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2018/07/10

エリック・クラプトンの転回

 

 

本日2018年6月30日、五十嵐正さんのツイートで、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』50周年記念盤とかなんとかいうのが出る(出た?)とかいうのを知り、それきっかけで聴きなおし書こうとしているエリック・クラプトンのソロ第一作『エリック・クラプトン』(1970)。

 

 

ぼくはこれを二種類持っている。一つはオリジナルのレコード通りにリイシューされた一枚物 CD(発売年記載なし)。もう一つは2006年の UK ポリドール盤二枚組デラックス・エディション。え〜っと、このアルバムは何種類あるんだっけ?情報によれば2010年エディションとかってのもあるらしく、それはなんだろう?Wikipedia を読むと「エッセンシャル・コレクターズ・トラックス」というのが入っているそうだけど。

 

 

それはわからないので無視して、2006年盤『エリック・クラプトン』には、1970年オリジナル・リリースのトム・ダウド・ミックスと、二枚目にディレイニー・ブラムレット・ミックスがあって、また一枚目二枚目それぞれ末尾に追加マテリアルも収録。追加トラック計七つは、今日は話題にする必要がない。というか、どんなときでもそんなには考慮に入れなくてもいいもののように思う。

 

 

だから2006年盤二枚組『エリック・クラプトン』一枚目のトム・ダウド・ミックス(が1970年リリースのオリジナル)と、それに先立って完成していたらしい二枚目収録のディレイニー・ブラムレット・ミックスに話題を絞ったのでオーケーなはず。もう一種類、エリック・クラプトン自身のミックスというのが、それら二つの中間時期にあったんだそうだけど、フルで聴くことはいまだ叶わず(たしか「イージー・ナウ」だけ、トム・ダウドはクラプトン・ミックスを採用している)。

 

 

どうして三種類もあるんだ?とか、そうなったいきさつとかは、附属ブックレットに詳しいし、お持ちでないかたでもたぶんネットのどこかでお読みになれそうな気がするので省略。ザ・バンドの『ビッグ・ピンク』きっかけで…、と今日最初に書いたのは、1960年代末のクラプトンにとっては、『ビッグ・ピンク』が最初の大きな一つの目覚め、転回の契機だったんじゃないかと思うからだ。

 

 

ザ・バンドの『ビッグ・ピンク』は1968年7月1日リリース。それまでエリック・クラプトンは弾きまくり天才ギター・ヒーロー、一種のギター・イコンとしてみんなに受け止められていたし、自身もそんな自覚があったはずだ。ヤードバーズ、ブルーズ・ブレイカーズ、クリームとそんな路線で突っ走ってきて、その後のブラインド・フェイスで方向性が微変化した。そこへ、『ビッグ・ピンク』の衝撃が来たんだよね。

 

 

ザ・バンドの、闊達な楽器技巧の披露を控えストーリーテリングに徹したあの音楽。演奏も歌唱もテクニックは物語をつむぐためにだけ最大限に、だから控えめに、発揮されている。歌詞も、全体の曲想も、サウンド構築のトータリティも、グループ一体表現も、最大限に重視。それらだいたいクリームまでのクラプトンが<素材>としてしか扱ってこなかったものだ。

 

 

衝撃だったと思う。自省したはずだ。クラプトンはそれまでの自分のミュージカル・キャリアを考えなおし、ザ・バンドのような、なんというかソング・オリエンティッドな音楽を目指そうと、そんな転回が芽生えはじめたところに、1969年8月に終わるブラインド・フェイスのツアーの前座として、ディレイニー&ボニーがやってきて、決定的にクラプトンは変貌した。

 

 

ザ・バンドとディレイニー&ボニーの音楽性は共通している部分が大きい。ゴスペル・ベースかつカントリー/ブルーズ/ソウルの三位一体のオーガニック・ロックみたいなものを志向し、実際の音楽的成果もあげていた。『ビッグ・ピンク』体験の翌年にクラプトンがディレイニー&ボニーのライヴに接することとなったのは、まるで神の差配のようだ。

 

 

クラプトンは、当初、ザ・バンドに加入したいと思ったらしいのだが(苦笑)、ブラインド・フェイスを放棄して、結果的には、まずセッション・ギタリストとしてアメリカ西海岸で(いわゆる)スワンプ系ロッカーたちとのスタジオ・ワークをこなす。そのあと、ディレイニー&ボニー&フレンズの一員として、UK、ヨーロッパ、スカンジナビアを1969年末にツアーする。これは『オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン』となって発売され、いまは四枚組ボックスもある。ご承知のとおり。

 

 

それで、ディレイニー&ボニーとその関連人脈を起用して、初のソロ名義デビュー・アルバム『エリック・クラプトン』が企画され、録音された。最終的にロス・アンジェルスでディレイニーが仕上げたミックスは10曲で、(中間のクラプトン・ミックスは不明だが)トム・ダウドはもう一曲「アイヴ・トールド・ユー・フォー・ザ・ラスト・タイム」を追加、ミックスも曲順も変更し、リリース商品となった。

 

 

比較すると、ディレイニー・ミックスとトム・ダウド・ミックスで異なっている部分もかなりある。書いたように「イージー・ナウ」はダウドがクラプトン・ミックスを採用したらしく(といってもぼくには実証できないが)、また「スランキー」はディレイニー・ミックスをそのまま使ってある。しかしほかの曲、たとえば「アフター・ミッドナイト」「レット・イット・レイン」なんかも一聴瞭然たる違いがあるよね。

 

 

そんな聴いてすぐわかる部分だけでなく、クリーンな感じがするトム・ダウド・ミックスに比べ、ディレイニー・ミックスは全体的にモコモコしていて、土臭くファンキーな様子。またホーン・セクションの音量が大きめだ。リオン・ラッセルのピアノも聴こえやすい。がしかし個々の楽器音が分離したり、だれかが特別目立つことなく、バンド・サウンド全体の一体感が増している。

 

 

トム・ダウド・ミックスは、なんだかんだいってまだまだクラプトンにフォーカスし、その英雄像を残してあるように聴こえるんだよね。クラプトン転回の導師ディレイニーは、それをなるたけ表面には出さず、ソング・オリエンティッドなグループ一体のオーガニック・サウンドへと脱皮しようとしているクラプトン本人の意思を汲みとって活かしたような仕上がりのミックスだと、ぼくには聴こえる。

 

 

アルバム『エリック・クラプトン』にブルーズ楽曲は一個もない。そう、ないんだ。「ブルーズ・パワー」なんていう曲題のものだってブルーズ形式ではないんだから。それまでイコンですらあったクラプトンの売り、ギター・ソロもほぼなし。「レット・イット・レイン」でだけちょっとだけ従来型のクラプトンらしいソロがフィーチャーされるが、1960年代ものと比較すればほとんどなしとしても過言ではないほど。

 

 

つまり『エリック・クラプトン』での主役はギターを弾きまくらない。ギター自己顕示もギター自我の押し出しも消えている。(ディレイニーと共同で)曲を書き、練り、バンド・サウンドをどうするか考えて、だれのソロも目立たせず、また、正直で真摯に歌っている。自分の歌もギター演奏もバンド演奏も含め、できあがりのサウンド全体に、(悪い意味で)格好つけた偽りがない。音楽のオネスティを感じるよね。

 

 

1960年代にはあんなにギラギラして弾きまくっていたクラプトンなのにねえ。転回、変貌したんだ。正直言ってアルバム『エリック・クラプトン』は、その最初の告白みたいなものであって、名盤だとか傑作だとかいうものじゃないようにぼくは思う。(諸事情関係ない)一個の自律した音楽作品としての完成度は、個々の曲もアルバム全体でも、まだそんなに高くない。

 

 

しかしこんなクラプトンの決心が、次にほぼ同一メンバーでのレギュラー・バンド、デレク&ザ・ドミノスにつながって大傑作を産み、それは短命だったがその後の1970年代の、曲創りと歌と楽器演奏との三者のバランスの(比較的)取れた、充実の音楽活動につながったのは間違いないことだ。プリテンシャスな姿勢は、消えた。

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