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2018/07/29

わたしはタイコ 〜 ハービー 94

 

 

ハービー・ハンコックが、いや、ジャズ畑の音楽家が、最もアフリカに接近したのが1994年の『ディス・イズ・ダ・ドラム』(マーキュリー)。冒頭二曲がカッコよすぎて死にそうだよ。それ以後もすごいしな。11曲目までが全世界共通で、それ以後のボーナス・トラック(はリミックス)は流通国によって変わるみたい。ぼくが持っているのは「コール・イット・95」と「モジュバ」のリミックスが収録されている日本フォノグラム盤だけど、そんなわけで今日の話題は11曲目までに限定したい。

 

 

ビル・ラズウェルのマテリアルと組んだ1983年の『フューチャー・ショック』以来、ハービーはメインストリーム・ジャズと並行して、エレクトロ・ファンク、またはヒップ・ホップ・ジャズ、あるいはインストルメンタル・ヒップ・ホップとでも言えるものをずっと追求し続けていたが、その路線の最高傑作が、私見では『ディス・イズ・ダ・ドラム』。

 

 

しかも最初に書いたように、『ディス・イズ・ダ・ドラム』はかなりアフリカ的というか、アフリカ音楽の、特に打楽器サウンドに侵入しているよね。図らずも、いや、わかっていてやったのだろう、ヒップ・ホップ・ミュージックの持つアフロ特性をあばきだす結果ともなっているのがかなりおもしろい。それは結局、ジャズ・ミュージックが本来的に備え持つアフロ性でもあるのだろう。

 

 

未聴のかたも、いちばん上の Apple Music のリンクをぜひ踏んでいただきたいのだが(Spotify にはないようだ)、とにかく頭の二曲「コール・イット・95」「ディス・イズ・ダ・ドラム」がすばらしすぎる。聴きどころはリズム、というかグルーヴ構成とそのフィールだ。ソロらしいソロといえるものはほぼなし。ハービーが弾いたり、ウォレス・ルーニーのトランペットもあるが、ジャズ的な意味ではソロとも呼びにくい。

 

 

ちょっと先に付記しておくと、このアルバムでのトランペッターは故マイルズ・デイヴィスだ。ウォレス・ルーニーなんだけど、彼は1991年にマイルズがモントルーでビッグ・バンドを伴奏にギル・エヴァンズのスコアを再現した際のライヴ・コンサートで影武者役をやって以後、マイルズになってしまった。

 

 

は、まあ言いすぎなんだけど、ウォレス自身、強く意識するようになったのは、その後の活動内容を聴くと間違いない。ハービーがアルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』でウォレスを起用したのも、マイルズ似であることを活かしたかったから。その上で、さらにあえて似せて吹けと指示したに違いないとぼくには聴こえる。1985〜88年ごろのマイルズのことを思い出してほしい。

 

 

つまり、ジャズ界からアフリカに接近する際のキーとして、ハービーもマイルズに吹いてほしかった。が、もはや故人だったからということじゃないかと思うんだよね。かつてのボス、マイルズが1968年以後なにをやったのか、1994年のハービーは検証しなおして、アルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』の四曲(1「コール・イット・95」、8「ハンプ」、10「ラバー・ソウル」、11「ボ・バ・ベ・ダ」)にマイルズを、じゃなくてウォレスを起用した。

 

 

それはそうとどんどん話がずれていくが、その10曲目「ラバー・ソウル」っていう曲題は、やっぱりビートルズを意識したものだよねえ。rubber sole じゃないんだし。曲を聴いても、音楽的にあのアルバムとの直接的な関連性はなさそうだけど。それは抜きにして、この曲のリズムの大きなノリは気持ちいい。曲題といい、3曲目のビート・トラック「Shooz」と呼応してんのかなあ。

 

 

その「ラバー・ソウル」でも「シューズ」そうだし、ほかのほぼすべての曲でもなんだけど、ビル・サマーズが各種のタイコを担当している。それも西アフリカ由来のものばかり。ジェンベ、バタ、シェケレ、ビリンバウ(は太鼓じゃないのか)、コンガなど、あるいは all sorts と書いてある部分もある。特にバタが多く使われている。

 

 

バタ(ヨルバ系打楽器)は、たとえば7曲目「ジュジュ」では、うんこの曲題だけでも示唆的なんだけど(ウェイン・ショーターへの言及でもある?)、バタ奏者がビル・サマーズを含め三人もいる。アルバムのほほ全編で、リズム・アレンジもビル・サマーズが(ハービーと共同で)やり、そもそも打楽器アンサンブルとリズムのノリが主役のアルバムで、いかにアフリカのほうを向けるか?が主題の作品なんだから、ある意味、主役はビル・サマーズなんだ。ほぼ共作というに近い。

 

 

1曲目「コール・イット・95」は、それでもまだまだアメリカン・エレクトロ・ファンクに近いなと思うんだけど(しかしもんのすごくカッコイイよね!)、2曲目「ディス・イズ・ダ・ドラム」以後はアフリカ大陸へ、各種タイコをチケット役にして、ぐいぐい踏み込んでいく。その色が薄い4曲目「ザ・メロディ(オン・ザ・デュース・バイ・44)」、6曲目「バタフライ」(1974年『スラスト』からの再演で、今回のフルートはベニー・モウピンじゃなくヒューバート・ロウズ)、8曲目「ハンプ」は例外的だ。それらはかなりプリンスっぽい。カッコイイね。

 

 

それら以外の収録曲では、あくまでこのリズム、特に各種ドラム群(いわゆるドラム・セットや、叩くものではないパーカッション類を含む)の織りなすアフリカン・グルーヴこそが聴きもので、音楽の肝だ。上で書いたようにビル・サマーズがかなり貢献しているが、ビル以外にもいろんな人物が音創りにかかわっているみたい。しかし最終的にはハービーにしかできない音楽に仕上がっているのが、この(ジャズ系)鍵盤奏者の深さ、デカさなんだよなあ。

 

 

いつでもあくまで知的で冷静で、クールで熱くはならず、ハメも外さずぐいぐい迫りまくらないハービーだけれど、だからこそこんな『ディス・イズ・ダ・ドラム』みたいなアフロ・キューバン&アフロ・ブラジレイロな、いや直截的にアフリカンな、ジャズ・ヒップ・ホップ作品を完成させることができたんだとぼくは考えている。

 

 

特に2曲目「ディス・イズ・ダ・ドラム」、5曲目「モジュバ」、7曲目「ジュジュ」、11曲目「ボ・バ・ベ・ダ」、これらに匹敵しうるほどのカッコいいアフリカン・ジャズ・ヒップ・ホップって、1994年時点でほかにあったのかなあ。なかったよね。すごいなあ、ハービー!

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