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2018/04/08

ふつうにやって傑作が仕上がったシェウン・クティ『ブラック・タイムズ』

 

 

なんだかんだ言ってやっぱりこ〜りゃものすごいと皮膚感覚でわかるのがシェウン・クティ&エジプト80の『ブラック・タイムズ』。なにがすごいって、このあまりにナマナマしい肉感ビートの激しさだ。一曲目「ラスト・リヴォルーショナリー」冒頭から一気に頂点に達してしまう。やかんを火にかけた途端に一瞬で沸騰したみたいな、あるいは走り出した瞬間にトップ・スピードになるチーターみたいな。

 

 

しかもシェウンの『ブラック・タイムズ』では、アルバムの最後の一音が消える瞬間まで、沸騰したお湯がグラグラ煮立ったままというか、全速力のままでチーターが駆け抜けるかのようなというか、そんなものすごさなんだよ。激しい疾走感と絶頂感と緊張感を持続したまま、一瞬たりともそれが緩まず、62分間を駆け抜ける。なんというパワーなんだ。こんな音楽家、いまどきほかにいるのか?

 

 

シェウンの『ブラック・タイムズ』では、アルバム・タイトル・ナンバーの二曲目で、あのカルロス・サンタナがゲスト参加で弾いているというのが大きな話題になるはず。いちおうプロデューサーがロバート・グラスパーだというのが(日本盤での)いちばんの宣伝文句なんだけど、どこにも一文字も Robert Glasper の記載がないよ。アルバムの音を聴いても、たぶんグラスパーはなにもやっていないな。と思って老眼鏡かけてじっくり見たら、ブックレットの最後の謝辞コーナーに小さい字でたくさん名前が並ぶそのなかのひとりとしてグラスパーもいた。

 

 

まあロバート・グラスパーやなんかが参加しているというのは聴取意欲を削ぐマイナス要素でしかないので、見つからなくて結構。カルロス・サンタナは二曲目「ブラック・タイムズ」でたしかに大きくフィーチャーされ、いつものあの過剰な情緒をまきちらすスタイルで弾きまくっている。だが、シェウンはサンタナを特別扱いしていないのがイイ。

 

 

シェウンとカルロス・サンタナとでは音楽界において大きなキャリアの違いがあるわけだから、ふつうだったらギター・プレイのためのスペースをバンド・サウンドのなかで用意して、それで存分に弾いていただきたいという創りかたになるんじゃないかな。ところがシェウンはそれをしていない。バンドはバンドでふつうに演奏していて、サンタナのことは「(ケアしないから)勝手にやってて」みたいな使いかたなんだよね。

 

 

カルロス・サンタナのギター・プレイが大好きなことこの上ない僕だけど、大先輩を特別扱いしないシェウンの肝のすわりかたに感心する。リズムもホーン・セクションもふつうにやり、シェウンも歌い女性バック・コーラスもそのままな、その上でサンタナがあんな感じで弾くから、曲「ブラック・タイムズ」のサウンドはゴッチャゴチャで整理されておらず、<濁って>いる。そこが素晴らしくイイ。

 

 

サウンドをあえて整理せず濁らせることで、バンドとシェウンとカルロス・サンタナ、三者とものエネルギーがそのままのフル・スケールでストレートに表出されている。これで大正解なのだ。プロデューサー?であるロバート・グラスパーにこんな仕事ができるとは思えないから、やっぱりかかわっていないんじゃないかな。

 

 

ブラック・ミュージックで音をわざと濁らせ、エネルギー、パワー、セクシーさ、ブルージーさを際立たせるという手法は、もちろん古くからある。アメリカ黒人音楽でならデューク・エリントンのジャングル・サウンドが1920年代後半から確立されていた。数十年後のファンク・ミュージックもそう。それらはもともと DNA 的に継承された祖先たるアフリカの記憶だったのかもしれないから、シェウンのアルバム『ブラック・タイムズ』は、まあそんなようなもんだよね。ジェイムズ・ブラウンとフェラ・クティ。

 

 

また、シェウンの『ブラック・タイムズ』では、すべての声と楽器がパーカッションと化している。最もパーカッシヴなのが、打楽器ではなくシェウンのヴォーカルだ。短いパッセージをリズミカルに叩きつけるように吐き出して、しかも一声一声、超パワフル。まるでベース・ドラムスを連打しているかのような歌いかたに、僕には聴こえるね。

 

 

しかもドラマーがいちばん目立つように頻用するのがベース・ドラムなんだ。録音のためかミックスのためかわからないが、ベース・ドラムのお腹にズンズン来る音が大きめに聴こえ、それが、やはりドラムみたいなシェウンのヴォーカルとからんだり、ユニゾンでシンクロ進行したり。ホーン・セクションとリズム隊がユニゾンしたり、エレキ・ギター・カッティングやバック・コーラスもリズム・セクションの上にキレイに乗るのではなく、激しく同調しながら進行する。

 

 

そうやって『ブラック・タイムズ』でのシェウンは、このポリリズミックな音楽に一種のシンプルさと、一聴それとは裏腹そうなエネルギッシュなケイオス状態を同居させ、すべての曲に最大限のパワーと訴求力を与えることに成功しているんだよね。父フェラは、それをレコード片面相当の長尺曲でジワジワと盛り上げ成し遂げていた。息子シェウンは2018年ヴァージョンの正統アフロビート・アップデイトとして、それを最長でも九分間内にギュッと濃縮している。

 

 

六〜九分は、ポップ・ミュージックの約三分に慣れた耳には長く聴こえるのかもしれないが、このサウンドの濃度によって冗長さなんか微塵も感じないというふうで、むしろあっという間だとすら思わせるスピード感に脱帽するしかない。濁ったサウンドの濃密さ、濃厚さ、バンドの一体感と重厚なグルーヴ、爆発するエネルギー、どんなタフな人間でも瞬時にイカせてしまう一気の快感 〜 シェウンの『ブラック・タイムズ』は、いまのアフリカ音楽の頂点に…、というだけじゃない、2018年の音楽を代表する大傑作に違いない。

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