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2018年6月

2018/06/30

脱近代なネオ・トラディショナル 〜 スミルナ

 

 

 

(フル・アルバム)

 

 

ギリシアの女性五人組バンド(と言っていい?)、スミルナの実質デビュー作『Tha Tragoudiso Agalina』(2014)。スミルナっていうバンド名なくらいだから、スミルナ派レンベーティカ、やその起源ともなったオスマン帝国時代のアナトリア半島、イズミールの古典音楽が聴けるんだと思って買ったけれど、いい意味でそこから逸脱している。

 

 

もちろんアナトリアのイズミール/スミルナ音楽要素が最も濃い『Tha Tragoudiso Agalina』なんだけど、もっと別のもの、たとえばぼくが強く感じるのは東ヨーロッパの音楽だ。変拍子の使いかた、それをやすやすと乗りこなし、軽く舞っているところ、ヴォーカル・コーラスの重ねかたなど、東欧の伝統音楽(と一口に言うのも乱暴だけど)からかなりもらっていると感じる。ケルト音楽のニュアンスだってあるかも。

 

 

バンド、スミルナの女性五人は、カリア・カンポリ(カヌーン)、エレフセリア・コルリア(ギター)、ペニー・パパコンスタティーヌ(コンスタンティノープル・リュート、パーカッション)、エリーニ・シスカキ(ヴァイオリン)、ハラ・ツァルパラ(アコーディオン)。全員がヴォーカルもとっている。

 

 

フル・アルバムで上がっている YouTube 音源を、まだご存知ないかたは聴いていただきたいのだが、1曲目「Tha Tragoudiso Agalina」は、五人のア・カペラ・コーラスにはじまって、すぐに入る打楽器はまるでボドランの音に聴こえるよなあ。まあこんなサウンドの円形打楽器はどこにでもあるけれどさ。

 

 

しかも曲の前半を構成するヴォーカル・パートでの声の重ねかたは、ギリシア音楽でも聴けないものだし、アナトリア音楽にもないもので、う〜ん、こりゃなんだろう?東欧の、たとえばブルガリアの女性コーラス?は当たっていないかもしれないが、なんだかそんなようなものに近いよねえ。

 

 

1曲目後半はパッと場面転換してインストルメンタル・パートになって、しかもテンポがどんどん速くなるダンス・ミュージックを演奏している。ほら〜、ねっ、こういった速度を上げながらグルグル回転するダンス・ミュージックって、あるでしょ〜。

 

 

ボドランみたいな音を出す打楽器は2曲目「Milisso」以後でもどんどん使われている。そのボドラン(?)・ビートがケルト音楽っぽいが、しかし4/4拍子とか6/8拍子とかのストレートなリズムは、バンド、スミルナのアルバム『Tha Tragoudiso Agalina』にはない。ほぼぜんぶが変拍子か、テンポ・ルパートだ。テンポ・ルパート部分ではアナトリア音楽に最接近する。

 

 

またそんな五人の楽器演奏技巧も見事なものだよなあ。ヴォーカルの重ねかた、ひとりひとりの声の魅力も強い。しかしそこに、アナトリア(とその後ギリシア)のイズミール/スミルナ音楽に強く漂っている哀感とか諦観みたいな翳は、ぼくは感じない。もっとポジティヴで明るいトーンがあるように思うんだけどね。

 

 

結局のところ、バンド、スミルナのアルバム『Tha Tragoudiso Agalina』で聴ける音楽の正体を切り分けて考えることは、ぼくにはできないのだけど、しかし振り返ってみればオスマン帝国、イスラム帝国、とその前の古代ローマ帝国は、ひろく一帯を何百年間も同じ<一国の>領土内においていて、そのあいだは人的・文化的交流があったはずだ。いまのぼくらが認識している国家単位は、たかだか近代に登場したにすぎない。

 

 

だから、そんな広範なエリアで続いているフォークロア、トラッドなどは、(近代)国家の枠なんか無関係に流通し相互に流れ込み、いまでも共通性、相互適用性を保っているというような、そんな、すくなくとも妄想をぼくなんかにも抱かせてくれるに十分な『Tha Tragoudiso Agalina』のバンド、スミルナなのだった。

 

 

そんなトラディショナル志向は、しかし21世紀的というか、新時代のものであるというのも間違いないように思うんだ。近代西洋のフレームワークで音楽文化を考えていないという証拠だから。だから、ネオ・トラディショナルと記事題に入れた。

2018/06/29

マイルズ・クインテットで料理する

 

 

マイルズ・デイヴィスがファースト・レギュラー・クインテットでプレスティジに録音した例のマラソン・セッション(1956/5/11、10/26)から誕生した四部作。『リラクシン』篇に続く二回目は『クッキン』篇。この順でぼくは好き。でもそれはかの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」があるからというだけではない。

 

 

ところで『クッキン』は、ほかの三枚と違って10月の録音だけで統一されている。だから、ジョン・コルトレインの成長とバンドの熟練度が上がっていて、音楽の完成度がいちばん高いものとされている。その世評に間違いはないとぼくも確信しているのだ。好みかどうかはまた別問題だけどね。

 

 

1曲目「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」がいいっていうのはあたりまえすぎる話でみんな言っているから今日は省略。でもこないだスラッシュ・メタル・バンド、テスタメントのギタリストであるアレックス・スコルニックの選ぶマイルズ10選の記事の際にも書いたけれど、途中でリズムがチェンジするところ。もっと注目されていいはず。

 

 

マイルズのばあい、しかしこれまた直接的にはフランク・シナトラの歌った1954年ヴァージョン(キャピトル盤『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』)を下敷きにしている。そのシナトラのやつが、2コーラス目のサビ部分でだけワルツ・リズムに変化しているのをアダプトしているんだよね。マイルズのは三拍子じゃないが、参考にしたのは間違いない。このことも注目されてほしい。

 

 

 

『クッキン』2曲目「ブルーズ・バイ・ファイヴ」。身もふたもない曲題だが、中身だってただの即興ブルーズで、作曲者がマイルズだとかなんだとか、まったく無意味だ。レッド・ガーランドがなんでもないふつうのブルーズ・リックを弾きだして、そのまま五人がソロをとるだけ。そう、このブルーズではクインテットの全員がソロをやる。

 

 

それにしてもこの「ブルーズ・バイ・ファイヴ」。かなり出来がいいよなあ。すくなくともぼくは大好き。マイルズのやった12小節定型ブルーズ演奏のなかでは一、二を争う出来のよさじゃないかなあ。一番が「フレディ・フリーローダー」(『カインド・オヴ・ブルー」)で。好みだけなら1955年の「ドクター・ジャックル」(『マイルズ・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』)が個人的 No.1 だけどねっ。あれはマジでいい〜んですよ。このことだってもっと注目されてほしい。

 

 

「ブルーズ・バイ・ファイヴ」でソロをとる五人のなかで内容がいちばんいいのはレッド・ガーランドじゃないかと思う。いやあ、この転がるような右手シングル・トーンの音色とそのフレイジングも絶妙にすばらしい。特にシングル・トーンでブルージーなフレーズを、4/4拍子に乗りながら三連符で反復するところ、グッとくるなあ。あそこだけでも満足できるほど。こういうのはあの「アフター・アワーズ」のエイヴリー・パリッシュ(1940)以来の伝統なんだ。この継承にもみんな注目して。

 

 

『クッキン』B 面2トラックの計三曲はぜんぶもっと前にマイルズ自身がプレスティジで録音したのが発売もされている。「エアジン」は1954年6月に作者のソニー・ロリンズといっしょにやったのが『バグズ・グルーヴ』にあり。これは有名だ。

 

 

 

「チューン・アップ」のほうは無名だけど、1953年5月にやったのが『ブルー・ヘイズ』に収録されている。以前記事にしたとおり、マイルズ作となってはいるが、本当はエディ・クリーンヘッド・ヴィンスンの曲である可能性が高い。エディはリズム&ブルーズ界にも片足入れていた。これも注目してほしいことだなあ。

 

 

 

ベニー・カーターの書いた「ウェン・ライツ・アー・ロウ」をマイルズがはじめて録音したのは、これまた『ブルー・ヘイズ』収録の1953年5月で、「チューン・アップ」と同じセッション。メンツはマイルズ、ジョン・ルイス、パーシー・ヒース、マックス・ローチ。

 

 

 

それら、聴き比べると、「チューン・アップ」は1956年ヴァージョンのほうがグッとシャープになっていていいね。ワン・ホーン・カルテットでやっている1953年ヴァージョンのほうもスムースで悪くないけれど、56年のはリズムに締まりがあって、しかもハードだ。スムースさよりも突っかかる感じがあるのもいい。特にフィリー・ジョー・ジョーンズのドラミング。ドラマー次第で、トランペッターもバンド・サウンドも変貌する。

 

 

しかし、「エアジン」。こっちは『バグズ・グルーヴ』に入っているロリンズ参加の1954年ヴァージョンのほうがもっと楽しさが大きいんじゃないだろうか。曲の作者ロリンズの持ち味であるヒョコヒョコっと動くユーモラスさ(aka ファンキーさ)が強く出ているし、ピアノも同様の味を持つホレス・シルヴァーだしね。テンポだってそんなファンキーな滑稽味と(ナイジェリアふう?)エキゾティズムをうまく出しやすい塩梅だ。これ、注目されてるの?

 

 

比べて1956年『クッキン』の「エアジン」はテンポ・アップし、アレンジの基本線は1953年ヴァージョンを踏襲するものの、ハードになってユーモアは消えて、シリアス路線に転向している。マイルズらしいといえばそうだ。むろん56年の「エアジン」だって、これだけとりだせば立派な演奏に違いない。むかしのぼくは56年ヴァージョンのほうがずっと好きだったが、いまや逆。

 

 

「ウェン・ライツ・アー・ロウ」は、1953年のと56年のとで甲乙つけがたいように思う。ボスのリリシズムが56年ヴァージョンだともっと磨きがかかっていて、しかもこの曲題どおりの雰囲気を五人でよりうまく出せているような気がしないでもないけれど。56年ヴァージョンではサックス入りなのと、途中でリズム変化のアレンジがあるのだけで。う〜ん、この曲の演奏にかんしてはどっちも同じようなものだなあ。

 

 

ところで『クッキン』だと四つ目のトラックが「チューン・アップ」「ウェン・ライツ・アー・ロウ」の一つながりで1トラックになっている。言うまでもなく1956年10月26日のセッションでそのように連続演奏されたわけではない。レコードに収録発売時にそう編集されただけだ。チェンジするのは 5:40。

 

 

しかしながらこのつなげた編集がなかなか功を奏しているように思うんだよね。「チューン・アップ」はハード・ブロウ・ナンバーだから、それが終わった次の瞬間に「ウェン・ライツ・アー・ロウ」のおだやかでなごやかなムードが来るとホッとして、落ち着いてくつろげる。だから、この編集は正解だ。制作側の目論見どおりとわかっていて、あえてそれにハマっていく快感っていうものが、あるのかも。

2018/06/28

こんなに楽しい音楽がこの世にあるのか 〜 ザッパのドゥー・ワップ

 

 

1) WPLJ (Burnt Weeny Sandwich)

 

2) Go Cry On Somebody Else's Shoulder (Freak Out!)

 

3) Big Leg Emma (Absolutely Free)

 

4) Concentration Moon (We're Only In It For The Money)

 

5) What's The Ugliest Part Of Your Body?

 

6) What's The Ugliest Part Of Your Body? Reprise

 

7) Cheap Thrills (Cruising With Ruben & The Jets)

 

8) Love Of My Life

 

9) How Could I Be Such A Fool

 

10) Deseri

 

11) I'm Not Satisfied

 

12) Jelly Roll Gum Drop

 

13) Anything

 

14) Later That Night

 

15) You Didn't Try To Call Me

 

16) Fountain Of Love

 

17) No. No. No.

 

18) Anyway The Wind Blows

 

19) Stuff Up The Cracks

 

20) Electric Aunt Jemima (Uncle Meat)

 

21) The Air

 

22) Would You Go All The Way? (Chunga's Revenge)

 

23) Sharleena

 

24) I Have Been In You (Sheik Yerbouti)

 

25) Love Of My Life [Live] (Tinsel Town Rebellion)

 

26) Valarie (Burnt Weeny Sandwich)

 

 

アメリカン・ポップ・ミュージックにおけるヴォーカル・コーラス・スタイルであるドゥー・ワップ。どんなものなのかを説明しておく必要などない。簡単に狭義を言えば、主旋律を歌うリード・ヴォーカリストの背後で「どぅ〜わっ、どぅ〜わっ」とか、あるいは似たような感じで反復コーラスが入っていれば、それがドゥー・ワップだ。ぼくはもっと意味を広げて使いたいし、実際ふつうはそうみたい。

 

 

そんなドゥー・ワップ、ちょうどロックンロール登場の興奮と同時期の、1950年代半ばから末、せいぜい60年代初頭までで流行は終わってしまった。だけどその後イタリア系が模倣してリヴァイヴァル・ブームがあったので、フランク・ザッパもその流れのなかにいるのかなあ?そんな強い関係はなさそうな気もするけれど。たんなる熱狂的愛好家&7インチ・コレクターだったというだけで。

 

 

いずれにしても、ザッパのアルバムのなかにひとつ、『クルージング・ウィズ・ルーベン・アンド・ザ・ジェッツ』(1968)という、一枚丸ごとドゥー・ワップに捧げたものがあるということはみなさんご存知のとおり。チョ〜楽しいんだよね。もちろん曲単位で拾っていけば、ザッパの音楽にはドゥー・ワップがほかにもたくさんあるので、それをチョコチョコっとやってみて並べたのが、いちばん上のプレイリストだ。

 

 

このプレイリストの曲の並びは、基本、収録アルバムのリリース年順だけど、オープナーとクローザーだけは大胆にそれを無視した。また、ドゥー・ワップふうのヴォーカル・コーラスが変形されて活用されているもの…、なんてなると、これはもうザッパ・ミュージックのなかにはありすぎてキリがない。今日はストレートなドゥー・ワップ・ナンバーだけに限定した。それも1980年代に入るあたりまで。

 

 

やっぱり『クルージング・ウィズ・ルーベン・アンド・ザ・ジェッツ』が中心になるんだけど、このドゥー・ワップ・アルバムのなかには、ザッパのデビュー作『フリーク・アウト!』(1966)収録曲の再演が四つある。「ハウ・クッド・アイ・ビー・サッチ・ア・フール」「アイム・ナット・サティスファイド」「ユーディドゥント・トライ・トゥ・コール・ミー」「エニイ・ウェイ・ザ・ウィンド・ブロウズ」。

 

 

だからそれらは完璧にドゥー・ワップ化している『クルージング・ウィズ・ルーベン・アンド・ザ・ジェッツ』ヴァージョンのほうを選んでおいたけれど、『フリーク・アウト!』にはもう一個、「ゴー・クライ・オン・サムバディ・エルシズ・ショルダー」がある。この曲だってドゥー・ワップだよね。

 

 

『クルージング・ウィズ・ルーベン・アンド・ザ・ジェッツ』で再演しているものだって、『フリーク・アウト!』ヴァージョンからすでにポップなヴォーカル・コーラス・ナンバーだったんだし、つまりザッパを難解でとっつきにくいプログレッシヴな音楽家とみなすのは、かなりな大間違いだよね。

 

 

セレクション・プレイリストは、ザッパの全ドゥー・ワップ・ソング中最も好きな「WPLJ」で幕開けとした。自作ではなくカヴァー曲なんだけど、『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』(1970)のオープナーになっているこの「WPLJ」こそ、ぼくにはいちばん楽しい。ひょっとしてまだご存知ないかたへのツカミとして、ドゥー・ワップってなに?どういうもの?をザッパで説明する格好の一例だとも思ったから。

 

 

ホ〜ント、この「WPLJ」ほど楽しい音楽がこの世にあるのだろうか?イントロが聴こえてきただけで気分ウキウキ、最高に幸せだ。歌がはじまったら踊り出しちゃう。とまでいかなくても、すくなくとも間違いなく手指でリズムは刻む。リズムもいいし、ヴォーカル・コーラスの重ねかたも、まあどっちもティピカルではあるんだけど、だからこそ楽しい。

 

 

今日のプレイリストのクローザーも『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』からの、やはりこのアルバムのおしまいに置かれている「ヴァラリー」にしておいた。ザッパも今日のぼくも、この最初と最後のセレクト位置は意図的。「ヴァラリー」のほうは失恋ソングだけど、ドゥー・ワップ集のしめくくりにはこれ以上なくピッタリ来るムードじゃないか。

 

 

また、こんなポップな音楽世界とは一見無縁そうな『アンクル・ミート』(1969)にも二曲あったので選んでおいた。『チャンガズ・リヴェンジ』(1970)にも二曲あるのは当然か。そのうち、「シャーリーナ」は、曲そのものの演奏では『ロスト・エピソーズ』(1996)ヴァージョンのほうがいいと思うんだけど、ドゥー・ワップ視点でいくとこっちだね。

 

 

プレイリスト24曲目の「アイ・ハヴ・ビン・イン・ユー」は『シーク・ヤブーティ』(1979)収録の1978年録音。オリジナル曲初演としては、今日のセレクションで最も新しいもの。すこしフィーリングが違ってきているように思わないでもない。その次、25曲目「ラヴ・オヴ・マイ・ライフ」は『ティンゼル・タウン・レベリオン』(1981)からで、1980年12月のバークリー・ライヴ。今日のセレクションのなかで唯一ダブる古い曲だけど、大好きな歌だし、このライヴ・ヴァージョンがぼくにはいいのだ。

 

 

それがプツッと終わった瞬間にラストの「ヴァラリー」がしんみりと流れてきて、いいなあ〜。いい雰囲気で、えもいわれぬ気分。くつろげる。

2018/06/27

フィクションは、生きるよすが

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こんな記事題だと、コイツまたなにか大げさなことを言うんじゃないかと思われそう。でもそうじゃない。これは日々の生活実感なんだ。それを突き詰めると、結局大きなことになってしまうかもしれないんだけど。つまり、先に言っとくと、なにかがあったとき、悲しいことやつらいこと、めんどくさくなってなにもかもやめてしまいたいとか、そんな気分になることって、だれだってあるよね。

 

 

また、これはぼくはならないんだけれど、ひとによってはもう死んでしまいたいみたいな気持ちになることだってあるのかも。

 

 

そんなとき、すくなくともぼくには音楽がある。音楽が救ってくれる。手を差し伸べて、こちらのしんどい気持ちに寄り添ってなぐさめてくれて、撫でてくれる。結果、癒されて、また気を取りなおして前向きに生きていこうっていう気分になれる。

 

 

それが音楽。すくなくともぼくにとって音楽とはそういうものだ。生きていくための必需品だから、ある意味、酸素とか水分とか食べものとか、そういうものと同質な面だってある。だから、自室にいるとき、寝ている時間以外は音楽を「絶え間なく」流している。だってぇ〜、空気のない場所にいたら死んじゃうでしょ〜。

 

 

そんな目にも見えず、ふだんは意識すらしないほどの、ある意味「食べて」いる人命必需品という面もあるのがぼくにとっての音楽だ。でもそうじゃない意味で、音楽によって生かされていると言えることだってある。それは、あのすばらしい音楽をもう一度聴きたい、あるいはまだ出会っていないけれど楽しく美しい音楽がきっとあるはずだ、それを耳にするまでは…、みたいなことで、死なないでいられるみたいなさ。

 

 

べつに音楽でなくたっていい。どなただってそういった、なんというかアンカーみたいなものがそれぞれおありのはずだ。多くのばあい、それは実人生の現実世界で接することのできる人間関係であることが多いんじゃないかと思うんだよね。

 

 

ぼくのばあい、ここが決定的に欠落している。ぼくにとっての生きるよすが、生きがいは、人間ではない。というと言いすぎか、音楽も(多くのばあい)人間が歌ったり演奏したりするもので、それを聴くひとがそこになんらかの意義を、生きるためのアンカー的なものとして認識するのも、音のなかにある人間的意味合いを感じとっているからだと言えるのかもしれない。

 

 

以前も書いたが音じたいが好きで、あの記事のときそうは明言しなかったが、世間でいういわゆる音楽に分類されないサウンドのなかにも、ぼくは「音楽」を感じとっている。なんでもない日常音のなかに楽しさや美しさ、意味があるなあと、これはホントそう思うんだ。そんなばあいも、そんな音楽には分類されないサウンドのなかにヒューマンな意味を感じているかもしれない。うんまあ、わからないのだが。

 

 

ってことは、ぼくが音楽を聴くのは擬似的人間体験なのだろうか?ここはつい今この瞬間までまったく自覚がなかった。ただたんにリズムがファンキーで強靭でダンサブルでいいなあ、楽しいなあ、メロディやハーモニーが、あるいはサウンドが美しいなあ、きれいだなあ、いいなあと感じているだけだ。意味なんか読みとらず、音だけが好きな、「純」な音楽愛好志向のつもりだ。

 

 

だんだんわからなくなってきた。音楽好きの人間嫌い、なわけではなく人間が好きなんだけどだれともうまくやれないから結局すべてのことを諦めるしかないだけなんだけど、だから結果的には人間的つながりを極力持たないようにして生きていて、結果的にそれで音楽にのめり込んでいる。

 

 

音楽にのめり込むのは、だから人間だとだれにも触れられず触れてもらえず極度にさびしくて、孤独で、その点ではなんの楽しみも幸せもなく、そこにリアルな実感もなく、ごくまれに浮いてくるけれど石鹸泡だからすぐに消えて沈んでしまう、悩みを打ち明けたり相談したりする相手も、だれひとりとしていない、それで消えることのない確固たるものとして、音楽を必要としているってことなのか?

 

 

つまり、人間では許されないけれど、なにかこう肌に触れるものとして、ぼくの心に近づいてきてくれて、拒絶もされずあたたかいままでいてくれる存在で、楽しくてきれいで美しく、決して見捨てられることもなく、だからそれさえあればそれが人生の非常に強いリアリティとなるものとして、ぼくの音楽狂いがあるのかなあ。

 

 

いずれにせよ、意味合いなど、つまり人生をともに歩む唯一の伴侶としての意義みたいなことは、ふだんほとんど意識もせず、ただたんに聴きたいだけだから聴いている音楽。ほんと〜っに好きだ。音楽を聴いてさえいれば、そこにぼくのすべてがある。美しいもの、楽しいもの、快感、苦しくつらく哀しいもの、なにもかもすべてが音楽を聴くなかにある。

 

 

音楽なしでは生きられない。音楽を聴いているあいだだけ、ぼくは生きている実感がある。まあでもみんなそういった部分があるのかもしれないと思うことだってあるよ。音楽に限らず創作物は、人間の命をこちら側につなぎとめるアンカーではないかと思うときがあるんだ。かろうじて死なないでいられる。

2018/06/26

Funky Granted!

 

(レーベル公式 YouTube、8:11 から)

 

 

 

 

グラント・グリーンの『スリック!ライヴ・アット・オイル・キャン・ハリーズ』。ついこないだ日の目を見たばかりの未発表ライヴ作品だから、まずデータのたぐいを書いておこう。


 

 

Grant Green "Slick! Live At Oil Can Harry's" (Resonance, 2018)

 

 

Recorded live at Oil Can Harry's, Vancouver, Canada on September 5, 1975

 

 

Grant Green - guitar

 

Emmanuel Riggins - electric keyboards

 

Ronnie Ware - bass

 

Greg 'Vibrations' Williams - drums

 

Gerald Izzard - percussions

 

 

1) Now's The Time (Charlie Parker)

 

2) How Insensitive [Insensatez] (Vinicius de Moraes, Antonio Carlos Jobim, Norman Gimbel)

 

3) Medley:

 

・Vulcan Princess - Stanley Clarke

 

・Skin Tight - Ohio Players (Marvin Pierce, Clarence Satchell, James Williams) 3:24 〜

 

(・Trouble Man - Marvin Gaye 12:48 〜)

 

・Woman's Gotta Have It - Bobby Womack 13:08 〜

 

・Boogie On Reggae Woman - Stevie Wonder 14:20 〜

 

・For the Love of Money - The O'Jays (Kenneth Gamble, Leon Huff, Anthony Jackson) 15:23 〜

 

 

オリジナル・ヴァージョン集プレイリストをつくろうと思ったらすでにあったので、シェアさせてもらう。

 

 

 

チャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」はなんでもないビ・バップ・ブルーズ演奏…、でもなくてラテン・パーカッションが入っていて風変わりで、1970年代テイストになっているかもしれないが、今回のこの新発掘ライヴ・アルバムでは飛ばして問題ないはず。

 

 

2曲目「ハウ・インセンシティヴ」(インセンサテス)はアントニオ・カルロス・ジョビンの曲。しかしこれ、グラント・グリーンがやるとボサ・ノーヴァふうなあの軽みが消え、かなり湿度の高いヘヴィでソウルフルなワン・トラックにしあがっているのがおもしろい。考えてみたらもともと(ブラジル本国の)ボサ・ノーヴァには、こんな濃い情緒だって込められているのだった。だけど、今日はこれの話もしない。

 

 

今回の発掘品『スリック!ライヴ・アット・オイル・キャン・ハリーズ』の目玉は、もう間違いなく3トラック目のソウル/ファンク・メドレーだ。CD パッケージには五曲の記載があるが、上で書いておいたように、鮮明なかたちではもう一個、マーヴィン・ゲイの「トラブル・マン」もやっている。ほかにあるかもだけど、そうだとしてもかなり断片的で、だからぼくでも鮮明に聴きとれるのは六曲。

 

 

これが約32分間も続く。ずっと絶え間なくハードにグルーヴし続けているというのではなく、いったんペースをゆるめてテンポを落としている時間もあるが、それらはすべてイントロとかブリッジみたいな橋渡し役なのだ。目玉はあくまでごりごりファンクだ。

 

 

六曲メドレーといっても、まず1曲目スタンリー・クラークの「ヴァルカン・プリンセス」はエレベのロニー・ウェアのショウケースになっていて、途中からリズムも入り、グラント・グリーンも弾くが、あくまで32分間のプレリュードだ。

 

 

本番はオハイオ・プレイヤーズの「スキン・タイト」がはじまってから。この32分の長尺メドレー、実は「スキン・タイト」と、オージェイズの「フォー・ザ・ラヴ・オヴ・マニー」だけでできあがっていると言ってもよくて、マーヴィン、ボビー・ウォマック、スティーヴィ・ワンダーはつなぎとして演奏されている。それぞれの尺もかなり短い。

 

 

「スキン・タイト」では、このどファンクなリズムに乗ってグラント・グリーンがおなじみのドス黒いピッキングとフレイジングで盛り上げる。お得意のワン・フレーズ延々反復もやっている。1960年代からずっとグラントはこんな真っ黒け路線のジャズをやってきた。ソウルフルというかゴスペルふうに、ときにスピリチュアルズなどもとりあげながら、まっしぐらだった(ばあいが多い)。

 

 

だから1970年代に入ってグラントがファンク路線に進むのはごくごく自然なことなんだよね。むしろこういうのこそアメリカ黒人音楽家としての<良識>と、ぼくなら呼びたい。72年のブルー・ノート盤『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』では、スタイリスティックスの「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」もやっていたし、ほかの曲でも、アルバム全体が同傾向のジャズ・ファンクだった。

 

 

 

『スリック!ライヴ・アット・オイル・キャン・ハリーズ』の「スキン・タイト」では、グラントがマイルズ・デイヴィスの「マイルストーンズ」(1958)のリフをコード・ワークで刻んでいるのもおもしろい。ソウルフルなファンクとメインストリーム・ジャズ・リックとのこんなフュージョンもオッ!と思わせる意外さ、楽しさがあるよね。

 

 

マーヴィンの「トラブル・マン」、ボビー・ウォマックの「ウーマンズ・ガッタ・ハヴ・イット」をかなり短くはさんで、スティーヴィの「ブギ・オン・レゲエ・ウーマン」に移行。ぼくも大好きな曲だけにもっと長く演奏してほしかった気分もある。ところでスティーヴィのこの曲は、ジャズやブルーズなど他ジャンルの音楽家もよくカヴァーしているって思わない?

 

 

でもスティーヴィのそんなチャーミングな曲もさらりと過ぎて、グランド・フィナーレであるオージェイズの「フォー・ザ・ラヴ・オヴ・マニー」に突入。このときのライヴをこなしたクインテット五人が一体化したタイトなビートがものすごい。真っ黒けで、怒涛の迫力と強靭なグルーヴ感。

 

 

グラントはいつもどおりの盛り上げかたで、同じ短いフレーズを延々と反復している箇所も多いが、こういうのは1940年代のブギ・ウギ・ベースなジャンプ・ミュージックからよくある常套なんだよね。「アフター・アワーズ」や「フライング・ホーム」以来のアメリカ黒人音楽の伝統なんだ。

 

 

「フォー・ザ・ラヴ・オヴ・マニー」でもほかの曲でも、ソロを取るのは、グラントのギター以外だと、二番手で出るエマヌエル・リギンズのキーボードだけ。それは電気ピアノかクラヴィネットか、ぼくには断定できないが、この音色はクラヴィネットかなあ?まるでエレキ・ギターみたいなサウンドに聴こえるよ。

 

 

そうそう、この発掘品アルバム『スリック!ライヴ・アット・オイル・キャン・ハリーズ』で聴けるこのファンク・メドレーでは、ときどきサイド・ギタリストでもいるんじゃないか?と思える時間がある。グラントが弾いている真っ只中に同じ音色でコード・ワークやシングル・トーンが聴こえるような気がしないでもないから。でもたぶん、エマヌエルの電気鍵盤なんだろうなあ。ちょっと疑念を払いきれないが。

 

 

ごりごりハードに攻めまくる「フォー・ザ・ラヴ・オヴ・マニー」だが、っていうかこのグランド・メドレーは全体的にそうだけど、最終盤では、まるでコトが終わったあとの余戯を楽しむかのごとくメロウでおだやかなムードに終着して、アルバムとしても幕を閉じる。いやあ、すごい!

2018/06/25

昨日からの流れで、これもアジアの洗練だ(3)〜 ノナリア

 

 

サローマを書いた(1)と美空ひばりを書いた(2)は探してみてください。

 

 

約24分で実際短いのと、楽しいのとで、あっという間に聴き終わってしまいリピートする、インドネシアの女性三人組ノナリアの2017年作『ノナリア』。教えてくださったのは bunboni さんだ。これでこのバンド(?ユニット?)の存在じたいはじめて知った。

 

 

 

いやあ、こりゃ完璧に僕好みの音楽だ。ところで CD アルバム『ノナリア』は、届いたパッケージのなかにポスト・カード四枚と、これは歌詞カードかな?(読めないから自信はない)が封入されている。それがちょっとした愛好心をくすぐるものなのだ。切手収集とか小さな絵葉書とかを愛でる、あの感じがここにある。ジャケットは上に開く仕組み。

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中身の音楽だけなら Spotify で聴けるので、まだご存知ないかたはぜひちょっと耳にしていただきたい。そうすれば、ふだんの文章から、完璧ぼく好みだというのを理解していただけるはず。要はレトロな(アメリカにおける)1930年代ふうのスウィング・ジャズが基本になっていると思う。そこにワルツとちょっぴりのラテン風味。聴感上はインドネシア要素みたいなものを、ぼくは感じない。国際的に普遍の洗練がここにはある。しかも、キュートでミニチュア的。

 

 

『ノナリア』のなかにはよく知っているおなじみ要素も散りばめられているのだが、ファミリアーすぎてあたりまえになっているせいか、それがなんだったのか思い出せない。たとえば5曲目「Sebusur Pelangi Featuring Junior Soemantri」で使われいるラテン・リズム。たぶんエレキ・ギターがそれを刻んでいるけれど、これなんだっけ?よ〜く知っているおなじみのパターンなんだけどなぁ〜。あぁ〜、思い出せない。もどかしい。

 

 

また続く6曲目「Maling Jemuran」で、イントロとエンディングでファンファーレのようにヴァイオリンが演奏するメロディ。これなんだっけ?日本人もみんなよ〜く知っているスタンダードなものなんだけど、う〜ん、あぁ、思い出せないなあ。もどかしいぞ。マジでこれはみんな知っているやつだよ。こんな仕掛けが随所にあるのもニンマリ要素。隔靴掻痒だけどね。

 

 

ところで5曲目「Sebusur Pelangi Featuring Junior Soemantri」だけ男性ヴォーカリストが主旋律でハモっているけれど、これはたぶんゲスト参加ってこと?フィーチャリングだれそれとなっているし。ほかの部分や曲は、たぶんノナリアの三人だけでの演唱だろう。オーヴァー・ダブしてあるところもいくつかあるみたい。三人は、基本、ドラムス+アコーディオン(or ピアノ)+ヴァイオリンかな。あれっ?ギターはどのひとが弾いているの?

 

 

ヴォーカルもだれが取っているのかの判断は僕にはできないが、メインはずっと同じ声だから、そのひとがだれなのか知りたいなあ。インナー含めパッケージはアルファベット文字表記だけど、(たぶん)インドネシアの言葉なんだろうから、う〜ん、じっくり眺めてみたが、だれがなんの楽器担当で歌はだれ?みたいなそれらしきことは書かれていないよねえ?

 

 

そのヴォーカリストが出す味はキュートでコケッティシュ。ときどきしゃべるように、笑うように、語りかけるように、軽妙にシンギング。こんな歌いかたは、アメリカのジャズ界だとビ・バップ以前にはふつうにたくさんあった。そういうのを完璧に再現しているんだよね。ジャカルタは国際都市だから、さすがにこんなスウィング・ジャズは現地でもレトロなんでしょう??

 

 

全曲、基本、2/4拍子が基本になっているけれど、2曲目「Senandung」と7曲目「Santai」はワルツ。ヨーロッパのサロン・ミュージックふうなところも感じる仕上がりで、あ、そういえばほかの曲もだいたいぜんぶ小さなサロンでやっているのを聴いているような雰囲気だよね。上で書いたように5曲目だけがラテン・リズムだけど、それにも野趣はない。あくまでこじんまりと品良く。

 

 

なんだかぼくは忘れちゃったスタンダード・メロディを引用してある6曲目では、途中リズム・スタイルが6/8拍子に変化するパートもある。そこはなんだかエキゾティックなムードだね。曲のなかで二回かな。それ以外はこの曲も小洒落た2ビート・スウィングだ。エンディングで歌手が「ふわぁ」とか漏らす声もイイネ。

 

 

『ノナリア』。なんだか音質まで極上ハイ・ファイじゃなくてわざとすこし落としてある感じで、アナログ・レコードを再生する針音までかすかに混じっているような気がするし、中身の音楽は完璧レトロでポップな少人数のこじんまりサロン・スウィング・ジャズ。でも、2017年の新録なんだよなあ。

 

 

ジャカルタでもこんな洗練されたジャジーなポップ・ミュージックが、かつては大流行だったはず。シンガポールでも日本でもそうだし、いや、世界にある大都会はほとんどそうだったはず。『ノナリア』みたいな音楽は、もはや時代の現在進行形からは消えてしまったけれど、こんな、世界の音楽洗練が、ひょっこり顔を出すことだってあるんだろうね。

2018/06/24

いまのぼくにとっての『ザ・ワイト・アルバム』

 

 

最近は『アビイ・ロード』のほうが…、とかって思うこともあるけれど、やっぱりまだまだぼくのなかでの No.1ビートルズである(俗称)『ザ・ワイト・アルバム』(正式には『ザ・ビートルズ』)。諸情報など書いておく必要はまったくない音楽家だから、自分の好みだけちょちょっと記しておこう。二枚組だから好きっていうのは、すでになんども繰り返している。

 

 

いまのぼくにとっての『ザ・ワイト・アルバム』最大の魅力はアクースティック・サイドとジャジーなオールド・ポップスにある。「バック・イン・ジ USSR」「バースデイ」みたいなロックンロールや、ギター・ピース「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、あるいはムジーク・コンクレート「レヴォルーション 9」、また個人的にはかなりの愛好品である「グラス・オニオン」「サヴォイ・トラッフル」なども、やはりいまでも大好きだけどね。

 

 

だけど、『ザ・ワイト・アルバム』ほどビートルズの諸作中アクースティック・サウンド+オールド・ポップスに傾いた比率が高いものはないと思うんだよね。そこにこの二枚組にしかない独自価値があるのかもしれないと、ぼくなら思う。といってもベースだけはエレキだ。さすがのマルチ楽器奏者ポールもコントラバスは弾かないんだろう?『ザ・ワイト・アルバム』のなかにはベースすら入らずの完全アクースティックな曲もありはするので、その話もするつもり。

 

 

『ザ・ワイト・アルバム』から、そんなアクースティック・サイドとオールド・ポップスを抜き出すと、以下のようになる。

 

 

ディスク1

 

 

Dear Prudence

 

Ob-La-Di, Ob-La-Da

 

Wild Honey Pie

 

The Continuing Story Of Bungalow Bill

 

Martha My Dear (エレキ・ギターもあるが、レトロな流行歌だ)

 

Blackbird

 

Piggies

 

Rocky Racoon

 

Don't Pass Me By

 

Why Don't We Do It In The Road?

 

I Will

 

 

ディスク2

 

 

Mother Nature's Son

 

Sexy Sadie (はアクースティック・ナンバーなのに、なんだかちょっとそんな気がしない)

 

Long, Long, Long

 

Revolution 1(はエレキ・ナンバーだけど、アクースティックな雰囲気があるよね?)

 

Honey Pie

 

Cry Baby Cry

 

Good Night

 

 

これらぜんぶ好きだけど、相対的にイマイチかもな?と感じないでもないものが含まれている。たとえば「ディア・プルーデンス」「セクシー・セイディ」「ロング、ロング、ロング」「クライ・ベイビー・クライ」がそう。あれれっ?「ロング、ロング、ロング」(ジョージ)を除き、どうしてかジョンの曲ばかり。ジョンのことがイマイチだなんてこと、ないのになあ。

 

 

倦怠感あふれているところが好きじゃないのかな?でも同傾向のエレキ・ナンバー「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」はめっちゃ好きなんだから、自分で自分の好みを理解することができない。やっぱり「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」みたいな陽気で楽しいラヴ・ソングや、自然のなかに溶け込みながら愛を歌った「ブラックバード」「マザー・ネイチャーズ・サン」とかが、ぼくはいいのかなあ。ところで、ポールの弾き語り二曲のギターはむずかしそう。

 

 

リンゴが歌うカントリー・ナンバー「ドント・パス・ミー・バイ」(フィドル入り)もいいし、それからそれからなんたって『ザ・ワイト・アルバム』には第二次世界大戦前というか、もっとずっと古い19世紀末〜20世紀頭ごろの流行歌をよそおったレトロなポップ・ソング「マーサ・マイ・ディア」「ハニー・パイ」「グッド・ナイト」の三曲があるのがスペシャルだ。う〜ん、も〜う、大好き!

 

 

ジョンが書いてリンゴが歌う「グッド・ナイト」はそんなには古くないのかな、もっと新しいハリウッド映画音楽ふうか。子守唄というか、でも親が子供に歌っているんじゃなくて「ぼくたち」って歌詞にあるので、二人でベッドに入るってこと?わからないが、ジョンはジュリアンのために書いたらしい。じゃあ父子ふたり?ともあれ、この瀟洒なストリングスの響きが最高だ。いわゆるロック・バンドで使われる楽器はいっさいなし。きれいだなあ。

 

 

「マーサ・マイ・ディア」「ハニー・パイ」の二曲がレトロ・ポップスでいいっていうのはずっと前にも書いたので、詳しいことは省略。「マーサ・マイ・ディア」ではチューバがベース・ラインを吹き、その後のホーン・アンサンブルもオールド・ジャズ・スタイル。

 

 

「ハニー・パイ」のほうにはヴァースまで付いているという凝りよう。しかもその途中で SP レコードを再生するスクラッチ・ノイズが入る。リフレイン部分でのスムースなアンサンブルがあまりに流麗だからストリングス?と勘違いしそうだが、クラリネット・トリオによるもの。いいなあ、こういうの。

 

 

ちょっと前にインドネシアの女性三人組ノナリアのアルバムが出たのを bunboni さんに教えていただいてぼくもすでに CD でも愛聴しているけれど、ノナリアのああいったレトロ・ポップ路線を、 UK ロック界でなら最初にきちんとかたちにしたのがビートルズ時代のポールだったのかもしれない。

 

 

 

バロック音楽ふうな「ピギーズ」から、その次「ロッキー・ラクーン」の流れもいい。っていうか『ザ・ワイト・アルバム』は全体的に構成や流れがとてもよく考え抜かれていて、通して聴くと実に気持ちいい。なかでも特にすばらしく感じるのが一枚目9曲目「マーサ・マイ・ディア」〜ラスト17曲目「ジュリア」までだ。

 

 

それら九曲のなかでアクーステック・サイドにないと言えるのは「アイム・ソー・タイアド」だけ。この気怠いジョンの曲もかなりいいんだよね。上で触れた「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」と同系だ。それ以後は一枚目ラストまでフル・アクースティック。

 

 

「ピギーズ」「ロッキー・ラクーン」なんて、むかしは再生をスキップしたい気分すらあったけれど、いまや真逆だ。愛おしくてしかたがない。クラシカルな「ピギーズ」最終盤で "one more time" とジョージが言ったらストリングスが転調し、豚ちゃんの鳴き声も入る。ジョージ・オーウェル的な主題なのか?

 

 

次の「ロッキー・ラクーン」なんか、もう最高だ。作者のポール自身がアクースティック・ギターを弾きながら歌い、ジョン・レノンのハーモニカ、ジョージ・マーティンの弾くホンキー・トンク・ピアノ&控えめに入るヴォーカル・コーラス 〜〜 といまのぼくが好きにならないわけがないっていう曲。ベースとドラムスはいっさいなし。ちょっとしたフォーク・バラッドふうなこの「ロッキー・ラクーン」、推しじゃないかな。

2018/06/23

楽しいからこそハイライフ

 

 

2014年の Soundway 盤『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』。ぼくが買ったのは2015年だった。詳しいことは附属の英文解説にあるし、また英語を読むのが億劫だったり、またそれが問題ないひと向けにも、ものすごくためになっておもしろい日本語解説がある。それは深沢美樹さんによる Facebook への連続投稿。まとめてエル・スールさんが転載くださっている。

 

 

 

これら英文・日本文の二つがあれば、もはやぼくみたいな素人が言うことはなにもない。だから大雑把な感想だけ記しておこう。自分自身のための記録だ。このブログはだいたいそう。自分で自分の文章を読みたいがために自己の内面を整理してアップしているだけで、みなさんに語りかけているわけではない。

 

 

アンソロジー『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』。副題にロンドン、レゴス、1954-66とあるので、録音の場所と時期はそうだと判断していいんだろう。どこを読んでもそれ以外のことは詳しくわからない。ガーナとナイジェリア(シエラ・レオーネなどのひともいる?)の音楽家によるレコーディング集のようだ。

 

 

かつての英領で英語圏西アフリカ音楽のハイライフがどんなものなのか、なぜこういう上流社会という名称が音楽に使われているのかは、聴いて読めばわかることなので。ぼくの趣味嗜好としては、やはりジャズ・ミュージックからなにが流入しているか?がいちばん気になるところ。でも中米カリブ音楽から来ているもののほうが大きいように聴こえる。

 

 

具体的にはキューバ音楽、特にソンと、トリニダード・トバゴのカリプソだよなあ。カリプソ色は『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』で最も濃く感じるものだ。これはみなさんも同様のはず。リズムの感じなんか、とてもよく似ているよね。このへんは、ガーナやナイジェリアへ直接流入したのか?二国出身の音楽家がロンドンに住んでいた時代に憶えたものなのか?

 

 

『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』に収録されているガーナ、ナイジェリア二国出身の音楽家でこの時代のロンドンでハイライフ・ミュージックをやっていて、それを母国に持ち帰り独自の世界を確立し、世界的ビッグ・スターになったといえるのがフェラ・クティだ。なんでもこのアンソロジー収録のフェラは最初期の録音らしい。

 

 

正直言って、のちのフェラをみなさん同様ぼくも先に聴いているわけだから、このロンドン時代の音楽ではぜんぜん物足りない気分。でもジャズからの影響もはっきり聴けたり、ホーン・アンサンブル・スタイルに後年のアフロビートにおけるそれの祖型を見出したりなど、聴きどころはあるなあ。

 

 

『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』を聴き進んでいると、まず一枚目4曲目、スティーヴ・ローズ&ヒズ・ロンドン・ハイ・ライファーズ「ドリンク・ア・ティー」でハッとさせられる。これ、カッコイイよなあ。かなり楽しい。この4曲目でいきなりグンと洗練された本物のモダン・シティ・ミュージックになっているような気がする。音楽そのものは、まさに上流の雰囲気。ヴォーカルなしのインストルメンタル・チューン。

 

 

スティーヴ・ローズはほかにもう一曲収録されているが、そっちでは女性ヴォーカリストをフィーチャー。音楽の(ジャジーな)洗練度や(ぼくにとっての)楽しさなどでは「ドリンク・ア・ティー」にすこし劣ると思っていると、どうやらそれは歌のあいだだけで、楽器ソロ&アンサンブル・パートになると、やはり抜群にいい。

 

 

スティーヴ・ローズに次いでカッコイイなあと思うのが、一枚目10曲目、バディ・ピップズ・ハイライファーズ「ガーナ・スペシャル」。サックス・ソロが楽しい。モダン・ジャズっぽい吹きかたにも聴こえたりしないだろうか?これもインストルメンタル・ナンバーだ。

 

 

一枚目15曲目、ボビー・ベンソン&ヒズ・オーケストラ「オコココ」もかなりいい。歌いかたは、これだけじゃなくてほかのいろんなひとのいろんな曲でもそうなんだけどモッサリしているように聴こえ、もっとこうシャープなほうが好きなばあいもある身としてはイマイチ。だけど楽器演奏が全体的にすごくイイ。

 

 

同じボビー・ベンソンがやる二枚目3曲目「ナイジャ・マンボ」も、マンボかどうかはちょっとわからないが、すごく好きだ。あ、でもリズムとホーン・リフの反復とその上でトランペッターがアド・リブ・ソロを展開するあたり、マンボっぽいのか。

 

 

その次の二枚目4曲目、ランス・ボルズ・アフリカン・ハイライフ・バンド「ハイ・ライフ・カムズ・トゥ・ユーロップ」もいいが(特にパーカッションとエレキ・ギター)飛ばして、二つの「ブラウン・スキン・ギャル」も好きだけど割愛し、やはりバディ・ピップの二枚目11曲目「ジョージーナ」が本当にいい。やはりサックスが光る。

 

 

『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』二枚目終盤に二曲あるブラック・スター・バンドもカッコいい〜。「エクオナ・リズム」のほうはかなりジャズ寄りだなあ。ドラマーの叩きかたなんかにもそれを鮮明に感じとることができる。トランペット・ソロもジャジー、というかビ・バッパーみたいだ。と思うとキューバン・スタイルにも聴こえたり。まあビ・バップ・トランペットとキューバン・ミュージックのトランペットはそもそも…。

 

 

ところで楽器ソロ&アンサンブルといえば、たしかに『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』ではジャズ・スタイルやその変形が聴けるけれど、たとえばトランペットのソロに限定すれば、そこにキューバのソンで吹かれるスタイルの痕跡がもっと鮮明にあるんじゃないかなあ。間違いないと思うんだけど。どれが?っていうんじゃなく全体的に。

 

 

複数トランペットを重ねてある部分にもソンの影響がありそうだし、またリード楽器も含めてのホーン・アンサンブルの創りかたにもキューバ音楽、特にマンボのアレンジ手法が流入しているんじゃないだろうか?う〜ん、そういえばソン・モントゥーノを拡大増幅したものであるマンボの反復形も、このアンソロジーで聴けるハイライフにあるようだ。

 

 

また、たとえばクラベスが刻んでいる曲も複数あるし、それはクラーベのパターンではないけれど、ちょっと似たようなシンコペイションを表現し、ほかの複数パーカッションやドラム・セットなどと一緒になって、この楽しいハイライフをグルーヴさせているよね。

 

 

そんなリズムの上に(ピアノやギターや)ホーンズやヴォーカリストが乗っているわけで、楽器の基本編成やアンサンブルの根幹はジャズからたしかに来ていそうだし、またキューバ音楽のホーン・アンサンブルも北米合衆国のジャズからかなり吸収しているみたいだから、そのあたりが ジャズ→ハイライフ の大きな部分なのだろうか。

2018/06/22

スラッシュ・メタル・ギタリストが選ぶマイルズ10選

 

 

スラッシュ・メタル・バンド、テスタメントのギタリスト、アレックス・スコルニック。彼が選んだマイルズ・デイヴィスの曲10選がこれだ。英国の音楽サイト『ラウダー』の企画で、2016年5月3日付。気づいたのはついこないだなので。これに沿って Spotify でプレイリストを作成したのが上のもの。

 

 

 

アレックスの選曲とコメントは、やはりいかにもロック・ギタリスト的な視点だなというのを強く感じさせるもの。1「ソーラー」〜 4「ジョシュア」まではマイルズ・クラシックスとして敬意を払って…、という意味でセレクトしたんじゃないかと思う。コメントを読んでも、特に自分のギター・プレイや音楽構築にどうかかわっているか、具体的なことは述べられていない。

 

 

それでも「ソーラー」(『ウォーキン』)なんかはどうしてこれを選んだのかな?と思っていると、パット・マシーニー(メセニー)がやっていたのを聴いてはじめて知ったとあるし、また「アランフエス協奏曲」(『スケッチズ・オヴ・スペイン』)はおなじみクラシック音楽界におけるギター・スタンダードで、やはりアレックスもそのことに言及しているし、ギター弾きはみんな知っている曲なんだから、マイルズのヴァージョンも、最初聴いたときはアプローチに若干驚いても、アレックスが聴いてみるのに不思議はない。

 

 

「ソー・ワット」(『カインド・オヴ・ブルー)、「ジョシュア」(『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」)は、やはり完全にマイルズ・クラシックスとみなしてチョイスしただけだと思ったりしたが、コメントをじっくり読むと、それだけじゃないのがわかる。前者のモーダルなアプローチはロック・ミュージックにも大きな影響を及ぼしているし、後者はヴィクター・フェルドマンの曲だ。

 

 

ところで「ジョシュア」にかんするアレックスのコメントのなかに、ジョージ・コールマンとヴィクター・フェルドマンが在籍した短命バンドとあるのは、たぶんちょっとした勘違いなんだろう。 実際アルバム『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』の半分はロス・アンジェルスでセッション・マンとしてフェルドマンを起用して録音されたバラード三曲だし、だからややこしいのだ。

 

 

さらにめんどくさいのは「ジョシュア」も、それから「ソー・ニア、ソー・ファー」も「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」も、ぜんぶフェルドマンの書いた曲でロスで録音もされたのが、いまはコンプリート・ボックスに収録されて発売されているんだよね。そのロス録音のなかから、現行の通常盤一枚物『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』には、「ソー・ニア、ソー・ファー」だけが追加されている。

 

 

このへん、その後はロック界ともかかわりあいを持つようになるヴィクター・フェルドマンを起用して曲を書かせ共演録音もしておきながらボツにして、ハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズの新リズム・セクションをともなってニュー・ヨークで再録したというこの事実、おもしろい考察材料になるかもしれないので、また機会でもあれば。

 

 

アレックスのセレクション10の5曲目「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」からは、もっとストレートにロック・ミュージックとの関係が語られている。アレックスの選んでいるのは当然1964年のフィルハーモニック・ホール公演ヴァージョンだけど、アレックス言うところのトラディショナル・ピリオド最終期の演奏にして、かつ、古典曲を斬新なアプローチでやっている、すなわちロックンロールの影響を感じると、そういうコメントがついているのが目をひく。

 

 

察するにリズム・パターンの変化のことだと思うんだけど、1964年の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」におけるああいったアプローチ、リズム・チェンジのことをロックに言及しながら説明したコメントは、ぼくはほかに知らない。さすがだね。言われてみればそのとおりとぼくも共感するものがある。1964年とは、振り返ればアメリカでちょうどブリティッシュ・インヴェイジョンのさなかだったんだし。だからマイルズにも影響がすこしはあってしかるべきだ。

 

 

しかしながら、べつにアレックスの意見に異を唱えるとかいうんじゃなくて、マイルズのやる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、1956年10月26日の初演(プレスティジ盤『クッキン』)から、ロックではないけれども、ちょっと似たようなリズム・ニュアンスの変化があるのだ。以下にご紹介しておく。マイルズのソロのあいだでもサビ部分で、それから二番手レッド・ガーランドのソロのあいだなら全体的に、リズムが変貌し快活に跳ねているよね。

 

 

 

マイルズ自身による1964年ヴァージョンは、こういった初演のアレンジを拡大・深化したというのがまず第一のモチベイションだったと思うんだけどね。でも書いたように時代を考えれば、アレックスの言うようにロック・リズムの影響と見るのも妥当だ。実際、8ビートなんだし、1964年ヴァージョンのあの部分は。全編テンポ・ルパートなハービーのソロ部ではそれは聴けない。

 

 

アレックスのセレクション10で、その次の6曲目以後は、ロック・ギタリストが選ぶのになんの不思議もないものばかりで、だから今日いまさら説明しておく必要などないだろう。せっかくアレックスも(ジミ・)ヘンドリクス /サイケデリック・ピリオドとか呼んでいるくらいなんだから、1972〜75年録音からも選んでくれたらよかったのに…、とかって思わないでもない。

 

 

だけど選びにくいのも事実だ。あのへんのマイルズ・ミュージックに、ふつうの意味でのいわゆる「曲」はないからだ。あったとみなしてもあまりにも長尺だし、ライヴ・アルバムでは一体のメドレーとなってポプリ化しているしで、まあ選びにくいよなあ。スラッシュ・メタル・バンドのギタリストなんだから、ピート・コージーが弾きまくっているのなんか、好きなんじゃないかと思うんだが、あえて外したのかも。

 

 

なお、『ラウダー』のこのアレックスの記事の最後に、サイト公式作成と思われる Spotify プレイリストのリンクが掲載されているのだが、アレックスが言っているのと違うヴァージョンを選んでいるものが含まれていてオカシイのでご注意あれ。それを聴いたのでは、アレックスの発言内容もマイルズ・ミュージックのおもしろさもわからない。amass さんもご留意のほどを。

2018/06/21

ブラジル・インストのソロと名演 1949-1962

 

 

このフレモー&アソシエの三枚組『ブレジル・アンストルモンタル:ソリスト・エ・ヴィルチュオーズ・ブレジリアン 1949-1962』は、基本的に、っていうか完璧に、ショーロ・アンソソロジーってことだね。ポピュラー・ミュージック界におけるインストルメンタルというとみんなジャズを連想するけれど、ジャズにおける発展形とは異なった感覚で進んだ楽器演奏音楽がある。それがショーロ。このことをしっかり示した編纂盤だ。

 

 

『ブレジル・アンストルモンタル』は、アルバム・タイトルに忠実に全63曲で歌入りは一個もなし。完全に100%楽器演奏のみ。ショーロはまぁそういう音楽だけど、実はあんがいヴォーカルものだってあるし、ヴォーカリストの伴奏音楽にもなるしで、だからこのアンソロジーの意図は鮮明だ。CD 三枚に収録されているショーロに古いものはなく、1949〜62年だから、実質1950年代録音が中心。そのころのショーロに聴けるインストルメンタル・ブラジルの洗練が聴ける。

 

 

ショーロとジャズとの最大の違いは、楽器ソロの持つ意味。ジャズでは楽器のソロ・インプロヴィゼイションが主役で、そのメカニカルな表現可能性を拡大する方法にどんどん進んだが、ショーロには違う美学があった。それを端的に言えば、ショーロにおける楽器ソロとは、そこにいないヴォーカリストの代用品、というか楽器ソロがすなわち「歌」なのだ。それがショーロにおける楽器ソロの意味、役割だ。楽器演奏が歌なのだ、ショーロでは。

 

 

『ブレジル・アンストルモンタル』は、まずジャコー・ド・バンドリンの「ミガーリャス・ジ・アモール」(1952)で幕開けするが、だいたい曲がいいよね。そのいい旋律をそのまま「歌」としてバンドリンで弾くジャコーが最高なのだ。後半テナー・ギターのソロもあるが、それもあくまで歌うということに徹している。

 

 

 

急速調のものなら、アルバム3曲目にあるおなじみ「ブラジレイリーニョ」。ここに収録されているのは作者ヴァルジール・アゼヴェード自身の1949年録音。こんなカヴァキーニョ弾きまくりナンバーでも、ヴァルジールはきれいに歌わせていることに注目してほしい。

 

 

 

どっちがいい悪いじゃなくって、ショーロとジャズはソロ展開のしかたが違うのだ。ジャズのソロのばあいは(特にビ・バップ革命後は)メカニカルに進むことが多いけれど、ショーロだと、どんなテンポと楽想でも「歌う」ということから外れない。ジャズ・ショーロとか、あるいはまたショーロ自身の内側で変化もあったかもしれないが、基本的にはここが徹底されている。

 

 

一枚目8曲目、パウロ・モウラ(クラリネット)の「ヴァルサ・トリステ」(1959)。ラダメス・ニャターリの曲だけど、パウロの表現する哀愁とか湿った情緒が聴きとれるよね。これは本当に泣いて(choro)いるかのよう。やはりクラリネットという楽器で歌っている。ヴォーカリストはいないけれど、これが歌だ。

 

 

 

今日話題の三枚組『ブレジル・アンストルモンタル』では、収録されている音楽家の数というかヴァリエイションは限定的で、ジャコーやパウロ、またバーデン・パウエル、アベル・フェレイラ、ラダメース・コン・セウ・セステート、ロウリンド・アルメイダ、ルイス・アメリカーノとか、ほか若干名。この人選と曲選にも、二名の編者、特にテカ・カラザンスのほうの意図を感じるものだ。

 

 

全体的には、アンソロジー『ブレジル・アンストルモンタル』で聴けるショーロ最大の特長は、楽器ソロ奏者がとてもよく歌うということの次に、(ストリート感覚を隠しながらの)サロン・ミュージックであるということだ。かなりヨーロッパふうで、落ち着いて典雅な雰囲気を感じられると思う。

 

 

BGM とかムード・ミュージックとかっていう存在や表現がお嫌いな向きもいらっしゃるみたいなんだけど、『ブレジル・アンストルモンタル』三枚組の音楽は、そういうものとしてよく機能する。ちょっとしたナイト・クラブとかバーとか、まあぼくは下戸なので自室のなかでコーヒー飲みながらだけど、リラックスできて、ちょうどいい雰囲気をつくってくれると思うなあ。

 

 

もちろん、なんの邪魔にもならないほどスムースに歌っているように聴こえる楽器ソロとは、すなわちヴァーチュオーゾのなせるわざだから、に違いないのではあるけれど。そこまでの技巧、そこまで存在感を消せる卓越こそ、実は最も見事なものなんじゃないかと、そう思うんだよね。 

2018/06/20

三日月形のドリーム・チーム

 

 

これも一種のカラオケ音楽かもしれない。インストルメンタル・ミュージックというのとはすこし違うよね。このばあいのカラオケとは決して否定的な意味ではなく、ナッシュヴィルのエリア・コード615とか、キング・カーティスやスタッフみたいなフュージョン・バンドがそうだといままで言ってきている、そういうのと同じだ。

 

 

と、ぼくが今日話題にしているのはクレスント・シティ・ゴールドという臨時編成プロジェクトの1994年リリース盤『ジ・アルティミット・セッション』。クレスント・シティとは言うまでもなくルイジアナ州ニュー・オーリンズの愛称で、このアルバムのメンツがすごいんだ。

 

 

アラン・トゥーサン、アール・パーマー、マック・レベナック(ドクター・ジョン)、エドワード・フランク、アルヴィン・レッド・タイラー、リー・アレンという、まったく説明不要の超有名人ばかり。この六人がクレスント・シティ・ゴールドのメンバーということで、そのほかサポート・ミュージシャンたちも参加して、当地のシー・サン・スタジオで1992年に録音されたもの。

 

 

よくもこんな錚々たるメンバーを集合させられたもんだと思うけれど、仕掛け人は顔写真も掲載されているキャシー・セバスチャン…、って、どなたなんでしょう?ぼくはいまだ知らないかたで、う〜ん、しかしホントすごいよ、これだけのセッションをプロデュースできるのって。マジで何者なんでしょう?どなたかご存知でしたら教えてください。

 

 

『ジ・アルティミット・セッション』の全15曲(ラスト16トラック目はリプリーズ)。なかには「ルシール」みたいなブルーズ・スタンダードや、「トリック・バッグ」「ドント・ユー・ジャスト・ノウ・イット」「ジャンコ・パートナー」のようなニュー・オーリンズ・クラシックスもありはするが、それ以外はたぶんこのときのセッション用の新曲だよね。

 

 

ぼくの耳にはそういった新曲のほうが出来がいいように響くのだった。なかでもいちばん感銘を受けるのが4曲目「カーリーマ」、12曲目「スモーキン・コーナー」、15曲目「スペシャル・リクエスト」。「スモーキン・コーナー」は用意された楽曲じゃなくて、たぶんだけど、三人のピアニストが順に弾いている即興なんじゃないかと思う。

 

 

頼りない耳判断で言うと、「スモーキン・コーナー」で弾く順番は、エドワード・フランク→ドクター・ジョン→アラン・トゥーサンなんじゃないかと思う。なんとなくね、そう感じるスタイルの違いがあるように聴こえるんだけど。鮮明なニュー・オーリンズ・スタイルは三人とも出していない。バラード調にしっとりと、三人が順に鍵盤で奏でているバラード。最終盤でちょろっとエキゾティックな(中国ふう?)雰囲気があるので、そこはアランなんだろう。

 

 

中国ふう?エキゾティズムといえば、『ジ・アルティミット・セッション』5曲目のやはりカラオケ「ミッド・シティ・バップ」にもそれがすこしだけあって、特にイントロ部。クレジットを見たら、やはりアランの書いた曲で、冒頭部のそのピアノ演奏も彼なんだろうね。しかしその後はやはりニュー・オーリンズ R&B になっていく。だから、アランの『サザン・ナイツ』とか、あのへんだよね。

 

 

アルバムの実質ラスト・ナンバーである15曲目「スペシャル・リクエスト」。これもカラオケだけど(ってか、このセッション用の新曲はぜんぶほぼカラオケで、歌入りは他作スタンダードだけ)、これなんかのムードはたまらない絶品。泣きのバラードで、サックス二名がこれでもかとすすりあげ、迫る。いいなあ、これ。アルバム・クローザーにはこれ以上ないっていうほどの雰囲気だ。

 

 

それなのに、それが終わるともう一回、4曲目「カーリーマ」がリプリーズでほんの30秒ほど鳴る。だから、このアフロ・キューバン・ナンバーはアルバム『ジ・アルティミット・セッション』のテーマ・ソング的な位置付けってことなのかなあ。本編のフル・ヴァージョン4曲目では、「か〜り〜ま〜」とヴォーカル・コーラスも入るが添え物でしかない。

 

 

メインはあくまでこのラテン・リズム(打楽器はアール・パーマーがパーカッションも多重録音している模様)と、その上に乗るホーン・アンサンブル、そしてサックス二名のソロだ。アンサンブル・アレンジは、この曲だけでなくアルバム全編でアランが手がけているはず。サックス二名のアド・リブ・ソロはさすがの熟した旨味。ピアノ・ソロはエドワード・フランク。

2018/06/19

感じろ!(考えずに)〜 ロニー・スミス

 

 

現在はドクター・ロニー・スミスと名乗っているこのオルガン(ハモンド B-3)奏者の1968年盤『シンク!』。超カッコイイもんなあ。これ、きっかけはルー・ドナルドスンの1967年『アリゲイター・ブーガルー』かな。むろんその前からのジョージ・ベンスン・カルテット、の前のジャック・マクダフ・バンドと、さかのぼることができるもので、その究極発展系が『シンク!』だ。いやあ〜、あまりのカッコよさにションベンちびりますね〜、これは。

 

 

とにかく!ロニー・スミスの『シンク!』は、オープナーの「サン・オヴ・アイス・バッグ」(ヒュー・マセケラ)がとんでもなくカッコイイ!ジャズでここまで超絶カッコよくグルーヴィなものって、ほかに聴いたことないぞ。と言ってしまいたいくらいぶっ飛んでいるじゃないのさ〜。いやあ〜、これをションベンちびらずに冷静に聴くなんて不可能だね。

 

 

「サン・オヴ・アイス・バッグ」では、ドラマーのメアリオン・ブッカー Jr のサウンドが音量も特に大きく聴こえるし、また曲演奏じたいの肝になっている。こんなにカッコいいファンク・ドラミングだからこそ、録音時かミックス時にヴォリュームを上げたんだろう。スネアの叩きかたなんか、も〜うホント、マジで、たまらん!

 

 

ホーンの二管はリー・モーガンとデイヴィッド・ニューマン。サックス奏者のほうはレイ・チャールズの録音でも有名なはず。ヒュー・マセケラの書いたぐるぐる回転するようなテーマ・リフを二人できっちりキメているが、ヒューのヴァージョンよりもノリとタメが深くなっているよね。これ以上にディープなジャズ・ファンクって、ほかにあるんだろうか?

 

 

その二管リフのあいだもメアリオンのドラミングが、あ、いや、ギター(メルヴィン・スパークス)、テナー・サックス、トランペットのソロのあいだもずっとドラミングが、あまりにもファンキーでカッコよすぎる。なんなんだこれは?!それら三人のソロ内容もいいんだけど、ぼくはずっとドラミングばかりに耳が行く。いちおうはジャズ・フィールドにある音楽で、ここまでのファンク・ドラミングって聴けるのだろうか?きっとこれ以上のものはないよなあ。

 

 

あ、ところでベーシストは例によっていないんだ。オルガン・ジャズだから。1曲目の「サン・オヴ・アイス・バッグ」では聴こえないが、必要なときに聴こえるベース・ラインはロニー・スミスのフット・ペダルに違いない。「サン・オヴ・アイス・バッグ」では、ギターと2ホーンズのソロが終わるともう一度ぐるぐる回転リフになって、それがインタールードとなってリーダーのオルガン・ソロに突入。そのソロもドープだ。しかもチルアウト。

 

 

オルガン・ソロのあいだはドラマーとのデュオ演奏になっているんだけど、なんのなんの、とんでもなくグルーヴィだ。それも終わると回転リフを最終テーマとして二管で演奏。なお、ロニー・スミスのオルガンは、もちろん終始小さな音でずっと鳴っているのもクール。そんで、曲全体で一貫したこのメアリオンのドラミング!

 

 

アルバム『シンク!』2曲目「ザ・コール・オヴ・ザ・ウィンド」はロニーの自作で、これはほぼサルサ・ジャズ(・ファンク)。最初ふわ〜っとヴェールがたれ込めるような静かな演奏が聴こえるから気を抜いていると、パーカショニスト三名が派手にやりだして、メアリオンもくわわってのカルテット打楽器アンサンブルでラテン・リズムの祝祭になっていく。ギター・カッティングもはじまる。

 

 

そこからはずっとワン・コードでチェンジしないままソロ・リレーが続くんだけど。その時間が2曲目「ザ・コール・オヴ・ザ・ウィンド」の聴きどころ。三名のパーカッショニストのうち、ティンバレスを担当しているのはパンチョ・ブラウンだよ。ほかの二人はぼくは知らないひとたちです。

 

 

ロニー・スミス、リー・モーガン、デイヴッド・ニューマンとソロが続く。メルヴィンのギターがずっとファンキーに刻んでいる。コードが一個で、ソロ内容に旋律展開のヴァリエイションは乏しいが、それを求めるようなものじゃない。豊穣なラテン・リズムのカラフルさとグルーヴのカッコよさと、そこに三人のソロイストがどう乗っているかを聴けば、もう、最高なんだよね。

 

 

ラテン・グルーヴ・パートが終わると、もう一回最初と同じくオルガンを中心とする静寂パートになって「ザ・コール・オヴ・ザ・ウィンド」は終わる。ってことはスタティック・テーマでアクティヴ・ソロ・パートをサンドウィッチしているわけで、この1968年7月23日の録音時点で、翌69年7月発売のマイルズ・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面を完璧に先取りしていた。それも連続する生演奏で。

 

 

しかもこんなサルサ・ジャズだなんてなあ、その当時まだなかったはずだ。アメリカ合衆国黒人音楽におけるファンクネスとは、イコール、ラテン要素のことだということも、これまた鮮明に示しているし、そんなことよりなにより生理的に、皮膚感覚として、あまりにカッコよすぎるし、いやあ〜、ここまでの作品であるロニー・スミス『シンク!』を、人生56年目にしてはじめて知ったとはあまりにも遅すぎだけど、これから楽しむぞ!!

 

 

3曲目以後は〜、まあその〜、いやカッコイイんですけれども、1、2曲目みたいに脳天ブチ抜かれるほどカッ飛んではいないような…。「シンク」はアリーサ・フランクリンのやつのほう。「スリー・ブラインド・マイス」はマザー・グース(伝承童謡)のファンキー・ジャズ化。「スロウチン」はもう一個のロニー自作。これにも2曲目同様のラテン・パーカッショニストたちが参加している。

2018/06/18

ゴタ混ぜの楽しさ 〜 ゼップ『フィジカル・グラフィティ』

 

 

謎。レッド・ツェッペリンの「聖なる館」という曲は、アルバム『聖なる館』にはなく、次作『フィジカル・グラフィティ』にある。高校生のころはこりゃなんだ?と混乱していたなあ。ずいぶんあとになって、この1975年発売の二枚組用にレコーディングした新曲と、もっと前の音源(に手を加えた?)とが混在しているのだと知った。

 

 

そのあたり、ぼくなんかいまだにどれがどこらへんだっけ?って、まあ曲題とかサウンドとかである程度の察しはつくもののすぐに忘れて混乱しちゃうので、自分のために整理しておきたい。一覧にしてみた。

 

 

CD1

 

1 Custard Pie (new song)

 

2 The Rover ("Houses of The Holy" outtake)

 

3 In My Time Of Dying (new)

 

4 Houses Of The Holy ("Houses Of The Holy" outtake)

 

5 Trampled Under Foot (new)

 

6 Kashmir (new)

 

 

CD2

 

1 In The Light (new)

 

2 Bron-Yr-Aur ("III" outtake)

 

3 Down By The Seaside (4th album outtake)

 

4 Ten Years Gone (new)

 

5 Night Flight (4th album outtake)

 

6 The Wanton Song (new)

 

7 Boogie With Stu (4th album outtake)

 

8 Black Country Woman ("Houses Of The Holy" outtake)

 

9 Sick Again (new)

 

 

なんでも情報によれば、新録八曲のなかに長いものがあるため(「死にかけて」だけ?)LP 一枚にはぜんぶ入らないので二枚組にしようと、しかしそうすると新作曲だけでは満たせないので過去音源を、となったのだそうだ。なんどもしつこいようだけど LP だと二枚組偏愛傾向があったぼくで、その意味でも『フィジカル・グラフィティ』は大好きだった。むろんいまでもツェッペリンのぜんぶのアルバム中いちばん好き。

 

 

しかしこうやって整理してみると、『フィジカル・グラフィティ』、ぼくの好きな曲は新作であるばあいが多い。過去セッションからのアウトテイクだと、二枚目(B面)の「ブギ・ウィズ・スチュ」「ブラック・カントリー・ウーマン」は相当好きだけど、それら以外はいまではイマイチな感じに聴こえる。高二、高三のころは(アルバムぜんぶのなかで)「夜間飛行」がいちばん好きだったんだけどなあ。

 

 

あ、待って、一枚目(A面)にあった「流浪の民」はいまでもかなり好きだなあ。ジョン・ボーナムのドラミング(最初ハイ・ハット)から入ってきて、ジミー・ペイジのギターが長めに弾くイントロもいい感じに聴こえる。ロバート・プラントが歌う歌詞もいいし、そのあいだを支えるギター・コード・ワークも好き。間奏ギター・ソロも(珍しく?)聴ける。

 

 

「ブギ・ウィズ・スチュ」「ド田舎おんな」の二曲は、上でご覧のように録音時期が違っているけれど、雰囲気が共通している部分もあって、連続すると流れもいい。フル・アクースティック・サウンドも楽しいくいい感じ。これらを "ツェッペリン版アンプラグド" とか呼んでいる文章をこないだどこかで見かけたけれど、アホかいな、このバンドには最初っからふつうにたくさんあるちゅ〜ねん、生音ロックが。

 

 

「ブギ・ウィズ・スチュ」のスチュは、もちろんローリング・ストーンズのイアン・スチュワートのこと。四枚目のアルバム(にタイトルはありません)A 面にあったツェッペリン・スタンダード「ロックンロール」のピアノもスチュなんだそうだ。と、ついこないだ知ったばかり。ホンキー・トンクなピアノ・スタイルはたしかにこの二曲で共通している。同じセッションで録音されたんだね。

 

 

ところで「ブギ・ウィズ・スチュ」で聴こえる打楽器はなんだろう?演奏しているのはジョン・ボーナムかもしれないが、ふつうのドラム・セットのなにかのパーツの音じゃない。そうだとしたら相当加工してある。ホンキー・トンクふうなこのブルーズ(リッチー・ヴァレンス「ウー、マイ・ヘッド」のパクリ)によく似合っているよね。似合うように加工した??

 

 

「ド田舎おんな」はなんでもないアクースティック・ロックみたいだけど、変拍子を使ってあって、だからプログレっぽいムードを持つアレンジでもある。サウンド・カラーは『レッド・ツェッペリン III』のころのようだけどね。ペイジの弾くギターがそんなシンプルさと複雑さを同時表現している。

 

 

「ド田舎おんな」でのボンゾは、最初ベース・ドラムで入ってきたときはアフター・ビートで踏んでいるが、アレレッ??と思ったのか、知らん顔してシレッとオン・ビートに移行しているよね。それもそうとはわからない程度にちょっとずつちょっとずつずらしていってそのまま。スネアなどを叩きはじめるころにはすっかり移行完了。プラントのブルーズ・ハープもいい。

 

 

この世代の英ロック・シンガーはみんなあたりまえにハーモニカできるんだけど、『フィジカル・グラフィティ』だと、オープニングの「カスタード・パイ」でも聴ける。この曲のことはいままでさんざん書いてきていて、昨日も触れた。まあ好きなんだよね。この曲も米南部カントリー・ブルーズからの引用パッチワークだけど、ギター・リフが終始 3・2クラーベ(aka ボ・ディドリー)のリズムで刻み続けていることはだれも言わない。

 

 

『フィジカル・グラフィティ』CD1の「死にかけて」「カシミール」のことは(いままでたくさん書いたので)省略して、「トランプルド・アンダー・フット」。ジョン・ポール・ジョーンズがクラヴィネットを弾くのが最も印象的なファンク・チューン。スティーヴィ・ワンダーの「迷信」路線だね。粘りつくような音色だから大好きな楽器だ。

 

 

クラヴィネットは「カスタード・パイ」でも使われているよね。最初右チャンネルでギターが鳴りはじめ、次いですぐに左からクラヴィネットがチェイスするように、つまり輪唱のようにほぼ同じパターンを演奏して、そのまま最後まで行く。このブルーズはそのワン・リフだけでできている。「トランプルド・アンダー・フット」でのソロはクラヴィネットだけ。

 

 

アルバム二枚目の「イン・ザ・ライト」もちょっぴり「カシミール」(とか、要は「ワイト・サマー」から来ている)路線のアラブ〜インドふう楽曲。特にこれまたジョンジーがイントロで弾く鍵盤(はこれなんだろう?オルガン?メロトロン?)サウンドの旋律がエキゾティックでいいね。プラントの歌う主旋律もそう。CIA(ケルト、インド、アラブ) コネクションだ。

 

 

二枚目 A 面だと、ラストの「テン・イヤーズ・ゴーン」もかなり好き。ラヴ・バラードなんだけど、冒頭のギター(すぐにベースも来る)が奏でる雰囲気というか空気感がすごくいい。間を開けてあって、音が鳴っていない余韻の時間、スペースが大好きなのだ。その隙間の上でプラントが歌い出す。間奏でソロを弾くギターのこの音色は、レズリー・スピーカーを通してあるのかな?そのせいかどうか、そこもアラブふうに聴こえる異なムード。

 

 

そうそう、二枚目 B 面の「ザ・ワントン・ソング」でもギターはたぶんレズリー・スピーカーを使ってあるんだろう。この曲もファンク・チューンだ。『聖なる館』にあった「ザ・クランジ」を想わせるところがあるよね。なにを隠そう、いま2018年のぼくが『フィジカル・グラフィティ』でいちばん気に入っているのがこの「ザ・ワントン・ソング」。

 

 

延々と反復されるギター・リフ(ペイジ・スタイルであるシングル・トーン構成、有名なのはぜんぶそう)も快感だが、ボンゾのドラミングがカッコよすぎる。このへんの叩きかたは間違いなくアメリカの黒人ファンク・ドラマーを聴いて学んでいる。ニュー・オーリンズ・スタイルなニュアンスもあるよね。ジガブー・モデリステ(ミーターズ)のことが好きだったとは有名だが、ボンゾはもっとたくさん聴いていたとだれも疑わないはず。スネアでゴースト・ノーツをたたみかけるあたりとか、間違いない。

 

 

『フィジカル・グラフィティ』。二枚全体で見ると、このバンドの全キャリアをギュッと凝縮したようなサマリー的内容…、でもないのか、ゴッタ煮でとっちらかっているから凝縮じゃなくて散りばめられているところ、それがいい。ツェッペリンの持っているほぼ全要素がここにある。ブルーズ・ベースのハード・ロック、ラヴ・バラード、プログレ、ソフト・ロック、(英トラッドふう)フォーキー・アクースティック、ケルト/インド/アラブ路線、ファンク、ギター・インストルメンタル。全部揃っているじゃないか。

2018/06/17

ドロップ・ダウン・ママ

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というフレーズは、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントがそう歌い込むので憶えた。たしか「カスタード・パイ」(『フィジカル・グラフィティ』)だっけな?妙に印象に残るもので、だから古いブルーズ音源がどんどんリイシューされた1990年代に CD ショップ店頭で同名のチェス盤を見たときも、興味を惹かれたのはこの一点だったのだ。そのときはなにかのシカゴ・ブルーズだろうとしか見当がつかなかった。

 

 

チェス盤といっても、現在ぼくの手もとにあるのは小出斉さんが解説文をお書きの1994年盤で、1970年にはじめて『ドロップ・ダウン・ママ』がリリースされたときの14曲にくわえ、ボーナス・トラックとして三曲、最後にくっついている。名前もプレイも聴いたことのないブルーズ・マンもなかにはいたので、小出さんの(原英文解説よりもはるかに詳しい)文章を読めるのはありがたかった。

 

 

『ドロップ・ダウン・ママ』は、前述のとおり1970年にチェス・ヴィンテイジ・シリーズの一枚として発売されたのが初出で、オリジナル・アルバムじゃなくて、あ、いや、オリジナルみたいなもんかな、一定のコンセプトはしっかりあるけれど、だれか特定個人の録音だけで構成されたものではなく、え〜っと、やっぱり編集盤みたいな面もあるのだ。

 

 

収録されているブルーズ・メンはぜんぶで六人。最有名人はロバート・ナイトホークだね。次いでジョニー・シャインズやフロイド・ジョーンズ、ハニー・ボーイ・エドワーズあたりまではぼくでも知っていた。ほかのビッグ・ボーイ・スパイアーズ、ブルー・スミティは、『ドロップ・ダウン・ママ』で初体験だった。

 

 

チェスの編纂コンセプトとは、南部臭さがかなり強烈に漂うダウン・ホーム感覚満点な戦後の初期シカゴ・ブルーズ(録音時期は1949〜53年)、それもストリートや酒場など「現場」でやっていたような少人数編成のものをすこしまとめてみたってことで、実際南部出身のブルーズ・メンが中心だし、できあがりを聴いてもそんな泥臭さが濃く漂っている。

 

 

だから、ロバート・ナイトホークだけがちょっと毛色が違っているんだよね。ナイトホークは洗練されているもん。『ドロップ・ダウン・ママ』収録の五曲(最多)でもギター・スライド・サウンドの生々しさがすごいけれど、それはいわゆる南部的な泥臭さじゃないだろう。だいたい戦前からシティ・ブルーズの世界で生きてきていたひとだ。

 

 

そんなロバート・ナイトホークの録音もすばらしいのではあるけれど、『ドロップ・ダウン・ママ』の聴きどころはちょっと違うんだと思う。かなり暗く、重く、沈み込むような、まあなかには一曲目「ソー・グラッド・アイ・ファウンド・ユー」(ジョニー・シャインズ)とか17曲目「デイト・ベイト」(ブルー・スミティ&ヒズ・ストリング・メン)といった楽しい曲だってあるけれど、このアルバムでは例外だ。ナイトホークの五曲も例外として外す。

 

 

すると、残りはほぼぜんぶがどこまでも暗く重い。ブルーズ・ミュージックの持つ典型的なイメージにこのアルバム『ドロップ・ダウン・ママ』以上にピッタリはまるものはそんなにないと思えるほどだ。なんというか、どこにもまったく救いのない、だれも、自分でも、救えないような出口のない重苦しさ、つらさ、満たされないやるせなさが、もうその場の空気を埋め尽くしている。

 

 

ここまでだとカタルシスにもならないほどで、共振しちゃって聴いているこっちまで苦しくなってしまうアルバム『ドロップ・ダウン・ママ』。曲の歌詞だけじゃない、声の出しかたや節まわしも含めたヴォーカル表現全体、ギター・プレイのスタイルなど、なにもかもが沈み込んでいるのだ。

 

 

しかし彼ら(主に南部からシカゴに来た)ブルーズ・メンも、そうやってなんらかのかたちで吐き出さないと、とてもやっていられない苦しみを抱えていたってことかもしれないなあ。共振して、といっても到底ぼくなんかの理解がおよぶところじゃないんだけど、この粘りつく湿度の高さ、まとわりつく情念というか怨念は、聴き手に届ける音楽商品というかたちで客観化すらされていないのかもしれない。

 

 

だから、ちょっと聴くと、日本の演歌の一部にあるような怨歌みたいなものとして、つまりステージ芸やレコード録音商品としてエンターテイメントたりうるようなある種の客観性というか価値というか、演者本人は歌の世界から距離を置いているような冷静な視線みたいなもの(がふつうあるんじゃない?)は、ぼくは『ドロップ・ダウン・ママ』にすこししか感じられない。

 

 

ふだんのぼくだったらそんな音楽は嫌いなんだけど、でも今日のこの文章は嫌悪感の表出ではない。むしろかなり好きで、おりにふれ『ドロップ・ダウン・ママ』も聴きかえし楽しんでいる。というか共感して振動している。だれだってそんな気分になるときもあるわけだし、だからチェス盤『ドロップ・ダウン・ママ』みたいな病気盤も、まあ「楽しい」んだよ。好きだ。

 

 

最後に。アルバム『ドロップ・ダウン・ママ』5曲目のハニー・ボーイ・エドワーズ「ドロップ・ダウン・ママ」は南部に古くからある伝承ブルーズで、たぶん1935年にスリーピー・ジョン・エスティスが録音したヴァージョンが最も早いものなんだろうか。ハニー・ボーイ・エドワーズのこの1953年録音は当時発売されなかったので、レッド・ツェッペリンの連中はスリーピー・ジョン・エスティスのものか、トミー・マクレナンのものか、ビッグ・ジョー・ウィリアムズのものかを聴いていたんだろう。

 

 

'Drop Down Mama'

 

 

 

 

 

 

 

2018/06/16

アラブ歌謡現役トップ歌手の恋愛歌集?

 

 

イラクのカエサルとまで呼ばれるトップ歌手で、アラブ圏を代表するスターに違いないカゼム・アル・サヒル。彼が2016年9月にリリースした『ザ・ブック・オヴ・ラヴ』(Kitab Al Hob)がかなりいいんだよね。このアルバム題は、バート・バカラックの有名曲を意識したのかな?関係ないのかな?音楽的には関係なさそうな気がするが、アラビア語の歌詞を聴いても意味がわからないぼくにとっては、恋愛歌集なのかな?という想像のきっかけにはなるものだ。

 

 

恋愛歌集なのかどうなのか、結局わからないけけど、わかっていることはそんな歌詞はぜんぶニザール・カッバーニの書いたポエトリーだってこと。これはジャケット裏にもブックレット裏にも記載がある。ニザール・カッバーニはシリアの偉大な詩人だ。恋愛詩もあるので、やっぱり…、う〜む、どうなんだろうホント?

 

 

ところで附属ブックレット、というかペラ紙一枚だからリーフレットか、それには特に詳しいことはいっさい書かれていないのだ。開くとカゼムが大写しになった写真があるだけで、曲情報も演奏者のこともわからない。音さえあればいいんだっていうんなら、やっぱりネット配信で十分??CD で買ったぼくはたんなる物欲主義者??

 

 

だから、カゼムの『ザ・ブック・オヴ・ラヴ』でのこの伴奏サウンドは、まあ聴いた感じ、たぶん生演奏のオーケストラによるものなんだろうっていう推測しかできない。一番目立つのがストリングスで、次いでパーカッション群。イラクの、というかアラブ歌謡でよく使われるローカルな楽器のような音も聴こえる。パーカッションは、というかリズムは、ひょっとしてコンピューター・プログラミングも混ぜてある可能性くらいならあるよね?いわゆるドラム・セットは使われていないみたいだ。

 

 

そんな(100%かどうか自信がないが)生演奏のパーカッションズや、またその上に乗るストリングスの奏でるリズムも、どこまでアラブ・ポップスのものなのか、どこからがラテン音楽由来なのか、ちゃんと判断できない。ずっとまえからアラブ歌謡にもラテン・リズムの影響は濃く、完全に溶け込んでいるので。

 

 

リズムはラテン・ミュージック由来のシンコペイションで、細かく刻みながらも大きく跳ねて躍動し、フロントの歌手(や楽器奏者)にノリとスペースを与え、歌ったり演奏するメロディはアラブ音楽のスケールにもとづく魅惑的なうねる翳と哀しみがあるものっていう 〜 こういった一種の理想形が、ここカゼムの『ザ・ブック・オヴ・ラヴ』にはある。

 

 

しかも主役歌手カゼムの声のトーンがすばらしい。アラブ歌謡現役トップ歌手だけあるっていうスケールの大きさを感じるもので、こりゃあ聴き惚れるよなあ。コブシまわしもアラブ古典様式で、しかしくどくなりすぎない程度のポップな軽みやモダンさが聴きとれる。

 

 

そんなこんなで、シリアの詩人の書いたものにイラクの歌手がメロディをつけて歌ったもので(オーケストラ・アレンジがだれなのかは記載なし)…、っていうローカル色をはるかに大きく超えた、ユニヴァーサルなポップ・ミュージックとしての魅力を、カゼムの『ザ・ブック・オヴ・ラヴ』は放っているように思う。全11曲、歌詞の意味がわからないが、イマイチなトラックなんて、楽しめない時間なんて、ないもんね。

 

 

壮大でドラマティックな展開を聴かせたかと思った次の曲では軽くフワリと舞ってみせたり、クラシカルなタッチだなと思わせると同時にモダンにポップだったり、ヴォーカルもシリアスさを感じさせたりちょっとおどけるようだったりなど、多彩だ。それでも全体的にはカエサルと称されるだけはあるっていう壮麗さで貫かれていて風格がある。

2018/06/15

ファンクの誕生

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Excuse me while I do the Boogaloo!







 

 

 

 

各曲の録音年月も記しておこう。その順に並べたプレイリストだ。

 

 

1) Herbie Hancock 'Watermelon Man' 1962.5

 

2) Lee Morgan 'The Sidewinder' 1963.12

 

3) Miles Davis 'Eighty-One' 65.1

 

4) Wayne Shorter 'Adam's Apple' 66.2

 

5) Miles Davis 'Footprints' 66.10

 

6) Lou Donaldson 'Alligator Bogaloo' 67.4

 

7) James Brown 'Cold Sweat' 67.5

 

8) Miles Davis 'Stuff' 68.5

 

9) Lonnie Smith 'Son of Ice Bag' 68.7

 

10) Miles Davis 'Frelon Brun' 68.9

 

 

もちろんこないだの『ブルー・ノート・ブーガルー』の続き。というかあれを聴いていてふくらんだ妄想の一部 をマイルズ・デイヴィスがらみで展開したいってこと。あの公式プレイリストによってほかにも何個かふくらんでいるので、そのうち書けたら書いてみようと思っている。

 

 

マイルズの「スタッフ」(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』)や「フルロン・ブラン」(『キリマンジャロの娘』)あたりのブーガルー・ジャズのことはいままでほぼ無視されてきていて、いま2018年でもその状況に変わりはない。1969年夏録音のアルバム『ビッチズ・ブルー』が盛大に持ち上げられ、せいぜい前作『イン・ア・サイレント・ウェイ」B 面の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」どまりだけど、それだってマイルズによるファンクへの斬り込みとみなす人間は、日本語書きではいまだぼくだけ。

 

 

でもどうもここ最近、その前の「スタッフ」「フルロン・ブラン」なんかのほうがもっとおもしろいんじゃないかと感じるようになってきている。この二曲、英語の文章でなら boogaloo だ、boogaloo tango だとかいうのが出てくるので、実はいままでそういうものを参照させていただいてきた。主にレガシー盤コンプリート・ボックス解説文のボブ・ベルデンのだけど。

 

 

それで、個人的にルー・ドナルドスンの「アリゲイター・ブーガルー」なんかは近いものがあるなあ、特に「フルロン・ブラン」のほうはそうだと、ボブ・ベルデンとは関係なく前から感じていた。そしてこれも個人の実感として『キリマンジャロの娘』がどんどんすごいものだと最近聴こえるようになってきていて、そこへ今年五月発表の公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』が来たってわけ。

 

 

『ブルー・ノート・ブーガルー』をなんども聴いて、こりゃジャズ・サイドからのジェイムズ・ブラウン流ファンクへの序章が見えたなあという気分だった。以前書いたがぼくの見方では JB によるファンクの誕生は1967年5月録音の「コールド・スウェット」なんだけど、この曲のリズム・パターンがその前、1960年代前半〜半ばのブルー・ノート・ジャズにいくつもある。

 

 

それらはファンク誕生前夜として位置付けることもできるけれど、もちろん JB だってそういったファンキー・ジャズは間違いなく聴いていただろうけれど、しかしブルー・ノート・ブーガルーはブルー・ノート・ブーガルーとして自律して楽しいものだ。ビッグ・バンの予兆として意義深いということだけじゃないんだ。

 

 

ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズの三人をマイルズが雇ったことによる音楽的変化は、その結実として『ソーサラー』『ネフェルティティ』という、なんというかクラシカルなというか、個人的にはイマイチなんだけど、抽象的に美しいみたいな、やや難解でハイ・ブロウなジャズ・アートに至ったということばかりがいままで強調されてきた。

 

 

ぼくにとってはそうじゃない。そもそもハービーはマイルズ・バンド加入前に「ウォーターメロン・マン」を発表している。あんなファンキーなジャズ・ブーガルーは、「ザ・サイドワインダー」のリー・モーガンじゃなくて同じレーベルのハービーが先駆者だった。そのまんま1960年代末〜70年代の(ジャズ・)ファンクに直結していると思う。

 

 

マイルズだって、ハービーはそういう傾向のあるジャズ・ピアニストだと知っていて雇ったはずだ。そしてハービーが「ウォーターメロン・マン」で先鞭をつけたブルー・ノート・ブーガルーだって聴いていたと、これはぜんぜん疑えない。その後しばらくしてリズム&ブルーズ〜ソウル界で勃興したファンク革命も間違いなく肌で感じている。

 

 

ロン・カーターも中南米音楽好きでファンキーな8ビート・ナンバーを書いたりするし、トニーがロックやリズム&ブルーズ好きだったのは有名だ。つまりこの1963年に揃ったマイルズ・バンドのニュー・リズム・セクションには、実はそんな面だって強かった。ここはあんがい軽視、無視されてきているか、(まじめなジャズ聴きからは)軽蔑されてきた。

 

 

ファンク革命の主導者は JB だったかもしれない。しかし社会革命がたったひとりの突出者の手によって突然巻き起こったりなどしない、それに至るまでには社会のなかに、一般大衆のなかに、それを産むだけのものが醸成されてきているものだというのと同様、ファンクも JB ひとりが産んだものではなく、音楽社会でたかまりつつあったムーヴメントをすくいあげて明快で鮮烈なかたちに蒸留したってことじゃないかな。

 

 

そんなアメリカ音楽社会の変化を、その素地がどこにどうあったのか、ジャズ・サイドから見てみたときのキーが、今年五月から個人的に熱中している公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』なんだよね。ピアノの叩くリフ・パターン、ベースのオスティナート、ドラムスのブーガルーなどなど、聴いてほしい。

 

 

 

なんども言うようだがマイルズという音楽家は、かなり保守的というか警戒心が強い(ここも勘違いされていて、革新的人物だと思われている)。生まれた新しい潮流にすぐにはとびつかず、しばらく眺めるようにじっくり観察してのち、はじめてすこしずつ自分の音楽に取り込んでみるというタイプなんだよね。

 

 

だから1962年からあったジャズ・ブーガルーのファンキーさも、それもまたひとつの下敷きだったファンクの誕生も、興味を示しつつもすぐにマイルズは取り込まなかった。ソウル〜ファンク・ミュージックへの本格的接近は(1968年9月に結婚する)ベティ・メイブリーのすすめによるものとされているが、ベティと付き合いはじめる前のフランシスとの蜜月時代に録音した作品のなかに予兆があるので、ベティは大きなきっかけ、トリガーだっただろうが、マイルズ自身の内的音楽変化と見るのが本筋だと思う。

 

 

1968年5、9月録音の「スタッフ」「フルロン・ブラン」がいまのぼくには最高におもしろいんだけど、よく観察すると、どっちも定型12小節ブルーズのバリエイションじゃないか。ハービーの「ウォーターメロン・マン」、リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」がそうであるように。

 

 

マイルズのばあい、今日のプレイリストに入れておいた「エイティ・ワン」(『E.S.P』)と「フットプリンツ」(『マイルズ・スマイルズ』)は定型どおりの12小節ブルーズで、それを1965年、66年のマイルズなりにちょっとだけファンキーにし、したがってリズムを細分化して跳ねるようにアレンジしたというものだった。

 

 

どっちもマイルズの書いた曲じゃない。ロン・カーターとウェイン・ショーターのコンポジションをとりあげたという、いかにもマイルズらしいちょっとずつの変化だ。それらではハービーとトニーのファンキー気味な伴奏ぶりにも注意して聴いてほしい。

 

 

それがもっと鮮明なグルーヴ・チューンとなって、しかもボス自身の主導する作曲で明快なマイルズ・ファンクとなって出現したのが1968年の「スタッフ」と、それ以上になにより同年四ヶ月後の「フルロン・ブラン」だったんだよね。その際には、ブルー・ノート・ブーガルーや JB ファンクがそうであるように、ラテン・アメリカ〜アフリカへの視線があったことも間違いない。

2018/06/14

けっこうおもしろい(面もある)ゼップの『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』

 

 

レッド・ツェッペリン好きのぼくにとって最も思い出深いアルバムが1979年リリースの(事実上の)最終作『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』。えっ、なんで?とか思われるかもしれないが、ツェッペリン好きの音楽キチガイになったときにはすでに『プレゼンス』や『永遠の詩』までリリース済みで、まったくの後追いだった。リアルタイムで発売を待ち焦がれて買ったのが、ラスト最新作『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』だったのだ。

 

 

こんなもの…、とツェッペリン愛好家からですら思われていそうな『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』だけど、好きなものは好きだ。素直にそう表現することにしているので。それで、いま2018年のぼくが聴きかえして感じるところを記しておこう。高校三年生当時、いまよりもずっとぜんぜん音楽を知らなくて、ただなんかワケわからないがいろんな要素がゴッタ煮になっているぞ、と感じたことが、すこしだけクリアになっている。

 

 

レコードでは4曲目の「ホット・ドッグ」までが A 面。この曲はカントリー&ウェスタン調、というかそのまんま。ツッェペリンにしては珍しい、というかほかにこんなストレートなカントリー・ソングがこのバンドにあるのか?ナッシュヴィル・サウンドだよね。サビ部分ではロバート・プラントがオーヴァー・ダブでピッチの高い女声を兼ねている。高校生のころは、この女性ゲスト歌手はだれだ?とか思っていたなあ。

 

 

それ以上にジミー・ペイジの弾くギターが完璧ナッシュヴィル・スタイルだ。特に間奏ソロのところ。チェット・アトキンスそっくり。というかもろコピーだね。ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」でジョージが弾いたあれにもよく似ているでしょ。ペイジのほうはなんだかモタモタよれちゃって、まあヘタっていうか左手の押弦と右手のピッキングのタイミングがズレている。

 

 

CD やネット音源だとそのまま続いて(B 面トップだった)大作「ケラウゼランブラ」が来る。むかしはこういうの嫌いだったぼくだけど、いま聴くと、エスニック・シンセ・テクノみたいで、なかなか楽しい。ツェッペリンの『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の録音セッションは1978年の秋なんだけど、ホルガー・シューカイとかトーキング・ヘッズとか、あのへんのみんなとシンクロしていたかも?いま考えたら。1980年代ロックのありようを示唆していたかもなあ。そんなこと、ない?

 

 

そうそう、録音といえば『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のセッションはスウェーデンのストックホルムにあるポーラー・スタジオでやった。ここは ABBA のスタジオだよね。ツェッペリンの四人はなにか関係あったのかな?このとき、ペイジの合流がやや遅れ、到着前に三人でやっていて、なかでもジョン・ポール・ジョーンズがセッションの主導権をとっていた。

 

 

そんなところ、アルバム全体のサウンドにはっきり聴きとれる。彼らのアルバムでこれだけ全面的に鍵盤楽器が大活躍し空間をびっちり埋めているものはほかにない。そのせいもあって評判が悪いのかもなあ、ギター・ロック好きには。曲創りでも、全七曲中「ホット・ドッグ」を除く全曲をジョンジーが書いているし、その「ホット・ドッグ」でもホンキー・トンクなピアノがやけに印象的だ。

 

 

「ケラウゼランブラ」に話を戻すと、これはおおまかに四部構成で曲想が変化するドラマティックなもので、ちょっと西洋クラシック音楽の交響曲的なつくりにも思える。あ、そうそう、クラシック音楽ファンのみなさんは、大衆音楽だとジャズに接近なさいますが、どっちかというとロックのほうが音構築の根幹は共通していると思いますよ。

 

 

そんなことはどうでもいい。壮大な「ケラウゼランブラ」はまさにシンセサイザー抜きではありえない曲になっているが、しかし中近東アラブ音楽の味付けは、ツェッペリンではずっと前からあったものだから、それだけならこのときの新風味ではない。しかしずっとそれはペイジが担ってきたものだ。「ケラウゼランブラ」ではジョンジーがその役目をはたしているのがおもしろい。

 

 

「ケラウゼランブラ」では中間部のスロー・パートでプラントが "Where was your boy?"  "I couldn't stand it" などと歌っているので、ここも次の6曲目「オール・マイ・ラヴ」と同じテーマなのかな?たしかに悲しみが漂っているような雰囲気に聴こえなくもない。ペイジのギター・オブリガートはやはりアラブ音楽ふう。

 

 

この次の快活パートが「ケラウゼランブラ」でぼくが一番好きなところ。どうしてかってジョン・ボーナムのドラミングがファンク・スタイルだから。スネアのゴースト・ノーツを入れるあたり、まさにそうだ。がしかし曲全体で聴くと、ボンゾのヘヴィなドラミングはこんなふうなシンセ・テクノとはすこし違和感があるような気もする。ペイジのギターがちょっぴりだけロカビリーふう。

 

 

リズムがおもしろいのが3曲目の「フール・イン・ザ・レイン」。これはカリブ〜ブラジルのほうを向いた曲。これもリズム・スタイルの変化でおおまかに三部(か四部)で構成されているドラマティックな展開。最初から6/8拍子で、これが基調。その上に 1:15 でアクースティック・ギターとシンバルが別なリズム・パターンを重ねてあるよね。このやりかたはその後も出る。

 

 

問題は 2:25 でウィッスルの音とピアノ・インタールードに導かれパッと世界が変化し、ブラジリアン・ミュージック(?)になっているところ。派手なパーカッション群乱打は、たぶんボンゾひとりの多重録音なんだろう。本人たちはサンバだとか言っているようだけど、そうは聴こえないよね、残念ながら。でもツェッペリンの音楽で、ニセモノであるとはいえ、ここまでブラジル音楽に接近したものはほかにないはず。

 

 

サンバ(?)・パートが終わって基調のハチロクに戻った次の瞬間からソロを弾くペイジはギター・シンセサイザーを使っている。彼がはじめてギタシンを弾いた一例だけど、結局その後もないんじゃないかな?この「フール・イン・ザ・レイン」のこのパートでギタシンを使ったのはなぜか、音色の問題か新奇物を試したかっただけか、わからない。でも似合っているかなと思う。

 

 

アルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のオープナーとクローザーはブルーズ・ナンバー。正確にはラストの「アイム・ゴナ・クロウル」はリズム&ブルーズ・バラードだけど、トップの「イン・ジ・イヴニング」はコード・チェンジもブルーズ楽曲だ。ずっとワン・コードで行って、サビの部分だけブルーズ・チェンジになるつくりだけど。ギター・ソロになっての大サビというかブリッジみたいなものは、また違うパターンだけどね。

 

 

ところで「イン・ジ・イヴニング」の出だしで、プラントが「いんじい〜〜ぶに〜〜ん」と大きく歌って本編に入る前の玄妙なイントロ・サウンドは、これまたペイジが弓弾きでもやっているんだろうか?あるいはジョンジーのシンセサイザー?そのあたりのちゃんとしたことはよくわからない。ボンゾのタムの音はかなり加工してあるね。

 

 

アルバム・ラストの「アイム・ゴナ・クロウル」。たとえなにがあったって、どんなに遠くたって、君のところへ這ってでも行くというこのバラードこそ、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』でぼくがいちばん好きなもの。ここは高三のときからちっとも変わっていない。四人とも昔取った杵柄ともいうべき手慣れたクッサ〜い(=エモーショナルな)感じで、実にいいね。むかしと唯一違っているのは鍵盤シンセサイザーで出すストリングス・サウンドだ。曲が終わっても余韻を残すようにスーッと聴こえ、消え入る瞬間が大好き。

2018/06/13

黄金時代のデューク・エリントン 1940〜1942

 

 

原盤レーベルはすべてヴィクター(ブルーバード他でも発売された)。パーソネルと録音時期は以下のとおり。

 

 

Duke Ellington (piano, aranger, leader)

 

Wallace Jones, Cootie Williams (trumpet)

 

Ray Nance (tp, violin, vocal) replaces Williams beginning with December 28, 1940 session

 

Rex Stewart (cornet)

 

Tricky Sam Nanton, Lawrence Brown (trombone)

 

Juan Tizol (valve trombone)

 

Barney Bigard (clarinet)

 

Chauncey Haughton (clarinet) replaces Bigard on the final session, July 28, 1942

 

Johnny Hodges (alto sax, soprano sax, clarinet)

 

Otto Hardwick (alto sax, bass sax)

 

Ben Webster (tenor sax)

 

Harry Carney (bariton sax, alto sax, clarinet)

 

Billy Strayhorn (piano, arranger) on some tunes

 

Fred Guy (guitar)

 

Jimmy Blanton (bass)

 

Junior Raglin (bass) replaces Blanton beginning with December 2, 1941 session

 

Sonny Greer (drums)

 

Ivy Anderson, Herb Jeffries (vocal)

 

 

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March 6, 1940, Chicago

 

'You, You Darlin' 〜 'So Far, So Good'

 

 

March 15, 1940, Chicago

 

'Conga Brava' 〜 'Me And You'

 

 

May 4, 1940, Hollywood

 

'Cotton Tail' 〜 'Never No Lament'

 

 

May 28, 1940, Chicago

 

'Dusk' 〜 'Blue Goose'

 

 

July 22, 1940, New York

 

'Harlem Air Shaft' 〜 'Rumpus In Richmond'

 

 

July 24, 1940, New York

 

'My Greatest Mistake' 'Sepia Panorama'

 

 

September 5, 1940, Chicago

 

'There Shall Be No Night' 〜 'Five O'clock Whistle'

 

 

October 17, 1940, Chicago

 

Warm Valley'  'The Flaming Sword'

 

 

October 28, 1940, Chicago

 

'Across The Track Blues' 〜 'I Never Felt This Way Before'

 

 

December 28, 1940, Chicago

 

'The Sidewalks Of New York'  'The Girl In My Dreams Tries To Look Like You'

 

 

February 15, 1941, Hollywood

 

'Take The "A" Train' After All'

 

 

June 5, 1941, Hollywood

 

'Bakiff' 〜 'The Giddybug Gallop'

 

 

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October 1, 1940, Chicago

 

 

Duke Ellington (piano) & Jimmy Blanton (bass) duo

 

 

'Pitter Panter Patter' 〜 'Mr. J.B. Blues'

 

 

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alternate takes

 

 

'Ko-Ko' 〜 'Jump For Joy'

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

June 26, 1941, Hollywood

 

'Chocolate Shake' 'I Got It Bad (And That Ain't Good)'

 

 

July 2, 1941, Hollywood

 

'Clementine' 〜 'Moon Over Cuba'

 

 

September 26, 1941, Hollywood

 

Five O'clock Drag' 〜 'Bli-Blip'

 

 

December 2, 1941, Hollywood

 

'Chelsea Bridge' 〜 'I Don't Know What Kind Of Blues I Got'

 

 

January 21, 1942, Chicago

 

'Perdido' 〜 'Moon Mist'

 

 

February 26, New York

 

'What Am I Here For?' 〜 'Someone'

 

 

June 26, 1942, Hollywood

 

'My Little Brown Book' 〜 'Johnny Come Lately'

 

 

July 28, 1942, Chicago

 

'Hayfoot Strawfoot' 〜 'Sherman Shuffle'

 

 

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写真左(or 上)がぼくの持つ CD 三枚組(1989)だけど、Spotify にあるのは右(or 下)。リマスターされた同内容のやはり三枚組(2003)。しかし違っている部分もある。全体が録音順に並んでいるにもかかわらず、2003年盤では上記のように「ピター・パンター・パター」から「ミスター JB ブルーズ」までの四曲がデューク&ジミー・ブラントンのデュオ録音。このデュオは、違うアルバムで別テイクもすべてまとめられているので、ここに差し込まれている意味はない。

 

 

また続く「コ・コ」から「ジャンプ・フォー・ジョイ」までの五曲は別テイクなのでこれも除外して問題ないもの。しっかしそれら計9トラックをどうしてこんな真ん中に入れちゃうのだろう?どうしてもっていうんなら、おしりにまとめておけばいいのに。そもそもそんな必要すらないオマケだ。

 

 

まあいい。最上段のリンクからそれら九つを外したデューク・エリントン楽団1940〜42年録音完全集計66曲から絞りに絞って、25曲のセレクション・プレイリストをつくっておいた。枠の基準は、もし CD-R にでも焼くとするならば一枚におさまるようにということ。ネットで聴くんだから意味のない考えだ、とは思わない。

 

 

 

 

⟼⟼⟼⟼⟼


 

 

この時期のデューク・エリントン楽団を決定づけた要素は三つ、というか三人。ビリー・ストレイホーン、ジミー・ブラントン、ベン・ウェブスターだ。ストレイホーンの正式加入、というか楽団専属の作編曲者兼ピアニストになった時期は、正確には判明しない。だが、1939年に楽団が欧州ツアーから帰国した直後あたりらしい。その前年に出会っているが、ストレイホーンは最初、作詞の仕事をするため雇われたのだった。

 

 

アメリカの全音楽における全ベース史上最大の革命児、ジミー・ブラントンがエリントン楽団に加入しての初公式録音は1939年11月のブランズウィックのためのセッション。その後は1942年7月に亡くなるまでずっとデュークといっしょに仕事をした。ブラントンの本領発揮は、やはり1940年からのヴィクター・セッションにこそあるというべき。

 

 

コールマン・ホーキンス系のテナー・サックス奏者、ベン・ウェブスターは1940年1月に楽団正式加入。もっとも、1935年8月19日に三曲、1936年7月29日に三曲と、もっと早くにゲスト参加で演奏してはいる。デュークは1940年のウェブスターまでまったくテナー奏者をレギュラー・メンバーとして起用しなかった。これはいったいなぜだろう?ちょっと謎だ。その後は、たとえばポール・ゴンザルヴェスみたいなテナー奏者もいるのだが。

 

 

これら三者、ビリー・ストレイホーン、ジミー・ブラントン、ベン・ウェブスターが楽団にもたらした効果は相乗的で、ある意味、三位一体でデュークの音楽を最高レヴェルにまで引き上げたのだった。ストレイホーンは主に西洋クラシック音楽の印象派ふうな和音構成やオーケストレイションを、ブラントンは推進力を、ウェブスターは楽曲のテンポのいかんにかかわらずたゆたうような豊穣なサックス・サウンドを、それぞれ加えたということになっている。

 

 

がしかし、1940〜42年のデュークの音楽は、それらが不可分一体だったのだ。もともとデュークもデビュー期からしばらくのあいだはブルーズ・ベースのシンプルな楽曲かポップ・ソングが多く、しばらくしてそれに濁ったグルーヴ、すなわちジャングル・サウンドを足して独自のスタイルを確立し、さらにみずからも好きだった西洋印象派ふうなバラード調の作品も出てくるようになる。

 

 

1940年に再開されたヴィクター・セッション以後は、たぶんストレイホーンの貢献も大きくて和声面での精緻さが増し、オーケストレイションも高度で緻密になった。しかもそれは(世間一般で言われるように)「ムード・インディゴ」系の曲、たとえば今日のセレクションだと「ダスク」「ブルー・グース」「オール・トゥー・スーン」「ブルー・サージ」「チェルシー・ブリッジ」などだけにおよんでいたのではない。

 

 

たとえば「ジャック・ザ・ベア」「コ・コ」「コンチェルト・フォー・クーティ」「ハーレム・エア・シャフト」「テイク・ジ・A・トレイン」「レインチェック」「メイン・ステム」みたいな、ジミー・ブラントンが当時のウッド・ベーシストとしてはありえない感じで楽団をぐいぐいスウィングさせるグルーヴ・チューン(「メイン・ステム」のベースはブラントンじゃないが)でも随所に表れている。

 

 

ときどきそれは従来型のデュークお得意であるジャングル・サウンドだったりするのだが(たとえば「コ・コ」)、ハーモニーとアンサンブルとそのなかにはめ込むソロとのバランス含めての入り組んだ構成が、それ以前には聴かれない完璧さに到達している。デュークもみずから学んだだろうが、ビリー・ストレイホーン抜きではむずかしかった面もある。

 

 

言及した曲群のうち、「チェルシー・ブリッジ」「テイク・ジ・A・トレイン」「レインチェック」はストレイホーンが単独の作曲者として版権登録されている。がしかし、それだけじゃないのだ。共作とかコラボとか、そういったレヴェルじゃない。デュークとストレイホーンは一体化していた。ストレイホーンはデュークの「影」だった。

 

 

ストレイホーンが単独の作者となっているものとそうでないものとを比べ、作風や曲調や和音構成、メロディやアンサンブルの組み立てかたに差異が聴きとれないことを踏まえれば、このことは間違いないだろうと思う。クレジットはされなくても、ストレイホーンがかなり仕事をしている。どの曲がそう?どこまでどう?みたいなことは、もはやわかりようがない。ニュー・ジャージーの倉庫で手書き譜でも発見できない限りは。

 

 

ジミー・ブラントンのことは一度詳しく書いたので、今日は繰り返さない。ウッド・ベースでここまでのホーン・ライクなメロディ・ラインを弾けたという点ばかり強調されるがそれだけじゃない。その管楽器かピアノかっていうようなベース・ラインを、しかも野太い音色で弾いて、デュークのバンドに強い推進力を与えたことで、バンドのリズムが相互にからみあってリズム面でもサウンド面でもテクスチャーが多彩・豊富になっている点が、重要なブラントンの貢献だ。

 

 

 

だからつまり、ストレイホーンの加入で楽団のハーモニーやサウンドがカラフルになったのをジミー・ブラントンは最低部で支え、楽団全体のサウンド、リズムと不可分になり渾然一体と化していた。しかもあんなホーン・ライクなラインでジャンプするもんだから、というかそれができたベーシストであるためにそんな譜面をデュークが書いたので、たとえば「ジャック・ザ・ベア」「コ・コ」「イン・ア・メロウ・トーン」のようなアンサンブルが可能となったのだ。

 

 

アンサンブル・ハーモニーとリズムが豊富精緻で多彩になったことは、ベン・ウェブスターのソロが活きるスペースを生み出す結果ともなった。ソロはもちろんジョニー・ホッジズ(アルト・サックス)、ローレンス・ブラウン(トロンボーン)、クーティ・ウィリアムズ(トランペット)、レックス・スチュワート(コルネット)らも、以前より一層輝きを増しているが、ウェブスターのリリシズムは群を抜いている。

 

 

この1940〜42年のデュークの楽団では、たぶんベン・ウェブスターとローレンス・ブラウンが二大リリシストじゃないかと思うんだけど、ウェブスターはそれだけじゃなくてグイグイと激しくグルーヴもするし、リード楽器セクションのソリ(合奏)がカラフルさを増す役目もはたしている。「コットン・テイル」を聴いてほしい。

 

 

楽曲形式が定型12小節ブルーズで、リズムとサウンドが濁ったアフロ・アメリカンなジャングル・スタイルで、激しくグルーヴし、落ち着かない不穏でダークでファンキーなサウンドを奏で、それと一体化してジミー・ブラントンが躍動し、サックス・ソリのトーンが豊かで、しかも全体的なアンサンブルのハーモニー(とリズム・テクスチャー)が豊穣であるっていう、そんな至高の黒い宝石が、セレクション2曲目の「コ・コ」だ。

 

 

 

この「コ・コ」だってエキゾティックなのだが、もっとわかりやすい異国要素にも触れておこう。全集にあるものはぜんぶ選んでリストに入れておいた。アフロ・キューバンな「コンガ・ブラヴァ」「ザ・フレイミング・ソード」「ムーン・オーヴァー・キューバ」。それから、中近東ふう(?)東洋ふう(?)の劇場音楽みたいな「バキフ」。

 

 

アフロ・キューバン・ナンバーのことについては書いておく必要がないはず。「コンガ・ブラヴァ」とかはブルーノ・ブルムもアンソロジーのトップ・バッターに置いたくらいだ(フレモー&アソシエ盤『キューバ・イン・アメリカ 1939-1962』)。「ムーン・オーヴァー・キューバ」もわかりやすいファン・ティゾル節の曲。ファンの名前がクレジットされていない(が関係していたはず)「燃える剣」は、しかしもっと野趣あふれるもので、いちばん楽しいんじゃないかな。

 

 

「バキフ」はこれなんだろう?ずっとのちの1964年『極東組曲』を先取りしたみたいなものだよね。1940年代のデュークにこんな曲想はこれ一つだけのはず。これも作曲者がファン・ティゾルになっているんだけど、鮮明なプエルト・リカン・ナンバーではない。ソニー・グリーアがタムで叩くパターンがラテン・タッチではあるけれど。

 

 

ファン・ティゾルがもたらしたエキゾティズムでデュークとビリー・ストレイホーンが刺激されてどっかへ(脳内)旅行しちゃったみたいな、そんな多国籍音楽だよなあ、この「バキフ」。ヴァイオリンのソロを弾いているのがレイ・ナンスで、そのあいだはハンガリアン・ラプソディーみたいでもある。曲のコーダ部における多調性にも驚く。

2018/06/12

日本のニュー・オーリンズ牛深のダンス・グルーヴ

 

 


今2018年3月にリリースされた『牛深ハイヤ節』(Alchemy、アオラ配給)が楽しくてたまらない。踊れる。これ聴いて膝や腰が動かないひとはいないんじゃないかと思う。実際、これに収録されているのはダンス・ミュージックだ。熊本県牛深(牛深市だったが、市町村合併でいまは天草市の一部)で伝えられてきている、船乗りたちの酒盛り踊り。

 

 

CD アルバム『牛深ハイヤ節』は二枚組で、一枚目6トラックが新録の牛深ハイヤ節。二枚目の4トラックは、ラストが1970年代録音のカセットテープ音源らしく、当時のハイヤ節を徳島県鳴門市の民俗音楽愛好家が録音したもの。それ以前の3トラックは、4トラック目の音源を久保田麻琴がリミックスしたものだ。

 

 

ぼくの興味はレア・グルーヴ的扱いのリミックス3トラックにはない。CD2のトラック4は、録音は悪いけれど当時のディープ・グルーヴの生々しさが伝わってくるもので、港町の息遣いまで感じるかのよう。貴重だ。ジックリ聴き比べると、CD1の新録6トラックもまったく同一パターンなので、今日は話題を CD1に絞りたい。音質も極上。

 

 

まったく同一といっても CD1には二種類が収録されている。アップ・ビートのダンス・チューンである「牛深ハイヤ節」と、ダンサブルではありながらゆったりとスローで漂うさざなみのごとき「牛深磯節」。トラック1、3、4、6がハイヤ節で、5が磯節。2はその合体で前半が磯節、後半がハイヤ節。

 

 

その2トラック目「元ハイヤ(加世裏磯節〜牛深ハイヤ節)」は15分以上もあって、曲がチェンジする瞬間の劇的なスリルも刺激的だし、ある意味、アルバム『牛深ハイヤ節』のハイライトなんじゃないかと思っている。しかもどうやら港町である牛深の船乗りたちの宴の様子をよく再現したものらしい。

 

 

これに限らずアルバム『牛深ハイヤ節』収録のものがそのままネットにあるわけないが、しかし民俗伝統のダンス・ミュージックで姿もさほど変えずに継がれてきているもののようなので、YouTube で検索するとほぼ同様のものがいくつも出てくる。『牛深ハイヤ節』収録の「元ハイヤ(加世裏磯節〜牛深ハイヤ節)」は、たとえばこういうのによく似ている。

 

 

 

おわかりのように途中 3:44 で掛け声が入る。「ハイヤ、ハイヤはどこにもあるが、牛深ハイヤが我がハイヤ、さぁ、牛深ハイヤ節、ボチボチいこかい!」と威勢よくやったあとアップ・ビートに変貌し、激しくグルーヴしはじめる。この掛け声の前が磯節で、後がハイヤ節だ。

 

 

この掛け声といい、前後の音楽の様子といい、アルバム『牛深ハイヤ節』収録の「元ハイヤ(加世裏磯節〜牛深ハイヤ節)」も同じなのだ。そっちでの掛け声は  6:35 で入っている。いやあ、しかしこのチェンジする瞬間のスリルには背筋がゾクゾクするよねえ。

 

 

アルバム『牛深ハイヤ節』一枚目収録の5トラック目「牛深磯節」は、そんな前半と同じものだ。下の音源では男性が歌っているが、CD 収録のものは女性の唄い手がメイン。そもそもこの CD はぜんぶそうだ。レスポンス的コーラスも女声メインで、声に華と艶があって、かなり好き。いちおう附属ブックレットにその名前が記されているが、個人名にあまり意味はないと思う。

 

 

 

単独の「牛深ハイヤ節」だと、アルバム『牛深ハイヤ節』一枚目収録の4トラックはぜんぶ同じだから…、と思うけれど、しかし続けて聴くとそのシビれるようなダンス・グルーヴが延々と持続して快感で、トラックの切れ目がどこなのかわからないほどだけど、ただただ楽しい。

 

 

そんなわけでこっちも YouTube に同じような「牛深ハイヤ節」があるので、いくつかご紹介しておく。

 

 

まずこれ。トラディショナル・スタイル。やっているのは高校生だけど、音楽のディープさは同じ。むしろ伝統の姿をしっかり生なままで引き継いでいるんだろう。

 

 

 

これは男性だけど、同じもの。こういうのは「現場」の姿に近いものなのだろうか?

 

 

 

ステージ・エンターテイメント化したものだと、こういう感じ。

 

 

 

さらに、披露された場所は東京だけど、こういうお祭り現場での披露もある。長めの説明が本編前に入っているので、それを聞いてから踊りと音楽に入るのがわかりやすいかも。いやあ、楽しいですね。

 

 

 

ところで突拍子もない話になるけれど、牛深のこういったダンス・ミュージックの伴奏も三味線と太鼓で、「ハイヤ節」でも「磯節」でも、それらが表現するシンコペイションがあるよね。三味線は一定パターンを延々とリピートし、太鼓は裏拍でもよく入る。特に太鼓低音部がそうだけど、そうじゃない部分でもアフター・ビートを強調し、また高音域では(アメリカの)ファンク・ドラミングでいうゴースト・ノーツを入れている。

 

 

その上でリード・ヴォーカルが引っ張って(コール)、後ろが合いの手を入れたりレスポンス的にコーラスで返したりしているよね。んで、日本のダンス・ミュージックやアメリカのやだけでなく、世界の「南部」発祥グルーヴ・ミュージックって、かなり多くがそんな創りになっていると思うんだけど。ボンヤリとそう感じているのだが、ぼくだけの勘違いかなあ。

 

 

牛深ハイヤ節、阿波踊り、佐渡おけさ、ファンク(アメリカ)、ダブケ(レバノンなど中東)、ルンバ、マンボ(キューバ)、サンバ(ブラジル)、コラデイラ(カーボ・ヴェルデ)、センバ(アンゴラ)…、などなど、世界のストレートなダンス・ミュージックを貫く共通項を、はたして見出すことができるのだろうか?それは歌謡系音楽とはどこがどう違っているのか?そんなスケールの大きな話をする能力は、少なくともぼくにはなさそうだ。

2018/06/11

沸騰前夜のネヴィルズ・ライヴ

 

 

ネヴィル・ブラザーズが大人気になってアメリカ国内外で広く認知されるようになったのは、1989年3月リリースのアルバム『イエロー・ムーン』から。その前夜ともいうべき同年2月27日に西海岸サン・フランシスコで行ったライヴを収録した CD 二枚組『オーソライズド・ブートレグ:ウォーフィールド・シアター、サン・フランシスコ、Ca、フェブラリー、27、1989』がすごくいい。Hip-O からのリリースは2010年だった。

 

 

これ以外に三つあるネヴィルズのライヴ・アルバム(『ネヴィライゼイション』『同 II:ライヴ・アット・ティピティーナズ』『ライヴ・オン・プラネット・アース』)と比較しても、断然『オーソライズド・ブートレグ』の内容がすぐれているもんね。これぞ最高のネヴィルズ・ライヴだ。1989年2月27日なら、『イエロー・ムーン』はすでに完成していた。その発表直前なんだから、いちばん脂が乗っていたタイミング。だから充実していてあたりまえではある。

 

 

ところで、この『オーソライズド・ブートレグ』という名のライヴ・アルバム・シリーズは、ほかにもマディ・ウォーターズのとか、いくつかあって僕も持っているが、それらはすべてウォルフガングズ・ヴォールトのアーカイヴからのもの。ってことはつまりビル・グレアム管理のものってことかな?

 

 

ネヴィルズの『オーソライズド・ブートレグ』は、「ファイア・オン・ザ・バイヨー」「ヘイ・パッキ・ウェイ」という、いきなりのセカンド・ライン・ファンク連続攻撃で幕開け。もうこれだけでノック・アウトされてしまう。演奏メンバーはリアル兄弟四人に、ほかは『イエロー・ムーン』を録音したメンツがそっくりそのまま参加している。これは1980年代末当時、アメリカ最高のリズム&ブルーズ〜ファンク・ライヴ・バンドだったよねえ。

 

 

「ファイア・オン・ザ・バイヨー」「ヘイ・パッキ・ウェイ」という、ネヴィルズにとって初期の古典的な楽曲でも、バンド円熟期のサウンドに変貌していることに注目してほしい。サウンドとリズム、そしてヴォーカル陣の歌など、深みと陰影が増し、色彩感が多様になり、しかもグルーヴがより強力になっている。

 

 

5曲目「ウェイク・アップ」が終わり6曲目「ヴードゥー」に入る前に曲紹介のおしゃべりが入り、いまから二週間後にリリースされる予定の新作『イエロー・ムーン』…云々と言っている。この新作からも、それらの曲にくわえ、当然「イエロー・ムーン」をやり、また CD2冒頭に「マイ・ブラッド」「シスター・ローザ」がある。

 

 

『イエロー・ムーン』にはサム・クックやボブ・ディランのカヴァーもあって、上記のオリジナル・ソングとあわせ、かなりメッセージ性の強いアルバムではあった。シスター・ローザとは、公民権運動の旗印みたいだったローザ・パークスのことだしね(モンゴメリー・バス・ボイコット事件)。

 

 

しかしあまりそういうことを意識しすぎないほうがいいのかも。もっとこう、たとえば曲「イエロー・ムーン」でも、このリズムを聴いたらいいんじゃないかな。『オーソライズド・ブートレグ』ヴァージョンでもはっきり出ているが、このパーカッション+ドラムス+ベース+ギターの刻む細かいビートのぶつかり合いは、まさにニュー・オーリンズ音楽だという魅惑的なもので、さすがはアフロ・クリオール文化首都らしいというか、アフリカ〜カリブ(中南米)からもらってきて、この国で花開いたブラック・ミュージックだというのがよくわかる。

 

 

『イエロー・ムーン』からの曲でも、(ミーターズ〜)ネヴィルズ自身の古典曲でも、「ブラザー・ジョン/アイコ・アイコ/ドゥー・ユー・ワナ・ダンス/バナナ・ボート」とか、プロフェッサー・ロングヘアの「ビッグ・チーフ」とかの有名スタンダードにしても、このライヴ・アルバムでのネヴィルズ・ヴァージョンでは、そんな混交文化的で密でコクのあるグルーヴが色濃く表現されているよね。

 

 

そんな感じは、これ以前のネヴィルズにもこんなに強くはなかったし、このあとはライヴ・アルバムのリリースがないし、スタジオ・アルバムでもこの前後、どうだろう?見いだせるのだろうか?僕個人としては、なかなかむずかしいように感じているので、ってことは、だから僕にとっての最高のネヴィルズがこの『オーソライズド・ブートレグ』だということになるのかも。

 

 

しかしながらそれでも、この二枚組の個人的クライマックスは、二枚目後半のロックンロール・メドレーだ。チャック・ベリー、ラリー・ウィリアムズ(ニュー・オーリンズ人)、リトル・リチャード、バディ・ホリーが、速射砲のようにどんどんつながって流れてきて、こ〜りゃ楽しいね。バディ・ホリーだけ白人でほかは黒人だけど、ちょっと聴いてほしい。ネヴィルズはリズム&ブルーズ・フィールというより、あくまでロックンロール・ナンバーとして扱っているように思う。

 

 

ってかまあそれらおんなじもんだから、あんまりそのへん区別しなくてもいいよなあ。『オーソライズド・ブートレグ』ではロックンロール・メドレーはアンコール的な位置付けだけど、それも終わると、もう一回アンコールがあって、定番の「アメイジング・グレイス」とボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」をやる。その最終盤でシンセサイザーが、映画『スター・ウォーズ』のメイン・テーマを弾いているのも個人的ニンマリ事項。

 

2018/06/10

隠しテーマはハービー「ウォーターメロン・マン」? #BlueNoteBoogaloo

 

 

ブルー・ノート・レコーズはこういった自社音源を使ったストリーミング用のプレイリストをたくさん作って公開している。数えるのも面倒くさいが、たしか50個だか70個以上はあったはず。それも2018年6月3日現在ということだから、今後ますます増えるのかも。そのなかにはかなり楽しく興味深いものがある。

 

 

このプレイリストのばあい、あるいは主題はビリー・ヒギンズかもしれないが、「ウォーターメロン・マン」のドラマーだから。どっちにしても隠れてはいないのかな、これだけ鮮明に出ていると。ハービー・ハンコック自身の音源は「カンタループ・アイランド」しか収録されていないけれど、サイド・マンとしてピアノを弾いている曲がいくつもあるし、そんなことじゃなくて、もっとこう本質的に、あの「スイカおとこ」がひとつのブレイクスルーになって、何年か経ってファンキーなソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンク誕生へとつながったかもしれない。そんな道程が見えてきた。

 

 

2018年5月9日の深夜にブルー・ノート・レコーズの Twitterアカウントがアナウンスしてくれた、この『ブルー・ノート・ブーガルー』という会社公式プレイリスト(Apple Music にも Deezer にもある)。ジャズ界において、ハービーの「ウォーターメロン・マン」がどれほどの影響力を持ったのか、その大きな意義をしっかりと教えてくれているよね。ブルー・ノートとしては、リー・モーガンの1964年のヒット・チューン「ザ・サイドワインダー」に続くもの、という説明なんだけれども。

 

 

 

いちおう念のためハービーの「ウォーターメロン・マン」もご紹介しておく。当時最初にヒットしたのはこのハービー・オリジナルではなくって、モンゴ・サンタマリアがカヴァーしたヴァージョンなんだけど、1962年録音発売のハービーのこの曲をラテン・バンドがヒットさせうるという事実じたい、ブルー・ノート・ブーガルー(・ジャズ・ブルーズ)の最初の一例としてあげるべきっていうことなんじゃないのかな。

 

 

 

プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』では、上で書いたように会社公式見解としてリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」(1963年録音64年発売)からはじまっている。それのドラマーもビリー・ヒギンズだぞ。8ビートのリズム・パターンが「ウォーターメロン・マン」に酷似していることにも注意してほしい。バリー・ハリスの弾くピアノ・リフもハービーと同様のパターンだ。

 

 

ところでこっちが主役かもしれないビリー・ヒギンズだけど、この『ブルー・ノート・ブーガルー』では実に多くの曲で叩いている。こういったブーガルー・ジャズ・ブルーズでは、特にスネアの使いかたに特色を出しているよね。8ビートの裏拍でカンカン入れてシンコペイトし、シンバル・レガートでの乗りかたもグルーヴィだ。1960年代前半当時のジャズ界だと、こういったリズムを最も的確に表現できるトップ・ドラマーだったかもしれない。ラテン資質で、ほかにもボサ・ノーヴァふうのものなんかもよくやっているよね。

 

 

話がズレていくかのように見えるかもしれないが、ビリー・ヒギンズのこういうのはファンク・ドラミング(の祖型)だよね。ほんの一例をあげるとジェイムズ・ブラウンの1967年「コールド・スウェット」。この曲が正真正銘のファンク・チューンであることを疑うひとはいないが、ドラマーはクライド・スタブルフィールド。並べてみたのでちょっと聴いてみて。

 

 

 

JB の「コールド・スウェット」は、1968年9月録音のマイルズ・デイヴィス「フルロン・ブラン」(『キリマンジャロの娘』)になっているんだけど、トニー・ウィリアムズのドラミングだけでなく、こういったビート感、グルーヴが、直接には JB から来ているものだとしても、もっと源泉を掘ると、サイド・マンだったハービーの、マイルズ・バンド加入前の一曲に、結局行き着いてしまう。

 

 

どうこれ、この事実?「ウォーターメロン・マン」は、説明不要だがハービー自身が1970年代にファンク・チューン化して再演し、その後もライヴでどんどんやった。そのなかには1991年夏にマイルズと共演したヴァージョンだってある。しかしそもそも1962年のオリジナルが、その60年代当時からリー・モーガンらその他たくさん出現したファンキーなジャズ・ロック(というか今日はブーガルー・ジャズと言うべきか)に受け継がれていたと考えたほうがいいかも。

 

 

あんな叩きかたができるビリー・ヒギンズを起用し、リズム・パターンはブーガルー、というか要はラテン。楽曲形式は(12小節定型ではないが)ブルーズ進行。それでもってハービーは「ウォーターメロン・マン」を書いてクインテットで完成させた。いまこの段落で書いたこの全要素が、翌年録音のリー・モーガン「ザ・サイドワインダー」にも揃っているばかりでなく、プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』のほぼすべての曲にあるじゃないか。

 

 

同一パターンのファンキー・ラテン・ジャズでくくったんだから当然だけどね。でもブルー・ノート公式は、そんなものの先駆に違いないハービーの「ウォーターメロン・マン」は隠した。20曲以上あるこのプレイリストのだいたいすべてがハービーのあのパターンかその発展系で、たとえばピアニストが主にブロック・コードでガンガン叩きながらブーガルー・フレーズであおるのも同じなのに。

 

 

プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』収録曲の一つ一つについて具体的に書く必要は今日はないと思うので書かないのだが、もちろんブルー・ノート・ジャズに限定されたセレクションだから、それ以外の、たとえばファンク・ミュージック・サイドにある音源は入れられない。だけど、上でも JB のことに触れたように、あきらかに連動していたなあ、あのシックスティーズにおいて。

 

 

そう考えると、アメリカ合衆国のジャズでもブルーズでもロックでもファンクでも、「ファンキー」になる最大の要素はラテン、「鍵はラテンにあり!」ということなのかもしれないよね。ラテン・シンコペイションがファンク・グルーヴの大元なのかもしれないね。

 

 

ってことは、ちょっと待って。そのラテン・ミュージックの跳ねるリズムはもともとどこから来たものなのか?とか、表面的にも鮮明なかたちでは1960年代後半(〜70年代)のアメリカ合衆国音楽がああいった同一方向へ傾いたのはどういうことなのか?とか、同時期あたりの北米ラテンとの関係は?とか、う〜ん、妄想がひろがっちゃって、楽しいったらありゃしない。

2018/06/09

夜々のうたかた 〜 サビル

 

 

2017年のアルモニア・ムンディ盤『ザバド:レクーム・デ・ニュイ』。いいジャケットだよなあ。まさに夜々のうたかたというかさざなみというか、そんな雰囲気をよく表現している。だがしかし中身の音楽を「しばし静寂のメロディーに身を委ね」るようなものだと予想していたら、大間違いだった。

 

 

かなり激しいダンス・ミュージックなんだよね、この『ザバド』は。もちろんアルバムの全9トラックのなかにはスタティックなものが複数ある。しかしそれらだって続くハード・ダンス・トラックとメドレー状態になっていて、そのプレリュード的な役割を果たすべく位置付けられているものだ。

 

 

『ザバド』をやっている音楽家はサビルと名乗っている。これの核はデュオ・サビルという文字どおりの二人組ユニットで、二人ともパレスチナ出身のウード奏者とパーカッション奏者。後者はユセフ・ビシチ(Hbesich の読みはこれでいいの?)だから、以前書いた、オック語の詩を歌ったマニュ・テロンらの『シルヴェンテス』でやっていたひとだ。

 

 

この二人にくわえ、最新作の『ザバド』にはブズーキ奏者とダブル・ベース(コントラバス)奏者が全曲で参加している。だからデュオ作品じゃなくてカルテット作品なのだ。ジャケット表にも Duo Sabîl の文字はなく、Sabîl だけ。ゲスト二名をくわえた四人編成のユニット名がサビルってことなんだろう。

 

 

実際、アルバム『ザバド』ではブズーキがかなり活躍している。聴感上の印象ではウードよりも左チャンネルのブズーキのほうが派手に聴こえるもんね。ブズーキのほうが高いという使用音域のせいもあるんだろう。しかしそれだけじゃない。デュオ・サビルの中心メンバーにして、今回も全曲を書いているウードのアハマド・アル・カティブは、ブズーキを活かすような曲創りをしたんだと思えるんだよね。

 

 

それで自らのウードは脇役にまわり、曲や演奏を地道に支えるようになっていて、フロントで目立って弾くのはブズーキなんだ。インプロヴィセイション・パート(がこのアルバムのメイン)でもブズーキ・ソロや、たまにベース・ソロもあったりするが、そのあいだウードは下支えを担っている。もちろんウードのソロが頻繁にあるけれど、そのときの伴奏はパーカッションだけ。

 

 

パーカッションは、ある意味、このアルバム『ザバド』の主役だね。激しいビートを奏で、ブズーキ&ウードで表現するリズムと一体化して、パレスティニアン・フラメンコみたいなものを踊っているんだよね。そう、この『ザバド』のダンス・タイプはフラメンコだと思う。どうしてフラメンコをチョイスしたのかわからないが、あのイベリアのパッションがここにはある。

 

 

静寂トラック(1、4、6、8)はぜんぶ次の曲への道程を示したもの。1と2はパート1とパート2と明記されているし、4と6は5と7で使われているモードを提示したもの。曲名にはっきりそうある。むろん静と動のコントラストみたいな部分でアルバム全体にメリハリがついて、その構成あってこそ63分間があっという間だというのには違いないのだが。

 

 

しかし(僕の耳には)2曲目「Samai Part II」とか、3曲目「"Zabad"」、5「Awalem」、7「Nothern breeze」、10「Afternoon Jam」の、激しくダンサブルで、めくるめくような幻惑的にハードなグルーヴ・チューンにこそ、このカルテットのアルバムの本領があるように聴こえるんだよね。

 

 

それら、アルバムを聴き進むにつれどんどん高揚するので、こっちもどんどん気持ちがノってくる。7曲目「ノーザン・ブリーズ」ではユベール・デュポンのベース・ソロが聴きものだけど、それが終わってウードとブズーキのシンクロ・パートになってからもイイ。

 

 

いちばんすごいのがアルバム・ラスト10曲目の「アフタヌーン・ジャム」で、曲題どおりインプロヴィゼイション・ジャムなんだろう。イントロが終わってグルーヴ・パートになると、パーカッション演奏を土台にベース・ソロに突入。次いでブズーキ、ウード、ブズーキ、ベース、ウード、ブズーキの順でソロが出て、最後はアンサンブルだけど、その間ずっと一定しているが激情的なダンス・ビートが持続している。パーカッションが、というだけでなく、各弦楽器の弾きかたがそうなっているのだ。

 

 

なんだかヘンな比喩かもしれないが、オールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモア・ライヴとか、あのへんの時代のああいったロック・ミュージックにいくつかあるライヴ・アルバムにあったあんな感じを、そのまま時代と地域と楽器を置き換えてスタジオで再現した 〜 (僕には)そんな音楽に聴こたりしないでもない、サビルの『ザバド』なのだった。

2018/06/08

マイルズ・クインテットでくつろいで

 

 

マイルズ・デイヴィスのファースト・レギュラー・クインテットが例のマラソン・セッション(1956/5/11、10/26)でプレスティジに録音したものからレコード・アルバム化された四枚のなかでは、『リラクシン』がいちばん好き。世評の高い『クッキン』は二番手。ほかの二枚は個人的にはそうでもない部分もすこしだけある。

 

 

『リラクシン』の全六曲(AB 面それぞれ三曲ずつ)中、ラストの「ウディン・ユー」(ディジー・ガレスピー作)でだけオープン・ホーンで吹いているが、ほかのはぜんぶハーマン・ミュートを使ってトランペットを吹いているマイルズで、この時期のこのひとの持ち味がとてもわかりやすいからかもなあ。会話がたくさん聴こえるせいかもしれない。バンド五人の一体感もいい。ジョン・コルトレインだけがまだ発展途上だけど、リズム・セクションはすでに文句なし。

 

 

そのコルトレインだって、なぜだか『リラクシン』ではマイルズのいい感じの引き立て役に聴こえ、だからやっぱりクインテットのバンドとしてのトータルな音楽性もなかなかいいんじゃないかなあ。ハーマン・ミュートで配慮の行き届いた繊細さを聴かせるボスのあと、二番手でどうもズケズケと部屋に上がり込んでくるようなザラザラした感じがあれだけど。音量も大きく聴こえるが、これはコロンビアでのアルバムなんかでもそうだから、エンジニアリングのことじゃなく、音の大きいサックス奏者なんだろう。マイルズがこりゃまた音量の小さいひとで。

 

 

トレインが未熟といっても、五月のセッションで録音した5曲目「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」、6曲目「ウディン・ユー」ではたしかにそうだけど、それ以外の十月録音の四曲ではかなり成長しているよね。たった五ヶ月だけど、こんなもんなんだろう。きれいなバラードである2曲目「あなたは僕のすべて」でも吹かせてもらえているが、トレインもなかなか悪くないじゃん。抑制を効かせ、マイルズの絶品リリシズムをこわしていない。

 

 

「ユア・マイ・エヴリシング」では、ポール・チェインバーズの支えかたも見事だ。特にマイルズのソロのあいだのからみかたがすばらしい。ポールのベースはまあアルバム全編でいいんだけど、『リラクシン』で特筆したいのプレイがほかに二つ。4曲目「オレオ」と5曲目「イット・クッド・ハプン・トゥー・ユー」でのベース演奏ぶりだ。

 

 

「オレオ」では、トランペットとサックス・ソロのあいだ、ドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズもピアノのレッド・ガーランドもなしでベースのみで進行する時間が長い。そのぶん、その二人が入ってきた瞬間のスリルと劇的変化がいいんだけど、ベースだけで伴奏している部分での躍動感もすごいものがあるよね。そうだそううだ、トレインのソロは「オレオ」のものがいちばんいいね、このアルバムだと。

 

 

レッド・ガーランドが、トランペットとサックスのソロが終わりかける部分やその他の箇所で頻繁に3・2クラーベのパターンを弾くのも楽しい。そのレッドのピアノ・ソロは低音部を弾く左手だけで組み立てていて、これが壮絶な迫力を生んでいる。そうそう、この曲の作者ソニー・ロリンズとカリブ・ニュアンスは切っても切り離せないが、そのこととクラーベを頻用していることとは関係あるんだろうか?

 

 

5曲目「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」。この演奏ではポールが終始ずっと2/4拍子をベースを弾いている。マイルズは(サッチモと同じだとか言っているが?)オン・ビートで吹くのがわりと好きなひとで、ある時期まで最初と最後のテーマ演奏部はツー・ビートでやり、しかしアド・リブ・ソロに入ると自らのソロでもフォー・ビートに移行するのが常套なんだけどね。しかしこの「あなたの身にも起きるかもよ」ではぜんぶが二拍子だ。どうしてだろう?

 

 

『リラクシン』では1曲目「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」、4曲目「オレオ」に注目が集まりやすく、ときどき玉に露みたいな2曲目「ユア・マイ・エヴリシング」のことも言われるが、本気でリハーサルも事前の音出しもなしの一回テイクで完成しただろうと心から納得できる3曲目「アイ・クッド・ライト・ア・ブック」なんかもすごいよなあ。軽妙だけど重厚で、完成度も高い。

2018/06/07

罪と美

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ヨーロッパ諸国がほかの世界(アメリカ合衆国を含む)を植民地支配したこと。たしかに罪だ。人権蹂躙と迫害、搾取でしかなかった。だけど、世界の大衆音楽のことを考えたら、ちょっと誤解されそうな言いかたをあえてすると、ちょっとした「功績」があった。いや、ちょっとどころじゃない、植民地支配がなかったら、そもそもいろんなポピュラー・ミュージックがいまの姿じゃないし、ばあいによっては誕生すらしていなかったかもしれない。今日のこの文章は植民地主義の肯定ではもちろんないと、念のためお断りしておく。

 

 

言うまでもなく世界にある民俗音楽は違う。その土地土地の伝統に根付き、ずっと長いあいだ共同体内部で引き継がれた音楽(と一体化した諸文化があろうけれども、今日は省略)が演唱され続けてきた。それはある時期にポピュラー・ミュージック化したばあいもあるけれど、そうはならず、いまだに民俗伝統のままのものだってあるはずだ。

 

 

ともかく話題はポピュラー・ミュージックに限定するけれど、そのばあい、世界の音楽の(内的)民俗伝統が、そのままで世界に発信・拡散しうるような(外的)大衆音楽になりえたかどうかは疑わしいように思う。民俗音楽伝統はヨーロッパ人の渡来とは無関係にあったし、植民地支配と独立を経ていまもなおその姿そのものはあまり変わっていないのかどうか、よくわからないが。

 

 

しかしそんな音楽が大衆化する、つまり内的なものではなく、生演奏でもレコードでも商品になって外の世界に拡散し、人気を獲得する、ばあいによってはプロの音楽家がそれで誕生し、ファンが増えて、大規模産業化し(仮想)世界が確立するという 〜 そのきっかけはヨーロッパの植民地支配がもたらした部分もある。

 

 

大きく分けて四つ。楽器とクラシック音楽の体系。キリスト教会の合唱法も入れるべきか。もう一つは文化混交のきっかけをもたらしたこと。楽器はむろん世界に伝統的なものが、地域独自であるけれど、しかもそれがヨーロッパの植民支配とは関係なく各地で交流があって伝播したりしているけれど、ピアノやギター(に似た弦楽器)やフィドル(系の弦楽器)などは、たぶんヨーロッパ人が世界に広めたものだ。植民地に持ち込んだことにより。

 

 

特にギターは世界の大衆音楽を考える際には最重要になってくるキー・インストルメントなので、考えてみないといけない。ギターもおおもとの起源はアフリカにありそうではある。エジプトのネフェルがルーツなのかな。でもそれがそのままのかたちで世界に拡散したわけじゃない。中東地域を経てヨーロッパ、特にイベリア半島で使われるようになってから発展し、現在の姿と演奏法になったと言えるはず。

 

 

南中北アメリカの大衆音楽でもギターが最重要楽器だが、スペインとポルトガルがこのエリアを植民地にしなかったならば、たとえばブラジル音楽がどうなっていたか?アメリカ合衆国の音楽は?ロックなんか誕生すらしなかったのでは?とか、考えてしまう。北米におけるギターはハワイ由来という説が強いが、僕はそれだけか?と疑っている。いままでなんども書いた。過去記事検索が面倒だから今日はリンクを貼らない。ハワイ由来が100%だとしたって、それはポルトガル人が持ち込んだものなんだから、同じことじゃないか。

 

 

世界の大衆音楽でこれだけ重用されているギター。ガット(ナイロン)弦の代わりに金属弦を張ったり、ピックで弦をはじいたり、ピック・アップ・マイクを付けアンプにつないで電気増幅したりするのはヨーロッパ人の発明じゃないだろうが、そもそもアクースティック・ギターがなかったら、それらいっさい存在しえなかったはずだ。直接の伝播はヨーロッパ人によるものだ。

 

 

また、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージックは、基本、ホーン・アンサンブル・ミュージックだが、管楽器はもちろんヨーロッパ古典音楽といっしょに入ってきたものだ。誕生期のニュー・オーリンズ・ジャズ、特にクリオール・ミュージシャンのやるものには、西洋風のエレガンスが鮮明に聴きとれるよね。使う管楽器もそのアンサンブル手法も、ヨーロッパから学んだ。植民地支配されていた時代に。

 

 

そんなアンサンブルの組み立ては西洋クラシック音楽の和声構築法にもとづいているし、コンポーザー/アレンジャーの頭に浮かんだそんなアレンジを効率的に演奏者に伝達するには、五線譜が用いられるのが一般的だ。五線譜は、アラブやトルコの音楽のように西洋のシステムでは成り立っていない音楽でも、伝達手段として最も有用なものとして使われているらしい。

 

 

なにもかもすべてがヨーロッパから来たものなんかじゃない。コーダル・ミュージックを組み立てる際には、やはりどうも西洋古典式がやりやすいみたいなんだけど、世界にはいろんな旋法(モード)があって、それで成り立っていて、それでそのまま大衆音楽化したものだって多い。楽器だって西洋人が持ってきたものじゃないものがけっこうある。

 

 

だから、すべてミクスチャー(混交)だと思うんだよね、大衆音楽はさ。民俗音楽はそこのところ、ある意味、異要素が混じらずピュアに無菌培養されてきた部分がすこしあるのかもしれないし、そういった、なんというか内部の「秘密の」姿こそ称揚され恋い焦がれられてきたものかもしれない。だけど、最終的な僕の最大の関心は大衆の音楽であって、特定内部者だけを想定した閉じた文化じゃない。

 

 

広く一般の大衆、すなわち外部に大きく伝播することにこそ大きな意味がある大衆音楽では、だから世界を西洋諸国が植民地支配をしたせいで、それは罪だっただろうけれど、その成立・発展が可能となった部分だってあるんじゃないかと思うんだ。ひろく一般大衆向けの音楽文化の醸成には不可欠な「メリット」(?)がちょっとはあったかも。放っておいて、そのまま各国各地域で、大衆音楽がいま聴けるようなものとして、自律的に誕生・発展したとは、考えにくいんじゃないかなあ。

 

 

しがたってこう言えるのかも。ヨーロッパが世界を植民地支配したおかげで(現在聴けるようなものとして)大衆音楽は誕生し、おもしろく美しいものになった。罪が美を産んだのだと。

2018/06/06

ヴァンの『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』で聴けるゴスペル風味がいい

 

 

新作リリース・ラッシュが止まらないヴァン・モリスン。ここ数年で三枚か四枚かもっとか、出したよね。これじゃあ僕なんかは追いつけないが、特に印象に強く残る僕好みのアルバムが、昨2017年9月に発売された『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』。

 

 

どうしてかって、これはブルーズ・カヴァー・アルバムだから。以前も言ったけれど、1960年代デビューの英国白人ロッカー勢のやるブルーズのことが僕は大好き。ヴァンの『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』は全15曲だけど、オリジナルは5曲だけで、ほかはぜんぶ有名ブルーズ・ソングのカヴァー。ヴァン自作もそれにあわせた創りになっている。

 

 

アルバムの全15曲のなかには楽曲形式として12小節定型じゃないものもあるのだが、まあだいたいどれもブルーズとしていいんじゃないかな。しかもかなりジャズ寄りになっているものや、ゴスペル・タッチなもの、ゴスペル・ソングそのもの、リズム&ブルーズ楽曲や、ソウル・ナンバーや…、うんまあ要はそういうことだ。ヴァンは2017年秋にもう一回そういう方へ向いた。

 

 

だから僕にもみなさんにも、説明など本当は無用だ。僕なんかはこういった音楽が最高に気持ちいい。しかしながら、個人的にアルバム『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』でいちばんグッと来るのはゴスペル・(タッチ・)ナンバー三曲だ。一つは10曲目のシスター・ロゼッタ・サープ「ハウ・ファー・フロム・ガッド」。これはわかりやすい。

 

 

二つめはヴァンの自作で、2曲目の「トランスフォーメイション」。正確に言えばゴスペル・フィールの自作ポップ・ソングだけど、ちょっと聴いてみて。このフィーリング、あれに似ているって思わない?そう、ロッド・ステュワートが歌ったヴァージョンの「ピープル・ゲット・レディ」だ。そしてヴァンのこの「トランスフォーメイション」のギターもそれと同じジェフ・ベックなんだ。

 

 

「トランスフォーメイション」では、ヴァンの曲創りじたい、インプレッションズ時代のカーティス・メイフィールドを意識したというか、これはわりとはっきりしたオマージュなんじゃないかと僕は感じる。ジェフ・ベックはアルバム『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』でたくさん弾いているので、この曲だけの特別扱いじゃない。

 

 

三つめは13曲目、モーズ・アリスンの「ベネディクション」。だからこれも厳密には黒人宗教歌じゃないのだが、これもはっきりしたゴスペル・フィールがあるよね。というか、歌詞だってなんだってこの曲はだいたいゴスペル・ソングみたいなもんだ。グイグイ進むこの強靭なビートもアメリカ黒人教会のもの。モダンなマス・クワイア的な雰囲気すらあると思うけど。

 

 

「ハウ・ファー・フロム・ガッド」にしても「トランスフォーメイション」にしても「ベネディクション」にしても、歌詞がそうだっていうのもあるけれど、ゴスペル・ソングが本来持っているこういった前向きの肯定感、先々への希望がサウンドに表れているのが、僕の最も好きなところ。だから、ゴスペルというジャンル全体が(一部を除き)そもそも好きだ。

 

 

ところで、『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』では本当に大活躍のジェフ・ベック(2、3、4、8、9)で、かつて1960年代にヤードバーズで活躍した三人のギタリストのうち、いまだに現役感のあるのはジェフ・ベックだけじゃないかと思う。みずみずしいけれど、同時に味わい深いギター・サウンド。フレイジングもそうだけど、この音色だよなあ。まろやかでコクのあるこんなギター・サウンドがいい。やわらかくて、心地いい。

 

 

4曲目のメドレー「ストーミー・マンデイ/ロンリー・アヴェニュー」とか、サム・クックの8「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」、ヴァン自作の9「オーディナリー・ピープル」、ジェフ・ベックは弾かないがこれも T・ボーン・ウォーカーの14「ミーン・オールド・ワールド」とかも、いい味だ。ヴァンは決してうまい歌手じゃないけれど、ブルージーで滋味深い声で聴き惚れる。

 

 

個人的懸案は5曲目「ゴーイン・トゥ・シカゴ」。カウント・ベイシー楽団でジミー・ラッシングが歌ったのがオリジナルのジャズ・ブルーズ。しかし、ヴァン好きのブロガー Astral さんもおっしゃっているように、ヴァンが歌う主旋律は一分以上経たないと出てこない。そこはラッシングの歌ったそのままだ。

 

 

 

その前の約一分間はジョージー・フェイムが歌っている。その部分ぜんぶは、カウント・ベイシー楽団でジミー・ラッシングがやったふつうの「ゴーイン・トゥ・シカゴ」にはない。ベイシー楽団がやったどれかのヴァージョンで聴ける楽器演奏部分をヴォーカリーズしてあるんだよなあ、きっと。Astral さんの推察は上のリンク先で読める。

 

 

僕自身はといえば、探してみたものの『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』でジョージー・フェイムが歌っているラインの由来がどこなのか、ベイシー楽団のどのヴァージョンの「ゴーイン・トゥ・シカゴ」なのか、結局正確なことはつきとめられなかった。Astral さんにお約束したようなかたちになっているので、ゴメンナサイ。

 

 

「ゴーイン・トゥ・シカゴ・ブルーズ」。オリジナルはこの1939年2月13日録音で、当時は発売されず。初出は1952年発売のコロンビア盤10インチ LP 収録。歌はもちろんジミー・ラッシング。現在は CD 四枚組ボックス『アメリカズ #1 バンド:ザ・コロンビア・イヤーズ』(2003)の一枚目に入っている。

 

 

 

以下は1941年4月10日録音。ヴァンのヴァージョンでジョージー・フェイムが歌うヴォーカリーズ・パートの元楽器演奏の一部が出現した最初のものじゃないかと思う。やはりジミー・ラッシングが歌っていて、同じ四枚組の三枚目に収録されている。これは当時オーケー盤 SP で発売された。

 

 

 

また、ベイシー楽団でジョー・ウィリアムズとジミー・ラッシングがライヴ共演した、こういう「ゴーイン・トゥ・シカゴ」もあるので、いちおうご紹介だけさせていただきます。

 

 

 

また初演歌手ジミー・ラッシングの得意レパートリーになったので、ベイシー楽団とは無関係に彼自身、後年まで「ゴーイン・トゥ・シカゴ」は歌っている。スタジオ録音もヴァンガード盤に収録されているよね。くつろいだフィーリングで、僕は好き。

 

 

 

アルバム『ロール・ウィズ・ザ・パンチズ』は、二つめのボ・ディドリー・ナンバー「ライド・オン・ジョゼフィン」で幕を閉じる。ヴァンもいわゆるボ・ディドリー・ビート(aka 3・2クラーベ、その他)を使って、賑やかにやっている。いやあ、楽しくてウキウキしますね〜。

2018/06/05

楽しいね、マンハッタン・トランスファー

 

 

Spotify で聴けるマンハッタン・トランスファー入門というと、この『アンソロジー:ダウン・イン・ザ・バードランド』になる。1992年のライノ盤二枚組。僕はこれをフィジカルでは持っていない。僕の持つこのヴォーカル・グループの CD アンソロジーは2008年のライノ盤二枚組『ザ・ディフィニティヴ・ポップ・コレクション』だ。

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どっちでもいい。だいたい同じような内容なんだから。みなさんとシェアできたほうがいいので、(自分ではフィジカルを)持っていないが、今日は『アンソロジー:ダウン・イン・ザ・バードランド』に沿って話を進めたい。

 

 

ところで同様の内容だとはいえ、『ザ・ディフィニティヴ・ポップ・コレクション』は曲のリリース順に並んでいるので、マンハッタン・トランスファーの変遷はわかりやすい。『アンソロジー:ダウン・イン・ザ・バードランド』のほうは聴いて楽しめるように並べた、ってことかなあ。一枚目と二枚目のラストがそれぞれ「トワイライト・ゾーン/トワイライト・トーン」と「バードランド」になっているのはわかりやすい。

 

 

やっぱりこの二曲こそがマンハッタン・トランスファーのシグネチャーってことなんだね。それで間違っていない。だからいいんだけど、以前から数回繰り返してきているが、昨日書いたキャッツ&ザ・フィドルとか、嚆矢だったミルズ・ブラザーズとかインク・スポッツ、また1930年代にたくさんあったジャイヴ・ヴォーカル・グループとか、第二次大戦後のドゥー・ワップ・グループなど 〜〜 そういったあたりを1970年代に復興したのがマンハッタン・トランスファーだってことを言いたいんだ。それが僕の見方。

 

 

ヴォーカリーズ路線もあるんだけど、それでもってやったジョー・ザヴィヌルの「バードランド」(歌詞はジョン・ヘンドリクスがあつらえた)がヒットして、ウェザー・リポートと共演する機会もあったけれど、あくまで僕の個人的な考えでは、すこし別なところに力点を置きたい。別ではないのかもしれない。ヴォーカリーズ手法は、ジャイヴ・ヴォーカルと一体だから。

 

 

『アンソロジー:ダウン・イン・ザ・バードランド』にも、古い(ジャイヴ・)ヴォーカル・ナンバーや、第二次大戦後にドゥー・ワップ・グループなどで歌われた曲や、新しいものでもジャジーなポップ・コーラス・ソングがたくさんあることにお気づきのはず。一枚目にある「トリックル・トリックル」「グローリア」「ハーツ・ディザイアー」「ジャーヴァ・ジャイヴ」「キャンディ」などなど。

 

 

マンハッタン・トランスファーはジャイヴ・ヴォーカルそのものはあまりやらない。ナンセンス・シラブルでわっ〜わ〜っとかどぅ〜わ〜っとか、そんなに頻繁には歌わないよね。キャブ・キャロウェイが大流行させ、その後の少人数ジャイヴ・バンドに引き継がれたああいったやりかたはあまりしない。ほぼいつもきれいな意味のある歌詞を歌う。

 

 

だけど、1970年代にジャズ界隈で本格デビューしたヴォーカル・グループとしては、かなり珍しいポップさと、一種の猥雑さ(があるかどうかはひとによって判断が分かれるかもだけど)というか、ユーモラスでコケティッシュな味があって、決してシリアス一直線ではないおふざけフィーリングを聴きとることができると、僕は思うんだけどね。そこが好き。

 

 

なかでも一枚目収録の「ジャーヴァ・ジャイヴ」がいい。インク・スポッツのヒット曲(1941)だけど、これを1975年にふたたびとりあげて、しかもこの冒頭のギターのパターンはインク・スポッツ・ヴァージョンをそのままやって、これはたんなるコーヒーLOVEを綴っただけの他愛のない歌詞で、しかも架空の日本人スパイ(ミスター・モト)も登場し、作詞の1940年当時のスラングもそのまま使って 〜〜 そんなこんなで再演しているのが、僕にはスペシャルなんだ。インク・スポッツのあのフィーリングも表現できている。

 

 

『アンソロジー:ダウン・イン・ザ・バードランド』二枚目収録の、デビュー・シングルだった「タキシード・ジャンクション」。アースキン・ホーキンズ楽団の曲(1939)だけど、マンハッタン・トランスファーは翌1940年のグレン・ミラー楽団ヴァージョンを下敷きにしている。これは早くから歌詞がついたので、いわゆるヴォーカリーズとは違う。1975年のマンハッタン・トランスファーは、あの1930年代末ごろのあんなビッグ・バンド・スウィングを再現できているよね。

 

 

1970年代以後の時代の感覚に合うようにモダンにアップデートしてあるかどうかは、僕にはよくわからない。たんなるレトロ趣味なだけかもしれないが、マンハッタン・トランスファーがあれだけ支持を集め人気ヴォーカル・カルテットになることができて、メンバー変更してなお2018年現在も存続していることを考えれば、いまでもウケる現代感覚があるのか、あるいは<あの時代>のあんなジャイヴィー・スウィングは、そのままやれば、いまも楽しい、おもしろい、たんにきれいだから、ということなのか、どうだろう?

 

 

三巻ある大部な『ザ・ドゥー・ワップ・ボックス』にだって収録されているマンハッタン・トランスファーだけど、このグループのやるドゥー・ワップ・ソングのことについて書いておく余裕がもうないね。ヴォーカリーズ・ナンバーだってラテンだって楽しいマンハッタン・トランスファーなんだけど。また別の機会に。あっ、このグループ名の由来がアメリカ人小説家ジョン・ドス・パソスの同名長編から来ていることの意味が書けなかった。

2018/06/04

スウィングするのに歳はない 〜 キャッツ&ザ・フィドル

 

 

キャッツ&ザ・フィドルの録音集は二種類ある。原盤はぜんぶブルーバード(ヴィクター系)。リリース年の早い順に、ドイツの DEE-Jay 盤三枚(1999)と、英国 Acrobat 盤三枚(2007〜2015)。多くのみなさんがディー・ジェイ盤で親しんできたと思うんだけど、Spotify にあるものはアクロバット盤を使っている。メリットはクロノロジカルに並んでいること。そんなこともあるので、両方持っている僕も、今日はアクロバット盤に沿って話を進めたい。ディー・ジェイ盤のルックスはこんな感じ。

 

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1930年代には本当にたくさんあったジャイヴ・ヴォーカル・グループ(楽器はストリング・バンド編成のことも多い)。きっかけはたぶんミルズ・ブラザーズとインク・スポッツがヒットを出したからじゃないかと思うんだけど、いままでこのブログでもなんどか触れてきた。ホ〜ント楽しいもんね。

 

 

キャッツ&ザ・フィドルのばあいは最初四人編成で、ギター二本(オースティン・パウエル、ジミー・ヘンダスン)+ティプレ(アーニー・プライス)+ベース(チャック・バークスデイル)。それぞれもちろんヴォーカルも担当している。このカルテットでの初録音は1939年6月27日で、同年12月7日にも録音し、その二回の計16曲がアクロバット盤の一枚目だ。上のプレイリストで「ジャスト・ア・ローマー」まで。

 

 

1940年になってギターの一名が交代しても音楽性に変化はなかったが、1941年1月20日録音からタイニー・グライムズが参加。ピアノ奏者が弾く曲も出るようになって、サウンドがすこし変化した。それが「アイル・オールウィズ・ラヴ・ユー・ジャスト・ザ・セイム」からで、1941年10月10日の「ストンプ、ストンプ」までがアクロバット盤の CD2。

 

 

はっきり言ってキャッツ&ザ・フィドルはここまででいいのかもしれない。CD3も上のプレイリストにくわえておいたが、スウィング感もすこし弱くなりかけているんじゃないかなあ。同じ曲の再演もあったりして、どうもあまり聴きごたえがないと僕は感じる。

 

 

さらに言えば、タイニー・グライムズが有名なおかげでキャッツ&ザ・フィドルも彼が在籍したことで知られているのかな?という面もあって、そこに注目が集まっているのかもしれないが、あまり関係ないのだ。お聴きになっておわかりのようにタイニーの参加前から同じフィーリングのジャイヴィ・スウィングをやっているし、どっちかというとタイニーが参加してイマイチになったということがあるかもよ。エレキ・ギターを弾いているから印象も違っている。

 

 

しかしそれでもジャイヴ・ヴォーカルの味は変化していない。楽器サウンドよりもそっちのほうが聴きものである音楽なので、それが失われていないあいだは文句なしに楽しい。いちおう意味のある歌詞のついた主旋律があるけれど、ナンセンス・シラブルも乱発するし、メイン・ヴォーカリストの背後でどぅーわっ、ぶわぶわ、しゅわ〜しゅわ〜っとか、スキャット的にコーラスを入れているのが最大の妙味なのだ。楽しい、おもしろい、最高に。

 

 

楽器ではなくそのスキャット的バック・コーラスこそがバンドのリズムを創っていると言ってもさしつかえない。アップ・テンポの陽気な曲では跳ねまわり、ミドル・テンポのスウィンガーでは軽妙愉快に、バラードやトーチ・ソングではしっとりと情感をたたえるように、ジャイヴ・コーラスがリズムとサウンドの中核をかたちづくっている。

 

 

「ナッツ・トゥ・ユー」「キリング・ジャイヴ」「ギャングバスターズ」「ウィ・キャッツ・ウィル・スウィング・フォー・ユー」「ミスター・リズム・マン」みたいなものは言うことなき楽しさで愉快でいいよね。

 

 

だけど、「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー・ナウ」「ティル・ザ・デイ・アイ・ダイ」「アイド・ラザー・ドリンク・マディ・ウォーター」「アイ・ミス・ユー・ソー」「レフト・ウィズ・ザ・ソート・オヴ・ユー」なんかはもっと印象深いと思うなあ。

 

 

特に「アイ・ミス・ユー・ソー」だね。しんみり沁みてきて哀しく切ない。しかも暖かい。キャッツ&ザ・フィドルにとっても最大のヒットになったこの曲の味がすばらしいよね。この歌は、ジャズ〜ジャイヴ〜リズム&ブルーズ〜ドゥー・ワップをつなぎ一線上に置く重要な一曲だ。実際、この曲も後年のドゥー・ワップ・グループがカヴァーしたのだった。クリス・コナーみたいなジャズ歌手や、またポール・アンカだってカヴァーしたよ。ダイアナ・クラールだってやっているんだ。

 

 

 

 

 

 

2018/06/03

美咲の色艶(2)

 

 

情報量がメチャメチャ多い『岩佐美咲コンサート2018 〜演歌で伝える未来のカタチ〜』だから、一度では書ききれなかったのだ。それで(1)では書けなかったことをすこし補足しておきたい。続編だけど、もちろん岩佐美咲の歌声の色艶という部分にもっと分け入って、細部を顕微鏡で見るように拡大するだけなんだけど。したがって言いたいことの本質は変わっていない。自分自身のためのメモだ。

 

 

ところで美咲のオリジナル楽曲七つ(2018年6月現在)って、最新の「佐渡の鬼太鼓」が強く激しい女の決意みたいなものを示した内容で、曲調は濃厚演歌だ。それ以前の六つはすべてしっとりした別れ歌ばかり。男との別離を忘れるためにはどうしたらいいか、こうして忘れよう、旅に出よう、これに入れ込めば忘れられるか?みたいな内容ばかりだなあ。これは、演歌とはこういった世界だというだけのことだろうか?

 

 

でも唯一例外がある。「初酒」だ。この曲だけはズンドコ調に乗せて、前向きの人生肯定感を強く打ち出した内容。だからなのか、美咲のためのオリジナル曲のなかでは余計に一層際立っている。ほかの五曲はすべて孤独と寂寥をテーマにしたものだから、「だれかがそばにいる、やさしさ身に沁みる」(二番)と歌う美咲の声がいっそう心に響いてくるよね。

 

 

そんな「初酒」で幕開けする『岩佐美咲コンサート2018 』。思い出してほしい、2016年1月30日のファースト・コンサートを収録した一枚目の DVD(or Blu-ray)『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』でも「初酒」がオープニングだったことを。比較すれば、美咲の著しい成長がとてもよくわかる。

 

 

『岩佐美咲ファーストコンサート』出だしの「初酒」では、まず幕開けでせり上がってくるところであきらかに強く緊張しているのと不安が見てとれた。そのせいで半泣き状態だしね。歌いはじめてからも、いま聴きかえすと、やや不安定だった、歌唱の幼さがあったと言ったほうがいいのかもしれない。すべて、おそらくは人生初のソロ・コンサート幕開けだったためだろう。

 

 

それから約二年が経過。二年あればこの世界では急激な成長を成し遂げうるとは思うけれど、それにしても、2018年2月4日を収録した『岩佐美咲コンサート2018』幕開けでの「初酒」はものすごい変貌ぶりだ。もはや別の曲に生まれ変わったとさえ言いたいくらい。

 

 

『岩佐美咲コンサート2018』での美咲は、登場した瞬間から余裕たっぷり。立ち姿、顔の表情など、なにもかもが大人の女性になっている。ファースト・コンサートの幕開けでは、目に涙を浮かべながら体を細かく震わせて落ち着かない様子の美咲だったが(数曲歌ってそれは消えているのだが)、四回目のコンサートで、そんな部分は完全に消滅した。脱皮・成長を遂げた。

 

 

白地ベースの和服の着こなしも見事に、顔に余裕の明るい笑みを浮かべ観客に手を振って、さぁ、「初酒」を歌い出したら、微塵も揺るがないその声の安定感、伸び、艶にノック・アウトされるしかない。なんだこれは?!なんなんだこの違いは!これがあの美咲なのか?!これがあの「初酒」なのか?!こんな「初酒」、聴いたことないぞ!

 

 

しかも「初酒」での美咲は、声を自在に操って、豊かな色彩感を持たせ、三種類くらいの異なる声の色を使い分けて歌いこなしているんだよね。これは「初酒」でだけのことじゃない。『岩佐美咲コンサート2018』では、最重要曲と僕が位置付けている一つを除くすべての抒情歌謡曲で同じ歌い分けを、一曲のなかで、やっているんだよね。

 

 

「初酒」に限定すると、(1)スッと伸びるナチュラルでスムースで可愛い声、(2)強く張り、ややドスを効かせ気味の(世間でのいわゆる "演歌調”)発声、(3)この二つとも違う、フワッとやさしくそっと言葉をそこに、聴き手の心に置いてくれるようなフェザー・タッチ、(4)フレーズ末尾で消え入りつつ軽くヴィブラートを効かせて伸ばす声。だから、三つじゃなくて四種類か、それを歌詞とメロディと曲調の変化するその箇所箇所で使い分け、歌唱表現に深みと広がりを持たせているんだよね。

 

 

出だしの「生きてりゃいろいろとつらいこともあるさ、心の荷をおろし、ここらでひとやすみ」までは可愛らしいチャーミングな声で、しかしそれもいままでとは違う深みと丸み、セクシーさをそこに混ぜながら、ストレートに歌っている。その次の「我慢しなくていいんだよ」ではちょっぴりだけ演歌調のドスを効かせるように声を変えている。しかし、その最後の「よ」だけ違っているんだぞ。そこだけ声を変え、軽く抜いている。

 

 

「我慢しなくていいんだ」までは、まるで言い聞かせるように強い演歌調の声で歌っているのだが、その次の「よ」。ちょうどあれだあれ、親や教師が子供に説教するときに強い語調でしゃべったあと、最後の最後にやさしくそっと抜くようなやさしい声で一つささやきかけて、相手の心を溶かす瞬間があるでしょ、それとこの日の「初酒」の「よ」は同じ。声を抜いて、フワっと僕の心に触れてきた。「我慢しなくていいんだ、よ」。

 

 

1コーラスめ最後の「酔って、酔ってみようかぁ〜」部分では軽くヴィブラートを効かせつつ、しかしスムースにスッと声を弱くしていって自然に消え入るんだよね。その部分はまた声の種類が違うんだ。2コーラスめの歌い出し「だれかがそばにいる、やさしさ身に沁みる」では、声の色艶が一層グンと増していて、この歌詞の持つ意味をクッキリと描き出している。「しわわせ、ふしあわせ」の最後の「せ」だけまた色が違う。しかも「しわわせ、ふしあわせ」部分の声の深み、凄みがハンパじゃない。

 

 

「かっこ悪くていいんだ、よ」の歌いかたは、上で書いた「我慢しなくていいんだ、よ」部分と同じ。曲最終盤の「やるぅ〜か〜」は、その直前の「二人、二人で〜」からいったん間をおいて音が止まってから歌うんだけど、やはり声の色と質を変えて、それでコーダのようにして歌っているんだよね。そのまま軽くナチュラルなヴィブラート付きで伸ばし、消え入っている。

 

 

いやあ、すごいね、こんな「初酒」。しかもこの曲は、上で書いたが<明日>へ向けての希望を歌う肯定歌だ。絶望と孤独を歌ったものじゃない。美咲のオリジナル楽曲のなかでは異質なものかもしれないし、「初酒」にここまで入れ込む美咲ファンは少ないのかもしれないが、『岩佐美咲コンサート2018』のオープニングに持ってきているのは、個人的には大正解。

 

 

『岩佐美咲コンサート2018』。こんな調子でほかの六つの美咲オリジナルや、いろんなカヴァー曲のことを書いていくとキリがない。同様の多彩な変化を美咲の声と歌に聴きとることができるので、Blu-ray、DVD で再確認していただきたい。「佐渡の鬼太鼓」以前の六曲でも、美咲の大きな成長を間違いなく聴きとれるはず。それで過去のヴァージョンを聴きかえし比較すると、物足りなく感じるんだよね。僕はそうだった。最新ヴァージョンでは、特に声の張りや伸びに艶があり、節まわしも大人びている。フレーズ終わりや曲終わりで消え入るあたりでの様子が特にすばらしい。

 

 

新作 DVD 4曲目の「風の盆恋歌」(石川さゆり)。これこそこの映像作品で個人的最重要曲と位置付けているものだ。演歌など抒情歌謡レパートリのなかでは、これを歌うときでだけ、美咲は声をいっさい変えず、一曲を一種類の声で通している。なかにし礼の書いた歌詞内容は相当パッショネイトだけど、三木たかしの書いたメロディが淡々としているためだろうか。大人の情緒というべきか。それに合わせるため、美咲は声を変えていないんだと思う。

 

 

そして強調したいことは、『岩佐美咲コンサート2018』ぜんぶのなかで、「風の盆恋歌」における声質がいちばん色っぽい。セクシーだ。むろんそんな歌詞だからそれを表現せんとしてそうなっているんだろうけれど、こんな声でこんな内容を歌える歌手にまで美咲がなった、成長した、大人になったということがとってもよくわかり、絶賛したい気分だ。

 

 

昨日書いたばかりでくどくなるけれど、新録のはずだからもっと上達している美咲の「風の盆恋歌」が、来たる8月8日リリース予定のシングル CD「佐渡の鬼太鼓」特別盤タイプCに収録されるんですよ!これはぜひみなさんに聴いていただきたいと思います。

2018/06/02

美咲の色艶 〜『岩佐美咲コンサート2018』

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DVD https://www.amazon.co.jp//dp/B07B16RGKL/

 

 

 

あの日の岩佐美咲ってこんな艶っぽい声を出してましたっけ?いままでに CD でも DVD でも作品化されているものよりもはるかにずっとセクシーさを増しているのはもちろん、2018年2月4日の恵比寿で生体験したときにも、鈍感な僕は気づいていなかった。いやあ、すばらしい、ここまで成長していたんだね。それを新作映像作品での美咲の歌で痛感した。

 

 

ついこないだ五月下旬に発売されたばかりの美咲の新作『岩佐美咲コンサート2018 〜演歌で伝える未来のカタチ〜』は、あの日の恵比寿ガーデンホールの第二部公演(夜)から収録されている。曲間などが編集されているのはもちろん、残念ながら曲そのものがカットされているものもある。そのあたりは、わさ友であるわいるどさんのブログに詳しいので、ぜひそちらをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

アルバム『岩佐美咲コンサート2018』では、1曲目「初酒」から8曲目「無人駅」までぜんぶ濃いめの抒情演歌で、それが終わったらラウンド・コーナー(美咲が客席をまわり写メにおさまりながら歌う)に突入し、そこではふつうのポップ・ソングが披露されている。その後、弾き語りコーナーになって二曲。その次からはふたたび演歌パートになって、アンコール三曲まで含めぜんぶ(演歌に分類されないものも含め)濃厚でしっとりした抒情歌謡なので、当日のコンサートや作品化された『岩佐美咲コンサート2018』が美咲のどんな姿を描いているのか、明白なように思う。

 

 

端的に言えば、大人の色香を漂わせる艶っぽい女性歌手としての美咲こそ、『岩佐美咲コンサート2018』が表現しているものだ。それは製作者側の目論見だというだけでなく、主役である美咲自身がそういった方向へと成長・脱皮しているからこそってことじゃないかな。当日の現場ではイマイチ気づかなかった僕だけど DVD で確認し、美咲の声そのもの持つセクシーさにすこし驚いてしまったのだ。ここまで大人になっているなんて。いやあ、降参です。

 

 

それはあらゆるところに聴きとることができる。『岩佐美咲コンサート2018』で初作品化された楽曲、たとえば「火の国の女」(坂本冬美)、「風の盆恋歌」(石川さゆり)、「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)などでもそうだけど、オリジナル曲でも既発のカヴァー曲でも、美咲の声の出しかたと節まわしが変化していて、色艶があるよね。

 

 

オープニングの「初酒」からしてすでに、アルバムで流れてきた瞬間に、美咲、なんて成長したんだ!こんなに大人っぽい歌いかたはいままでしていなかったはずだ、オリジナル・スタジオ録音はもちろん、三枚ある DVD でもここまで深い表現はしていなかった!と痛感したのだ。

 

 

いままでとは声そのものが違っているんだよね。厚みと丸みのある声がスッと伸びて、しかしナチュラルなスムースさは失っておらず、それらをワンネスとして共存させている。ワン・フレーズ、ワン・フレーズ丁寧に歌い込むその発声に艶があるが、特にフレーズ終わりで消えていく瞬間にそれを強く感じることができる。2コーラスめ冒頭の「♩だれかがそばにいる〜♫」「♩しあわせ、ふしあわせ〜♫」なんかもすんごいよね。最後の「♩やるぅ〜かぁ〜♫」部分の伸びと艶がいい!

 

 

こんな「初酒」で幕開けするもんだから、『岩佐美咲コンサート2018』全編に対する期待が大きくふくらむが、その後の美咲は、そんな期待値のずっと上空を飛翔する歌を聴かせてくれるのだった。オリジナル曲なら2曲目の「ごめんね東京」もそうだけど、もっといいぞと個人的に感じるのが本編ラストの「もしも私が空に住んでいたら」から、アンコール三曲だ。

 

 

もう〜、おんなじ表現ばかりだが、それら四曲での美咲の声の伸びと張りと艶、全体的歌唱表現としての深みと凄みが増しているところなど、いやあ〜、すごいね。「もしも私が空に住んでいたら」なんか、こんなすごい曲だと、ここまでの名曲だと、作品化された『岩佐美咲コンサート2018』ヴァージョンで実感した。しかもこの「もし空」だと、凄みのある部分と可愛らしくやさしい部分とのメリハリ、緩急も見事だ。安定感も図抜けている。

 

 

しかも発音が一層明瞭になっているよね。言葉をひとことひとこと、細かく丁寧にしっかり歌っている。たとえば「もし空」2コーラスめの「手に入れたものは偽名と孤独」の「偽名」の「ぎ」。これが「ぎ」であることは、実を言うといままでのヴァージョンではイマイチ鮮明ではなく、「偽名」と歌っているというのは音だけでははっきりしなかったので、それが「ぎ」であることを、僕は歌詞カードで確認した。

 

 

しかし『岩佐美咲コンサート2018』ヴァージョンの「もし空」では、その「ぎ」も音だけではっきり聴きとれる。フレーズ、フレーズの終わりごとの消え入るところでも、スーッと声を張り伸ばし、そこに中庸なセクシーさや適度な情緒がこもっていて、言葉をとても大切に扱っているなとわかる。伴奏への乗りかたも絶妙さを増している。

 

 

アンコール部に入って、1曲目の「佐渡の鬼太鼓」は、そんな美咲の成長を活かすべく用意された新曲だったのだ。1コーラスめラストの「♪あぁ〜、海も騒ぐぅ〜♬」なんか、いいよねえ。いや、そんな部分が随所にある。これ、聴衆の前での初披露だったんだけど、う〜ん、すごいね。すでに完成されている。がしかし、今年この新曲を繰り返し歌い込むことで、もっといい曲になっていくはずだから、おそろしい。

 

 

アンコール2曲目「鞆の浦慕情」、3曲目「鯖街道」も、そんな「佐渡の鬼太鼓」路線の楽曲に生まれ変わっているんだよね。伴奏はいままでと同じだから、違っているのは美咲の声と歌いかただ。僕は特に「鞆の浦慕情」の変貌に目を見張ったのだった。『岩佐美咲コンサート2018』で聴ける美咲のオリジナル楽曲(は七つぜんぶある)では、「鞆の浦慕情」にいちばん強い感銘を抱いた。これを聴いちゃうと、いままでに作品化されているライヴ・ヴァージョン三つでも物足りないと感じてしまう。声がね、安定しているんだよ。伸びやかで艶っぽい。

 

 

そんなふうに完全脱皮した美咲の歌唱は既存のカヴァー曲でも同じで、いままでとはかなり様子が違っている。DVD 後半にある「わたしの城下町」「空港」(後者の発売はこのコンサート当日よりもあとだったが)なども、しっとり抒情派歌手としての美咲を見事に表現している。そのあいだにはさまってある「グッド・バイ・マイ・ラブ」も、どっちかというとテレサ・テン・ヴァージョンに寄せてきているしね。

 

 

アルバム『岩佐美咲コンサート2018』前半にあるカヴァー曲なら、既存のものでも初披露のものでも、もっとすごいなと僕は感じるんだよね。すなわち「火の国の女」から「北の宿から」までの五曲。このパートがこのアルバムの個人的クライマックスだ。選曲も歌唱も、新曲「佐渡の鬼太鼓」の路線、傾向、変化にあわせてきている。

 

 

特に石川さゆりの「風の盆恋歌」がすばらしすぎる。2018年2月4日の昼夜二回とも歌われたこの曲は、僕だけじゃなくてファンのあいだで最も評価が高かったもので、いやあ〜、たまりませんこんな歌。詞が最高に泣けるものだけれど、それをしっとり度満点の濃厚な色艶を匂わせて、同時に激しいパッションを表現しながら、大人の歌手(しか歌えない内容だ、この曲は)へと大きく成長した美咲が完璧な歌を聴かせているよね。

 

 

あの日、現場でボロ泣きし、DVD で聴いて僕はまた泣いちゃった美咲の「風の盆恋歌」。来る8月8日に発売予定の CD シングル「佐渡の鬼太鼓」特別盤のタイプCに収録されると決定したことが公式アナウンスされている。2018.2.4のライヴ・ヴァージョンはこうして発売されているから、八月発売予定なのはたぶん新録なんじゃないかな。超楽しみだ!

2018/06/01

マイルズと白人たち

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マイルズ・デイヴィス。ときどき逆人種差別なのか?と受け取られかねないほどの白人に対する発言があったりもするけれど、こと音楽にかんしてはまったくその種の偏見がなかった。それどころか、むしろどんどん白人(など)を積極的に起用したほうだよね。黒人ミュージシャンについても「黒人だからスウィングするとかなんとかいうのは大間違い」と(いう意味のことを)明言している。

 

 

マイルズの音楽生涯を大きく変貌させたとまでいえる白人音楽家は四人。ギル・エヴァンズ、ビル・エヴァンズ、ジョー・ザヴィヌル、テオ・マセロだ。このうち、テオが楽器演奏や作編曲などで直接かかわりあったことはあまりない。テープ編集などで作品化したものが元音源と大きく異なっているばあいがあるのは周知の事実だから繰り返さない。

 

 

がしかし録音したマテリアルからテオが編集する過程や編集後に作品化したものをマイルズが聴いて、その後の作品創りやバンド編成の工夫などに活かしたのではないかと思える形跡だってあるんだよね。特に電気楽器導入後は、録音後の加工をやるのがアタリマエになったので、処理中や処理後のサウンドをマイルズが聴いて、そうかそういうふうにやればいいんだなとヒントを得たかもしれないというフシがある。

 

 

たとえば主に1973/74年録音曲で形成されている『ゲット・アップ・ウィズ・イット』。発売が74年11月だったが、作品化のどの段階でマイルズがどうかかわったのか、正確なことはわかっていない。だが、そのプロセスや完成品をマイルズが耳にして、トランペットの音やバンド・サウンド全体にもエフェクトがかかっていたり、ドラマティックな構成に編集されていたりするのを目(耳?)の当たりにして、その後の、たとえば1975年2月の来日公演盤『アガルタ』『パンゲア』など、ノン・ストップのライヴ・アルバムで聴きとれるバンドの生の姿にそれが反映されているのを聴きとることができるよね。特にワン・ステージ全体(が「一曲」)の構成に活かされている。

 

 

また1981年復帰当時のカム・バック・バンドのギターはマイク・スターン一人だったのだが、そのバンドでやったライヴ音源で構成された『ウィ・ウォント・マイルズ』(1982)では、テオの処理でギターの音が左右に飛んでいるトラックがある。あたかもツイン・ギター体制みたいに聴こえるんだけど、ほどなくしてマイルズはマイクにくわえジョン・スコフィールドを雇って二名編成にした。

 

 

テオも白人で西洋クラシック音楽の素養があったのだが、上記のほかの三名、ギル、ビル、ジョーは、もとからそんな志向があったマイルズ・ミュージックに近代クラシック音楽の要素を明確に打ち込んだ。このうちビル・エヴァンズは、その和声面での貢献が大きかったとはいえ、マイルズ・ミュージックのその部分にしか貢献しなかったかもしれない。絶大だったのではあるけれど。

 

 

だがギルとジョーの二名は、西洋クラシック音楽ふうなオーケストレイションと同時に、ブラック・ミュージックのグルーヴ感などもマイルズとともに追求したと言える。ジョーのほうは1968年暮から70年初頭までのほんの一時期だけ、ギルのほうが1948年以来終生という大きな違いがあるものの、マイルズとトータルな音楽的方向性で同じ道をたどったと言えるはず。

 

 

特にギルだよなあ。そもそも(チャーリー・パーカー・コンボを卒業した)マイルズのソロ・キャリアは、カナダ系白人ギルとのコラボレイションではじまった。お馴染み『クールの誕生』につながった例の九重奏団によるロイヤル・ルースト出演と、それに向けての準備段階。

 

 

その後は1988年にギルが亡くなるまで親交が途絶えることなどなかったのだ。人種の枠を超えた(音楽的)双生児とまで言われるほど、マイルズとギルの音楽は「同じ」だった。強調しておかないといけない点が二つ。一つ。ギルがマイルズ・ミュージックに直接かかわったものの多くが、いまだにクレジットなしだ。

 

 

もう一つ。マイルズ&ギルの関係においては、マイルズが「主」、ギルが「従」であるかのように語られることが多いんだけど、実際にはギルのほうがマイルズを引っ張っていた。和声面でのアプローチ、オーケストレイション法、エレクトリック・サウンドの導入、ロック/ファンク・ビート化 〜 マイルズ・ミュージックにおけるこれらすべて、ギルが先に導入しマイルズは後追い、というか教えてもらっていたんだよね。

 

 

マイルズはあんなやつだからプライドが良くも悪しくも強くて、だから認めないんだけど、ギルがマイルズの師匠格だったとさえしても過言ではないほどなんだ。そんなギルの手ほどきは、コラボでやったオーケストラ作品や、ばあいによってはいまだノー・クレジットだけど両名が深くかかわりあって創りあげた作品におよんでいただけじゃない。

 

 

マイルズはギルのやりかたに学び、体良く言えばヒント、インスピレイションを得て、ギルが直接関係していないマイルズのレギュラー・バンドでの音楽にも大きく活かしたのだった。それがはっきりしてくるのが1963年に雇った新しいリズム・セクション(ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)による一連のライヴ・アルバム・シリーズ以後だ。

 

 

ああいったライヴ・アルバムでは、たとえばバラード演奏の際、マイルズやサックス奏者のソロ時間、ばあいにとってはハービーのソロ時間でも、リズム・セクションが出たり入ったりしているよね。曲全体の構成と局面局面でのケース・バイ・ケースで考えて、どんなサウンド、リズムがいいか、メンバーが瞬時に判断してそうしている。特にトニーのドラミングにこの傾向が強いが、ほかの二名もそれに連動し、色彩や陰影や緩急をつけている。

 

 

それと同じように、先に発表されている、マイルズがギルとのコラボでやった、たとえば『ポーギー・アンド・ベス』や『スケッチズ・オヴ・スペイン』などで、一曲のなかでサウンドの様子が同様の変化を見せるのを聴きとれるので注意してほしい。コラボによるオーケストラ作品ではリズムだけでなく大編成ホーン群の出入りもあるが、1963年以後の新リズム・セクション以後は、明らかにギルの手法を学習して、コンボ演奏に応用したんだよね。

 

 

その後はこんな手法がマイルズのコンボ・ミュージックでも日常茶飯になったから、ふだん強く意識することは僕もないけれど。それらはマイルズの指示もあっただろうけれど、バンド・メンバーが自発的にギルとのコラボ作品を研究して応用した部分がかなりあるはず。

 

 

ジョー・ザヴィヌルとマイルズの関係を今日は割愛したが、ジョーとマイルズのことはいままで散々書いてきたので、ぜんぶ繰り返しになってしまうからだ。これにかんしてはいまのところ僕に新知見はないので、過去記事をお読みいただきたい。たとえばこんなの。ほかにもいくつかあるはず。検索しないと、僕も憶えていない。

 

 

 

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