Directions in Music by Miles Davis
このエンリコ・メルリンさんの1996年の論考。どなただか存じ上げませんが、このかたのおっしゃる "Coded Phrases" とは、簡単に言えばキュー出しみたいなもののことなんだろうか?ササッと読んでみただけだとそんな印象。なんども繰り返し出てくるものだから、キーワードなんだよね。キューのことだったとしても、おもしろい内容だし、1968〜75年のマイルズ・デイヴィスのやりかたを的確に描写したものだと思うので、ご紹介かたがた、すこしコメントしておきたい。
マイルズ・デイヴィスの手法に抜本的な新方向が出てきたのがチック・コリアとデイヴ・ホランドがバンドに加入した1968年の秋あたり。初公式録音が同年9月24日の「マドモワゼル・メイブリー」「フルロン・ブラン」(『キリマンジャロの娘』)。そして同年暮れにジョー・ザヴィヌルがゲスト参加するようになって、決定的な新展開が訪れる。
ジョーがマイルズと初共演した1968年11月27日の3トラックのうち2つはジョーの曲「ディレクションズ」だ(ほか一個もジョーの曲)。CD ジャケットだとイマイチわかりにくくなっているがご記憶だろうか、『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』の三作の表ジャケットには "DIRECTIONS IN MUSIC BY MILES DAVIS" とかなり小さく記されている。
あの三作にだけそう記されていて、最初、高校の終わりごろに買ったときは、これはなんの意味だろう?たんに新方向ってことなだけだよね、それ以前のマイルズ作品と比べたらたしかに違う感じだし、プロ・ライターのみなさんもそうおっしゃるのを読むし…、とかって思ってたんだ。ジョーの「ディレクションズ」をマイルズも1968年の暮れにスタジオ録音で完成させたという事実は、1981年に二枚組の未発表集『ディレクションズ』がリリースされるまでちゃんとは確認できなかったことだ。
ジョーの曲「ディレクションズ」は、いろんな意味でそれまでマイルズがやっていた曲、やりかたとは異なっている。まず、キーが違う。この曲は E メイジャーなんだけど、このキーはジャズ演奏家はあまり使わない。しかし一方、ロック・ミュージックでは主要なものなんだよね。たくさんあるが、この時期のマイルズ関連でいうと、たとえばジミ・ヘンドリクス。のたとえば「パープル・ヘイズ」も E メイジャー。
あ、そうそう、これも最近になってようやく気づいたが(^_^;)マイルズ『キリマンジャロの娘』の A 面ラスト「プチ・マシャン」のメロディ・ラインのかたちは、ジミヘンの「パープル・ヘイズ」のそれに似ているじゃないか。このマイルズ作とクレジットされている曲を書いたのはギル・エヴァンズひとりだ。マイルズ/ギル/ジミヘンのトライアングルにかんしては以下で書いたつもりだったが、書きなおさないといけないなあ。
それはいい。ジョーの「ディレクションズ」をマイルズがやったという話。キーが E なだけでなく、さらに重要な変化がある。この曲にはいちおうのテーマ・メロディ・ラインがあるけれど、テーマ演奏後のアド・リブ・ソロ部は、E のキーだけそのまま使って自由に展開していいということでやっていて、それ以外、テーマ部とソロ部に関係はない。
またジョーの書いたテーマを演奏中から(エンリコさんのことばを借りれば)ベース・ヴァンプがあって、この1968年11月マイルズ・ヴァージョンのばあい、それはウッド・ベース(デイヴ・ホランド)とフェンダー・ローズ(は三名いて個人を特定できる耳をぼくは持たない)を重ねて創ってある。このベース+鍵盤のダブル・ペダル・フィギュアが、この「ディレクションズ」という曲の最も根底にある土台で、いちばん重要で不可欠なものだ。
だから、「ディレクションズ」にはいちおうのテーマ・ラインがありはするものの、それは演奏の際にはなんの役割も果たしておらず、そしてぼくも前から言うように、このすこしあとくらいからスタジオでもライヴでも、マイルズが演奏するものにはテーマそのものがまったくなくなっていくんだよね。
ジャズの伝統マナーだと、テーマ部の持つ和音構成にもとづいてソロを展開するということになっているわけだけど、マイルズのばあい、1969年のあたまごろから、この概念が消える。ソロのよりどころとなるのはテーマのようなものではなく、一個のベース・ライン(フィギュア)、ヴァンプ、コードかモード、あるいはちょっとした短いモチーフというかショート・パッセージみたいなものだけ。しかもそれら曲構成のパターンはビートをも指し示し、ハーモニーの土台であるだけでなくリズム面でもキーとなっている。
スタジオでの初演奏の際には、想像するにマイルズかサイド・マンかジョーのようなゲストか、とにかくだれかがそんなかたちを用意していって(譜面化はされてなくとも)、それでリハーサルやテイクを重ねていくうちに整って充実していったものを、テオ・マセロは1968年以後マイルズのスタジオ・セッションの<すべて>を録音したわけだから適切に切り取って、リリース商品とするべく編集したんだろう。それにはマイルズ本人も立ち会ったケースが多い。
エンリコ・メルリンさんの論考でも重視してあるように、ライヴ演奏の際がもっと問題だ。マイルズのライヴ・コンサートがワン・ステージでひとつながりの<一曲>みたいになって以後(ぼくの知る限りでは1967年の欧州ツアーからそうなった)、次の演奏曲へと移行する際の、だからキューとして、エンリコさん用語では coded phrases が演奏されている。
スタンダード・ナンバーや自作曲でもテーマを持つものをやっていた時代には、主にマイルズがそのテーマ・メロディのさわりをチラッと吹いて、それも移行前の曲の演奏途中最後にリズム・セクションがまだそのパターンを維持したままのときに吹いて、さぁこの曲へ行くぞという合図にしている。それがキュー出し。
しかし「ディレクションズ」をスタジオ録音し、チックとデイヴだけでなくドラマーもジャック・ディジョネットになった(が、なぜかアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』収録素材ではトニー・ウィリアムズが叩いている、謎だ)その翌1969年のツアーからは、そもそもテーマなんかない曲をどんどんやるようになって、マイルズによるキュー出しの基になるものが変化した。
それがエンリコさんが coded phrases という表現でいちばんおっしゃりたいことだとぼくは解釈している。たとえばスタジオ録音はアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』に収録されて発売された「イッツ・アバウト・ザット・タイム」。これにもテーマがないというか、要するに song じゃない。ウッド・ベースとフェンダー・ローズでダブル演奏されるリズミカルな短いパッセージの反復しかない。それがこの曲の土台、というかまあ<テーマ>だ。
だからさ、「ディレクションズ」のやりかたとおんなじなのだ。「ディレクションズ」では、書いたようにベース・ヴァンプというかペダル・フィギュアみたいなものをウッド・ベースとフェンダー・ローズで重ねて合奏しているのがこの曲の、テーマ・メロディ部じゃなくそれが、土台になっているんだけど、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でも同様のことになっているじゃないか。
もっとも、「ディレクションズ」ではペダルは一個。それが延々と反復されているが、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」では3パターンある。その三つがジョン・マクラフリン、ウェイン・ショーター、マイルズのソロのあいだ同じ順番で登場し、ソロ展開の土台となり、というよりもそもそもこの曲を構成し、どこでもって「イッツ・アバウト・ザット・タイム」という曲だと認識するか、いまどこを演奏しているか、(ぼくらは)どこをいま聴いているか、のアイデンティティになっている。
そんなわけで1969年以後のマイルズ・バンドのライヴ演奏では、次の曲へ行くぞという合図、キュー出しは、マイルズがトランペット(や、ある時期以後はオルガンでも)で、そんなベース・ヴァンプというかペダル・フィギュアをちょろっと吹いて指し示すという具合になっている。それが coded phrases。
ジョーの曲「ディレクションズ」は、いちおうはテーマ・ラインを持つ曲だけど、ライヴでは(開始時に)演奏されないようになり、ある程度演奏が進んでから、ばあいによってはかなり終わりがけの演奏終了間際になってから、はじめてそれが出現する。だからいわゆるテーマなんかじゃない。申し訳程度のコピーライト支払い行為でしかない。
それでも1969年バンドのライヴでは最初にテーマを演奏しているが(でもチックがあのベース・フィギュアを弾いているのが土台だ)、それが1970年以後は消えてなくなって、取って代わってベーシスト(デイヴ・ホランドかマイクル・ヘンダスン)が一定のパターンを演奏するペダル・フィギュアに乗ってマイルズ以下がソロを取るというやりかたになっているよね。キーが E のこのベースによるショート・パッセージだけが肝なのだ。それでしか「ディレクションズ」だとアイデンティファイできないのは、たぶん演奏者本人たちも同じだったはず。
ライヴで演奏するほぼすべての曲がそうなっていったし、1969年夏の『ビッチズ・ブルー』録音セッションあたりからはスタジオでの演奏も同じことになった。作曲行為、曲創りの意味合いが根底から変化したのだった。マイルズがそんなやりかたを録音史上はじめて採用したのは、1959年録音の「フラメンコ・スケッチズ」(『カインド・オヴ・ブルー』)だったんだよ。
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