スウィンギング・フィドル・フロム・アイルランド
アイリッシュ・フィドルを聴く快感。僕にとってのそれは、一言にすれば、猛烈なスウィング感、いや、ドライヴ感だ。主に18、19世紀、アイルランドからアメリカ合衆国に文字どおり大量の移民があった。以前からなんども書いているが、アメリカにおける19世紀は、この国のポピュラー・ミュージックが姿かたちを整えた時期だから、そこにアイルランド移民が及ぼした影響はかなり大きい。マウンテン・ミュージックやその他貧乏白人音楽も、ジャズもリズム&ブルーズも、ロックも、それらだいたい「同じ」だというのが自論なんだけど、その大根幹の一つがアイリッシュ・ビートだ。疑いえないと思う。
アメリカにやってきたアイリッシュ・フィドラーたちがアメリカでレコード録音したものと、その後、その流れを汲んだ白人や黒人フィドラー(&ヴァイオリニスト)たちの音源で、アイルランド伝統ビート→アメリカン・ポップ・ビートという見直し、再検証作業をやった音楽アンソロジーが、中村とうようさん監修選曲、茂木 健さん解説で1999年に MCA ジェムズ・シリーズの一枚としてリリースされた『フィドラーズ・フィールド:アイルランド・トゥ・アメリカ』だ。
この世界のことに疎い僕には、この『フィドラーズ・フィールド』は格好の入門盤。しかも茂木 健さんの解説文がかなり詳しい。多くのばあいフィドルの演奏技巧にまで細かく分け入っていて、クロス・チューニング(ギターでいうオープン・チューニングをこう呼ぶらしい)や、左手の装飾や、右手のボウイングなど、そのあたりまではぜんぜん僕に理解できないが、音を聴いて、なんとなくそうなのかとボンヤリ感じるだけ。
フィドル演奏技巧解説じゃない部分は、アイルランド移民がアメリカ社会で置かれた状況や社会文化背景の説明、それが音楽に具体的にどう反映されて、どんな演奏ができあがったのか、音楽的解説、その結果当時のオーディエンスからどんな反応があったとかなかったとか、ジャズなど黒人音楽の影響がなかったりあったりなど、こんなに楽しくおもしろく、しかも勉強になるブックレットはない。
しかしいちばん上で書いたけれど、『フィドラーズ・フィールド』を聴くのはお勉強じゃない。気持ちいいからなんだよね。聴いてピュアに、皮膚感覚として楽しいんだ。音楽はこうじゃなくっちゃね。またそういう楽しさが20世紀はじめごろのアメリカで演奏されたアイリッシュ・フィドルにあったからこそアメリカン・ミュージックの屋台骨たりえたわけだし、聴くひとや研究者もいるってわけだろう。
『フィドラーズ・フィールド』は、大雑把に12曲目までの前半とそれ以後の後半に分割されている。前半はニュー・ヨーク録音で、マイクル・コールマンら当地で活動した正真正銘のアイルランド移民一世フィドラーたち。伝統的なアイリッシュ・フィドル弾きで、茂木 健さんによればスライゴー・スタイルというのだそうだ。スライゴー(Sligo、Sligeach)はアイルランドの地名。
『フィドラーズ・フィールド』13曲目からの後半は、アメリカ南部のフィドラーたちで、録音地も南部のようだ。のちのヒルビリー・ミュージックのこの名の由来となったバンドのメンバーだったアル・ホプキンスや、これも知名度があるデイヴ・メイコン、さらにブルーグラス界の代表的存在ビル・モンローの録音が三曲(はこのアンソロジーの、ある意味、クライマックスだ)などなど。
そしてアルバム最後の三曲は、この二つの流れとも異なっている大都会のジャズの世界などで洗練されたスタイルで弾く、茂木 健さんの表現では「芸術音楽」におけるフィドラー、というよりもヴァイオリニストたち。だからたぶんどうも、フィドルという呼び名はあくまで民衆社会共同体に根ざした演奏をしているものに用いるということかなあ。ヴァイオリンはクラシック界由来のアーティスティックなものだと、そう理解していいのだろうか?
ラスト三曲のジョー・ヴェヌティ、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン、スタッフ・スミスは、僕だと音が流れてきた瞬間に頰が緩むようなお馴染みのものなんだけど、このアンソロジー『フィドラーズ・フィールド』の聴かせどころはそこではない。茂木 健さんもスタッフ・スミスについて「お行儀の良さとは無縁の徹底した大衆性」「伝統的な大衆芸能の精神を体現しつつ、フィドルという楽器のひとつの頂点まで飛んでいってしまった」とお書きではあるけれど、本アンソロジーの主眼は21曲目までの、あくまで伝統スタイルで弾く北部ニュー・ヨークのアイリッシュ・フィドラーたちと、南部の田舎町でやる貧乏白人フィドラーたちだ。
前半12曲目までのアイリッシュ・フィドラーたちの演奏はほとんどが4/4拍子のリールで、このズンズン進むビートのスウィング感の激しさ&なめらかさに、いま聴いても耳を奪われる。三曲収録のマイクル・コールマンはアメリカにおけるアイルランド音楽界最初の大きな存在とみなしていいみたいだけど、まさにアメリカン・ビートの祖型だ。コールマンは2曲目だけが6/8拍子のジグ。
個々の曲名にあまり意味はないようだから付さない。 フィドル演奏はどれも同じ素晴らしさだが、3曲目の伴奏はギターなので、アメリカン・ポップ・ミュージックへの流れとしては理解しやすいかも。三つとも平坦さとはほどとおい表情豊かな演奏で、しかも強力にスウィンギー!さらにフィドル演奏のなかで一小節四拍の二拍目と四拍目にアクセントが置かれている。すなわちシンコペイトするアフター・ビートで、ジャズでもなんでもアメリカン・ミュージックのグルーヴ感の…(以下略)。
やはりニュー・ヨーク録音でパディ・スウィーニーが弾くアルバム6曲目なんかも、めまいがしそうなくらいの猛烈なドライヴ感だ。これも二拍目と四拍目のアフター・ビートを強調してある4/4拍子のリール演奏。いやあ、すごいね、こりゃ。1934年のニュー・ヨークで録音した、やはりアイルランド移民一世。
アルバム9曲目はかなり興味深い。ネットに音源がないみたいだが、フィドル+伴奏楽器だけでなく、アコーディオンやドラム・セットなどもくわえてのバンド形式でやっているもので、足踏み(steps とクレジットあり)の音も強く聴こえるのがいかにもステージ・パフォーマンスだというのを思わせる芸能性。ビート感がかなり強いんだけど、1934年録音にしてジャズの痕跡が皆無だ。ニュー・ヨークという大都市で、しかも第二次大戦前という時期に、伝統的なアイリッシュ・リールのドライヴ感とアメリカ黒人音楽が <ジャズなしで> ここまで直接結合したのは稀なのかもしれない。
10〜12曲目のヒュー・ガレスピー(はドゴニール出身だけど、スライゴー・スタイルで弾く、それはマイクル・コールマンの影響らしい)もいいんだけど、アンソロジー『フィドラーズ・フィールド』の後半に収録されている、アパラチア山脈に沿った南部フィドラーたちの話もしておかなくちゃ。
13曲目のアル・ホプキンス「婆さん鶏がコッコッコ」(Cluck, Old Hen)からしてすでに前半のニュー・ヨーク録音とはかなり違っている。まず、楽器演奏だけでなく歌や掛け声が入るばあいもあること。さらにバンド形式になって、しかも猥雑さが増している。いわゆるオールド・タイム・ミュージックってことだね。ことフィドル演奏だけ抜き出して聴くと、前半のアイリッシュ・フィドラーたちに技巧で及ばないもかもしれないが、バンド・ミュージックとしてのエンターテイメントという視点で聴けば、かなり楽しくおもしろい。
お聴きになっておわかりのようにバンジョーが入っているのも、南部における黒人/白人両音楽文化の接触を思わせておもしろい。14曲目のアンクル・デイヴ・メイコン、15のアーミン・リロイ・カーリー・フォックスも楽しい。特に後者の「テネシー・ロール」におけるフィドルはすんごい躍動感だ。これもネットに音源がないのか…。残念だ。ひょっとしてアルバム『フィドラーズ・フィールド』でいちばんドライヴしているのがこの一曲かも。伴奏はギターとベース。
超有名人のビル・モンロー。伝統曲を集め、本人もフィドラーで、幼少時のモンローの音楽形成に大きな影響を与えた叔父ペンに捧げる意味で製作されたアルバム『アンクル・ペン』(録音は1969〜71年)から三曲が、『フィドラーズ・フィールド』の16〜18曲目に収録されている。特に16曲目(はネットに音源がない)と18曲目にアイリッシュ・リールの感覚が強く残っている。だがしかしできあがりはモダンなアメリカのポップ・ミュージックになっているよね。
17「ジェニー・リン」https://www.youtube.com/watch?v=lhgsEC61Txs
18「テキサス・ギャロップ」https://www.youtube.com/watch?v=ylVANMmcVKo
アルバム『フィドラーズ・フィールド』の19曲目、クレイトン・マクミチェン(1937年録音)や、20、21曲目のミルトン・ブラウン(1935、36年録音)になると、かなりジャズと結合していて、僕にはわかりやすい。ジャズのイディオム(洗練)を吸収し、それをフィドル中心のストリング・バンド(荒々しさ)に移植したということがよくわかる。
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