水銀の音 〜 マイルズ『ドゥー・バップ』
1992年6月に発売されたマイルズ・デイヴィスの遺作『ドゥー・バップ』。録音時期はイージー・モー・ビーとのコラボでのスタジオ作業が1991年1、2月だったということしかわかっていない。以前も書いたが4曲目「ハイ・スピード・チェイス」と7「ファンタシー」は俗称ラバーバンド・セッション(1985年10月〜86年1月)で収録されていたうちの二曲から、マイルズの死後、イージー・モー・ビーがトランペット・ソロだけを抜き出して、バック・トラックは新たに作成したもの。曲名も変えている。
新録分でも、1991年1、2月の音源にその後マイルズも音を足したかもしれないし、イージー・モー・ビーは間違いなく音を重ねたり編集している。そのモー・ビーの作業だってマイルズの生前と死後に複数回繰り返されただろう。そのあたりのことは、まだほとんど判明していないのだ。
これら以外のことで、まずは明確になっている限りでの『ドゥー・バップ』関連のデータを記しておく。
パーソネル
Miles Davis - trumpet
Easy Mo Bee - produce, keyboards, programing, sampling & rap (2,5,7)
Deron Johnson - keyboards
Rappin' Is Fundamental (Easy Mo Bee, A. B. Money & J. R.) - rap, vocals (2)
Kenny Garrett -alto sax (4)
イージー・モー・ビーの使ったサンプル一覧。
1 Mystery
'Running Away'(Chocolate Milk)
2 The Doo Bop Song
'Summertime Madness'(Kool & The Gang), 'The Fishing Hole'(The Andy Griffith Show), 'Running Away'(Chocolate Milk), 'La-Di-Da-Di'(Slick Rick)
3 Chocolate Chip
'Bumpin' On Young Street'(Young-Holt Unlimited), 'Thanks For Everything'(Pleasure)
4 Hight Speed Chase
'Street Lady'(Donald Byrd)
5 Blow
'Give It Up Or Turn It Loose'(James Brown)
6 Sonya
(no samples)
7 Fantasy
'Love Pains'(Major Lance)
8 Duke Booty
'Jungle Strut'(Gene Ammons)
9 Mystery (Reprise)
'In A Silent Way'(contemporary live version by Miles band)
おわかりのように『ドゥー・バップ』の9曲目は1曲目のリプリーズで、終幕を告げるアンコールなので、アルバムは実質的に八曲。そのうちラップ・ヴォーカルが使われているのは2、5、7の三曲だけ。残りの五つはインストルメンタル楽曲だ。1992年のリリース時点において、ジャズ・ラップみたいなものはまだ馴染みが薄かったのでそれら三曲に注目が集まって、まあ否定的な意見が多かったかもだけど、いまならなんの違和感もない。
違和感ないどころか、ジャズ・ラップ・ミュージックとしてもかなり保守的というか、どうですかこれ?ちょっとダサいような気がしないでもないと個人的には思うんだけど?三曲ともラップの内容はマイルズ賛歌みたいなもので、だからそんなに真剣に耳を傾ける必要などない。1981年の復帰作 B 面にあった曲「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」(ヴォーカルはランディ・ホール)と同じ趣向だ。
それをふつうの歌じゃなくラップでやって、バック・トラックも1991/92年時点でのコンテンポラリーなヒップ・ホップ・サウンドに創り上げ、それでできあがったカラオケ(方式だったに違いない)を聴きながらマイルズが吹いたと、ただそれだけの話だ。カラオケ方式はもっとずっと前からやっている。
ラップ入りの三曲では、やはり2曲目の「ザ・ドゥー・バップ・ソング」にいちばん力が入っている。ちょっとリズム・フィールが、あのころはカッコエエ〜と思って聴いていた僕だけど、う〜ん…、まあいいや、2018年のブラック・ミュージックとしては訴求力が薄いかも。ここで歌うのは、パーソネル欄で書いておいたがラッピン・イズ・ファンダメンタルの三人で、これはイージー・モー・ビー主導のトリオ・グループ(ユニット?)。
いまの時代のサウンドとか2010年代的なレレヴァンスとかで判断するとそうなっちゃうんだけど、他のジャズ・ラップ二曲にしても、インストルメンタル R&B みたいなほかの五曲にしても、あまりそういった聴きかたをしないほうがいいのかも、というのが僕の意見なんだよね。マイルズは常に時代の先端的な音楽を追いかけ続けたということになっていて、そういうふうにしか捉えてもらえず、その基準でおもしろい/おもしろくないの判断をされるだけのは、僕たちファンにとっても不幸だという気がする。
もっとこう、聴いて楽しく心地いいかどうかで判断したいんだよ、僕はね。自称マイルズ好きでそんなのは僕だけなの?この考えかたで、いままでもだれひとり話題にしないマイルズの(保守的だけど)好盤のことを、時代をかたちづくった音楽とかいうんじゃない視点で書いてきたつもりだ。
この僕の考え、視点でいけば、マイルズの遺作『ドゥー・バップ』は心地いい。聴いていて(僕は)楽しい。だからこそ好きなんだ。決して(1992年の)時代の音だったとか、先端的ジャズ・ラップだとか、新しいヒップ・ホップ・ジャズだとか、そういうことじゃない。たんに楽しいだけ。クラブ・ミュージックとしてダンサブルだし。
それになんたってマイルズのこのトランペットの音だ。7曲目「ファンタシー」でだけオープン・ホーンだけど、これは俗称ラバーバンド・セッション時からそうだったはずだから、変えることができない。生演奏しかできない楽器だから、過去音源から抜き出したイージー・モー・ビーだって加工はできない。
あっ、そうそう、ラバーランド・セッションからの音源でなくとも、アルバム『ドゥー・バップ』では、マイルズのトランペット・サウンドをサンプリングして、そのサンプル音を使ってキーボードで弾いているのか?と思わないでもない部分がすこしあるよね。マイルズの吹きそうなフレイジングじゃないと感じる瞬間がある。どこがそれと指摘しにくいんだけど、生演奏部分とサンプリング部分を混ぜてあると思う。マイルズ死後の作業でそれをやった?
アルバム『ドゥー・バップ』が聴いて楽しく、ダンサブルで心地いいっていうのは、ちょっと妙なアナロジーかもだけど、1968年発売の『マイルズ・イン・ザ・スカイ』1曲目の「スタッフ」に相通ずるものがあるような、そんなフィーリングだと僕は感じている。このことは、納得していただけるようにうまく具体的に説明はできない。
一定パターンをヒプノティックに反復する「スタッフ」のグルーヴは、ループを頻用するヒップ・ホップ・ミュージックと同質のものがあるってことかなあ?う〜ん、やっぱりうまく言えないや。マイルズのトランペット・サウンドのことを言いたいんだったね。7曲目「ファンタシー」でだけオープン・ホーンだけど、ほかはぜんぶハーマン・ミュートを使っている。
このミューティッド・サウンドが、いつになくコロコロキラキラとしていて、まるで水銀のように光っている音じゃないか。マイルズ好きはここがたまんないんですよ。みんなこのミューティッド・トランペットの音が聴こえただけで気持ちいい。このサウンドそのものは1950年代から不変なのだ。言い換えれば、中音域のクリアな透徹性を失わないというのがマイルズの魅力。マイルズ・ファンはみんなここが好き。
そんな不変不朽の水銀のようなハーマン・ミュート・サウンドのトランペットが、こんな感じのバック・トラックの上に乗ってもいい感じに聴こえるのは、はたしてマイルズの持つサウンドが根本的に「新しかった」とかどうとか、そういうことかどうかは僕にはわからないし、関心も薄い。ただただ、この音をずっと聴いていたいだけ。
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