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2018年5月

2018/05/31

ジェリー・ロール・モートンの最初期バンド録音

 

 

マイルズ・デイヴィスのキャピトル盤を意識してつけられたアルバム題であるジェリー・ロール・モートンのバンド編成最初期録音集『バース・オヴ・ザ・ホット:ザ・クラシック・シカゴ・レッド・ホット・ペパーズ・セッションズ 1926-27』(RCA、1995)。このタイトルはリイシュー・プロデューサーのオリン・キープニューズが考案したもの。オリジナルの SP レコードはヴィクターから発売された。だからどうしてジャケットにブルーバード(の発足は1932年)の文字とロゴが見えるんだろう?

 

 

モートンのこの『バース・オヴ・ザ・ホット』は全23曲で、1926/9/15、1926/9/21、1926/12/6、1927/6/4、1927/6/10という五回のセッションの記録。末尾の20〜23曲目は別テイクで外して問題ない内容。18、19曲目はトリオ編成のシンプルなもので、モートンの作編曲者としての卓越した能力を示すものではないので、これも除外。

 

 

すると『バース・オヴ・ザ・ホット』は1〜17曲目のヴィクター録音でオーケーでっか?ということになるのだが、問題は上でリンクを貼った Spotify にあるやつだ。どうしてグレイ・アウトしていて聴けない曲があるんだろう?肝心要の1曲目「ブラック・ボトム・ストンプ」がダメっていうテイタラク。しかしそれらはパソコンだとあまり問題なく聴ける。スマホのほうでだけ聴けない曲があって、櫛の歯が抜けたような状態になっている。こういうことって、ほかのひとのほかの作品でもときどきあるんだけど、どういうことですか、Spotify さん?

 

 

 

(2018/5/31 0:35追記)いま確認したらスマホでも聴けます。記事を書いたときとは状態が違っています。これもよくわかりません。

 

 

まあいい。それにしてもこの1920年代後半のヴィクター原盤って音がいいよなあ。当時のオーケーやデッカやブランズウィックなんかよりずっといい。1926年録音でここまでコントラバスの音がお腹にズンズン来る響きで鮮明に聴こえるなんて、まずありえない。それからジョージ・ミッチェルってかなりいいコルネット奏者だ。最大のビックリは、なんたってこの当時こんなジャズ・バンド・アンサンブルを書けた人物はほぼいないってこと。ジェリー・ロール・モートン以外にはドン・レッドマンとデューク・エリントンだけじゃないか。

 

 

レコード録音史だけで正確に言うと、ドン・レッドマンがフレチャー・ヘンダスン楽団であの不変(普遍)のアレンジ手法を確立したのは1925年5月29日録音の「シュガー・フット・ストンプ」のあたりだと僕は考えているので、モートンよりもすこし早い。

 

 

 

デューク・エリントンのほうは、1926年11月29日録音をもってスタイルの完成とするのが僕の見方だから、デュークよりはモートンのほうが先だ。

 

 

 

ってことは、ジェリー・ロール・モートンのばあい、バンド編成での初録音だった1926年9月15日の最初の一曲「ブラック・ボトム・ストンプ」ですでにこの見事なジャズ・バンド・アンサンブルを確立しているので、録音史だけで言えば、ジャズ界ではドン・レッドマンに次いで二番目に出現したグレイト・コンポーザーだ。

 

 

しかし!これはあくまでレコード化されて現在でも聴けるものだけに限定して判断したばあいということであって、各種文献によればモートンはもっと早くにこんな作編曲技法を完成させていて、「ブラック・ボトム・ストンプ」みたいな演奏はやっていたとのこと。たしかにそうに違いないと納得できるものが、この話にはある。

 

 

というのはモートンの代表曲である、かの「キング・ポーター・ストンプ」。スウィング時代のビッグ・バンド定番曲になったこのモートンの曲を、バンドで最初に録音し後世の範となったのがフレッチャー・ヘンダスン楽団による初演で、それは1928年録音のレコード。ヘッド・アレンジメントとの記載だが、同楽団ですでに立派な成果を出していたドン・レッドマンの編曲スタイルを参考にしたものだろう。

 

 

「キング・ポーター・ストンプ」は、ジェリー・ロール・モートンが1923年にソロ・ピアノ録音のレコードを発売しているんだよね(ジュネット原盤)。(ネットでもフィジカルでも)リイシューされているのでだれでも聴ける。それを踏まえた上でフレッチャー・ヘンダスン楽団ヴァージョンを聴くと、ソロ・ピアノで演奏したモートンのものを明らかに下敷きにしているんだよね。

 

 

モートン自身だって、最初はソロ・ピアノの録音機会しか与えられなかったが、同時にバンドを率いて生演奏はどんどんやっていた。「キング・ポーター・ストンプ」という曲をいつごろ書いたのか不明だが、バンド・アレンジとソロ・ピアノのどっちを先に念頭に置いて作曲したのか、微妙なんじゃないかなあ。そのほかモートンはたくさん曲を書き、特にニュー・オーリンズを離れて以後はバンドでも演奏していた。

 

 

モートンは最初ニュー・オーリンズのストーリーヴィルで娼家おかかえのソロ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたひとではあるけれど、ニュー・オーリンズのジャズは根源的にホーン・アンサンブル・ミュージックだ。ソロ・ピアノ演奏は、バンド・サウンドを(仮想的にでも)念頭に置いて移植したという可能性があるよ。

 

 

こんなふうに考えてくると、バンド・アレンジャーとしてのレコード録音機会ではドン・レッドマンのほうが早かったけれど、実はジェリー・ロール・モートンのほうが先に、あんなバンド・アレンジ手法は編み出していたというこの可能性は、音源で確と実証できないだけで、かなり高いと思うんだ。ひょっとしたらジェリー・ロール・モートンこそ、ホットなジャズ・アンサンブルの発明者だ。自称だけの話じゃない。

 

 

話をジェリー・ロール・モートンのバンド初録音にして最高傑作の「ブラック・ボトム・ストンプ」に戻そう。Spotify では『バース・オヴ・ザ・ホット』じゃない別なアルバムで聴けるのでご紹介しておく。1926年9月16日のシカゴ録音。モートンのピアノのほか、ジョージ・ミッチェル(コルネット)、キッド・オーリー(トロンボーン)、オマー・シメオン(クラリネット)、ジョニー・セント・クレア(バンジョー)、ジョン・リンゼイ(弦ベース)、アンドルー・ヒレア(ドラムス)。

 

 

 

1926年録音にしてはあまりの好音質にもビックリするが、それにしてもすんごいスウィング感だよねえ。しかも緻密きわまりないアレンジのデリケートさとエレガンスだ。アンサンブル部分とソロ部分とのバランス、アンサンブル部分の音の重ねかた、どの部分になんの楽器のソロをどのくらいの長さではめ込んで、曲全体として整って美を放つように聴こえるか 〜〜 それらすべて計算され尽くしている。各人のソロもいい。特に、上でも書いたがジョージ・ミッチェルのコルネットが見事すぎる。

 

 

ところでジョージ・ミッチェルもニュー・オーリンズの出身で、これが1926年9月のシカゴ録音だから、エッ?と思われるかもしれないが、実は出身地でキング・オリヴァーとルイ・アームストロングから多大なる影響をこうむったイミテイター的存在。特に初期サッチモのスタイルに酷似しているよね。

 

 

モートンのバンドはいちおうニュー・オーリンズ・スタイルのジャズをやったということになっているが、大きな違いもある。ニュー・オーリンズ・ジャズは、基本、集団即興(といっても同じ曲なら毎回演奏パターンは同じ)なのに対し、モートンのバンドには、上の一曲だけお聴きでもおわかりのように、譜面化されたアレンジメントがある。

 

 

こんな複雑精緻な演奏は、譜面があってそれにもとづいてリハーサルやテイクを重ねないと不可能だ。しかもすぐれたコンポジションはどんな音楽の世界でもそうであるようにモートンの音楽も、そういうやりかたで完成品になったにもかかわらず、あたかも計算されていないスポンティニアスな即興演奏に聴こえるイキイキ感があるよね。

 

 

そんなバンド・アレンジ手法をジャズ界ではじめてやったのがジェリー・ロール・モートンだったかもしれないんだから、その可能性は十分あるんだから、っていうかたぶんそうに違いないんだから、たくさんのエピソードが物語るように自尊心と自己顕示欲のかたまりみたいなイヤなやつだったけれど、モートンの意義や重要性は最大限に強調しておかないといけない。

 

 

もう二点だけ書いておく。モートンの『バース・オヴ・ザ・ホット』で聴ける曲のなかには、ノヴェルティ・ナンバーとラテン・タッチがある。前者はときにアニマル・ノヴェルティだったりもする。Spotify にある『バース・オヴ・ザ・ホット』をスマホで見たばあい、12曲目の「ハイエナ・ストンプ」が聴けないが、次の「ビリー・ゴート・ストンプ」は大丈夫だ。昨年大晦日にも記事にしたが、初期ジャズにはこういうの、けっこうあるんだ。アニマルじゃなくても、モートンの1926年初回セッションにだってすでに一つある。もはや珍奇と呼ぶのもおかしい。

 

 

 

モートン自身は Spanish tinge と呼んだラテン・タッチ。具体的にはっきり言えばキューバのアバネーラふうに跳ねるものだけど、バンド録音集『バース・オヴ・ザ・ホット』にも二曲ある。これはどっちも Spotify の『バース・オヴ・ザ・ホット』で聴ける9曲目の「オリジナル・ジェリー・ロール・ブルーズ」と17曲目の「ザ・パールズ」。

 

 

これら二曲とも、もっと早くにソロ・ピアノで録音しジュネット原盤でレコード発売されているのがリイシューされている。「ザ・パールズ」が1923年、「ジェリー・ロール・ブルーズ」が1924年の録音。「真珠」のほうはライ・クーダーがカヴァーした。

 

 

 

 

おわかりのようにアバネーラふうなラテン・タッチは左手のシンコペイションとなって表現されているよね。バンド演奏ヴァージョンではもっとストレートな2/4拍子のリズムだけど、「オリジナル・ジェリー・ロール・ブルーズ」も「ザ・パールズ」も、中間部で鮮明なアバネーラに変貌する。前者ではその部分でパーカッション(これはなんだろう?カチャカチャっていう音)が入り、後者ではブレイクのあとチューバに導かれてのアンサンブル部がカリビアン・ビートだ。ヨーロッパの舞踏音楽ふうでもある 3:05 〜 3:07 のアンサンブルにも注目してほしい。

 

 

「ジェリー・ロール・ブルーズ」のほう。ソロ・ピアノ・レコードの二年後録音のバンド演奏ヴァージョンに「オリジナル」の名が冠されているのを見ると、やはり上で書いたように、モートンの曲はまずホーン・アンサンブル・ミュージックとして考案されたのが原型で、ソロ・ピアノ演奏はそれを転写したものだっていうことなんじゃないのかなあ。

2018/05/30

ストーンズ『スティッキー・フィンガーズ』をちょっと

 

 

ローリング・ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』(1971)。この Spotify リンクは2015年のスーパー・デラックス・エディション三枚組。同じときにデラックス・エディション二枚組も出ていて、僕はそっちを買った。どっちにも二枚目トップにエリック・クラプトンがスライド・ギターを弾く「ブラウン・シュガー」が収録されているのがこのときのリイシューの目玉に違いない。ファンのあいだでは伝説化していた音源で、僕は寺田正典さんの案内で前からネットで耳にしていた。

 

 

だけど、今日はそんな「ブラウン・シュガー」別ヴァージョンの話をたくさんはしない。今日の話題は、1971年のオリジナル・アルバムに限定してすこしだけ。英国ハード・ロッカーならストーンズじゃなくてレッド・ツェッペリンのほうが、UK&アイルランドのトラッドやバラッドなどフォーク・ミュージックとのかかわりあいが深いんだろうけれども、ツェッペリンのそこいらへんもそのうち掘り下げて聴いてみようと思っている。プレイリストならもうできていて、すでにみなさん聴けます。今日はストーンズ『スティッキー・フィンガーズ』。

 

 

えっ?ストーンズでそれだったら前作『レット・イット・ブリード』のほうが向いているだろうって?そうだけど、うんまあでも今日は『スティッキー・フィンガーズ』の気分なんだ。それにカントリーとかフォーク・ミュージックとかの関連をストーンズにかんしてあまり掘り下げる力もいまの僕にはない。だから『スティッキー・フィンガーズ』についてちょっとだけダラダラと。

 

 

まずハード・ロック・ナンバーに触れておこう。レコードの両面トップだった1曲目「ブラウン・シュガー」と6曲目「ビッチ」。どっちもすごくカッコイイなあ〜(歌詞はどっちもひどい)。キース・リチャーズが弾くこんな感じのギター・リフは、1968年のシングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」からストーンズの代名詞になって、も〜うホ〜ント、気持ちいいったらありゃしない。アクースティック・ギターが控えめに聴こえるのもいい隠し味で、いかにもなストーンズらしさ。これ以上言うことはない。

 

 

エリック・クラプトンがスライド・ギターを弾くほうの「ブラウン・シュガー」には、アル・クーパーもギターで参加しているとなっているが、しかしどのギターがアルなのか、僕には聴解できない。クラプトンのスライドのまろやかな味が、ストーンズが持つコクのあるバンド・サウンドにうまく溶け合っていてイイネ。これ以上言うことはない。

 

 

ストーンズ、1972/73年のライヴにおける「ブラウン・シュガー」は、間違いなくこのクラプトン参加ヴァージョンを参照している。公式には『ザ・ブリュッセル・アフェア』のオープニングになっているやつだけかな。たんにミック・テイラーがスライドで弾くというだけではない。はじまりのキースの弾き出しも、メイン・リフの頭にちょろっと音が余計にくっついているでしょ。それはオリジナルにはなく、クラプトン入りヴァージョンがそうなっている。それにしてもこのテイラーのスライド、かっちょええなあ〜!終盤はバーを捨てて指で押弦し、エンディングに向けてグングン高揚するのも最高だ。

 

 

 

『スティッキー・フィンガーズ』4曲目の「キャント・ユー・ヒア・ミー・ナキング」のこともすこしだけ。ふつうのロック・ナンバーとしてはじまるが、途中からがらがらとラテン・ジャズ・ロック・ジャムに突入する。そこからがマジ楽しいよね。その部分ではミック・テイラーがカルロス・サンタナになり、ボビー・キーズがマヌ・ディバンゴへと変貌している。特にテイラーのサンタナ化は間違いない。これ以上言うことはない。

 

 

アルバムに二曲あるストレート・ブルーズ楽曲。5曲目、フレッド・マクダウェルの「ユー・ガッタ・ムーヴ」と、7曲目「アイ・ガット・ザ・ブルーズ」。後者は定型12小節ではないが、間違いないブルーズ・フィールだ。「ユー・ガッタ・ムーヴ」では、まるで重い足枷を引きずるかのごときヘヴィなノリ。後者は米南部カントリー・ブルーズのフィーリングを持ちつつ同時にホーン群やオルガン(ビリー・プレストン)を使ってシティ・サウンドにも聴こえるアレンジ。ちょっぴりサザン・ソウルふう。

 

 

8曲目「シスター・モーフィン」の作詞者にはマリアンヌ・フェイスフルも名を連ねている。実際、彼女のための歌だったが発売できず、ストーンズはアルバム『レット・イット・ブリード』のためのセッションで録音した。そんなわけでライ・クーダーが参加。聴こえるエレキ・ギターがライ。さすがのうまさだ。歌詞どおり全体的にダルな雰囲気の曲調。これ、ちょっと UK トラッドっぽい部分もあるような?

 

 

ラスト10曲目「ムーンライト・マイル」は、結局録音には参加していないキースのアイデアにはじまった彼言うところの Japanese thing だけど、日本ふうか中国ふうか、あるいは東南アジアふうか、はたまた中近東アラブ音楽ふうだったり?、そのあたりがよくわからないゴタ混ぜの無国籍ロック。本人たちもわかっていなかったかもだけど、そんなニセモノ(フェイク)っぽさが音楽などの魅力につながるばあいもあるよね。

 

 

さてさて、『スティッキー・フィンガーズ』3曲目の「ワイルド・ホーシズ」と9曲目の「デッド・フラワーズ」。この二曲の、アクースティック・サウンドをメインに据えたフォーキーなカントリー・ソングこそが、僕にとってのこのアルバム最大の聴きどころでありチャームなんだよね。どっちも当時深い交流があったグラム・パースンズ関連で誕生した。

 

 

グラム・パースンズがアメリカン・ロック・シーンに果たした役割・貢献度は大きいものがあったと思うんだけど、英国でも彼を媒介して1968年ごろからストーンズがこんな方向へ傾いて、その後この UK ロック・バンドも現在までずっと一貫して米南部ふうなカントリー・テイストを失っていない。それだけ大きな存在だったグラムのことを、彼が亡くなってなお、いま2018年でも、ミックもキースも忘れないんだ。

 

 

「ワイルド・ホーシズ」も「デッド・フラワーズ」ものちのちまで(前者は最新ツアーで今年もやった)ライヴ再演しているが、公式盤では1995年の『ストリップト』収録ヴァージョンがおもしろい。公式 CD などで聴けるこの二曲のストーンズ自身による再演はこれだけのはず。『ストリップト』はアルバム丸ごとぜんぶが再演とカヴァーだけどね。真ん中に「レット・イット・ブリード」をはさんでの三曲メドレーみたいになっている。

 

 

 

いやあ、『ストリップト』におけるこの三曲の流れは見事だね。この1995年ヴァージョンの「ワイルド・ホーシズ」が特に素晴らしい。当人たちもそう思っていたからなのか、1996年にシングル CD でも発売されたのを僕は持っている。同じ音源なんだけど、シングルのほうには「タンブリング・ダイス」のスペシャル・ヴァージョンが入っているからだ。

 

 

 

この「タンブリング・ダイス」は、お聴きのとおり前半が楽屋みたいなところでやるピアノ・ヴァージョン。途中からそのまま切れ目なくライヴ・ヴァージョンにつないである。ピアノ・ヴァージョンもライヴ・ヴァージョンも1995年のヴードゥー・ラウンジ・ツアーからのもののようだ。

 

 

このヴァージョンの「タンブリング・ダイス」の初出は、アルバム『ストリップト』の CD エクストラ(だっけ?)とかエンハンスト CD(だっけ?)とかいっていた CD-ROM 部分にあったもの。あの当時流行っていたよね、CD をパソコンに入れたら、音楽本編以外にオマケが入っているのを QuickTime で再生できるってやつ。『ストリップト』のエンハンスト CD に、この「タンブリング・ダイス」があったのだ。

 

 

このヴァージョンの「タンブリング・ダイス」が ふつうの CD に収録されて発売になったのが、1996年の春ごろ(だっけな?)リリースのシングル「ワイルド・ホーシズ」の3曲目だったのだ。それがほしくてこのシングルを買ったんだよね。1995年仕様のエンハンスト CD のその部分なんていまや再生できないから、いまでは貴重だ。シングルで聴いてみた「ワイルド・ホーシズ」は、同じもののはずなのにアルバムで聴くより音がいいけど、そういうもん?

 

 

それから、『ストリップト』ヴァージョンの「ワイルド・ホーシズ」で弾くキース(右チャンネル)のギター・チューニングがどうなっているか、おわかりのかたは教えてください。レギュラーじゃないと思うんだけど。『スティッキー・フィンガーズ』ヴァージョンではナッシュヴィル・チューニングだったけれど、それと同じに聴こえたり聴こえなかったりで、よくわかりません。ぜひお願いします。

2018/05/29

she sings like a jewel ~~ Iona Fyfe

 

 

宝石のような歌。そう言うしかないアイオナ・ファイフ(@ionafyfe)は、スコットランドのフォーク歌手。そのデビュー作『アウェイ・フロム・マイ・ウィンドウ』(2018)は、Bandcamp でダウンロード購入か CD 購入すればデジタルか紙のブックレットが附属し、それにすべての情報が記載されている。僕は CD で買ったけれど、すると来たメールに無料ダウンロード(CD を買わないばあいは有料)の案内があったのだ。CD 買ったら CD いらなくなるっていう、なんだかわからないが、うれしかった。

 

 

アイオナの『アウェイ・フロム・マイ・ウィンドウ』の全十曲は、伝承バラッドが七曲。他作のモダン・ソングが二曲(7、8)。アイオナの自作が一つ(9)。その自作の9「バンクス・オヴ・タイグリス」(チグリス川の土手)は、曲題でも察せられるとおりシリアほか中東情勢を歌い込んだもので、歌詞カードを眺めながらアイオナの歌を聴くと、とても直聴できないと感じるほど深刻で痛烈な内容の反戦歌だ。

 

 

情勢そのものがシリアスすぎるので、ということだろうか。こんな内容の歌は時代と地域と音楽の種類を超えたユニヴァーサルなものだけど、アイオナの「バンクス・オヴ・タイグリス」は、そのほかの九曲とうまく溶け合って、身近な内容を歌った伝承バラッドや、子守唄を含むモダンなパーソナル・ソングに社会的普遍性を持たせることに成功している。

 

 

また、アルバム全編が生楽器伴奏によるものであるのに対し、「バンクス・オヴ・タイグリス」でだけコンピューターによるデジタル・サウンド(のみ?)が用いられていて、ブックレットにはプログラマー名も明記されている。伝承バラッドのアーカイヴ化に際してもコンピューター・プログラミングを用いたとのこと。ブックレットの曲目解説各項に、アイオナがその歌をだれそれのシンギングから学んだと記載されているように口承で(直接)学んだという部分と、うまく融合させているんだろう。

 

 

アルバム『アウェイ・フロム・マイ・ウィンドウ』全体で僕がいちばん強く感じるのは、アイオナの天賦の才としか思えない歌声の美しさ、透明感だけど、もっと深い印象を残すのが、その際立つ強さだ。声そのものに強さがある。しかし同時にやわらかい。そんなようなアイオナの声は、彼女自身のフォーク歌手としての姿勢と一体化しているように思う。

 

 

たとえばアルバム3曲目「バンクス・オヴ・インヴァルーリー」にも典型的に表現されているが、男性に頼らず自立してひとりで孤独に生きていくという人間としての姿勢は、彼女自身インタヴューで語っているらしいが UK 女性フォーク・シンガーのジェンダー問題を表現したものだ。女性バラッド・シンガーは angel、good girl であるべきだ、それで静かな歌をやるべきだという従来型のステレオタイプは性偏見であると明言しているようだ。

 

 

そんなアイオナの姿勢が、アルバム『アウェイ・フロム・マイ・ウィンドウ』だと、3曲目「バンクス・オヴ・インヴァルーリー」だけでなく、全体を貫いていると聴こえるんだよね。鮮明な声の美しさ、強さ、張りなどは、そういった内面の考えかた、歌手としての姿勢から来ている部分も大きいと思う。

 

 

アルバムに七曲ある伝承バラッドは、複数ヴァージョンがミックスされてあるばあいもあるようだ。それが最もわかりやすいのは6曲目の「ボニー・アドニー」。この曲、最初、あれっ?これってアイオナの声じゃないよね?いや、こんなふうに声を変えて歌っているのかな?とよくわからなかったが、一分過ぎあたりまではだれかヴェテラン女性歌手のものを貼り付けてあるんじゃないかと思う(が、クレジットはない、自信もない)。

 

 

アイオナが歌うパートになってからも、後半はリズム・パターンが変化して(5:08から)、ギターが快活に刻みはじめ、表情が変化する。だから「ボニー・アドニー」は三部構成になっていて、個人的にはこの6曲目がアルバムでいちばん強く印象に残るもの。3パート目では(パイプなど)楽器伴奏も躍動的で見事だ。

 

 

同様にドラマティックな展開を聴かせるのが4曲目の「ザ・スウォン・スウィムズ」。ほかのほぼすべての曲と同じようにとても静かで落ち着いたフィーリングだけど、1:33 で "bonnie o" とサッと切るように(ギター・カッティングと同時に)アイオナが放った次の瞬間から細かいリズム・パターンが刻まれはじめ、そのほか賑やかめの楽器伴奏になり、バック・コーラスも入り、躍動的になる。パイプとフィドルも来てからは本当にすばらしい色彩感だ。

 

 

その後ラストの一分程度がふたたび静寂パートになるので、「ザ・スウォン・スウィムズ」も三部構成かな。これら二曲、4「ザ・スウォン・スウィムズ」、6「ボニー・アドニー」が、アルバムで特に傑出した白眉だと僕には聴こえる。ほかもぜんぶすばらしいけれど、個人的にはこれら二曲と、3「バンクス・オヴ・インヴァルーリー」、9「バンクス・オヴ・タイグリス」に、特に強く輝く宝石を聴く思いがする。

 

 

暖かく沁み入る子守唄である8曲目「アンド・ソー・ウィ・マスト・レスト」も心安らかになるし、あ、いや、アルバム全体を通して聴いているといつも落ち着いた気分になって、僕の内面のささくれ立ったところが削られ溶けて消えていくのを感じることができる。朝イチにも、午後の陽光下にも、夕暮れどきにも、深夜のベッド・タイムの前にも、アイオナの歌が姿と輝きの色を変えてフィットし、こちらの心情に寄り添ってくれる。

 

 

スコットランドの伝承バラッドとしては、1曲目「ギーズ・オヴ・タフ」、2「グレンルギ」、5「アウェイ・フロム・マイ・ウィンドウ」、10「ピット・ギア」あたりもティピカルなものだろうけれど、それらも聴きごたえのあるアイオナだけの歌になっているね。楽器演奏のリズムに乗って軽く体を揺らしてビートを刻みながら綴る、アイオナの強く美しい立ち姿が眼前にあるかのような思い。そんな声だ。

 

 

惚れちゃったなあ。

2018/05/28

スウィンギング・フィドル・フロム・アイルランド

 

 

アイリッシュ・フィドルを聴く快感。僕にとってのそれは、一言にすれば、猛烈なスウィング感、いや、ドライヴ感だ。主に18、19世紀、アイルランドからアメリカ合衆国に文字どおり大量の移民があった。以前からなんども書いているが、アメリカにおける19世紀は、この国のポピュラー・ミュージックが姿かたちを整えた時期だから、そこにアイルランド移民が及ぼした影響はかなり大きい。マウンテン・ミュージックやその他貧乏白人音楽も、ジャズもリズム&ブルーズも、ロックも、それらだいたい「同じ」だというのが自論なんだけど、その大根幹の一つがアイリッシュ・ビートだ。疑いえないと思う。

 

 

アメリカにやってきたアイリッシュ・フィドラーたちがアメリカでレコード録音したものと、その後、その流れを汲んだ白人や黒人フィドラー(&ヴァイオリニスト)たちの音源で、アイルランド伝統ビート→アメリカン・ポップ・ビートという見直し、再検証作業をやった音楽アンソロジーが、中村とうようさん監修選曲、茂木 健さん解説で1999年に MCA ジェムズ・シリーズの一枚としてリリースされた『フィドラーズ・フィールド:アイルランド・トゥ・アメリカ』だ。

 

 

この世界のことに疎い僕には、この『フィドラーズ・フィールド』は格好の入門盤。しかも茂木 健さんの解説文がかなり詳しい。多くのばあいフィドルの演奏技巧にまで細かく分け入っていて、クロス・チューニング(ギターでいうオープン・チューニングをこう呼ぶらしい)や、左手の装飾や、右手のボウイングなど、そのあたりまではぜんぜん僕に理解できないが、音を聴いて、なんとなくそうなのかとボンヤリ感じるだけ。

 

 

フィドル演奏技巧解説じゃない部分は、アイルランド移民がアメリカ社会で置かれた状況や社会文化背景の説明、それが音楽に具体的にどう反映されて、どんな演奏ができあがったのか、音楽的解説、その結果当時のオーディエンスからどんな反応があったとかなかったとか、ジャズなど黒人音楽の影響がなかったりあったりなど、こんなに楽しくおもしろく、しかも勉強になるブックレットはない。

 

 

しかしいちばん上で書いたけれど、『フィドラーズ・フィールド』を聴くのはお勉強じゃない。気持ちいいからなんだよね。聴いてピュアに、皮膚感覚として楽しいんだ。音楽はこうじゃなくっちゃね。またそういう楽しさが20世紀はじめごろのアメリカで演奏されたアイリッシュ・フィドルにあったからこそアメリカン・ミュージックの屋台骨たりえたわけだし、聴くひとや研究者もいるってわけだろう。

 

 

『フィドラーズ・フィールド』は、大雑把に12曲目までの前半とそれ以後の後半に分割されている。前半はニュー・ヨーク録音で、マイクル・コールマンら当地で活動した正真正銘のアイルランド移民一世フィドラーたち。伝統的なアイリッシュ・フィドル弾きで、茂木 健さんによればスライゴー・スタイルというのだそうだ。スライゴー(Sligo、Sligeach)はアイルランドの地名。

 

 

『フィドラーズ・フィールド』13曲目からの後半は、アメリカ南部のフィドラーたちで、録音地も南部のようだ。のちのヒルビリー・ミュージックのこの名の由来となったバンドのメンバーだったアル・ホプキンスや、これも知名度があるデイヴ・メイコン、さらにブルーグラス界の代表的存在ビル・モンローの録音が三曲(はこのアンソロジーの、ある意味、クライマックスだ)などなど。

 

 

そしてアルバム最後の三曲は、この二つの流れとも異なっている大都会のジャズの世界などで洗練されたスタイルで弾く、茂木 健さんの表現では「芸術音楽」におけるフィドラー、というよりもヴァイオリニストたち。だからたぶんどうも、フィドルという呼び名はあくまで民衆社会共同体に根ざした演奏をしているものに用いるということかなあ。ヴァイオリンはクラシック界由来のアーティスティックなものだと、そう理解していいのだろうか?

 

 

ラスト三曲のジョー・ヴェヌティ、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン、スタッフ・スミスは、僕だと音が流れてきた瞬間に頰が緩むようなお馴染みのものなんだけど、このアンソロジー『フィドラーズ・フィールド』の聴かせどころはそこではない。茂木 健さんもスタッフ・スミスについて「お行儀の良さとは無縁の徹底した大衆性」「伝統的な大衆芸能の精神を体現しつつ、フィドルという楽器のひとつの頂点まで飛んでいってしまった」とお書きではあるけれど、本アンソロジーの主眼は21曲目までの、あくまで伝統スタイルで弾く北部ニュー・ヨークのアイリッシュ・フィドラーたちと、南部の田舎町でやる貧乏白人フィドラーたちだ。

 

 

前半12曲目までのアイリッシュ・フィドラーたちの演奏はほとんどが4/4拍子のリールで、このズンズン進むビートのスウィング感の激しさ&なめらかさに、いま聴いても耳を奪われる。三曲収録のマイクル・コールマンはアメリカにおけるアイルランド音楽界最初の大きな存在とみなしていいみたいだけど、まさにアメリカン・ビートの祖型だ。コールマンは2曲目だけが6/8拍子のジグ。

 

 

 

 

 

 

個々の曲名にあまり意味はないようだから付さない。 フィドル演奏はどれも同じ素晴らしさだが、3曲目の伴奏はギターなので、アメリカン・ポップ・ミュージックへの流れとしては理解しやすいかも。三つとも平坦さとはほどとおい表情豊かな演奏で、しかも強力にスウィンギー!さらにフィドル演奏のなかで一小節四拍の二拍目と四拍目にアクセントが置かれている。すなわちシンコペイトするアフター・ビートで、ジャズでもなんでもアメリカン・ミュージックのグルーヴ感の…(以下略)。

 

 

やはりニュー・ヨーク録音でパディ・スウィーニーが弾くアルバム6曲目なんかも、めまいがしそうなくらいの猛烈なドライヴ感だ。これも二拍目と四拍目のアフター・ビートを強調してある4/4拍子のリール演奏。いやあ、すごいね、こりゃ。1934年のニュー・ヨークで録音した、やはりアイルランド移民一世。

 

 

 

アルバム9曲目はかなり興味深い。ネットに音源がないみたいだが、フィドル+伴奏楽器だけでなく、アコーディオンやドラム・セットなどもくわえてのバンド形式でやっているもので、足踏み(steps とクレジットあり)の音も強く聴こえるのがいかにもステージ・パフォーマンスだというのを思わせる芸能性。ビート感がかなり強いんだけど、1934年録音にしてジャズの痕跡が皆無だ。ニュー・ヨークという大都市で、しかも第二次大戦前という時期に、伝統的なアイリッシュ・リールのドライヴ感とアメリカ黒人音楽が <ジャズなしで> ここまで直接結合したのは稀なのかもしれない。

 

 

10〜12曲目のヒュー・ガレスピー(はドゴニール出身だけど、スライゴー・スタイルで弾く、それはマイクル・コールマンの影響らしい)もいいんだけど、アンソロジー『フィドラーズ・フィールド』の後半に収録されている、アパラチア山脈に沿った南部フィドラーたちの話もしておかなくちゃ。

 

 

13曲目のアル・ホプキンス「婆さん鶏がコッコッコ」(Cluck, Old Hen)からしてすでに前半のニュー・ヨーク録音とはかなり違っている。まず、楽器演奏だけでなく歌や掛け声が入るばあいもあること。さらにバンド形式になって、しかも猥雑さが増している。いわゆるオールド・タイム・ミュージックってことだね。ことフィドル演奏だけ抜き出して聴くと、前半のアイリッシュ・フィドラーたちに技巧で及ばないもかもしれないが、バンド・ミュージックとしてのエンターテイメントという視点で聴けば、かなり楽しくおもしろい。

 

 

 

お聴きになっておわかりのようにバンジョーが入っているのも、南部における黒人/白人両音楽文化の接触を思わせておもしろい。14曲目のアンクル・デイヴ・メイコン、15のアーミン・リロイ・カーリー・フォックスも楽しい。特に後者の「テネシー・ロール」におけるフィドルはすんごい躍動感だ。これもネットに音源がないのか…。残念だ。ひょっとしてアルバム『フィドラーズ・フィールド』でいちばんドライヴしているのがこの一曲かも。伴奏はギターとベース。

 

 

超有名人のビル・モンロー。伝統曲を集め、本人もフィドラーで、幼少時のモンローの音楽形成に大きな影響を与えた叔父ペンに捧げる意味で製作されたアルバム『アンクル・ペン』(録音は1969〜71年)から三曲が、『フィドラーズ・フィールド』の16〜18曲目に収録されている。特に16曲目(はネットに音源がない)と18曲目にアイリッシュ・リールの感覚が強く残っている。だがしかしできあがりはモダンなアメリカのポップ・ミュージックになっているよね。

 

 

17「ジェニー・リン」https://www.youtube.com/watch?v=lhgsEC61Txs

 

18「テキサス・ギャロップ」https://www.youtube.com/watch?v=ylVANMmcVKo

 

 

アルバム『フィドラーズ・フィールド』の19曲目、クレイトン・マクミチェン(1937年録音)や、20、21曲目のミルトン・ブラウン(1935、36年録音)になると、かなりジャズと結合していて、僕にはわかりやすい。ジャズのイディオム(洗練)を吸収し、それをフィドル中心のストリング・バンド(荒々しさ)に移植したということがよくわかる。

2018/05/27

カエターノが表現するアメリカン・スタンダードのエキゾティズムとはなにか

 

 

カエターノ・ヴェローゾ、2004年のノンサッチ盤『ア・フォーリン・サウンド』。ってことは僕がいま見ているこの CD はアメリカ盤か。その後知ったことだけど、このアルバムは(も)ブラジル盤、ヨーロッパ盤、日本盤、アメリカ盤と、ぜんぶ収録曲と並び順が違っているらしく、上の Spotify にあるのはブラジル向けのやつってこと?

 

 

各種クレジットや諸情報は持っているアメリカ盤 CD を参考にしながら、それになく Spotify にあるものは超有名曲なので曲そのもののことはオーケーだ。演奏者がわからないけれどもさ。 カエターノのこのアルバムは、一曲ごとに伴奏陣の編成がかなり違っているんだよね。

 

 

さて、カエターノの『ア・フォーリン・サウンド』。成功している曲と、イマイチそうでもない、っていうかはっきり言ってかなり退屈だなと感じるものとが混ざっているように聴こえる。アルバム全体としてはどうってことない作品かもしれないよなあ。

 

 

でも北米と(中)南米が交差する地点に置いたばあいのアメリカン・スタンダードのエキゾティズム(つまりア・フォーリン・サウンド)を考える際には、ちょっとおもしろい題材になるものかもしれない。そう、カエターノの『ア・フォーリン・サウンド』は北米合衆国のポップ・スタンダードばかりをとりあげて、全編英語で歌ったアルバム。だけど、一筋縄では行かない。

 

 

そんな視点で、僕の持つアメリカ盤 CD『ア・フォーリン・サウンド』全22曲と、それにはないけれど上の Spotify にあるやつ(はブラジル盤?)3曲をあわせ計25曲を、個人的にいいと感じるやつとそうでもないやつに分別して、今回の僕にとっておもしろいと聴こえるものだけ列挙すると以下のようになる。括弧内は曲の版権登録年。作者は明記する必要もないものばかり。

 

 

それら11曲はぜんぶ Spotify にあるから、それでお聴きになりながらというかたがたの便に利するため、曲名の左に Spotify にあるアルバムでの曲順数を書いておいた。それはアメリカ盤 CD のものとはかなり違う。

 

 

1 The Carioca (1933)

 

2 So In Love (1948)

 

4 It's Alright Ma (I'm Only Bleeding) (1965)

 

7 The Man I Love (1924)

 

10 Diana (1957)

 

15 Detached (1993)

 

16 Jamaica Farewell (1955)

 

18 Cry Me A River (1953)

 

19 If It's Magic... (1975)

 

21 Stardust (1927)

 

22 Blue Skies (1927)

 

 

以下、このセレクションに限定して話を進め、それ以外の収録曲のことはいっさい書かない。

 

 

カエターノはロンドン時代もあるし、それとは関係なく英語に問題のないひとだろうけれど、それでも英語曲をそのまま歌った『ア・フォーリン・サウンド』をじっくり聴き込むと、やはりちょっとこう、これはブラジルなまり?と言っていいのどうかよくわからないが、英語母語話者の発音とはすこし違うよね。

 

 

しかしそこもまた「耳慣れない音」っていうか、一種のエキゾティズムをちょうどいい具合にかもしだしているのかもしれない。アメリカ合衆国人が聴けば、たとえば「私の彼氏」「スターダスト」「ブルー・スカイズ」みたいな知らぬ人のいない、もはやパブリック・ドメイン的なと言いたいくらいのティン・パン・アリー・ソングはアメリカ人の歌で耳慣れているはずだから、カエターノの発音の異国性をおもしろく感じる部分があるかも。イラッとするだけかも。

 

 

そんなことは瑣末なことだ。僕が今日強調したいのは、こんなアメリカン・ポップ・スタンダードを、カエターノ(やジャキス・モレレンバウムなど、その他)は、ブラジルとは限らない中南米音楽ふうに料理して、だから曲そのものをよく知っているアメリカ合衆国人にはできあがりのサウンドがフォーリンで、サウンドに耳慣れている中南米人には曲そのものがフォーリンなものなのだっていう、ダブルの異国効果を生み出しているという点。

 

 

なかなかこんなアルバムはなかったと思うんだよね。たとえば1「キャリオカ」は、こんな曲題だけど、古いアメリカン・ソング。アーティ・ショウ楽団もやったことがある。それをカエターノ(ここではジャキスはいない、アレンジャーは明記がないが、たぶんダヴィ・モラエス)は、レゲエ+クラーベ(ちょっとだけアバネーラふう)みたいなリズムにしてやっているよねえ。ちょっとアフロ・バイーアっぽいニュアンスもある。

 

 

2「ソー・イン・ラヴ」はセクシーなラヴ・バラードだけど、カエターノとジャキスはボレーロ/フィーリンに仕立てて、原曲の持つ官能をより際立たせることに成功している。こんなサウンドと声は1994年の『粋な男』でも大成功したものだ。キューバ〜メキシコの音楽っぽいから、アメリカ合衆国人が聴いてもあんがいそんな異国性は感じないのかなあ?いやあ〜、しかし、きれいですね。

 

 

問題は、というかアルバム『ア・フォーリン・サウンド』のある意味での白眉は、4のボブ・ディラン・ナンバー「心配すんな(血が出ているだけ)」だ。このリズムはなんだろう?僕はカエターノ&ジルベルト・ジルの『トロピカリア 2』の1曲目「ハイチ」を連想したのだった。相通ずるものがあるんじゃない?まるでラップみたいに歌うカエターノのヴォーカル・スタイルだって似ている。

 

 

 

7「私の彼氏」はボサ・ノーヴァ、10「ダイアナ」もほんのり軽いブラジリアン・テイストで、これら二曲の音楽スタイルはアメリカ合衆国でだってお馴染みのものだろうから、取りたてて言うことはないのかもしれない。15、アート・リンゼイの「ディタッチト」は、リンゼイのあんなサウンドをジャキスがオーケストラ・スコアに起こし、カエターノの声も加工してある。16「ジャマイカ・フェアウェル」はハリー・ベラフォンテのものだしカエターノもカリプソでやっているが、しかしアフロ・バイーアっぽいパーカッションの使いかたにも聴こえる。

 

 

スティーヴィ・ワンダーの曲である19「イフ・イッツ・マジック」は、リズムの実験がおもしろい。スティーヴィのオリジナルは終始ハープ一台だけの伴奏で清涼感のあるサウンドになっていたが、カエターノらはエレクトロニクス・サウンドで組み立てて、ペドロ・サーのエレキ・ギターも活躍。妙に重くザラついた質感があるよね。パーカッション・サウンドもコンピューターで創っているはず。

 

 

手持ちの CD にはないが21「スターダスト」はボサ・ノーヴァ。だれの演奏か、ナイロン弦ギター&シェイカーだけっていう典型的なスタイルで、しんみりするこの失恋歌をカエターノが軽くソフトにささやいてくれて、聴き手の心にそっとやさしく寄り添ってくれて、いいなあ、これ。終盤部での弦楽器ソロ(はナイロン弦ギターの音じゃないなあ、ギターでもないよね?)はだれ?

 

 

CD でもネット音源でも実質ラストの22「ブルー・スカイズ」。これがかなりの聴きものだ。僕個人としては「イッツ・オーライト・マ」と並ぶ、このアルバムの白眉と呼びたい。パーカッショニストのカルリーニョス・ブラウンが生演奏にプログラミングにと八面六臂の大活躍。+ジャキスがアレンジしたストリングス。アーヴィング・バーリンのこれを、かなり鮮明なアフロ・ブラジレイロ路線の楽曲に仕上げている。これぞ、フォーリンな響きのアメリカン・ポップ・スタンダード。

2018/05/26

Músicas de PALOP(2)〜 ギネア・ビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシペ

 

 

四枚組『メモリアズ・ジ・アフリカ』のギネア・ビサウ篇(CD2)とモザンビーク&サントメ・プリンシペ篇(CD4)。先週のアンゴラやカーボ・ヴェルデとすこし違って、CD3では冒頭からいきなりモダンなバンド・サウンドが聴こえる。電化されていることだけじゃなく、音楽の種類として現代的ポップ・サウンドだ。

 

 

むろんギネア・ビサウの音楽伝統があって、それを電化バンド形式でやって大衆化しているということなんだろうけれど、まったくの完全無知な僕が CD3を聴いた一回目でも、こりゃいいね、ノレる、楽しくダンサブルで、しかもかなり明快でとっつきやすいと感じたのだった。

 

 

それまでに知っていた音楽で言えば、ちょっとルンバ・コンゴレーズに似ているようにも聴こえるが、共通性とか影響関係があるのかどうか、ぜんぜんわからない。でもこりゃきっとあるよね。ギネア・ビサウ音楽のことをなにも知らない僕が聴いてそう感じるサウンドだ。

 

 

CD3に収録の14曲をやるギネア・ビサウの音楽家は五人だけ。オルケストラ・スーパー・ママ・ジョンボ、サバ・ミニャンバ、ジョゼ・カルロス・シュワルツ、ンカッサ・コブラ、ゼ・マネル。それぞれ複数曲が収録されている。ど素人の僕がパッと聴いた感じ、二曲収録のスーパー・ママ・ジョンボがかなりいい。これは大好きだ。

 

 

 

この YouTube 音源の1曲目が、『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3の一曲目だ。どう、これ?サイコーじゃないか。コンゴのフランコみたいだよね。同じスーパー・ママ・ジョンボの演奏で、やはりフランコみたいだが、ラテン・テイストも強めに出ていてちょっとサンタナっっぽく感じる、『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3の6曲目「サヤンゴ」はこれ。いいなあ〜。

 

 

 

フランコっぽいものは『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3にはほかにもいくつかあって、しかしこれ、録音年の記載がないので、影響関係の推測ができない。聴感上のザッとした印象だけだと、フランコから来たものがかなりありそうに思うんだけどなあ。三曲あるサバ・ミニャンバ、ンカッサ・コブラ、ゼ・マネルなんかもそうだ。8曲目、サバ・ミニアンバの「ルシアパール」とか、ぜひご紹介したいよさだが、ネットにないみたい。同じ人の9曲目「サウダージ・ソン」は大きくゆったり漂うグルーヴで、気持ちいい。

 

 

CD3の11曲目、ンカッサ・コブラの「スール・ジ・ノ・プビス」が、このオーディブック『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3のギネア・ビサウ篇で個人的に最もグッとくるもので文句なしにいいんだけど、これもネットにないみたいだ。ソロを弾くギター(だれ?)がまるでカルロス・サンタナみたいだけどなあ。しかもリズムはアフリカン・ポリリズム。ヴォーカルもギターも、っていうか全体の曲想に哀感がある。

 

 

CD4のモザンビーク&サントメ・プリンシペ篇。どれがモザンビークでどれがサントメ・プリンシペの音楽なのか、僕にわかるわけもなく、それはブックレットのどこにも記載がない。だがまあ、8曲目をやるアフリカ・ネグラ、13曲目のペドロ・リマはサントメ・プリンシペだね。それ以外はモザンビーク??わかりませんので、どなたか教えてください。

 

 

その二名(だけかどうかはわかりません)のサントメ・プリンシペの音楽がかなりいい。特にアフリカ・ネグラの「アニーニャ」は最高だ。これもちょっとフランコのルンバ・コンゴレーズっぽく聴こえる。関係あるのかな?リズムの感じとか、その上で複数本のエレキ・ギターがからみあうそのスタイルとか、似ているよなあ。「アニーニャ」では長めのギター・ソロもあり。それにカルロス・サンタナっぽさはぜんぜんなくて、もっとカラリと乾いている。同じのがネットにないんだけど、曲はこれだ。『メモリアズ・ジ・アフリカ』収録のは八分以上ある。

 

 

 

13曲目のペドロ・リマ「マンギダーラ」ではドラマーのスネア使いがすこし垢抜けなくてバタバタしているなあとは思うけれど、なかなか楽しい。こういったリズムの感じ、いかにもアフリカのバンド・ミュージックだという趣(おおざっぱな言いかただ)で、踊れるよなあ。この下のは同じ人の同じ音源かなあ?ヴォーカル(・コーラス)もギターもいいね。

 

 

 

これら二曲以外はモザンビーク音楽なのかどうかわからないが、1〜6曲目までは、これはたぶんモダン・ポップスというよりもトラディショナルなフォーク・ミュージックなのかな。楽器編成もヴォーカルや楽器のラインも素朴。7曲目、ヴェロニカ・ペテルソンのものですこし現代的なポップさが出ているが、う〜んと…まだまだ…、でもこういった部分も音楽の楽しさの一部だ。

 

 

その後の8曲目がさっき書いたアフリカ・ネグラで、9曲目のサンガズーザからグッと(僕的には)聴きやすくなってくる。サンガズーザの「リカルディーナ」は、ちょっとカリブ音楽ふうのシンコペイションで、コンガがぽんぽん気持ちよくて、そんでもってエレキ・ギターがやっぱりここでもフランコふう。

 

 

 

10曲目、オス・レオネンセス「ミーナ・ファーダ・メンジ」の派手な楽しさ(ちょっと突っかかるようなリズム)、12曲目、同じくオス・レオネンセスの「ルリア・サー・シガード」もほぼ同系で、二つとも聴けて踊れる。興味深いのは11、14曲目と二つ収録のコンジュント・ミンドーロの、14曲目のほうだ。題して「トニ・ファーダ・キンチーノ」。

 

 

 

どうこれ?アメリカはニュー・オーリンズの音楽によく似ているよね。いちばん最初に僕が思い浮かべたのはかの「ジャンバラヤ」だけど、こんな感じの曲はこの北米合衆国内アフロ・クリオール首都にかなりあるよね。クラベスが3・2クラーベを刻んでいる。その先まで書かなくていいだろう。

2018/05/25

水銀の音 〜 マイルズ『ドゥー・バップ』

 

 

1992年6月に発売されたマイルズ・デイヴィスの遺作『ドゥー・バップ』。録音時期はイージー・モー・ビーとのコラボでのスタジオ作業が1991年1、2月だったということしかわかっていない。以前も書いたが4曲目「ハイ・スピード・チェイス」と7「ファンタシー」は俗称ラバーバンド・セッション(1985年10月〜86年1月)で収録されていたうちの二曲から、マイルズの死後、イージー・モー・ビーがトランペット・ソロだけを抜き出して、バック・トラックは新たに作成したもの。曲名も変えている。

 

 

新録分でも、1991年1、2月の音源にその後マイルズも音を足したかもしれないし、イージー・モー・ビーは間違いなく音を重ねたり編集している。そのモー・ビーの作業だってマイルズの生前と死後に複数回繰り返されただろう。そのあたりのことは、まだほとんど判明していないのだ。

 

 

これら以外のことで、まずは明確になっている限りでの『ドゥー・バップ』関連のデータを記しておく。

 

 

パーソネル

 

 

Miles Davis - trumpet

 

Easy Mo Bee - produce, keyboards, programing, sampling & rap (2,5,7)

 

Deron Johnson - keyboards

 

Rappin' Is Fundamental (Easy Mo Bee, A. B. Money & J. R.) - rap, vocals (2)

 

Kenny Garrett -alto sax (4)

 

 

イージー・モー・ビーの使ったサンプル一覧。

 

 

1 Mystery

 

'Running Away'(Chocolate Milk)

 

 

2 The Doo Bop Song

 

'Summertime Madness'(Kool & The Gang),  'The Fishing Hole'(The Andy Griffith Show),  'Running Away'(Chocolate Milk),  'La-Di-Da-Di'(Slick Rick)

 

 

3 Chocolate Chip

 

'Bumpin' On Young Street'(Young-Holt Unlimited),  'Thanks For Everything'(Pleasure)

 

 

4 Hight Speed Chase

 

'Street Lady'(Donald Byrd)

 

 

5 Blow

 

'Give It Up Or Turn It Loose'(James Brown)

 

 

6 Sonya

 

(no samples)

 

 

7 Fantasy

 

'Love Pains'(Major Lance)

 

 

8 Duke Booty

 

'Jungle Strut'(Gene Ammons)

 

 

9 Mystery (Reprise)

 

'In A Silent Way'(contemporary live version by Miles band)

 

 

おわかりのように『ドゥー・バップ』の9曲目は1曲目のリプリーズで、終幕を告げるアンコールなので、アルバムは実質的に八曲。そのうちラップ・ヴォーカルが使われているのは2、5、7の三曲だけ。残りの五つはインストルメンタル楽曲だ。1992年のリリース時点において、ジャズ・ラップみたいなものはまだ馴染みが薄かったのでそれら三曲に注目が集まって、まあ否定的な意見が多かったかもだけど、いまならなんの違和感もない。

 

 

違和感ないどころか、ジャズ・ラップ・ミュージックとしてもかなり保守的というか、どうですかこれ?ちょっとダサいような気がしないでもないと個人的には思うんだけど?三曲ともラップの内容はマイルズ賛歌みたいなもので、だからそんなに真剣に耳を傾ける必要などない。1981年の復帰作 B 面にあった曲「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」(ヴォーカルはランディ・ホール)と同じ趣向だ。

 

 

それをふつうの歌じゃなくラップでやって、バック・トラックも1991/92年時点でのコンテンポラリーなヒップ・ホップ・サウンドに創り上げ、それでできあがったカラオケ(方式だったに違いない)を聴きながらマイルズが吹いたと、ただそれだけの話だ。カラオケ方式はもっとずっと前からやっている。

 

 

ラップ入りの三曲では、やはり2曲目の「ザ・ドゥー・バップ・ソング」にいちばん力が入っている。ちょっとリズム・フィールが、あのころはカッコエエ〜と思って聴いていた僕だけど、う〜ん…、まあいいや、2018年のブラック・ミュージックとしては訴求力が薄いかも。ここで歌うのは、パーソネル欄で書いておいたがラッピン・イズ・ファンダメンタルの三人で、これはイージー・モー・ビー主導のトリオ・グループ(ユニット?)。

 

 

いまの時代のサウンドとか2010年代的なレレヴァンスとかで判断するとそうなっちゃうんだけど、他のジャズ・ラップ二曲にしても、インストルメンタル R&B みたいなほかの五曲にしても、あまりそういった聴きかたをしないほうがいいのかも、というのが僕の意見なんだよね。マイルズは常に時代の先端的な音楽を追いかけ続けたということになっていて、そういうふうにしか捉えてもらえず、その基準でおもしろい/おもしろくないの判断をされるだけのは、僕たちファンにとっても不幸だという気がする。

 

 

もっとこう、聴いて楽しく心地いいかどうかで判断したいんだよ、僕はね。自称マイルズ好きでそんなのは僕だけなの?この考えかたで、いままでもだれひとり話題にしないマイルズの(保守的だけど)好盤のことを、時代をかたちづくった音楽とかいうんじゃない視点で書いてきたつもりだ。

 

 

この僕の考え、視点でいけば、マイルズの遺作『ドゥー・バップ』は心地いい。聴いていて(僕は)楽しい。だからこそ好きなんだ。決して(1992年の)時代の音だったとか、先端的ジャズ・ラップだとか、新しいヒップ・ホップ・ジャズだとか、そういうことじゃない。たんに楽しいだけ。クラブ・ミュージックとしてダンサブルだし。

 

 

それになんたってマイルズのこのトランペットの音だ。7曲目「ファンタシー」でだけオープン・ホーンだけど、これは俗称ラバーバンド・セッション時からそうだったはずだから、変えることができない。生演奏しかできない楽器だから、過去音源から抜き出したイージー・モー・ビーだって加工はできない。

 

 

あっ、そうそう、ラバーランド・セッションからの音源でなくとも、アルバム『ドゥー・バップ』では、マイルズのトランペット・サウンドをサンプリングして、そのサンプル音を使ってキーボードで弾いているのか?と思わないでもない部分がすこしあるよね。マイルズの吹きそうなフレイジングじゃないと感じる瞬間がある。どこがそれと指摘しにくいんだけど、生演奏部分とサンプリング部分を混ぜてあると思う。マイルズ死後の作業でそれをやった?

 

 

アルバム『ドゥー・バップ』が聴いて楽しく、ダンサブルで心地いいっていうのは、ちょっと妙なアナロジーかもだけど、1968年発売の『マイルズ・イン・ザ・スカイ』1曲目の「スタッフ」に相通ずるものがあるような、そんなフィーリングだと僕は感じている。このことは、納得していただけるようにうまく具体的に説明はできない。

 

 

一定パターンをヒプノティックに反復する「スタッフ」のグルーヴは、ループを頻用するヒップ・ホップ・ミュージックと同質のものがあるってことかなあ?う〜ん、やっぱりうまく言えないや。マイルズのトランペット・サウンドのことを言いたいんだったね。7曲目「ファンタシー」でだけオープン・ホーンだけど、ほかはぜんぶハーマン・ミュートを使っている。

 

 

このミューティッド・サウンドが、いつになくコロコロキラキラとしていて、まるで水銀のように光っている音じゃないか。マイルズ好きはここがたまんないんですよ。みんなこのミューティッド・トランペットの音が聴こえただけで気持ちいい。このサウンドそのものは1950年代から不変なのだ。言い換えれば、中音域のクリアな透徹性を失わないというのがマイルズの魅力。マイルズ・ファンはみんなここが好き。

 

 

そんな不変不朽の水銀のようなハーマン・ミュート・サウンドのトランペットが、こんな感じのバック・トラックの上に乗ってもいい感じに聴こえるのは、はたしてマイルズの持つサウンドが根本的に「新しかった」とかどうとか、そういうことかどうかは僕にはわからないし、関心も薄い。ただただ、この音をずっと聴いていたいだけ。

2018/05/24

時流に乗らずでいこう

Unknown

「新しさは必ずなにかを与えてくれる」みたいなのがマイルズ・デイヴィスの口癖だった。制作販売側としては、そりゃあいままでと同じような商品じゃダメと考えるのは当然だ。変わり映えしなかったら買ってもらえないんだから、新しさは生存のための必須要件。そんな理由でプロの音楽ライターのみなさんも同様の発想をお持ちのよう。

 

 

だけれども、僕らのようにたんなる趣味で、個人的な楽しみのためにだけ、つまり pastime のためだけのものとして音楽を聴くという素人リスナーにとって、新しさとははたしてどれだけ意味を持つものなのか?マイルズが最愛好人物である音楽ファンの発言としては妙だなと受け取られるかもしれないが、長年にわたりマイルズを聴き続けてきたからこそ、最近、心からそう思う。新しい "だけ" の音楽に、値打ちなんか、ない。

 

 

スタイルやコンセプトが古くさくても、楽しく美しい音楽がそのままに聴こえ続けているならば、それを聴けばいいじゃないか。これが真っ当な考えかただ。無理して(無理していないひとはべつにいいけれど)新しい音楽を耳に入れることなんて、新しさを追求することなんて、ないじゃんね。そして、真に美しく楽しいものは、そう簡単にはそれが減ったり終わったりしないもんだし。

 

 

人間の生み出すものは新しくなっていくものだ、進化していくものだという、たぶんこういった一種の進化論みたいなものが、音楽文化に限らず20世紀世界を支配していたと思うんだよね。19世紀後半や末からその直後あたりのチャールズ・ダーウィンとジークムント・フロイトが、たぶん前世紀思想のかなり大きな部分をかたちづくったんだと僕は考えている。そんなことが、いわゆるポスト・モダンの時代にぜんぶご破算になったという考えかたの信奉者なんだよね、僕は。「進化する」というのは一種の巨大な幻想だという考えを持っている。

 

 

好きで聴きたい音楽の要件が「新しいこと」という趣味嗜好のかたがたは、それでいいんだと思う。それにケチをつける気持ちなど毛頭ない。僕は(そしてひょっとして多くのみなさんも)そうとは考えていない、音楽の価値は新しさにはないという個人的意見表明なだけだ。だから、言う。音楽の古い/新しいなんてことはマジでど〜でもいい。

 

 

そもそも、古い/新しいの価値判断は、いったい音楽のどこを聴いてのものなのか?時代が如実に反映される録音状態以外に、音楽のどこに「新しさ」を見い出すことができるのか?こんなことが、最近、どんどんわからなくなってきている。言いかたの問題でもあるので、古い/新しいは、美しくない/美しい、楽しくない/楽しいと言い換えるべきかもしれないが。

 

 

つまり、進化論を支持なさっているみなさんは、古い(スタイルやコンセプトなど)ものは美しくない、楽しくない、ツマラナイ、つまり端的に言って値打ちがないということの表現として「古い」という言葉をお使いなのだろう。そのばあい(マイルズもそうであったように)「新しい」という言葉は、イコール、素晴らしいとか価値が高いとか、そういう意味なんでしょ。

 

 

だからさ、そういうことを言いたいがために古いとか新しいとか、進化するとかしないとか、そういった言葉を使わないほうがいいと思うんだよね。古い/新しいは、(もとは)時代に言及しているだけの表現なんだから。音楽のばあいは、まず第一に制作年代だ。作曲作詞年、録音年、販売年のこと。

 

 

年代をさかのぼって「古く」なると、音楽の中身まで古くなるかのような見かた、聴きかたはおかしいと思うなあ。これは理屈じゃない。1910〜30年代の(ジャズやブルーズだけでなく)音楽作品が大好きで、ずっといつも聴いてきている人間の皮膚感覚なんだよね。いい音楽は古くなんか、ならない。

 

 

年代が新しいというだけで、またスタイルやコンセプトも現代的なものでも、中身の音楽がちっともおもしろくないものだってたくさんあるじゃないか。そこには「新しさ」(と一般に呼ばれるもの)だけしかなく、それ以外にはなにもない。音楽としての楽しさも美しさもない。

 

 

その逆に、1920年代のルイ・アームストロングやビックス・バイダーベックやジェリー・ロール・モートンやフレッチャー・ヘンダスン楽団や、同年代のべシー・スミスらの都会派女性ブルーズ歌手たちや、そのちょっとあとに録音したカントリー・ブルーズ・メンや、またアジア(『ロンギング・フォー・ザ・パスト』)やアフリカ(『オピカ・ペンデ』)の SP 音源集など、ああいったものの不朽の美、当時もいまでも、いつ聴いても、楽しく、心に響くものが僕の心にもたらしてくれるもの、それを考えてみたら、音楽の価値がどこにあるか、はっきりしているんじゃない?

 

 

すなわち、年代だけじゃなくスタイルとかやりかたが古くさく時代遅れになっても、そのことじたいは音楽の価値を左右しない。レコーディッド・ミュージックが伝えてくれる美しさや楽しさは、真にそういうものがそこにあるならば、それは古くならず、時代を超える。あたりまえの話ではあるんだけど、新しいものを聴かなくちゃとヤッキになって血眼で追いかけているような音楽リスナーも一部には存在するように見えているので、ちょっと書いておきたかった。

 

 

世間一般で言う「古い」音楽が色褪せて聴こえず、それを心から楽しめるならば、ムリして新しい音楽を追求することなどない。美しく聴こえ楽しめる古い音楽をずっと聴いていれば、それでいい。それは懐古趣味じゃあない。いわゆる昔は良かったね的なことでもない。音楽は、根本的に、進化・進歩しないというだけだ。

 

 

今日いちばん上で書いたけれど、しかしそれでも変わり映えしなかったら、消費者にソッポを向かれてしまうというのが実態だ。音楽家もレコード会社も営利事業だから、一部些少の愛好家がいるからといって、売れないものをいつまでもカタログに残したり創り続けることはできない。商売の姿勢としてはごくあたりまえだよね。

 

 

でも、もう古くなったから、時代遅れだからといって見向きもしなくなる音楽リスナーや専門家とはなんなのか?もっとこう、変わらない価値に重きをおいて判断し、本当に僕らの心を芯からゆさぶったり癒してくれる音楽の素晴らしさについて、声を大にして言わないといけないんじゃないの?進化・進歩しているということだけ強調して、そこになにがあるのだろう?

 

 

とにかく、新しいものを聴かなくちゃ!という発想は、ずっと前から僕にはない。いつまでも「古い」音楽を、いや、言い換えれば、心から「好きな」音楽だけを聴いていきたい。それが僕のやりかただ。クビキを捨てて、自由に生きたい。

2018/05/23

ザヴィヌル・バンドのグルーヴァソン 〜『ワールド・ツアー』

 

 

オーヴァー・ダブなしのたった五人だけでの演奏かと思うとおそろしいジョー・ザヴィヌルのライヴ・アルバム『ワールド・ツアー』。ザヴィヌル・シンディケートによる1997年の世界ツアーからの収録盤で、翌98年リリースの CD 二枚組だった。僕の持つのはオリジナルのフランス ESC 盤で、ぜんぶで19曲。日本盤は一枚に収めるため数曲オミットしているらしいので、ケシカラン。

 

 

とにかくこれほどハードにスウィング、いや、ドライヴするザヴィヌルの音楽って、ほかにあるのかなと思うほど、スゴイ。ウェザー・リポート時代にもここまでのものは少なかったと思うんだけどね。『ワールド・ツアー』では、そんな部分こそ、いや、それだけが、聴きどころなので、「イン・ア・サイレント・ウェイ」系の静謐ナンバーのことは今日は省略。

 

 

まずオープニングの「ペイトリオッツ」が完璧なグルーヴ・チューン。これが1曲目なんだから、だいたいみんなこれでつかまれてしまう。ドラムスはパコ・セリー(アイヴォリー・コースト)。パーカッションとヴォーカルがマノロ・バドレーナでベースがヴィクター・ベイリーという旧新ウェザー・リポート人脈。ギターはゲイリー・ポウルソン。プラス、ザヴィヌルでバンドの全員なんだよね。

 

 

曲によってはベースをリシャール・ボナが弾いている。歌もやっている。アルバム『ワールド・ツアー』は1997年の5月と11月のライヴからの収録で、全体の3、4、7、8、10、11、15、16曲目が五月のドイツ・ライヴでリシャールが参加。それ以外は11月のやはりドイツ・ライヴでヴィクターが弾いている。

 

 

1曲目の「ペイトリオッツ」とか、まあこんなハードなドライヴのしかたをザヴィヌルの率いるバンドがしたことなんて、まずなかったんじゃないかな。中盤部でブレイクが入りながら、バンド演奏が止まった瞬間にマノロが咆哮し、次の刹那にまた再開するとか、そのあたりの展開はほんと背筋がゾクゾクするような快感。

 

 

こんなグルーヴ路線は、ほかにも4曲目(はマノロとパコの打楽器+ヴォーカルのみデュオ)からのメドレー状態になっている5「ビモヤ」も同じ。これは、以前ご紹介した1996年のスタジオ作『マイ・ピープル』でサリフ・ケイタをフィーチャーしてやっていた曲。だけど、こんなハード・グルーヴ・チューンじゃなかったでしょ。

 

 

『ワールド・ツアー』での「ビモヤ」にサリフを呼べるわけがないので、ここで歌っているのはゲスト参加のパペ・アブドゥ・セク(セネガル)。しかし主旋律部分はヴォコーダーで派手に処理してあって、そこだけだとだれが歌っているのかの判断はできない。パペ・アブドゥ・セクが歌っているのは生声パートで、ヴォコーダーを使ってある主旋律部分はザヴィヌルが歌っているんじゃないかと思うんだけどね。

 

 

いずれにしても、サリフが書いた「ビモヤ」はやや落ち着いた曲想だったのに、ここではこんなに激しく疾走するフィーリングでの演奏。パコのドラミング、特に(裏拍で入れる)シンバルと、マノロのパーカッション、特にティンバレスが気持ちいいなあ。いやあ、快感だ。

 

 

疾走感満点のグルーヴァーは7曲目「ボナ・フォーチュナ」もそうなんだけど、これは曲題どおりリシャールのエレベ技巧をフィーチャーした短いもので、曲としての聴きごたえはあまりない。まるでジャコ・パストリアスみたいだなあとは思うけれど、ジャコの作品のなかに同じようなものがいくつかあったように思う。

 

 

10「スリー・ポストカーズ」、11「スリヴォヴィッツ・トレイル」。どっちも冒頭部からしばらくは「イン・ア・サイレント・ウェイ」系をつまらない感じにしたようで、つまりウェザー・リポートにいっぱあるあんなようなものソックリで、ふ〜んツマランナ…と思っていると(特に「スリー・ポストカーズ」は全体の半分以上がそれ)、途中からパッと場面転換して急速グルーヴ・チューンに変貌。そこからはいいぞ。

 

 

こういった場面ではドラマーのパコ・セリーが本当にすごいと思うんだよね。マノロ・バドレーナも1977年にウェザー・リポートで活躍したパーカッショニストで古株だけど、とてもそうとは思えないみずみずしさで、このコンビの生み出すハード・グルーヴこそが『ワールド・ツアー』の肝だと思うんだ。

 

 

14曲目「トゥー・ラインズ」(と3「インディスクレションズ」もだけど)はウェザー・リポート時代に書いたレパートリーで、ここからラストの16「カルナヴァリート」まで、テンポよく一気に駆け抜ける。「トゥー・ラインズ」の新型4ビートもすごいけれど、15「カリビアン・アネクドッツ」から16曲目へと続く祝祭感のあるグルーヴは気持ちいいよねえ。15で歌っているのはリシャールだ。

2018/05/22

黄金時代のビリー・ホリデイ

 

 

LP でも CD でも一枚とか二枚組とかのアンソロジーなら、むかしから何種類もあるコロンビア系レーベル(ブランズウィック、ヴォキャリオン、オーケー、コロンビア)時代のビリー・ホリデイ。録音時期だとその間1933〜1941年と、1944年に二曲のラジオ放送音源を録音している。別テイクもぜんぶ含めれば計230トラック。それを漏らさず収録した10枚組のコンプリート集 CD ボックスが米ソニーからリリースされたのは何年だっけ?と見直すと2001年。サイズもデカい。

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同じ中身でサイズだけコンパクトにしたものをレガシーが出したのは2009年だ。どうして僕は両方持ってるんだろう?ちょっと比較してみたら、やはりパッケージングとブックレット記載文のフォント・サイズの違いだけだなあ…、あっ、いや、一つだけ違っている。2001年リリースの大きいほうのブックレットには、ディスコグラフィーのあとに "The Songs of Billie Holiday" と題した33ページの曲目解説があるぞ。あれっ?

 

 

その "The Songs of Billie Holiday" では一曲ずつすべてについて丁寧に解説されているじゃないか。これ、どうして2009年版で削っちゃったんだろう?扱いやすいサイズだからと思って最近は2009年版ばかり出していたが、う〜ん…。その2001年版の曲目解説を読みなおしてみたが、今日のこの文章にそれが反映されるかどうかはわからない。2009年版で省いたのは、ぜんぶ載せたら分厚くなりすぎるから?

 

 

全230トラックから、別テイクを外し、1935年に一つ&前述のとおり1944年に二つあるラジオ音源も省くと、ぜんぶで153曲になる。そこから厳選し、といっても独力ではむずかしいのでいままでに存在するみなさんの編んだ各種アンソロジーを参照しつつ、僕の好みと意見でそこから外したり、ないものを入れたりして、絞りに絞ったセレクション・プレイリストがいちばん上でご紹介したものだ。44曲。これより減らせというのはむずかしい。

 

 

録音年を括弧に入れて、それを以下に記しておく。右に * 印がついているのはビリー・ホリデイ名義のレコード音源。ピアノがテディ・ウィルスンじゃないものだけ、その旨書き添えた。つまり、これら1935〜39年の録音セッションは、ほとんどテディ・ウィルスンが弾いている。

 

 

1 I Wished On The Moon (1935/7/2)

 

2 What A Little Moonlight Can Do

 

3 Miss Brown To You

 

4 If You Were Mine (1935/10/25)

 

5 It's Like Reaching For The Moon (1936/6/30)

 

6 These Foolish Things

 

7 I Cried For You

 

8 Did I Remember? (1936/7/19)*

 

9 No Regret

 

10 Summertime

 

11 Billie's Blues

 

12 Pennies From Heaven (1936/11/19)

 

13 That's Life I Guess

 

14 I Can't Give You Anything But Love

 

15 This Year's Kisses (1937/1/25)

 

16 Why Was I Born?

 

17 I Must Have That Man

 

18 My Last Affair (1937/2/18)

 

19 Carelessly (1937/3/31)

 

20 Moanin' Low

 

21 Let's Call The Whole Thing Off (1937/4/1)*

 

22 Sun Showers (1937/5/11)

 

23 Yours And Mine

 

24 I'll Get By

 

25 Mean To Me

 

26 Foolin' Myself (1937/6/1)

 

27 Easy Living

 

28 I'll Never Be The Same

 

29 Me, Myself, And I (1937/6/15)* James Sherman on piano

 

30 A Sailboat In The Moonlight

 

31 He's Funny That Way (1937/9/13)* Claude Thornhill on piano

 

32 My Man (1937/11/1)

 

33 Can't Help Lovin' Dat Man

 

34 When You're Smiling (1938/1/6)

 

35 I Can't Believe That You're In Love With Me

 

36 You Go To My Head (1938/5/11)* Billy Kyle on piano

 

37 If I Were You

 

38 I Can't Get Started (1938/9/15)* Margaret 'Countess' Johnson on piano

 

39 Everybody's Laughing (1938/10/31)

 

40 I'll Never Fail You

 

41 More Than You Know (1939/1/30)

 

42 Sugar

 

43 Night And Day (1939/12/13)* Joe Sulivan on piano

 

44 The Man I Love

 

 

コロンビア系レーベルでの、というかそもそもビリーのデビュー・レコーディングは、当該10枚組のトップに収録されている1933年12月18日録音で、ベニー・グッドマン楽団といっしょにやった二曲。しかしまだ魅力が薄い。ジョン・ハモンドの監修下で行われた1935年7月2日の四曲こそが実質的な「はじまり」だった。ハモンドはこの後、1939年1月30日に四曲やった録音セッションまでずっと面倒を見た。

 

 

その1935〜39年1月30日こそがビリーにとってもいちばんよかった時期(不可分一体だったテディ・ウィルスン名義のブランズウィックへの一連のレコーディング・セッションがその大半)だと僕は信じている。その次が1939年3月21日録音になるのだが、そこからはどうもフィーリングが異なりはじめている。僕だけの感じかたかもしれない。すべてのアンソロジーがその後の録音からも収録してあるから。

 

 

しかし僕個人のこの実感は拭いがたいものがあるんだよね。似たようなメンツによるコンボ編成の伴奏サウンドだって違っているし、ビリーのヴォーカルが変化してやや重くなりかけていて、その後のコモドア・レーベル時代のサウンドと歌いかたに近づいていると思う。あまり好きじゃない。

 

 

だから上のプレイリストは、本当だったら42曲目の「シュガー」でやめたかった。そうせずに「ナイト・アンド・デイ」「ザ・マン・アイ・ラヴ」をラストにくっつけてあるのは、レスター・ヤングといっしょにやっている「ザ・マン・アイ・ラヴ」がすばらしいと言われているからではない。サウンドとヴォーカル・フィーリングの変化の兆しを、みなさんにも感じとっていただきたかった。あるいは僕だけの勘違いかもしれないので、その検証という意味も込めて。

 

 

本論の前に付記しておく。フリーランスだったビリーだけど、テディ・ウィルスンのセッションで歌いテディ名義で発売されたレコードが評判になって、さっそく1936年7月10日からビリー名義で発売すべくレコーディングが開始され、その後テディ名義のものと、まあ実態はほぼ同じものだけど、並行してセッションが進み、レコード発売された。

 

 

それだけじゃなく、それらのブランズウィック・セッションにカウント・ベイシー楽団(はジョン・ハモンドのフェイヴァリットだったから)からのメンバーが参加しているので、ビリーの歌がいいぞと口コミでボスのところに伝わったからなのか、ハモンドの口利きか、わからないが、1937年3月13日にビリーはベイシー楽団の専属歌手となる。

 

 

そのあいだもコロンビア系レーベルへの録音セッションは続き、1938年3月3日にビリーはベイシーのところを退団(クビだったらしい)。しかし直後の同年同月末(正確な日付が判明しない)にアーティ・ショウ楽団の専属として迎えられる。それも11月に退団することとなり、その後のビリーは亡くなるまでやはりフリーランスだった。

 

 

さて、1935年から1939年までのビリーが歌ったコロンビア系録音。上の曲目一覧をご覧になっても、ビリーのファンじゃなかったらふつうあまり知らないなというものが多いかもしれない。いや、そんなことないぞ知っているぞとおっしゃるかたが多いだろうけれど、その場合、それはこの時期にビリーが歌ったので有名化したものなんだよね。

 

 

特別なアメリカン・ポップ・ソング愛好家は例外として、ビリー・ホリデイを連想せずに思い出せるものは、上のセレクションだと6「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」、10「サマータイム」、12「ペニーズ・フロム・ヘヴン」、14「捧ぐるは愛のみ」、21「レッツ・コール・ザ・ホール・シングズ・オフ」、38「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」、42「シュガー」、43「ナイト・アンド・デイ」、44「私の彼氏」だけじゃないかな。

 

 

それら以外は当時の流行歌で、なんでもないヒット・ポップ・チューン、はっきり言ってしまえば取るに足らない他愛のないふつうの小唄なのだ。ビリーは、というかジョン・ハモンド監修下のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションは、多くのばあいそんな、当時だけのいっときのヒット・ポップスをとりあげた。

 

 

しかしどうだろう、参加しているジャズ・メンの演奏力量が抜きん出ているからというのもあるけれど、世間一般のふつうの流行歌も、ここに収録されているビリーの歌で聴くと、2018年のいまでも輝きを感じるんじゃないだろうか。僕はそう思うんだけどね。キラキラしている。時代に即しただけの、ふつうの大衆音楽のありようだけど、そうだからこそ、時代を超える美を放つ。

 

 

1「アイ・ウィッシュト・オン・ザ・ムーン」、2「ワット・ア・リトル・ムーンライト・キャン・ドゥー」、3「ミス・ブラウン・トゥ・ユー」、5「イッツ・ライク・リーチング・フォー・ザ・ムーン」など、ビリー以前のヴァージョンをだれが思い出せるだろうか?ビリー以後ならあるけれどね。

 

 

いま具体名をあげた四曲。この録音集では最初期のものだけど、個人的にはいちばん好きだ。アップ・テンポで軽快にスウィングし、ミドル・テンポで活き活きと躍動し、ビリーのための録音じゃないので歌はワン・コーラスだけで、あとは楽器演奏だけど、インストルメンタル部分とヴォーカル部分に音楽的な差異がないのは驚異的だ。

 

 

ここが戦前コロンビア系レーベル時代のビリー最大の特長だと思うんだよね。ヴォーカルを楽器のごとく操ることができた。しかしそれでも歌詞を無視、軽視することにはなっていない。その逆で歌詞を最大限に表現せんがためのテクニックとして器楽的に歌うのだ。

 

 

端的に言えば、歌詞とヴォーカル表現の不即不離。くっつきすぎず離れすぎず適切に、しかし最大限にまで両者の表現領域を高めている。それこそがビリーの真骨頂なのだ。その後の、上でも書いたがコロンビア系時代の後のコモドア、デッカ、ヴァーヴといった諸レーベルへの録音だと、歌詞表現を重視するほうへ傾きすぎていると思うんだよね。

 

 

言い換えれば重さというということで、ちょっとベタッとなっているように僕は感じる。濡れ紙が肌にまとわりつくかのようなフィーリングが、そのあたりのビリーの歌には聴きとれてしまう。ところが1939年までのコロンビア系録音だと、軽い。ソフトなライト・タッチでふわりと舞っているポップさが、僕には心地いい。

 

 

そんなビリーの歌いかたへの最大の影響源はベシー・スミスじゃなくて、エセル・ウォーターズと、そしてだれよりもサッチモことルイ・アームストロングだった。特にサッチモの痕跡は、この時期のビリーに強い。レパートリーだってにオーケー時代のサッチモが歌ったものがいくつかある。

 

 

一例だけあげておこう。今日のセレクション14曲目の「捧ぐるは愛のみ」。これなんか、ビリー独自のヴォーカル・スタイルである、歌い出しを元旋律よりも高い音ではじめて、その後(あたかも一音程を続けるかのように)平坦なラインをたどり、それでゆっくり大きくノって、リズム・セクションの細かく刻むビートとの好対照で、両者がぶつかり合ってキラキラするというあれ(つまりアフロ・クリオール・ミュージック共通のあれ)〜 それの典型例の一つだ。

 

 

この「捧ぐるは愛のみ」も、サッチモが1929年3月5日にオーケーに録音したのがレコード発売されている。そのヴァージョンもご紹介しておこう。ビリーのヴァージョンと比較してほしい。

 

 

 

ヴォーカルをコルネットと完璧に同じスタイルで扱って、ジャズ(ポップ)・ヴォーカル界の嚆矢となったサッチモ。ビリーはそこからたくさん学んで、しかしそんな器楽的唱法というにとどまらず、サッチモ以上に歌詞の意味に即し離れず(ビリーはスキャットをまったくやらなかった)、しかしくっつかず。それでもってベタつかないドライな、しかしドライすぎない適度な情緒を残しながら、絶妙なバランスで細やかに歌いこなしているよね。

 

 

その結果、多くの曲でビリーは元旋律を歌わず、毎回自らの新たなヴォーカル・ラインを(おそらくは)アド・リブで編み出して歌っているよね。これはもはやフェイクとかいうものじゃない。しかしこの点はいままで多くの評者がたくさん語ってきていることなので、今日は繰り返さない。

 

 

1935年7月時点ですでに素晴らしかったビリーの歌だけど、セレクション15曲目の「ディス・イヤーズ・キシズ」からすこし変化しているよね。この1937年1月25日はレスター・ヤングとの初邂逅だった。その後しばしばビリーとレスターは共演し、ビリーはレスターの持つナチュラルでスムースでしなやかな表現を声に移植するようになり、グンと成長した。ビリー独自のやわらかさとくつろぎとリリシズムが完成されていく。

 

 

15〜35曲目あたりはどれもすべて宝石だけど、特に22「サン・シャワーズ」から35「あなたがわたしに恋してるなんて信じられない」までは、バンド・メンとの一体感もあって、この一連のレコーディング・セッションのピークとして、すなわちビリー・ホリデイの生涯最高の歌唱として、そしてテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション中でも屈指の名演として、いくら激賞してもし足りないほどだ。

 

 

34曲目「ウェン・ユア・スマイリング」こそがベスト・ワンだと僕は信じている。レスターのソロも生涯の名演。ビリー・ホリデイとテディ・ウィルスンのレコーディング・セッションのなかの一曲としても、そしてアメリカ合衆国の戦前ジャズ界でも見つけることができた汎アフロ・クリオール・ミュージックの一発露としても、すばらしすぎて称える表現を見つけることができない。

2018/05/21

大好き、パット・マシーニーの『ウィ・リヴ・ヒア』

 

 

かなりポップだから、ふつう一般のジャズ・リスナーや、あるいはパット・マシーニー(メセニー)・ファンですら敬遠しているかもしれない1995年リリース作、パット・マシーニー・グループ名義の『ウィ・リヴ・ヒア』。打ち込みビートを使っているのも評判が悪い一因かもしれない。しかしなにを隠そう、僕のいちばん好きなパットのアルバムはこれだ。

 

 

その打ち込みビートとポップさこそが、僕は大好きなんだよね。しかもブラック・ミュージック・フィールなんだ。黒い感覚が間違いなく聴ける。しかしそれら A 面でだけ。と言うとエッ?って思われるよね。『ウィ・リヴ・ヒア』は CD しかない(はず)だから A面もB面もないんだけど、なんだかそれがありそうに思えるくらいのコンセプトの差みたいなものが、1〜4曲目と5〜9曲目にある。

 

 

1〜4曲目を(仮想)A 面として、5〜9曲目を B 面とすると、A 面はデジタルな打ち込みビートをメインに据えたポップなブラック・ミュージック。B 面は生演奏で組み立てたジャズ・フュージョンと言っていい。それをつないでいるのが B 面1曲目(全体の5曲目)の「ウィ・リヴ・ヒア」におけるアフリカン・ビート。

 

 

僕がパット・マシーニー・グループの『ウィ・リヴ・ヒア』で好きなのは仮想 A 面であって、生演奏ジャズである B 面はイマイチ(だけど、従来的なファンだと間違いなくこっちだね)。だから今日は A 面たる1〜4曲目の話だけしたい。ところでこの一枚は、パット、ライル・メイズ、スティーヴ・ロドビー、ポール・ワーティコのレギュラー・バンド(+α)でやったラスト作なんだっけ?あ、違うのか…。

 

 

でもポール・ワーティコとスティーヴ・ロドビーは、A 面だとほぼなにをやっているのかわからないと思うほどの薄い存在感だよなあ。ベースとドラムスといったリズム面はかなりの部分がコンピューターを使った打ち込みで組み立てられていて、それをやったプログラマー名が明記されている。生演奏のパーカッショニストはいるみたいだ。

 

 

それから、いつもながらパットはヴォーカルの使いかたがうまい。1曲目「ヒア・トゥ・ステイ」、2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」でそれを痛感する。デジタルなリズム・ループの上にライル・メイズの鍵盤演奏とパットのギターが乗るのだが、それプラス、人声をポリフォニックにからめてある。

 

 

パットの弾くギター・ラインもそれまでとは違って強めのブラック・フィーリングがある。まるでウェス・モンゴメリー。っていうか、この A 面でのギター・スタイルは、ウェスへのオマージュ的なものを意識したのか?と思ってしまうほど。

 

 

特に、ヴォーカリストの入らない3曲目「ザ・ガールズ・ネクスト・ドア」。これは間違いなく黒い。あ、ここではスティーヴのコントラバスがはっきり聴こえるなあ。しかしこのドラム・サウンドはやはり打ち込みを使った部分もあるかも。それをポール・ワーティコのドラムス生演奏と混ぜてあるのかな。その上でパットがひとりで黙々とブルージーに弾きまくる。後半のトランペットはあくまでチェンジ・オヴ・ペースみたいなもの。

 

 

ソウルフルと言ってさしつかえないほどの、そんな「ザ・ガールズ・ネクスト・ドア」の前の1、2曲目は、もっと僕好みだ。それら二曲ではスティーヴ、ポールの二名はほぼ存在感がなく、レギュラー・グループからはパットとライルの二人が、あ、いや、パットひとりが目立ちまくっている。いちおうベーシストもドラマーも演奏はしていると思うんだけど、デジタルなサウンドに混ざって溶け合って、ほぼわからない。

 

 

ヴォーカル・ラインもパットが書いたものに違いない。それがポップだよね。僕はこういうパットの人声の使いかたが大好きなんだ。この1995年作よりもずっと前からあるそういうのがね。この音楽家最大の特色なんじゃないかと思うし、またそれはブラジル音楽から、特にミナス系のそれから学んだんじゃないかな。ジャズ・フュージョンとミナス音楽の関係は深い。

 

 

1曲目「ヒア・トゥ・ステイ」、2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」ともに、メロディ・ラインも明快なポップさだけど、このデジタル・ビートも聴きやすいよね。それを出したいがゆえに、またポップさとブラック・フィーリングを合体させて同時共存させたいがゆえに、コンピューター・プログラマーを使ったんじゃないかな。

 

 

1曲目「ヒア・トゥ・ステイ」。後半、マーク・レッドフォードが繰り返す一定のヴォーカル・ライン(はテーマのヴァリエイション)に乗ってパットがアド・リブ・ソロを弾く部分が、僕はたまらなく大好きだ。そのポリフォニーはかなり整っているから、ギター・ソロもアド・リブじゃないんじゃないかと疑うほど。

 

 

2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」だと、そんなポリフォニーの楽しさが極まっていて、この曲が個人的にはアルバム『ウィ・リヴ・ヒア』でいちばん好き。も〜う!大好きだ。最初、ライルとパット中心のテーマ(?)演奏部で、それがパッと止まってブレイクになりドラムス・サウンドだけになる箇所も気持ちいい。そこはポール・ワーティコの演奏?

 

 

2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」がもうたまらん快感になるのは、中間部の静かなバラード調パート(ではいつもどおりのセンティメンタリズムをパットが弾く)を経て、ライルのシンセサイザーが転調して、その後のグルーヴ・パートになる 6:12 から。そこからマーク・レッドフォードのヴォーカルが入ってくる。

 

 

その後、曲が終わるまでの約1分40秒間、パットのギターも用意されたラインを反復して弾き、同じくアレンジされたラインを歌うマーク・レッドフォードとツイン・ポリフォニーでからみあい、黒いデジタルな祝祭ダンス・ビートの上でツー・ラインが対位的に同時進行する。かなりな細部まで綿密丁寧に創り込まれているが、ここの快感ったらないね。泣きそうなくらい、爽快。

2018/05/20

たまにはケニー・ドゥルーをちょっと

 

 

1956年のリヴァーサイド盤『ケニー・ドゥルー・トリオ』。いま僕が持っているのは1994年に再発された日本のビクターの紙ジャケット盤 CD で、たぶんこういった作品は日本でしかリイシューされない。解説文の佐藤秀樹さんによれば、来日時のオリン・キープニューズは、『ケニー・ドゥルー・トリオ』の再発と『スイングジャーナル』誌選定のゴールドディスク獲得に大喜びだったそう。

 

 

こういうようなモダン・ジャズのピアノ・トリオ、特にケニー・ドゥルーみたいな、言いかたは悪いけれど、どうってことないような平均的なジャズ・ピアニストのトリオ作品は、個人的にどんどん遠くに行きつつあるのだが、それでもたまには思い起こし引き出して聴いてみようっと。

 

 

それにケニー・ドゥルーは平均的とはいえ、個人的にちょっと記憶に残っている忘れじのモダン・ジャズ・ピアニストなんだよね。ケニー自身のリーダー作は、今日話題にしたいリヴァーサイド盤『ケニー・ドゥルー・トリオ』と、渡欧後のやはりトリオ作『ダーク・ビューティ』しか CD では買っていないが、サイド・マンとしてなんだか印象のある人なんだ、僕にはね。

 

 

『ケニー・ドゥルー・トリオ』に関連してこういうふうに言えばだいたいのみなさんがおわかりのはず。そう、翌1957年にジョン・コルトレインがブルー・ノートに録音した『ブルー・トレイン』のリズム・セクションにそのままなったのだ。トレインのブルー・ノート盤は、もちろんこれ一枚だけ。

 

 

すなわち、ケニー・ドゥルー(ピアノ)、ポール・チェインバーズ(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)。だから1956年当時だと、後者二名はマイルズ・デイヴィス・クインテットのレギュラーだった。

 

 

そのほかこの編成のトリオじゃなくてもケニー・ドゥルーひとりでいろんなジャズ・ホーン奏者の伴奏をやっているもののなかで、個人的に思い出があるアルバムってのがいくつかあるんだよ。そんなわけで、ケニーのことは、腕前とかスタイルとかは格別のものじゃないと思うけれど、ちょっと頭の隅にひっかかっている。

 

 

1956年のリヴァーサイド盤『ケニー・ドゥルー・トリオ』。全八曲のうち、いちばんいいなと僕が感じるのは3曲目の「ルビー、マイ・ディア」だ。ご存知セロニアス・モンクの書いたチャーミングなラヴ・バラード。ここでのケニーのレンディションがなかなかいいと思うよ。僕は好きだ。

 

 

これははっきり言ってしまえばケニー・ドゥルーら三人のおかげというよりも、モンクのコンポジションが抜きん出て素晴らしいので、ふつうに失敗なくやればちゃんと聴けるいい出来栄えになってしまうという、そういう曲だ、モンクがえらいと、そういうことなんじゃないかと僕は思っているのではあるけれど。

 

 

しかしこのことは裏返せば、ケニー・ドゥルーら三名はモンクの書いたこの「ルビー、マイ・ディア」の持ち味を殺さず、つまり解釈しすぎずこねくりまわさず、ストレートにそのまま演奏しているということの証左でもあるよね。ときどきそうやってひねりすぎて原曲の味を殺しちゃう音楽家もいるじゃない?そう考えるとケニーもやっぱり凡庸じゃなくて一流なのか。

 

 

アルバム『ケニー・ドゥルー・トリオ』を聴くと、3曲目のモンク「ルビー、マイ・ディア」が図抜けて素晴らしく、ほかの演奏曲は、う〜ん…、やっぱりふつうなのかなあ。ごくごく普通のモダン・ジャズのピアノ・トリオだ。ってことは、ストレートに演奏するケニーらがやってこうなっているということは、モンクの曲以外は、コンポジションとして格別のものじゃないってこと?

 

 

そんなことないよ。1曲目はデューク・エリントン(実質的にはたぶんファン・ティゾルが書いた)「キャラヴァン」、2曲目「カム・レイン・オア・カム・シャイン」、有名スタンダードはほかにも5「テイキング・ア・チャンス・オン・ラヴ」、ディズニー・ソングの6「星に願いを」、ナット・キング・コールでも有名な8「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」とある。

 

 

もとはジャズ・オリジナルである「キャラヴァン」も、アフロ・キューバンを装ったあの独特の無国籍エキゾティズムがあって、ここでのケニー・ドゥルー・ヴァージョンだって悪くない。ただ、エリントン本人を含めジャズ・メンはしばしばそうだけど、せっかくのこんな魅惑的なビートを持つ曲を、アド・リブ・ソロ演奏部ではストレートな4/4拍子にしちゃうのが、個人的には残念。大学生のころから、いろんな(ラテン・)ジャズ・ソングについて、ずっとそう感じ続けてきている。なぜ全編ラテン・ビートのままやらない?

 

 

それでもこのケニー・ドゥルー・ヴァージョンでもフィリー・ジョー・ジョーンズなりにがんばってはいるよね。それとケニーのピアノ・タッチはまさに精緻だ。大半シングル・トーンで弾き、ときおりブロック・コードを混ぜるけれど、破綻がなく正確無比。precise という英単語がピッタリ似合うピアニスト。そこがケニー最大の美点だね。

 

 

2曲目「降っても晴れても」。ところで念のために。同じくスタンダードの「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」にしてもそうなんだけど、こういった曲はたんに気象のことを言っているんじゃない。心象というか、「降っても晴れても」とは、どんなときでも、たとえどんなことがあっても(あなたのことを愛し続けます)というプロポーズ・ソングみたいなもの。逆に「あの雨の日が」っていうのは、あのまさかのときがまた来てしまった、つまりロスト・ラヴ・アゲインってことだ。

 

 

ケニー・ドゥルー・トリオは、「降っても晴れても」のテーマ演奏部でリズム・パターンをちょっと工夫してあるよね。三拍子を混ぜている。ソロ部はやっぱりどうってことないんじゃないかな。ブロック・コードでケニーが弾くテーマ部がチャーミングだ。ソロ部ではややブルーズっぽく弾いている。フィリー・ジョーはブラシでやっているが、このドラマーもブラシがうまい。

 

 

ブルーズっぽく弾くで思い出したが、このリヴァーサイド盤には一曲、ストレートな12小節定型ブルーズがあるよね。7曲目の「ブルーズ・フォー・ニカ」。ニカはジャズ・ファンならみんな知っている女性ジャズ・パトロン。ニカはパノニカなので、あのひとの書いたあの曲も、それもこれも、ニカへのオマージュだ。

 

 

「ブルーズ・フォー・ニカ」で弾くケニー・ドゥルーはさすがのうまさだけど、ジャズ・ブルーズのピアノ演奏として特段すぐれているのかというと…、う〜ん、ふつうだけど、でもかなりいいよね。ポール・チェインバーズのベース・ソロもマジでいいなあ。いつもどおりだけどね。

 

 

ところで、この「ブルーズ・フォー・ニカ」はテーマ部が2/4拍子でソロ部が4/4拍子なんだけど、気のせいか6/8拍子(ハチロク)のブラック・ミュージック・ビートを内包しているかのように聴こえることがある。そういったものを聴きすぎな僕の耳がアホになっているのかな?つまりですね、ピアノでやるジャズ・ブルーズの世界では、あの1940年の「アフター・アワーズ」(エイヴリー・パリッシュ)の影響が後年までずっとかなり濃くあると思うんだけど、違う?

 

 

キューバのエルネスト・レクオーナが書いた「シボネイ」を知るまでは僕の最愛好ポップ・ソングだった「星に願いを」(ディズニー映画『ピノキオ』)。ナンバー・ワンが「シボネイ」になったいまでも、やっぱりこの曲のどんな演奏を聴いても、あの映画のあの場面が浮かんできて、どうか願いが叶いますようにと、そう思うと泣きそうだ。

 

 

ケニー・ドゥルー・トリオもあくまできれいにリリカルに、この「星に願いを」を演奏している。フィリー・ジョーはここでもブラシ。途中でテンポ・アップして倍速になり、その後またきれいに終わる。ケニーのプリサイスなタッチが見事に活きている。最終盤でポール・チェインバーズが(僕の苦手な)アルコ弾きをやるのも、ここでは美しく聴こえる。

2018/05/19

Músicas de PALOP(1)〜 アンゴラ、カーボ・ヴェルデ

 

 

PALOP とは Países Africanos de Língua Oficial Portuguesa(African Countries of Portugese Official Language)。つまりポルトガル語圏アフリカ諸国のことで、ルゾフォニア・アフリカと言い換えることもできる。アンゴラ、カーボ・ヴェルデ、ギネア・ビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシペの五か国。

 

 

その五カ国の音楽の概観的アンソロジーというか、いつまでも植民地支配に固執したポルトガルの罪滅ぼし的なものなのか、2008年に Differenece がリリースした CD 四枚組『メモリアズ・ジ・アフリカ』。一枚ずつそれぞれ、アンゴラ(CD1)、カーボ・ヴェルデ(CD2)、ギネア・ビサウ(CD3)、モザンビークとサントメ・プリンシペ(CD4)の音楽が収録されている。

 

 

これら五カ国はポルトガルのカーネーション革命を受けて独立したので、それは1974年か75年。音楽アンソロジー『メモリアズ・ジ・アフリカ』には、1960〜70年代の録音を中心に、80年代初期ごろのものまでが収録されているとされている(が個別に記載はない)。アンゴラとカーボ・ヴェルデ音楽についてかなりの初心者で、ギネア・ビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシペについてはなにも知らない僕だから、ザッとした感想だけ書いておこう。今日は一枚目と二枚目のアンゴラとカーボ・ヴェルデ篇。

 

 

さて『メモリアズ・ジ・アフリカ』はオーディオブックみたいな側面もあって、というかたぶんブックとして読ませる目的のほうが大きいのか?と思うほどブックレットが充実している。上記五カ国のことをあまり、なにも、知らないひと向けの入門案内文のように思える。葡英二か国語。

 

 

実際、それぞれまず最初に各国の各種基礎情報(国家名、国旗、首都名、使用言語、独立年、通貨、人口など)が書いてあり、そのあとその国の歴史、ポルトガル支配時代、独立、地理など、やはり概観解説が続く。音楽については、五カ国分ともラストにちょこっと触れてあるだけで、CD 収録の音楽家や曲の具体的なことはほぼ書かれていない。

 

 

だから、四枚の CD は、ブックレットを読んでその国のことを知る際の一種の BGM みたいなものとして、ちょっと付属させてあるだけだという、そんな位置付けなのだろうか?そんなわけで、綿密に書いておく必要などあるのかないのかわからないが、そうしようとしても、いまの僕にその知識も能力もない。

 

 

CD1のアンゴラ篇。1曲目からいきなり(ブラジルでいう)ビリンバウの音ではじまり、そのほか擦弦楽器の音が聴こえるが、あくまでビリンバウびんびんに乗せての男性ヴォーカルとコーラス隊のコール&レスポンスで構成されている。素朴な印象を持つ。2曲目もバラフォン合奏+男性ヴォーカル。

 

 

僕のばあい、パウロ・フローレスというセンバ新世代でアンゴラ音楽に入門したのでそういうのが出てくるかな?と思っても、CD1のラストまでそれはなし。パウロの世代を考えたら、1980年代初期までしか収録されていないこの、現地の音楽のベースみたいなものだけ示そうとした(?)『メモリアズ・ジ・アフリカ』にないのはあたりまえか。

 

 

その後、やはりアコーディオン一台+ヴォーカル(3)とかあるけれど、でも4曲目「ゾン・ゾン・2」(エリアス・ディア・キムエゾ)がかなりモダンなポップ・グルーヴで、これってセンバってこと?わからないがグルーヴィだ。男性リード・ヴォーカル+アクースティック・ギター+打楽器+コーラス隊。ビート感が現代的。

 

 

5曲目、マリオ・ルイ・シルヴァ「ゼカ・カマラオ」は、まるでカーボ・ヴェルデ音楽にそっくりだけど、相互影響みたいなものがあるんだろうかなあ。アクースティック・ギターの刻むリズムとかヴォーカルの乗せかたなど、これもアンゴラ音楽ってことか。

 

 

 

そんな感じのアフロ・クレオール・ミュージックがずっと続き、ホントどこまでがポルトガル由来で、どこまでがアンゴラ現地の(ってなにも知りませんが)っていうか大陸部アフリカのもので、どこからが島嶼部カーボ・ヴェルデ音楽の流入で、あるいはブラジル音楽から来ているものがあるのか?とか、わからない。がまあたぶんミクスチャーってことなんだろう。

 

 

しかしこれなら僕でもわかるサウダージ。あの独自の翳った哀感。それはもとはポルトガルから流入したフィーリングなんだろうから、ブラジル音楽にもあるし、PALOP ミュージックにもあるってことなんだろうね。『メモリアズ・ジ・アフリカ』全体にそれが流れている。アンゴラ篇にだってあるわけで。

 

 

サウダージって、哀感とか翳りとか、あるいは暗いとかいうのとは違うと思うんだけど、そこいらへんはあまり考え込まず、適当にサウダージと言って済ませておくことにする、今日は。ブラジルのショーロなんかにもある、あんな明るさと翳りの相反同居みたいな、あるいはアメリカ合衆国のブルーズ・スケールの持つ、長調か短調かわかりにくいようなどっちつかずの曖昧フィーリングにも似ている?

 

 

CD1アンゴラ篇の8曲目、アナンゴーラの「プーシャ・オデッテ」がかなりいい。モダン・センバっぽいが、でも南海の音楽みたいな(カリブふう?)感じもある。グルーヴは強烈だ。『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD1アンゴラ篇のなかで僕のいちばんの好みがこれだ。ジャンプするリズムがとてもいい。パブリック・ドメインなのかな?

 

 

 

10曲目がルンバ・コンゴレーズみたいだったり、12曲目がハワイ音楽みたいだったりするが、11曲目はやはりアンゴラのダンス・ミュージックであるセンバかな。こういったハードなダンス・ナンバーが、僕はやっぱり世界のいろんな音楽のなかでもいちばん好きだなあ。ファンキーなハード・グルーヴが僕にとっての癒しだ。以前、シスター・ロゼッタ・サープ関連でもそう書いた。こういうので溶けるんだ、心が。

 

 

CD2、カーボ・ヴェルデ篇。1曲目はブラック・パワーという演者名になっているが、曲もアメリカ黒人音楽みたいだ。っていうか、アメリカン・ブラック・ミュージックのあんな感じがそもそもアフリカン・ルーツなのかもしれないから、言及順序が逆か。でもアメリカ音楽から入ってきたものもあったかもだよね。

 

 

2曲目で典型的なモルナになって、これは女性歌手が歌っている。3曲目が、今度はこっちがアンゴラのセンバみたいだが、本当はコラデイラってことかな。ホーン・セクションがスタッカート気味の細切れリフ・フレーズを入れるあたりは、ほんとセンバみたいな、あるいはキューバ音楽みたいな、そんな感じだ。ピアノもちょっぴりキューバン・スタイル?

 

 

4曲目以後もモルナみたいな歌謡と、コラデイラみたいなダンス・ナンバーが交互に連続する。聴いているのもいいが、踊ってもいい。7曲目、アナ・フィルミーノ「オ・ベルナルド」がかなりいい。サウダージがあって、しかもゆったりと大きくノるミドル・テンポのダンス・ナンバー。これも一種のコラデイラかな?ナンシー・ヴィエイラにもこういうのたくさんあるよね。

 

 

 

モルナを管楽器でやっているみたいな8曲目とか、おもしろいけれど、その後はまた打楽器+ギター+ヴォーカル(&コーラス)で、しっとりしながらダンサブルで、メロディの動きはやっぱりポルトガル由来のものがあるんだなとわかりつつ、リズムのこんな混交フィーリングは、やっぱりアフリカ音楽なんだなと実感する。9、11と二曲あるマリーノ・シルヴァがかなり素晴らしい。

2018/05/18

激しい雨が降る、京都、1964 〜 内のマイルズと外へ行くサム・リヴァーズとつなぐトニー

 

 

JAL のファースト・クラスで来日した1964年7月のマイルズ・デイヴィス。各都市のホテルからコンサート会場までのすべての移動も空調の効いたリムジンで。この事実だけでもいかに特別待遇だったかがわかろうというもの。このときはマイルズ・バンドの単独公演ではなかったのだが、日航のファースト・クラスに乗ったのはマイルズだけ。マイルズ・クインテットのサイド・メンだって席は別だった。いっしょに来日した妻のフランシスは、情報が見つからないが、たぶんマイルズの隣だったんだろうけれど。

 

 

1964年7月のそれがなんだったのか、なにかのフェスティヴァルみたいなもんなのか、ずいぶん以前(大学生のころ??)に読んだ気がするけれど、いざ今日記しておこうと思って調べても情報が出てこないのが悔しい。どなたかご存知のかたがいらっしゃると思いますので、どうか教えてください。

 

 

いまの僕にわかっていることは、アメリカ人ジャズ・ミュージシャンたちによるその1964年日本ツアーは、マイルズ・バンド以外に、伝統派のクラリネット奏者エドモンド・ホール、歌手カーメン・マクレエ、それからなんとウィントン・ケリー・トリオ with ポール・チェインバーズ&ジミー・コブ(!!)がいっしょだったということ。彼ら以外にいたかもしれないが、やはりわからない。

 

 

ともかく今日の話題はマイルズ・バンド。この初来日時にはサックス奏者だけ交代していて、サム・リヴァーズがテナーを吹いている。前任のジョージ・コールマンがやめたのは1964年の3月か4月。例のニュー・ヨークはフィルハーモニック・ホール公演が2月だったので、すぐあとというに近いタイミング。

 

 

ジョン・コルトレインの推薦だったジョージ・コールマンは、このひとの力量を考慮すればマイルズ・バンドでの吹奏は大健闘だと思うんだけど、当時のバンド・メン、特にトニー・ウィリアムズは好きじゃなかったらしい。このニュー・バンドは、結成後しばらくして、まだ10代だったこのドラマーを中心にまわるようになったので、彼が気に入っているかいないかは大きな問題だった。

 

 

スタジオ録音盤『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』やその後の一連のライヴ・アルバム・シリーズでおわかりのようにコールマンは守旧派で、コードやスケールのなかから一歩も外へ出ない。そこが、たぶんトニーは好きじゃなかったのかも。ボスのトランペットだってだいたいそうなんだけど、さすがに雇い主のスタイルには好き嫌いを言えなかったということか?サウンドはマイルズだって鋭いし。

 

 

トニーのそんな嗜好は、彼自身がブルー・ノートに残したリーダー作品を聴けばよくわかる。そしてたとえば『ライフ・タイム』にも『スプリング』にもサム・リヴァーズが参加している。録音はどっちもマイルズ・バンド1964年7月の初来日よりもあとだけど、だいたいああいったのがこのころのトニーの好む音楽だった。すなわち、無機質でアヴァンギャルド。

 

 

保守的で情緒的なコールマンを、トニーが直接イビったりはしなかったと思うけれど、コールマンのほうが自主的に、つまり忖度して、バンドのボスのトニー愛も考慮した上で、自ら辞表を提出することとなった。このことは後年コールマン自身も明言していて、クビじゃなくて自分から出たんだという、嫌われていたからという、この言葉はそのとおりだったと僕は思っている。

 

 

そんなわけで次のサックス奏者は当然のようにトニーの推薦を聞くということになって、同郷マサチューセッツはボストン出身ということもあり、サム・リヴァーズになった。また、このころエリック・ドルフィーをマイルズが起用したがっているという噂が流れたのをこのトランペッター本人がかなり嫌がって、それを打ち消す意味もあって、ちょっぴり前衛的なサム・リヴァーズを選択。

 

 

サム・リヴァーズがマイルズ・バンドの一員になったのは1964年の4月。コールマンが辞めてもクラブ・ギグなんかは立て込んでいたので、あいだを置かずにそうなったけれど、リヴァーズが参加しているマイルズ・バンドの録音は、公式でもブートレグでも、1964年7月の来日公演のものしかない。それを終えて8月に帰国すると即、というタイミングでウェイン・ショーターに交代した。

 

 

エリック・ドルフィーにかんしては上で名前を出したけれど、実際マイルズはそのプレイ・スタイルが好きではなく、しかしトニーがエリックのことを気に入っているということはボスも知っていたし、またエリックはなんたってコルトレイン(のことをマイルズは終生忘れなかった)がライヴ共演するほどのお気に入りだったともわかっていた。トニーはオーネット・コールマンのファンでもあった。

 

 

ジョージ・コールマンが辞めたとき、トニーはマイルズに向けて本当にエリック・ドルフィーの名前を出したとのこと。だが、ボスはまったく一顧だにせず。マイルズもトニーもいちばんのチョイスは前からウェイン・ショーターだったけれど、ちょうどアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズで音楽監督役だったので、まだ引き抜きはむずかしかった。

 

 

それでサム・リヴァーズになったというわけだね。上述のとおり、1964年の日本公演分しか録音がないリヴァーズ在籍時代のマイルズ・バンドだけど、現在聴けるのは以下の三日分。

 

 

7月12日 日比谷野外音楽堂

 

7月14日 新宿厚生年金会館

 

7月15日 京都円山公園野外音楽堂

 

 

コンサートはこれら以外の都市でも開催された可能性が高い。といっても客観的な資料はなく、マイルズ当人やカーメン・マクレエなどの記憶、そのほかから推測してのことだけど、7月13日に大阪でコンサートがあったのは間違いないんだろう。Nagoya という文字が見えることがあるので、名古屋でも一夜があった可能性があり。そうだとして、おそらくこれら五回でぜんぶだったんだろうと推測できる。

 

 

聴ける三夜分の音源は、7/14の新宿公演がコロンビア盤『マイルズ・イン・トーキョー』となって1969年に公式発売された。残る二日分は、現在 CD 二枚組『ジ・アインイシュード・ジャパニーズ・コンサーツ』という Domino Records 盤になっているのが最も入手がたやすい。ブートレグだけど、アマゾンでふつうに売っている。

 

 

 

これら三日間はすべて日本のラジオ局が録音したもの。コロンビアの公式盤もブート盤もラジオ放送(のための)音源がソースだ。『マイルズ・イン・トーキョー』はニッポン放送の実況録音で、ブート分は不明。いまだ商品化されていない大阪分や名古屋分も、ひょっとしたら録音テープがあって倉庫に眠ったままの状態なのかもしれない。なんだかそんな気がするんだよね。

 

 

周辺情報だった。

 

 

さて、サム・リヴァーズがマイルズの雇った全サックス奏者中図抜けて前衛的で、バンドとは、特にボスとは、水と油みたいだったというのが定説みたいになっているが、はっきり言って間違っている面もある。トニーが前衛ジャズ好きだったと書いたが、ウェイン・ショーターに交代後のライヴ録音を聴けば、かなりとんでもないことになっていることも多いからだ。

 

 

その証拠を二つだけ示しておこう。1965年12月のシカゴはプラグド・ニッケルでのライヴ(これはアンソロジーのほうにしておいた)と、1967年10、11月の欧州公演(はボックスしかない)。マイルズはいつもとさほど違わない演奏だけど、ウェインとトニーが暴発している。

 

 

1965年プラグド・ニッケル

 

 

 

1967年欧州公演

 

 

 

こういったものに比べたら、1964年のサム・リヴァーズ(とトニー)はまだおとなしいほうに聴こえるよなあ。そして1965年のシカゴでも67年のヨーロッパでも、暴発しているのがサックスとドラムスなのでもおわかりのように、1964年日本公演で激しい雨が降ったとするならば、それもやはりサム・リヴァーズとトニーによる共闘だったんだよね。

 

 

なんどもしつこいようだけどマイルズは構築型の音楽コンセプトの持ち主で、スタジオ録音ではいつもこれを徹底し丁寧に創り込み、ライヴ・コンサートでは必ずしもこの限りではないこともあるけれど、それでもあまりに強く崩壊型に向かいすぎるのはやはり避けていた。

 

 

そんなところ、1964年7月12、14、15日分と日付順に聴き進むと、なかなかおもしろいこともわかってくる。14日の新宿公演分は公式発売されているので Spotify にあるのをいちばん上でご紹介しておいた。それ以外の二夜は、12日の日比谷公演が見つからないものの、15日の京都公演がネットにあったので貼っておく。

 

 

 

12日の日比谷ではサム・リヴァーズもまだおとなしい。生演奏機会はこれがマイルズ・バンドで初のものじゃなかったはずだけど、みんなにすこし遠慮しているように聴こえる。ボスのトランペットはいつもどおりのマイ・ペースで変化なし、っていうか、だいたい1964年のどのコンサートにおけるマイルズのソロも様式化されていて、悪く言えば変わり映えしないのだ。

 

 

ぜんぶの曲で二番手でサム・リヴァーズのテナー・サックス・ソロ、三番手でハービー・ハンコックのピアノ・ソロとなっているが、笑っちゃうのはハービーのソロだ。リヴァーズはおとなしいといってもああいったスタイルのサックス奏者だから、しばしばスケール・アウトし、フリーキー・トーン(こそマイルズの嫌ったもの、エリック・ドルフィー関連で)も出す。背後でそれをトニーがあおる。だから続くハービーも刺激されていることがあるんだよね。

 

 

12日の日比谷でも「ソー・ワット」「ウォーキン」といったハード・ブロウ・ナンバーでそれが顕著だ。いっぽうバラード「ステラ・バイ・スターライト」はあくまでリリカルにやりたいマイルズなので、本人は、あのフィルハーモニック・ホールのヴァージョン(『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』)と同じようにきれいに吹いている。伴奏のハービーもそう。

 

 

そしてサム・リヴァーズもあくまでそんなボスのリリカル志向にあわせるかのように、落ち着いたフィーリングで美しくサックスを吹いているんだよね。この12日の「ステラ・バイ・スターライト」でのリヴァーズは、それでもたまにアウトしかけているけれどすぐに戻り、音色も外さず、フレイジングに情緒感は薄い抽象的なものだけど、それでもそこそこマイルズ好みの演奏だったかもと思う。

 

 

「ステラ・バイ・スターライト」は15日の京都でも演奏されているので聴き比べたいのだが、12日ヴァージョンと大きな違いはない。特にボスのトランペットは、上でも書いたがいつも同じになるような様式化されたもので、だからそんな二つ聴かなくてもいいのかも。つまらんといえばたしかにつまらん。でも京都ヴァージョンのほうが、トランペットの音がより強く、フレジンングにもやや力が入っているのかなと聴こえる。

 

 

続く二番手サム・リヴァーズの演奏は、しかし12日の日比谷ヴァージョンと大きく異なっているのだ。スケールの外側へどんどんハミ出して、音色も通常のものからアウトして、これはなんだろう?フリーキー・トーンというのでもない、ちょっとこうグチャっていうヘンな?(これはいい意味で)サウンドだよなあ。

 

 

サム・リヴァーズがこうなるっていうのは、もちろん12日の日比谷公演からそんな傾向が若干うかがえる。しかし12、14日と二回の東京公演ではまだ抑制していたんだよね。さすがにボスに遠慮して気を遣い、あまり外しすぎないようにしたってことかなあ。でもそれじゃあ肝心のトニーはイマイチおもしろくなかったんじゃ?

 

 

ハード・ブロウ・ナンバーは、14日の新宿でもたとえば「ソー・ワット」「ウォーキン」がある。15日の京都には「ソー・ワット」がなく(残念)「ウォーキン」があって、さらに14日にもやった「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」や、また京都でだけ演奏の「オレオ」なんかもハードな調子。

 

 

それらのアップ・テンポな曲での最大の聴きどころは、やはりサム・リヴァーズとトニーのコラボレイション。一番手マイルズのソロ背後からしてすでに激しいトニーだけど、リヴァーズのサックス・ソロになると、またすこし違ったリズムの実験をやっている。それにはロン・カーターとハービー・ハンコックも参加して、進んだり止まったり一箇所で回ったりなど、マイルズのソロ・パートでは聴けないリズムの複雑化を見せている。

 

 

続くハービーのピアノ・ソロ部ではまたメインストリームなスタイルに戻ったかのようだけど、ハービーがリヴァーズに刺激されながらも自分のペースに立ち返っているから、トニーもそれにあわせてステディな4/4ビートを刻んでいるんだよね。このドラマーは1963〜67年までライヴではいつもそうだけど、ハービーのピアノ・ソロ部でいちばんおとなしく保守的。その前までで存分に暴れたからってことかなあ。

 

 

12小節定型のブルーズ・ナンバー「ウォーキン」。この曲をこのバンドがやる際には、マイルズに続き二番手でトニーのドラムス・ソロが入るのが日常で、ほかのメンバーのソロ部でもハードに叩きまくっている。14日の新宿だと、三番手のサム・リヴァーズが、ブルーズだからアヴァンギャルドにやりやすいということか、この日、かなりアウトサイドへ踏み込んでいるのがわかるよね。特に音色というか音の出しかた。フレイジングもそうだ。

 

 

「ウォーキン」は15日の京都でも演奏されている。それを聴くと、14日の新宿がまだまだコンサヴァティヴだったのかと思えるほど。だいたい二回の東京公演では、マイルズとサム・リヴァーズが互いに歩みよっているかのようにも聴きとれるもんね。内側にとどまりたいマイルズががんばって外へ行き、外に出たいリヴァーズも遠慮して内にいようとして、それでなんとかバンド五人のバランスを保とうとしている。

 

 

15日の京都公演では、そんな一体化を目指す方向性ももはや弱くなっているよね。マイルズもサム・リヴァーズもリズムの三人もやりたいようにやり放題で、クインテットの音楽総合性では整合美を欠くけれど、だからこそ実はいちばんおもしろいのが京都公演なのかもしれない。マイルズも京都ではなんだかハードだけど、サム・リヴァーズがどんどん外側へ出て行って帰ってこない。そのせいなのか、リズム三人もポリリズミックな方向へ傾きつつある。

 

 

1964年7月15日の京都は円山公園野外音楽堂。この夜の天候は雨。ここは野外といっても完全なる屋根なしではなくカヴァード・エリアもあった。この日、マイルズ・バンドの演奏中に雨がポツポツ降りはじめ、それがどんどん激しくなって、観客のなかで避難できる人は屋根のある場所へ移動したり、傘の花が咲いたりしたそうだけど、それでもオーディエンスの大半はそのままその場でずぶ濡れになりながら聴いたのだった。

2018/05/17

アレクサンドリア・ザ・グレイト

Unknown

黒人教会音楽の影響が言われる女性ジャズ歌手ロレツ・アレクサンドリアだけど、ことインパルス盤『ザ・グレイト』(1964)にかんしては薄いような気がする。粘っこいアクみたいなものがなく、もっと小粋で軽快にスウィングし、かつ丁寧に歌いこんでいるよね。そして原曲の歌詞をとても大切にしていることも、聴けばわかる。

 

 

これもしかしむかしの僕はレコードの A 面しか聴いていなかったような気がする。だって完璧なんだもんね。ラストの「オーヴァー・ザ・レインボウ」を聴き終えたらすっかり満足しちゃって、そこで終わっていた。でも CD リイシューされてから(意識的に)旧 B 面分も続けて聴いたら、かなりいいじゃんね。

 

 

ロレツの『ザ・グレイト』全十曲はどれもよく知られたスタンダードばかり。それが伴奏陣の編成で二つに分かれている。オーケストラ演奏をバックにしてミュージカル『マイ・フェア・レイディ』からの有名曲を歌った三つと、ほかの七曲はウィントン・ケリー・トリオ(三曲はプラス2)のスウィンギーな伴奏で、やはり有名曲を歌う。

 

 

インパルス盤ロレツのもう一枚は Spotify にあって、でもそれは『ザ・グレイト』の続編なんだから、どうして『ザ・グレイト』がないのか不思議なんだけど、なんと Apple Music にはどのレーベルのどの一枚もロレツは存在しない。過小評価の極みのようなジャズ歌手なんだよなあ。そんなわけで今日話題にしたいこのアルバムは、曲目一覧を書いておこう。

 

 

1 Show Me

 

2 I've Never Been In Love Before

 

3 Satin Doll

 

4 My One And Only Love

 

5 Over The Rainbow

 

6 Get Me To The Church On Time

 

7 The Best Is Yet To Come

 

8 I've Grown Accustomed To His Face

 

9 Give Me The Simple Life

 

10 I'm Through With Love

 

 

言うまでもなく、1、6、8が『マイ・フェア・レイディ』からの歌。僕の趣味嗜好だと、どうしても8曲目の曲題と歌詞が Her ではなく His になっているのが気になって。以前から繰り返すように対象の性別変更だ。女性歌手だから His になっているんだけど、もとのミュージカルでどんな場面だったかがわかりにくくなっちゃわないかなあ。ならないのか…。

 

 

でもそれだけ目をつぶれば、ロレツの歌もビル・マルクスの書いたオーケストラ・アレンジもいいし、ヴィクター・フェルドマンのヴァイブラフォン・ソロだってグッド。でも『マイ・フェア・レイディ』からの歌なら、ほかの二曲のほうがもっといい。

 

 

6曲目「時間どおりに教会へ」は、もとからユーモラスな感じのある曲だからなのか、ロレツも軽妙な感じで歌っているし、ビル・マルクスのオーケストラ・アレンジもそんなペンで、いいね。大編成にもかかわらず、ロレツの歌いかたは、まるでスモール・コンボをしたがえているかのようなフィーリングで軽くこなしている。それに、だいたいこの曲が僕は大好きなんだ。フルートはバド・シャンク。ピアノがやはりフェルドマンで、ドラマーは(全曲)ジミー・コブ。

 

 

 

1曲目「ショウ・ミー」はもっといい。私見ではロレツのこの『グレイト』でいちばん出来がいい、おもしろいと思うのが「ショウ・ミー」と、5曲目の「オーヴァー・ザ・レインボウ」だ。愛しているなら見せてと迫る歌詞も、その歌い込みかたも素晴らしい「ショウ・ミー」では、まずワルツ・タイムでゆったりとはじまるが、途中でパッとテンポ・アップしてスウィンガーになる。

 

 

 

そしてこの「ショウ・ミー」最大の聴きどころは、その中間の快活なパートも終わってスローな三拍子に戻り、その後テンポ・ルパートになる終盤部のカデンツァだ。3:31から。その最終盤パートでのロレツの節まわしがおもしろい。元歌詞のなかからフリーに抜き出しているんだけど、"make me no undying vow" とか "shoooowww meee nooow" のあたりとか、かなり粘っこくグリグリとコブシを回している。それはアメリカ黒人ゴスペルのものというより、まるで日本の伝統芸能のそれに近いようなフィーリングじゃない?新内節みたいだというひともいる。

 

 

こんなネチっこいフレイジングは、ロレツの『ザ・グレイト』ではここだけ。だからこの歌手の持ち味というよりも、オーケストラ・アレンジといっしょにビル・マルクスがヴォーカル・アレンジもやったんだという可能性がすこしあるかも。う〜ん、ホントちょっと上の YouTube 音源を聴いてみて。アメリカ人ジャズ歌手でこんな節まわしって、ほかで聴けるかなあ?そのカデンツァ部分前後のバンド・サウンドもいい(歌のあいだは無伴奏)。

 

 

つまりここでの「ショウ・ミー」は4パートになっていて、こんなふうにドラマティックな展開を聴かせるあたり、プロデューサーのボブ・シールがアルバム・オープナーに持ってきたのはとてもよくわかる。大学生のころの僕は、このアルバム・オープナーの「ショウ・ミー」だけでつかまれてしまった。ロレツというとこれがいまでも浮かぶほど、好きだ。

 

 

ロレツのアルバム『ザ・グレイト』でのもう一つの白眉、5曲目「オーヴァー・ザ・レインボウ」。ちょっとまず音源からご紹介しておく。説明前にまず聴いていただきたい。

 

 

 

どうです?出だしでヴァースみたいにして歌っている部分は「オーヴァー・ザ・レインボウ」じゃない。このスタンダード・ナンバーにヴァースはもとから存在しないんだ。この曲の初演はジュディ・ガーランド主演のミュージカル映画『オズの魔法使い』(1939)↓

 

 

 

ロレツがヴァース代わりに歌っているのは別な曲で、アーサー・ハミルトンが書いてペギー・リーが歌った「シング・ザ・レインボウ」。映画『ピート・ケリーズ・ブルーズ』(1955)からの一曲↓

 

 

 

つまり "虹" つながりってことで、だれのアイデアか、ロレツの発想なのか、わからないが、くっつけたんだね。これが最高にチャーミングな演出になっていると思わない?僕はかなり好きなんだけどね。メイン・パート部分も含め、伴奏のウィントン・ケリー・トリオがいい仕事ぶり。ウィントンは1950年代にダイナ・ワシントンの歌伴もやっていて、手慣れたものなんだ。

 

 

"blueee, uee, uee, birds fly" 部分とか、その他ワン・フレーズの末尾を微妙に変えて伸ばしたり、フレーズ途中でも陰影をつけたりなど、ロレツの丁寧で、ちょっと凝った、そして粋な歌詞の扱い、歌わせかたも聴かせるものがある。歌詞の意味をこんなに沁みるように歌いこんだ「オーヴァー・ザ・レインボウ」はなかなかないよ。素晴らしい。「そこでわたしを見つけて」。

 

 

そしてこのロレツ・ヴァージョンの「オーヴァー・ザ・レインボウ」も、終盤部でやはりフリー・リズムになるカデンツァみたいなものが仕立ててあるよね。ウィントン・ケリー・トリオが伴奏でも、オーケストラとやる「ショウ・ミー」と同じようなエンディング・アレンジになっているってことは、こういうのはロレツ本人か、ボブ・シールの着案だったのかなあ。

 

 

そのカデンツァ部分では「鳥たちは飛ぶんだから、わたしだって虹を超えて飛べるわよね」(I know the birds fly over the rainbow, why, then, oh why can't I fly over the rainbow?)と歌っているが、ここはジュディ・ガーランドやその他の歌手が歌うオリジナル・リリックにはない。いや、あるのだが、変えてアレンジして言葉を足し、ロレツの独自歌詞を組んでカデンツァにしている。歌い終えてのウィントン・ケリーの転調で終わるのも効果的。

2018/05/16

三つ子の魂 〜 ルイス・ペルドーモ

 

 

1971年生まれのルイス・ペルドーモ。ベネスエーラはカラカス出身にしてアメリカ合衆国で活動するジャズ・ピアニストだけど、2012年作『ジ・'インファンシア’・プロジェクト』は、そんなルーツがあらわになった一枚。どこからどう聴いても明快なラテン・ジャズ作品だ。アフロ・キューバンと言っていいかな。

 

 

だがしかしそんな作品を「幼少期」プロジェクトと名付けているのはなんでかなぁ〜と思って CD 附属のリーフレットを開きルイス・ペルドーモ自身の書いた案内文を読んで、はじめて意味がわかったのだった。彼は安直に自己のルーツを出してイージーなラテン傾向の作品を創ることをずっと22年間も避けてきたのだそうだ。

 

 

シンプルにカテゴライズされる結果になってしまうことを嫌ってということらしいんだけど、レーベル Criss Cross Jazz のヘッドのプッシュと、信頼できるサイド・メンを起用できるので、ということでようやく母国はカラカスでの幼少期に(主に父のレコード・コレクションなどで)聴き育ったインファンシーを音楽化する気になったそうだ。

 

 

そんないきさつはともかく、できあがりで判断すると、ルイス・ペルドーモ本人には申し訳ないんだけど、2012年1月26日のブルックリン録音である『ジ・'インファンシア’・プロジェクト』は、わりとティピカルなラテン・ジャズ作品だと僕には聴こえる。編成はピアノ・トリオ+テナー・サックス+パーカッション。パーカッショニストのマウリシオ・エレーラはアルバム全編で大活躍。ラテン・ジャズはリズムの色彩感にこそ命があることを鮮明に示している。ドラマーのイグナシオ・ベローアも、いかにもキューバ出身だけあるという叩きかた。特にスネアとシンバル。

 

 

テナー・サックスのマーク・シムは、やはりジョン・コルトレイン・スタイルで吹きまくり、前から僕も言っているが、ある時期以後のコルトレインのサックス・サウンドはラテン・リズムと相性がいいんだよね。またオーネット・コールマンの曲である4曲目「ハッピー・アワー」ではスケール・アウトするフリー・ブロウイング。作者への敬意なのか、この曲ではルイス・ペルドーモもフリーに弾く。

 

 

ラテン・ジャズ・アルバムだけど、そのなかにある元からのラテン・ナンバー、5曲目「コメディア」(J. A. エスピーノ)は、しかしどこにもラテン臭がない4ビートのジャズ・バラードで、ルイス・ペルドーモもビル・エヴァンズふうにリリカルに攻めているっていうのがおもしろい。エクトール・ラボーのヴァージョンでは、やはり後半サルサ・タッチになっていただけに、ラテン・ジャズ・アルバムに唯一あるそんな由来の曲でだけラテン・スタイルじゃないなんて。ルイスの「コメディア」ではサックスとパーカッションはおやすみ。

 

 

いや、ラテン・ナンバーはもう一曲あった。アルバム6曲目の「ウン・ポコ・ロコ」。バド・パウエルのこの曲だって、もとからアフロ・キューバン・ソングだったね。バドはルイス・ペルドーモの、メインストリームなジャズ・ピアノの先生のひとりなんだそうだけど、「ウン・ポコ・ロコ」ではラテン・タッチをそのまま受け継いで拡大表現している。

 

 

残りの曲は、3「ソーラー」がマイルズ・デイヴィス作、9曲目「メイジャー・ジェネラル」がルイス・ペルドーモも共演歴のあるジャック・ディジョネット作で、ほかはぜんぶルイスのオリジナル。ルイスの自作曲は、ちょっとセロニアス・モンクを思わせるところもあるユニークなメロディの動きかたで楽しい。それをラテン・リズムでやるから、僕は好きだなあ。

 

 

上で書いた5「コメディア」以外はすべての曲がラテン・ナンバーと化していて、たとえばマイルズの「ソーラー」がこうなるのかと思うとかなり意表を突かれる思いだけど、ホント音楽って料理法次第だよなあ。いまふうなジャズ・ドラマーのスタイルを知っていると物足りなく聴こえるかもしれないイグナシオだけど、僕にはこれくらいでちょうどいい。っていうか、なかなかすごいぞ、「ソーラー」も、特にシンバルが。

 

 

ルイス・ペルドーモは、いちばん上で書いたようにラテン・アメリカ圏出身のジャズ・マンがやったふつうのティピカルなラテン・ジャズ作品と安易にみなされるのを嫌って避けてきたということなんだけど、こんな感じでストレートに表出される<ふつうさ><わかりやすさ>、悪い言いかたをあえてすると <安直さ>と聴こえるかのようなものが、まさに幼少期に刻み込まれたものってことじゃないかな。

2018/05/15

バイーア生まれ 〜 メシアス・ブリット

 

 

いいショーロって、晴れた日の朝イチに聴く音楽としても格好のものだと思うけれど、メシアス・ブリットのデビュー作『バイーアナート』(2014)もそのひとつ。以前、カヴァキーニョ独奏による2017年の新作『カヴァキーニョ・ポリフォーニコ』のことは書いたけれど、ほ〜んといいカヴァキーニョ奏者が出てきたよねえ。

 

 

『バイーアナート』のほうは、少人数のティピカルなショーロ・コンボ(って言わないけれど、ブラジルでは)編成でやっている。基本、メシアスを含む二、三人の弦楽器奏者+パンデイロって感じ。弦楽器はたいてい7弦ギター奏者がいて、ほかにリズム役のカヴァキーニョ奏者や6弦ギター奏者や、あるいはテナー・ギター奏者が参加している曲もある。ピアノとアコーディオンが参加するものが一つずつ。

 

 

アルバムにぜんぶで十曲あるものは、二つを除きメシアスの自作だ。その二つは3曲目、フェルナンド・メネーゼス(同郷サルヴァドール出身)の「エンカンタード・コン・メシアス」と、4曲目、セヴェリーノ・アラウージョの「エスピーニャ・ジ・バカリョウ」。前者はメシアスのこのデビュー作のためにこの友人が用意したものなんだろう。

 

 

アルバム全体で「これぞメシアス登場!」と宣言せんばかりのカヴァキーニョ技巧を披露するものが多く、軽快にかっ飛ばすものは、マジで鬼すごい。こんな早弾き、カヴァキーニョなんだからなあ。少人数のショーロ編成アンサンブルのなかを疾風のごとく駆け抜ける高速パッセージを、しかも正確に弾く。

 

 

どの曲がそうだと指摘する必要もない。CD がなくとも上の Spotify にあるものでお聴きいただきたい。1曲目からエンジン全開で、こ〜りゃビックリするよねえ。ややテンポを落とした2曲目のアルバム・タイトル・ナンバーもそうだし(やはりバイーアのリズムっぽい)ね。

 

 

8曲目「アルマンド・セード」はフレーヴォかな。続く9曲目、アコーディオンの入る「タトゥ・エ・エウ」はバイオーンのリズムを使ってある。ほかにも似たような(バイオーンふうの)曲があるように思う。ショーロのなかにフレーヴォとかバイオーンとかあるのはべつに珍しいことじゃないだろうけれど、ブラジル北東部出身だというメシアスのバックグラウンドを表現してもいるんだろう。

 

 

それらの高〜中速ナンバーでのメシアスのカヴァキーニョは、本当に目を見張るほどスゴい。たんに細かい高速パッセージを正確に弾けるというだけでなく、一個一個の音がきれいだよ。音粒が立っている。しかも整ってよく歌うフレイジングだ。いいなあ、これ、ホント。

 

 

しかし僕がもっと感銘を受けるのは、スローな(バラード調の)曲。それらではメシアスは弾きまくらない。テナー・ギター入りのトリオでやる5曲目「アイ・オ・ティーニョ」、ピアノ入りトリオの6曲目「ア・フロール・ナスシウ」、多重録音も使ったトリオ編成の7曲目「プラ・ディオニシオ・ショラール」がそう。

 

 

特に6曲目のピアノといっしょにやる曲がマジできれいだ。本当にいい。この清涼感のある落ち着いたピアノはだれが弾いているんだろうと見ると Makiko Yoneda とクレジットされている。日本人かな?と思うと、どうやら米田真希子というピアニストらしい。僕ははじめて知ったけれど、現在サン・パウロで音楽活動をしているとのこと。

 

 

米田のピアノとメシアスのカヴァキーニョのデュオ(じゃなく、7弦ギタリストもいるけれど)で進むこのバラードは本当に美しい。アルバム『バイーアナート』を聴いていて、いつもここで立ち止まり、リピートしちゃうんだよね。ピアノとカヴァキーニョのユニゾンで進むパートもあるが、ピアノ伴奏の上でメシアスが歌っている部分に聴き惚れる。米田のピアノもツボを押さえた見事なものだ。

 

 

この5〜7曲目のしっとり系三つは、アルバム『バイーアナート』のなかでも特別輝いているように僕には聴こえる。高速疾走ナンバーは胸のすくような爽快感だけれど、そしてそういったものでカヴァキーニョ技巧を披露してデビューを飾ろうっていう意図の作品だろうけれど、5〜7曲目の連続バラードで構成する中盤が、僕にとっては楽しく美しい。

 

2018/05/14

もしも私が空に住んでいたら

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岩佐美咲の二枚目のシングルだった名曲「もしも私が空に住んでいたら」。スタジオ録音オリジナルは、シングル CD 二種(2013)と、アルバム『美咲めぐり 〜第1章〜』に収録されている。パッケージ商品化されているライヴ・ヴァージョンは DVD(か Blu-ray)三枚に三種類(収録は2016/1/30、2017/1/29、2017/7/23)。

 

 

この「もしも私が空に住んでいたら」は本当に素晴らしい曲だと思う。歌詞が最高にいいんだけど、メロディもアレンジもいい。それらのどこがどういいのか、具体的に書くのはよしておこう。美咲が最も得意とする中間的なレパートリーで、演歌とライト・ポップスの真ん中あたりの曲だ。

 

 

こういったレパートリーを歌うときが、美咲はいちばん輝いている。「もしも私が空に住んでいたら」は曲そのものが美咲の資質にピッタリ合致していて、いままでに七つあるオリジナル楽曲のなかでも群を抜いて説得力を持つ。「もしも私が空に住んでいたら」を聴いていると、ホント〜ッに名曲、名歌手、名歌唱だなと痛感する。それら三位一体で心に響く。

 

 

CD ヴァージョンはもちろんスタジオ録音のオリジナルだけなんだけど、2013年時点でのその歌をいま聴いても、その完成度に驚くしかない。曲の出来、アレンジの素晴らしさなどがスバ抜けているってことなんだろうけれど、でもじゃあ、だれが歌ってもいい感じに仕上がるか?というと、そうじゃない。美咲みたいな持ち味の歌手にこそフィットする名曲なのだ。

 

 

その後のライヴ・ヴァージョン三種を DVD で再確認すると、美咲の歌が一回ずつどんどんうまくなっていることも痛感する。伴奏は基本、三種類とも同じなので、違いは主役のヴォーカルだけだ。そして、ファースト・コンサートの「もしも私が空に住んでいたら」は、まだ力みが残っているよね。

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ワン・フレーズ、ワン・フレーズの終わりごとに声を伸ばし張るんだけど、そこで若干リキんでいる。そのせいでややぐらつきが聴けるように僕は思うんだけれど、しかしセカンド・コンサートのヴァージョンではすでにそれも消え、「もしも私が空に住んでいたら」という曲をごく自然に歌えているのだ。

 

 

サード・コンサートのヴァージョンとセカンドのそれとでも、違いがある。セカンド・コンサートのものは、やさしみが増している。たとえば「ふしあわせな人に、そっと、陽を射すわ」部分の「そっと」で、聴き手の心を見透かしたように、それを撫でるかのようにふわりと言葉を、本当にそっと置く。全体的には強めに声を張りながらも、キュートさな寄り添いかたをする。

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サード・コンサートでの「もしも私が空に住んでいたら」では、全体的に、特に声質に、落ち着きがある。歌詞とメロディじたいのあんなフィーリングを、静かでしっとりしてぐらつかない発声とフレイジングで歌う美咲が本当にチャーミングで、歌手として高みにある。こうやって歌ってくれると、この曲の意味が一層沁みるよね。特に歌いはじめの「人目忍んだ道に疲れ果て、隠し通した夢から醒める」なんか、すんごくいいよ。声に深みがあるもんね。「そっと見送る」の最後の「るぅ〜」の部分もかなりいい。

 

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ただしこの「もしも私が空に住んでいたら」。ファースト・コンサートのヴァージョンと、セカンド、サード・コンサートのそれらとではかなり大きな違いがある。それはファースト・コンサートではスタジオ・オリジナルどおりにフル・コーラス歌っていたのに対し、セカンド、サードのそれはショート・カットしているんだよね。現場で聴いていないが、たぶん生でも短縮ヴァージョンを歌ったんじゃないかと推測している。

 

 

省略されている部分には、「月に一度の逢瀬を重ねて、手に入れたものは偽名と孤独」っていう、この歌のなかでもかなりグッと来るものがあるんだけど、これ、聴きたかったなあ。成長した美咲の歌で、ここを聴きたかった。彼女の歌唱力は大きく向上しているだけに、短縮したのだけが、個人的にはやや残念だ。

 

 

こんな名曲「もしも私が空に住んでいたら」。やっぱり美咲の成長とともに曲そのものも成長していると思うから、今後ぜひ一度、生で、フル・コーラスを聴いてみたいと思っている。

2018/05/13

アデデジのアフリカ主義が、とても、イイ!

 

 

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メッチャ都会的に洗練されている音楽。主にヴォーカル&ギターのアデデジ(ナイジェリア)の2017年作二枚組『ア・フリー・カン・イズム』(A Free Kan Ism)のことだ。アフリカ主義と言いながら、これはアメリカの大都会にあるようなポップなジャズ・フュージョンなんだよね。というか普遍的な音楽だから、つまり、これがワールド・ミュージックってことなんだろうか。

 

 

もちろんナイジェリア臭はある。都会的なジャズ・フュージョン(or ジャズ・ファンク)っぽい曲のなかにでも、そのメロディはナイジェリアの音楽家じゃないと出せないようなところ満載だ。ジュジュとかフジとか、ああいった音楽で聴ける節まわし。つまり、ヨルバのそれだ。歌にもでもギターのフレイジングにも、それが聴けるばあいがある。

 

 

それなのに、『ア・フリー・カン・イズム』収録曲の多くはシティ・ポップスみたいなジャズ・フュージョンだもんなあ。最初聴いたとき、ヨルバ版ウェザー・リポートみたいだなと感じたんだけど、ウェザーよりもアデデジのほうが洗練されていて、聴きやすいのかも。ある時期までのウェザーはポップじゃないもんね。

 

 

アルバム収録順に聴いていって最初にそれを感じるのが、一枚目4曲目の「They don't really care about us」だ。この曲でのアデデジの歌いかたを聴いてほしい。英語で歌っているが、これはシティ・ジャズ(って、ジャズはぜんぶ都会のものだけど)じゃないだろうか。折々で弾きからみソロも取るギターだって洗練されていて、まるでジョージ・ベンスン。いや、ちょっとラリー・カールトンっぽい。

 

 

しかしそこに後半、複数のトーキング・ドラム乱打がからみ、するといきなりナイジェリア音楽っぽさも出てくる。トーキング・ドラムが複数台使われているもののなかには、打楽器と声だけのトラックもある。アルバム一枚目1曲目「Oba Edumare」と、一枚目ラスト11曲目「Drum & voice」がそう。電気楽器を抜いたキング・サニー・アデみたいでもある。そんな2トラックで、あいだのシティ・ポップス系ジャズ・フュージョンをサンドウィッチしているんだよね。

 

 

一枚目5曲目「Afreeka On my Mind」なんか、大編成ホーン・セクション、なかでもミューティッド・トランペットの使いかたなんか、かなりのソフィスティケイションを感じるなあ。アデデジがサウンドを創っていると思うんだけど、ハーマン・ミュートを選択し、そんなトランペットを複数台用い、リード・ヴォーカルと女性コーラスのお洒落なやりとりに混ぜるっていう、こんな手法は、ナイジェリア音楽のなかでは(僕は)聴いたことがない。

 

 

ってことは、だから、アメリカ(など)のジャズ系音楽家ならこの手のやつがいっぱいあるとは思うんだけど、ナイジェリア人がやる「わが心のアフリーカ」なんていう曲題のもののなかでこういったものが聴けるとはややビックリだ。しかも打楽器隊のリズムはアフリカのものだし。アデデジは、アルバム中ほかの曲でもそうだけど、ラップっぽい感じでしゃべるように歌う。というか、ジョン・ヘンドリクスみたいなヴォーカリーズの歌手に似ているよなあ。書く曲の旋律も細切れでメカニカルに上下しているしね。

 

 

続く一枚目6曲目「Iyawo Ori Aja」なんか、も〜う最高に楽しいよ。ハイライフだけど、それよりかもっとこう、ジャズじゃないか。サックスとトロンボーンのソロもいいが、途中からほぼ打楽器オンリーのアンサンブル・パートがあって、そこにカリンバがからみ…、と思っているといきなりビッグ・バンド・ジャズ(&ヴォーカル)に直接つながる。こ〜りゃ楽しいね。

 

 

アルバム中いろんな曲で頻繁に聴こえるカリンバは、アデデジ本人の演奏みたい。そのカリンバとヴォーカル(+ちょっとだけのピアノ&アクースティック・ギター)で構成された、どこの音楽だかわからないがアフリカのユニヴァーサルネスみたいな7曲目「ORI」をはさみ、8曲目「If you don't like to Funk」が、こりゃまたすごくイイ。

 

 

「If you don't like to Funk」はジャズ・ファンクに違いないと思うんだけど、歌詞でアデデジが「ジャズは教師、ファンクは説教師」とか歌って、しかしジェイムズ・ブラッド・ウルマーみたいな部分はこの曲のなかにはない。もっとポップで軽快な聴きやすいジャズ・ファンクだ。サビへ入る直前に「take it to the bridge」とやるのは、ジェイムズ・ブラウンの「セックス・マシン」だ。レッド・ツェッペリンのロバート・プラントも引用したあれ。バリトン・サックスのソロもいいなあ。

 

 

二枚目になると、いきなりロックなドラミングではじまる1曲目「Alujoboplectic」。しかしその後はやはりフュージョンの語法だなあ。この1トラックはマジでウェザー・リポートじゃないか。ドラミングとヴォーカルのラインをシンクロさせユニゾン進行させるあたりのアレンジは、ある時期以後のジョー・ザヴィヌルの手法そのまま。

 

 

しかしもっといいのは2曲目「C.O.P (Country Of Pain)」から4曲目「Ijo Ominira」までの三曲。ここがアデデジのこの二枚組『ア・フリー・カン・イズム』のクライマックスだと僕は聴いている。三つともすんごいカッコよく都会的に洗練されているジャズ・フュージョンだけど、なかでも4曲目「Ijo Ominira」がおもしろいし楽しい。

 

 

「Ijo Ominira」は、お聴きになればおわかりのように、エディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」だよね。マイルズ・デイヴィスがやったので有名化しているが、僕はファンキーなエディ・ハリスのオリジナルのほうがずっと好き。アデデジはそのメロディに歌詞をつけて歌っているので、やはりヴォーカリーズってことなのかな。エディ・ハリスのオリジナルもご紹介しておこう。

 

 

 

このアルバムのタイトル『ア・フリー・カン・イズム』とか、一部の曲名に「アフリーカ」とか、そうなっているのは、Africa と free(dom)の両方を同時に表現しているわけだけど、エディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」をヴォーカリーズして、こんなスピーディーなアフロ・ジャズ・ファンク化し、そのなかに(クレジットがないのでだれだかわからないが英語の)自由がどうたらと言っている演説の声を挿入していたり。

 

 

しかし泥臭さというか、悪い意味でのアク、押し出しが強くない。あくまで洗練されたお洒落なサウンドにつつまれている。ピアノ・ソロも完全にジャズ・マナーだ。アデデジのギター・ソロもそう。16曲目「Felasophy」でのギターなんか、だれだか知らせずに聴かせたら、まず間違いなく全員がウェス・モンゴメリーかジョージ・ベンスンだと思うはず。

 

 

曲「フリーダム・ジャズ・ダンス」に思い入れがあるもんだから、つい「Ijo Ominira」のことを書いたけれど、冷静に聴けば二枚目2曲目「C.O.P (Country Of Pain)」が、アルバムの白眉に違いない。尺もいちばん長い10分以上。しかしとことん細部まで練り込まれたアレンジで飽きることなく聴ける。中盤以後、女性コーラスが「あしこびと、あしこびと」とジャジーに反復し、リズムに乗ったりからんだりするのがピークの聴かせどころかな。

 

 

ユッスー・ンドゥールの曲みたいにはじまったなと思っていると、すぐにまたジャズになる3曲目「Cats & Cubs」もすごい。ジャズだと思って聴いていると、中盤で曲調がガラリ変貌し、トーキング・ドラムを含む大勢のパーカッション群が激しく乱打され、チャントも入って、こりゃジュジュかフジかと思うと、また変化して都会のナイト・クラブ・ジャズみたいになるのだった。そこでのアデデジのギター・ソロも群を抜いた洗練で素晴らしいが、その伴奏リズムもいい。

 

 

アルバム『ア・フリー・カン・イズム』二枚組のラスト二曲は、それまでのにぎやかさが嘘のように静まりかえったもので、しっとりと余韻を楽しむがごときもの。19「Aworan Oyinkan」ではピアノ一台だけの伴奏でアデデジが、これはヴォーカリーズっぽくないふつうのバラード・メロディを綴る(後半スキャットが入るけれど)。ヨルバっぽさはこれにはなさそうだ。

 

 

オーラス20曲目は「カリンバ組曲」で、やはりいかにもアフリカ臭がプンプン漂うけれど、かなりクールなのが、ジャズ路線に通じてもいるってことなのかもしれない。

2018/05/12

フィーリンの誕生

 

 


という、原題が『Canta Solo Para Enamorados』であるエル・スール盤 CD アルバムがあって、2007年リリース。その後、シリーズ化して2012年の『フィーリンの真実』(Escribe Solo Para Enamorados)、2013年の『フィーリンの結晶』(Usted...el amor...y: José Antonio Méndez Vol. III) がある。キューバ人でメキシコで活動したホセ・アントニオ・メンデスがメキシコ RCA に残したレコード三枚を復刻するのが主眼だったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 


ホセ・アントニオのメキシコ時代の(基本)ギター弾き語りのスタジオ録音を収録した LP 分12曲が『フィーリンの真実』の後半にあるし、さらにこっちは完全にギター弾き語りでのライヴ録音14曲が、『フィーリンの誕生』と『フィーリンの結晶』に七曲ずつ分割収録されている。

 

 

つまりこれでエル・スール盤のそれら三枚があれば、メキシコ時代のホセ・アントニオのレコード音源全五枚が揃うことになるみたいなんだよね。1927年生まれのホセがメキシコに渡ったのが1949年。その後約10年間メキシコで音楽活動を行ったのち、キューバに帰還。もちろんキューバ時代にもアルバムがあって CD 化もされているものは僕も聴いているが、やはりメキシコ時代を重視しなくちゃね。

 

 

エル・スール盤『フィーリンの誕生』は、その後(2014年?もっと最近だったような?)リマスターされて蘇り、いまでもふつうに買えるし、上記のような事情なので、『フィーリンの真実』『フィーリンの結晶』と三枚セットのトリロジー的なものだから、ご興味のあるかたはぜひとも揃えていただきたい。

 

 

世界初 CD 化だった『Canta Solo Para Enamorados』(フィーリンの誕生)のばあい、全19曲のこのアルバムにおけるオリジナル・レコード分は12曲目まで。13〜19曲目が上記のとおりホセひとりでのギター弾き語りライヴの収録。12曲目までのスタジオ録音によるレコード分は Spotify にあった。これがオリジナルだ。

 

 

 

僕のちょっとヘンな(でもない?)見方によれば、端的に言ってフィーリンとは、キューバ/ラテン・ミュージック界における自作自演スタイルのムーヴメントだったということになるんだけど、違うかなあ。つまり、ホセ・アントニオもシンガー・ソングライターなのだ。しかし、この見方はなかなか実証しにくい面もある。

 

 

書いているように、すべて自作曲の弾き語りライヴ音源が、エル・スール盤 CD『フィーリンの誕生』『フィーリンの結晶』に分割収録されていて、ホセ・アントニオの代表曲はぜんぶあるし、このひとの書く楽曲スタイルや、歌いかた、ギターの弾きかたなどもよくわかるものだ。ファミリアーな雰囲気もよく伝わってくる空気感で、僕も好き。

 

 

だがしかし、それらギター弾き語りライヴ音源では、あの魅惑的なボレーロの8ビート・リズムが、ない。ないんだ。あれはバンドでの演奏スタイルだから当然なんだけど、弾き語り14曲ぜんぶが、なんというかフワ〜、ボワ〜っとしていてテンポ・ルパートで、ギターもヴォーカルもうまいんだけど、あのチャカチャカっていう8ビートのリズム・スタイルこそが僕にとってはボレーロとフィーリンをつなぐ生命線だから(っていう考えかたもおかしいのか?)、じゃあフィーリンってなんなんでしょう?僕の頭のなかというか、趣味嗜好が狂っているのかということになってしまう?

 

 

ホセ・アントニオもスタジオ録音だと、あの8ビート・ボレーロのリズムがちゃんとある。弾き語りライヴ・ヴァージョンだとそれがない「至福なる君」(La Gloria Eres Tu)も「あなたがわたしをわかってくれたなら」(Si Me Comprendieras)も「君が欠けていた」(Me Faltadas Tu)も、スタジオ・ヴァージョンなら、あのリズム・スタイルなんだ。つまりボレーロ。

 

 

ちょっと脱線するが、これら三曲こそホセ・アントニオ・メンデスの自作曲のなかでは至福なるものじゃないだろうか。そう考えているのは僕だけじゃないはず。ホセ自身によるスタジオ録音なら、「至福なる君」が『フィーリンの誕生』に、「あなたがわたしをわかってくれたなら」が『フィーリンの真実』に、「君が欠けていた」が『フィーリンの結晶』に収録されている。

 

 

ほかの曲もぜんぶそうなんだけど、それらはつまり甘いラヴ・ソングなんだよね。だから、キューバ恋愛歌の一つの究極のかたちとして(ボレーロから)フィーリンがあるのだと僕は考えている。あの8/8拍子の定常ビートが心臓の恋愛鼓動を刻むかのようで、その上でそっとやさしく小さな声でささやきかけるようにホセ・アントニオが歌う。伴奏サウンドもあくまでやわらかく。そしてお洒落でモダンに。ラヴ・ソングだからセクシーさもある。

 

 

それが(あくまで)僕にとってのフィーリン。個人的には一種のムード・ミュージックとか BGM みたいなものでもあって、だから自室内でそっと、大きすぎない音量で流していれば、それでなんとなくの雰囲気を味わっていれば、それでオーケーなのだ。それが僕のフィーリンの楽しみかた。ちょっとのクールな官能が適切で、ちょうどいい。

 

 

恋愛とは個人的な事情だから、シンガー・ソングライター化するのはとてもわかりやすいことなんだよね。北米合衆国でだってそうだもん。キューバ(〜メキシコ)のホセ・アントニオ・メンデスのことを僕はそういうふうに捉えている。

 

 

しかしここでまたひるがえると、『フィーリンの誕生』のオリジナル・レコード分12曲には、ホセの自作ナンバーが少ない。1「至福なる君」、3「最愛の女性」(Novia Mia)、6「もっと苦しみなさい」(Sufre Mas)、8「わたしの最高の歌」(Mi Mejor Cancion)の四つだけしかない。ほかはキューバやメキシコの音楽仲間の書いた他作のものばかり。

 

 

『フィーリンの結晶』のレコード・アルバム分12曲のなかにも自作は3曲しかない。こう見てくると、フィーリンとはキューバの恋愛歌謡におけるシンガー・ソングライター運動だという僕のテーゼは否定されるしかないものだ。それら二枚では、自作/他作の別なく、同じような出来栄えになっているからなあ。

 

 

二作目『フィーリンの真実』だけはレコード・アルバム分の12曲がぜんぶ自作ナンバーで、しかも SP 用とか EP 用とかの録音・発売品をのちに LP にまとめたとかではなく、最初から LP アルバム用のレコーディング・プランだったようだし、だからこのオール自作自演の『フィーリンの真実』こそ、ホセ・アントニオ・メンデスの代表作にして最高傑作と呼ぶべきものなんだろうね。実際そういう評価になっていると思う。

 

 

フィーリンというものがなんだったのか、簡単に言えばこうだと、今日、僕なりに書いたつもりなんだけど、でも曲やアルバムの具体的な中身には踏み込んでいないなあ。あの8ビートのちゃかちゃかっていうボレーロ・リズムが、個人的にはホント魅惑的に感じるものなんだけど、それが存在しないギター弾き語りこそホセ・アントニオ・メンデスの真骨頂で、だからやっぱり彼はシンガー・ソングライターだという、それがフィーリン・ミュージックのひとつの本質だという、今日の僕の意見は、なんだかディレンマ?アンビヴァレンス?う〜〜ん…。

 

 

ホセ・アントニオ・メンデスの曲や歌やギター演奏などの具体的な中身については、また別の機会にジックリ考えてみるしかない。しばしお待ちを。

2018/05/11

エモーショナル・グラヴィティ

 

 

昨日書いたジェイムズ・ブラウンのセレクション。JB だけじゃなく、だいたいいつでもこの手のものは、Spotify で作成したり文章化したりするかなり前から iTunes で作ってあって、ふだんから聴いてきたというもの。しかし今回 JB のそれを聴きなおし、はじめてアッ!と気が付いたのが今日の文章。

 

 

それは、一時期の JB って、ホント頻繁に「ゲット・アップ!ゲット・アップ!」 言うとりますやろ〜。直截的な意味はよくわからないけれども、これってやっぱり、黒人としての人権意識高揚みたいなことも含まれていたよねえ、間違いなく。黒人よ、立ち上がれ!と拳を突き上げるようなことじゃないかな。歌詞だけじゃなく曲題にだって多いもんね、「ゲット・アップ」ってさ。

 

 

マイルズ・デイヴィスの1974年リリース作『ゲット・アップ・ウィズ・イット』。このアルバム題はだれが考えたのか、それは僕にはわからない。マイルズ?テオ・マセロ?あるいはコロンビアのだれか?いずれにしても、マイルズのこれは、ひょっとしたら JB のあんな感じからそのまま直接もらったのかもしれない。

 

 

ってことに、昨日ようやく気がついた鈍感すぎる僕。1971年リリース作『ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンスン』も同じような人権意識高揚に言及したアルバム・タイトルだ。といってもこれのばあいはジャック・ジョンスンのドキュメンタリー映画のサウンドトラックだからというのが直接の由来。でも、黒人初のボクシング重量級チャンピオンで、黒人であることを押し出して、だから激しい差別を受けながら活動したジャック・ジョンスンなんだから、録音セッションそのものは無関係だったとはいえ、アルバム・リリース時には、やはりそんな意味が込められていたはずだ。

 

 

1972年リリース作『オン・ザ・コーナー』も、大都会のゲットーで暮らす黒人の日常に根ざしたいというタイトル。だがしかし、『ジャック・ジョンスン』はともかく、『オン・ザ・コーナー』のばあい、題名はそうであっても中身の音楽が、必ずしもそのとおりにはなっていなかったように思う。

 

 

そのあたり、前から言っているが、マイルズというひとは中流のボンボンだったわけで、音楽志向もヨーロッパふうな洗練を志向する部分も強かった。ブラック・ミュージックが本来的にあわせ持っているストリート感覚などマイルズの音楽にはなく、知的に組み立てて音創りしていくタイプ。『ジャック・ジョンスン』には高揚感があるとはいえ、どっちかというとロック・ミュージックだし。

 

 

 

 

むろん『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にも、黒人ゲットーに根ざしたようなストリート感覚など、ない。がしかしそれでもこの二枚組だけは、ちょっと特別だ。その音楽のどす黒さというか、マイルズもアメリカにおけるあの世代の黒人として生きたのだという、そのとぐろを巻くようなまがまがしい感情の重さが、これでもかというほど前に出ていて、ストレートに表現されている。

 

 

そう、かなり重いんだ、この二枚組は、音楽的な意味でね。そしてその重力をともなって立ち上がらんとする、そして黒人同胞にそれを促さんとする、そんな人権意識高揚のフィーリングがあるように感じるんだよなあ。その根底には、打ちのめされている絶望感もある。重さとはそれなのか。

 

 

しかしマイルズも落ち込んでいるばかりではない。明るくというんじゃないけれど、高まっていく、上昇する気分も表現されている。この重さと高揚感とが音のなかに表裏一体になって表現されている部分こそ『ゲット・アップ・ウィズ・イット』がブラック・ミュージックとして大きな意味を持つものなのだろう。

 

 

たとえば1曲目のデューク・エリントン追悼曲「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」でも、曲のほぼぜんぶが暗く落ち込んだような荘厳な鎮魂歌だけど、荘厳であるからゆえにただ下を向いているだけではない。同じく音楽的な意味でもブラック・パワーを讃えた偉大なる先達の意思を引き継いで自分も前に進むのだというフィーリングが、曲後半のリズムやトランペット・サウンドに聴きとれるよね。

 

 

2曲目「マイーシャ」は当時の恋人の名をタイトルにしたラヴ・ソングだから多幸感がはっきりあるけれど、恋愛を表現するとは、人間としての喜び、肯定感の表出だから、ここにもアメリカで黒人として生きているという意識が、とてもポジティヴな意味で表出されている。曲後半でサウンドとリズムにやや影が指すけれど。

 

 

4曲目「レイティッド X」ではトランペットを吹かずオルガンに専念し、セドリック・ローソンとのツイン鍵盤であの不穏なサウンドを周囲に撒き散らし満たそうとするような感じ。この曲なんかも、約七分間のノン・ストップ・アングザイエティだ。不協和なブロック・コードとリズム・セクションのぶつかり合いが、それを増幅する。

 

 

5曲目「カリプソ・フレリモ」は、アルバム『ゲット・アップ・ウィズ・イット」のなかで最もストレートに人権意識高揚のための社会活動を音楽で表現したものだ。フレリモとはモザンビーク解放戦線(Frente de Libertação de Moçambique)のことだから。ポルトガル植民地支配に対してモザンビーク独立戦争を戦った武装抵抗組織。

 

 

マイルズによる「カリプソ・フレリモ」の録音は1973年9月だから、モザンビークでは闘いの真っ只中。ポルトガルでの政権交代(カーネーション革命)ののち和平が達成されたのが1974年9月。アルバム『ゲット・アップ・ウィズ・イット』のリリースは74年11月。曲題が録音時からあったものかどうかはわからない。

 

 

曲「カリプソ・フレリモ」は三部構成で、まさに戦闘中という激しいフィーリングでのファンク・ミュージックが続き、その間マイルズの電気トランペットのサウンドもいつになくパワフル。この1970年代前半は、というかシビアな脚の手術をした1972年以後は体調がすぐれなかったマイルズだけど、とてもそうとは思えないほどの力強い音だ。

 

 

中間部では沈んだ暗さと影が表現されているけれど、しかしこれは暗さというよりもむしろ黒いパンサーが跳躍前にかがんで伏せているような、そういうフィーリングかもしれないと、いまの僕の耳には聴こえるようになっている。うん、そうだね、これは落ち込んでいるわけじゃない。ふたたびハードなフィーリングになる第3パートには喜びがあって、達成感が聴けると思う。

 

 

アナログ・レコードでは D 面だった6〜8曲目の三つなんか、はっきりしとたブラック・イズ・ビューティフル宣言だもんね。三曲ともどす黒いファンク(・ブルーズ)だけど、大きな重力をともないながらも快活に跳ね、肯定的なグルーヴを奏でている。明るさに満ちている、は言いすぎかもしれないが、ジェイムズ・ブラウンの表現を借りれば、「わたしは黒人だ、そしてそれを誇りに思う、と声を大にして言おう」というのを、マイルズなりに音化したものじゃないかな。

 

 

マイルズの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にかんしては、以前、三週連続シリーズで書いたことがある。

 

 

 

 

2018/05/10

これが JB のやり方だ

 

 

ジェイムズ・ブラウンの四枚組ボックス『スター・タイム』。リリースは1991年と存命時だが、1956年のファースト・シングル「プリーズ、プリーズ、プリーズ」から、アフリカ・バンバータと共演した1984年の「ユニティ、パート1」まで、全71曲。この箱一つあれば、かなりのことがわかる。ブックレット解説文のトップ・バッターは、なんと JB 自身。

 

 

シングルでしかリリースされていなかったものとか、シングルとアルバムでヴァージョン違いの曲とかもあるし、そもそもリズム&ブルーズ/ソウル/ファンク・ミュージックはシングル・リリースが中心の世界なので、(当時のオリジナル?・)アルバムのフォーマットにこだわって聴いてばかりでは、あまり意味がないのかもしれない。

 

 

ボックス『スター・タイム』じゃないと入手しにくい音源もあるし、しかしいまや CD を買わなくたって Spotify にそれがある。そこでこの四枚71曲からダンサブルなハード・ファンクだけを抜き出してリリース順に並べたのが上のプレイリスト。以下に曲名とリリース年一覧も書いておく。録音年は必ずしも判明しないばあいがあって、でもほぼ録音直後の同年リリースだったみたい。

 

 

1) Out Of Sight (1964)

 

2) I Got You (1964)

 

3) Papa's Got A Brand New Bag, Pts. 1, 2 & 3 (1965)

 

4) I Got You (I Feel Good) (1965)

 

5) Let Yourself Go (1967)

 

6) Cold Sweat (1967)

 

7) I Can't Stand Myself (When You Touch Me), Pt. 1 (1967)

 

8) I Got The Feelin' (1968)

 

9) Say It Loud, I'm Black And I'm Proud, Pt .1 (1968)

 

10) There Was A Time (1968)

 

11) Give It Up Or Turnit A Loose (1968)

 

12) Mother Popcorn (1969)

 

13) Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine (1970)

 

14) Talkin' Loud & Sayin' Nothing (1970)

 

15) Get Up, Get Into It And Get Involved (1970)

 

16) Hot Pants (1971)

 

17) Make It Funky (1971)

 

 

こんな具合なので、「プリーズ、プリーズ、プリーズ」「トライ・ミー」「イッツ・ア・マンズ・ワールド」といったバラード系は外した。オリジナルじゃなくたって JB はたとえば「ビウィルダード」みたいなものもチャーミングに歌っているし、「シンク」みたいな R&B ダンサーもあるけれど、今日はなしで。

 

 

JB のファンク・チューン第一号は、セレクション6曲目の1967年「コールド・スウェット」だと僕は考えていて、このプレイリスト全体のなかの一種のフックみたいなもんかな。そんで、曲「コールド・スウェット」には、コードが変わるサビ(=フック)がある。まだ旧来のスタイルを残しているってことかな。それにしてもメイシオのサックス・ソロ、かっこええなあ〜。

 

 

「コールド・スウェット」までの五曲は、JB ファンクの祖型を示し、どういう道程でファンク誕生に至ったかを示したかったというもの。リズムもタイトでファンキーで、すでにファンクっぽいけれど、やっぱりなんか違うような気がしないでもない。まだちょっとゆるい。コード・チェンジもふつうの定型ブルーズだったりなど従来的。それらの曲も1968年ごろ以後のライヴでは完璧にファンク・チューン化しているけれど。

 

 

それでも3曲目の「パパズ・ガット・ア・ブランド・ニュー・バッグ、パーツ1、2&3」なんかはほぼファンクと呼んでさしつかえないようなものだ。ここでもメイシオがワン・コードでソロを吹くが、それよりもホーン・セクションのリフがかたちづくるリズム・パターンがいいなあ。ブレイク部でギターをジャカジャカジャカとやっているのがジミー・ノーラン。

 

 

ただしこの、楽曲形式としては定型12小節ブルーズである「パパズ・ガット・ア・ブランド・ニュー・バッグ、パーツ1、2&3」では、ホーン・リフがファンクではあるものの、リズム・セクションはまだまだ保守的なリズム&ブルーズ・フィールだ。特にドラムス(メルヴィン・パーカー)。

 

 

ドラマーがジョン・ジャボ・スタークスに代わる5曲目「レット・ユアセルフ・ゴー」でも、意外なことにそれがまだ続いているが、しかし変化しはじめているよね。さらに、ここからドラマーのほかにもう一名のパーカッショニストが加わるようになっている。コンガが聴こえるよね。ポリリズム化とファンク化は軌を一にしていた。有り体に言えば、アメリカン・ブラック・ミュージックのアフリカナイズ。

 

 

それでようやく「コールド・スウェット」になって、それ以後はもうお聴きのとおりどんどんハードでゴリゴリになっていく一方。それが1971年ごろまで続き、だから1967〜71年ごろが JB ファンクの絶頂期だったと見ていいんじゃないかな。僕はそう考えているんだけど。「コールド・スウェット」からいきなりドラミング・スタイルが大きく変貌しているが、それがクライド・スタブルフィールドだ。

 

 

セレクション8曲目の「アイ・ガット・ザ・フィーリン」とか、もう鳥肌立っちゃうなあ。「コールド・スウェト」らへんからツイン・ギターになって、ジミー・ノーランとアルフォンソ・’カントリー’・ケラムがからみあいながらファンキーに刻む。あいかわらずホーン・リフがカッコイイが、ツイン・ギター&ベース&ドラムスの生み出すビート感に徐々に比重が移っているよね。

 

 

9曲目「セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド、パート1」(のギターはジミー・ノーランひとりだが)、10曲目、ダラス・ライヴの「ゼア・ワズ・ア・タイム」で、かなり高度な沸点に達している。前者が社会派ソングであるのに対し後者はただダンス名を歌い込んだだけのものだが、ビートやグルーヴが主張しているじゃないか。

 

 

個人的にマジでもんのすごいと感じるのが、セレクション12曲目「マザー・ポップコーン」から15曲目「ゲット・アップ、ゲット・イントゥ・アンド・ゲット・インヴォルヴド」までの五曲。なんなのだ、このグルーヴの激しさは!?ちょっとすごすぎるんじゃないの!?13「セックス・マシン」から15まではベースがウィリアム・ブーツィ・コリンズ。このあたりの JB ファンクはバケモノだ。

 

 

それらではコンガも大活躍しているよね。コンガ+ドラムス+エレベ+ホーン群の四者が、ポリリムミックかつポリフォニック&タイトにからみあいながら進むこのグルーヴには抵抗できないなあ。汗が飛び散ってかかってきそうなリアルなホットさだけじゃない。13「セックス・マシン」では、JB みずから弾くピアノがクールだ。どこか醒めている。言い換えればバンドの一員でありながら同時に JB はファンク・ビートを客観視もしている。

2018/05/09

カナダからのアフロ・ブラジル

 

 

今日の文章は、だからどうした?と言われるとなにもないっていう、どこにでもありそうなふつうの音楽の話だから、楽な気分でちょっとだけ書いとこう。

 

 

ジョニ・ミッチェルのアルバム『ドンファンのじゃじゃ馬娘』(Don Juan's Reckless Daughter)。リリースが1977年12月で、録音も同じ年に行われたもの。アナログ・レコードだと二枚組だったらしいこの CD の6曲目「ザ・テンス・ワールド」、7曲目「ドリームランド」がなかなかすごいんじゃないだろうか。

 

 

どうすごいのかって、カナダ人であるジョニがアフロ・ブラジル方向へ大きく傾いたような音楽じゃないか。ジョニのなかにほかにこういうのって、僕は聴いたことがないけれど、あるのならご指摘ください。激しいリズムが、も〜う、こりゃイイネ。

 

 

『ドンファンのじゃじゃ馬娘』のなかでは、その前の5曲目「オーティス・アンド・マーリーナ」終盤から三つ続けてのメドレー状態になっている。だから「ザ・テンス・ワールド」でも、冒頭部ではアンビエントふうにフワッと漂うようなエレキ・ギターとヴォーカルが残っているがすぐに消えて、大勢のパーカッション乱打になるよね。

 

 

そのパーカッション群のメンツは、以下のようだ。

 

 

ドン・アライアス(コンガ、クラベス)

 

マノロ・バドレーナ(コンガ、コーヒー缶)

 

アレハンドロ・アクーニャ(コンガ、カウベル)

 

アイアート・モレイラ(スルド)

 

ジャコ・パストリアス(ボンゴ)

 

 

アレハンドロ・アクーニャは、北米合衆国での芸名ならアレックス・アクーニャで知られているペルー人。声も聴こえるがチャントのようなもので、ヴォーカル群のリーダーはマノロ(プエルト・リコ)。彼にくわえ、ジョニ、ドン、チャカ・カーン、アレックスも声を出しているとクレジットされている。

 

 

「ザ・テンス・ワールド」のこのリズムをなんと形容したらいいのか?僕の知っているどの具体的なアフロ・ブラジル音楽と比べたらいいのか?わからない。それに北米白人でもこういう感じのものは一時期よくやっていたような気がするので、珍しいものじゃないようには思う。

 

 

だけど、ほかにはこんなに強くアフリカン・リズム方向へ振れたものがないジョニの音楽だもんなあ。「ザ・テンス・ワールド」にブラジル音楽要素があるかどうかは、正直なんとも言えないが、アフリカとそれがルーツの南米系のものから来ているとは思う。

 

 

続く7曲目「ドリームランド」は、歌詞のあるふつうの歌入りで、そのなかでも示唆されているし、サンバっぽいリズム・パターンからしても、わりとはっきりブラジルのほうを向いていそう。だから、ジョニの歌う夢の国とはブラジルのことなのかなあ。「ドリームランド」の打楽器群メンツは以下のとおり。

 

 

アイアート(スルド)

 

ジャコ(カウベル)

 

マノロ(コンガ)

 

アレックス(シェイカー)

 

ドン(スネア、サンドペーパー・ブロック)

 

 

ヴォーカルはジョニとチャカのようだ。とにかく、この「ザ・テンス・ワールド」「ドリームランド」のメドレーでは、声と打楽器しか使われていない。その打楽器がかなり激しくリズムを刻み、カナダから合衆国経由で南米へ行き、そしてアフリカを眺望しているような感じだね。

 

 

「ドリームランド」はライヴ・アルバム『シャドウズ・アンド・ライト』でも演じられているのでプレイリストに入れておいた。クレジットはないが、コンガがたぶんドンで、カウベルがジャコかな。クラベスをだれが叩いているのかは DVD を観なおさないとわからない。

 

 

『シャドウズ・アンド・ライト』ヴァージョンの「ドリームランド」はブラジルからすこし離れ、カリブ海音楽、特にアフロ・キューバンなリズムに接近しているかのようだ。オリジナルにあったサンバっぽさは聴きとれない。リズムのニュアンスやアフリカ示唆も、やや薄くなっているんじゃないかな。でも上出来だ。

 

 

プレイリストのラストに、ウェザー・リポートの『ヘヴィ・ウェザー』B 面1曲目「ルンバ・ママ」を入れておいた。このアルバムのリリースは1977年だけど、このライヴ音源は1976年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでの演奏。マノロとアレックスの打楽器デュオ演奏で、ヴォーカルはマノロ。

2018/05/08

これは遠い過去からやってきたものなのだろうか?

 

 

おもしろく楽しい曲がいっぱいあるフランク・ザッパ。そのなかでも特に「インカ・ローズ」か「ピーチズ・エン・レガリア」か、というくらいこの二曲は大好きなんだけど、今年春にリリースされた七枚組『ザ・ロキシー・パフォーマンシズ』の二枚目に、なかなかチャーミングな「インカ・ローズ」がある。

 

 

それは1973年12月9日のセカンド・ショーのオープニングを飾っている8分28秒。上のプレイリストで1曲目に置いたので、ぜひお聴きいただきたい。まずザッパが曲紹介をしている。UFO だとか、アンデス地域に降り立ったとかいうことなど、その中身は聴けばわかることなので。そのおしゃべりの最後で「ジョージ・デュークさんのラヴリーな声をフィーチャーしたこの歌の名前は 'インカ・ローズ'、やってくれ、ジョージ」となって、「インカ・ローズ」がはじまる。

 

 

そのイントロと歌が入ってきてしばらくのあいだが、本当に楽しいと思うんだよね。ジョージ・デュークはフェンダー・ローズを弾きながら歌っているが、こりゃ完全に第二次大戦前のオールド・ジャズ・ソングだ。雰囲気があるよね。ボスもそうしゃべっている。

 

 

2:31でルース・アンダーウッドのマリンバがインタールードを弾くけれど、そのままオールド・ジャズ・ソングは続く。約三分目までね。ザッパのおしゃべりにはじまるこの約三分間の「インカ・ローズ」が、本当に大好き。これはたんに僕の趣味嗜好というだけのことだ。こんな雰囲気のある古〜いナイト・クラブ・ジャズみたいなのが、大好きなんだ。

 

 

その三分間、ジョージ・デュークが弾くフェンダー・ローズだって、いかにもなジャズ・ピアノで…、ってジョージはジャズ畑出身の人だ。でもファンキーなソウル・ジャズ寄りの鍵盤奏者なんだからなあ。さらにプロとして歌うつもりなんかもなかったらしい。ザッパの作品で聴けるジョージの歌は、やっぱりイマイチかなと僕は思うんだけど、この「インカ・ローズ」での声は魅惑的だ。口笛もジョージかな?

 

 

そのあいだ、トム・ファウラーのベースは2/4拍子を刻み、ラルフ・ハンフリーかチェスター・トンプスンか(このロキシー・ライヴはツイン・ドラムス体制)どっちかがブラシを使い、ハイ・ハットとの二つでやさしくそっと撫でているのもいい。

 

 

ナポレオン・マーフィー・ブロックのフルートとブルース・ファウラーのトロンボーンがオブリガートをつけて、雰囲気を盛り上げている。特にトロンボーンのほうの音量は小さく控えめだけど、よく聴くと最高にいい雰囲気をつくりだしているよね。

 

 

小さなナイト・クラブでやる1920年代のポップなジャズ・ソングふう「インカ・ローズ」。その三分間が好きで好きで、この、本来はプログレッシヴ・ジャズ・ロックみたいな曲が、この1973年12月9日のロキシーでこうなっていたなんてなぁ。はじめて聴いたけれど、うん、マジでホント、楽しくてしかたがない。

 

 

こういった雰囲気の歌が僕はだ〜いすきなんですよ。こういった古〜いジャジーな流行歌が。あるいはそれふうな(新しめの)楽曲がね。

 

 

このロキシーのときの「インカ・ローズ」。3:03 からザッパ・ミュージックではお馴染みの変態変拍子の連続攻撃になっていくまで、この古い戦前の流行歌ふうは続く。それが終わる三分過ぎからも、『ワン・サイズ・フィッツ・オール』などで聴けるようなああいう感じにはなっていない。かなりジャジーだ。しかもラテン調も漂う。

 

 

こんな「インカ・ローズ」、あえて探せば『ザ・ロスト・エピソーズ』にあったヴァージョンに似ている。それは1973年4月3日のスタジオ録音で、メンツもジャン・リュック・ポンティ(ヴァイオリン)を外せば『ザ・ロキシーパフォーマンシズ』や『ワン・サイズ・フィッツ・オール』のとほぼ同じ。この曲の録音順なら、『ザ・ロスト・エピソーズ』→『ザ・ロキシー・パフォーマンシズ』→『ワン・サイズ・フィッツ・オール』となる。

 

 

しかし『ザ・ロスト・エピソーズ』にはヴォーカルはない。完全なるインストルメンタル楽曲だった。御大 FZ のギター・ソロも、ロキシー・ヴァージョン同様存在しない。しかしそれでもそのほかの楽器によるかなりジャジーなソロが続くんだよね。その部分の前にあんな戦前のジャズ流行歌みたいな歌を入れればロキシーの「インカ・ローズ」みたいなものに近づく。

 

 

考えてみたら「インカ・ローズ」は、いや、これ "も"、キメラみたいなツギハギでできている楽曲で、ヴォーカル・パートとインストルメンタル・パートは、まるで独立しているかのように聴こえる部分もある異種のものだよね。ひとつながりでスムースに聴こえるのが、そう考えたら不思議な気がしてきたが、そこがコンポーザー、フランク・ザッパの力量の高さなんだろう。

 

 

「インカ・ローズ」が、まず最初インストルメンタル楽曲として思いつき録音しておいて、その後にあのうねうねしたラインに歌詞をつけて、そこから派生したようなメロディの、独立したヴォーカル・パートもつくり、それらをつなぎ合わせた結果ああなっているのだとか、そんなことかどうかはもちろん僕にわかるわけがない。『ワン・サイズ・フィッツ・オール』などで聴ける "完成品" の「インカ・ローズ」では、楽器ソロのあとに歌がもう一回出てきて曲が終わるけれど、ロキシー・ヴァージョンでもそこはだいたい同じだね。

2018/05/07

a hidden gem

 

 

と、4月15日にブルー・ノート・レーベルの公式 Twitter アカウントがわざわざ呼んだ『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』。そうか、そうなのか、会社公式でも、これは宝とはいえ隠れているもので、ってことはさほどは知られていないものっていう認識なんだな。もちろんそんなツイートをしたのはそうであってほしくないという宣伝だけど。

 

 

僕らはこの、名義はユタ・ヒップがリーダーの『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』のことを、みんなよく知っている傑作有名盤だと思っていままで愛聴してきているので、ちょっと意外だった。僕がいま持っているのは2008年のリイシュー CD で、2007年ルディ・ヴァン・ゲルダー・リマスター・エディション。アナログ時代の全六曲にくわえ、二つの追加トラックがある。とはいえ、このアルバムは AB 面それぞれ三曲ずつだという認識で来ていたものは、そう簡単には揺るがない。

 

 

追加されているのは「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」と「ス・ワンダフル」。どっちも有名スタンダードだけど、ガーシュウィンの書いた後者のほうではテーマが演奏されていない。コード進行だけ拝借しているもので、つまりビ・バップの音楽家がとてもよくやるパターン。いちおうズートとジェリー・ロイド(トランペット)によるシンプルな合奏リフがあるのがテーマ代わりみたいなもんかな。

 

 

そのジェリー・ロイドは、はっきり言って不要だね。どこにもおもしろみがないような気がする。ジェリーは、たぶんチャーリー・パーカー・コンボ時代のマイルズ・デイヴィスをお手本にしたのか?みたいな情けない音色とフレイジングで、どうしてそんなトランペッターがこのアルバムを録音した1956年7月28日のハッケンサックに呼ばれたのかは明白だ。

 

 

一言でまとめると、ズート・シムズ・カルテットとなるのを避けなければならなかったからだ。つまり裏返すと、ブルー・ノートのアルフレッド・ライオンとしてはズートのリーダー・アルバムを創りたかっただけ。そんでもって、『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』の中身も、実質そういうものになっていると聴こえる。

 

 

ところが当時のズートは他社との専属(に近い)契約があったため、リーダーとして名前が出るようにはできなかったのだ。アルフレッド・ライオンも、このころ勢いが出てきていたこのテナー・サックス奏者が大好きで目をつけていたらしいのだが、契約は契約だ。

 

 

それでアルフレッドと母国を同じくする女性ピアニスト、ユタ・ヒップのリーダー作品ということにして、しかしズートのワン・ホーンにしちゃったんでは露骨すぎるのでトランペッターをくわえ、クインテット編成で行こうとなったんじゃないかと僕は推測している。ユタはちょうどヒッコリー・ハウスに定期出演していたころかな。

 

 

ユタ・ヒップもいいモダン・ジャズ・ピアニストではある。レニー・トリスターノからの影響を言われるけれど、『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』ではむしろホレス・シルヴァーのタッチに似ている。ホレスの持つあんなジャンピーなファンキーさはないが、簡素で目立たない素朴なラインをシングル・トーンで弾くあたりがね。

 

 

しかしできあがりのアルバムを、もしまだお聴きになったことのないかたは、ぜひ上の Spotify にあるので覗いてみてほしい。どこからどう聴いても、トランペッターは申し訳程度のオマケ。ピアニストもかなり控えめで、ズートひとりがテナー・サックスを吹きまくっているじゃないか。だれが実質的なリーダーなのか、瞭然だ。

 

 

むかしの僕は、この『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』LP の A 面ばかり聴いていた。旧 B 面も聴くようになったのは、というかその憶えがあるのは CD リイシューされてからだ。このアルバム、ブルーズとメロウなラブ・バラードの二種に分かれているように思う。

 

 

1曲目なんか、タイトルが味も素っ気もない「ジャスト・ブルーズ」で、しかし演奏内容はこれがアルバム中いちばん素晴らしい。2曲目のバラード「コートにすみれを」との二つで、群を抜いている。定型ブルーズはほかに、5曲目「ウィー・ドット」(J.J. ジョンスン)がそうで、また3曲目「ダウン・ホーム」(ジェリー・ロイド)は AABA 形式だけど、フィーリングは曲題どおりのブルージーさ。

 

 

その「ダウン・ホーム」は、オールド・スタンダード「インディアナ」のコード進行を使ったもので、ってことは、かのマイルズ作(名義はパーカー)の「ドナ・リー」と同じチェンジだ。この曲でもズート・シムズは勢い満点にブロウする。ユタのピアノがけっこういいね。

 

 

4曲目「オールモスト・ライク・ビーイング・ラヴ」、6曲目「トゥー・クロース・フォー・コンフォート」は、どっちもラヴ・バラード・スタンダードじゃないのかと思うんだけど、ズートらはミドル・テンポに上げてブルージーにやっているのがいい。「ら」っていうか、そう演奏しているのはズートひとりだけどね(+ドラムスのエド・シグペンもか)。

 

 

ってことは、旧 B 面は三曲ぜんぶがブルーズで、A 面も2曲目の「コートにすみれを」だけがゆったりバラードで、ほかの二つはブルーズってことになって、な〜んだ、この『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』はジャズ・ブルーズ・アルバムじゃないか。

 

 

「コートにすみれを」はマジできれい。この名曲の楽器演奏ヴァージョンでは疑いなくナンバー・ワンに違いない。ユタのピアノだってイントロも間奏ソロもかなりよく、この曲ではたしかにレニー・トリスターノ的だ。しかしズートのテナー吹奏が、どうにもこうにも美しすぎる。特にピアノ・ソロをはさんでの二回目のテナー・ソロは、音色とフレイジングにメロウさも、そして迫力も増して、チャーミングで、絶品。

 

 

唯一の瑕疵は、この「コートにすみれを」、エンディング部でジェリー・ロイドがちょろっとだけ吹いちまっていることだ。これさえなかったらなあ。と大学生のころから残念に思っている。ちょうど、1956年のマイルズ・ファースト・クインテットがプレスティッジで行なったマラソン・セッションで、きれい目のバラードをカルテットでやっているのに、終盤でジョン・コルトレインがちょびっと音を出しちゃうでしょ、あれに似ている。

 

 

1曲目の「ジャスト・ブルーズ」。このアルバム『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』に最初に針を下ろすまで、白人テナー・サックス奏者なんだから…、という僕の理由なき偏見は完璧に消し飛んだ。御多分に洩れずズートも黒人テナー・サックス奏者レスター・ヤングを範とする人だけど、レスターがブルーズを吹くときのフィーリングを、しかもレスターの音色そのままに受け継いでいるのが、この「ジャスト・ブルーズ」のズートだ。

 

 

かなりブルージーでファンキーだし、ときおりホンキングも混じえながら勢いのあるフレイジングでブロウを聴かせているよね。最初のソロもすごいが、二番手ジェリー・ロイド、三番手ユタ、四番手アーメド・アブドゥル・マリクのベース・ソロ(っていうのかこれ?)に続く、二回目のテナー・ソロの豪快さったら、レスターのスタイルそのまんまではあるけれど、すごいよ。こんなの、なかなかできないもんだと思うなあ。

 

 

特に 7:27〜8:16、なかでも 7:46〜7:51までのノリはすんごいものがある。超グルーヴィだ。その証拠に、7:51で思わずだれか(たぶんエド・シグペンかな?)が思わずウェ!ってうなり声をあげているもん。こんなふうに吹けるモダン・ジャズのテナー・サックス奏者がいるのなら、肌の色や出身国を問わず、教えてくれ。

2018/05/06

ヤプラック・サヤール、待望のソロ第一作

 

 

2018年5月4日にデジタル・リリースされたヤプラック・サヤール(トルコ)のソロ・アルバム『Caz Musikisi』。このかたのソロ・デビューを、どれほど首を長くして待ちわびていたことか。そういう音楽リスナーは多いはず。アラトゥルカ・レコーズによるオスマン古典歌謡曲集の二枚組二つ『Girizgâh』『Meydan』で、僕もヤプラックに惚れた。

 

 

しかしヤプラックのソロ・デビュー作『Caz Musikisi』は、古典歌謡集ではない。少なくともストレートなそれではない。これはジャズ・アルバムだ。メイン・ストリームなジャズ・ナンバーが中心で、ボサ・ノーヴァもあり、またなかには古典歌謡みたいなものだってあるのだが、衣は10曲すべてジャズのそれだ。

 

 

まず1曲目「Gül Açılsın Dudağında Gülüver」のイントロ弾き出しだけでも、それはわかるはず。ピアノ+コントラバス+ブラシでやるドラムスの演奏による、ムーディなモダン・ジャズじゃないか。そこにチェロがからみ、ヤプラックが歌いはじめてからは、やっぱりその歌の中身は古典歌謡かな?と思わせるものがあるが、全体的に都会のナイト・クラブで聴いているようなジャズじゃないか。

 

 

そもそも、このアルバム『Caz Musikisi』の収録曲はひとつも知らない僕なので、むかしからある古典曲をこんなにジャジーにアレンジしたのか、それともこの新作用のニュー・ソングなのか、ぜんぜんわからないが、とってもムードのあるジャズ・フィールで、聴いていると、そういえばジャズ・マナーとオスマン古典歌謡は相性いいのかも、と思えてくる。

 

 

アラトゥルカ・レコーズによる古典歌曲集では、あくまで歌にだけフォーカスしていたので、楽器演奏は完全なる脇役でソロもなし。だがヤプラックの『Caz Musikisi』では、ジャズ・マナーらしい楽器ソロがふんだんにちりばめられていて、楽器ソロ部分は完璧なジャズ。オスマン古典歌謡の趣はゼロだ。

 

 

1曲目「Gül Açılsın Dudağında Gülüver」にはピアノと(短い)チェロのソロがあり、どっちもジャジー、というかジャズだ。完璧なるボサ・ノーヴァにアレンジされた(ヤプラックがボサ・ノーヴァを歌うなんて!)2曲目 Uyusam Dizlerinde Ilık Yaz Geceleri (Ilık Yaz Geceleri)」ではコントラバスのソロ。

 

 

ボサ・ノーヴァはこのアルバムにもう一曲あって、ラスト10曲目「Lütfen」がそう。2曲目ほど強いブラジリアン・テイストじゃなく、ジャズ方面に傾いているけれど、軽いボサ・ノーヴァ・リズムに乗って、メロディをヤプラックとチェロがユニゾンしたりするあたり、とてもいい。ここでもピアノ・ソロがあるが、モダン・ジャズのピアニストじゃないだろうか?アルバム全体も。

 

 

ビッグ・バンド・ジャズにアレンジされた3曲目「Kara Kız (Kaşların Ne Güzel Kara Kız)」は、第二次大戦前からあるような王道のストレート・ジャズだ。ホーン群はどうもたぶん生楽器演奏じゃないかと思う。リズムにこんな感じのラテン・ニュアンスがあるのも、ジャズではふつうのことだ。トランペット、テナー・サックス、トロンボーンと三人の管楽器ソロとあわせ、ごく短くドラムス・ソロも入る。こ〜りゃぁ、どこからどう聴いてもジャズ!

 

 

4曲目「Sıra Dağlar Mordu Sular Kırmızı」の後半で、しばらくのあいだリズム・パターンが変化してジャジーな雰囲気を出すシンコペイトする感じになっていたり(すぐに戻るけれど)。しかしこれまた古典歌謡ふうな5曲目「Sarı Gelin」には、なにか弦楽器(ウード?じゃないよねえ?)のソロがあるけれど、それはジャジーじゃない。伴奏リズムはジャズ・スタイルかもしれないが。

 

 

6曲目「Yemenimin Oyası」のリズムもラテン・ジャズ・タッチだったりするが、でも曲の旋律そのそのは古典歌謡のものだなあ。ケメンチェみたいな(?)擦弦楽器のソロにもジャジーなところはうかがえない。ドラマーはブラシを使っているけれどね。あ、そうそう、オスマン古典歌謡界では存在しえないドラム・セットが、このヤプラックのソロ・デビュー作『Caz Musikisi』ではアルバム全編で使われているんだよ。

 

 

これなんか、あの『Girizgâh』1曲目にソックリだと思う、ヤプラックのほうの7曲目「Yoksun Diye Bahçemde Çiçekler Açmıyor Bak」でもドラマーが、小さくだけど叩いている。カヌーンのソロも軽快でブライト・タッチでいいなあ。8曲目「Gel Ey Denizin Nazlı Kızı Nuş-i Şarab Et」も、ジャズ衣をまとった古典歌謡だ。

 

 

これら6〜8曲目あたりの古典歌謡ナンバー(じゃないかと思うけれど、それふうに仕立てたオリジナル曲かもしれない)を、ジャズ衣装を着て、アルバム・ジャケットどおりにジャズ・メイクを施して歌うときのヤプラックの声の輝きは、一段と素晴らしい。1〜3曲目のストレート・ジャズやボサ・ノーヴァな曲では、この女性歌手の持つ声の独特の重厚さと鋭さが、軽快に仕立てたアレンジと若干齟齬を起こしているのかな?と感じる部分がゼロじゃない。

 

 

9曲目「Bir Dalda İki Kiraz」はすごい。このヤプラックのアルバム『Caz Musikisi』では圧巻の一曲だ。ジャジーなラテン・リズムに乗って主旋律を歌い終えると、主役女性歌手はそのまま壮絶なスキャット・パートに入る。しばらく唖然としていると、続く楽器ソロ部分でフリー・ジャズに突入するもんね。それも古典歌謡の趣は残したままだ。

2018/05/05

わがいとしのイズミル

 

 

昨2017年暮れリリースで、日本でふつうに買えるようになったのが今年初頭だったヨルゴス・ダラーラスの最新作『Pes To Gia Mena』にも参加していることをうっかり気づかずに聴いていたアンドレアス・カツィジャンニス。1976年にアテネで生まれた、そのアンドレアスの2015年作『スミルナ・イズミル』(ソニー・トルコ)がかなりいいよね。

 

 

このアルバム、翌2016年にエル・スールで買ったんだったはず。かなり雰囲気のある音楽なんだけど、これって、たぶん BGM とかして流し聴きにして、なんとなくのムードにひたっていればいい音楽なんじゃないかと思うんだけどね。真剣に聴こうたって、かなり暗いというか哀しげだから、ちょっとしんどい。

 

 

その哀感みたいなものは、アルバム題にもなっているように、アナトリアの(トルコ名)イズミル、ギリシア名をスミルナというその都市の音楽が持つものをそのままストレートに表現しているからだって気がする。つまり、オスマン帝国の一部として多文化混交の音楽が花開き、その後のトルコ古典歌謡や、希土戦争後の住民交換ののちは、ギリシアのスミルナにおけるレンベーティカとなった、そんな音楽にアンドレアスはこだわっている。

 

 

前からヨルゴスなどとの関係もあるアンドレアスだけど、『スミルナ・イズミル』ほど徹底的にアナトリア由来のイズミル/スミルナ音楽を追求したものはなかったはず。といっても、この一枚は、アンドレアスの公式サイトの英文バイオによれば、2013年からの劇『わがいとしのイズミル』(My Favourite Izmir)のサウンドトラック盤みたいなものらしい。

 

 

フィクションなのかドキュメンタリーなのか?たぶん映画じゃなくてテレビ・ドラマかなにかだと思うんだけど、その BGM みたいなものなんだろうから、音楽そのものとして自律的に聴こえはするけれど、あまり音自体を突き詰めることはないと思うんだよね。実際、そうしようとすると気分が滅入りそうな色調がアルバム全編で一貫して強い。

 

 

ドラマのサウンドトラックだからなのか関係ないのか、アルバム『スミルナ・イズミル』では、全17曲のうち11曲までがインストルメンタル・ナンバーで、歌入りは6曲だけ(1、4、7、9、16、17)。インスト・ナンバーはぜんぶアンドレアスの自作なんだろう。演奏面では主にウードを弾いて、そのほかカヌーン、サントゥール、マンドリン、アコーディオンなど、いくつも担当しているみたい。

 

 

そのほかアンサンブルにだれがどんな楽器でどれくらい参加しているのか、クレジットがないのでわからないが、だいたいの曲がまあまあ大きめのバンド編成だよなあ。アンドレアスは、作曲、編曲、バンド・リーダー、プロデュース作業などが活動のメインなひとみたいだから、アルバム『スミルナ・イズミル』でも、そのあたりに力が入っているんだろう。

 

 

ヴォーカル入りの曲も楽器演奏だけの曲も、このアルバムでは同じ雰囲気で続いている。ドラマのサウンドトラック盤ということだから、全編通して聴いて、やはりまるで映画でも見ているような気分になる。それもかなり暗い、哀しい映画を。それがスミルナ/イズミルの文化ってことなんだろうか?

 

 

アンドレアスって、しかしその音楽性がことごとくスミルナ/イズミル由来のもので、アテネ生まれだから故郷ってわけじゃないのにここまでこだわり続けてきているのには、いったいなにがあるのか?ご執心の理由を知りたいもんだ。いやあ、この徹底ぶりはすごい。

 

 

『スミルナ・イズミル』。流麗で美しいが、強く哀しい。そして暗い。これは一種のノスタルジアってことなのか?失われてしまって二度と取り返せないもの、あのラスト・ダンスの、夢想なのだろうか?

2018/05/04

マイルズとビル・エヴァンズの1958年

 

 

長年ステレオ盤であるかのような顔をし続けているが、実はモノラルしかない『1958 マイルズ』。まず1974年に日本の CBS ソニーがリリースしたのがオリジナル。いまではアメリカでも(世界的にも?)販売されているはずだ。僕はむかしから大好きな一枚で、まずなんたって池田満寿夫が手がけたジャケット・デザインがいいよね。

 

 

ジャケットだけじゃなく中身もいい。いいだけじゃなく貴重でもある。なにがかって、ビル・エヴァンズがマイルズ・デイヴィス・コンボにレギュラー在籍していた時期のスタジオ録音は『1958 マイルズ』収録の四曲しかない。意外だろうか?

 

 

つまり、1958年5月26日録音の「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」「ステラ・バイ・スターライト」「ラヴ・フォー・セール」。これしかない。こっちもビル・エヴァンズ大活躍の59年春録音『カインド・オヴ・ブルー』セッション時には、すでにビルはマイルズ・バンドを脱退していた。一時ゲストとして呼び戻されただけだ。

 

 

1958年5月26日のビル・エヴァンズ(とジミー・コブ)は、マイルズ・バンドへの加入後初録音だったんだけど、ビルにとっては結局それで終わってしまったことになる。スタジオ録音を時系列でたどると、「ラヴ・フォー・セール」の次が1959年3月2日の「フレディ・フリーローダー」(『カインド・オヴ・ブルー』)。これのピアノはウィントン・ケリーだ。同日に「ソー・ワット」「ブルー・イン・グリーン」も録音していて、それらでは臨時にビル・エヴァンズだけどね。

 

 

ビル・エヴァンズがマイルズ・コンボに加入したのは1958年4月で、脱退が11月。録音記録で言うと、58年5月3日から9月9日まで。ボスがたいへん気に入っていたにもかかわらずそんな短期間だった理由は、どうやら黒人バンドにひとりだけ白人が混じっているということで逆人種偏見に遭って、居心地がかなり悪かったらしい。ナイト・クラブなどの生演奏現場では、理不尽なことを数々言われたそうだ。

 

 

本論に入る前にもう一個書き添えておく。1958年5月26日収録の四曲のうち、「フラン・ダンス」の別テイクが公式リリースされているが、「ステラ・バイ・スターライト」も別テイクが(いっときだけ)公式リリースされていた。それは以下のジャケットの米コロンビア/レガシー盤『'58 セッションズ、フィーチャリング・ステラ・バイ・スターライト』に入っていた。しかし、その後、どんなリイシュー盤にもコンプリート・ボックスにも収録されないところを見ると、会社の公式見解としては存在しないことにしたいんだろう。

 

 

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だから、この1991年リリース盤『'58 セッションズ』に収録の「ステラ・バイ・スターライト」テイク7は、たぶんそのときの発売プロデュースのミスとか勘違いみたいなものでウッカリ出てしまったものだったんだろうなあ。『1958 マイルズ』の初 CD 化よりも、アナログは存在しない『'58 セッションズ』リリースのほうが先だった(ような気がするが?)ので、僕は飛びついて買って、「ステラ・バイ・スターライト」のマイルズのソロ部で、オリョ?となったのだ。

 

 

調べてみたら、「ステラ・バイ・スターライト」のマスターは、テイク3とテイク7の合体ということらしい。そんなわけで「ステラ」一曲だけの微細な差異しかないしジャケットもあれだけど、『'58 セッションズ』のほうだって、いまだに処分できないんだよね。ちょっとしたミスがこぼれ出るってこわいよねえ。できたらまた公式発売してほしい。

 

 

取るに足らないトリヴィアだった。ビル・エヴァンズのマイルズ・バンド正式在籍時唯一の公式スタジオ録音である四曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」「ステラ・バイ・スターライト」「ラヴ・フォー・セール」のマスター・テイクの話をしよう。

 

 

マイルズがレッド・ガーランドとフィリー・ジョー・ジョーンズをクビにしたのは、端的に言えば素行不良ということで(詳しいことは調べればすぐ出るはず)、ライヴ出演などの音楽活動に支障をきたすようになったから。それでジミー・コブのことはよく知らないけれど、ビル・エヴァンズのほうは、ジョージ・ラッセルとの仕事を聴いてマイルズが着目していた。

 

 

だから1958年2月(同月の『マイルストーンズ』録音セッション直後あたりか)、ブルックリンのコロニー・クラブにマイルズ・バンドが出演する際、ジョージ・ラッセルはマイルズの要請でビル・エヴァンズを差し向けた。ビルはそのとき、これがライヴ・オーディションなんだとわかっていたらしい。以前も1974年の『ダーク・メイガス』関連で書いたが、マイルズの新人オーディションってライヴのぶっつけ本番でやったりすることもあって、厳しいよなあ。

 

 

ジョージ・ラッセルとの仕事で着目したくらいなんだから、マイルズがビル・エヴァンズに期待したのが調性面でのアプローチだったことは間違いない。例のリディアン・クロマティック・コンセプトっていうやつ。(多くの音楽で一般的な)ふつうのメイジャー・スケールよりもリディアン・モードを使ったほうがトーナリティの自由度が高く、したがってメロディ展開が拡大できるというもの。

 

 

そもそもマイルズがコーダルな表現からモーダルな手法に進んだのだって、直接的にはジョージ・ラッセルの活動からヒントを得ていたものに違いないから、そこのピアニストに注目していたのは当然だ。むろんもっと前からマイルズは、機能和声にもとづくコード分解をあまりやらず、水平的な旋律展開が好きなトランペッターだったけれど、本格的にモーダルなアプローチに取り組むようになったときには、ラッセルとの関係があった。

 

 

マイルズがビル・エヴァンズに期待したのは、したがって調性面での(簡素化と同時の)拡大自由化と、ヴォイシングの魅力と、それと一体化しているリリシズムだったので、ハードにスウィングするという面からはやや遠ざかっていた。1958/59年のマイルズは、やはり静的な音楽を志向していたと言える。

 

 

しかしマイルズ以外のバンド・メンバーは、必ずしもそういう気持ちじゃなかった部分があったかもしれない。特にアルト・サックスのジュリアン・キャノンボール・アダリーは、ファンキーなブルーズで粘っこくハードにブロウするのが得意なジャズ・マンだから、レッド・ガーランドのほうが好きだったはずだ。コーダル/モーダルといった調性展開の変化を理解するのにも、すこし時間がかかっていた。

 

 

そんなキャノンボールも、しかしすこし経って自分のリーダー・アルバムでビル・エヴァンズを起用して似たような方向に向くこともあったので、最終的にはビルの持つ、特にあのコード・ヴォイシングに大きな魅力を感じていたんだろうね。ジョン・コルトレインはテナー・サックスでコードを吹きたいともがくほどの人物だから言うに及ばず。

 

 

上記四曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」「ステラ・バイ・スターライト」「ラヴ・フォー・セール」の並びは当日の録音順だけど、アルバム『1958 マイルズ』での並び順でもある。1974年のリリースにあたりプロデュースしたテオ・マセロ(録音時にはまだプロデューサーではない)も、録音順でそのまま並べれば、美的にもちょうどいい感じになると判断しただろう。

 

 

実際、オープナー「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」の出来がかなりいい。1958年5月26日録音のこれら四曲のなかではいちばんいいよね。まずイントロを弾くビル・エヴァンズはテンポ・ルパートで、ゆらゆら漂うようなソフト・タッチで、印象派ふうのラプソディックなフレーズを奏で、雰囲気をつくる。

 

 

雰囲気=アトモスフィアというか、要はムードだ。ムード=モード。といっても「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」も、ほかのスタンダード二曲も、マイルズの自作「フラン・ダンス」も、モーダルなコンポジションではない。通常のコード進行がある。しかしそれらでもモーダルというに近い調性展開をアレンジしてある部分も聴ける。

 

 

特に「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」。主旋律部に入ってしばらくチェンジせず、ワン・コードで進む。そのあいだ、ベースのポール・チェインバーズがワン・ノートを反復しているじゃないか。1961年録音の「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」と同じやりかただけど、1958年5月におきすでにやっていた。

 

 

「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」がベースのワン・ノート反復によりワン・コードで進むあいだは、アド・リブ・ソロをとる三人(+キャノンボールで四人なんだが)は、従来型のコード分解による即興ではできない、自由度の高いメロディ展開を見せているよね。

 

 

一番手の簡素で抑制の効いた美を放つマイルズと、二番手の、ちょうどシーツ・オヴ・サウンズ手法が円熟しつつあったジョン・コルトレインの音密度の高いソロも、いいコントラストだ。四番手のビル・エヴァンズは終始ブロック・コードでソロを弾くが、その響きがきれいだね。ブルージーやファンキーになれず、ハードにスウィングもしないビルだけど、こういったヴォイシングの美しさは絶品だ。

 

 

コード・ソロというとこの四曲でのビル・エヴァンズは、「ラヴ・フォー・セール」でだけ右手のシングル・トーンでソロを弾くけれど、それ以外はぜんぶコード弾きでのソロを聴かせている。ボスの指示があったかもしれないが、そういうわけでもないんだと僕は思う。ビル自身のリーダー作でもたくさん聴けるやりかただから。

 

 

「ステラ・バイ・スターライト」のイントロも玄妙でいいよなあ。ポール・チェインバーズのアルコ弾きとビル・エヴァンズのリリカルなタッチとの合奏で、ちょっとあの「ソー・ワット」の玄妙なイントロに似ているような気がしないでもない。ここではアルトのキャノンボールはオミットされて、ソロは三人。雰囲気のあるラヴ・バラードだからか、コルトレインも抑制を効かせていてちょうどいい。

 

 

そして三番手でやはりブロック・コードで弾くビル・エヴァンズのソロが出るが、たまらなく美しい。マイルズもきれいだが、だから同じようにラヴ・バラードをきれいにリリカルに演奏できるビル・エヴァンズのことが、やっぱり好きだったんだよなあ。アウトロ部でイントロと同様の演奏になる。

 

 

ただし、マイルズに強くあるもういっぽうの音楽志向であるスウィンギーなハード・ブロウを、ビル・エヴァンズは得意としなかった。「ラヴ・フォー・セール」はそんな急速調にアレンジしてあるので、ビルではイマイチ物足りないよね。ピアノ・ソロ部が、というだけじゃなくホーン三人のソロ部でのバッキングでも、どうもプッシュが弱い。

 

 

こんな部分は、さすがにマイルズもやや不満があったらしい。最終的には1963年にハービー・ハンコックという、リリシズム&ハーモニーの豊富さ/ファンキーなハード・スウィングの、どっちも完璧にこなせる人材を見つけて問題が解決したことになる。そこへ至る前の、過渡期ではないけれど、ちょうど調性の自由化とメロディ展開の拡大という新表現をやっていた際の助力として、ビル・エヴァンズは最好適だったんだね。

2018/05/03

この世はなんでも縁だから 〜 ドム・ラ・ネーナ

 

 

ジェイン・バーキンみたいだったり、寺山修司の映画を思わせる部分もあったりするけれど、なんと言ってもあのベイルート(ザック・コンドン)の『グラーグ・オーケスター』を思わせるところの強いドム・ラ・ネーナの『ソーヨ』(2015)。似ているよなあ。

 

 

端的に言えば、音響系サンバ(・カンソーン)みたいなものなんだろうか。存在すら知らず、自分で買ってもいないドム・ラ・ネーナのこの『ソヨ』CD がどうして僕んちにあるのかは、以下のリンク先に書いておいたので、ご興味のあるかたはご一読を。要はただの手違いによる偶然だけど、なんでもご縁ですから、この世は。どこに嬉しい出会いが転がっているかわからないですから。

 

 

 

ドム・ラ・ネーナ(はもちろん芸名)はブラジル南部のポルト・アレグレ生まれで、現在はパリに住んで音楽活動をしているシンガー・ソングライター。楽器はチェロをメインにやってきているみたい。そのほか自身のアルバム二作目の『ソーヨ』ではウクレレ、ギター、ピアノ、パーカッションなどもやり、もちろん歌っている。

 

 

ドムは、基本、ベイルートみたいに自分で曲を書き、部屋のなかの独り密室作業で音創りしていくタイプみたいだ。だからアルバム『ソーヨ』でも全曲がドムの自作で、途中まではひとりで音を重ねて録音作業を進めていた模様。そんなタイプだっていうのは、ご存知ないかた(って僕もそうなんだが)も、上のリンクでアルバムのサウンドをお聴きになればわかるはず。

 

 

しかし『ソーヨ』には強力な助っ人が参加している。ドムと共同でプロデュースし、演奏にも参加しているマルセロ・カミーロ(元ロス・エルマーノス)。マルセロが、ドムによる独り作業に途中から参加して音を変えていったんだろう。全体的にフワ〜ッとした音響系みたいなドムの音楽に、『ソーヨ』だとリズミカルな躍動感が漂っているのは、たぶんマルセロのおかげだ。

 

 

それでこのアルバムでは、たとえば1曲目「ラ・ネーナ・ソイ・ジョ」でも、最初ドムの弾くウクレレの音だけで漂うようにはじまったかと思うと、途中からビートが効いて生命感のある律動がしはじめているよね。エレキ・ギターは、基本、マルセロが弾いているはず。でもドムも同じ楽器を追加しているとクレジットされているので、正直なところ、僕には判別できない。ドラムスはマルセロだね。

 

 

2曲目「ヴィーヴォ・ナ・マーレ」の曲調は、哀愁感のある、つまりブラジル音楽でいうサウダージを感じるようなサンバ・カンソーンっぽい。しかもかなり静かだ。そして若干閉鎖的…、と思って聴いていると、やはり後半はビートが効いてくるので、だからドムが書いて音創りしていたものに、マルセロがリズムを足したということかもしれない。

 

 

ドムのヴォーカルは、おわかりのようにささやくような、つぶやくようなもので、僕の好みじゃないかもしれないんだけど、曲じたいもそういうものが多いし、それをアンビエント・サウンドにだけ包んで届けられると、やはりイマイチだったりする。だけど『ソーヨ』では、だいたいの曲で(たぶん大部分が)マルセロによる打楽器がナマの躍動感を与えていて、これなら僕みたいな趣味の音楽リスナーでも受け入れやすい。実際、好印象を持つようになってきている。

 

 

3曲目「メニーノ」、4「ジュスト・ユン・シャンソン」もそんな感じに仕上がっていて、しかもドラムスやパーカッション群や、その他打楽器的に使われている楽器は、ミニマルなやりかたで音を重ねているよね。同一パターンを反復しながらすこしづつずらしていくっていうあれ。アフリカ音楽とか、それ起源の各国音楽で聴けるやつだ。ドムにも最初からあるものなのか、それとも大部分がマルセロの貢献なのかは、わからない。

 

 

5「ゴロンドリーナ」、6「リスボン」、7「ジェガレー」あたりは、ジェイン・バーキンの歌うシャンソンみたいに聴こえる。哀感が漂っている(7「ジェガレー」は陽気だけど)のは、ヨーロッパ系の退廃感とも、ブラジルのサウダージとも、はたまたベイルート的な東欧のわびしいフィーリングとも受け取れる。でも…、う〜ん…と思って聴いていると、7「ジェガレー」後半部ではやはりにぎやかになってイイネ。

 

 

8「ヴォルト・ジャ」。これで聴けるエレキ・ギター・スライドはマルセロに違いない。しかしそんなことより、この曲は多幸感を持って強く躍動するサンバだ。といっても音響系のオブラートにくるんであるけれど、ドムのアルバム『ソーヨ』のなかでは、また僕にとっても、いちばんノレる1トラックだ。これはいいなあ。

 

 

9〜11曲目とふたたび哀感と浮遊感の強い音楽に戻っていて、10曲目は「カルナヴァル」というタイトルだけど祝祭感はなく、ちょっとサンバ・カンソーンっぽいなとは思うけれど、う〜ん…。それでも一分目すぎあたりから打楽器が効きはじめノリがよくなって、アップ・ビートで楽しめるから、まぁあれだ、自室のなかでひとり孤独になにかこう、自分で自分を祝っているような、そんなフィーリングに聴こえる。

 

 

アルバム・ラスト11曲目「エル・シレンシオ」は、この曲題どおりの静謐でアブストラクトなワン・トラック。だからドム・ラ・ネーナって、いままで僕とぜんぜん縁がなかった女性音楽家で、いまでもあまりわかっていないんだけど、こういった感じが本来の持ち味なひとなんだろう。

 

 

一作目2013年の『エラ』はチラ聴きしただけだからなにも言えないが、たぶん上で書いたとおりのアンビエント・サウンドでメランコリックな色調の音楽をやるひとなんだと思う。その一作目との肌触りの違いの最大のものがパーカッシヴでリズミックなダイナミクスで、それは間違いなくマルセロ・カミーロがリオ・デ・ジャネイロから運んできた、より明るく躍動的なアップビート要素に起因するはず。

2018/05/02

ナット・キング・コール、スペイン語で歌う

 

 

ナット・キング・コールがスペイン語(一部ポルトガル語)のままで歌ったラテン歌曲。『コール・エスパニョール』(1958)、『ア・ミス・アミーゴス』(1959)、『モア・コール・エスパニョール』(1962)の三枚で、CD リイシューの際の追加を外せば計35曲。ひとまとめにすると、トータル再生時間が1時間27分。あんがい少ないが、いわばナットのスパニッシュ・トリロジーだ。

 

 

僕のばあい、ただ単純に好きなだけ。ナット・キング・コールの歌う「カチート」「キサス、キサス、キサス」「カプジート・デ・アレリ」「ペルフィディア」など、そのほかいっぱいあるけれど、それらが、理屈抜きで本当に好き。それだけのことなんだ。そんなようなひとは北米合衆国に、中南米にも、日本にだって、たくさんいるはずだと思う。

 

 

ナットのスパニッシュ・トリロジーを、追加トラックを外し、ダブリもないようにして、そしてレコード発売時のオリジナルどおりの曲順でぜんぶを並べたのがいちばん上のプレイリストだ。参考にしてほしい。もし CD で買いたいというかたは、二枚でいい。キャピトルの権利を持つ EMI のコレクターズ・チョイス・シリーズで2007年にリイシューされた『コール・エスパニョール/モア・コール・エスパニョール』と『ア・ミス・アミーゴス』。前者は僕も好きじゃない 2 in 1 だけどね。

 

 

上記プレイリストでも CD でもお聴きになって、やはりスペイン語の発音がイマイチだとお感じになるかもしれない。ナットはスペイン語をまったく解さなかった。だからラテン歌曲をスペイン語のままで歌うに際しては、文字どおり一音一音なぞるように真似して教わっていったそうだ。そこが、ラテン・ミュージック愛好家のみなさんにはどうもちょっと…、と聴こえるかもだけど、ナットのスパニッシュ・トリロジーはスペイン語圏の中南米諸国でも好評だった。

 

 

また、イタリア起源の曲もある。曲題だけでもわかる7曲目の「アリヴェデルチ・ローマ」だ。でもこれはスペイン語で歌っている。またナットのブラジル・ツアーの際にリオ・デ・ジャネイロで録音された『ア・ミス・アミーゴス』には、ポルトガル語で歌うものが三曲ある。14「サアス・マオス」、16「カボクロ・ド・リオ」、23「ナオ・テーニョ・ラグリマス」。18「ナディエ・メ・アマ」は、LP ヴァージョンでは原曲どおりスペイン語だが、ポルトガル語でも録音していて、ブラジルでだけ45回転シングルで発売されたのがリイシュー CD には追加されている。

 

 

録音事情のこともすこし記しておこう。まず一作目の『コール・エスパニョール』。「カチート」と「ノッチェ・デ・ロンダ」を除く曲の伴奏は、キューバのハバナで録音されている。1958年2月17、18、20日。その際のアレンジと指揮はアルマンド・ロメウ Jr.。カラオケだけ現地で録音しハリウッドに持ち帰って、ナットがヴォーカルをかぶせたのが6月9、11日。

 

 

 

 

「カチート」「ノッチェ・デ・ロンダ」は、1958年6月9日に、デイヴ・カヴァノーのアレンジと指揮によるラテン・アンサンブルをともなって、ハリウッドのキャピトル・タワーで録音されている。これらは同時録音かヴォーカルだけ多重録音したのか、わからない。

 

 

二作目『ア・ミス・アミーゴス』。リオ・デ・ジャネイロ録音だと上で書いたが、それが1959年4月13〜16日。オーケストラ・アレンジと指揮は、リオに飛んだデイヴ・カヴァノーによるもの。デイヴは当時キャピトルで重職にあったが、わざわざリオにまで行くわけだから、ナットはそれくらいのスーパー・スターだったんだね。

 

 

三作目『モア・コール・エスパニョール』は、ツアーの際のメキシコ・シティでの録音で、1962年3月6〜9日。アレンジと指揮はラルフ・カーマイケルで、やはり前二作同様、現地のスタジオ・ミュージシャンを起用した模様。といっても、三作とも当時のナット・キング・コール・トリオ(と名乗るが、実際はドラマー入りのカルテット)のレギュラーも参加している。

 

 

さて、1950年代末なら米西海岸ハリウッドのキャピトル・タワーの”キング”だったナット・コールなので、と思うんだけど、そんな彼がスペイン語歌曲集を録音、発売することになった直接のきっかけは、当時のマネイジャー、カルロス・ガステルがスペイン語話者で、それでそれまでとは違った、もっと広いファン層、より広範な世界にアピールできるように、つまり有り体に言えばやはり売らんかなの発想で持ちかけた企画だったらしい。

 

 

スペイン語がわからないナットにそれを要求するのは、歌手本人にとってはややしんどい話だったかもしれない。実際、苦労しているみたいだしね。しかしキャピトル側とマネイジャーも、当時ビッグ・スターだったナットに、なるべく緊張感のゆるい気持ちで録音に臨んでもらうべく準備はした。カラオケ伴奏だけキューバで録音しておいてヴォーカルは慣れ親しんだハリウッドのキャピトル・タワーで実施するとか、要職が現地まで赴くなどなど。

 

 

むろん、ふだんから僕が反復しているように、音楽作品もできあがりがどうなのかということがすべてだ。頑張って苦労しようが、朝飯前みたいにチャチャっと片付けようが、結果、作品が立派な仕上がりになるかどうかだけで判断されるべきものだろう。

 

 

その点で言えば、ナットのスパニッシュ・トリロジーは、まあもとからこの歌手の大ファンであるという贔屓目はむろんあるけれど、このスムースなシルクのようになめらかな発声とデリケイトなフレイジングが、ラテンなラヴ・ソングの数々が表現するフィーリングにうまく合致しているように思う。僕の好みだというだけなのかもしれないが。

 

 

「カチート」や「カプジート・デ・アレリ」その他のような快活なリズム・ナンバーも楽しいんだけど、また「エル・チョクロ」のような有名タンゴもあるけれど、僕にとってのナットのラテン歌曲集はバラードこそが命。ラテン・ミュージック界でいうボレーロ/フィーリン・タイプのゆったりタイプのしっとりした楽曲でこそ、ナットの持ち味が最も発揮されているように感じる。

 

 

すなわち、「キサス、キサス、キサス」「ノッチェ・デ・ロンダ」「テ・キエロ、ディヒステ」「ナディエ・メ・アマ」「ペルフィディア」「トレス・パラブラス」「ソラメンテ・ウナ・ベス」「アディオス・マルキータ・リンダ」「ノ・メ・プラチケス」「ア・メディア・ルス」。

 

 

楽しいダンス・ナンバーも好きだけど、こういった甘いボレーロで、愛するひとどうしがからだを寄せ合っているような歌が、それが甘ければ甘いほど、僕は好きだなあ。ナットのスパニッシュ・トリロジー、レパートリーはやはりキューバやメキシコの歌が多い。アメリカ合衆国とキューバ(などの中南米諸国)も、まだ1950年代後半には蜜月関係にあった。もちろん USA が一方的に支配していただけなのだが、そんな時代の<ラテン・アメリカ・イン・アメリカ>の官能を、ナットも表現できていると、僕は聴いている。

2018/05/01

ショーロの夕べ

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1987年と88年にリオ・デ・ジャネイロの市民劇場で開催されたコンサートから収録したライヴ・アルバム『ショーロの夕べ』(Noites Cariocas)。この原題は、ジャコー・ド・バンドリンのかの名曲からそのまま持ってきているのだろう。実際、アルバムの1曲目だし、とか思うんだけど、もっとこう、リオで開催されたショーロのコンサートという、その様子を的確に表現しているものだよねえ。だからこういう邦題になっている。

 

 

そんなジャコーの1「リオの夜」、12「ココのお菓子」(Doce De Coco)だけでなく、ベストセラー盤『ショーロの夕べ』ではショーロ名曲がどんどん演奏され、しかも1980年代末あたりの時期の名手が揃っている。しかも活き活きとしたフィーリングを出しやすいライヴ・コンサートからの収録で、観客のレスポンスも聴こえる臨場感もあるっていう、だからこの一枚もショーロ入門にもってこいなんじゃないかな。

 

 

ピシンギーニャの曲も、2「まだ覚えているよ」(Ainda Me Recordo)、3「カリニョーゾ」、5「インジェヌオ」、16「1×0」(Um A Zero)とあって、また6「シキーニャ・ゴンザーガ」、15「レメジェンド」はラダメース・ニャッタリの曲で、だから前者はもちろんシキーニャに捧げた曲だけど、このアルバムで彼女の曲はとりあげられていない。

 

 

13「金婚式」(Jubileu)はアナクレット・ジ・メデイロス作、アンコール的なアルバム・ラスト17「ウルブー・マランドロ」がロウロの作と、有名スタンダードが多い。またクラシック界の存在だけど、このアルバムの演奏曲作者のなかでは世間一般にならたぶん最も知名度がありそうなヴィラ・ロボスが書いた8「バシアーナス第5番」(Bachianas no.5)もある。

 

 

ヴィラ・ロボスも、クラシック界の作曲家とはいえ、ショーロやサンバの世界にかかわっていたし、またこれ以外にも、ショーロ名曲をクラシック界のピアニスト(9「ヴァイブレーション」のジョアン・カルロス・アシス・ブラジル)が伴奏したり、またクラシック界のクラリネット奏者(7「たらの骨」のパウロ・セルジオ)が演奏したりする。パウロ・セルジオはヴィラ・ロボスの8「バシアーナス第5番」でも吹いているし、7「たらの骨」では、主旋律に入る前にジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」を吹いている。あの冒頭のクラリネットせり上がりをそのままね。

 

 

しかしバンドが入ってきてからの演奏となんらの違和感なくつながっているのは、ほかの人やほかの演奏でも同じで、またショーロ楽曲をショーロ演奏家がやるのでも、ときおりバロック音楽ふうな掛け合いになったりするパートもあって…、そんなこんなでやっぱりブラジルでは古典/大衆の音楽差は小さいんだね。

 

 

『ショーロの夕べ』に参加している演奏者のなかでは、バンドリンのジョエール・ナシメントがいちばん目立っているように思う。ジャコー亡きあとの最高の名手だった。また僕でもかなり馴染み深いベト(パーカッション)とエンリッキ(カヴァキーニョ)とのカゼス兄弟もいて、ギターのマウリーシオ・カリーリョもいるし、だからカメラータ・カリオカの元メンバーが中心になっているみたい。カメラータじゃないと思うけど、やはり有名人のシキーニョ(アコーディオン)もいる。

 

 

バンドリンのジョエールはホントほぼ全編で活躍しているけれど、特に1「リオの夜」、5「インジェヌオ」、6「シキーニャ・ゴンザーガ」、9「ヴァイブレーション」での演奏なんかはかなりの聴きものだ。ベテランのフルート奏者アルタミーロ・カリーリョは、4「ハレルヤ!」でのアド・リブが楽しくおもしろいとか、アンコールの17「ウルブー」で主導権をとっていたりとか。

 

 

アルバム中、たぶん1987年のコンサート収録分だと思うんだけど、ステージ上の全員が参加して次々とソロをとるというか、入り乱れているものが四曲。1「リオの夜」、15「レジェメンド」、16「1×0」、17「ウルブー」。入り乱れてといってもカオスにはなっていない。まるで即興演奏ではないかのように整然とからみあっているのが驚異的だけど、ショーロ名手の実力ってことなんだろうね。あるいはショーロという音楽の持つ高次元のスポンティニアスさということか。

 

 

もう一点。古典ショーロ楽曲のカヴァーが多い『ショーロの夕べ』なんだけど、決して懐古趣味なスタイルではない。1987/88年時点でのモダンさがある。以前書いたショーロ・アルバム『カフェ・ブラジル』なんかもそうだったけれど、なんというかボサ・ノーヴァとか MPB を通過して以後の新感覚ショーロとでも言ったらいいのか、時代に即したスピーディーでフレッシュな演奏になっているよね。サッカーに題材をとったピシンギーニャの「1×0」なんか、1919年の曲なのに、このアルバム・ヴァージョンは、攻守めまぐるしく入れ替わる、いまの世界で主流な速攻モダン・サッカーだ。

 

 

そんなところも聴いてほしい。

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