレモー&アソシエのアンソロジー『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』では最も古い収録曲だ(一枚目15曲目)。アルバム・タイトルは "1935" となっているけれどね。

 

 

その後、1940〜60年代においてニュー・オーリンズでは、ラテン・アメリカ音楽から特に意義深いいただきものはないのだと、解説文のテカ・カラザンス&フィリップ・ルサージュ(と署名があるが、たぶんルサージュの文章だろう)は書いているが、とんでもない話だ。プロフェッサー・ロングヘアなどニュー・オーリンズのラテン調リズム&ブルーズのことが視野に入っていない。このあたり、ジャズとその周辺しか扱わないというのが、このフレモー&アソシエのシリーズの瑕疵だ。

 

 

ところで、アメリカ音楽のなかにいかにラテン要素が溶け込んでいるかを証明するものの一つが、その CD 三枚組『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』二枚目13曲目の「縁は異なもの」(What A Difference A Day Made)だ。ここには1947年にサラ・ヴォーンが歌ったヴァージョンが収録されているが、ダイナ・ワシントンのものが超有名だよね。これ、メキシカン・ソングだって、以前も書いたようなまだだったような。忘れました。

 

 

「縁は異なもの」はもともと「Cuando vuelva a tu lado」という曲題でメキシコ人ソングライター、マリア・グレベールが1934年に発表したもの。同じ年に即、英詞が付いて歌われている。この三枚組アンソロジーだと、一枚目4曲目のナット・キング・コール「ベサメ・ムーチョ」とか、メル・トーメのとアニタ・オデイのと2ヴァージョン収録の「フレネシ」とか。

 

 

一枚目17曲目のメル・トーメ「バイーア」とか(スタン・ゲッツ・ヴァージョンが有名なんだそうです)、これまた2ヴァージョン収録の「ブラジル」(ローズマリー・クルーニー&ビング・クロスビー、フランク・シナトラ)なんかもアメリカン・スタンダードになっているかも。アルバム・オープナーの「スウェイ」(ローズマリー・クルーニー)もそうだね。

 

 

「フレネシ」を書いたのはメキシコのアルベルト・ドミンゲスで、この人の書いた曲のなかには僕の大好きな「ペルフィディア」がある。こういったボレーロ(からフィーリン)がだぁ〜〜いすき!な僕。「ペルフィディア」は、この三枚組『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』にも入っている。一枚目6曲目のメル・トーメ・ヴァージョン(1959)。伴奏はビリー・メイ楽団で、ビリー・メイ伴奏のものはこのアンソロジーに多い。

 

 

しかしながら、そのメル・トーメ・ヴァージョンは歌詞を英語にし、リズムも4ビートのジャズ・スタイルで、あの魅惑的なボレーロじゃなくなっているのだ。ここはナット・キング・コールのヴァージョンを収録してほしかった。ナットの「ペルフィディア」はスペイン語原詞のままでボレーロ・リズム。それはエル・スール謹製のフィーリン・アンソロジー『フィーリンを感じて』にも収録されている1959年のレコード。出だしの「む〜、へ〜」だけで失神しそうだよ。

 

 

 

ナット・キング・コールは、この『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』に最もたくさん収録されている歌手だ。その次がハリー・ベラフォンテ。出自がカリブにあるベラフォンテと違い、ナットはアラバーマ生まれのふつうのアメリカ黒人だけど、この二名が1950年代のラテン・アメリカズ・イン・アメリカ爆発の中心人物だったと見ることができるだろう。

 

 

ソングライターでいうと、上記アルベルト・ドミンゲス、アグスティン・ラーラなどなどキューバ/メキシコのボレーロ〜フィーリンのなかに位置付けられる人たち、アリ・バローゾ、アントニオ・カルロス・ジョビンらブラジルの作曲家なども、1950年代末〜60年代頭のアメリカにおいて大きな存在感を示していた。これらのひとたちだけでなく、ラテン・アメリカ音楽界で書かれ歌われた曲が、アメリカで英詞が付いて歌われたり、ばあいによってはナット・キング・コールその他みたいにスペイン語のまま扱ったりもした。

 

 

ハリー・ベラフォンテのばあいは、上で書いたようにマルチニークの父とジャマイカンの母のあいだに生まれ、八歳までジャマイカで育ったので、彼の歌にあんな感じのものが多く、1950年代に大きな影響力を、それもたんに音楽界だけでなく社会一般にも持っていて、あのフォーク・リヴァイヴァルと公民権運動の連動にも関係したというのは理解しやすい。

 

 

ところがナット・キング・コールの出自や成長に、ラテン・アメリカ(音楽)との関係は見出せない。社会運動とも直接的には関係なさそうで(それでもナットも黒人だけど)、頭のてっぺんからつま先まで、骨の髄まで、音楽家というような人間だった。だから『コール・エスパニョール』(1958)『ア・ミス・アミーゴス』(1959)『モア・コール・エスパニョール』(1962)と、三枚もスペイン語で歌う(のにナットは苦労した)ラテン・ソング集を発売したのはなぜか?彼自身の音楽的内面性から来るものではないのだろう。

 

 

ナット・キング・コールは西海岸の会社キャピトルの専属だった。アメリカにはスペイン語話者(だけで英語はできない)がかなりいる。ましてや西海岸には多い。だから、たぶんキャピトル側からの、まあ圧力というと言葉があれだけど、ヒスパニック・オーディエンスにアピールできるようなアルバムを創ってほしいとナットに話を持ちかけたに違いないと僕は見ている。

 

 

1950年代末というと、すでにナット・キング・コールはビッグすぎるほどのスターだった。そんなナットがラテン・ソング集を、それもスペイン語でやれば…、という西海岸の会社キャピトルの目論見だったんだろう。今日話題にしているアンソロジー『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』にいちばんたくさん曲数があるナットだけど(13曲)、はたして結果は、まあスペイン語の発音がイマイチかもしれないが、うまくボレーロの官能性を表現できていると僕は聴くけれどね。これがトップ歌手の実力じゃないかな。

 

 

少なくともナット・キング・コールの持つあのクルーナー・タイプの声と歌いかたがボレーロ/フィーリンみたいなラテン・ラヴ・ソングにうまくはまっているのは、だれも否定できないはずだ。ソフトで軽くふわりと漂うような発声とフレイジング。声を張りすぎず、ややハスキー気味でスッと置くようにやさしく語りかけるようなナットと、あのボレーロ・スタイルのリズムやサウンドが、ニーロ・メネンデス、オズヴァルド・ファレース、マリア・テレーサ・ラーラ(アグスティンの妹)、マリア・グレベールに、よく似合っている。

 

 

いっぽう『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』にもすこし収録されているが、ナット・キング・コールがスペイン語で歌ったラテン・ソング全41曲のなかには、快活なものだってもちろんある。日本人でも僕より世代が上のかたがたなら、三枚目6曲目「カチート」(コンスエーロ・ベラスケス)がいちばん有名なんじゃないかな。

 

 

しかしここでは二枚目6曲目の、プエルト・リコの大作曲家ラファエル・エルナンデスが書いた「カプジート・デ・アレリ(アレリのつぼみ)」に着目したい。これはチャチャチャみたいなもんかな。でもちょっとボレーロ/フィーリンっぽいニュアンスもあるような。この曲は有名作曲家が書いたスタンダードみたいなもんだけど、かのカエターノ・ヴェローゾが『粋な男』(フィーナ・エスタンパ)でとりあげているよね。

 

 

 

 

 

カエターノは続く『粋な男ライヴ』で、メキシコのトマス・メンデスが1954年に書いた「ククルクク・パローマ」を歌っている。はかなく哀れで切ない男性のセンチメンタリズムの極地みたいな恋愛歌だけど、この同じ曲をハリー・ベラフォンテがライヴで歌っている(1960年『アット・カーネギー・ホール Vol. 2』)のが、今日話題にしている『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』に収録されているんだよね。

 

 

 

 

 

さて、書ける余裕がもうないが、『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』にはブラジル人作家が書いた曲もたくさん歌われている。かの「ティコ・ティコ」をカルメンといっしょにやるアンドルー・シスターズ(1949)や、上述のアリ・バローゾは複数あるし、アントニオ・カルロス・ジョビンも「デザフィナード」をやるジュリー・ロンドン(1962)、英題「ワンス・アゲン」「クワイエット・ナイツ」のジョン・ヘンドリクス(1961)、同じくジョン・ヘンドリクスがやるドリヴァル・カイミの、英題「ロンギング・フォー・バイーア」(1961)…、などなど。

 

 

メインストリームのアメリカン・ポップス・シーンでは嚆矢だったかもしれない1944年のアンドルー・シスターズ「ラム・アンド・コカ・コーラ」(1944)はもちろん三枚目17曲目にあり、また僕のだ〜いすきなエルネスト・レクオーナの「シボネイ」をコニー・フランシスがスペイン語で歌っているの(1960)も三枚目に収録されているのが、なんともいえず嬉しい。

 

 

冒頭で大上段にふりかぶりすぎたけれど、1960年代末ごろからのラテン・ロックやサルサなどへつなげる流れは、もう今日はちっとも書けないな。ライ・クーダーら西海岸のテックスメックス勢も一行も言及なしだ。このあたりの、ロック・ファンにもおなじみな部分や、またこちらもおなじみプロフェッサー・ロングヘアらや、西海岸のジョニー・オーティス楽団にもあるラテン R&B などなど、そのほかアメリカ音楽にキリなく存在するラテン・アメリカへの連絡は、またの機会にじっくり考えたい。

2018/04/09

岩佐美咲「佐渡の鬼太鼓」を聴く

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こういった文章では、有名人や偉人などスターは呼び捨てにするのが僕のふつうの基準なので、今日も美咲でいく。

 

 

去る2月27日にリリースされた岩佐美咲のニュー・シングル「佐渡の鬼太鼓」。いつもどおり通常盤と初回限定盤の二種類で、カラオケ・トラックを外すと、二枚あわせて計四曲。もちろん書き下ろしオリジナルの新曲「佐渡の鬼太鼓」。そしてカヴァーが三曲。通常盤に「夢芝居」(梅沢富美男)「空港」(テレサ・テン)、限定盤に「下町の太陽」(倍賞千恵子)。

 

 

オリジナルの新楽曲「佐渡の鬼太鼓」は、僕も生体験した2月4日の恵比寿でのコンサートで披露されていた。たぶん熱心な美咲マニアでも、そのときがフル・コーラスで「佐渡の鬼太鼓」を聴いた最初だったと思う。そのしばらく前の1月30日に徳間ジャパンが短いティーザーのようなものを公開していた。

 

 

 

生でも CD でも美咲の「佐渡の鬼太鼓」を聴いていらっしゃらないみなさんには、以下のようなものもあるので。あれっ?でも美咲、ここでは赤の着物だなあ。この曲を歌うときは青色が決まりになっているんだけど、それはソロ・ステージでやるときは、っていうことなのかな。とにかくフル・コーラス聴けるので、ぜひどうぞ。

 

 

 

お聴きになっておわかりのように、はっきり言ってこれはド演歌だよね。愛する男を私が守るという、女の強く激しい情念をフルに表出したような、濃厚な演歌。演歌歌手というのが看板になっている美咲なんだけど、ここまでの荒々しい曲は、いままでになかった。演歌とライト・ポップスの中間あたりで最も真価を発揮する歌手だったんだよね。

 

 

そんな真ん中的なというか、折衷的というのはちょっと違うけれど、濃厚演歌でも軽歌謡でも歌いこなせる美咲の技巧の根底のところは、どんなばあいでも声を張りすぎず、コブシをまわさずヴィブラートも効かせず、なんというか従来的な演歌ファンが「これぞ演歌!」とアイデンディティを見出しやすいような、まあ言葉はあれだけど「ヘンな」声の出しかた、歌いかたをしないというところにある。

 

 

だからオリジナル楽曲でもカヴァー・ソングでも、どの曲がそうだとは今日は指摘しないが、中間的なレパートリーを歌うときに美咲はいちばん輝いてきた。この僕の見解は、おそらく多くの美咲ファンも、美咲を聴かない一般の音楽ファンも、共有していただけるんじゃないかと思う。

 

 

2月4日の恵比寿でのコンサートは、そんな中間路線からの脱皮と本格演歌への移行を、はっきりと示していた。パッケージ商品でこの移行を明確に打ち出したのが、2月27日リリースの新曲「佐渡の鬼太鼓」なんだよね。だから、美咲は歌いかたもすこし変えている。

 

 

上で書いたように、いままで美咲はコブシなしヴィブラートなしの、スムースでナチュラルな歌唱法でやってきた。新曲「佐渡の鬼太鼓」では、コブシはやはりまわしていないと思うけれど、ヴィブラートを、軽くだけど効かせるようになっている。随所で聴けるというほどではない。ワン・フレーズの終わりで一音程をサステインしながら強めに声を張るところで、軽く、震わせている。

 

 

発声じたいも強さが増しているよね。いままでのキュートでポップな可愛らしいヴォーカル・トーンを控え、ややドスの効いた迫力を表現するようになっているじゃないか。中低音域を強調したような「佐渡の鬼太鼓」のメロディ・ライン(作曲は後藤康二)の、その動きにあわせ、それを効果的に聴かせるべく声の出しかたも変えて、工夫している。

 

 

そんな美咲のヴォーカル表現の変化を「大人」への脱皮と言えるかどうか、僕にはわからない。アイドル歌手から本格演歌歌手への「成長」と呼ぶのもすこし違うかもしれない。美咲は提供された楽曲に合わせて、変幻自在に自己の姿をチェンジさせられる柔軟性を備えているのだ、と見るのがふさわしいように僕は思う。

 

 

だから「佐渡の鬼太鼓」という本格情念演歌がいちばんリスナーに伝わりやすい表現法を美咲はとっているんだろうね。女の強い決意を示した歌だけど、ヴィブラートで声を震わせているのは、演歌的歌唱法云々という部分もあるだろうが、同時に、歌のなかの女の決心にまだ100%の自信がないという、愛心の揺らぎを表現しているものだとも解釈できる。揺らぎながら、しかし声じたいは非常に強く、確信に満ちて伸ばしているけれどね。

 

 

カップリング曲。「夢芝居」は梅沢富美男との舞台での共演がきっかけで歌うことになったのだろうか。梅沢には思い入れがない僕だけど、曲「夢芝居」は、実はわりと好きなのだ。レコード発売時にテレビの歌番組(含む『紅白歌合戦』)に梅沢がどんどん出演していたのを鮮明に憶えている。

 

 

「夢芝居」で僕がいちばん好きなのは、あのストリングスを中心とする伴奏陣が見得を切るように演奏するキメのリフの反復なんだけどね。舞台で大向こうを相手にキメてみせるかのようなあの颯爽としたリフは、いかにも梅沢の本業を地で行くものだ。美咲ヴァージョンでもそれはそのまま使われている。あれを消したら「夢芝居」という曲の魅力半減だから、当然だね。

 

 

しかしそんな見得というか啖呵を切るような曲でも、美咲の声と歌いかたはあんがい素直でナチュラル。梅沢みたいに格好をつけすぎていないのが、僕なんかには好感度大。伴奏アレンジ(今回の四曲のアレンジャーはすべて野中”まさ”雄一)があんなふうに大舞台でキメてみせるようなものなので、美咲のキュートな発声とのギャップがぶつかりあってキラキラし、曲「夢芝居」にスケール感が増している。言っちゃあ悪いが、美咲ヴァージョンは梅沢ヴァージョンよりだいぶ上をいっている。

 

 

オリジナルの上をいくといえば、これもそうだと思うテレサ・テンの「空港」。今回のニュー・シングル二枚に収録の四曲のなかでの白眉がこれだ。えっ?テレサの上?ウソ言え!と、みなさんに突っ込まれそうだけど、テレサの1974年オリジナル・シングル・ヴァージョンと美咲のと両方を、なんどもなんども連続リピート再生し、これは間違いないと確信するに至った。

 

 

テレサの「空港」。オリジナル・シングル・リリースの1974年には、テレサはまだ日本の歌謡界でのキャリアが浅かった。たしか二枚目のシングル。日本のプロ・ライターが書く曲にも慣れていなかったかもしれないし、日本語で歌うことには明らかにまだ不慣れなところが聴ける。たぶんその言葉の壁が最大のハードルだったんだろう、「空港」におけるテレサの歌には(日本語歌手としては)未熟さが散見する。

 

 

それに対し美咲の「空港」。2月27日発売のシングルをいつごろ録音したのかわからないが、もっと前からレパートリーに入っていて、歌い込んできている。2月4日の恵比寿でも歌われたが素晴らしい出来栄えだった。もはや完璧に美咲のオリジナル・レパートリーと化しているのを、「佐渡の鬼太鼓」カップリング・ヴァージョンでも確認できる。

 

 

「空港」では、「佐渡の鬼太鼓」「夢芝居」で聴ける、ややドスの効いた迫力や、見得を切るような歌唱ポーズや、ヴィブラートなどはいっさいなしだ。つまり、やっぱり美咲はなんの曲を歌うときでも、その曲の持ち味にあわせ、その歌そのものが持つ本来の魅力を最大限にまで発揮できるべく、歌唱法をカメレオンのように変貌させることができるヴァーサタイルさを持っている。

 

 

ナチュラルでスムースでストレート、ナイーヴな歌いかたで「空港」を歌いこなすことで、この別れ歌が持つ、そっと男のそばから黙って離れていきたいというひそやかな情緒を、実にうまく表現できていると僕には聴こえるけれどね。こんな素直な声と歌いかたで「私はひとり、去っていく」とそっと置くようにささやくのが、も〜う、沁みて沁みすぎて…。

 

 

今回のカヴァー曲三つのうち、唯一オリジナルを超えていないと言わざるをえないのが「下町の太陽」。初演は倍賞千恵子。倍賞ヴァージョンには、あの声の色そのものが持つ独特の憂い、翳りがあるんだ。う〜んと、うまく言えないが倍賞の声には陽と陰とをあわせ持つような、なんというかアンビヴァレンスがあって、それでもって「下町の太陽」みたいな内容の歌を、特別の感情も込めず淡々とやるもんだから、この動画付きヴァージョンを観聴きして、僕は泣いちゃった。

 

 

 

ところでこの倍賞ヴァージョンでも美咲ヴァージョンでも、アクースティックな弦楽器が聴こえ、それは明らかにギターじゃない。マンドリンじゃないかなあ。ブズーキ(ギリシアの楽器)かもしれない?ような音色だ。でもホントになんだろう?美咲ヴァージョンをアレンジした野中”まさ”雄一は、倍賞ヴァージョンのそれをそのまま使っていると思うんだけど、あの弦楽器がなにかお聞きしてみたい。まあたぶんマンドリンなんだろうね。

 

 

もう一点。美咲ヴァージョンの「下町の太陽」では、左チャンネルでエレキ・ギターが裏拍で(ン)ジャ(ン)ジャと刻んでいる。まるでレゲエのビート感。以前、八代亜紀の「舟歌」オリジナルでもレゲエ・カッティングが聴こえると指摘したけれど、アバネーラなど汎ラテン・ビートだけじゃなくレゲエも、演歌や歌謡曲にあって不思議じゃないのだろう。

 

 

しかも美咲ヴァージョンの「下町の太陽」で聴けるそのエレキ・ギターのレゲエ・カッティングは、グチョグチョっていうつぶれた音色で、まるでちょっぴりホット・ワックス/インヴィクタス系(って、これ、通じる言葉なのか ^_^;?)。だから美咲の「下町の太陽」は、歌そのものの魅力では倍賞におよばないものの、また違った、美咲ヴァージョンでしか聴けない独自のおもしろさを湛えている。

2018/04/08

ふつうにやって傑作が仕上がったシェウン・クティ『ブラック・タイムズ』

 

 

なんだかんだ言ってやっぱりこ〜りゃものすごいと皮膚感覚でわかるのがシェウン・クティ&エジプト80の『ブラック・タイムズ』。なにがすごいって、このあまりにナマナマしい肉感ビートの激しさだ。一曲目「ラスト・リヴォルーショナリー」冒頭から一気に頂点に達してしまう。やかんを火にかけた途端に一瞬で沸騰したみたいな、あるいは走り出した瞬間にトップ・スピードになるチーターみたいな。

 

 

しかもシェウンの『ブラック・タイムズ』では、アルバムの最後の一音が消える瞬間まで、沸騰したお湯がグラグラ煮立ったままというか、全速力のままでチーターが駆け抜けるかのようなというか、そんなものすごさなんだよ。激しい疾走感と絶頂感と緊張感を持続したまま、一瞬たりともそれが緩まず、62分間を駆け抜ける。なんというパワーなんだ。こんな音楽家、いまどきほかにいるのか?

 

 

シェウンの『ブラック・タイムズ』では、アルバム・タイトル・ナンバーの二曲目で、あのカルロス・サンタナがゲスト参加で弾いているというのが大きな話題になるはず。いちおうプロデューサーがロバート・グラスパーだというのが(日本盤での)いちばんの宣伝文句なんだけど、どこにも一文字も Robert Glasper の記載がないよ。アルバムの音を聴いても、たぶんグラスパーはなにもやっていないな。と思って老眼鏡かけてじっくり見たら、ブックレットの最後の謝辞コーナーに小さい字でたくさん名前が並ぶそのなかのひとりとしてグラスパーもいた。

 

 

まあロバート・グラスパーやなんかが参加しているというのは聴取意欲を削ぐマイナス要素でしかないので、見つからなくて結構。カルロス・サンタナは二曲目「ブラック・タイムズ」でたしかに大きくフィーチャーされ、いつものあの過剰な情緒をまきちらすスタイルで弾きまくっている。だが、シェウンはサンタナを特別扱いしていないのがイイ。

 

 

シェウンとカルロス・サンタナとでは音楽界において大きなキャリアの違いがあるわけだから、ふつうだったらギター・プレイのためのスペースをバンド・サウンドのなかで用意して、それで存分に弾いていただきたいという創りかたになるんじゃないかな。ところがシェウンはそれをしていない。バンドはバンドでふつうに演奏していて、サンタナのことは「(ケアしないから)勝手にやってて」みたいな使いかたなんだよね。

 

 

カルロス・サンタナのギター・プレイが大好きなことこの上ない僕だけど、大先輩を特別扱いしないシェウンの肝のすわりかたに感心する。リズムもホーン・セクションもふつうにやり、シェウンも歌い女性バック・コーラスもそのままな、その上でサンタナがあんな感じで弾くから、曲「ブラック・タイムズ」のサウンドはゴッチャゴチャで整理されておらず、<濁って>いる。そこが素晴らしくイイ。

 

 

サウンドをあえて整理せず濁らせることで、バンドとシェウンとカルロス・サンタナ、三者とものエネルギーがそのままのフル・スケールでストレートに表出されている。これで大正解なのだ。プロデューサー?であるロバート・グラスパーにこんな仕事ができるとは思えないから、やっぱりかかわっていないんじゃないかな。

 

 

ブラック・ミュージックで音をわざと濁らせ、エネルギー、パワー、セクシーさ、ブルージーさを際立たせるという手法は、もちろん古くからある。アメリカ黒人音楽でならデューク・エリントンのジャングル・サウンドが1920年代後半から確立されていた。数十年後のファンク・ミュージックもそう。それらはもともと DNA 的に継承された祖先たるアフリカの記憶だったのかもしれないから、シェウンのアルバム『ブラック・タイムズ』は、まあそんなようなもんだよね。ジェイムズ・ブラウンとフェラ・クティ。

 

 

また、シェウンの『ブラック・タイムズ』では、すべての声と楽器がパーカッションと化している。最もパーカッシヴなのが、打楽器ではなくシェウンのヴォーカルだ。短いパッセージをリズミカルに叩きつけるように吐き出して、しかも一声一声、超パワフル。まるでベース・ドラムスを連打しているかのような歌いかたに、僕には聴こえるね。

 

 

しかもドラマーがいちばん目立つように頻用するのがベース・ドラムなんだ。録音のためかミックスのためかわからないが、ベース・ドラムのお腹にズンズン来る音が大きめに聴こえ、それが、やはりドラムみたいなシェウンのヴォーカルとからんだり、ユニゾンでシンクロ進行したり。ホーン・セクションとリズム隊がユニゾンしたり、エレキ・ギター・カッティングやバック・コーラスもリズム・セクションの上にキレイに乗るのではなく、激しく同調しながら進行する。

 

 

そうやって『ブラック・タイムズ』でのシェウンは、このポリリズミックな音楽に一種のシンプルさと、一聴それとは裏腹そうなエネルギッシュなケイオス状態を同居させ、すべての曲に最大限のパワーと訴求力を与えることに成功しているんだよね。父フェラは、それをレコード片面相当の長尺曲でジワジワと盛り上げ成し遂げていた。息子シェウンは2018年ヴァージョンの正統アフロビート・アップデイトとして、それを最長でも九分間内にギュッと濃縮している。

 

 

六〜九分は、ポップ・ミュージックの約三分に慣れた耳には長く聴こえるのかもしれないが、このサウンドの濃度によって冗長さなんか微塵も感じないというふうで、むしろあっという間だとすら思わせるスピード感に脱帽するしかない。濁ったサウンドの濃密さ、濃厚さ、バンドの一体感と重厚なグルーヴ、爆発するエネルギー、どんなタフな人間でも瞬時にイカせてしまう一気の快感 〜 シェウンの『ブラック・タイムズ』は、いまのアフリカ音楽の頂点に…、というだけじゃない、2018年の音楽を代表する大傑作に違いない。

2018/04/07

子は親を継がなきゃいけないの?

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僕は男ばかり三人兄弟の長男でして。この「長男」だとか(次男だとか)いう概念も大嫌いなんですが。だってその順番でこの世に出てきたというだけのことでしょ。そこに子供自らの意思とか選択はないわけです。それなのに、あんたは長男なんだからお兄ちゃんなんだから○○○しなさい、○○○じゃないとダメだ、○○○すべきだとか、そ〜りゃもう小さい時分から成人年齢になるまで、いや、大学を卒業してもなお、言われ続けたんです。

 

 

だいたい大学を卒業して東京の大学院に進むというときも親と大喧嘩になりまして。二人のうち一人からは「まるで子供が四人いるみたいだ」とまで言われ、もとからカッとしやすい僕ですが、さすがにこのときは尋常ならざるほど頭に血が上ってわめき散らし、そこいらへんのものに当たりまくり。二人のうちもう片方が、その一人を諌めて、僕にも謝ってくれたので、まあ。

 

 

「まるで子供が四人いるみたいだ」と口走ったほうの親は、もとから子は親を継ぐものだ、大人になったら老いた親の面倒を子が、特に長男が、見るべきだ、それが子(長男)のツトメである、あんたは跡取りなんだから、という考えの持ち主で、それはもう骨の髄までこの発想が染み付いていて、それがふつうの人間の正常な思考であると、世の全家庭に当てはまると、1ミリたりとも疑っていない人間です。

 

 

頭のなかでそう考えているだけなら、なんというか古式ゆかしき考えかたなだけで、時代錯誤だなと思うものの、べつにいいんじゃないでしょうか。実の子(長男)に面と向かって繰り返し刷り込むように発言しなければですね、いいです。関係ないです。でも、そうです、その親は僕に、長男だからということで、その長男だからというのを明示的に発言のなかに入れながら、上記のような内容をなんどもなんどもなんどもなんどもなんども、子供時分から大人になっても、僕に、言ったのです。

 

 

実を言いますと、これはいまでも言われます。もうウンザリするばかりで、僕も感覚が麻痺していて大丈夫なんですが、それでもやはり腹がたつこともあります。ましてや若かったころは、なんど激しくお湯を沸かしたか、わかりません。お湯を沸かすといっても、ある時期以後は僕の心のなかでだけ、なんですが。

 

 

僕の生家は青果食料品と生花などをあつかう小売店ですが、これは僕の父方の祖父がはじめたお店です。父には兄が何人もいますが、全員がこの店をやらず違う仕事に就いて、結局、末子である僕の父が、なんといいますか、無理やり二代目を押し付けられたような格好になりました。そのため、父は大学にも行かせてもらえませんでした。僕が成人して以後、なにかの折に親戚が集まると、伯父たち、特に東京大学医学部卒で精神科医だった伯父に、「久の父ちゃんには悪いことをした」「お店を継ぐのを無理強いした格好になったせいで、若いころ、久の父ちゃんはちょっとグレてたんだよ」と、言葉をいただくこともありました。

 

 

父がどうしてあんなに音楽が好きで、どうしてあんなにビリヤードが上手いのか、父があるとき僕についてきたら、ビリヤード場のオヤジさんが目を丸くしてビックリ仰天して、一戦お願いしますと申し出るほど上手いのか、上のような伯父の言葉でようやくわかりました。遊んでいたのは、母との結婚前〜結婚直後あたりだったそうです。

 

 

母の回想によれば、結婚当初、父は閉店まで仕事をするものの、日が暮れてお店を閉めたらレジにあるお札を鷲掴みにしてはバイクに乗って街へ出かけ、深夜まで帰ってこなかったそうです。あまりにも毎夜毎夜遅いので、母は異性との浮気を疑って、ツテを頼んで調べてもらったそうです。その結果、ビリヤード場通いが判明し、母はビリヤードがなんなのかそのときまでまったく知らなかったそうですが、「大丈夫だ、朝子さん、康博さんに女はおらん」と明言されたそうです。だいたい父は母とお見合い結婚で、根から女性関係にはかなり疎かったようです。その代わりというか、音楽とかビリヤードとかスポーツとか、その手の遊びには詳しかったです。

 

 

僕が長子として誕生してからは、父も人が変わったように遊ばなくなり、息子が三人できてからは真面目一本槍で生きました。僕ら息子三人は、ですから真面目人間時代の父しか見ていませんので、結婚前後の父のそういったエピソードは、ずいぶんあとになってから聞いたことです。小さなお店の売り上げだけで男三人を育てるのは大変だからというので、紹介してくださるかたがいて消防士になって、お店と両方やりました。公務員は兼業禁止なので、お店の登録名義は母のものです。

 

 

そんなお店を、僕を含め子供三人は、継ぐ気など毛頭ありませんでした。長男が継ぐべきもの、長子は親の仕事をそのまま継ぎ、まあ要は跡取りってやつですか、そういうものになって、仕事も継ぐが、家のことなど諸々引き継いで、最終的には老いた親の面倒を見るべきものだという 〜 こんな考えに、特に僕が共感できたことなど、いままでの56年の人生で一秒たりともありません。もちろんいまでも微塵もありません。

 

 

しかしこれを僕の(片方の)親は僕に面と向かって繰り返し言ったんですよ。そ〜りゃあも〜う!嫌な気分になったなんてもんじゃなかったです。ま〜ったく合理的に納得できませんから。これっぽっちも理解できません。いまでも。親戚や周囲のご近所さんも、同じことを長男である僕に言うのですが、さすがに親以外の人間に対しいくら頭に来ても当たることなどできず、内心で激しく憤っただけです。

 

 

そもそも僕は22歳で実家を離れるまで、お店を手伝った記憶がほとんどありません。この点ではよく手伝っていた弟二人と大きく違います。お店が忙しくとも、僕は自室で本を読んだり、勉強したり、レコードを聴いたりなどしていました。階下から「久〜!降りてきて手伝いなさい!」との怒号が飛びますが、無視してアンプのヴォリュームを上げ、ページをめくっていました。

 

 

そう、僕は本を読んだり、それで研究したり、勉強したり、音楽を聴いて楽しんだり考えたり、それらに夢中で、それらしかしたくない人間なんですよ。そのまま体だけ大きくなって、いまや自ら年老いつつある入り口に立っていますが、まったく変わっていませんね。

 

 

子は、親を継がないといけないのでしょうか?不肖の息子、不甲斐ない兄とは、なんでしょうか?たしかに職種によっては血縁で代々引き継いでいくばあいも多いですが、それでも人間の根本的ありようとして、子は子、親は親です。「他人」なんです。兄と弟も他人ですから。親がどうだろうと関係なく、自分のやりたいことをやって、自分の人生を進めばいいのではないでしょうか?結果的に同職となろうがなるまいが、あるいは才能がなく不出来であったとしても、それがそのひとの人生です。

 

 

ストレートに親を継ぎ、それを立派に継承し表現できる才能があって見事な表現ができて、その上ヴァージョン・アップもできる子は、そりゃ文句なしに立派です。素晴らしい人生ですが、継いでなお才覚なく不出来である子、親とは違うことがしたい子、そもそも継ぐ気なんかサラサラなく、まったく違う職種でうまくいったりいかなかったりする子。みんな、人間ですから。


 

 

 

かつての自慢の息子、兄より。

2018/04/06

フィルモアのマイルズ 1970

 

 

マイルズ・デイヴィス・バンドのフィルモア出演は、以下でぜんぶのようだ。コロンビアはこれらを残さず録音したはず。公式リリースされている日の右には * 印、公式盤はないがブートレグでなら聴ける日の右には + 印を付けた。印の右がその公式盤タイトルとリリース年。日付の下は当日の同じステージに立ったバンド。いわゆる対バンってやつ。マイルズは必ず前座だった。

 

 

1970年

 

 

East

 

3/6

 

3/7 * Live At The Fillmore East (March 7, 1970): It's About That Time (2001)

 

(ニール・ヤング&クレイジー・ホース、スティーヴ・ミラー・バンド)

 

 

West

 

4/9

 

4/10 * Black Beauty (1973)

 

4/11 * (partially) Miles At The Fillmore: Miles Davis 1970: The Bootleg Series, Vol. 3 (2014)

 

4/12

 

(グレイトフル・デッド、ストーン・ザ・クロウズ)

 

 

East

 

6/17 *+

 

6/18 *+

 

6/19 *+

 

6/20 *+

 

Miles At The Fillmore: Miles Davis 1970: The Bootleg Series, Vol. 3

 

(ローラ・ニーロ)

 

 

West

 

10/15 +

 

10/16

 

10/17 +

 

10/18 +

 

(リオン・ラッセル、シー・トレイン)

 

 

1971年

 

 

West

 

5/6

 

5/7 +

 

5/8

 

5/9

 

(エルヴィン・ビショップ・グループ、マンドリル)

 

 

フィルモアではないが、マサチューセッツにあるビル・グレアムのタングルウッドへの出演がある。

 

 

1970/8/18 * Bitches Brew: 40th Anniversary Deluxe Edition (2010)

 

(サンタナ)

 

 

 

言うまでもなく、上記2014年リリースの四枚組に収録されている1970/6/17〜20は、もとは編集されて一日あたり LP 片面となり、二枚組で1970年10月に発売されている。それが『マイルズ・デイヴィス・アット・フィルモア』。

 

 

さて、マイルズのフィルモア(など)出演のきっかけは、コロンビアのクライヴ・デイヴィスが、前1969年8月録音の二枚組『ビッチズ・ブルー』のプロモート活動として、フィルモアのビル・グレアムに売り込んだというのが真相のようだ。1970年いっぱいのフィルモアなど出演は、要はそんな宣伝活動の一環だった。それくらい『ビッチズ・ブルー』に力が入っていた。ロック・マーケットにアピールするために。

 

 

『ビッチズ・ブルー』のアメリカでのリリースは1970年3月30日。だからその直前、3月のフィルモア・イースト出演は、この二枚組発売のいわば<予告>をクライヴ・デイヴィスがやったようなものだった。このメガ・ヒット・レコードが発売された正確な日付はそうだけど、まあ4月リリースとして差し支えない程度の時期だよね。

 

 

1970年4月リリースの『ビッチズ・ブルー』と、相前後しそれにともなう一連のフィルモア出演は、マイルズによるザ・シックスティーズ決算とロックの時代への突入を意味するという面もあった。ここで言う the 60s とは、その10年間のことではなく、あの時代のことだ。公民権運動やジョン・F・ケネディ暗殺やヴェトナム戦争や、そしてロック/ポップスのサブカルチャーがのしてきたあの時代のことだ。

 

 

ビル・グレアムのフィルモアというロック・ヴェニューは、まさにそんな時代のサブカルチャー・ミュージックの殿堂だったんだよね。グレイトフル・デッド、オールマン・ブラザーズ・バンド、フランク・ザッパのマザー・オヴ・インヴェンション。だからそこへ連続出演したマイルズは、ザ・シックスティーズ・サブカルチャーへの侵入を試みたと解釈してもいいんじゃないかな。マイルズ・インヴェイジョン。

 

 

デッド、オールマンズ、マザーズの三者の名前をあげたのは、1970年前後にロック・フィールドでインプロヴィゼイション・ミュージックをやっていた代表格として、そして三者ともその時期にフィルモアでライヴ収録したアルバムをリリースしているからというのが理由だ。マイルズ・バンドも同じ場所に出演し、これら三者と同じような領域、世界に踏み込もうとした。

 

 

上記三者もそうであるように、ロックの多くがギター、それもアンプリファイされたエレキ・ギターの、しかも歪ませたサウンドを中心に据えて音楽を構成していたのは言うまでもないが、マイルズ・バンドのばあい、レギュラー・メンバーとしては1972年のレジー・ルーカスまで専属ギタリストはいない。

 

 

これはいま考えたらやや意外な気もする。以前詳述したようにマイルズという音楽家は、和音楽器としてはどうもギターよりもピアノやシンセサイザーなど鍵盤楽器のほうを重用していたと思えるフシがあるよね。それでも1968〜75年のマイルズ・ミュージックは、ジェイムズ・ブラウン/スライ&ザ・ファミリー・ストーン/ジミ・ヘンドリクス期と言ってもいいくらいなんだから、もっと早くにギター中心のサウンド創りをしてもよかったような気がする。

 

 

 

その代わりにというか1970年3月のフィルモア・イースト初出演から、フェンダー・ローズのチック・コリアはリング・モジュレイターを頻用するようになる。いちばん上のプレイリストで聴いていただいてもおわかりいただけると思うけれど、エレピのサウンドにエフェクターをかませ歪ませたり飛ばしたり。フィルモア期のロック・マイルズでは、これがエレキ・ギターの代用・補充だった。

 

 

特に『ブラック・ビューティ』になっている1970/4/10のフィルモア・ウェスト公演。ここでのチックのフェンダー・ローズのサウンドはものすごい。まんま超ナスティーでダーティーだ。ひとによったら、いままで聴いた全フェンダー・ローズ・サウンドのなかでもいちばんだとか、 "Sick!!!!! This is the nastiest rawist fender roads sound I've EVER heard" "This is heavier than some guitar sounds of that era" だとかいうことになるらしい。

 

 

 

それでもハード・ロック好きの僕から言わせてもらえれば、ファズ(ディストーション)を使ったエレキ・ギターのエフェクト・サウンドには、やっぱりナスティさで敵わないよなと思うんだけど、この1970/4/10のチックのフェンダー・ローズは、なんだかんだ言ってジャズ・サイドに置かれる音楽で聴けるものだから、そう考えれば、たしかに nastiest なのかもしれない。

 

 

少なくとも1970年ごろのロック・バンドにおいてエレキ・ギターが果たしていた役割を、70年のマイルズ・バンドではリング・モジュレイターを使ったチックのフェンダー・ローズが担っていたというのは間違いない。このあと二年で実際にエレキ・ギタリストを常用するようになるマイルズだけど、けっこう保守的なこの音楽家にしては1970年時点で精一杯頑張ってここまで持ってきているってことかなあ。

 

 

フェンダー・ローズにリング・モジュレイターをかませるのは、でもたぶんボスの指示じゃなくチックのほうのアイデアだったかもしれないと僕は考えている。マイルズに電気トランペットを提案したのもチックらしいから、1970年前後にバンドのエレクトリック・サウンド化、ロック化に、ある意味、チックが主導権をすこしとっていた可能性があるかもしれない。

 

 

ベースは、1970年の上記フィルモア出演分でいうと、10月からファンカー、マイクル・ヘンダスンに交代している。しかしその前の3〜8月までのデイヴ・ホランドも、6月のフィルモア・イーストまではまだウッド・ベースも併用するものの、それはジャジーな4ビート・ナンバーでだけで、ロック/ファンク・テイストの曲ではエレベしか弾かなくなっているよね。

 

 

ドラムスのジャック・ディジョネットは3月のフィルモア・イーストではまだまだジャジー。ジャズ界における1960年代ふうのフリー/アヴァンギャルド系のドラミングに近い。ところがそんなジャックも、これまた『ブラック・ビューティ』になった4/10ウェスト公演からはタイトでソリッドなロック・ドラミングに変貌。

 

 

オープニング・ナンバーの「ディレクションズ」(ジョー・ザヴィヌル作)がわかりやすいので聴き比べてほしい。『ブラック・ビューティ』の4/10フィルモア・ウェスト公演におけるジャック・ディジョネットは、手数を控えシンプルに叩いて明快なグルーヴを生み出しているよね。特にスネアをバン、バンと入れるのがロックで、ノリもいい。それがチックのナスティなフェンダー・ローズ・サウンドとからんで、この上ない快感なんだよね、僕は。

 

 

当日の演奏曲じたいも、1969年のいわゆるロスト・クインテットでのライヴで演奏していたものと、ほぼレパートリーは変化していないのに、中身の演奏はまるで違う曲をやっているかのようだ。70年でも3月のフィルモア・イーストと4月のウェスト以後ではかなり違う。4月にはリズムもシャープに締まり、ストレートに直進疾走しているよね。

 

 

それらとは異なるバラード・タイプの曲や、また「ビッチズ・ブルー」「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」のようなミドル・テンポのブルーズ・ナンバーでは、それまでのフリー・ジャズ・バラードな側面が消えて、ブルージーなロッカバラードに変貌しているじゃないか。

 

 

そしてそれらすべて、結局、フロントで吹く主役トランペッターがかっさらっている。フレイジングじたいは1960年代末ごろからのクロマティック・スケール中心の組み立てとほぼ違わないが、トーンに力強さや荒々しさが増し、先週も書いた言葉だが英単語の形容詞 fierce がピッタリ来るような吹きかただ。まあバンド全体が fierce なんだけど。

 

 

そんな荒れ狂うようなバンド・サウンドやトランペットの吹きかた。これまた先週書いた1960年代前半の公民権運動と強く共鳴していたようなあのトーンを、ここ1970年のフィルモアでもまだマイルズ(・バンド)は持っていたように聴こえる。今日、上のほうでも書いたように、あのザ・シックスティーズへのシンパシーを、ここでもマイルズは<音楽で>表現したと言えるんじゃないかな。

2018/04/05

メル・トーメのベスト作であろう成熟ライヴ

 

 

録音年月日が判然としないメル・トーメのライヴ・アルバム『メル・トーメ・アンド・フレンズ、ライヴ・アット・マーティーズ』。ニュー・ヨークのナイト・クラブでライヴ録音した二枚組レコードの発売は1981年だったと、ネット情報にある。大学生のころの愛聴盤だったから、それくらいだよね。なにを隠そう、これが初メル・トーメ。幸せな出会いだった。

 

 

あっ、録音時期については Allmusic のサイトに1980年6月12日〜81年8月27日と記載があるのが見つかった。これしかし、一年以上のタイム・スパンがあるじゃないか。じゃあその間ずっとメル・トーメはニュー・ヨークのマーティーズに出演していたってこと?レギュラー的に?う〜ん、でもこの Allmusic サイトの情報を信用するとしても、これじゃあ参考になりにくい。

 

 

いずれにせよ、『メル・トーメ・アンド・フレンズ、ライヴ・アット・マーティーズ』は、メルの生涯ベスト・アルバムだと思っている。それが僕の意見。そしてメルのファンもこの見解を共有しているばあいが多い。アルバム・タイトルにあるように、メルの友人たちを招いて共演したのが最大の聴きものというか看板だけど、それは CD だと全18トラックのうちの、CD だとたった4トラックにすぎない。

 

 

「CD だと」と繰り返しているのは、二枚組 LP のリイシュー CD だとときどきあることだけど、CD 一枚におさめるために数曲カットされているからだ。『メル・トーメ・アンド・フレンズ、ライヴ・アット・マーティーズ』だと、LP 一枚目 B 面にあったジェリー・マリガン・メドレー(三曲)と、二枚目 A 面にあった「チェイス・ミー・チャーリー」。この2トラックがリイシュー CD でオミットされている。残念無念。

 

 

特にフレンズのひとりジェリー・マリガンを迎えてやっているメドレーはかなりよかったという記憶がある。マイルズ・デイヴィスのあの『クールの誕生』にある「ミロのヴィーナス」もやっていたんだよね。う〜ん、もう一回聴きたかったが…。いちばん上でリンクを貼った Spotify にあるやつもリイシュー CD と同じ内容だ。残念。

 

 

しかもその CD リイシューはかなり遅かった。1998年まで待たなくちゃいけなかったんだよね。二枚組レコードで『メル・トーメ・アンド・フレンズ、ライヴ・アット・マーティーズ』の素晴らしさを体験していたファンで CD 派の人間は、そ〜りゃあ待ったなんてもんじゃない。待って待って、待ち焦がれての1998年だった。

 

 

ここまで音楽の中身とはあまり関係ない話だった。『メル・トーメ・アンド・フレンズ、ライヴ・アット・マーティーズ』は、全曲ピアノ・トリオが伴奏で、そのメンツは微妙に入れ替わる。メル自身がピアノを弾くパートもあるけれど、サウンド的にはアルバム全体が完璧に統一されている。いかにもナイト・クラブで心地いい時間を過ごしているようなリラックス・ムード横溢だ。

 

 

フレンズの中身は、上でも書いたジェリー・マリガン(バリトン・サックス、9「ザ・リアル・シング」)、ジャニス・イアン(ヴォーカル、5「シリー・ハビッツ」)、サイ・コールマン(ピアノ、14「ザ・ベスト・イズ・イェット・トゥ・カム」)、ジョナサン・シュウォーツ(ヴォーカル、17「アイ・ゲス・アイル・ハフ・トゥ・チェインジ・マイ・プラン」)。

 

 

こう書いてみると、つまり参加しているフレンドが書いた曲をその当人を迎えてやっているわけだね。17曲目の「アイ・ゲス・アイル・ハフ・トゥ・チェインジ・マイ・プラン」は、ジョナサンの父、アーサー・シュウォーツが書いているものだし。それ以外は正真正銘参加しているフレンドが書いたオリジナルだ。

 

 

それらフレンド参加の四曲のなかでは、メル・トーメ・ファン、ジャズ・ヴォーカル・ファンのみなさんは、おそらくサイ・コールマンの「ザ・ベスト・イズ・イェット・トゥ・カム」とジョナサン・シュウォーツの「アイ・ゲス・アイル・ハフ・トゥ・チェインジ・マイ・プラン」が一番グッと来るものなんじゃないかな。実際、かなりいいと僕も思う。

 

 

個人的には、ずっと以前に書いたジャニス・イアンの「シリー・ハビッツ」があまりにも素晴らしすぎると、絶品だと、なんて哀しくて切ないんだと、も〜う、ため息しか出ないね。こんな歌詞、こんなメロディ、こんなピアノ・トリオの雰囲気、デュオで歌う男女二人が歌詞内容そのままを演じ分けるあたりの演出、も〜う、こんなの、ほかにない。

 

 

 

「シリー・ハビッツ」にとてもよく似ているなと感じるのが、アルバム2曲目の「ニュー・ヨーク・ステイト・オヴ・マインド」だ。ご存知ビリー・ジョエルの書いた歌。いい曲だからというのと、ビリーのシグネチャー・ソングにしてニュー・ヨーク・シティ(というかマンハッタンだが)賛歌みたいな歌だから、当地のナイト・クラブで歌うレパートリーに入れたんだね、きっと。

 

 

ジャニス・イアンにしろビリー・ジョエルにしろ、ジャズ界の(シンガー・)ソングライターじゃない。メル・トーメは、いちおうジャズ・ファンのなかでこそ最も名前が知られているシンガーだ。しかしアメリカン・ポップスの世界はそんな偏狭なもんじゃないって、みんな知っているよね。えっ?ジャズもロックも、アメリカの同じようなメインストリーム・ポップスなんですよ。

 

 

フレンドを迎えないレギュラー・セットでのパフォーマンスのなかでのクライマックスは、12トラック目の「ポーギー・アンド・ベス・メドレー」になるんじゃないかな。ここではメル・トーメ自身がピアノを弾いている。「サマータイム」ではじまり、「ベス、ユー・イズ・マイ・ウーマン、ナウ」まで、ぜんぶで八曲、ガーシュウィン兄弟の書いたものを速射砲のように次々と短めに織り込んでたたみかける。リズム隊は出たり入ったり。

 

 

おもしろいのは16曲目のアントニオ・カルロス・ジョビン「ウェイヴ」。メル・トーメは大げさに歌って聴衆を笑わせているが、背後のピアノ・トリオの動きに注目してほしい。ボサ・ノーヴァふうにやっているなと思って聴いていると、途中からノリが変化して、黒っぽいブラジリアン・ファンクみたいになっているよね。

 

 

4曲目のジェローム・カーン「ピック・ユアセルフ・アップ」では、ジェイ・レンハートのベース・ソロのあと、メル・トーメとピアノのマイク・レンジーがバロック音楽ふうの掛け合いをやる。ベースとドラムスは休んでいるそれが終わってリズムが再開すると激変し、ノリのいいグルーヴ・チューンになる。ちょっぴりリズム&ブルーズっぽい。

 

 

どうにも切なすぎる7曲目「カテージ・フォー・セール」、ワルツ・タイムにして超グルーヴィな8曲目「テイク・ア・レター・ミス・ジョーンズ」、曲題どおりスウィートさをフルに湛えてやっているロジャーズ/ハートの11曲目「イズント・イット・ロマンティック?」、これも甘いジェローム・カーンの13曲目「ザ・フォークス・フー・リヴ・オン・ザ・ヒル」、どれも絶品だ。

 

 

アルバム・ラストはコール・ポーターの「ラヴ・フォー・セール」。この曲はみんなよくそうやるけれど、メル・トーメもちょっぴりアフロ・キューバンなリズムを使ってあって、4ビート部分とを交互に往復する。ワン・コーラス歌い終わるとアド・リブ・スキャットが炸裂。その後、「素敵なあなた」(Bei Mir Bist Du Schoen)が挿入されるのでオッと思ったら、ベニー・グッドマン楽団の「シング・シング・シング」も出てくる。

 

 

「ラヴ・フォー・セール」では、そうかと思ったらカントリー&ウェスタンになったりもして、そのまま大きく声を張り大団円、『メル・トーメ・アンド・フレンズ、ライヴ・アット・マーティーズ』はお終い。全体的に主役歌手の声の張り、トーンと技巧の円熟味、特にバラード曲ですこしだけかすれ気味のハスキーさを混ぜてセクシーさを漂わせ、表現に深みを見せるところ 〜〜 などなど、メルのベスト作じゃないかと僕は思うんだよね。

2018/04/04

あらさがしをするな 〜 エリック・クラプトン篇

 

 

ノートーリアスなエリック・クラプトンの『アンプラグド』(1992)。でも悪いものばっかりじゃない。僕はいつもいつもこのアルバムのことをボロカスに貶してばかりなので、たまにはいいことを書こう。実際、収録の14曲ぜんぶがぜんぶダメってわけじゃない。小綺麗でこざっぱりしたようなブルーズ弾き語りや、あんな感じの「レイラ」なんかは聴きようがないと思うけれど、いいものだってあるぞ。

 

 

そんなものだけ選り出してみると、下のようになる。数字はアルバムでの曲番号。

 

 

1 Signe

 

4 Tears In Heaven

 

5 Lonely Stranger

 

6 Nobody Knows You When You're Down & Out

 

8 Running On Faith

 

10 Alberta

 

11 San Francisco Bay Blues

 

 

これだったらクラプトン『アンプラグド』のなかでもそんなに悪くない。けっこう楽しめると僕は感じている。1のインストルメンタル・ナンバー「シーニュ」は、なんでもないアクースティック・ギター・フュージョンで、聴きどころなんかないかもしれないが、ジャズ/フュージョン好きにはいけるものだと思うよ。軽〜くて薄〜い感じだけどね。スティーヴ・フェローンのウッドブロックとレイ・クーパーのトライアングルもちょうどいいスパイス。

 

 

まあでもこの「シーニュ」は、完全に僕の個人的な選り好みだから、みなさんにはオススメできない。本当にいいなと思うのはこれ以外の六曲だ。おわかりのとおり、二傾向に分かれている。スウィートでメロウでセンティメンタルなポップ・バラード(「ティアーズ・イン・ヘヴン」「ロンリー・ストレインジャー」「ラニング・オン・フェイス」)と、古い伝承フォーク・ブルーズ(「ノーバディ・ノウズ・ウェン・ユア・ダウン・アンド・アウト」「アルバータ」「サン・フランシスコ・ベイ・ブルーズ」)。

 

 

クラプトンの真価、持ち味の根底のところは、ハードでエッジの立ったブルーズ・ロックというより、甘くて感傷的なポップ・バラードにあるんじゃないかとは、以前、詳述した。『アンプラグド』で聴ける「ティアーズ・イン・ヘヴン」「ロンリー・ストレインジャー」「ラニング・オン・フェイス」もその路線だ。

 

 

 

「ティアーズ・イン・ヘヴン」は、たしか映画の挿入歌だったんだっけ?子供を亡くした歌だよね。シングル CD でリリースされたのが、僕の部屋のどこかにいまでもあるはずだ。『アンプラグド』がリリースされた当時、そ〜りゃもう大人気で、しかも DVD もあって、ギター初心者にとってはちょうどいい教則にもなるものだし、しかもアルバムの全曲が楽譜化(タブ譜付き)されて出版されてもいた。

 

 

僕は DVD と楽譜本も買って、このアルバムのクラプトンのコピーをしていたのだが、いちばんよくやったのが「ティアーズ・イン・ヘヴン」と「ノーバディ・ノウズ」。後者は自分が好きなブルーズ・ナンバーだったから。前者は(元)妻に聴きたいからやってくれとせがまれたから。この『アンプラグド』ヴァージョンの「レイラ」もお願いされていたが、それはやらなかった。

 

 

リゾネイター・ギターをスライド・バーで弾く「ラニング・オン・フェイス」は、スタジオ作『ジャーニーマン』(1992)からの曲。いい曲だよなあ。僕は僕の信じるところにもとづいて自分の道をゆくよという歌詞もいい。「僕たち」になっているけれどね。曲調もスライド・ギターのサウンドも、そんな歌詞によく似合っている。

 

 

「ロンリー・ストレインジャー」は、この『アンプラグド』で初お披露目の新曲だったはず。というかその後もやっていないのでは?セコンド・ギタリスト役のアンディ・フェアウェザローがマンドリンを弾くのがとってもイイ。ケイティ・カスーン、テッサ・ナイルズ二名の女性バック・コーラスもキレイ。こっちは僕だけってこと?ひとり?そこがイイ。

 

 

フォーク・ブルーズ篇。「ノーバディ・ノウズ」。1971年のアルバム『レイラ』に収録されているヴァージョンと違い、この『アンプラグド』ヴァージョンでは、歌の内容とは裏腹に、贅沢三昧で美味しい料理やお酒を飲みまくって騒いでいるような太っちょなありようが聴こえるよね。音って正直だなあ。でもそんなふうに変貌しちゃったこの「落ちぶれ文無しブルーズ」も、なぜだか僕は嫌いじゃない。たぶん、曲そのものが好きだってことなんだろう。ソロ部以外のクラプトンは、指で弦をはじく。

 

 

しかしもっとおもしろいのは「アルバータ」と「サン・フランシスコ・ベイ・ブルーズ」だ。前者は「コリーン、コリーナ」のタイトルのほうで知られている古い伝承フォーク・ブルーズ。おまえ、昨夜はどこで寝たんだ?どこ行ってたんだ?と嘆くもので、レッドベリーのとか、ジャクスン・ブルー・ボーイズのとか、ボ・カーター&チャーリー・マッコイのとか。

 

 

 

 

 

クラプトンはレッドベリー同様に12弦のアクースティック・ギターを弾いて歌う。それのカッティングではじまって、ピアノとバンドが入ってきた瞬間にパッと聴界風景がひろがる感覚が僕は大好き。ソロはピアノのチャック・レヴェルだけ。サウンドのひろがりは12弦ギターだからってだけじゃない気がする。

 

 

次の「サン・フランシスコ・ベイ・ブルーズ」が、クラプトンのアルバム『アンプラグド』でいちばんいいものなんじゃないかと僕は思う。なぜかって、ノヴェルティ風味があって、第二次世界大戦前のジャグ・バンドふうになっているからだ。むろん直接的にはクラプトン本人も体験したに違いない1960年代のリヴァイヴァルで知ったサウンドだろうけれど、古いジャグ・バンドっぽい愉快さがあるじゃないか。いつもシリアスすぎるこの音楽家にしては、そこがかなりおもしろいんだ。

 

 

同じ MTV アンプラグド・ライヴで同じ古参ロッカーのポール・マッカートニーもやっている「サン・フランシスコ・ベイ・ブルーズ」は、ジェシ・フラーが1954年に初演した曲。だからそんな戦前だとか古いブルーズじゃないんだよね。それをクラプトンはとりあげて、ノヴェルティ風味で愉快な感じにして、バンド全員にカズーを吹かせ、自分も吹くという妙味なアレンジ。アンディ・フェアウェザローだけがカズーじゃなくハーモニカでソロをとる。

2018/04/03

僕のエイモスとロニー in『ベター・デイズ』

 

 

これまたベアズヴィル盤の『ポール・バタフィールズ・ベター・デイズ』。だからもちろんウッドストックゆかりのバンド、ゆかりのアルバム。ウッドストック・サウンドというと、真っ先に名前があがるのは間違いなくザ・バンドだけど、もちろんザ・バンドにベアズヴィル盤はない。

 

 

だからこないだ書いた『ボビー・チャールズ』とか、この『ベター・デイズ』あたりが、 ベアズヴィル・レーベルの代表作品ってことになるのかな。日本で<ベアズヴィル K2HD オリジナル・ジャケット・コレクション>と題し紙ジャケットでリイシューされたものを僕は買って、いままで愛聴している。そもそもベアズヴィル盤って、アナログ・レコードは買いにくかったんじゃなかったっけ?あまり知りませんが。

 

 

ボビー・チャールズは『ベター・デイズ』にも関係している。ボビーの曲が一つとりあげられているし、ヴォーカルでも参加しているものがあるんだよね。『ボビー・チャールズ』はザ・バンドの面々が伴奏したようなもんだし、エイモス・ギャレットもジェフ・マルダーも参加しているし、要はベアズヴィル/ウッドストック・コネクションってことだよねえ。

 

 

エイモス・ギャレットといえば、『ベター・デイズ』二曲目の「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」でのギター・ソロがあまりにも絶品すぎていけません。パーシー・メイフィールドの書いた曲で、パーシーはルイジアナ出身の黒人ソングタイター。レイ・チャールズのお抱えで曲を提供し、自分でも歌った。

 

 

いやあ、ホントこの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」でのエイモスのギター・ソロ。星屑ギターと命名したのは長門芳郎さんだっけ?も〜う、たまりません。この曲の歌詞や曲調を、リード・ヴォーカルのジェフ・マルダー以上によく表現できている。こんなギター・ソロ、滅多に聴けるもんじゃありゃしません。

 

 

この「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」のエイモスを知っていると、昨2017年暮れリリースの坂本冬美『ENKA II ~哀歌~』七曲目の「アカシアの雨がやむとき」で聴けるギターで、あぁ、エイモスじゃないか最高だとなってしまうわけだよ。エイモスを彷彿させるなんて、今剛さん、いい仕事だなあ。

 

 

 

ところで、書いたように「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」はパーシー・メイフィールドが書いた曲だけど、ベター・デイズにはロニー・バロンがいるでしょ。ヴォーカルをとる曲もあるけれど、ピアノやオルガンなど鍵盤楽器で大貢献。ロニーが自分のソロ・アルバムでパーシー・メイフィールドの「リヴァーズ・インヴィテイション」をやっているのは、関係あるのか?ないのか?パーシーとロニーは同郷だからというだけか?

 

 

正直に告白するが、ベター・デイズのバンド・メンバーで僕がいちばん思い入れがあるのがロニー・バロンなんだよね。こんなやつ、あんまりいないだろう。ふつうはポール・バタフィールドかエイモス・ギャレットか、そのへんだよねえ。ま、大学生のときに、まだロック・ミュージックもそんなに聴いていないからベター・デイズも知らなかったころ、レコード・ショップで偶然ロニーの『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』(1981年ヴィヴィド盤)に出会って好きになってしまったせいだ。

 

 

 

だから、プロフェッサー・ロングヘアやドクター・ジョンそっくりにピアノやオルガンを弾くひとなんだというのが(といっても僕のばあい、フェスのことはもっとあとで好きになった)僕のロニー・バロン観。だから『ベター・デイズ』では、いまでこそ要所要所でツボをおさえているとわかるものの、最初はどこでロニーらしさが聴けるんだろう?と、ちょっぴり不満もあったわけなのだ。

 

 

そんな不満は二曲目の「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」でのエイモス・ギャレットで吹き飛んでしまったけれど。プリティ・バッドことエイモスの星屑ギター(by 長門芳郎さん?)が聴けるものとして、四曲目の「ダン・ア・ラット・オヴ・ロング・シングズ」もある。これがボビー・チャールズの曲だよね。

 

 

しっかしこんな感じの内容の曲が多いなあ、このアルバム。だからエイモスがハマっていい感じに聴こえるのか?「ダン・ア・ラット・オヴ・ロング・シングズ」では、エイモスに続くポール・バタフィールドのハーモニカ・ソロも星屑だし、それが終わるとスッと入ってくるストリングスも泣ける。弦アレンジはジェフ・マルダー。

 

 

ロニー・バロンのことをもうちょっと書いておく。ロニーが歌うのはアルバム三曲目の「ブローク・マイ・ベイビーズ・ハート」だけで、オルガンも弾いている(ピアノはジェフ・マルダー)けれど、この曲だと、上で書いたような濃厚なロニー・バロン風味、すなわちニュー・オーリンズ R&B っぽいところがあまりわからないように思う。もっとこう、粘っこく転がるようなプロフェッサー・ロングヘアみたいにやる人なんだよね。

 

 

ロニーが歌うのはこの曲だけで、ほかではバック・コーラスにまわっているだけなんで、やっぱり結局『ベター・デイズ』ではこの人のヴォーカルの味はわからないのだが、鍵盤のほう。六曲目の「ベアリード・アライヴ・イン・ザ・ブルーズ」で、いかにもロニー・バロンだというニュー・オーリンズ・スタイルのピアノが聴ける。この曲、ジャニス・ジョップリンの『パール』にバンド演奏ヴァージョンが収録されているあれだよね。多言無用だ。

 

 

もう一個はアルバム・ラストの「ハイウェイ 28」(ロッド・ヒックス)でも、ロニーのそんな、転がりながら粘りつくようなピアノ(プロフェッサー・ロングヘア特許品)が聴けるけれど、もっといいと思うのは、僕の持つ CD にボーナスで収録されれている末尾の三曲のうちの一つ「ルイーズ」だ。だれの曲だか知らないが、1972年8月、ベアズヴィル・スタジオで録音された未発表曲とのこと。まさにニュー・オーリンズ!ネットで探しても音源が出てこない。

 

 

アルバム『ベター・デイズ』におけるほかの曲は、僕が特に言う必要などないはずだ。五曲目「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー」、七曲目の「ルール・ザ・ロード」はほぼ同趣向のサウンドにアレンジしてある。土ほこり舞うような、つまりいかにもウッドストック・サウンドだというようなアクースティックなものだよなあ。

 

 

続く八曲目の伝承ゴスペル「ノーバディズ・フォールト・バット・マイン」(あれっ、やっぱこんな曲ばっかりだなあ、このアルバム、なにがあるんだろう?)。ギター・エヴァンジェリスト、ブラインド・ウィリー・ジョンスンの初演からしてほぼブルーズ化していて、その後の各種ヴァージョンも泥臭いばあいが多い。『ベター・デイズ』でも強烈にブルージーで、さらにマス・クワイアをフィーチャーしたようになっていて、楽器はエレピとアクースティック・ギターとハーモニカだけ。クワイアはやや後ろ気味で、遠景にあるような聴こえかた。それもいい雰囲気。

2018/04/02

ブギ・ウギ・セレブレイション

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1996年にレガシー(コロンビア)がリリースしたコンピレイション盤『ジューク・ジョイント・ジャンプ:ア・ブギ・ウギ・セレブレイション』。かの<ルーツ・ン・ブルーズ>シリーズの一枚で、このシリーズ・プロデューサーはローレンス・コーン。コーンがいなかったらこの戦前音源発掘シリーズは実現しなかった。なんたって火付け役だったあのロバート・ジョンスン完全集二枚組は、コーンのプロデュースだった。

 

 

だから1990年代半ばごろだったと思うけど、ローレンス・コーンが<ルーツ・ン・ブルーズ>シリーズ・プロデューサーの任を解かれたというニュースが伝わってきて先行きが危ぶまれたわけだけど、はたしてこのシリーズは消滅したのだった。コロンビア/レガシーじたい、あのころから戦前音源のリイシューをやらなくなった(としても過言でないほど消極的になった)。

 

 

さて『ジューク・ジョイント・ジャンプ:ア・ブギ・ウギ・セレブレイション』というくらいでブギ・ウギのコンピレイションなわけだけど、これを聴きなおしてみようと思い立ったのは、すこしまえにロバート・ジョンスンのやるブギ・ウギのことを書いたでしょ。あれがキッカケだったんだ。

 

 

 

同じコロンビア系音源だし、たしか『ジューク・ジョイント・ジャンプ:ア・ブギ・ウギ・セレブレイション』にはピアノ・ブギじゃないものがたくさん入っていたはずだよなと記憶していたので、ひっぱり出してもう一回聴いてみた。全18曲で再生時間50分とサイズは小さいが、<ルーツ・ン・ブルーズ>シリーズは、これくらいのものが多い。

 

 

18曲のなかにあるピアノ・ブギ・ウギじゃないものをさらってみると、3曲目、カーリー・ウィーヴァーの「ベイビー・ブギ・ウギ」(1931)、4曲目、チャーリー・スパンド「スーン・ディス・モーニング No. 2」(1940)、7曲目、サー・チャールズ・トンプスン「ミスター・ブギ」(1961)、8曲目、レッド・ソーンダーズ&ヒズ・オーケストラ「ホンキー・トンク・トレイン・ブルーズ」(1953)、11曲目、ハリー・ジェイムズ「ブー・ウー」(1939)、13曲目、カルヴィン・フレイジャー「ブギ・ウギ」(1938.11)、14曲目、エイドリアン・ロニーニ「ホンキー・トンク・トレイン・ブルーズ」(1939)といったところかな。

 

 

1938年のものだけ月も書いておいた理由は、みなさんご推察のとおり、ブギ・ウギ音楽というものが全米に大きく拡散し、猫も杓子もブギ・ウギみたいになったのは、ジョン・ハモンド・プロデュースのかの『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート第一回によってであって、それが1938年12月23日だったから。最大のキッカケだったと思うんだ。もちろんブギ・ウギ(ピアノに限らず)のレコードはその前からたくさんあった。

 

 

上記の七曲以外でも、ピアニスト一人でとか、あるいはピアニスト三人でとか、そういった演奏はアルバムにあまり収録されておらず。ソロは1曲目のメンフィス・スリム「パニック・ストリート」(1961)、15曲目、ジミー・ヤンシー「オールド・クエイカー・ブルーズ」(1940)、17曲目ピート・ジョンスン「ブギ・ウギ」、18曲目、アート・テイタム「テイタム・ポール・ブギ」(1949)だけ。

 

 

これら以外で(ブギ・ウギ・)ピアニストが弾いているものは、5、6曲目のブギ・ウギ・ボーイズ(ミード・ルクス・ルイス、アルバート・アモンズ、ピート・ジョンスン)による「ブギ・ウギ・プレイヤー」パート1&2(1938.12.30)。ピアノものでもこれら以外はヴォーカリストとのデュオや、ピアノ+リズムやといったものばかりだ。

 

 

プロデューサーにしてコンパイラーのローレンス・コーンも、解説文で、ブギ・ウギはブルーズ・ピアノの一つの演奏法と思われているかもしれないが、もっとヴァラエティに富んでいて、スタイルの幅が広いものだったということを示したかったと書いている。その言葉どおりの選曲に、いちおうなっていると思う。

 

 

上で書いたように、ロバート・ジョンスンがきっかけで聴きなおしたので、どうしてもギター・ブギ・ウギに注目してしまう。すると、3曲目、カーリー・ウィーヴァーの「ベイビー・ブギ・ウギ」、4曲目、チャーリー・スパンド「スーン・ディス・モーニング No. 2」、13曲目、カルヴィン・フレイジャー「ブギ・ウギ」の三曲ということになるね。

 

 

えっ?おまえ、チャーリー・スパンドはピアニストじゃないか、あのブラインド・ブレイクの相棒役だった人物じゃないかと言わないで。たしかにそのとおりなんだけど、このアルバム収録の「スーン・ディス・モーニング No. 2」は、たんにギタリスト(記載なし)とのデュオ演奏というにとどまらない。スパンドがピアノを弾き歌っている背後で、ブギ・ウギのあのぶんちゃぶんちゃという典型パターンは、ギタリストが弾いているんだ。

 

 

ギタリストがいるということすら記載がなく、それだけ見るとあかたも一人でのピアノ弾き語りか?という感じなんだけど、ギターが間違いなく伴奏している。それにしてもこのギタリストはだれなんだろう?いることすら記載なしだからなあ。1940年あたりのチャーリー・スパンドといっしょに録音するギタリストというと、リトル・サン・ジョーあたり??どなたか、教えてください。Okeh 05946 です。でもネットにある同原盤ナンバーの同名曲では、なぜかギターが聴こえません。どうなってんの?

 

 

3曲目「ベイビー・ブギ・ウギ」は、カーリー・ウィーヴァーのギター&ヴォーカルにくわえ、クラレンス・ムーアのヴォーカル、そしてだれだか不明のセカンド・ギタリストでやっている。これを聴いても、実はあまりブギ・ウギっぽい印象がなく、というかあの典型パターンが聴けなくて、もっとこう、ギター・ラグなんかに近いよね。

 

 

 

ブギ・ウギでありながら、なおかつラグタイムに近いなんていうのがかなりおもしろいと思う。ピアノ・ブギもそうだと、ブギ・ウギ・ピアノ&ストライド・ピアノと、それらの源流たるラグタイム・ピアノとの関係は密接だと、以前、ウィリー・ザ・ライオン・スミスの記事でも書いた。ギター界でも同様だったのは間違いない。

 

 

それにだいたいカーリー・ウィーヴァーはジョージア・ブルーズの人間だもんね。ジョージア・ブルーズといえばブラインド・ウィリー・マクテル。マクテルにギター・ラグは多いじゃないか。しかもかなりの名人だ。ジョージアにも、ほかの土地にも、ブルーズ・ギタリストでラグタイムを弾く名人は多い。それらとブギ・ウギとは密接な関係があったはずだ。

 

 

1938年11月1日録音のカルヴィン・フレイジャー「ブギ・ウギ」だって、ブルージーでもなければブギ・ウギのパターンも鮮明ではなく、ラグタイム・ギターの、それもかなり素朴なスタイルのものだ。しかも、そのカルヴィン・フレイジャー、このアルバム『ジューク・ジョイント・ジャンプ:ア・ブギ・ウギ・セレブレイション』には収録されていないが、後年こういったものも録音している。題して「ビ・バップ・ブギ」(1949)。

 

 

 

こういうものが収録されていないのは、<ルーツ・ン・ブルーズ>シリーズだから当然ではあるけれど、しかしちょっと残念な限界だ。ピアノやギターでやるブギ・ウギのパターンが、その後、ジャンプ・ミュージックの根幹となって、リズム&ブルーズからロックを産む素地となったことまで示してくれていれば、完璧だったよなあ。ローレンス・コーンにそこまで要求できないけれど。

2018/04/01

こ〜りゃカッコいいミックのソロ・アルバム No.1

 

 

1曲目「ワイアード・オール・ナイト」。冒頭でドラマーがスティックを鳴らしながらカウントし、派手で大きな音のエレキ・ギターといっしょにロックンロール・リフが鳴りはじめた瞬間に、1993年の僕は完全 KO されちゃった。な〜んてカッコイイんだぁ!ミック・ジャガーのソロ・アルバム『ワンダリング・スピリット』。

 

 

ローリング・ストーンズのどのアルバム周辺のソロ・プロジェクトだったのか、いっぽうの雄キース・リチャーズはそのころどんなソロ作を?なんてことはネットで調べればすぐわかるから省略。とにかく1曲目「ワイアード・オール・ナイト」のこのビートにシビレるしかないって〜の。なっかなかないよ、こんなすごいの、ストーンズでも。この一曲目の出だしを聴いただけで、『ワンダリング・スピリット』は傑作だと、1993年の僕は信じたんだった。

 

 

聴き進むにつれ、信じたとおりの素晴らしい内容だとわかってきた。いくらいいからと言っても、やっぱりストーンズのあのまろやかさにはおよばないと思うんだけど、ミックのいままで四枚あるソロ・アルバムではいちばんいいのは間違いないと思う。一作目の『シーズ・ザ・ボス』(1985)がリリース当時 MTV なんかでバンバン PV が流れて話題になっただけで、それ以外のソロ・アルバムなんて相手にしてもらえてない気がするけれども。

 

 

1曲目「ワイアード・オール・ナイト」は、ギターがブギ・ウギのパターンを弾く時間もあるというストレートなロックンロール・ナンバーで、ミックもむかし取った杵柄みたいなもんだけど、1993年らしい音圧と分厚さがあって、そこがだいたいいつもスカスカなストーンズのロックンロールとはかなり違うのだ。

 

 

しかも「ワイアード・オール・ナイト」が終わるや否や、曲間の無音なしで2曲目「スウィート・シング」になだれこむ。曲間のポーズをなくしどんどんつなげちゃうっていうのは、このアルバムのほかの部分でもそうで、つまり1990年代初期の UK クラブ・ミュージックのやりかただよね。そこいらへんはミックも時代の潮流を意識していたんだろう。

 

 

それに2曲目「スウィート・シング」じたいがクラブ・ミュージックだもんね。CD などでお持ちでないかたは上の Spotify にあるので聴いていただきたい。コンピューターで創ったデジタル・ビートはミドル・テンポのいかにもなクラブ・ダンサー。それにアクースティックなパーカッションがからみ、テナー・サックス(コートニー・パイン)が間奏ソロを吹く。ジャジーなフィーリング(アシッド・ジャズふう?)もある。

 

 

クラブ・ビートはこのアルバムにはほかにもある。6曲目の「ユーズ・ミー」。もちろんビル・ウィザーズのカヴァーで、ビルのオリジナル(1972)からして、デジタルなサウンドじゃもちろんないが、クラブ・ミュージック的なニュアンスのグルーヴがあった。クラヴィネットなんかも効果的だよね。

 

 

 

この粘っこいクラヴィネットの使いかたはミックもそのまま継承している。弾いているのはクレジットされているビリー・プレストンかなあ。しかもここでは当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったレニー・クラヴィッツがゲスト参加で、ミックとデュオで歌っている。これもカッコいいリズム&ブルーズ・フィールだなあ。

 

 

しかもこのベースはフリー(Flea、レッド・ホット・チリ・ペパーズ)なんだよね。フリーはほかにもアルバム中数曲で弾いている。『ワンダリング・スピリット』で特に目立つゲストは、これらレニー・クラヴッツとフリーくらいかな。それ以外はストーンズでもおなじみの人脈が堅実に脇を固めている。

 

 

9曲目の「シンク」は、ジェイムズ・ブラウンで有名なあのリズム&ブルーズ楽曲。ミックはしかしストレートなブラック・ビートではなく、突っかかるように進んだり一時停止したりする妙なノリのロック・ナンバーにアレンジしている。ここでも「ユーズ・ミー」同様、コートニー・パインがテナー・サックス・ソロを吹くあいだは1990年代アシッド・ジャズの香り。

 

 

10曲目のアルバム・タイトル・ナンバーはロカビリー・ミュージックとしてはじまる。出だしのギターがちょっぴりチェット・アトキンスっぽいナッシュヴィル・スタイルだけど、途中からエレキ・ギターとドラムスが炸裂してハード・ロックになって、女声バック・コーラスも入る。それでもやはりロカビリー・テイストは薄く残しているのがミックらしいところ。

 

 

ナッシュヴィルと書いたけれど、かの地のカントリー・ミュージックっぽいものだってあるんだ。11曲目の「ハング・オン・トゥ・ミー・トゥナイト」。ドラマーの叩きかたがカントリーじゃなくてロック・ミュージックのスタイルだけど、ミックの書いた曲や全体の構成、アレンジなどはやっぱりすこしカントリーっぽいよね。ペダル・スティール・ギターも入っているよ。

 

 

関係あるのかないのか、アルバム・ラストの「ハンサム・モリー」。この曲題だけでご存知のかたはみなさんご存知のトラッド・ナンバー。アメリカではブルーグラス界でよくとりあげられるものだけど、ボブ・ディランなんかも1960年代初期に録音している。探せばいっぱいあるので、ぜひ YouTube にて "Handsome Molly" で検索してみてほしい。

 

 

ミックはそんな伝承曲「ハンサム・モリー」を、フィドラーひとりだけをしたがえて歌っている。トラッド・フォークみたいで、なおかつケルト伝承曲、アイリッシュ・トラッドのようでもある。フィドルはオーヴァー・ダブしてあるのかないのか?わからないが、クレジットは一名だけど、同時に複数台鳴っているような?

 

 

ここまで書いた曲以外は、まあふつうのロック・ナンバーやバラードだけれど(13曲目の「エンジェル・イン・マイ・ハート」はマット・クリフォードの弾くハープシコードの伴奏で歌うクラシカル・ナンバー)、ミックのアルバム『ワンダリング・スピリット』、オールド・スタイルな従来型と、1990年代前半という時代の潮流を強く意識したものとのバランスが取れていて、2018年においても全体的にじっくり聴きこんで味のある傑作じゃないかなあ。

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