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2018/06/07

罪と美

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ヨーロッパ諸国がほかの世界(アメリカ合衆国を含む)を植民地支配したこと。たしかに罪だ。人権蹂躙と迫害、搾取でしかなかった。だけど、世界の大衆音楽のことを考えたら、ちょっと誤解されそうな言いかたをあえてすると、ちょっとした「功績」があった。いや、ちょっとどころじゃない、植民地支配がなかったら、そもそもいろんなポピュラー・ミュージックがいまの姿じゃないし、ばあいによっては誕生すらしていなかったかもしれない。今日のこの文章は植民地主義の肯定ではもちろんないと、念のためお断りしておく。

 

 

言うまでもなく世界にある民俗音楽は違う。その土地土地の伝統に根付き、ずっと長いあいだ共同体内部で引き継がれた音楽(と一体化した諸文化があろうけれども、今日は省略)が演唱され続けてきた。それはある時期にポピュラー・ミュージック化したばあいもあるけれど、そうはならず、いまだに民俗伝統のままのものだってあるはずだ。

 

 

ともかく話題はポピュラー・ミュージックに限定するけれど、そのばあい、世界の音楽の(内的)民俗伝統が、そのままで世界に発信・拡散しうるような(外的)大衆音楽になりえたかどうかは疑わしいように思う。民俗音楽伝統はヨーロッパ人の渡来とは無関係にあったし、植民地支配と独立を経ていまもなおその姿そのものはあまり変わっていないのかどうか、よくわからないが。

 

 

しかしそんな音楽が大衆化する、つまり内的なものではなく、生演奏でもレコードでも商品になって外の世界に拡散し、人気を獲得する、ばあいによってはプロの音楽家がそれで誕生し、ファンが増えて、大規模産業化し(仮想)世界が確立するという 〜 そのきっかけはヨーロッパの植民地支配がもたらした部分もある。

 

 

大きく分けて四つ。楽器とクラシック音楽の体系。キリスト教会の合唱法も入れるべきか。もう一つは文化混交のきっかけをもたらしたこと。楽器はむろん世界に伝統的なものが、地域独自であるけれど、しかもそれがヨーロッパの植民支配とは関係なく各地で交流があって伝播したりしているけれど、ピアノやギター(に似た弦楽器)やフィドル(系の弦楽器)などは、たぶんヨーロッパ人が世界に広めたものだ。植民地に持ち込んだことにより。

 

 

特にギターは世界の大衆音楽を考える際には最重要になってくるキー・インストルメントなので、考えてみないといけない。ギターもおおもとの起源はアフリカにありそうではある。エジプトのネフェルがルーツなのかな。でもそれがそのままのかたちで世界に拡散したわけじゃない。中東地域を経てヨーロッパ、特にイベリア半島で使われるようになってから発展し、現在の姿と演奏法になったと言えるはず。

 

 

南中北アメリカの大衆音楽でもギターが最重要楽器だが、スペインとポルトガルがこのエリアを植民地にしなかったならば、たとえばブラジル音楽がどうなっていたか?アメリカ合衆国の音楽は?ロックなんか誕生すらしなかったのでは?とか、考えてしまう。北米におけるギターはハワイ由来という説が強いが、僕はそれだけか?と疑っている。いままでなんども書いた。過去記事検索が面倒だから今日はリンクを貼らない。ハワイ由来が100%だとしたって、それはポルトガル人が持ち込んだものなんだから、同じことじゃないか。

 

 

世界の大衆音楽でこれだけ重用されているギター。ガット(ナイロン)弦の代わりに金属弦を張ったり、ピックで弦をはじいたり、ピック・アップ・マイクを付けアンプにつないで電気増幅したりするのはヨーロッパ人の発明じゃないだろうが、そもそもアクースティック・ギターがなかったら、それらいっさい存在しえなかったはずだ。直接の伝播はヨーロッパ人によるものだ。

 

 

また、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージックは、基本、ホーン・アンサンブル・ミュージックだが、管楽器はもちろんヨーロッパ古典音楽といっしょに入ってきたものだ。誕生期のニュー・オーリンズ・ジャズ、特にクリオール・ミュージシャンのやるものには、西洋風のエレガンスが鮮明に聴きとれるよね。使う管楽器もそのアンサンブル手法も、ヨーロッパから学んだ。植民地支配されていた時代に。

 

 

そんなアンサンブルの組み立ては西洋クラシック音楽の和声構築法にもとづいているし、コンポーザー/アレンジャーの頭に浮かんだそんなアレンジを効率的に演奏者に伝達するには、五線譜が用いられるのが一般的だ。五線譜は、アラブやトルコの音楽のように西洋のシステムでは成り立っていない音楽でも、伝達手段として最も有用なものとして使われているらしい。

 

 

なにもかもすべてがヨーロッパから来たものなんかじゃない。コーダル・ミュージックを組み立てる際には、やはりどうも西洋古典式がやりやすいみたいなんだけど、世界にはいろんな旋法(モード)があって、それで成り立っていて、それでそのまま大衆音楽化したものだって多い。楽器だって西洋人が持ってきたものじゃないものがけっこうある。

 

 

だから、すべてミクスチャー(混交)だと思うんだよね、大衆音楽はさ。民俗音楽はそこのところ、ある意味、異要素が混じらずピュアに無菌培養されてきた部分がすこしあるのかもしれないし、そういった、なんというか内部の「秘密の」姿こそ称揚され恋い焦がれられてきたものかもしれない。だけど、最終的な僕の最大の関心は大衆の音楽であって、特定内部者だけを想定した閉じた文化じゃない。

 

 

広く一般の大衆、すなわち外部に大きく伝播することにこそ大きな意味がある大衆音楽では、だから世界を西洋諸国が植民地支配をしたせいで、それは罪だっただろうけれど、その成立・発展が可能となった部分だってあるんじゃないかと思うんだ。ひろく一般大衆向けの音楽文化の醸成には不可欠な「メリット」(?)がちょっとはあったかも。放っておいて、そのまま各国各地域で、大衆音楽がいま聴けるようなものとして、自律的に誕生・発展したとは、考えにくいんじゃないかなあ。

 

 

しがたってこう言えるのかも。ヨーロッパが世界を植民地支配したおかげで(現在聴けるようなものとして)大衆音楽は誕生し、おもしろく美しいものになった。罪が美を産んだのだと。

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