子は親を継がなきゃいけないの?
僕は男ばかり三人兄弟の長男でして。この「長男」だとか(次男だとか)いう概念も大嫌いなんですが。だってその順番でこの世に出てきたというだけのことでしょ。そこに子供自らの意思とか選択はないわけです。それなのに、あんたは長男なんだからお兄ちゃんなんだから○○○しなさい、○○○じゃないとダメだ、○○○すべきだとか、そ〜りゃもう小さい時分から成人年齢になるまで、いや、大学を卒業してもなお、言われ続けたんです。
だいたい大学を卒業して東京の大学院に進むというときも親と大喧嘩になりまして。二人のうち一人からは「まるで子供が四人いるみたいだ」とまで言われ、もとからカッとしやすい僕ですが、さすがにこのときは尋常ならざるほど頭に血が上ってわめき散らし、そこいらへんのものに当たりまくり。二人のうちもう片方が、その一人を諌めて、僕にも謝ってくれたので、まあ。
「まるで子供が四人いるみたいだ」と口走ったほうの親は、もとから子は親を継ぐものだ、大人になったら老いた親の面倒を子が、特に長男が、見るべきだ、それが子(長男)のツトメである、あんたは跡取りなんだから、という考えの持ち主で、それはもう骨の髄までこの発想が染み付いていて、それがふつうの人間の正常な思考であると、世の全家庭に当てはまると、1ミリたりとも疑っていない人間です。
頭のなかでそう考えているだけなら、なんというか古式ゆかしき考えかたなだけで、時代錯誤だなと思うものの、べつにいいんじゃないでしょうか。実の子(長男)に面と向かって繰り返し刷り込むように発言しなければですね、いいです。関係ないです。でも、そうです、その親は僕に、長男だからということで、その長男だからというのを明示的に発言のなかに入れながら、上記のような内容をなんどもなんどもなんどもなんどもなんども、子供時分から大人になっても、僕に、言ったのです。
実を言いますと、これはいまでも言われます。もうウンザリするばかりで、僕も感覚が麻痺していて大丈夫なんですが、それでもやはり腹がたつこともあります。ましてや若かったころは、なんど激しくお湯を沸かしたか、わかりません。お湯を沸かすといっても、ある時期以後は僕の心のなかでだけ、なんですが。
僕の生家は青果食料品と生花などをあつかう小売店ですが、これは僕の父方の祖父がはじめたお店です。父には兄が何人もいますが、全員がこの店をやらず違う仕事に就いて、結局、末子である僕の父が、なんといいますか、無理やり二代目を押し付けられたような格好になりました。そのため、父は大学にも行かせてもらえませんでした。僕が成人して以後、なにかの折に親戚が集まると、伯父たち、特に東京大学医学部卒で精神科医だった伯父に、「久の父ちゃんには悪いことをした」「お店を継ぐのを無理強いした格好になったせいで、若いころ、久の父ちゃんはちょっとグレてたんだよ」と、言葉をいただくこともありました。
父がどうしてあんなに音楽が好きで、どうしてあんなにビリヤードが上手いのか、父があるとき僕についてきたら、ビリヤード場のオヤジさんが目を丸くしてビックリ仰天して、一戦お願いしますと申し出るほど上手いのか、上のような伯父の言葉でようやくわかりました。遊んでいたのは、母との結婚前〜結婚直後あたりだったそうです。
母の回想によれば、結婚当初、父は閉店まで仕事をするものの、日が暮れてお店を閉めたらレジにあるお札を鷲掴みにしてはバイクに乗って街へ出かけ、深夜まで帰ってこなかったそうです。あまりにも毎夜毎夜遅いので、母は異性との浮気を疑って、ツテを頼んで調べてもらったそうです。その結果、ビリヤード場通いが判明し、母はビリヤードがなんなのかそのときまでまったく知らなかったそうですが、「大丈夫だ、朝子さん、康博さんに女はおらん」と明言されたそうです。だいたい父は母とお見合い結婚で、根から女性関係にはかなり疎かったようです。その代わりというか、音楽とかビリヤードとかスポーツとか、その手の遊びには詳しかったです。
僕が長子として誕生してからは、父も人が変わったように遊ばなくなり、息子が三人できてからは真面目一本槍で生きました。僕ら息子三人は、ですから真面目人間時代の父しか見ていませんので、結婚前後の父のそういったエピソードは、ずいぶんあとになってから聞いたことです。小さなお店の売り上げだけで男三人を育てるのは大変だからというので、紹介してくださるかたがいて消防士になって、お店と両方やりました。公務員は兼業禁止なので、お店の登録名義は母のものです。
そんなお店を、僕を含め子供三人は、継ぐ気など毛頭ありませんでした。長男が継ぐべきもの、長子は親の仕事をそのまま継ぎ、まあ要は跡取りってやつですか、そういうものになって、仕事も継ぐが、家のことなど諸々引き継いで、最終的には老いた親の面倒を見るべきものだという 〜 こんな考えに、特に僕が共感できたことなど、いままでの56年の人生で一秒たりともありません。もちろんいまでも微塵もありません。
しかしこれを僕の(片方の)親は僕に面と向かって繰り返し言ったんですよ。そ〜りゃあも〜う!嫌な気分になったなんてもんじゃなかったです。ま〜ったく合理的に納得できませんから。これっぽっちも理解できません。いまでも。親戚や周囲のご近所さんも、同じことを長男である僕に言うのですが、さすがに親以外の人間に対しいくら頭に来ても当たることなどできず、内心で激しく憤っただけです。
そもそも僕は22歳で実家を離れるまで、お店を手伝った記憶がほとんどありません。この点ではよく手伝っていた弟二人と大きく違います。お店が忙しくとも、僕は自室で本を読んだり、勉強したり、レコードを聴いたりなどしていました。階下から「久〜!降りてきて手伝いなさい!」との怒号が飛びますが、無視してアンプのヴォリュームを上げ、ページをめくっていました。
そう、僕は本を読んだり、それで研究したり、勉強したり、音楽を聴いて楽しんだり考えたり、それらに夢中で、それらしかしたくない人間なんですよ。そのまま体だけ大きくなって、いまや自ら年老いつつある入り口に立っていますが、まったく変わっていませんね。
子は、親を継がないといけないのでしょうか?不肖の息子、不甲斐ない兄とは、なんでしょうか?たしかに職種によっては血縁で代々引き継いでいくばあいも多いですが、それでも人間の根本的ありようとして、子は子、親は親です。「他人」なんです。兄と弟も他人ですから。親がどうだろうと関係なく、自分のやりたいことをやって、自分の人生を進めばいいのではないでしょうか?結果的に同職となろうがなるまいが、あるいは才能がなく不出来であったとしても、それがそのひとの人生です。
ストレートに親を継ぎ、それを立派に継承し表現できる才能があって見事な表現ができて、その上ヴァージョン・アップもできる子は、そりゃ文句なしに立派です。素晴らしい人生ですが、継いでなお才覚なく不出来である子、親とは違うことがしたい子、そもそも継ぐ気なんかサラサラなく、まったく違う職種でうまくいったりいかなかったりする子。みんな、人間ですから。
かつての自慢の息子、兄より。
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コメント
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おもしろかったです。
フェミも、戸嶋さんのように、オヤジの仕事なんか継がずに、別なことやればよかったのにねえ。
投稿: bunboni | 2018/04/07 10:50