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2018/06/14

けっこうおもしろい(面もある)ゼップの『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』

 

 

レッド・ツェッペリン好きのぼくにとって最も思い出深いアルバムが1979年リリースの(事実上の)最終作『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』。えっ、なんで?とか思われるかもしれないが、ツェッペリン好きの音楽キチガイになったときにはすでに『プレゼンス』や『永遠の詩』までリリース済みで、まったくの後追いだった。リアルタイムで発売を待ち焦がれて買ったのが、ラスト最新作『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』だったのだ。

 

 

こんなもの…、とツェッペリン愛好家からですら思われていそうな『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』だけど、好きなものは好きだ。素直にそう表現することにしているので。それで、いま2018年のぼくが聴きかえして感じるところを記しておこう。高校三年生当時、いまよりもずっとぜんぜん音楽を知らなくて、ただなんかワケわからないがいろんな要素がゴッタ煮になっているぞ、と感じたことが、すこしだけクリアになっている。

 

 

レコードでは4曲目の「ホット・ドッグ」までが A 面。この曲はカントリー&ウェスタン調、というかそのまんま。ツッェペリンにしては珍しい、というかほかにこんなストレートなカントリー・ソングがこのバンドにあるのか?ナッシュヴィル・サウンドだよね。サビ部分ではロバート・プラントがオーヴァー・ダブでピッチの高い女声を兼ねている。高校生のころは、この女性ゲスト歌手はだれだ?とか思っていたなあ。

 

 

それ以上にジミー・ペイジの弾くギターが完璧ナッシュヴィル・スタイルだ。特に間奏ソロのところ。チェット・アトキンスそっくり。というかもろコピーだね。ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」でジョージが弾いたあれにもよく似ているでしょ。ペイジのほうはなんだかモタモタよれちゃって、まあヘタっていうか左手の押弦と右手のピッキングのタイミングがズレている。

 

 

CD やネット音源だとそのまま続いて(B 面トップだった)大作「ケラウゼランブラ」が来る。むかしはこういうの嫌いだったぼくだけど、いま聴くと、エスニック・シンセ・テクノみたいで、なかなか楽しい。ツェッペリンの『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の録音セッションは1978年の秋なんだけど、ホルガー・シューカイとかトーキング・ヘッズとか、あのへんのみんなとシンクロしていたかも?いま考えたら。1980年代ロックのありようを示唆していたかもなあ。そんなこと、ない?

 

 

そうそう、録音といえば『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のセッションはスウェーデンのストックホルムにあるポーラー・スタジオでやった。ここは ABBA のスタジオだよね。ツェッペリンの四人はなにか関係あったのかな?このとき、ペイジの合流がやや遅れ、到着前に三人でやっていて、なかでもジョン・ポール・ジョーンズがセッションの主導権をとっていた。

 

 

そんなところ、アルバム全体のサウンドにはっきり聴きとれる。彼らのアルバムでこれだけ全面的に鍵盤楽器が大活躍し空間をびっちり埋めているものはほかにない。そのせいもあって評判が悪いのかもなあ、ギター・ロック好きには。曲創りでも、全七曲中「ホット・ドッグ」を除く全曲をジョンジーが書いているし、その「ホット・ドッグ」でもホンキー・トンクなピアノがやけに印象的だ。

 

 

「ケラウゼランブラ」に話を戻すと、これはおおまかに四部構成で曲想が変化するドラマティックなもので、ちょっと西洋クラシック音楽の交響曲的なつくりにも思える。あ、そうそう、クラシック音楽ファンのみなさんは、大衆音楽だとジャズに接近なさいますが、どっちかというとロックのほうが音構築の根幹は共通していると思いますよ。

 

 

そんなことはどうでもいい。壮大な「ケラウゼランブラ」はまさにシンセサイザー抜きではありえない曲になっているが、しかし中近東アラブ音楽の味付けは、ツェッペリンではずっと前からあったものだから、それだけならこのときの新風味ではない。しかしずっとそれはペイジが担ってきたものだ。「ケラウゼランブラ」ではジョンジーがその役目をはたしているのがおもしろい。

 

 

「ケラウゼランブラ」では中間部のスロー・パートでプラントが "Where was your boy?"  "I couldn't stand it" などと歌っているので、ここも次の6曲目「オール・マイ・ラヴ」と同じテーマなのかな?たしかに悲しみが漂っているような雰囲気に聴こえなくもない。ペイジのギター・オブリガートはやはりアラブ音楽ふう。

 

 

この次の快活パートが「ケラウゼランブラ」でぼくが一番好きなところ。どうしてかってジョン・ボーナムのドラミングがファンク・スタイルだから。スネアのゴースト・ノーツを入れるあたり、まさにそうだ。がしかし曲全体で聴くと、ボンゾのヘヴィなドラミングはこんなふうなシンセ・テクノとはすこし違和感があるような気もする。ペイジのギターがちょっぴりだけロカビリーふう。

 

 

リズムがおもしろいのが3曲目の「フール・イン・ザ・レイン」。これはカリブ〜ブラジルのほうを向いた曲。これもリズム・スタイルの変化でおおまかに三部(か四部)で構成されているドラマティックな展開。最初から6/8拍子で、これが基調。その上に 1:15 でアクースティック・ギターとシンバルが別なリズム・パターンを重ねてあるよね。このやりかたはその後も出る。

 

 

問題は 2:25 でウィッスルの音とピアノ・インタールードに導かれパッと世界が変化し、ブラジリアン・ミュージック(?)になっているところ。派手なパーカッション群乱打は、たぶんボンゾひとりの多重録音なんだろう。本人たちはサンバだとか言っているようだけど、そうは聴こえないよね、残念ながら。でもツェッペリンの音楽で、ニセモノであるとはいえ、ここまでブラジル音楽に接近したものはほかにないはず。

 

 

サンバ(?)・パートが終わって基調のハチロクに戻った次の瞬間からソロを弾くペイジはギター・シンセサイザーを使っている。彼がはじめてギタシンを弾いた一例だけど、結局その後もないんじゃないかな?この「フール・イン・ザ・レイン」のこのパートでギタシンを使ったのはなぜか、音色の問題か新奇物を試したかっただけか、わからない。でも似合っているかなと思う。

 

 

アルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のオープナーとクローザーはブルーズ・ナンバー。正確にはラストの「アイム・ゴナ・クロウル」はリズム&ブルーズ・バラードだけど、トップの「イン・ジ・イヴニング」はコード・チェンジもブルーズ楽曲だ。ずっとワン・コードで行って、サビの部分だけブルーズ・チェンジになるつくりだけど。ギター・ソロになっての大サビというかブリッジみたいなものは、また違うパターンだけどね。

 

 

ところで「イン・ジ・イヴニング」の出だしで、プラントが「いんじい〜〜ぶに〜〜ん」と大きく歌って本編に入る前の玄妙なイントロ・サウンドは、これまたペイジが弓弾きでもやっているんだろうか?あるいはジョンジーのシンセサイザー?そのあたりのちゃんとしたことはよくわからない。ボンゾのタムの音はかなり加工してあるね。

 

 

アルバム・ラストの「アイム・ゴナ・クロウル」。たとえなにがあったって、どんなに遠くたって、君のところへ這ってでも行くというこのバラードこそ、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』でぼくがいちばん好きなもの。ここは高三のときからちっとも変わっていない。四人とも昔取った杵柄ともいうべき手慣れたクッサ〜い(=エモーショナルな)感じで、実にいいね。むかしと唯一違っているのは鍵盤シンセサイザーで出すストリングス・サウンドだ。曲が終わっても余韻を残すようにスーッと聴こえ、消え入る瞬間が大好き。

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