LP でも CD でも一枚とか二枚組とかのアンソロジーなら、むかしから何種類もあるコロンビア系レーベル(ブランズウィック、ヴォキャリオン、オーケー、コロンビア)時代のビリー・ホリデイ。録音時期だとその間1933〜1941年と、1944年に二曲のラジオ放送音源を録音している。別テイクもぜんぶ含めれば計230トラック。それを漏らさず収録した10枚組のコンプリート集 CD ボックスが米ソニーからリリースされたのは何年だっけ?と見直すと2001年。サイズもデカい。

同じ中身でサイズだけコンパクトにしたものをレガシーが出したのは2009年だ。どうして僕は両方持ってるんだろう?ちょっと比較してみたら、やはりパッケージングとブックレット記載文のフォント・サイズの違いだけだなあ…、あっ、いや、一つだけ違っている。2001年リリースの大きいほうのブックレットには、ディスコグラフィーのあとに "The Songs of Billie Holiday" と題した33ページの曲目解説があるぞ。あれっ?
その "The Songs of Billie Holiday" では一曲ずつすべてについて丁寧に解説されているじゃないか。これ、どうして2009年版で削っちゃったんだろう?扱いやすいサイズだからと思って最近は2009年版ばかり出していたが、う〜ん…。その2001年版の曲目解説を読みなおしてみたが、今日のこの文章にそれが反映されるかどうかはわからない。2009年版で省いたのは、ぜんぶ載せたら分厚くなりすぎるから?
全230トラックから、別テイクを外し、1935年に一つ&前述のとおり1944年に二つあるラジオ音源も省くと、ぜんぶで153曲になる。そこから厳選し、といっても独力ではむずかしいのでいままでに存在するみなさんの編んだ各種アンソロジーを参照しつつ、僕の好みと意見でそこから外したり、ないものを入れたりして、絞りに絞ったセレクション・プレイリストがいちばん上でご紹介したものだ。44曲。これより減らせというのはむずかしい。
録音年を括弧に入れて、それを以下に記しておく。右に * 印がついているのはビリー・ホリデイ名義のレコード音源。ピアノがテディ・ウィルスンじゃないものだけ、その旨書き添えた。つまり、これら1935〜39年の録音セッションは、ほとんどテディ・ウィルスンが弾いている。
1 I Wished On The Moon (1935/7/2)
2 What A Little Moonlight Can Do
3 Miss Brown To You
4 If You Were Mine (1935/10/25)
5 It's Like Reaching For The Moon (1936/6/30)
6 These Foolish Things
7 I Cried For You
8 Did I Remember? (1936/7/19)*
9 No Regret
10 Summertime
11 Billie's Blues
12 Pennies From Heaven (1936/11/19)
13 That's Life I Guess
14 I Can't Give You Anything But Love
15 This Year's Kisses (1937/1/25)
16 Why Was I Born?
17 I Must Have That Man
18 My Last Affair (1937/2/18)
19 Carelessly (1937/3/31)
20 Moanin' Low
21 Let's Call The Whole Thing Off (1937/4/1)*
22 Sun Showers (1937/5/11)
23 Yours And Mine
24 I'll Get By
25 Mean To Me
26 Foolin' Myself (1937/6/1)
27 Easy Living
28 I'll Never Be The Same
29 Me, Myself, And I (1937/6/15)* James Sherman on piano
30 A Sailboat In The Moonlight
31 He's Funny That Way (1937/9/13)* Claude Thornhill on piano
32 My Man (1937/11/1)
33 Can't Help Lovin' Dat Man
34 When You're Smiling (1938/1/6)
35 I Can't Believe That You're In Love With Me
36 You Go To My Head (1938/5/11)* Billy Kyle on piano
37 If I Were You
38 I Can't Get Started (1938/9/15)* Margaret 'Countess' Johnson on piano
39 Everybody's Laughing (1938/10/31)
40 I'll Never Fail You
41 More Than You Know (1939/1/30)
42 Sugar
43 Night And Day (1939/12/13)* Joe Sulivan on piano
44 The Man I Love
コロンビア系レーベルでの、というかそもそもビリーのデビュー・レコーディングは、当該10枚組のトップに収録されている1933年12月18日録音で、ベニー・グッドマン楽団といっしょにやった二曲。しかしまだ魅力が薄い。ジョン・ハモンドの監修下で行われた1935年7月2日の四曲こそが実質的な「はじまり」だった。ハモンドはこの後、1939年1月30日に四曲やった録音セッションまでずっと面倒を見た。
その1935〜39年1月30日こそがビリーにとってもいちばんよかった時期(不可分一体だったテディ・ウィルスン名義のブランズウィックへの一連のレコーディング・セッションがその大半)だと僕は信じている。その次が1939年3月21日録音になるのだが、そこからはどうもフィーリングが異なりはじめている。僕だけの感じかたかもしれない。すべてのアンソロジーがその後の録音からも収録してあるから。
しかし僕個人のこの実感は拭いがたいものがあるんだよね。似たようなメンツによるコンボ編成の伴奏サウンドだって違っているし、ビリーのヴォーカルが変化してやや重くなりかけていて、その後のコモドア・レーベル時代のサウンドと歌いかたに近づいていると思う。あまり好きじゃない。
だから上のプレイリストは、本当だったら42曲目の「シュガー」でやめたかった。そうせずに「ナイト・アンド・デイ」「ザ・マン・アイ・ラヴ」をラストにくっつけてあるのは、レスター・ヤングといっしょにやっている「ザ・マン・アイ・ラヴ」がすばらしいと言われているからではない。サウンドとヴォーカル・フィーリングの変化の兆しを、みなさんにも感じとっていただきたかった。あるいは僕だけの勘違いかもしれないので、その検証という意味も込めて。
本論の前に付記しておく。フリーランスだったビリーだけど、テディ・ウィルスンのセッションで歌いテディ名義で発売されたレコードが評判になって、さっそく1936年7月10日からビリー名義で発売すべくレコーディングが開始され、その後テディ名義のものと、まあ実態はほぼ同じものだけど、並行してセッションが進み、レコード発売された。
それだけじゃなく、それらのブランズウィック・セッションにカウント・ベイシー楽団(はジョン・ハモンドのフェイヴァリットだったから)からのメンバーが参加しているので、ビリーの歌がいいぞと口コミでボスのところに伝わったからなのか、ハモンドの口利きか、わからないが、1937年3月13日にビリーはベイシー楽団の専属歌手となる。
そのあいだもコロンビア系レーベルへの録音セッションは続き、1938年3月3日にビリーはベイシーのところを退団(クビだったらしい)。しかし直後の同年同月末(正確な日付が判明しない)にアーティ・ショウ楽団の専属として迎えられる。それも11月に退団することとなり、その後のビリーは亡くなるまでやはりフリーランスだった。
さて、1935年から1939年までのビリーが歌ったコロンビア系録音。上の曲目一覧をご覧になっても、ビリーのファンじゃなかったらふつうあまり知らないなというものが多いかもしれない。いや、そんなことないぞ知っているぞとおっしゃるかたが多いだろうけれど、その場合、それはこの時期にビリーが歌ったので有名化したものなんだよね。
特別なアメリカン・ポップ・ソング愛好家は例外として、ビリー・ホリデイを連想せずに思い出せるものは、上のセレクションだと6「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」、10「サマータイム」、12「ペニーズ・フロム・ヘヴン」、14「捧ぐるは愛のみ」、21「レッツ・コール・ザ・ホール・シングズ・オフ」、38「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」、42「シュガー」、43「ナイト・アンド・デイ」、44「私の彼氏」だけじゃないかな。
それら以外は当時の流行歌で、なんでもないヒット・ポップ・チューン、はっきり言ってしまえば取るに足らない他愛のないふつうの小唄なのだ。ビリーは、というかジョン・ハモンド監修下のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションは、多くのばあいそんな、当時だけのいっときのヒット・ポップスをとりあげた。
しかしどうだろう、参加しているジャズ・メンの演奏力量が抜きん出ているからというのもあるけれど、世間一般のふつうの流行歌も、ここに収録されているビリーの歌で聴くと、2018年のいまでも輝きを感じるんじゃないだろうか。僕はそう思うんだけどね。キラキラしている。時代に即しただけの、ふつうの大衆音楽のありようだけど、そうだからこそ、時代を超える美を放つ。
1「アイ・ウィッシュト・オン・ザ・ムーン」、2「ワット・ア・リトル・ムーンライト・キャン・ドゥー」、3「ミス・ブラウン・トゥ・ユー」、5「イッツ・ライク・リーチング・フォー・ザ・ムーン」など、ビリー以前のヴァージョンをだれが思い出せるだろうか?ビリー以後ならあるけれどね。
いま具体名をあげた四曲。この録音集では最初期のものだけど、個人的にはいちばん好きだ。アップ・テンポで軽快にスウィングし、ミドル・テンポで活き活きと躍動し、ビリーのための録音じゃないので歌はワン・コーラスだけで、あとは楽器演奏だけど、インストルメンタル部分とヴォーカル部分に音楽的な差異がないのは驚異的だ。
ここが戦前コロンビア系レーベル時代のビリー最大の特長だと思うんだよね。ヴォーカルを楽器のごとく操ることができた。しかしそれでも歌詞を無視、軽視することにはなっていない。その逆で歌詞を最大限に表現せんがためのテクニックとして器楽的に歌うのだ。
端的に言えば、歌詞とヴォーカル表現の不即不離。くっつきすぎず離れすぎず適切に、しかし最大限にまで両者の表現領域を高めている。それこそがビリーの真骨頂なのだ。その後の、上でも書いたがコロンビア系時代の後のコモドア、デッカ、ヴァーヴといった諸レーベルへの録音だと、歌詞表現を重視するほうへ傾きすぎていると思うんだよね。
言い換えれば重さというということで、ちょっとベタッとなっているように僕は感じる。濡れ紙が肌にまとわりつくかのようなフィーリングが、そのあたりのビリーの歌には聴きとれてしまう。ところが1939年までのコロンビア系録音だと、軽い。ソフトなライト・タッチでふわりと舞っているポップさが、僕には心地いい。
そんなビリーの歌いかたへの最大の影響源はベシー・スミスじゃなくて、エセル・ウォーターズと、そしてだれよりもサッチモことルイ・アームストロングだった。特にサッチモの痕跡は、この時期のビリーに強い。レパートリーだってにオーケー時代のサッチモが歌ったものがいくつかある。
一例だけあげておこう。今日のセレクション14曲目の「捧ぐるは愛のみ」。これなんか、ビリー独自のヴォーカル・スタイルである、歌い出しを元旋律よりも高い音ではじめて、その後(あたかも一音程を続けるかのように)平坦なラインをたどり、それでゆっくり大きくノって、リズム・セクションの細かく刻むビートとの好対照で、両者がぶつかり合ってキラキラするというあれ(つまりアフロ・クリオール・ミュージック共通のあれ)〜 それの典型例の一つだ。
この「捧ぐるは愛のみ」も、サッチモが1929年3月5日にオーケーに録音したのがレコード発売されている。そのヴァージョンもご紹介しておこう。ビリーのヴァージョンと比較してほしい。
ヴォーカルをコルネットと完璧に同じスタイルで扱って、ジャズ(ポップ)・ヴォーカル界の嚆矢となったサッチモ。ビリーはそこからたくさん学んで、しかしそんな器楽的唱法というにとどまらず、サッチモ以上に歌詞の意味に即し離れず(ビリーはスキャットをまったくやらなかった)、しかしくっつかず。それでもってベタつかないドライな、しかしドライすぎない適度な情緒を残しながら、絶妙なバランスで細やかに歌いこなしているよね。
その結果、多くの曲でビリーは元旋律を歌わず、毎回自らの新たなヴォーカル・ラインを(おそらくは)アド・リブで編み出して歌っているよね。これはもはやフェイクとかいうものじゃない。しかしこの点はいままで多くの評者がたくさん語ってきていることなので、今日は繰り返さない。
1935年7月時点ですでに素晴らしかったビリーの歌だけど、セレクション15曲目の「ディス・イヤーズ・キシズ」からすこし変化しているよね。この1937年1月25日はレスター・ヤングとの初邂逅だった。その後しばしばビリーとレスターは共演し、ビリーはレスターの持つナチュラルでスムースでしなやかな表現を声に移植するようになり、グンと成長した。ビリー独自のやわらかさとくつろぎとリリシズムが完成されていく。
15〜35曲目あたりはどれもすべて宝石だけど、特に22「サン・シャワーズ」から35「あなたがわたしに恋してるなんて信じられない」までは、バンド・メンとの一体感もあって、この一連のレコーディング・セッションのピークとして、すなわちビリー・ホリデイの生涯最高の歌唱として、そしてテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション中でも屈指の名演として、いくら激賞してもし足りないほどだ。
34曲目「ウェン・ユア・スマイリング」こそがベスト・ワンだと僕は信じている。レスターのソロも生涯の名演。ビリー・ホリデイとテディ・ウィルスンのレコーディング・セッションのなかの一曲としても、そしてアメリカ合衆国の戦前ジャズ界でも見つけることができた汎アフロ・クリオール・ミュージックの一発露としても、すばらしすぎて称える表現を見つけることができない。
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