哀しみと難渋をこんなふうにビート化した、パウロ・フローレスの2017年作
パウロ・フローレス。こっちの2017年作『Kandongueiro Voador』のほうはずいぶんと落ち着いた(というのは表面的なことだけか)雰囲気だ。ダンサブルなリズムを持つ曲も多いものの、踊るよりもじっくり聴きこむといったような趣のアルバム。しかも悲哀感がアルバム全体でとても強い。
1曲目「Donde Estás Caetano」はバラード、じゃなくて泣いている歌だけど、なんなんだろうこの雰囲気は?最初にこのアルバムを聴いたとき、ちょっと直視できないかと思ったほど。ビートも効いていないし、ヴォーカルの伴奏は自身の弾くアクースティック・ギターと、もう一名によるカヴァキーニョとバンドリンだけ。
2曲目以後はダンサブルなビート・ナンバーが続くんだけど、音楽の本質として、この一曲目の持つフィーリングにビートを付加してグルーヴを生み出し拡大しているもののように聴こえる。リズム感だけを取り出せば快活だけど、陽気さはまったく感じられないばかりか、その逆だ。7曲目「Mariana Yo」だけが例外かな。
ダンス・ナンバーは2曲目「Semba da Benção e da Consolação (feat. Prodígio)」以後ずっと最後まで続く。女性ヴォーカリスト Rayra をフィーチャーした9曲目「Xinti」だけがゆったりしっとり系かな。この曲にはちょっぴりジャジーな雰囲気もある。しかも打ち込みのエレクトロ・ビートだ。キゾンバっぽいと言っていいのかな。
1曲目とこの9曲目を除き、パウロの『Kandongueiro Voador』は本当にぜんぶが強いダンサブルなビートを持っているんだけど、そのグルーヴ感は踊れるという感じよりも、じっくり聴き込むといったものに近い。またなかにはカーボ・ヴェルデ音楽のスタイルに近いものだってある。たとえば4曲目「Cise Nos Rainha」はコラデイラ、8曲目「Yaya Massemba」はモルナだ。
それら以外はだいたいセンバだと言っていいのだろうか?パウロはこの最新作でセンバのグルーヴに哀感を強く込め、音楽の深みを増し、聴き手の感情のひだに入り込み、心を揺さぶる。ここまでの音楽は、個人的にはそんなにたくさんは体験していない。こんなの聴いたら号泣するしかないんだけど、しかし涙をふりはらい、あ、いや、泣きながら、ぼくは踊っている、というか膝や腰は部屋のなかで動かして、やっぱり身体をゆすっているんだよね。
アイオナ・ファイフ(スコットランド)の一枚がなかったら、これが今年のナンバー・ワン作品かもなあ。その上に岩佐美咲がいるけれど。
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