マイルズの最初にして最大の発見だったコルトレイン 〜『ザ・ファイナル・ツアー』
天性のバンド・リーダー資質を持っていたといえるマイルズ・デイヴィス。そんなマイルズをもってしても自己のバンド内でコントロールできなかったのが1960年のジョン・コルトレインだ。ここまでのものになる存在を1955年時点でバンドのレギュラーにしたわけだから、コルトレインもえらいがマイルズも、まあ好き嫌いの別はともかく、目利き能力だけでも認めていただきたい。
1960年春のマイルズ・クインテット欧州ツアーは、マイルズのレギュラー・バンド初の海外公演というだけでなく、ある程度まとまった期間の楽旅を、アメリカ国内ですらも、バンドでやったはじめての機会だった。意外に思われるかもしれないが、これが事実だ。
それはマイルズ・バンド単独のものではなく、ノーマン・グランツ主催の例の JATP の欧州版だった。マイルズ・コンボといっしょに欧州をまわったのはオスカー・ピータースン・トリオとスタン・ゲッツ・カルテット。ツアーは1960年3月21日から4月10日まで。フランス(3/21)、スウェーデン(3/22)、デンマーク(3/24)、西ドイツ(不明)、オーストリア(不明)、スイス(4/8)、オランダ(4/9、10)をこの順で巡業。
日付を明記したところは音源化されている。今回発売された公式盤もブートレグも含め、日付と場所は、そもそも僕のばあい、音源がこの世にリリースされているからわかっているだけだ。レガシー盤『ザ・ファイナル・ツアー』になっている3/21のパリ、3/22のストックホルム、3/24のコペンハーゲンも、いままでぜんぶブートがあったので、マイルズ・マニアはたいていみんな聴いていた。
さらにもう一日だけコロンビア/レガシーから公式発売されているものがある。4/9のデン・ハーグ公演だ。ただし「ソー・ワット」一曲だけ。それは『カインド・オヴ・ブルー』の二枚組レガシー・エディション(2008)の末尾に入っているんだよね。これ、どういうこと?4/9のデン・ハーグ音源を、レガシーはフル・セットで権利所有しているってことじゃないの?
それらぜんぶ、もとは欧州のラジオ放送音源で、ブートもそれをソースにしているし、レガシーだってそれを買い取っただけに違いない。ってことは、上記の三週間にわたる欧州ツアーでのマイルズ・バンドの演奏記録を、ラジオ放送されたものならば、レガシーはぜんぶ持っている可能性があるよなあ。
少なくとも4/9のデン・ハーグ公演音源はあるんだってわかっているわけだから、どうして今回の『ザ・ファイナル・ツアー』ボックスに含めなかったのか、謎だ。というかあこぎな商売だぞ、レガシー。しかもですよ、今回の四枚組ボックスでいちばん回数多く演奏、収録されているのは「ソー・ワット」なんだけど、私見ではいちばんすごい「ソー・ワット」が、4/9デン・ハーグ・ヴァージョンということになる。
そんなわけで、いちばん上の Spotify プレイリストでは、末尾にその4/9 デン・ハーグの「ソー・ワット」を追加しておいた。だから『ザ・ファイナル・ツアー』公式商品そのままじゃない。『カインド・オヴ・ブルー』のレガシー・エディションとか、みんな買わないだろうから、ちょっと聴いてみて。こういったことが実に簡単にできちゃうのも Spotify のよさだ。
これで1960年春の欧州ツアーで演奏された「ソー・ワット」は、公式だけでも計五種類。この曲こそがこのときの欧州ツアーでの目玉だから、この五つを聴いていくだけでこの1960年におけるマイルズ・バンドのことや、ボスとコルトレインの関係や、どうしてこのときのツアーがコルトレインのマイルズ・バンドにおけるラストになったのか、なども考えやすいかもしれない。
「ソー・ワット」はもちろん『カインド・オヴ・ブルー』からの曲で、1960年欧州ツアーでは、そんな新レパートリー(もう一個は「オール・ブルーズ」)と、1958年のスタジオ収録曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」)、もっと前からの従来曲(「ラウンド・ミッドナイト」その他)と、それら三種に分けることができる。
『カインド・オヴ・ブルー』は1959年のスタジオ録音なので、58年ものとあわせ、同傾向の新曲たちと考えていいだろう。それら以外の旧来レパートリーとでは、やはり演奏内容も異なっている。『ザ・ファイナル・ツアー』では、演奏回数も圧倒的に58/59年物が多いし、ボスのマイルズも、ツアーじたいでそこに力点を置いたに違いない。
それで、話を五つの「ソー・ワット」だけにしぼりたいのだが、五つのヴァージョンはほぼ同じ演奏展開を見せている。テーマ演奏後、マイルズ、コルトレイン、ウィントン・ケリーの順で必ず三人のソロがあり、コルトレインのソロが…、あまりにも饒舌すぎる。時間も長いが中身も、アイラ・ギトラー命名のかのシーツ・オヴ・サウンズの円熟期で、ビ〜ッチリと音を隙間なく敷き詰めるっていう、あれだ。も〜う!あまりにもしゃべりすぎだ、トレイン。
一番手でソロを吹くマイルズは、リリカルというんじゃないけれど、やはり抑制の効いた内容の美しいソロを吹いている。ずっと前から繰り返しているが、このひとは全体の均整、構成美、統一感に心をくだくひとで、そこにこそ音楽の意味があると信じて疑っていなかったから、ばあいによってはあらかじめ譜面を用意させてそのまま吹いてソロとしたり、そこまででなくとも事前にしっかり練り込んだ内容を綺麗に吹く。それがマイルズ。
それなのに、二番手で出るコルトレインが逸脱しまくって、「ソー・ワット」という曲全体のバランスが崩壊しているよね。1960年3/4月の記録だけど、コルトレインのソロ時間だけに限定すれば、この欧州ツアーでのこのマイルズ・バンドはアヴァンギャルド・ジャズに近づいているとしてもいいかもしれない。実際、お聴きになっておわかりのようにトレインはオフ・スケールの連続。師匠マイルズの導入によって、目から鱗で水を得た魚になれたモーダルな演奏法を、さらに一歩拡大しているよね。
オーネット・コールマンとか、セシル・テイラーとかサン・ラー(のバンドのサックス)とか、そのあたりのジャズに、この1960年欧州ツアーのコルトレインは近づいているんじゃないかな。おもしろいのは、そんなトレインの伴奏をしているリズム・セクションは、似ても似つかぬコンサヴァティヴなスタイルを持つ三人だってこと。
コルトレインがオフ・スケールやホンキングの連続で(だからちょっとリズム&ブルーズ的でもあるのだが)逸脱する饒舌ソロを延々と展開しているあいだも、ピアノ+ベース+ドラムスの三人は決して乱れない。淡々と決まったビートをキープして安定しているよね。この、なんというか絶妙なバランスみたいなもの、安定リズムの上に、崩壊寸前の爆発的サックス・ソロが乗るという、この妙味が、1960年のこのマイルズ・バンド最大の魅力なんじゃないかと僕は思う。
抑制と均整を心がけているマイルズと崩壊的混沌に至らんとするコルトレーンもいいバランスというかコントラストで、三番手のウィントン・ケリーのピアノ・ソロになると、突如、明快なブルーズ・ベースのよく跳ねて快活な、聴きやすくノリやすい、ふつうのメインストリーム・ジャズ演奏になり、そのピアノ・ソロのあいだは、マイルズ、トレイン二人のソロでテンションが高かったもんだから、ホッとリラックスできるいい雰囲気で、楽しいんだ。
見方をかえて意地悪な言いかたをすれば、「ソー・ワット」だけじゃなく1960年欧州公演に、マイルズ・デイヴィス・クインテットは存在しない。そこにあるのはマイルズ・カルテット、コルトレイン・カルテット、ウィントン・ケリー・トリオの三者で、それが順番に連続演奏しているだけだ。だから、クインテット五人の一体感みたいなものは、弱い。
このバンドとしてのトータルな構築感、統一感の薄さに、ボスのマイルズも、サイド・マンでそんな事態を招いている張本人のコルトレイン自身も、我慢できなかったんじゃないかと僕は考えているんだよね。このときのコルトレインのものすごさを皮膚感覚で理解していたマイルズだって、どうか辞めないでくれとトレインに懇願しながらも、辞めざるをえないだろうなともわかっていたはずだ。
「ソー・ワット」でもほかの曲でも、コルトレインのソロが終わりウィントン・ケリーのソロになると、まるでむかしなじみの場所で仲間が親しく楽しげにしゃべっているような、そんなファミリアーな雰囲気になっているじゃないか。だからコルトレインは、場で浮く異物となってしまっていた。1960年のマイルズ・バンドにおいては。
コルトレインをそこまでの存在にしたのは、もちろんマイルズだ。あんなに吹けなかったフィラデルフィアのいもサックス奏者を見出して、自分のファースト・レギュラー・クインテットに起用し、なにもかも教え込んできた。まるでひとりの肉体の内部になにかが芽生え、それがグングン体を活性化するものの、成長しすぎて今度はかえって邪魔者となってしまった。癌のように。
マイルズとコルトレイン、それはあの双顔の神ヤーヌスだったのだ。
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