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2018/05/13

アデデジのアフリカ主義が、とても、イイ!

 

 

Afreekanism

 

 

 

 

 

メッチャ都会的に洗練されている音楽。主にヴォーカル&ギターのアデデジ(ナイジェリア)の2017年作二枚組『ア・フリー・カン・イズム』(A Free Kan Ism)のことだ。アフリカ主義と言いながら、これはアメリカの大都会にあるようなポップなジャズ・フュージョンなんだよね。というか普遍的な音楽だから、つまり、これがワールド・ミュージックってことなんだろうか。

 

 

もちろんナイジェリア臭はある。都会的なジャズ・フュージョン(or ジャズ・ファンク)っぽい曲のなかにでも、そのメロディはナイジェリアの音楽家じゃないと出せないようなところ満載だ。ジュジュとかフジとか、ああいった音楽で聴ける節まわし。つまり、ヨルバのそれだ。歌にもでもギターのフレイジングにも、それが聴けるばあいがある。

 

 

それなのに、『ア・フリー・カン・イズム』収録曲の多くはシティ・ポップスみたいなジャズ・フュージョンだもんなあ。最初聴いたとき、ヨルバ版ウェザー・リポートみたいだなと感じたんだけど、ウェザーよりもアデデジのほうが洗練されていて、聴きやすいのかも。ある時期までのウェザーはポップじゃないもんね。

 

 

アルバム収録順に聴いていって最初にそれを感じるのが、一枚目4曲目の「They don't really care about us」だ。この曲でのアデデジの歌いかたを聴いてほしい。英語で歌っているが、これはシティ・ジャズ(って、ジャズはぜんぶ都会のものだけど)じゃないだろうか。折々で弾きからみソロも取るギターだって洗練されていて、まるでジョージ・ベンスン。いや、ちょっとラリー・カールトンっぽい。

 

 

しかしそこに後半、複数のトーキング・ドラム乱打がからみ、するといきなりナイジェリア音楽っぽさも出てくる。トーキング・ドラムが複数台使われているもののなかには、打楽器と声だけのトラックもある。アルバム一枚目1曲目「Oba Edumare」と、一枚目ラスト11曲目「Drum & voice」がそう。電気楽器を抜いたキング・サニー・アデみたいでもある。そんな2トラックで、あいだのシティ・ポップス系ジャズ・フュージョンをサンドウィッチしているんだよね。

 

 

一枚目5曲目「Afreeka On my Mind」なんか、大編成ホーン・セクション、なかでもミューティッド・トランペットの使いかたなんか、かなりのソフィスティケイションを感じるなあ。アデデジがサウンドを創っていると思うんだけど、ハーマン・ミュートを選択し、そんなトランペットを複数台用い、リード・ヴォーカルと女性コーラスのお洒落なやりとりに混ぜるっていう、こんな手法は、ナイジェリア音楽のなかでは(僕は)聴いたことがない。

 

 

ってことは、だから、アメリカ(など)のジャズ系音楽家ならこの手のやつがいっぱいあるとは思うんだけど、ナイジェリア人がやる「わが心のアフリーカ」なんていう曲題のもののなかでこういったものが聴けるとはややビックリだ。しかも打楽器隊のリズムはアフリカのものだし。アデデジは、アルバム中ほかの曲でもそうだけど、ラップっぽい感じでしゃべるように歌う。というか、ジョン・ヘンドリクスみたいなヴォーカリーズの歌手に似ているよなあ。書く曲の旋律も細切れでメカニカルに上下しているしね。

 

 

続く一枚目6曲目「Iyawo Ori Aja」なんか、も〜う最高に楽しいよ。ハイライフだけど、それよりかもっとこう、ジャズじゃないか。サックスとトロンボーンのソロもいいが、途中からほぼ打楽器オンリーのアンサンブル・パートがあって、そこにカリンバがからみ…、と思っているといきなりビッグ・バンド・ジャズ(&ヴォーカル)に直接つながる。こ〜りゃ楽しいね。

 

 

アルバム中いろんな曲で頻繁に聴こえるカリンバは、アデデジ本人の演奏みたい。そのカリンバとヴォーカル(+ちょっとだけのピアノ&アクースティック・ギター)で構成された、どこの音楽だかわからないがアフリカのユニヴァーサルネスみたいな7曲目「ORI」をはさみ、8曲目「If you don't like to Funk」が、こりゃまたすごくイイ。

 

 

「If you don't like to Funk」はジャズ・ファンクに違いないと思うんだけど、歌詞でアデデジが「ジャズは教師、ファンクは説教師」とか歌って、しかしジェイムズ・ブラッド・ウルマーみたいな部分はこの曲のなかにはない。もっとポップで軽快な聴きやすいジャズ・ファンクだ。サビへ入る直前に「take it to the bridge」とやるのは、ジェイムズ・ブラウンの「セックス・マシン」だ。レッド・ツェッペリンのロバート・プラントも引用したあれ。バリトン・サックスのソロもいいなあ。

 

 

二枚目になると、いきなりロックなドラミングではじまる1曲目「Alujoboplectic」。しかしその後はやはりフュージョンの語法だなあ。この1トラックはマジでウェザー・リポートじゃないか。ドラミングとヴォーカルのラインをシンクロさせユニゾン進行させるあたりのアレンジは、ある時期以後のジョー・ザヴィヌルの手法そのまま。

 

 

しかしもっといいのは2曲目「C.O.P (Country Of Pain)」から4曲目「Ijo Ominira」までの三曲。ここがアデデジのこの二枚組『ア・フリー・カン・イズム』のクライマックスだと僕は聴いている。三つともすんごいカッコよく都会的に洗練されているジャズ・フュージョンだけど、なかでも4曲目「Ijo Ominira」がおもしろいし楽しい。

 

 

「Ijo Ominira」は、お聴きになればおわかりのように、エディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」だよね。マイルズ・デイヴィスがやったので有名化しているが、僕はファンキーなエディ・ハリスのオリジナルのほうがずっと好き。アデデジはそのメロディに歌詞をつけて歌っているので、やはりヴォーカリーズってことなのかな。エディ・ハリスのオリジナルもご紹介しておこう。

 

 

 

このアルバムのタイトル『ア・フリー・カン・イズム』とか、一部の曲名に「アフリーカ」とか、そうなっているのは、Africa と free(dom)の両方を同時に表現しているわけだけど、エディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」をヴォーカリーズして、こんなスピーディーなアフロ・ジャズ・ファンク化し、そのなかに(クレジットがないのでだれだかわからないが英語の)自由がどうたらと言っている演説の声を挿入していたり。

 

 

しかし泥臭さというか、悪い意味でのアク、押し出しが強くない。あくまで洗練されたお洒落なサウンドにつつまれている。ピアノ・ソロも完全にジャズ・マナーだ。アデデジのギター・ソロもそう。16曲目「Felasophy」でのギターなんか、だれだか知らせずに聴かせたら、まず間違いなく全員がウェス・モンゴメリーかジョージ・ベンスンだと思うはず。

 

 

曲「フリーダム・ジャズ・ダンス」に思い入れがあるもんだから、つい「Ijo Ominira」のことを書いたけれど、冷静に聴けば二枚目2曲目「C.O.P (Country Of Pain)」が、アルバムの白眉に違いない。尺もいちばん長い10分以上。しかしとことん細部まで練り込まれたアレンジで飽きることなく聴ける。中盤以後、女性コーラスが「あしこびと、あしこびと」とジャジーに反復し、リズムに乗ったりからんだりするのがピークの聴かせどころかな。

 

 

ユッスー・ンドゥールの曲みたいにはじまったなと思っていると、すぐにまたジャズになる3曲目「Cats & Cubs」もすごい。ジャズだと思って聴いていると、中盤で曲調がガラリ変貌し、トーキング・ドラムを含む大勢のパーカッション群が激しく乱打され、チャントも入って、こりゃジュジュかフジかと思うと、また変化して都会のナイト・クラブ・ジャズみたいになるのだった。そこでのアデデジのギター・ソロも群を抜いた洗練で素晴らしいが、その伴奏リズムもいい。

 

 

アルバム『ア・フリー・カン・イズム』二枚組のラスト二曲は、それまでのにぎやかさが嘘のように静まりかえったもので、しっとりと余韻を楽しむがごときもの。19「Aworan Oyinkan」ではピアノ一台だけの伴奏でアデデジが、これはヴォーカリーズっぽくないふつうのバラード・メロディを綴る(後半スキャットが入るけれど)。ヨルバっぽさはこれにはなさそうだ。

 

 

オーラス20曲目は「カリンバ組曲」で、やはりいかにもアフリカ臭がプンプン漂うけれど、かなりクールなのが、ジャズ路線に通じてもいるってことなのかもしれない。

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