いまならわかる (^_^;)ゼップ『プレゼンス』のファンクネス
最近はアイオナ・ファイフ(スコットランドの新人バラッド歌手)を聴けばなんでもオッケーなんだけど、前までムシャクシャするとレッド・ツェッペリンの『プレゼンス』(1976)をものすごい大音量で聴いていた。高校〜大学生のころからのずっと変わらない習慣で、特になにかの鬱憤や嫌な気分を晴らしてスッキリしたいというときにゼップの『プレゼンス』を超爆音で聴いていた。そうでなくとも、ハード・ロックはそう聴かなくっちゃ。
しかしですね、この『プレゼンス』、むかしのぼくはオープナーの「アキレス・ラスト・スタンド」しか眼中(耳中?)になかったかもしれない…、なんてのはウソで、いまでもはっきり憶えているが高校生のときにやっていたゼップ・コピーのスクール・バンドでいちばん得意にしていた曲が『プレゼンス』のラスト前「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」だったんだよ。もちろん「ロックンロール」とか「コミュニケイション・ブレイクダウン」とか「移民の歌」とか「ハートブレイカー」などだってたくさん歌ったけれど。
いま CD(やネット音源)で『プレゼンス』を聴きかえすと、「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」はなんでもない一曲のように思える。正直言って高校生のころだって似たような感想を持っていたかもしれないが、じゃあなぜこの曲を?というと、このアルバムのなかでアマチュア高校生四人バンドのギタリストくんがコピーしやすいから。多重録音がさほどでもないもんね。ヴォーカル・ラインもイージーだ(と思っていた)。あと、すこしコミカルな感じがするところも好きだったが、この部分はいまでも感じる。ストップ&ゴーのあのフィーリングもいいね。
ストップ&ゴーといえば、アルバム4曲目「ノーバディズ・フォールト・バット・マイン」。むかしもいまもすごくいいと感じるし大好きだ。曲題と歌詞はもちろんブラインド・ウィリー・ジョンスンのかの有名ゴスペルからコピペしているが、曲はゼップ四人のオリジナルだ。それにしてもこの曲のストップ&ゴーは合わせにくいんじゃないのかなあ。特に止まってから再開するタイミングはどうやって計っているんだろう?ぼくら高校生にはむずかしかった。
このへんまでは個人的思い出と直結した部分の話だが、関係なくアルバム『プレゼンス』が異様な輝きを放っているのは間違いない。しかもゼップの全作品中ユニークでオリジナルだ。つまりほかにこんなのはほかに例がない。まず鍵盤楽器がまったく使われていない。これは正真正銘だ。アクースティック・ギターもいっさいなし。というとウソで、5曲目「キャンディ・ストア・ロック」のベーシック・リズム・トラックで使われているのが、いま聴ける完成品でも痕跡があるよね。でもほとんど聴こえないというに近い。
結局『プレゼンス』はエレキ・ギターのみでサウンド・メイクをしたギター・オリエンティッドな一枚なんだよね。と、これだけ読むとハード・ロック・バンドとのイメージが強いからあたりまえじゃんと思われるかもしれないが、このバンドの音楽性はなかなか多彩で、アクースティック/エレクトリックな弦/鍵盤/管の楽器が種々使われていて、曲想もヴァラエティに富む。
この事実を踏まえると、『プレゼンス』がゼップの全キャリア中唯一無二の異質な存在であることがわかるはず。書いたようにエレキ・ギターだけで組み立てたサウンドの質感もアルバム・トータルで均質なら、曲想も均質で、そして、これから書くことが今日ぼくのいちばん言いたいことなんだけど、ファンク・リズムが活用されたヘヴィ・グルーヴをどの曲も持っていて、この点でもアルバム全体に統一感がある。
そう、ファンクなんだよね、『プレゼンス』の(ほぼ)全曲のリズム、特にジョン・ボーナムのドラミングが表現するものは。ゼップの音楽のなかには、たぶん『聖なる館』(1973)の「クランジ」あたりからかな、明確にファンク志向が顕在化するようになっていたが、ああいった(変態拍子だけど)ストレートなジェイムズ・ブラウン・トリビュート的なものからじょじょに消化され、バンドの音楽全体のなかに溶け込んだ最高到達地点が『プレゼンス』だと思う。
1曲目のギリシア神話の英雄譚に歌詞の題材をとった「アキレス・ラスト・スタンド」でも、颯爽と爆進する疾走感満点なナンバーでありながら、ひきずるような重さ、粘り気、跳ねるシンコペイションがあるよね。もとは別な二つの曲だったのを、ギター・オーヴァー・ダブしまくって力技でくっつけちゃったジミー・ペイジのプロデュース・ワークも見事だが、そのせいか関係ないのか、リズム変化の多彩さも聴き逃せないところ。それにしてもこの曲、こういった題材だからというんじゃなく、サウンドがホント〜ッにヒロイックでカッコイイよなあ。聴いていて夢想して惚れちゃうよ。歌詞とサウンドの英雄像に。
2曲目「フォー・ユア・ライフ」はグッと重心を落とした、これはモロそのまんまなファンク・チューン。まあファンク・ロックと言うべきか。やはり主役はジミーのギター・ワークとボンゾのドラミング。というかだいたいアルバム全体でこの二名を聴くべき作品で、ロバート・プラントのヴォーカルはたいしたことないし、ジョン・ポール・ジョーンズのベースなんて聴こえない(ごめん、ウソ、でもそれくらいのもんだ)。
「フォー・ユア・ライフ」でジミーが弾くギター・リフの反復パターンが快感で、このリピートされるマイナー・エクスタシーに、曲後半の同リフではメイジャー・コードをフレーズ終わりで重ねてあるのも大好き。その多調性のおかげで、ハーモニーがジャンプしている。リズムはもちろん(重たいとはいえ)ファンキーに跳ねている。
3曲目「ロイヤル・オーリンズ」。バンドが米ニュー・オーリンズで定宿にしていたホテルの名前から曲題をもらったらしいが、それは歌詞には出てこず、出現するのはソウル歌手、バリー・ワイト。でも音楽的には強い関係がなさそう。それよりもやはりニュー・オーリンズ・ファンクみたいなジャンピーさを持っていることに着目したい。同時に沈み込む感じがあるところも似ている。大サビで(バーボン・ストリートがどうたら…ってところから)パーカッション群が派手に使われているのもニュー・オーリンズふうカリブ性。
5曲目「キャンディ・ストア・ロック」は、基本、1950年代の米ロカビリー・ナンバーだけど(たぶんジミーというよりロバートの趣味だね)、この複雑なシンコペイションとポリリズムはロカビリーにはない。またサビに入るとパッとパターンがチェンジしてカリビアンになるところもファンクネスの発揮だ。ゼップのルーツたるロカビリー/ロックンロールを土台にして、なおかつ同時代的なファンク・ミュージックと、さらにカリブ音楽のニュアンスも取り込んで、陰影に富む多義な一曲に仕上げている。
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