ナット・キング・コール、スペイン語で歌う
ナット・キング・コールがスペイン語(一部ポルトガル語)のままで歌ったラテン歌曲。『コール・エスパニョール』(1958)、『ア・ミス・アミーゴス』(1959)、『モア・コール・エスパニョール』(1962)の三枚で、CD リイシューの際の追加を外せば計35曲。ひとまとめにすると、トータル再生時間が1時間27分。あんがい少ないが、いわばナットのスパニッシュ・トリロジーだ。
僕のばあい、ただ単純に好きなだけ。ナット・キング・コールの歌う「カチート」「キサス、キサス、キサス」「カプジート・デ・アレリ」「ペルフィディア」など、そのほかいっぱいあるけれど、それらが、理屈抜きで本当に好き。それだけのことなんだ。そんなようなひとは北米合衆国に、中南米にも、日本にだって、たくさんいるはずだと思う。
ナットのスパニッシュ・トリロジーを、追加トラックを外し、ダブリもないようにして、そしてレコード発売時のオリジナルどおりの曲順でぜんぶを並べたのがいちばん上のプレイリストだ。参考にしてほしい。もし CD で買いたいというかたは、二枚でいい。キャピトルの権利を持つ EMI のコレクターズ・チョイス・シリーズで2007年にリイシューされた『コール・エスパニョール/モア・コール・エスパニョール』と『ア・ミス・アミーゴス』。前者は僕も好きじゃない 2 in 1 だけどね。
上記プレイリストでも CD でもお聴きになって、やはりスペイン語の発音がイマイチだとお感じになるかもしれない。ナットはスペイン語をまったく解さなかった。だからラテン歌曲をスペイン語のままで歌うに際しては、文字どおり一音一音なぞるように真似して教わっていったそうだ。そこが、ラテン・ミュージック愛好家のみなさんにはどうもちょっと…、と聴こえるかもだけど、ナットのスパニッシュ・トリロジーはスペイン語圏の中南米諸国でも好評だった。
また、イタリア起源の曲もある。曲題だけでもわかる7曲目の「アリヴェデルチ・ローマ」だ。でもこれはスペイン語で歌っている。またナットのブラジル・ツアーの際にリオ・デ・ジャネイロで録音された『ア・ミス・アミーゴス』には、ポルトガル語で歌うものが三曲ある。14「サアス・マオス」、16「カボクロ・ド・リオ」、23「ナオ・テーニョ・ラグリマス」。18「ナディエ・メ・アマ」は、LP ヴァージョンでは原曲どおりスペイン語だが、ポルトガル語でも録音していて、ブラジルでだけ45回転シングルで発売されたのがリイシュー CD には追加されている。
録音事情のこともすこし記しておこう。まず一作目の『コール・エスパニョール』。「カチート」と「ノッチェ・デ・ロンダ」を除く曲の伴奏は、キューバのハバナで録音されている。1958年2月17、18、20日。その際のアレンジと指揮はアルマンド・ロメウ Jr.。カラオケだけ現地で録音しハリウッドに持ち帰って、ナットがヴォーカルをかぶせたのが6月9、11日。
「カチート」「ノッチェ・デ・ロンダ」は、1958年6月9日に、デイヴ・カヴァノーのアレンジと指揮によるラテン・アンサンブルをともなって、ハリウッドのキャピトル・タワーで録音されている。これらは同時録音かヴォーカルだけ多重録音したのか、わからない。
二作目『ア・ミス・アミーゴス』。リオ・デ・ジャネイロ録音だと上で書いたが、それが1959年4月13〜16日。オーケストラ・アレンジと指揮は、リオに飛んだデイヴ・カヴァノーによるもの。デイヴは当時キャピトルで重職にあったが、わざわざリオにまで行くわけだから、ナットはそれくらいのスーパー・スターだったんだね。
三作目『モア・コール・エスパニョール』は、ツアーの際のメキシコ・シティでの録音で、1962年3月6〜9日。アレンジと指揮はラルフ・カーマイケルで、やはり前二作同様、現地のスタジオ・ミュージシャンを起用した模様。といっても、三作とも当時のナット・キング・コール・トリオ(と名乗るが、実際はドラマー入りのカルテット)のレギュラーも参加している。
さて、1950年代末なら米西海岸ハリウッドのキャピトル・タワーの”キング”だったナット・コールなので、と思うんだけど、そんな彼がスペイン語歌曲集を録音、発売することになった直接のきっかけは、当時のマネイジャー、カルロス・ガステルがスペイン語話者で、それでそれまでとは違った、もっと広いファン層、より広範な世界にアピールできるように、つまり有り体に言えばやはり売らんかなの発想で持ちかけた企画だったらしい。
スペイン語がわからないナットにそれを要求するのは、歌手本人にとってはややしんどい話だったかもしれない。実際、苦労しているみたいだしね。しかしキャピトル側とマネイジャーも、当時ビッグ・スターだったナットに、なるべく緊張感のゆるい気持ちで録音に臨んでもらうべく準備はした。カラオケ伴奏だけキューバで録音しておいてヴォーカルは慣れ親しんだハリウッドのキャピトル・タワーで実施するとか、要職が現地まで赴くなどなど。
むろん、ふだんから僕が反復しているように、音楽作品もできあがりがどうなのかということがすべてだ。頑張って苦労しようが、朝飯前みたいにチャチャっと片付けようが、結果、作品が立派な仕上がりになるかどうかだけで判断されるべきものだろう。
その点で言えば、ナットのスパニッシュ・トリロジーは、まあもとからこの歌手の大ファンであるという贔屓目はむろんあるけれど、このスムースなシルクのようになめらかな発声とデリケイトなフレイジングが、ラテンなラヴ・ソングの数々が表現するフィーリングにうまく合致しているように思う。僕の好みだというだけなのかもしれないが。
「カチート」や「カプジート・デ・アレリ」その他のような快活なリズム・ナンバーも楽しいんだけど、また「エル・チョクロ」のような有名タンゴもあるけれど、僕にとってのナットのラテン歌曲集はバラードこそが命。ラテン・ミュージック界でいうボレーロ/フィーリン・タイプのゆったりタイプのしっとりした楽曲でこそ、ナットの持ち味が最も発揮されているように感じる。
すなわち、「キサス、キサス、キサス」「ノッチェ・デ・ロンダ」「テ・キエロ、ディヒステ」「ナディエ・メ・アマ」「ペルフィディア」「トレス・パラブラス」「ソラメンテ・ウナ・ベス」「アディオス・マルキータ・リンダ」「ノ・メ・プラチケス」「ア・メディア・ルス」。
楽しいダンス・ナンバーも好きだけど、こういった甘いボレーロで、愛するひとどうしがからだを寄せ合っているような歌が、それが甘ければ甘いほど、僕は好きだなあ。ナットのスパニッシュ・トリロジー、レパートリーはやはりキューバやメキシコの歌が多い。アメリカ合衆国とキューバ(などの中南米諸国)も、まだ1950年代後半には蜜月関係にあった。もちろん USA が一方的に支配していただけなのだが、そんな時代の<ラテン・アメリカ・イン・アメリカ>の官能を、ナットも表現できていると、僕は聴いている。
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