カヴァキーニョ完全独奏!
だから、超絶技巧をこれでもかと見せつけたような作品かと思われそうだけど、さにあらず。メシアス・ブリットの新作『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』(2017)。このアルバム題("多声カヴァキーニョ")と、しかもオーヴァー・ダブもなしのカヴァキーニョたった一台だけの演奏であることを踏まえれば、なかなかすごい自信の表れだだとわかりはするものの。
それでもやはり技巧見せつけ系の作品じゃあないんだよね。メシアス・ブリット(Messias Britto) はバイーア出身の若手カヴァキーニョ奏者。『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』はセカンド・アルバムなんだけど、たった二作目でこれだけのものを創ってしまう技量の高さと、歌心あふれるショローンとしての心意気に本当に感心する。
カヴァキーニョは、基本、リズムを刻むための楽器なので、それのたった一台の完全独奏を音楽作品として成立させるからには、もちろん相当な技術がないと不可能だ。しかし、メシアスはその領域だけに踏みとどまっていない。メシアスの弩級の超技巧は、『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』のなかでもふつうにどんどん聴ける。あたりまえにそこにあるので、ことさら言いたてる必要もないほど、そこにある。それよりもメロディの歌わせかたに注目して聴きたいんだよね。
デビュー作となった2014年の『バイアナート』だって、ついこないだ bunboni さんに教えていただいたばかりの僕で、だから2017年のカヴァキーニョ完全独奏作と同時に二枚、ディスクユニオン通販で買った。それで新作のほうを今日とりあげて書こうと思ったのは、昨日書いた『アメリカンズ・シング・ラテン・アメリカ 1935 - 1961』に、メル・トーメの歌う「バイーア」があるからだ。
このメル・トーメ・ヴァージョンの「バイーア」を聴き憶えていた僕は、メシアスの『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』七曲目「ナ・バイーシャ・ド・サパテイロ」で、オッ!?となったのだ。同じ曲なんだよね。しかし僕はメシアスがカヴァキーニョ独奏でやるそれを聴いて、あぁよ〜く知っているやつだ、スタンダードだ、でもなんだっけ?思い出せないなぁ、もどかしいとムズムズしていたら、bunboni さんに、戸嶋さんが知っているのはひょっとしてスタン・ゲッツ・ヴァージョンでかも?と教えていただいた。
実はスタン・ゲッツの「バイーア」は聴いたことがないんだよね。だいたいこのひとのボサ・ノーヴァっぽいもの、ブラジル素材には偏見を抱いていて、『ゲッツ/ジルベルト』しか聴いていないんだ。調べてみたら『ジャズ・サンバ』に収録されているらしい。Spotify で探して聴いた。これだね。
メル・トーメのもだいたいこんな感じだ。はっきり言えばなんちゃってボサ・ノーヴァだけど、メシアス・ブリットがやる「サパテイロ通りの坂下で」はかなり違う。いちばん上のプレイリストで七曲目を聴いてほしい。メロディのチャーミングさを際立たせながらも、シャープな厳しさがあるよね。キリッとしているっていうか、節度を保っているというか。それでもって、このアリ・バローゾの書いたメロディの魅力がより一層増している。
メシアスは細かい装飾音をくわえながら、本来の旋律をなぞるように弾き、シングル・トーンで弾いたりコード弾きをやったりを不可分一体に混ぜながら、リズムも細かく動かしている。進んだり一歩止まったり、行ったり来たり、よりみちも繰り返しながら、やはり最終的には本道をまっすぐ進んでいる。
「サパテイロ通りの坂下で」でもほかの曲でもそうだけど、サビの部分でパッとリズム・パターンを変えるよね。それと細かい装飾音を曲本来の旋律にどんどんくわえながら進むという、カヴァキーニョ一台でのメロディの弾きかた、歌わせかたは、このアルバム『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』では一貫しているものだ。
新作のばあい、全11曲のうち、1(ルイス・ゴンザーガ)、3(エルネスト・ナザレー)、4(ピシンギーニャ)、7(アリ・バローゾ)、9(ヴァルジール・アゼヴェード)、10(アントニオ・カルロス・ジョビン)はぜんぶ超有名スタンダードなので、それらと、ジアン・コリアの6曲目を除けば、ほかはメシアスの自作ナンバー。
でもアルバム全体をとおし、自作・他作の別はまったく感じない。メシアスの自作曲が完璧な古典ショーロの趣なせいもあるんだろうけれど、カヴァキーニョ一台で自作も他作も弾きこなすそのやりかたが、上で書いたように同じ共通の演奏法をとっているからじゃないかなあ。
しかもメシアスの弾くカヴァキーニョの音の粒立ちが、とてもイイ!綺麗で、立っている。メロディを歌わせるフレイジングも素晴らしく美しいんだけど、僕はアルバム『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』では、なんど聴いても一個一個のサウンドの美しい粒立ちに心からため息をついてしまう。カヴァキーニョでこんな音、聴いたことないなあ。
ショーロらしい泣きというか、サウダージも随所にふんだんにありながら、しかしセンティメンタリズムには流れすぎていない厳しさがあって、カヴァキーニョ一台で美しく屹立しているメシアス・ブリットの『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』。泉の水がどんどん湧き出ながらも静かにたたずんでいるかのような感じのグルーヴもあって、これはオススメ。
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