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2018/04/23

音が、好き

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「ニューヨークは最高だ。音が氾濫しているからな。地下鉄、クラクション、サイレン。騒音のない場所は耐えられない。気がふれるぜ。」

 

(『マイルス・オン・マイルス:マイルス・デイヴィス インタヴュー選集』p. 283)

 

 

音楽について、その音楽家(個人だったり集団だったり)の来し方行く末か事情とか人生とか、あるいはその音楽作品が生み出されることになった社会、時代などの背景とかは、僕にとって、基本的に、どうでもいい。関係ない。僕は音そのものが好きなだけ。社会性を持たない音楽など存在しないが、それでも、僕は音だけが、好き。

 

 

極論を言えば、音がそこに鳴っていさえすれば、僕はそれだけでいい。音楽とは音でしかないわけだから、文字や画像などの情報で手に入るもろもろのものは、本当にどうでもいんだよね。は、ちょっと言いすぎだ。本質的にはあまり重視しないと言い換えたい。いや、もっと言い換えて、諸情報は音を理解するためにだけ最大限に活用する。

 

 

音楽は音でしかないと書いたけれど、耳に入るものだとは限らないようだ。聴覚障害者で音楽を楽しんだり、ばあいによっては演奏に参加したりするひとびともいる。そのばあい、聴覚障害のない人間が耳で受け神経回路に伝達できるものとなるものを、彼らは肉体的振動として感じ取って信号とし、脳内で音として認識しているんだそうだ。

 

 

どっちにしても音は振動ってことか。僕にとっては音でありさえすれば、不快なものはやっぱりちょっとあれだけどそうじゃなければ、好きだ。音が聴こえるということじたいが好きなわけだから。日頃の自室内でも寝ている時間以外はノン・ストップで音楽を鳴らしているけれど、同時にいろんな音が聴こえるのがいい。水が出る音、料理をつくる音、手を叩いたりなど自分の体で出す音、お米を研ぐ音、床を歩く音、トイレの音…。

 

 

お風呂場にも、朝と夜の二回、必ず防水スピーカーを持って入り音楽を聴いているのだが、同時に聴こえるシャワーの音、浴槽につかっているあいだの音、シャンプーしたり体を洗う音など、つまり音が、僕は好き。学校の教室内でなら、黒板にチョークで字を書く際の音もわりと好き。

 

 

自動車やバイクや自転車、電車や飛行機や船など、交通機関に乗り移動中にそれが出す音、また乗り物が近づいてくるのをホームなどで待っているときに音がするのも好きだ。声も好き。人間のしゃべる声も、猫など動物の出す声も好き。

 

 

にぎやかなのが好きだから、僕は都会の、かなりさわがしい場所だって好き。僕の東京での主たる職場は渋谷にあったけれど、あの大きなスクランブル交差点やセンター街など、あんなにごみごみした喧騒が、大好きだった。音のない静寂(に近いもの)のなかにしばらくいると、気がふれそうになってしまう。沈黙に耐えられない。

 

 

音そのものが好きだから、音が美しく聴こえるように一定法則で並べられたものである音楽というものが好きになったのか、その逆に音楽好きになって以後、音そのものが愛おしく聴こえるようになり愛でる対象となったのか、それはわからない。

 

 

わかっているのは、僕の音(音楽)好きは、理由のない根源的衝動といってよいものだってことだ。ただたんに好きなだけ。音が。それだけ。そこに理屈なんかない。

 

 

無数にある「これが好き!」という衝動のなかで、「言語好き」「文学愛好家」「数学マニア」「物理学の大ファン」といったものだけが「偉いね」とかって褒められることになっている。その陰では「ぬいぐるみ愛好家」とか「熱狂的ゲーマー」が涙をのんでいるわけだ。

 

 

たとえば、和歌の才能が飛び抜けて素晴らしくても、現代ではそれほど活きないかもしれない。特定の場面以外では活躍できることもないし、歌人か専門家になる以外は職業にもなりにくく、それ以外は趣味としてしかあまり意味がないかも。だが、約千年前の日本でなら、歴史に名を残せたかもしれないのだ。

 

 

なにかがすんごく好きで、も〜う好きで好きでたまらず、その根源衝動のおもむくままに熱狂的愛好行動を続け、その結果、評価なり、金銭的報酬があるとかないとか、そういうことは僕にはどうでもいい。ただ好きだから音を聴く。聴かずに生きていることができないだけだから、空気なんかとおんなじで、そこに生存以外の意味なんかない。

 

 

だから、僕は「いろんな音楽を聴いていて、すごいね」と言われるたびに(って、ぜんぜん言われないのだが)、「ゲームばっかりしてちゃダメよ」とか「カメラに熱中してないで勉強なさい」とか言われてきた無数の人々に対し、申し訳ない気持ちになるのだった。音楽好きっていうのも同じようなことだから。

 

 

つくづく、僕は、音という岩礁をとっかかりにしてしか現世に顕現できないんだな、と思っている。幸いこの世のほぼすべてのものには音があるということになっているのでかなりのものに関わることができるけれど、音がなかったら僕は濁流の底に飲まれたまま浮かび上がれず、埋もれたままだ。

 

 

僕にとって、音(音楽)というものはすべてたとえようもなく美しく、また音を生む人間とその社会はいずれもまばゆく輝いていると思っている。ただ、そのなかで僕の好みで音の響きや配列が特別きれいだなぁ〜って思うものがやはりあるわけで、それが音楽の趣味と化しているだけなのだ。

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