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2018年8月

2018/08/31

マイルズの1956年マラソン・セッション二回を演奏順に聴く

 

 

【セッションでの演奏順】

 

 

▪︎ 1956/5/11

 

 

1 In Your Own Sweet Way (D. Brubeck) 4

 

2 Diane (E. Rapee-L. Pollack) 5

 

3 Trane's Blues (M. Davis) 4

 

4 Something I Dreamed Last Night (J. Yellen-S. Fain-H. Magidson) 5

 

5 It Could Happen to You (J. Burke-J. Van Heusen) 2

 

6 Woody 'n' You (D. Gillespie) 2

 

7 Ahmad's Blues (A. Jamal)  4

 

8 Surrey with the Fringe on Top (R. Rodgers-O. Hammerstein) 5

 

9 It Never Entered My Mind (R. Rodgers-L. Hart) 4

 

10 When I Fall in Love (E. Heyman-V. Young) 5

 

11 Salt Peanuts (D. Gillespie-K. Clarke) 5

 

12 Four (M. Davis) 4

 

13 The Theme (take 1) (M. Davis) 4

 

14 The Theme (take 2) (M. Davis) 4

 

 

▪︎ 1956/10/26

 

 

1 If I Were a Bell (F. Loesser) 2

 

2 Well, You Needn't (T. Monk) 5

 

3 'Round Midnight (B. Hanighen-C. Williams-T. Monk) 3

 

4 Half Nelson (M. Davis) 4

 

5 You're My Everything (false start) (M. Dixon-J. Young-H. Warren) 2

 

6 You're My Everything (M. Dixon-J. Young-H. Warren) 2

 

7 I Could Write a Book (R. Rodgers-L. Hart) 2 

 

8 Oleo (false start) *2

 

9 Oleo (S. Rollins) 2

 

10 Airegin (S. Rollins) 1

 

11 Tune Up (M. Davis) 1

 

12 When Lights Are Low (B. Carter-C. Williams) 1

 

13 Blues by Five (false start) (R. Garland) *1

 

14 Blues by Five (R. Garland) 1

 

15 My Funny Valentine (R. Rodgers-L. Hart) 1

 

 

【レコード発売年月】

 

 

"Cookin'" 1957年 (1)

 

"Relaxin'" 1958年 (2)

 

"Miles Davis and The Modern Jazz Giants" 1959年5月 (3)

 

"Workin" 1960年12月 (4)

 

"Steamin'" 1961年5月 (5)

 

 

オリジナル・クインテットを率いるマイルズ・デイヴィスが、1956年5月11日と同年10月26日に、ニュー・ジャジーはハッケンサックにあるルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで、プレスティジ・レーベルのために行った、いわゆるマラソン・セッション二回。その全曲をスタジオでの演奏順に並べて通して聴いてみた。発見がいくつかあったので、以下にメモしておく。

 

 

まず、マラソン・セッションと言うけれども、二回とも、イメージほどに長大な時間をスタジオで費やしたわけじゃない(マラソン完走の世界記録は男女とも二時間を越える)。曲演奏時間じゃない合間の休憩や会話やリハーサルや記録されていない別テイクなども想像し考慮に入れた上で言わないといけないが、発売曲のラニング・タイムだけ見れば、五月セッションが1時間18分、十月セッションが1時間16分だから、どんなもんだったんだろう、二回とも半日スタジオにこもっていたとかいうわけじゃあなさそうだよね。

 

 

それからデータ面での瑣末なことを二点、先に書いておく。十月セッションの3曲目に演奏された「ラウンド・ミッドナイト」だけがいわゆる四部作に収録されず、まったく関係のない録音品といっしょくたで『マイルズ・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』にプレスティジが入れたのは、もちろん大手コロンビアを意識してのことだろう。

 

 

さらに上記のとおり十月セッションの「オレオ」と「ブルーズ・バイ・ファイヴ」は、それぞれフォールス・スタート(5ヤード罰退なしw)も記録されていたが、オリジナル発売のレコードは本テイクのみの収録だった。CD だってしばらくのあいだはそうだったんだけど、ある時期以後はそれがそれぞれ頭にくっつくようになり、ネット配信音源でもそうなっている。個人的にはいまだに違和感がちょっぴりあるが、じょじょに慣れてもきた。

 

 

本論。五月と十月とで、ボスのトランペット演奏にはまったく差がない。すでに完成されている。オープン・ホーンでアップ・テンポ・ブロウするものも、ハーマン・ミュートを付けてまるで玉露のごときリリカルさを見せるバラードやトーチ・ソングも、すべてが完璧だ。レッド・ガーランド+ポール・チェインバーズ+フィリー・ジョー・ジョーンズのリズム・セクションも極上で、ほぼ文句なしだよね。

 

 

これらふたつにかんしては五月セッションでも十月セッションでも同じだ。大きな差、というか成長は、やはりジョン・コルトレイン。五ヶ月間で目を見張るような飛躍を見せているじゃないか。スウィング・ナンバーなら、たとえば五月の「ウッディン・ユー」と十月の「オレオ」での、それぞれのテナー・サックス・ソロを比較してみてほしい。それでも、五月なら「フォー」とかではかなり健闘してはいる。

 

 

リリカル・バラードでも、五月セッションでトレインが唯一参加させてもらっている「サリー・ウィズ・ザ・フリンジ・オン・トップ」と、十月の、たとえば「ユア・マイ・エヴリシング」とでのテナー・サックス・ソロを聴き比べれば、著しい成長がよくわかる。

 

 

十月ともなればさらに、4曲目の「ハーフ・ネルスン」。テナー・サックス・ソロの終盤で一瞬だけ音量が小さくなるというか奥に引っ込むところがあるよね(3:03)。あそこは、自分のソロはそろそろ終わりです、二管リフに入りましょう、さぁ、とボスにうながすべくコルトレインがマイクから離れた瞬間なんだよね。こんな堂々とした余裕は五月音源では聴けない。

 

 

ボスもトレインのそんな未熟さと成長を感じていたから、ということなんだろう、五月と十月とでのいちばん大きな差は、前者でトレイン抜きのカルテット演奏が散見するのに比べ、十月にはそれがまったくない。だから大雑把な印象では、五月では<マイルズ・デイヴィス+レッド・ガーランド・トリオ、+α>みたいな趣だったのが、十月にはちゃんとフル・クインテットとして機能しているんだもんね。

 

 

同じ事実の指摘だが、バラード、トーチ・ソング、ミディアム・ナンバーは五月に多く、十月には軽快なハード・スウィンガーが目立つ。コルトレインはまだまだだったとはいえ、カルテットとしてはすばらしいものだったから、五月に録音されたバラードなどの抒情味はケチのつけどころがない。でも、ハード・ナンバーでも最後のほうでやった「フォー」なんかは五人一体でいいところまでやっているけれどね。

 

 

五月回も十月回も、セッションが進むにつれ最後のほうではどんどん練れてきて、五人の演奏がこなれているというのは同じ。スタジオ・セッションは、ライヴ・ステージとはまた違った緊張を強いられるものだそうで、これはマイルズ本人も晩年までそう発言していた。これら二回のマラソン・セッションでも、演奏順に聴くとそんなことがよくわかる。

 

 

十月セッションで後半に録音されたものからの多くが『クッキン』と『リラクシン』になったということは、だからあの二枚のクォリティや評価の高さと、ファンのあいだでの人気の原因を物語るものなのかもしれない。『クッキン』にいたっては、すべての収録曲がここからとられているんだもんね。プレスティジとしてもそれを(マイルズのコロンビア移籍後)ファースト・リリース作品としたのは、むべなるかな。

2018/08/30

在りし日の上海 updated 〜 林寶

 

 

といってもそんなアルバムはないし、話題にしたいのは古い録音じゃない。ラテン・ジャジーなモダン・ポップス、林寶(リン・バオ)の『上海歌姬』(ShangHai DIVA)のことだ。そう、あのころの、つまり第二次大戦前の、国際都市だった上海に、こんな音楽があったはず。それをそのままではなく現代化して21世紀録音で現代によみがえらせたのが林寶の『上海歌姬』。完璧ぼく好み。しかしごく最近まで忘れてた(^_^;)。夏休み中(にいま書いている)でヒマだから、部屋のなかの CD カオス山脈をほじくり返すと出てきたってわけ。

 

 

しかしこれ、いつどこで買ったのかも忘れちゃったなあ。CD パッケージ裏を見なおすと 2011 と書いてある。そうかあのころか。ちょうど東京を去り愛媛に戻ってきた年だ。エル・スールのサイトで探しても出てこないから…、あっ、ちょっと待って、2011年なら旧サイト時代だから…ということでそっちで探そうとしたら、あれっ?検索機能がなかったんだっけ…(^_^;)…。でもスクロールすればちゃんと出てきたそれには、これまた bunboni さんのブログ記事のリンクが貼ってあった。モ〜ッ、ヤダ(^^)。まぁ見なかったことにしよう。

 

 

 

やっぱり当時のエル・スールで買ったんじゃなかったはずだけど、パッケージがとにかくデカすぎるんだよね、この林寶『上海歌姬』は。記憶では、どなたか Twitter で紹介なさっていたかたがあのころいらして、その推薦を信用してどこかの海外ネット通販サイトで、2012年かな?買ったのだ。円払いじゃなかったはずだけど、米ドルでもなかったような…、う〜ん、もはや忘却の彼方。

 

 

中身の音楽も忘却とは忘れ去ることなり(わかるひとだけわかる)という具合だったので、引っぱり出して聴きかえしたのだった。そうしたら、かなりいいぞ、このアルバム!こんな良作、いや、かなりの傑作なんだから当時もいいなと思ったはずだが憶えていないということは、ダメだなあ。CD 一枚なのにパッケージ・サイズのデカさゆえ部屋のなかのボックスものコーナーに置いてあったこの林寶『上海歌姬』。出てきて、本当によかった。いまでは Spotify で聴けますよ。

 

 

林寶の『上海歌姬』。ジャケット写真とアルバム・タイトルで察せられるとおり、あの時代の上海で流行していたような、つまりいまから見たらレトロな、ポップスを再現した内容だけど、これまた豪華なブックレットに一曲づつそれぞれ、(中国での)初演歌手の名前と顔写真が小さく掲載されている。以下にそれを整理しておこう。10曲目は1曲目と同じく「天涯歌女」で、リプリーズみたいなもんかな。言葉が違うみたいだけど。周璇の写真も違うものを使ってある。

 

 

1「天涯歌女」〜 周璇

 

2「情人的眼淚」〜潘秀瓊

 

3「上海歌姬」〜 なし(後述)

 

4「夜上海+夜來香+ 鳳凰于飛」〜 周璇、李香蘭

 

5「我要你的愛」〜 葛蘭

 

6「卡門」〜 葛蘭

 

7「狂戀」〜 白光

 

8「得不到的愛情」〜 姚莉

 

9「明月千里寄相思」〜 呉鶯音

 

 

1と10の「天涯歌女」での林寶は、ちょっとしたロリータ声。正直言ってちょっと苦手だ。でも周璇を意識したんだよね。曲はすばらしい。歌いこなしだっていいんだけど…(以下略)。「音樂故事」という言葉が曲名に付記されている10曲目がどういうことかは、上の bunboni さんの文章に書いてあるので、ご一読を。マイルズ・デイヴィスだって模して使った(『リラクシン』)鐘の音でまずはじまって、次いでグレン・ミラー楽団「イン・ザ・ムード」のテーマ・リフを引用してある。

 

 

ぼくにとっての林寶『上海歌姬』のツボはしかしここじゃない。3曲目「上海歌姬」から6曲目「上海歌姬」らへんが、も〜う最高なのだ。中国語でやるラテン・ジャジー R&B みたいなのがね。「天涯歌女」に感じとれる若干の中国ローカル色は、ここらへんにはほぼなし。普遍的に世界中どこでも通用するモダン・ポップスだ。

 

 

アルバム全体の表向きは、ジャジーでもあった上海レトロ・ポップスのカヴァー集という顔をしているんだけど、この3〜6曲目を聴くと、裏のというか真のテーマはファンキーなラテン歌謡集だということがわかってくる。戦前の上海での中国語歌謡(あのころ、スウィング・ジャズが中心だったと思うんだけど)にラテンふうな21世紀型 R&B スタイルのアレンジを施して現代化したようなポップ・アルバムなんだよね。

 

 

3曲目の「上海歌姬」がアルバム・タイトルになっているから、アルバム全体をサンドウィッチしている「天涯歌女」とは違った意味で聴かせどころでありクライマックスなんだよね。この曲はかつての上海には存在しないもの。「上海歌姬」はケニー・G の「Mirame Bailar」が原曲で、それの歌はバルバラ・ムニョス。曲創りに、マライア・キャリーとも仕事をしたあのウォルター・アファナシエフが参加している。

 

 

 

林寶の「上海歌姬」は、これをほぼ忠実にアダプトしてあるよね。もとからフュージョン(スムース・ジャズ?)色のあるラテン R&B ソングだから、この林寶のアルバムのコンセプトがどこにあるか、的確に示していると思う。林寶は上海出身で、この当時も上海で活動しているということで、伴奏陣も現地のミュージシャンを起用しているようだから、「Mirame Bailar」が「上海歌姬」になったんだね、きっと。

 

 

同傾向のモダン R&B みたいなのが5曲目「我要你的愛」。英語でもたくさん歌うこれは、しかし古いアメリカン・ジャンプ・チューンだ。林寶の『上海歌姬』ブックレットには、1955年ジョージア・ギブズの名前が記載されてある。女性リズム&ブルーズ歌手だね。でもかなりジャジーというか、ジャンプ・ミュージックというに近い。

 

 

 

林寶の「我要你的愛」は、ここからアダプトした葛蘭ヴァージョンを下敷きにしてあるから、ってことなんだろうけれど、ちょっと一言くらいルイ・ジョーダンの名前を出しておいてくれてもよかったんじゃないかと思う。そう、この「アイ・ウォント・トゥ・ビー・マイ・ベイビー」(ジョン・ヘンドリクス作)は、1953年にルイ・ジョーダンがヒットさせたジャンプ・ブルーズ・ソング。

 

 

 

ラテンなモダン R&B ソングにアレンジしてあるといえば、6曲目「卡門」。これはジョルジュ・ビゼーの「カルメン」なんだけど、ブックレットには<原曲改編>として服部良一の名前がクレジットされてある。葛蘭が歌った際に服部が仕事をしたってことだろうか?そのへんの事情はまったく知らない。

 

 

林寶の「卡門」は、まず最初無伴奏のナイロン・ギター独奏ではじまって、そこはフラメンコふうだけど、ヴォーカルが出てきてリズムも入ってくると、ちょっぴりアバネーラっぽくなるのはビゼーのオリジナルどおりだ。そしてしばらくしてマンボになっていくんだよね。マンボといってもヒップ・ホップの影すらある21世紀型のフィーリング。

 

 

4トラック目「夜上海+夜來香+鳳凰于飛」。個人的にはこの三曲メドレーが、林寶のアルバム『上海歌姬』でいちばんの好物。2曲目の「夜來香」は日本でもみんな知っている有名曲だよね。その前の「夜上海」は、やはりスウィング・ジャズでやっている。聴きとりやすい変わり目で「夜來香」になった刹那、爽やかな花の香りがフワ〜と漂ってきたかのようで、文句なしに快適な気分。いやあ、いいですねえ。

 

 

「夜來香」パートではやはりアバネーラっぽいリズム・アレンジなんだけど、間奏部のエレキ・ギターはジャズ・フュージョンの弾きかたで、ぼくはわりと好き。三つ目の「鳳凰于飛」パートでふたたび4/4拍子のスウィング・ジャズに戻り、いかにもあんな時代の<在りし日の上海>を、しかもアップデートして、聴かせてくれる。

 

 

ノルタルジックに…、なんて言葉で簡単に片付けることのできない、21世紀中国語ポップスの傑作じゃないかな。

2018/08/29

岩佐美咲 〜『美咲めぐり ~第2章~』(空想)

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(画像は「第1章」初回盤のジャケット)

 

 

いまの岩佐美咲にはアルバムが二枚ある。『リクエスト・カバーズ』(2013)と『美咲めぐり ~第1章~』(2016)。シングル盤はかなりたくさんあるけれど、いままでに四枚ある DVD(か Blu-ray)とあわせ、アルバムに入っていなくても、歌った曲で作品化されているものは多いんだよね。むろん生現場にどんどん出かけているみなさんはもっとたくさんお聴きだけど、なかなかそれが簡単には叶わないぼくだから、 CD か DVD として販売されているもので、いつも楽しんでいる。

 

 

シングル・ナンバーは、結局のところ、アルバムにまとめたほうが聴きやすいというのがぼくの考え。なんだかんだ言ってアルバム志向が抜けないんじゃないか(古い?)ということのほかに、やはり美咲の歌を一度にまとめてどんどん聴きたいという、ただたんにそれだけのあたりまえな理由で、iTunes でそんなプレイリストを作成し、ばあいによっては CD-R に焼いたりもし、聴きまくる。全曲集だってあるよ。それは作品発売があれば常にアップデイトされる。

 

 

徳間ジャパンからの公式リリース・アルバムは上記のとおりなので、ぼくは勝手に三枚目を考案・作成した。つまり空想の私的な美咲のサード・アルバム。題して『美咲めぐり ~第2章~』。<第1章>には「鯖街道」までのオリジナル楽曲すべてと、ほかは歌い下ろしのカヴァー曲で構成されている。その後、「佐渡の鬼太鼓」が発売され、またカヴァー・ソングもたくさん聴けるようになった。

 

 

もっと前のものでも、これはいい!というものでアルバム収録すべきと判断するものは、『美咲めぐり ~第2章~』に入れることにした。有り体に言っちゃって「20歳のめぐり逢い」のことだけど。そんなこんなでぼくが勝手につくった空想アルバム『美咲めぐり ~第2章~』のコンテンツは以下のとおり。審美に配慮し、それなりに曲順は練ったつもり。約47分間。iTunes でプレイリストを作成し、CD-R にも焼いて、ぼくは満喫。もちろんぜんぶシングル盤収録。

 

 

1. 佐渡の鬼太鼓

 

2. 夢芝居(「佐渡の鬼太鼓」)

 

3. 大阪ラプソディー(「佐渡の鬼太鼓」特別盤B)

 

4. 下町の太陽(「佐渡の鬼太鼓」初回限定盤)

 

5. 若狭の宿(「鯖街道」特別記念盤)

 

6. 空港(「佐渡の鬼太鼓」)

 

7. 旅愁(「佐渡の鬼太鼓」特別盤A)

 

8. 手紙(「佐渡の鬼太鼓」特別盤A)

 

9. 風の盆恋歌(「佐渡の鬼太鼓」特別盤C)

 

10. 20歳のめぐり逢い(「初酒」生産限定盤)

 

11. 木綿のハンカチーフ [ライヴ](「鯖街道」特別記念盤 / 初回盤)

 

12. 糸 [ライヴ](「鯖街道」特別記念盤)

 

 

『美咲めぐり ~第1章~』リリース後の新作オリジナル楽曲は「佐渡の鬼太鼓」だから、当然それをアルバム・トップに持ってきて、2曲目以後はカヴァー・ソング。『美咲めぐり ~第1章~』くらいまでと比較すれば、やはりやや傾向が変わってきたかなという印象があるよね。

 

 

その変化は、なんといっても「佐渡の鬼太鼓」に典型的にわかりやすく表現されている。ど演歌というに近いパッショネイトな一曲で、この路線でここしばらくのあいだの美咲は活動してきているように思うんだよね。だから CD などでリリースされるカヴァー・ソングも同傾向のものを中心に選曲もしているんだろうし、美咲自身の歌唱法もそういった方向へフォーカスしつつある。

 

 

それがなんなのか、今年に入ってぼくもたくさん書いてきたから、今日繰り返す必要はない。手短に言って、大人の女性の持つ情緒、強く激しいパッションを内に秘めているからこそ表面的には落ち着いたシットリ感をあっさりサラリと出せるという、そんな歌手に美咲もなりつつある。大きく深い表現にたどりつきつつあるんだ。

 

 

空想アルバム『美咲めぐり ~第2章~』は、9曲目の「風の盆恋歌」まで、この路線で並べた。なかには「大阪ラプソディー」みたいな、すこし傾向が違うのかも?というものがあるが、倍賞千恵子の「下町の太陽」も含め、軽快でポップな衣をまとっていて表面上は演歌っぽくない歌の、その芯になにがあるか、感じとることができるはず。

 

 

9曲目の「風の盆恋歌」こそ(カヴァー楽曲のなかでは)こんな最近の美咲の新表現を最もよく体現できている傑作歌唱だとみなさんもぼくも判断しているから、この空想アルバムの本編ラストのクライマックスみたいな位置付けにしてある。10曲目以後は、ちょっとしたアンコールというか、ボーナス・トラックみたいなもんかな。

 

 

そのボーナス部では、美咲の得意なライト・ポップスを選んで並べておいた。10曲目の「20歳のめぐり逢い」はすこし前のリリースものだけど、これがやぁ〜っぱりね、いいんだ。すんごく。歌そのものがはじめから哀しく切ないものだから、ってことなんだけど、この美咲の歌いかたでいっそう沁みるんだ。アルバムに収録されていないのが不思議。

 

 

空想アルバム『美咲めぐり ~第2章~』のラスト二曲はライヴ音源。どっちも2017年5月7日に新宿明治安田生命ホールで行われた<岩佐美咲 春LOVEライブ>からのもの。絶品すぎる「糸」(中島みゆき)だけでよかったかもしれないが、「木綿のハンカチーフ」をその前に入れたのは、この太田裕美の曲じたいが個人的大好物だから。

 

 

そして、いままでの岩佐美咲史上最高傑作である「糸」。これでアルバムを締めくくるしかない。オリジナルもカヴァーも、苦しくつらい別れ歌の多いこの歌手にしてはやや珍しく(?)、出会いと愛と幸福と感謝を扱った曲で、ぼくもこれを聴いて常に癒されている。ギター二本のうち一本は美咲自身。ヴァイオリン伴奏も効果大。声が、やわらかくやさしいが、とても強い。

2018/08/28

特に JJF 的キャッチーなギター・リフのない『ブラック・アンド・ブルー』だけど、最高だ

 

 

すごくいいよね、ローリング・ストーンズのこのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』(1976年4月発売)。アメリカン・ブラック・ミュージックへの捧げもの的な側面が強いし。レゲエ要素だって濃く、しかもそれがファンクと合体していたりして、だからまあレゲエ・ファンクだとか、あるいは二曲のシティ・バラードのうち一個はニュー・ソウル・バラードでそれもいいし、な〜んだこれ、最高じゃないか。

 

 

『ブラック・アンド・ブルー』はロニー・ウッド初参加作品だけど、次代ギタリスト・オーディションのさなかに録音セッションが進行したから複数名が…ってことは、この際、どうでもいい。ギター・ソロらしいソロが少ないということは、この事実が影響しているのかもしれないが、そんなことよりも、ミック・テイラー時代のラストになった前作『イッツ・オンリー・ロックンロール』で退廃と死の香りを漂わせていたようなストーンズだったのがこの再生ぶりはどうだ。

 

 

『ブラック・アンド・ブルー』にあるファンクというと、まず1曲目の「ホット・スタッフ」だけど、このジェイムズ・ブラウン流儀のギター・カッティングをキース・リチャーズがやっているなんて(キースだよねこれは?)。途中でキーが変わってサビみたいになるところで、ヴォーカル・コーラスに重なってギター・ソロっぽいものが聴こえる。が、キースはずっと同一のファンク・リフを刻み続けているのがすばらしい。ここまでできるんじゃないか。あっ、その後いちおうのソロがあることはあるなあ。

 

 

「ホット・スタッフ」でのヴォーカルは、ミック・ジャガーの単唱パートよりも、「はぁ〜っとすた〜っふ!」と(多重録音)コーラスでリピートしている部分のほうが大きい。しかし単唱パートでは歌わないでしゃべっているかのようで、ジャマイカのレゲエ DJ のトーストみたいにも聴こえる。「ホット・スタッフ」という曲の創りにだってレゲエ・ビートが含まれている。そんなノリが確実にある。

 

 

『ブラック・アンド・ブルー』で聴ける似たようなレゲエ・ファンク orファンク・レゲエというと、5曲目の「ヘイ・ネグリータ」。間の多いスカスカなビート感と裏拍を強調したリズム・セクションの演奏がレゲエ由来だけど、ジェイムズ・ブラウンふうなファンク・チューンでもある。ミックはやはり「歌わ」ない。DJ スタイルでしゃべったり叫んだりで、このヴォーカリスト、むかしからそうだったが、こういうジャマイカン・ファンクみたいなものと、生来の相性がいいんだぁ。

 

 

3曲目「チェリー・オン・ベイビー」はふうつのレゲエ他作カヴァーなのでおいといて。いかにもオールド・ファッションドなストーンズ流ロックンロール、2「ハンド・オヴ・フェイト」、8「クレイジー・ママ」もストーンズ好きとしては聴き逃せないが、今日は話題の外におく。

 

 

ほかは二曲のリリカル・ナンバー、4「メモリー・モーテル」、7「フール・トゥ・クライ」。どっちもアメリカン・ソウルなバラードになっていて、ある時期以後のストーンズでは毎作必ずといっていいほどあるようなあたりまえのものになった。しかしふりかえってみると『ブラック・アンド・ブルー』のこの二曲が、このバンドにおけるそんな本格路線の初だったかも。ジャジーな雰囲気すら持つ都会的なソウル・バラードっていうのはさ。次作『サム・ガールズ』の「ビースト・オヴ・バーデン」なんかがこの系列の大傑作だ。

 

 

ジャジーと来れば、もちろんアルバム6曲目の「メロディ」。2018年現在のぼくにとって『ブラック・アンド・ブルー』のなかでいちばんグッと来るのがこれだ。ブルージーでもあって、というかビッグ・バンド・ジャズ・ブルーズ楽曲みたいで、しかも第二次大戦前然とした曲想だって持っている。いいなあ、これ。なんでもないルーズなジャムみたいなものかもしれないが。物憂げで、都会の深夜といった雰囲気横溢だ。ここでのピアノとオルガンもビリー・プレストンなのかな。

2018/08/27

ストーンズの JJF もの

 

 

ローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」。アルバム『ベガーズ・バンケット』の先行シングルとして1968年5月24日に発売された。しかしこのシングルが、アルバム(1968年12月6日発売)のティーザーみたいになっているかというと、あまりなっていないように思う。「JJF」はキャッチーなギター・リフを持っているのが最大のウリだけど、『ベガーズ・バンケット』にそんな曲はない。B 面トップの「ストリート・ファイティング・マン」だけかな。

 

 

だけど、その後のストーンズは「JJF」スタイルのギター・リフを中心に曲を組み立てることが増えたんじゃないかと思う。そういうものはそれ以前のストーンズに少なかった。だから「JJF」は一種のブレイクスルーというか、ストーンズ新時代の幕開けを告げるものだったのかも。ぼくはそれを表題のように ストーンズの JJF ものと呼ぶ。瞬時にパッと思いつくだけでそんなストーンズ・ナンバーをチョチョッと拾ってつくったのがいちばん上のプレイリストだ。多くが同傾向だとご納得いただけるかも。

 

 

これらのうち「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「ホンキー・トンク・ウィミン」だけがシングル・オンリーの曲だから、どこからでもいいんだがコンピレイションからピック・アップ。ほかはオリジナル・アルバムに収録されているのでそこから。シングル発売もされているものが多いのだろうと思うけれど、そこまでは調べないとわからないし興味も薄い。ところでストーンズって、けっこう大事な曲がシングル発売しかなかったりするよなあ。

 

 

ギター・リフがカッコよくキマるというと、「サティスファクション」(1965)からこういったキャッチーな自作曲もやるようにはなっていた。しかし JJF things との違いは単音弾きリフかコード弾きリフかどうかだ。これは個人的印象の差としてはデカい。聴感上もかなり違う。自作セレクションにはその系列じゃないのかも?と思うものも混ぜておいた。ちょっぴり似たニュアンスさえあれば。たとえば「レット・イット・ブリード」「ミッドナイト・ランブラー」「ビッチ」なんかは違うものかも。

 

 

「ブラウン・シュガー」「ロックス・オフ」「スタート・ミー・アップ」 などが典型的な JJF スタイル・フォロワーだね。超カッコイイ〜。本当にこういうのが大好きだ。なかでも特に「オール・ダウン・ザ・ライン」(『メインストリートのならず者』)が大好き。このキース・リチャーズのコード・ワークでザクザク踏み進むっていう、これ、快感なんだよね。二枚目 B 面トップだった。

 

 

「オール・ダウン・ザ・ライン」を聴くと、このブギ・ウギ基盤のコード・ワークでザクザクっていうのが、チャック・ベリー由来のものだとよくわかる。そこからふりかえれば、そもそも「JJF」のあんなリフだってチャック・ベリー・スタイルから派生しているのだった。ストーンズが、キースが、どのへんの音楽から出発しているか、鮮明になってくる。

 

 

ところで「JJF」の1968年オリジナルでは、ご存知のようにあの有名リフが出る前にイントロがある。その最後でミック・ジャガーが叫ぶように「ワン、トゥー!」と言って例のリフが出るんだよね。あの瞬間にサブイボ立つほど快感だが、ライヴでこのイントロを再現したことはないはずだ。ライヴでの「JJF」は星の数ほどあるからわからないけれども、公式ライヴ盤にはない。

 

 

スタジオ・オリジナルの「JJF」とライヴ・ヴァージョンとの違いで言えばもう三点。メイン・リフそのものがライヴ演奏ではすこし違う。1969年のアメリカン・ツアーから収録した『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!』のオープニングを飾る「JJF」からして違うんだ。しかもその後は現在2018年まで、そのちょっと違ったリフでそのままやってきている。アイデンティファイできる程度だけど、でも、なんで変えちゃったんだろうなあ?

 

 

もう二点。ライヴでの「JJF」ではあくまであのギター・リフのカッコよさにだけフォーカスしながら進行しているが、スタジオ・オリジナルではビル・ワイマンのエレベもかなり活躍している。ベース音量もふだんのストーンズものよりも大きめで、むしろギター・リフより目立っていると言いたいほど。さらに曲後半から鍵盤楽器(オルガン?)がバーっと入ってきて、しかもシングル・ノートでソロみたいなものを弾きながら曲がフェイド・アウトして終わる。そこはサイケデリックなムードだってあるよね。ちょっぴりドアーズっぽい?

 

 

話がそれた。ここまでの三段落は、曲「オール・ダウン・ザ・ライン」を聴いての派生だ。同じアルバムからのチョイスである「タンブリング・ダイス」はスローだから JJF シングズとは言いにくいかもしれないが、あんな感じのギター・リフが、なんというかこう、内側に折りたたまれたというか、スピーディな疾走感は消して落ち着いた雰囲気にしてあるけれど、曲創りの本質として同じものを持っていると思うんだよね。そういったスローは1969年以後のストーンズにはほかにもあるけれど、代表的な大傑作ということで「タンブリング・ダイス」だけ選んでおいた。

 

 

1970年代以後2018年現在でも、ストーンズのライヴでは、幕開けか本編ラストかアンコールかといった大切な局面で、必ず JJF ものが演奏される。そこに「サティスファクション」もつけくわえれば、例外は一回もないとさえ言えるかも。「サティスファクション」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「ブラウン・シュガー」の三曲で、とっかえひっかえして演出しているんだよね。

 

 

十年一日のごときと笑わば笑え。ある音楽が、あるバンドが、ある曲が、大好きだという心情は、そんなひとには理解できないことだ。好きなものは好き。どこが悪い。

2018/08/26

楽しいルイ・プリマのエンターテイメント

 

 

ベニー・グッドマン楽団がヒットさせた「シング、シング、シング」を、その一年前の1936年に書いて初演したのがルイ・プリマ。だけどルイ・プリマ自身の音楽キャリアでは、キーリー・スミスと結婚していて音楽的にもパートナーで、すなわちラス・ヴェガスでのショーが成功しキャピトルに録音するようになっていた時期が最も充実していたよね。そんな1956〜62年の同レーベルのレコードからのセレクション CD が、1991年の『キャピトル・コレクターズ・シリーズ』。

 

 

この CD (と Spotify)アルバムに収録されている26曲(アルバム曲もシングル・ナンバーもある)は、すべてがヴォイル・ギルモアのプロデュース。たとえば3曲目「ボナ・セーラ」のようにイタリア系の出自を活かしての曲もあるけれど、ルイ・プリマの本領はブギ・ウギ・ベースのポップで楽しいジャンプ・ジャズ・エンターテイメントにある。1956年以後という時期を考えたらアレッと思っちゃうけれど、ラス・ヴェガスのショーにはちょうどよかったんだろう。ルイ・ジョーダンを手本にしているが、10年くらい遅れていたものでも、いま聴いて楽しいよ。

 

 

『キャピトル・コレクターズ・シリーズ』にあるルイ・プリマ最大の代表曲は、間違いなく4曲目の「ジャンプ、ジャイヴ、アン’・ウェイル」だ。ブライアン・セッツァーらもとりあげた。多言無用。ルイ自身は、たとえば11曲目「ウェン・ユア・スマイリング〜ザ・シーク・オヴ・アラビイ」や、14曲目「ペニーズ・フロム・ヘヴン」みたいなスタンダード・ソングでもピアニストにブギ・ウギのパターンを弾かせ、ジャンプ・ナンバー化している。

 

 

アルバム18曲目には「シング、シング、シング」もある。イントロでドラマーがタムを叩くやりかたが、かのベニー・グッドマン楽団も踏襲したルイ・プリマ初演のあの感じではじまって、このハリー・ジェイムズみたいなトランペットがルイ・プリマかな。しかし本編の歌に入ってからは BG 楽団ヴァージョンのよりもずっと軽い。キャブ・キャロウェイみたいなお笑いジャイヴ・スキャットも混じっている。というか、そっちのほうが聴きもので、ルイのヴォーカル本来の持ち味なんだよね、軽妙洒脱滑稽なのがね。その後のトランペット・ソロは真面目に良質だ。

 

 

19曲目「ザット・オールド・ブラック・マジック」と23曲目「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン」は、同様にラテン系アレンジ。といってもイタリアンでなくアフロ・キューバンなリズムになっている。同時期のモダン・ジャズ・メンが「チュニジアの夜」をやっているのを聴いているような気分に、ちょっとだけなる。こういうのもいい。いかにもなふつうのジャズだけど。

 

 

興味深いのはアルバムのラスト二曲「トウィスト・オール・ナイト」「セント・ルイス・ブルーズ」が、ロックンロール調に近づいていることだ。どっちも1962年録音。ニュー・オーリンズ出身のイタリア系アメリカ人でジャズ界の音楽家でも、この時期になればロックっぽいポップさを出すのがあたりまえになっていたんだろうね。

2018/08/25

ヴィンテージ・パームワインのお祭りビート 〜 個人メモ

 

 

 

 

 

深沢美樹さんによるエル・スール盤二枚組『パームワイン・ミュージック・オヴ・ガーナ:フロム・パームワイン・ミュージック・トゥ・ギター・バンド・ハイライフ』。ちゃんとしたことはこの CD セットをお買いになって、音をお聴きになって、深沢さんの解説文をお読みいただきたい。それになにかつけくわえることなど、だれにもできない。

 

 

ぼくはぼくなりに、自分用の私的な感想メモを書いておきたい。なにかちょっとは記して残すだけ残しておかないと、自分の気持ちが解決しないという、いまごろになってそういう気分になってきている。書かないと重大な過失になるとかなんとか、そういうしかめ面したシリアスなことじゃない。ただプライヴェイトの楽しみなだけ。手短に。まだお求めでないみなさんには、ぜひこの CD セットを!と強くオススメしておきたい。楽しいですよ。

 

 

ぼくにとって二枚目がより楽しいと感じる『パームワイン・ミュージック・オヴ・ガーナ』。いちばんグッと来る、マジですんごくいい、楽しいのが、ディスク2の冒頭四曲。すべて E.K.’s Band の曲で、5曲目、Kakaiku & His Band の「Ghana Land」もそうだけど、お祭りのお囃子ビートなのだ。ダンサブル。お祭りといっても、ガーナのことをぼくはなにも知らない。日本の夏祭り、盆踊りに近い感覚があるなと思うんだよね。でもパームワイン・ミュージックはダンス用のものではないらしい。

 

 

日本の盆ダンスがラテン・ミュージックに近かったり(ばあいによってはアフリカンだったり)するのと同様に、『パームワイン・ミュージック・オヴ・ガーナ』CD2 冒頭に収録されている E.K.’s Band の音楽にもラテンなリズム・ニュアンスがある。とぼくには聴こえる。E・K・ニヤメ(とK・ジャシなど数名)は、このアンソロジーの、よくわからないがある意味、中心人物なんじゃないだろうか?CD1も含め、そう聴こえる。

 

 

 

CD2の10曲目、K.Gyasi's Band の「Menya Medofopa」もかなりいい。アクースティック・ギターで弾くリズム・パターンが、これまたまるで盆踊り…、ではなく、なにか日本の流行歌で聴ける一定のノリによく似ている。う〜んと、思い出そうとしても具体的な曲名、歌手名があがらないが、ある時期、1970年代前半ごろかな?日本のいわゆるフォーク系歌謡バンドにこういうのがあったと思うなあ。この K・ジャシのもかなりポップで軽く、コミカルですらある。楽しいぞ、このノリが。

 

 

CD2はマジでぜんぶ最高に楽しいんだけど、 F. Micah's Band の二曲、Boateng's Guitar Band の二曲、K.Gyasi's Band の三曲も最高にすばらしいし、23、24曲目の Kakaiku も完璧だ。ダンス・ミュージックとしてつくられ演奏されたたものじゃないのだといくら説かれても、こ〜れは踊っちゃいますよ、ぼくは。愉快でダンサブルだもんね。

 

 

CD2の18曲目、Boateng's Guitar Band の「Nni Awerehow」。これもまた曲全体のノリ具合やエレキ・ギターのカッティングがですね、特に曲後半部かな、なんだかお囃子ビートというか、ギターがジャジャジャッ、ジャジャジャジャ〜って(これでは伝わらん)このカッティング・スタイルは、日本の歌謡曲ファンにもおなじみのものだ。わかりやすく、踊りやすい。

 

 

それに CD2では CD1と比ーべても、ラテン・ミュージック由来の、というかはっきり言えばキューバ音楽から流入したリズム表現がくっきり刻まれていると思う。これはたぶんぼくだけの個人的感想じゃない。聴けばみんなわかることで、解説文で深沢さんもご指摘なさっている。クラーベをクリップ(の音はクラベスのそれにそっくり)がやったり、ボンゴなど打楽器も使われているものが多い。曲のグルーヴ感全体もキューバ音楽っぽいばあいがある。

 

 

こんなところにもキューバ音楽の全世界的で強烈な拡散力を痛感してしまうのが、ヴィンテージ・パームワイン音楽を聴いても持つぼくなりの個人的感慨メモ。だいたいですね、硬い拍子木みたいな音がカンカンとクラーベのパターンをやっていると、どんな音楽だろうと無分別に反応してしまうぼく。つまらない曲だってそれが聴こえるだけで気持ちいいくらいなんだから(そんな麻薬成分があのビート・パターンにはあると思っている)、ましてや深沢さんのベスト・セレクションで聴けるんだから、即、昇天ものの快感だ。

 

 

そんなところから CD1もふりかえると、いちばんグッと来るのがたとえば13曲目、Abaye Blonya の「Okde Nikoi's Band」。解説文で深沢さんも「まるで日本のお祭りのような感じがする」とお書きで、たしかにぼくにもそう聴こえる。夏だけというよりも、秋の獅子舞のお囃子なんかに近い部分もあるかもなあ。

 

 

そんな視点で(日本で言う鳴り物を中心に)聴くと、たとえば4曲目、Kwesi Agyeman Singing Band の「Sapoma」や、9曲目、Kwabina Mensa の「Odonso No, 3」や、それからなんたって10曲目、Boateng の「Moko No Ye Nyon」などがお祭り模様なビート感で楽しいったらありゃしない。

 

 

ところでパームワイン・ミュージックやいろんな音楽と関係ない話題になっちゃうけれど、その CD1、10曲目の Boateng というひとは、CD2 に収録されている同名のひととは別人らしいが、ぼくたちサッカー好きならオオッ!と反応してしまう名前だ。バイエルン・ミュンヘン所属のドイツ代表で世界のトップ・フットボーラーに Jérôme Agyenim Boateng という選手がいる。ジェローム・ボアテングとカナ書き表記されるこの男性は、ガーナ人とドイツ人のハーフ。異母兄弟は同競技のガーナ代表選手。

 

 

関係ない話だった。

 

 

まあとにかくこんな具合で、上で書いたような、日本の夏のお祭りビート、盆踊りグルーヴ、あるいは河内音頭的なノリが、(特にディスク2で、でもディスク1の音源にも内在する)『パームワイン・ミュージック・オヴ・ガーナ』の大きな部分をかたちづくっているように、ぼくには聴こえる。そんなところが、個人的な聴きどころ、楽しみのプライヴェイト・ポイントとして最高地点。

2018/08/24

マイルズ『ライヴ・イーヴル』の盆踊りはいつどこでやった?

 

 

『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』(2005年発売):1970.12.16〜19録音

 

『ライヴ・イーヴル』1971.11.17 発売

 

 

CD かネット配信で聴くメリットのひとつは、スキップしやすいというところだ。アナログ・レコード(やそれをダビングしたカセットテープ)でもできるけれど、ややメンドくさい。だから、ふつうはいいことなんだけどアルバムぜんぶを通して(最低、片面)じっくり聴くことになるが、ものによってはこれでおもしろみや評価が落ちるばあいもある。

 

 

ぼくにとってのマイルズ・デイヴィス『ライヴ・イーヴル』もこのパターンで、長年イマイチだった。スタジオ音源のせいだ。あれら小品をどうこう言うのはよしておく。お好きなかたもたくさんいらっしゃるみたい。とにかく飛ばし聴きはふつうはよくないことかもしれないが、イージーでカジュアルにスキップできたほうが、かえって音楽作品のおもしろさに気付きやすいこともある。アルバムのトータリティを考えすぎて嫌いなものまでぜんぶひっくるめて我慢して聴くことはない。

 

 

だからはっきり言っちゃいますが、マイルズの『ライヴ・イーヴル』とは、<ライヴ>部分がぼくにとってのすべて。すなわち1970年12月19日、ワシントン D.C. にあるセラー・ドアで収録した当時のマイルズ・バンドのライヴ演奏記録だ。『ライヴ・イーヴル』にはライヴ音源が全4トラックあるが、すべてこの1970.12.19 セラー・ドア 2nd、3rd セットがソース。作品化にあたり、やっぱり細かく編集されている。いちばん上で書いたように、このときのセラー・ドアでのマイルズ・バンドは12月16日分から録音され、19日で出演が終了した。

 

 

『ライヴ・イーヴル』の<ライヴ>はどれもおもしろいが(唯一の例外が、1トラックめ「シヴァッド」3:17 以後の「ホンキー・トンク」部、でもそこまでの「ディレクションズ」部はかなりカッチョイイ)、特にすごいなと思うのがディスク2 最後の二曲(は3rd セット音源)。それで、今日の問題を先に書いておくが、それら二つは、1970.12.19 の現場ではひとつながりの演奏なんだけど、二つめ「イナモラータ・アンド・ナレイション」のおしり約3分21秒間は、セラー・ドア音源じゃないぞ。23:09 からのこと。

 

 

『ライヴ・イーヴル』に収録するにあたり、1970.12.19 の音源はもちろんかなり編集されて、どのトラックもできあがっている。「ワット・アイ・セイ」だけがほぼそのままかなと思う程度で、ほかのトラックは細かく切ったり貼ったりしていると、2005年に『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』が公式発売され聴き比べ、世界のマイルズ・ファンは理解した。

 

 

がしかし、どれもソースはセラー・ドア 1970.12.19 なのであって、ほかのなにかから持ってきているなんてことはない。ところが『ライヴ・イーヴル』ラスト「イナモラータ・アンド・ナレイション」の最後の約三分間は、セラー・ドア音源には存在しないのだ。Spotify でプレイリストを作成しておいたので、みなさんも検証してみてほしい。ありえる可能性は、テオ・マセロが別の日のなにかのマイルズ・バンドのライヴ・テープをくっつけたということだ。

 

 

『ライヴ・イーヴル』の「イナモラータ・アンド・ナレイション」(その前のトラック「ファンキー・トンク」部から「イナモラータ」の演奏がはじまっているが、ソース音源でも「ディレクションズ」最終盤で、そのモチーフが出てきていて、そのままキース・ジャレットのフェンダー・ローズ・ソロになる)では、マイルズ、ゲイリー・バーツとソロをとり、バーツはその終盤で「イナモラータ」のモチーフを吹く。

 

 

続いて、バンド・メンバーではなかったがこの日の飛び入りゲスト、ジョン・マクラフリンのソロ。その途中でジャック・ディジョネットの叩き出すリズムの感じがやや変化して、日本の盆踊りグルーヴみたいなかたちになっているよね。ベースのマイクル・ヘンダスンもそれに合わせている。ちょっぴりだけエレベ・ソロっぽいものがあるが、すぐにキース・ジャレットのエレピ・ソロになる。そこは定常的ではないフリー・リズムだ。14:21 まで。

 

 

14:22 でふたたびマイルズが登場し「イナモラータ」のモチーフを吹き、トランペット・ソロになる。15:13 から約30秒間同じショート・パッセージを反復しバンドもそれに合わせてグイグイ高揚し、15:37 でバ〜ン!と来るエクスタシー。「ファンキー・トンク」部でのキースの無伴奏ソロが終わって、リズム・セクションの合奏でドッカ〜ン!と爆発する 22:07 〜 22:32 の絶頂的快感に続く二回目だ。その直後にマイルズが「イナモラータ」のモチーフを吹いているんだよね。

 

 

話を戻して「イナモラータ・アンド・ナレイション」部。15:37 でピークに達した直後の16:35 で、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」にパッと(テープ編集で)つないである。この曲の例のベース・ヴァンプをマイルズが吹いているよね。『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』では、そこは「サンクチュアリ」部のなかにある。

 

 

そこからはノリが大きく変化し、かなり重たくズッシリ来るものになっているよね。テンポも違う。ソース音源における「イッツ・アバウト・ザット・タイム」部から細かくテープの切り貼りをして編集し、つないであるが、詳しいことは煩雑なだけなので省略。気になるかたは、上のプレイリストでじっくり聴いていただきたい。

 

 

しかし、ここまでぜんぶ、間違いなくセラー・ドア 1970.12.19 サード・セット音源だ。マイルズのソロ、ゲイリー・バーツのソロと続き、アルト・サックスのそれが 23:08 で終わった瞬間に、コンラッド・ロバーツのナレイションが入ってくるのだが、そこからが問題だ。

 

 

ナレイションは、アルト・サックス・ソロ(は最後までセラー・ドア音源にある)が終わった直後に入ってくる。語りの背後でキース・ジャレットのエレピ・ソロが聴こえるよね。コンラッド・ロバーツが最後に "I love tomorrow" と言ってしばらくすると、マイルズのソロになっている。そのままアルバム『ライヴ・イーヴル』が終了。

 

 

そのナレイションからはじまる 23:09 からエンディング(でマイルズが「サンクチュアリ」を吹くが、このころはこの曲のメロディの断片をライヴ・セットのクロージング・テーマ代わりに使っていた)までのマイルズ・バンドの音楽は、『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』全六枚のどこにもないんだよね。どうでしょうか、この事実。

 

 

上でも触れたが、可能性としては、セラー・ドア・ライヴ収録の約一年後の『ライヴ・イーヴル』発売に際し、テオ・マセロが、いつかのどこかのマイルズ・バンドのライヴ・テープの、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」〜「サンクチュアリ」部を、キース・ジャレットのソロ部から切り取ってくっつけた 〜〜 これしかありえないと思う。そこが、1970年暮れ前後の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」〜「サンクチュアリ」であるのは間違いない。が、それ以上のことは、まったくわからない。

 

 

その約三分間のライヴ・テープが、何年何月何日どこで収録されたものなのか、2018年現在でも特定されていないんだよね。専門的研究家のかたがたでも "has not been identified" とおっしゃるので、ぼくなんかにわかるわけがない。ただ、セラー・ドア音源じゃないっていうことと、音質的にかなり劣るものが貼り付いているなということしか言えない。

 

 

しかしその、セラー・ドアのものではない、『ライヴ・イーヴル』の最後約三分間のバンドのノリ、リズムの感じが、ぼくはかなり好き。音質がモコモコしていて悪いせいなのかもしれないが、ちょっとこう、上でもチラッと書いた盆踊りグルーヴにいっそう近づいている。河内音頭的と言ってもいい。ジャック・ディジョネットの叩きかたも(シンバルを除けば)お囃子太鼓みたい。は、言いすぎか、でもおもしろいよね。

 

 

本当に、このマイルズ・バンドの盆踊り、どこでやったものだったんだろうなあ?

 

 

もう一つ、今日言えることは、音質の良し悪しはともかく、コロンビアが権利を持っていていまだ発表されていないマイルズ・バンドのライヴ・マテリアルがわりとあるんだなということ。1967年の欧州ツアーのころから録りだめてあるとは噂に聞いているのだが、たぶんそれは1991年にマイルズが亡くなるまで、ワーナー所有のものも含め、続いたはずだ。

2018/08/23

ビバ!ラ・ムシカ!〜 ファニアの『チーター』

 

 

ニュー・ヨーク・シティのディスコテーク(みたいなとこ?)、チーターで、1971年8月26日に行われたファニア・オール・スターズによるラテン・ミュージックの生演奏ライヴを収録した『ライヴ・アット・ザ・チーター』の Vol. 1&Vol. 2 バラ売り二枚。だけど、今日は二枚一組の作品として扱おう。レコードでは聴いたことがないぼく。CD とネット配信だ。音楽万歳!ホ〜ント楽しいったらありゃしないよね。

 

 

ファニアのチーターは、特別ラテン・ミュージックに傾倒しているというわけじゃないふつうの(ノース?)アメリカン・ジャズやアメリカン・ロックなどの大衆音楽好きだって、みんな知っている。サルサという言葉が音楽のことを指すようになりかけごろのライヴだけど、ちょうどサンタナの二作目『天の守護神』はすでに発表済み、三作目『サンタナ III』の製作中あたりかな?そんな時期のパフォーマンスだし、あの時代のことを考えても、みんなが共感を示すのはわかりやすいことだ。

 

 

ファニア・レーベル、ファニア・オールスターズのこと、そのチーター・ライヴがサルサ・ミュージック史でどんな位置にあるものなのかということなど、そんなことを論じるのは、到底ぼくに不可能で、ただただこのレコーディッド・ミュージックを聴いて楽しんでいるだけだから、ちょっとした個人的感想文を記しておきたい。1991年(だっけな?)の CD リイシューではじめて聴いたけれど、その後はもう大好きでたまらないという、この事実だけは間違いないので。

 

 

ファニアのチーター二枚全体で、ぼくがあるときふと気づいて、これはおもしろいと、音楽的にどうこうっていうのはよくわからないけれども、全体でここがいちばん興味深いと感じるようになっているのが8曲目の「ポンテ・ドゥロ」。これまたいかにもなサルサ・ナンバーで、それのルーツがソンの(延々反復の)モントゥーノ部にあることがこれまたとてもよくわかる演奏。

 

 

しかしこの「ポンテ・ドゥロ」は、おしりの約一分間だけ、それ以前の約八分間とはパターンが違うんだ。八分目あたりで、パッとチェンジする。一曲全体がだいたいパーカッション群の乱れ打ちと短いヴォーカル・パッセージの反復と、この二つで成り立っていて、その上にトランペットとトロンボーンのアンサンブルやソロも乗ったりはする。そのあいだもずっと打楽器群は鳴りっぱなし。そうそう、このライヴ盤にいわゆるドラム・セットは使われていないんですよ。

 

 

八分目ごろにパーカッション勢のめっちゃ激しい応酬になったかと思うと、パッとすぐにそれらがそれまでの時間とは違ったリズム・パターンを一斉にやりはじめ、ベースも入り、ホーン群も乗る。だれかが叫んでいる。リズムのノリは激しくなって、ちょっとディープでコアでヘヴィな感じに変貌するんだけど、たったの一分間だけなので、まるで瞬時の疾風か、短時間の台風襲来か、夏場のスコールか、そんな雰囲気で、あっという間に終わってしまうんだよね。

 

 

一曲の最終盤でパッとパターンがチェンジしてノリが深くなり、そこでは、よりグルーヴィでよりディープな芯の部分に掘り込んで聴かせるようなものっていうと、ぼくはたいていいつもスライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲「スタンド!」を連想する。1969年5月発売の同名アルバム収録。

 

 

 

 

「マウンテンズ」(プリンス)https://www.youtube.com/watch?v=_WmPeLOLDnA

 

 

ところで、以前、ハイチのドラマー、チローロの記事で、ファニアのチーターとの関連を、特にリズム面にフォーカスして、書くぞと予告したような感じになってしまっているが、しかしもちろんそんなことを詳細で具体的に解説する能力などぼくにはないのだ。だけど、両方をお聴きのみなさんなら、ご納得いただけることだと思う。

 

 

西アフリカ由来で、カリブ圏で揺籃された "アメリカ" の大衆音楽の根幹のグルーヴを、チローロも表現していたし、1971年のチーターでのファニアのライヴにもそれがかなりはっきりと流れてきているだけでなく、わかりやすく表出されているよね。サルサのばあい、そこに北米合衆国のジャズやリズム&ブルーズなんかも混じってきていたと感じる。

 

 

1960年代末ごろから1970年代半ばにかけてが、北米合衆国(産)のポピュラー・ミュージックがいちばんおもしろかった時期だったかもしれないと思うんだけど、そのあたりでは、ジャズだ、ロックだ、ソウル(〜ファンク)だ、ラテンだ、なんだとかいわずに、みんなが共振しあっていたと、これは間違いない真実だったと、ぼくは確信している。

 

 

そんなアメリカン・ミュージックの真実のど真ん中に、その要石として、1971年のファニア・オール・スターズの『ライヴ・アット・ザ・チーター』があるんだと、そういう理解をぼくはしている。

 

 

サンタナやスライなど(もっと時代が下ってのプリンスや)のことにここまで言及したけれど、ほかにもたくさんいるじゃないか。ジミ・ヘンドリクスだってボブ・ディランだってスティーヴン・スティルスだって、ドクター・ロニー・スミスだってハービー・ハンコックだってマイルズ・デイヴィスだって、同じ時代の音楽を生きた。

2018/08/22

スティーヴィ『キー・オヴ・ライフ』にあるジャズ 〜 あのころのぼく

 

 

すこし前に書いたように、2018年夏前ごろからの私的 No. 1 スティーヴィ・ワンダーは、『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』の A 面ということになっているけれど、それでもやっぱり忘れられない『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』(1976.9.28)。だってこれが初体験だからさ。やっぱりスペシャルだ。先立つ三部作ほどではないにしても、内容だってかなりいい。ジャズ・ミュージックへの直截的言及だってある。

 

 

にぎやかな二枚組体裁の音楽フィジカル作品が好きだっていうのは前々からくどいほど言ってきているので省略。でもこのスティーヴィの『キー・オヴ・ライフ』は本編たる LP 二枚にくわえ、四曲を収録した EP が附属するという風変わりなもので、ぼくはこの作品以外でそんなかたちを見たことがない。そんなこんながネット配信では消えちゃって「ひとつの」作品となるのが、いいような気もするしわかりにくいような気もする。以下はぜんぶひとつづきでの曲順を書く。

 

 

さて、『キー・オヴ・ライフ』にあるジャズ・ミュージックへの直截言及は、ぼくの聴くところ四曲。まず、ふたつのフュージョン・ナンバー、4「コントゥージョン」、21「イージー・ゴーイン・イヴニング(マイ・ママズ・コール)」。えっ?フュージョンではない?じゃあインストルメンタル・ソウルでどう?同じことだから。

 

 

「コントゥージョン」のほうもいいけれど、個人的には附属 EP の B 面ラストだった「イージー・ゴーイン・イヴニング」が、むかしもいまもかなり好き。このやわらかいフェンダー・ローズにくるまれてハーモニカ・サウンドがあたたかく漂って、スネアをブラシでなでる音もいいよねえ。まさに曲題どおりのリラックスした雰囲気で、少年時代に戻ったかのような気分。

 

 

ところで『キー・オヴ・ライフ』附属 EP は四曲ともかなりいいと思うんだけど、これら、本編に入らなかったのは、この当時1970年代前半〜中頃のスティーヴィの創作意欲がものすごかったという証拠なんだろうなあ。かなりの数をボツにしたらしいしね。

 

 

附属 EP では、トップに来る18曲目「サターン」があまりにも強烈なメッセージ・ソングで、スティーヴィは前からこういうのを歌うし『キー・オヴ・ライフ』にもたくさんあるが、個人的にはこの「サターン」がいちばんグッと来る。銃と聖書を双手に持ってモノ言うあなたのことは信用しない、どうして死んでいくのかもわからない弱いこどもたちを理由なく殺していくあなたがたを見るのはもう嫌、地球はもう終わりだ、わたしはわたしの星へ行く、という内容。

 

 

そんな歌詞も強いものだけど、このサウンドに漂う気高さが、なんて強靭なんだと感じて、ぼくは好きなんだ。これは絶望とか諦めじゃない。希望の歌だというのが、このサウンドやリズムを聴けばわかるよね。そんな両面貼りついたメンタリティは、アルバム『キー・オヴ・ライフ』全編に、それも社会や政治のことを歌ったものではない、個人的ラヴ・ソングをもしっかりとおおっている。

 

 

スティーヴィの『キー・オヴ・ライフ』がぼくにとってスペシャルなものである最大の理由はここなんだ。ハート・ブレイキングな失恋を扱った17曲目のサルサ・ソウル「アナザー・スター」にしたってそう。いやあホントしかしこの曲、いいよねえ。こんなに楽しい歌がこの世にあるのだろうかって思っちゃうくらい、すごく好きだ。歌詞内容はロスト・ラヴだけど、聴いていて、聴き終えて、爽快だもんねえ。

 

 

あれっ、『キー・オヴ・ライフ』にあるジャズ言及のことを話すつもりだったのに。上で書いたフュージョン・ナンバーふたつのほかは、ハービー・ハンコックやそのほかジャズ演奏家が参加しているトラックは無視してそれら以外でなら、みなさんご存知、5曲目「サー・デューク」、11曲目「イズント・シー・ラヴリー」。前者はまったく説明不要だ。デュークにサーをつける尊称って、なかなかすごいよなあ。エリントンのデュークはまあ個人名みたいなもんだけどさ(本名はエドワード・ケネディ)。

 

 

「イズント・シー・ラヴリー」は、一時期、日本のジャズ演奏家が、それもなにかのジョイントやフェスティヴァルのクロージングやアンコールで必ずと言っていいほどやっていた。あれっていったいなんだったのだろうか。それもリズム&ブルーズ、ソウル、フュージョンとは縁が薄そうなメインストリーマーのみなさんもやっていたよねえ。

 

 

そういえば『キー・オヴ・ライフ』は、それ以前の三部作と比較しても、あるいはそのもっと前や、後の作品と並べても、かなりジャズ/フュージョン色が濃いような気がする。今日ここまで書いてきたような表面的に鮮明なものばかりでなく、アルバムの全体にそれが溶け込んでいるじゃないか。それで聴きかえすと、どうやらスティーヴィも時代を意識したのかな、という気がしてきた。

 

 

『キー・オヴ・ライフ』収録曲のレコーディングは、発売前の二年間ほどらしい。ちょうどアメリカでフュージョン・ブームが盛り上がりつつあった真っ最中じゃないか。ビリー・ジョエルだって『ニューヨーク52番街』みたいな作品を発表したし、この1970年代半ばだと、アメリカのいろんな音楽家が似たような傾向のアルバムや曲にトライしていた。

 

 

そんな時代をスティーヴィなりに消化吸収した結果が『キー・オヴ・ライフ』になったということかもしれない。ジャズ(系)のレコードばかり買っていた大学生時分(1979〜82)のぼくが、当時はどうしてこのソウル歌手の二枚組プラスα なレコードを買ったのか、長年、あのころの自分のことが理解できないでいたのだが。でも、中身がこうだとわかっていて買ったんじゃないんだから、マジ、偶然だぜ。一枚目 A 面4曲目「コントゥージョン」が流れてきて、えっ?これでいいの?歌手のレコードでしょ?とかって思ったんだからさ、20歳前後のときは。

2018/08/21

ロック・ヴォーカリスト、ポールよ、恩讐を越えてくれ 〜『パスト・マスターズ Vol. 1』

 

(今日は18曲目まで)

 

 

ビートルズってアイドル・ポップ・グループみたいなもんだったのに、そんな時期でもけっこうスケベなことを歌っていたんだなあって、いま聴きかえすとそう思う。初期のヒット・ソング「プリーズ・プリーズ・ミー」がオーラル・セックスのことを歌った内容だと、ずっと前に書いたけれど、そもそもデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥー」(『パスト・マスターズ Vol. 1』1曲目)だってとらえようによっては、あ、いや、やめとこう。でもこれ、ブルージーだし…。

 

 

まあそんなことはいい。『パスト・マスターズ Vol.1』では、オリジナル曲もさることながら、他作の有名リズム&ブルーズ/ロックンロール・ソングのカヴァーがかなりいいなあって思うわけ。「ロング・トール・サリー」とか「マッチボックス」とかさ。ほかにも数曲ある。昨日書いた『パスト・マスターズ Vol. 2』の内容と比較すれば、オリジナル楽曲創りにかんしては、やっぱりある時期以後どんどんうまくなっていったんだとよくわかる。

 

 

でも、ヴォーカルの出来は最初期からかなりいいぞ。中期以後と比較してもなんら遜色ないどころか、『パスト・マスターズ Vol.1』収録の1962〜65年シングルのほうが勢いがあって元気で、もっといいかもと思うほど。特にポールがすごい。上でかなりいいと書いたリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」で歌うのがポールだ。

 

 

実際、『パスト・マスターズ Vol.1』を、1曲目の「ラヴ・ミー・ドゥー」から通して聴きなおしていて、今回オオッ!となったのが10曲目「ロング・トール・サリー」だったもんね。このシャウトぶり。リトル・リチャードのキテレツぶりとは比較できないが、ここのポールだって大健闘。「イエスタデイ」以後のあんな印象がウソみたい。迫力のロック・ヴォーカリスト、ポール・マッカートニーの実力を思い知る。

 

 

ヴォーカルはリンゴだけど、13曲目、カール・パーキンスの「マッチボックス」もかなり好き。これはしかし1990年代以後かな、ポールが自身のソロ・ライヴ・ステージで歌うようになった。カヴァー・ソングだからできるんだろう。ジョンやジョージの曲をやったという話はまだほとんど聞かない。がしかし、そのうちもっと先になれば、それらだってやってほしいとぼくはポールに期待しているんだよね。だってさ、もうなんかその〜、ある種の恩讐(みたいなものがあるの?)を越えたところに到達してほしいわけなのさ。

 

 

『パスト・マスターズ Vol. 1』にあるオリジナル楽曲篇では、14曲目の「アイ・フィール・ファイン」。ジョンが歌うこの奇跡のような一曲は、レイ・チャールズの「ワット・アイ・セイ」を参考にしたものだけど、ビートルズの全キャリアでも、こんなラテン・フィールなリズム&ブルーズがほかに見当たらないから、だから奇跡だなあって思うんだ。

 

 

話がそれていくかのように思われるかもだけど、日本のグループ・サウンズ、ザ・スパイダースの「バン、バン、バン」は、このビートルズの「アイ・フィール・ファイン」をも下敷きにしている可能性があるかも。あくまで直接的にはマインドベンダーズの「ラヴ・イズ・グッド」だろうけれども、ビートルズの「アイ・フィール・ファイン」は1964年発売のシングルだからなあ。

 

 

『パスト・マスターズ Vol. 1』ラストは、1965年のシングル「ヘルプ!」の B 面「アイム・ダウン」。このオリジナル・ソングもポールがロック・シャウトする。しかもこの曲は、本当にこの時期のビートルズのオリジナル楽曲か?と疑っちゃうほどクラシカルな1950年代の香りのするロカビリー・スタイル。ここでの歌も迫力があるし、このぎゅるぎゅる〜っていうオルガンだってポールなんでしょ〜。やっぱりすごかったよなあ。いまもカッコイイけど、ポールは。エンターテイナーだし。

 

 

だからさ、ポール、ポールの気持ちを察することなんてぼくにはできないけれど、どうか恩讐を越えて、ジョンやジョージのオリジナル・ソングもライヴでやってくんないかな〜、頼むよ〜。

2018/08/20

ぼくのビートルズ購入履歴は『パスト・マスターズ Vol. 2』ではじまった

 

(今日の話は19曲目から)

 

 

20年近く前に表題のような意味のことをネットで発言して、るーべん(佐野ひろし)さんにずいぶんと笑われた(バカにされた?)けれど、あれはほかになにか意味があったのかなあ?とにかく、この会議室メンバーで、その世代で、1988年にはじめてビートルズを買ったなんていうのは JJ さん(とあのころは呼ばれていた)がいちばん遅い!(おかしい?)と断言されちゃった。

 

 

渋谷東急プラザ内新星堂で買ったんだけど(ビートルズの公式 CD はぜんぶここで)、どうして『パスト・マスターズ Vol. 2』をまず最初に買ったのかは、理由をはっきりと憶えている。おなじみの知っている有名曲ばかり並んでいるぞと思ったからだ。ジャズ・アルバムでスタンダードが多いものを選ぶのと同じ気分だった?ここは記憶にない。

 

 

ところで2009年のリマスター盤発売の際に『パスト・マスターズ』は二枚組になったけれど、かつて1988年にはじめてビートルズの全公式音源が公式 CD リイシューされた際には、オリジナル・シングル盤発売時期の早いものを収録した『パスト・マスターズ Vol.1』(1965年7月のものまで)と『同 Vol. 2』の二枚バラ売りだったんだよね。ぼくはまず Vol. 2のほうだけ買った。Vol. 1に知った曲は少なかった。

 

 

ジャケット・デザインは、基本同じものをベースに Vol. 1が黒地、Vol. 2が白地と、ごらんのとおり。

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そんなこともあって、現在では二枚組ワン・セットになっているとはいえ、ぼくのなかではいっしょに話題にするのがむずかしい面もあるから、Vol. 1、Vol. 2 と一日一枚づつとりあげて、思い出と、いま聴いての感想をチョコチョコっとメモしておこう。自分自身のために。先に買って、これでビートルズに本格的にはまった Vol. 2のほうから。これら二枚(組)は、アルバム未収録のシングル・ナンバー集で、アナログ時代にはまとめられていなかったから、バラバラにいろんなのを聴くしかなく、ぼくもそうしていた。

 

 

『パスト・マスターズ Vol. 2』にはかなりの有名曲が多いと上で書いたが、実際、このなかにあるたとえば「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」「ゲット・バック」あたりは(「イエスタデイ」とあわせ)ビートルズに、いや、音楽に興味がないというみなさんだって耳にしたことがあるはず。口ずさめさえするだろう。

 

 

だから今日ぼくも言うべきことはなにもない。ひとつだけ書いておくと、ぼくの場合この『パスト・マスターズ Vol. 2』が、自分でお金を出して買って聴いた初ビートルズだったから思い入れが強く、したがってオリジナル・アルバムに収録されている曲「レット・イット・ビー」も「ゲット・バック」も「アクロス・ザ・ユニヴァース」も、こっちのシングル・ヴァージョンになじみがある。アルバム『レット・イット・ビー』収録ヴァージョンは、いま聴いてもイマイチだったりするかも。

 

 

ところで脱線するけれども、アルバム『レット・イット・ビー』のなかでは、むかしもいまも「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」がいちばんのお気に入り。ほ〜んと好きなんだよね、あのラヴ・バラード?かなにかよくわからないけれど、とにかく到達しがたいむずかしいものへなんとか近づかせてくださいというあの歌が、むかしから、好き。歌のメロディや、それから当時は本人から批判された瀟洒なアンサンブルも、ぼくはかなりお気に入り。「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」ばかりリピート再生していた1990年ごろのぼく。

 

 

『パスト・マスターズ Vol. 2』。かつていちばん好きだったのが4曲目の「レイン」(1966.6)で、ジョンの曲だけど、ぼくがいつも聴いていたのがベースとドラムス(特にスネア)。サイケデリック・サウンドって感じかなあ。よくわからないがとにかく好きで、1991年に開始してその後長く非常勤講師を続けていた明治大学で、なにかビートルズ物語みたいなマクミラン・ランゲージ・ハウスの教科書を選んだ年も、「レイン」を大音量で教室で流し、やかましいと学生は耳をふさいでいた。

 

 

「レイン」で聴ける、ほんと、ポールのベースとかリンゴのドラミング、特にスネア・ワークなんか、かなりすごいものがあると思うけれど。ポールのほうはみんな言うけれど、リンゴのほうは言うひとが少ないよね。どうしてだろう?「レイン」の前、3曲目の「ペイパーバック・ライター」でもかなりいいじゃん。こっちは特にベースを弾きながら歌っているポールが超人だとしか思えない。

 

6曲目「イナー・ライト」で、ジョージのこういった路線をはじめてちゃんと聴いた。実を言うと、ジョージのインド楽曲でいまでもいちばん好きなのがこれ。でもビートルズのなかにあるインド音楽要素は、ジョンもポールも、ある時期は、表現していたばあいも、すこしはあったなあと最近気づくようになっている。また違う話になるので、別の機会に。

 

 

ビリー・プレストンというアメリカ黒人鍵盤奏者のことも、9曲目「ゲット・バック」、10曲目「ドント・レット・ミー・ダウン」ではじめて知った。それにしても「ドント・レット・ミー・ダウン」とか、ほかにも、いい曲がアルバムに入っていなかったんだなあ、ビートルズって。かといって「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」とかは、『マジカル・ミステリー・ツアー』に入れてほしくなかったとか思っているから、ぼくも勝手なもんだ。

 

 

『パスト・マスターズ Vol. 2』だと、その次の11曲目「ザ・バラッド・オヴ・ジョン・アンド・ヨーコ」もかなり好き。この曲ではリズムのシンコペイションがラテン音楽ふう、というかカリビアンなものなのがイイ。そこをいまではハッキリ自覚できるようになったけれど、1988年にだって汲み取ってはいた。なぜかといえば「この感じ」というフィーリングが当時もいまも同じだから。

 

 

アルバム・ラストの15曲目「ユー・ノウ・マイ・ネーム(ルック・アップ・ザ・ナンバー)」こそが、ここ二、三年のぼくがいちばんおもしろく感じる一曲。しかしこれ、1995年にネット活動をはじめて、音楽関係のいろんな場所に顔を出すようになった当初、ビートルズ専門部屋で複数のかたがたが「この曲楽しい」と言っていたのが当時のぼくには理解できず。アホだった。いまもって、基本、アホだけど、微々たる成長でもしているのだろうか?

 

 

「ユー・ノウ・マイ・ネーム」はお芝居音楽だよね。英国の古いミュージック・ホール・ナンバーみたいに仕立ててある。『ザ・ワイト・アルバム』についての文章でも、あるいはもっと前にも、こういった曲が本当に好きになっていると書いたんだけど、本心だ。どうしてそうなっているのか、自覚はない。が、マジで楽しい。これも中間部の劇みたいな部分の前半は、リズムがアバネーラふうに跳ねている(後半はジャジーな2/4拍子)。あの19世紀ごろの英国ミュージック・ホールにもセバスチャン・イラディエールがいた?

2018/08/19

清廉で重厚な音 〜 ライ・クーダー『ザ・プローディガル・サン』

 

 

 

 

ライ・クーダーの今2018年新作『ザ・プローディガル・サン』。いかにも2018年米国産の大傑作だ。あと十数年経れば、そうみなされるに違いない。すくなくとも21世紀のライの、いや、それ以上に21世紀のアメリカン・ミュージック界におけるベスト・ワン作品だと言われるようになるかも。それくらいすごい音楽じゃないだろうか。

 

 

ライの『ザ・プローディガル・サン』のサウンドは、透き通っているが、しかし、固まりのよう。清涼感があるが、しかし、分厚く、熱い。そして異様とも言えるほどの気高さ、崇高さを漂わせている。簡単には近づけないような、そんなオーラを放っているよね。実質的にライと息子ヨアキムのデュオ作品だけど、二名の演奏もライのヴォーカルも、抜群にすばらしい。

 

 

そんな手放しで大絶賛したいライの『ザ・プローディガル・サン』収録の全11曲のうち、ライの自作曲は、2「シュリンキング・マン」、3「ジェントリフィケイション」、10「ジーザス・アンド・ウディ」の三つだけ。他作のものがピルグリム・トラヴェラーズの1「ストレイト・ストリート」、ブラインド・アルフレッド・リードの7「ユー・マスト・アンロード」、スタンリー・ブラザーズの9「ハーバー・オヴ・ラヴ」、ウィリアム・リーヴァイ・ドーソンの11「イン・ヒズ・ケア」。これら以外はすべて伝承ゴスペル・ナンバー。

 

 

アルバム『ザ・プローディガル・サン』のなかでも特に傑出しているとぼくが感じるのが、4「エヴリバディ・オート・トゥ・トリート・ア・ストレインジャー・ライト」〜 7「ユー・マスト・アンロード」までの四曲。いやあ、この四つの輝きかたはすごい。ここがアルバムの個人的クライマックスだ。なかでもやはり5曲目「ザ・プローディガル・サン」がものすごいんじゃないだろうか。

 

 

まず最初、アンビエント・サウンドふうに漂っているかと思うと(そこはライ自身もやったブラインド・ウィリー・ジョンスン「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」の演奏にも似た雰囲気がある)、ジム・ケルトナーふうにヨアキムがドラムス・サウンドを落とし、ライがギターを刻んで歌いはじめ、リフレイン部でクワイア・スタイルの合唱が入ってくるところで鳥肌が立ちまくる。すごいなんてもんじゃないね。中間部におけるかなりノイジーでしかし透明なエレキ・ギターのソロ・サウンドもカッコよすぎる。

 

 

ライのやった伝承曲「ザ・プローディガル・サン」については、たぶん大場浩一(@koichi65oba)さんしか、その出自をしっかりと話題になさっていない。すくなくともいちばん詳しくいちばんちゃんとしていらっしゃる。Twitter で音楽関係のやりとりをさせていただいているのだが、このゴスペルについて、今年六月の連続ツイートで、大場さんにほぼすべてのことを教えていただいた。許可をいただいたので、以下にそれを引用する。ぜんぶ6月21日の投稿。

 

 

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Ry Cooderの新録アルバムのタイトル曲"THE PRODIGAL SON"について、プロの音楽ライターの方でもまともに取り上げた記事を未だ見たことがありません。

 

 

 

 

アフリカン・アメリカンが"THE PRODIGAL SON"のタイトルで録音したモノとしては、たぶん1925年のこれが一番古いかと・・・たまたまSP盤を持ってました。ただし、これはサーモン。

 

 

 

 

 

"BLUES AND GOSPEL RECORDS 1890-1943" でしらべて古い順にならべると

 

 

(1) 1925.01.14.New  York; CALVIN P. DIXON

 

(2) 1926.12.01.New  York; REV. S.J. WORELL (STEAMBOAT BILL)

 

(3) circa.1927.01.Chicago; BIDDLEVILLE QUINTETTE

 

 

 

 

(4) 1927.04.14.New  Orleans,LA; REV. C.F. THORNTON

 

(5) 1927.10.03.Atlanta,GA; REV. J.M. GATES

 

(6) 1930.04.15.New  York; AUNT MANDY'S CHILLUM

 

(7) 1935.03.19.New  York; PINEWOOD TOM (JUSHUA WHITE)

 

(8) 1935.08.07.Atlanta,GA; HEAVENLY GOSPEL SINGERS

 

 

 

 

(9)1939.10.27.Chicago;GOLDEN EAGLE GOSPEL SINGERS

 

となります。

 

 

(4)は持ってないので未聴。

 

 

 

 

(6) AUNT MANDY'S CHILLUMのものはSP盤両面にわたるもので、Part 2ではRy Cooder版に近いメロディーラインが現れます。

 

(7) は歌詞もメロディーも別曲。

 

(8) は完全にRy Cooder版、(9)はこれを踏襲。

 

 

 

 

 

 

GOLDEN GATE QUARTETが1944年にラジオ放送用に録音したトランスクリプション盤が遺されていますが、これも同様。

 

 

 

 

書き忘れましたがRy Cooder版は後半の歌詞は彼(と息子?)の創作です。

 

 

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大場さんは(1)のカルヴィン・ディクスンのサーモンの音源を貼ってくださっている。(8)のヘヴンリー・ゴスペル・シンガーズのと(9)のゴールデン・イーグル・ゴスペル・シンガーズのは、ぼくが YouTube で検索して、これかなと判断したものを貼っておいた。

 

 

これ以上ぼくが重ねる言葉などない。

 

 

2018年6月19〜21日に大場さんは、ライのアルバム『ザ・プローディガル・サン』でとりあげられている自作じゃないもので曲「ザ・プローディガル・サン」以外のものにかんしても、出自を解説なさっていて、ネットでぼくが自力で調べられる範囲では、その一連の投稿群が最も詳しく、参考になる。だからぜひみなさん、読んでみていただきたい。楽しいですよ。

 

 

ライの『ザ・プローディガル・サン』では、自作の2曲目「シュリンキング・マン」でも、出だしはスリーピー・ジョン・エスティスの1938年「エヴリバディ・オータ・メイク・ア・チェンジ」をそのまま使い、さらにギター間奏がチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」歌メロをやはりそのまま引用するなど、さがしどころは多い。

2018/08/18

ふたりのニーナ 〜 ヒンヤリ涼感ショーロ・サンバ二つ

 

 

 

 

いまならわかる、ベケールとヴィルチ、ふたりのニーナが似ているということが。ぼくが知ったのはベケールのほうの2014年盤『ミーニャ・ドローレス』が先。その後、ヴィルチのほうは、昨2017年の『ション・ジ・カミーニョ』で存在に気づき、それに先行する2012年のデビュー作『ジョアナ・ジ・タル』を買って聴いたら、最高だったよ。

 

 

二枚ともすでにこのブログでもそれぞれ別個に書いているが、今日はこのふたりのニーナの二枚が似ているということがぼくにもすこしづつわかってきたので、そのことについてメモしておきたい。なぜならばその共通点とは、いまのこの真夏に聴くのにもってこいのヒンヤリ涼感があるってことだからだ。

 

 

感触だけでなく現実のというか、フィジカル面でも大きな共通性となっているのが、二枚ともでキー・パーソンになっている10弦バンドリン奏者のルイス・バルセロスの存在。ルイスのプレイが本当に見事だ。ベケールの『ミーニャ・ドローレス』では、基本、7弦ギタリストとのデュオだけで伴奏が組み立てられているから、いっそうルイスのうまさが際立っている。ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』でも硬質なバンドリン・サウンド(鉄弦だし)が輝いている。

 

 

この点だけで言えば、ヴィルチの2017年作『ション・ジ・カミーニョ』は(ほぼ)全編がルイスとニーナのデュオで進むのでもっとクッキリしているが、こっちの作品のほうはかなり湿り気があって重たい質感を、つまり温度高めな暑苦しい部分を、ぼくは感じている。だから夏向きじゃないように思うんだよね。ショーロふうサンバじゃないしね。ファドっぽいし。

 

 

そう、ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』、ベケールの『ミーニャ・ドローレス』は、どっちも室内楽的なショーロ・サンバなんだよね。いまのこの八月時期の日本でなら、冷房の効いた小さめのカフェか自室か、どこかの快適な空間でこれら二つの音楽が鳴っていれば、文句なしにこの上なくコンフォタブル。マジだよ、ちょっと試してみて。ぼくはそうしている。

 

 

ふたりのニーナ。ヴィルチのほうの『ジョアナ・ジ・タル』のレパートリーは旧新とりまぜた有名サンバ・ソングで、それをちょっぴりレトロな少人数のショーロ・コンボふう編成で軽妙に仕上げてある。主役女性歌手の歌いこなしも爽やかで、サッパリしていて耳あたりがよく、趣味のいい音楽だよなあ。ここに漂うサロンふうな空気感が実にいい夏向きヒンヤリ性を届けてくれる。

 

 

ぼくはこっちを先に聴いていた、アルバム・リリース順なら二年後のベケール『ミーニャ・ドローレス』は、アルバム題どおり、サンバ・カンソーンの人、ドローレス・ドゥランのレパートリーを歌ったもの。サンバ・カンソーンって、夜の音楽という趣になっていることも多いけれども、ベケールの『ミーニャ・ドローレス』は真夏の昼下がりから夕暮れあたりが実によく似合う。

 

 

しかもヒンヤリした質感があるよね。伴奏のせいもあるけれど、このベケールのほうでは最大の涼感原因は主役女性歌手の発声にあるようにぼくは思う。ノン・ヴィブラートのナチュラルな声がスッと出て、しかもややかすれ気味。声量も小さいというか、これはわざとかな、ささやくようにつぶやくように声を出して、歌うというより、しゃべりかけている。

 

 

そのおかげでベケールの『ミーニャ・ドローレス』では、ぬくもりと温度や湿度を高めに持ちがちな(通常はそれが美点だが)サンバ・カンソーンを、真夏向きのドライな音楽に好変質させているよね。ぼくにはそう聴こえる。伴奏も、6曲目でウーリッアーの電気ピアノ、10曲目でペドロ・サーの電気ギターがソロを弾くけれど、それらもかなり抑制が効いていて(これはプロデュース意図に沿ったものなんだろう)、アルバム全体のサウンドの乾いた冷感を損なわないようになっているよね。

 

 

ヴィルチ、ベケール、ふたりのニーナ。二枚ともアルバムのはじまりはややにぎやかめでやって楽しくスウィングし、しめくくりは二枚ともしっとりめのゆったりバラード調。テンポもほぼないに等しいというほど。この点でもヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』とベケールの『ミーニャ・ドローレス』は共通する創りだ。このまま心地良い午睡に落ちたい。

2018/08/17

マイルズ・クインテットでがんばろう

 

 

『ワーキン』は大学生のころかなり好きだった。その後やや縁遠くなったけれど、かつてはなんども繰り返し聴いていた。最大の理由はジャケットが好きだったから。マイルズの後方に道路をならす例のやつ(名前、なんていうの?)が見えるでしょ。あのクルマのことが、写真でも現実生活で間近に見るのも、意味もなくどうしてだか好きだった。『ワーキン』ジャケットは、そのほかデザイン全体も好き。

 

 

中身はというと、かつてのぼくは A 面にある二曲のきれいなトーチ・ソングとバラードばかり聴いていて、まあ実際いい内容だよなあ。どっちもマイルズ自身もっと早くに別の編成で公式録音しているのが発売もされているが、大学生のころは『ワーキン』ヴァージョンのほうが好きだった。いまではこの印象がほぼ逆転している。

 

 

つまり、『ワーキン』1曲目の「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」(1956年5月11日録音)は、ブルー・ノートへの1954年3月6日録音が先行する。ピアノがホレス・シルヴァーのワン・ホーン・カルテット編成で、現在ではアルバム『ヴォリューム 1』に収録されている。これ、いいんだよ〜。ハーマン・ミュートじゃなくマイルズはカップ・ミュートで吹くのが枯れていて、いい音色だ。

 

 

 

『ワーキン』3曲目の「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」も五月のセッションでの録音。これは同年3月16日に同じプレスティジに録音したのがアルバム『コレクターズ・アイテムズ』B 面に収録されている。ソニー・ロリンズとトミー・フラナガンの参加が耳を引くところ。

 

 

 

それにしても1950年代半ばから後半ごろのマイルズが、こういったバラードやトーチ・ソングを、ハーマン(じゃなくても)・ミュートを使ってきれいでデリケートに演奏するのを聴くのは、本当にすばらしい体験、至福の時間だ。なんど繰り返して聴いても実にいい。「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」も「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」も、2ヴァージョンのどっちがいいかは、結局のところ、個人の好みでしかない。

 

 

『コレクターズ・アイテムズ』には、『ワーキン』収録セッションで再演した同じ曲がもう一個あって、『コレクターズ・アイテムズ』での曲名は「ヴァイアード・ブルーズ」。『ワーキン』5曲目では「トレインズ・ブルーズ」という名前になっていて、作曲者もジョン・コルトレインにクレジットされている。このブルーズも三月ヴァージョンのほうがぼくは好きだ。特にロリンズの味が。

 

 

 

しかし五月のオリジナル・クインテット・ヴァージョンにも目立った特徴がある。いちばんはポール・チェインバーズのソロが終わったあと、マイルズ&トレインでアンサンブルを演奏しているところ。そこはチャーリー・パーカー・コンボのダイアル録音「ザ・ヒム」のラインだ。おもしろいなあ。バードの「ザ・ヒム」のあれは、ジェイ・マクシャン楽団時代にさかのぼる由来があるけれど、書いていると長くなってしまうので省略。ダイアルへのそれは1947年10月28日録音で、マイルズもいる。

 

 

 

同じ曲でも「ヴィアード・ブルーズ」ヴァージョンにはない「トレインズ・ブルーズ」ヴァージョンのあの「ザ・ヒム」の合奏ラインには、ゴスペル・ソングっぽいニュアンスがあるよね。しかも同時に童謡っぽい素朴な旋律の動きでもあって、つまりはホレス・シルヴァーがよく書き演奏するファンキー・タッチなラインに酷似している。だからおもしろいんだ。

 

 

この「ヴァイアード・ブルーズ」だか「トレイズ・ブルーズ」だかの初演に、実はマイルズはいない。ポール・チェインバーズ名義の1956年3月1日か2日録音で、同年九月発売のジャズ・ウェスト盤レコード『チェインバーズ・ミュージック』に収録されたその曲題は「ジョン・ポール・ジョーンズ」。コルトレインとチェインバーズとフィリー・ジョーの名前を取って並べただけ。でもレッド・ツッェペリン・ファンも反応しちゃうよ(笑)。ピアノはケニー・ドルー。作者はコルトレインにクレジットされている。

 

 

 

これら三種類では、ぼくの趣味だと「ヴァイアード・ブルーズ」ヴァージョンがいちばん好き。やっぱりソニー・ロリンズのあのユーモラスなファンキーさ、それはホレス・シルヴァーなんかにも通じるものだけど、あのへんの作曲や演奏のタッチが好きなのだ。みなさんはいかがでしょうか?

 

 

『ワーキン』収録曲は、ほかの「ザ・テーマ」「フォー」「ハーフ・ネルスン」も、ぜんぶマイルズ自身のリーダー・セッションか、あるいは関係したかたちでの先行録音ヴァージョンがある。

 

 

「ザ・テーマ」は1955年11月16日にオリジナル・クインテットでプレスティジに録音。それが『マイルズ』(ザ・ニュー・マイルズ・デイヴィス・クインテット)に収録されている。マラソン・セッションの五月回で2テイクも録音したのは、たんなる曲数かせぎだったのかなあ?

 

 

「フォー」は1954年3月15日にホレス・シルヴァーらをしたがえたカルテットでプレスティジに録音したのが『ブルー・ヘイズ』に収録されている。これは以前も書いたがエディ・クリーンヘッド・ヴィンスンが書いたものである可能性が高い。マイルズの名前が書いてあるけれど、このちょっとした黒っぽいリズム&ブルーズ感覚は、やっぱりヴィンスンっぽいよね。

 

 

「ハーフ・ネルスン」は、チャーリー・パーカー・コンボ時代の1947年8月14日に、サヴォイに録音している。名義はいちおうマイルズ・デイヴィス・オール・スターズとマイルズのリーダー・セッションで、四曲やって SP 発売されたけれど、もちろん中身はテナー・サックスに持ち替えたバードのリーダーシップ。この日の四曲ともマイルズの書いたオリジナル。

 

 

 

あれれ〜っ?ってことは『ワーキン』だと B 面の「アーマッズ・ブルーズ」だけということになるけれど、これはレッド・ガーランドが主役のピアノ・トリオだけの作品で、曲題どおりマイルズご執心のアーマッド・ジャマル・ナンバー。

 

 

な〜んだ、この『ワーキン』っていうアルバムはいったいなんなのか(笑)?1959年12月に発売したプレスティジは、なんらかの編纂意図を持っていたってことなのかなあ?たんなる偶然?でも、レコードの内容はかなり好きだ。むかしはもっとずっと好きだった。

2018/08/16

レコード音楽時代のトロバドール 〜 ホセ・アントニオ・メンデス

 

 

以下の記事本文は、これらの続編です。

 

 

エル・スール盤のホセ・アントニオ・メンデスの CD 三枚。すべて後半部がホセ・アントニオの自作自演で、しかもひとりでのギター弾き語り。それら計26曲をピック・アップしてぜんぶ並べても一時間ちょいなので、自分でプレイリストをつくり、iTunes で聴いたり CD-R に焼いて聴いたりして楽しんでいる。すると、おもしろいことがわかってくるのだった。

 

 

まず整理しておくと、エル・スール盤『フィーリンの真実』(Escribe Solo Para Enamorados)の後半12曲が、スタジオ録音での弾き語り自作自演。1950年代終わりごろのラジオ放送音源か?というのが原田尊志さんのご推測。『フィーリンの誕生』(Canta Solo Para Enamorados)の後半七曲と『フィーリンの結晶』(Usted...el amor...y: José Antonio Méndez Vol. III)の後半七曲が、ライヴ録音での弾き語り自作自演。原田さんの解説文では、場所はホテルか?ナイト・クラブか?ということで、録音時期は判然としないらしい。やはり1950年代後半〜末ごろ?

 

 

それはそうと、計1時間6分のこのホセ・アントニオの自作自演ギター弾き語り音源。ディスク一枚に収録できる長さだし、CD-R かなにかで発売すればいいのになあ。どうですか、エル・スール原田さん?ホセ・アントニオの代表曲はぜんぶあるし、おもしろいし、楽しく心地良くて、ラウンジっていうか自室でもルーム・ミュージックとして極上の雰囲気をつくってくれるし、夜ひとりで聴いていいムードだし、おそらくはカップルとかで聴いても最高なんだと思うし、売れるかも?って思うんですけど。

 

 

まあいい。ホセ・アントニオは、こないだ書いた19世紀末〜20世紀頭ごろのキューバのトロバドール(吟遊詩人)、シンド・ガライたちの末裔なのだ。そんなことが弾き語り音源だとよくわかる。っていうかですね、上でリンクを貼った五月の記事を書いたときにはピンと来てなくて、その後、シンド・ガライの『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』が到着したので聴いて、それではじめてぼくみたいな人間でも気づいたことだった。

 

 

八月にシンド・ガライの記事でも書いた『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』の6曲目「ラ・バラソエーサ」。マノロ・ムレットによるこれが、まるでフィーリンそのもの、っていうか、あの文章のときの正直な気持ちを述べると、エル・スール盤三枚で聴いていたホセ・アントニオの弾き語りにあまりにもクリソツだというところだった。ビックリしたというのが近いかも。

 

 

もちろんマノロ・ムレットがやる「ラ・バラソエーサ」はシンド・ガライの曲だから、シンガー・ソングライター的な意味合いからすこしずれる。だけど、シンド自身のひとりでの弾き語りが一個もないあの CD アルバムで、あるいはひょっとしてシンドはこんな感じだったのかも?と想像を逞しくするに十分なワン・トラックだった。

 

 

19世紀末〜20世紀頭ごろのキューバ(や周辺カリブ諸国でも?)で活動したトロバドールたちは、たぶんだけど、あんな「ラ・バラソエーサ」をやるマノロ・ムレットみたいなやりかただったのかもしれないし、その後、1950年代になってホセ・アントニオがやったようなギター弾き語りは、そのまんまの末裔なのかもしれないよね。

 

 

吟遊詩人の弾き語りが、ぜんぶ個人的恋愛を扱っているわけじゃない。もっと時代がさかのぼっての中世ヨーロッパでは、恋愛も歌うが社会問題もやったりしたようだ。以前、南フランスで活動するマニュ・テロンら三名による『シルヴェンテス』のことを書いた。中世の古オック語でのトゥルバドゥールたちの歌を再現したもの。それは社会派プロテスト・ソングだった。

 

 

 

しかしこのときも、中世南仏の吟遊詩人たちは恋愛を扱うこともあったらしいと書いた。時代が下って19世紀末ごろからのキューバなどでのトロバドールは、やはりもっぱら個人的恋愛を歌ったようだ。ホセ・アントニオらによるフィーリンだって、ほぼ100%ラヴ・ソングばかり。そのへんはたしかにボレーロからも継承している。

 

 

ボレーロにしろフィーリンにしろ、それらがそもそも古いキューバのトローバから流れてきているものなんだっていうこと。これを最近ようやくボンヤリと感じとることができるようになったのだ。しかしシンド・ガライらトロバドールと、ホセ・アントニオの弾き語りにはかなり大きな違いもある。

 

 

トロバドールの時代には、レコード商品としてどんどん複製されることは想定されていなかった。結果的にそうなりはしても、第一義的には「その場」の、「現場」の、オーディエンスだけを想定して曲創りをし、相手にして弾き語ったはず。シンガー・ソングライターだったというのは、このリアルなトポスにこそ意味があった。それがトピックとしての恋愛事情。

 

 

ホセ・アントニオの時代になると、もちろんライヴ演奏などはその場の聴衆を楽しませることがまずは第一義的に念頭にあったかもしれないが、そういうものだって、歌のありようとして、もっと広い仮想オーディエンスを相手にできる内容を持った音楽に仕上がっているじゃないか。全26曲のホセ・アントニオ弾き語り音源は(ラジオ放送用の?)スタジオ収録も「現場」でのライヴ収録も、ぜんぜん差がないんだから。

 

 

こう考えれば、フィーリンのホセ・アントニオは、歴史的な流れとしてはシンド・ガライら古いトロバドールの末裔なのかもしれないが、どっち方向を向いているか、どのへんでどう共感してもらえるか、あるいはどんな(大勢のヴァーチャルな)ひとたちの気持ちを汲み取ってラヴ・ソングを、たとえば「至福なる君」も「あなたがわたしをわかってくれたなら」も「君が欠けていた」も書いて歌ったのかという点で 〜〜 端的に言って音楽家としての立ち位置やアティチュードは異なっているんだよね。

 

 

そんなことを、前から聴いているエル・スール盤 CD 三枚で聴けるホセ・アントニオの弾き語り音源と、こないだはじめて聴いたシンド・ガライのアルバムとで、ちょっと考えてみたのだった。

2018/08/15

All we need is music

 

 

Summer's here and the time is right

 

For dancing in the street.

 

 

All we need is music, sweet music.

 

There'll be music everywhere.

 

There'll be swinging and swaying and records playing,

 

Dancing in the street.

 

 

Oh, it doesn't matter what you wear

 

Just as long as you are there.

 

 

everywhere around the world

 

They'll be dancing.

 

They're dancing in the street.

 

 

There'll be laughing, singing, and music swinging,

 

Dancing in the street.

 

 

No matter where you are!

 

 

サマー・セレブレイション!

 

 

モータウン・レーベル最大のシグネチャー・ソング「ダンシング・イン・ザ・ストリート」。60s モータウン・ヒットのなかではぼくもいちばん好きだ。書いたのはマーヴィン・ゲイとウィリアム・'ミッキー’・スティーヴンスンとアイヴィ・ジョー・ハンター。

 

 

この「ダンシング・イン・ザ・ストリート」という曲の最もストレートなとらえかたは、音楽賛歌&恋愛賛歌、つまり端的に<楽しもう>、Let The Good Times Roll というものだね。最初のヒットはマーサ&ヴァンデラスによる1964年7月31日のシングル・レコード。正確にはゴーディ・レコーズ・レーベルだけど、モータウンが最も勢いのあったころ。くわえて重要なのは、アメリカ社会でちょうど公民権運動の最盛期だったことだ。

 

 

 

しかし今日はそんな社会的意味合い(いま2018年でも通用する "すべての抑圧されているマイノリティに自由を” "社会をいい方向へ変えていこう" 的アンセム)は抜きにして、この「ダンシング・イン・ザ・ストリート」という歌が楽しいんだという話だけ、ちょこちょこっと手短に書いておきたい。パーティ・ソングなんだから。

 

 

"Dancing In The Street" でぼくの iTunes 内を検索して出てきたものをテキトーに並べたのを Spotify で探したら同じものがぜんぶあったのでプレイリストをつくっておいたのがいちばん上のリンクだ。マーサ&ザ・ヴァンデラスのをトップに持ってきて、それ以後は録音・発売順を必ずしも考慮せず、カヴァー・ヴァージョンのなかでは最大のヒットになったデイヴィッド・ボウイ&ミック・ジャガーのものを二番目に置き、三番目以後はマジ、テキトーだ。

 

 

ボウイ&ミックのものは1985年8月19日にシングル盤が発売されているが、その前の月にミュージック・ヴィデオが全世界公開されている。これもやっぱり社会活動というか慈善行為の一環だったんだけど、いま振りかえって観て聴くと、シンプルに音楽的楽しさしかないよね。っていうかそうなってないとお金を集められないわけだけど。当時、このヴィデオは MTV でバンバン流れていたので、ぼくだって記憶がある。

 

 

 

「ダンシング・イン・ザ・ストリート」は歌詞もいいが、リズムとサウンドがもっといいよね。さらにどの面でも、特に歌詞面でかな、リピートが多い。同じようなことをなんども繰り返し延々と歌い、(ヴァージョンによるけれども)リズムもホーン・セクションのリフも同一パターンの反復でできているのが楽しい。これを単調、ワン・パターンだと言うなかれ。ポピュラー・ミュージックってこういうもんだ。

 

 

しかもダンスするっていうかジャンプするようなリズム感だよね。アフター・ビートを、特にドラマーがスネアをかなり強くバンバン叩いて表現している。そのときに聴いているぼくの身体までジャンプしそうになり、だから本当に「どこにいようとも」「どんな格好をしていようと」その場で踊り出したくなる。そんな音楽だ。

 

 

歌のなかで「ぼくたちに必要なのは音楽だけ、楽しい音楽だけだ、どこにでも音楽がある」と賛えるのは、音楽内音楽行為だからメタ・ミュージックだということになるけれど、あっ、いかんいかん、またそっち方向のメンドくさい話に持っていきたがるぼくだから、今日はやめとこう。

 

 

「ダンシング・イン・ザ・ストリート」を聴けば、それにあわせて踊れば、それだけで文句なしに楽しいひとときを過ごせる、真夏のイヤな酷暑も忘れるほど気持ちいいというのは間違いない。楽しい音楽がどこにでもある。聴いて踊れば、あなたがぼくが、だれだろうと、なんだろうと、どうだろうと、関係ないんだ。

 

 

それでいいじゃないか。

2018/08/14

『ザ・テディ・ウィルソン』拡大版

 

 

1930年代後半、テディ・ウィルスン名義でブランズウィック・レーベル(当時コロンビア傘下)がレコード発売したスウィング・コンボ・セッションのこと。それをぼくがどれほど好きか、いまさら繰り返す必要などないはず。

 

 

しかしそれにしても『ザ・テディ・ウィルソン』というかつての二枚組レコード(CBSソニー)の選曲と並び順は実によく考え抜かれていた。昨日ディスコグラフィを書いたテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション全曲集から、自分でもセレクションをつくってみようとしたら、すぐれた曲はことごとく『ザ・テディ・ウィルソン』が選んでいる。録音順から変更して並べた曲順の流れも美しく楽しく、気持ちいい。外れた曲に秀逸なものはほぼなし。

 

 

その編纂者は油井正一さん、粟村政昭さん、大和明さんの三名。おこがましいけれど、やはり慧眼だったと言うしかない。ただし、意図的に外すしかなかったビリー・ホリデイもののなかにはやはりすごくいい歌がある。一連のテディ・ウィルスン on ブランズウィックのセッションでビリー・ホリデイが歌ったものをぜんぶオミットしてあるわけじゃないけれど、たぶんこれは当時の日本盤レコードでビリー・ホリデイ名義のアルバムに入っていないものから選んだということだったんだろう。でも「ウェン・ユア・スマイリング」とかは、両方にあったけどなあ。

 

 

CBSソニー盤の二枚組レコード『ザ・テディ・ウィルソン』の収録全33トラック32曲は、登場順に以下のとおり。

 

 

Blues in C Sharp Minor

 

Mary Had a Little Lamb

 

Too Good to Be True

 

Warmin' Up

 

Sweet Lorraine

 

Sugar Plum

 

Christopher Columbus

 

All My Life

 

Rhythm in My Nursery Rhymes

 

Why Do I Lie to Myself about You

 

Guess Who

 

Here's Love in Your Eyes

 

Sailin'

 

Right or Wrong

 

Tea for Two

 

I'll See You in My Dream

 

He Ain't Got Rhythm

 

Fine and Dandy

 

I'm Coming Virginia

 

Yours and Mine

 

I'll Get By

 

Mean to Me

 

I've Found a New Baby

 

Coquette

 

Ain't Misbehavin'

 

Honeysuckle Rose

 

Just a Mood (Blue Mood) Part I

 

Just a Mood (Blue Mood) Part II

 

You Can't Stop Me from Dreaming

 

When You're Smiling

 

Don't Be That Way

 

If I Were You

 

Jungle Love

 

 

このとおりにつくったプレイリストがこれ↓

 

 

 

 

あっ、いまではやっぱりちょっと説明しておかないといけないのかな、1930年代後半のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションとはなんだったのかを。

 

 

テディ・ウィルスン名義でブランズウィック・レーベルが発売した1935〜1939年の一連の録音は、「ジューク・ボックスのために流行歌曲をパンチを効かせてジャズ化する、編成は七、八人、アレンジ料はなし」といった方針のもとにはじめられたもの。プロデューサーというかお目付け役がジョン・ハモンド(ここはジャズのファンや専門家が言わないところ)。

 

 

だから、1939年1月30日にビリー・ホリデイのヴォーカルで四曲を録音したセッションを最後にジョン・ハモンドが手を引くと、テディ・ウィルスンのこのブランズウィック・セッションもしりすぼみとなり、昨日のディスコグラフィをご覧になっておわかりのように、編成も大規模になってアレンジャーが参加。かなり雰囲気が違ってしまい、シリーズそのものが終了してしまった。

 

 

テディ・ウィルスン名義のこのスウィング・コンボ・セッション・シリーズが、いつごろどうしてはじまったのか?いつごろどうして消滅したのか?については、ぼくの知る限りいままで世界でだれひとりとして明言した記載をしていない。だから、今日ここに書いておく。すべては(コロンビア系レーベルと関係が深かった)ジョン・ハモンドの指揮下にあったということ。

 

 

ってことはつまり、あのビリー・ホリデイの録音集についてぼくも書いた際の記事で触れた内容と、かなり重なっている、というか同じものなのだ。まず最初2001年に、その後そのまま同じ内容で2009年に、コロンビア/レガシーがリリースしたビリー・ホリデイ CD10枚組ボックスの中身は、むろんテディ・ウィルスンがいないビリー・ホリデイのレコードもあるけれど、大半がテディ名義のブランズウィック録音。歌がビリーというだけ。

 

 

 

テディ・ウィルスンのこのブランズウィック・セッションでいちばん数多く歌ったのがビリー・ホリデイだけど、もちろんほかの歌手が参加したセッションもあり、なかには男性だっている。歌手のいないインストルメンタル・チューンも多いが、それらだって素材は当時のポップ・ソングがほとんど。結果、最高のスウィング・ジャズ・コンボ演奏が仕上がっているわけだから、「ジャズとはなんぞや?」「ジャズとポップスとの関係/境界線は?」という問いに、おのずと答えが出ているように思う。むかしも21世紀のいまも同じだ。

 

 

今日の記事のいちばん上でリンクをご紹介したプレイリストは、基本『ザ・テディ・ウィルソン』を尊重しそのまま活かして使い、そこにすこしだけぼくが追加すべきと判断したものを差し込んだだけのもの。追加品はすべてビリー・ホリデイの名唱でバンド演奏も極上品というもの。そうであるがゆえ、むかしもビリー名義のレコードに必ず収録されていた名演名唱だから、『ザ・テディ・ウィルソン』には選べなかった以下の五曲。

 

 

What A Little Moonlight Can Do

 

Miss Brown To You

 

It's Like Reaching For The Moon

 

Foolin' Myself

 

I Can't Believe That You're In Love With Me

 

 

この五曲は録音順に登場するように扱って、しかし録音順の曲収録じゃない『ザ・テディ・ウィルソン』プレイリストのどこに差し込むかは、やはり聴いて楽しい審美要素をぼくなりに最大限に考慮したつもり。その結果、いちばん上のリンクである自作プレイリスト "The Teddy Wilson expanded" ができあがったってわけ。

 

 

こういった傾向のジャズがお好きなみなさんの日常の楽しみのささやかな一助にでもなれば、これ以上の幸せはありません。

2018/08/13

Teddy Wilson Discography on Brunswick 1935-1939

 

 

New York City, July 2, 1935.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Roy Eldridge (trumpet), Benny Goodman (clarinet), Ben Webster (tenor sax), Teddy Wilson (piano), John Trueheart (guitar), John Kirby (string bass), Cozy Cole (drums), Billie Holiday (vocal).

 

 

B 17766-1 I Wished On The Moon (Brunswick 7501)

 

B 17767-1 What A Little Moonlight Can Do (Brunswick 7498)

 

B 17768-1 Miss Brown To You (Brunswick 7501)

 

B 17769-1 A Sunbonnet Blue (And A Yellow Straw Hat) (Brunswick 7498)

 

 

NYC, July 31, 1935.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Roy Eldridge (t), Cecil Scott (cl), Hilton Jefferson (as), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), Lawrence Lucie (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 17913-1 What A Night, What A Moon, What A Girl (Brunswick 7511)

 

B 17914-1 I'm Painting The Town Red (Brunswick 7520)

 

B 17915-1 It's Too Hot For Words (Brunswick 7511)

 

B 17916-1 Sweet Lorraine (Brunswick 7520) - omits Billie Holiday

 

 

NYC, October 7, 1935.

 

 

Teddy Wilson (piano solo).

 

 

B 18129-1 Every Now And Then (Brunswick 7543)

 

B 18130-1 It Never Dawned On Me (Brunswick 7543)

 

B 18131-1 Liza (All The Clouds'll Roll Away) (Brunswick 7563)

 

B 18132-1 Rosetta (Brunswick 7563)

 

 

NYC, October 25, 1935.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Roy Eldridge (t), Benny Morton (trombone), Chu Berry (ts), Teddy Wilson(p), Dave Barbour (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 18196-1 Twenty Four Hours A Day (Brunswick 7550)

 

B 18197-1 Yankee Doodle Never Went To Town (Brunswick 7550)

 

B 18199-1 Eeny Meeny Meiny Mo (Brunswick 7554)

 

B 18209-1 If You Were Mine (Brunswick 7554)

 

 

NYC, November 22, 1935.

 

 

Teddy Wilson (piano solo).

 

 

B 18295-1 I Found A Dream (Brunswick 7572)

 

B 18296-1 On Treasure Island (Brunswick 7572)

 

 

NYC, December 3, 1935.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Richard Clarke (t), Tom Mace (cl), Johnny Hodges (as), Teddy Wilson (p), Dave Barbour (g), Grachan Moncur (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 18316-1 These 'n' That 'n' Those (Brunswick 7577)

 

B 18317-1 Sugar Plum (Brunswick 7577) - omits BH

 

B 18318-1 You Let Me Down (Brunswick 7581)

 

B 18319-1 Spreadin' Rhythm Around (Brunswick 7581)

 

 

NYC, January 17, 1936.

 

 

Teddy Wilson (piano solo).

 

 

B 18517-1 I Feel Like A Feather In The Breeze (Brunswick 7599)

 

B 18518-1 Breaking In A Pair Of Shoes (Brunswick 7599)

 

 

NYC, January 30, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Gordon Griffin (t), Rudy Powell (cl), Ted Mcrae (ts), Teddy Wilson (p), John Trueheart (g), Grachan Moncur (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 18612-1 Life Begins When You're In Love (Brunswick 7612)

 

B 18613-1 (If I Had) Rhythm In My Nursery Rhymes (Brunswick 7612) - omits BH

 

 

NYC, March 17, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Frank Newton (t), Benny Morton (tb), Jerry Blake (cl, as), Tom McRae (ts), Teddy Wilson (p), John Trueheart (g), Lennie Stanfield (sb), Cozy Cole (d), Ella Fitzgerald (v).

 

 

B 18829-1 Christopher Columbus (Brunswick 7640) - omits EF

 

B 18830-1 My Melancholy Baby (Brunswick 7729)

 

B 18831-1 (I Know That You Know - unissued, master no longer exists)

 

B 18832-1  All My Life (Brunswick 7640)

 

 

Chicago, May 14, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Roy Eldridge (t), Buster Bailey (cl), Chu Berry (ts), Teddy Wilson (p), Bob Lessy (g), Israel Crosby (sb), Sidney Catlett (d).

 

 

C 1376-1 Mary Had A Little Lamb (Brunswick 7663) - RE v

 

C 1377-2 Too Good To Be True (Brunswick 7663) - TW also on organ

 

C 1378-1 Warmin' Up (Brunswick 7684)

 

C 1379-1 Blues In C Sharp Minor (Brunswick 7684)

 

 

NYC, June 30, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Jonah Jones (t), Johnny Hodges (as), Harry Carney (cl, bariton sax), Teddy Wilson (p), Lawrence Lucie (g), Jonh Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 19495-2 It's Like Reaching For The Moon (Brunswick 7702)

 

B 19496-2 These Foolish Things (Brunswick 7699)

 

B 19497-2 Why Do I Lie To Myself About You (Brunswick 7699) - omits BH

 

B 19498-2 I Cried For You (Brunswick 7729)

 

B 19499-2 Guess Who (Brunswick 7702)

 

 

Los Angeles, August 24, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Gordon Griffin (t), Benny Goodman (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allen Reuss (g), Harry Goodman (sb), Gene Krupa (d), Lionel Hampton (vibraphone), Helen Ward (v as Vera Lane), Red Harper (v).

 

 

LA 1158 A You Came To My Rescue (Brunswick 7739) - HW v

 

LA 1159 A Here's Love In Your Eyes (Brunswick 7739) - HW v

 

LA 1160 A You Turned The Tables On Me (Brunswick 7736) RH v

 

LA 1161 A Sing, Baby, Sing (Brunswick 7736) RH v

 

 

NYC, October 21, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Irving Randolph (t), Vido Musso (cl), Ben Websrer (ts), Teddy  Wilson (p), Allan Reuss (g), Milton Hinton (sb), Gene Krupa (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 20105-1 Easy To Love (Brunswick 7762)

 

B 20106-2 With Thee I Swing (Brunswick 7768)

 

B 20107-2 The Way You Look Tonight (Brunswick 7762)

 

 

same place, October 28. 1936.

 

 

same personnel.

 

 

B 20142-3 Who Loves You? (Brunswick 7768)

 

 

NYC, November 19, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Jonah Jones (t), Benny Goodman (cl as John Jackson), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), Alan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Biillie Holiday (v).

 

 

B 20290-1 Pennies From Heaven (Brunswick 7789)

 

B 20191-1 That's Life I Guess (Brunswick 7789)

 

B 20292-2 Sailln' (Brunswick 7781) - omits BH

 

B 20193-1 I Can't Give You Anything But Love (Brunswick 7781)

 

 

NYC, December 16, 1936.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Irving Randolph (t), Vido Musso (cl), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), Alan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Midge Williams (v).

 

 

B 20410-1 (I'm With You) Right Or Wrong (Brunswick 7797)

 

B 20411-1 Where The Lazy River Goes By (Brunswick 7797)

 

B 20412-2 Tea For Two (Brunswick 7816) - omits MW

 

B 20413-1 I'll See You In My Dreams (Brunswick 78169 - omits MW

 

 

NYC, January 25, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Buck Clayton (t), Benny Goodman (cl). Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Freddy Green (g), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

 

B 20568-1 He Ain't Got Rhythm (Brunswick 7824)

 

B 20569-2 This Year's Kisses (Brunswick 7824)

 

B 20570-1 Why Was I Born? (Brunswick 7859)

 

B 20571-1 I Must Have That Man (Brunswick 7859)

 

 

NYC, February 18, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Henry 'Red' Allen (t), Cecil Scott (cl, as, ts), Prine Robinson (ts), Teddy Wilson (p), Jimmy McLin (g), John Kiby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 20698-2 The Mood That I'm In (Brunswick 7844)

 

B 20699-2 You Showed Me The Way (Brunswick 7840)
B 20700-2 Sentimental & Melancholy (Brunswick 7844)

 

B 20701-1 (This Is) My Last Affair (Brunswick 7840)

 

 

NYC, March 31, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Cootie Wiilams (t), Johnny Hodges (as), Harry Carney (cl, bs), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 20911-3 Carelessly (Brunswick 7867)

 

B 20912-1 How Could You? (Brunswick 7867)

 

B 20913-1 Moanin' Low (Brunswick 7877)

 

B 20914-1 Fine And Dandy (Brunswick 7877) - omits BH

 

 

NYC, April 23, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Harry James (t), Buster Bailey (cl), Johnny Hodges (as), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Helen Ward (v).

 

 

B 21034-1 There's A Lull In My Life (Brunswick 7884)

 

B 21035-2 It's Swell Of You (Brunswick 7884)

 

B 21036-2 How Am I To Know? (Brunswick 7893)

 

B 21037-1 I'm Coming, Virginia (Brunswick 7893) - omits HW

 

 

NYC, May 11, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Buck Clayton (t), Buster Bailey (cl), Johnny Hodges (as), Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Artie Bernstein (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 21117-2 Sun Showers (Brunswick 7917)

 

B 21118-2 Yours And Mine (Brunswick 7917)

 

B 21119-1 I'll Get By (Brunswick 7903)

 

B 21120-1 Mean To Me (Brunswick 7903)

 

 

NYC, June 1, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Buck Clayton (t), Buster Bailey (cl), Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Freddy Green (p), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

 

 

B-21217-1 Foolin' Myself (Brunswick 7911)

 

B 21218-2 Easy Living (Brunswick 7911)

 

B 21219-2 I'll Never Be The Same (Brunswick 7926)

 

B 21220-1 I've Found A New Baby (Brunswick 7926) - omits BH

 

 

Los Angeles, July 30, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Harry James (t), Benny Goodman (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Harry Goodman (sb), Gene Krupa (d), Boots Castle (v).

 

 

LA 1380 B You're My Desire (Brunswick 7940)

 

LA 1381 A Remember Me? (Brunswick 7940)

 

LA 1382 A The Hour Of Partying (Brunswick 7943)

 

LA 1383 A Coquette (Brunswick 7943) - omits BC

 

 

Los Angeles, August 29, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Harry James (t), Archie Rosati (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), John Simmons (sb), Cozy Cole (d), Frances Hunt (v).

 

 

LA 1404 A Big Apple (Brunswick 7954)

 

LA 1405 B You Can't Stop Me From Dreamin' (Brunswick 7954)

 

LA 1406 B If I Had You (Brunswick 7960)

 

LA 1407 B You Brought A New Kind Of Love To Me (Brunswick 7960)

 

 

Los Angeles, September 5, 1937.

 

 

Teddy Wilson Quartet:

 

Harry James (t), Teddy Wilson (p), Red Norvo (xylophone), John Simmons (sb).

 

 

LA 1408 C Ain't Misbehavin' (Brunswick 7964)

 

LA 1429 A Just A Mood (Blue Mood) - Part I (Brunswick 7973)

 

LA 1430 A Just A Mood (Blue Mood) - Part II (Brunswick 7973)

 

LA 1431 A Honeysuckle Rose (Brunswick 7964)

 

 

NYC, November 1, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Buck Clayton (t), Prince Robinson (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Walter Page (sb), Cozy Cole (d as Swing Roo), Billie Holiday (v).

 

 

B 21982-1 Nice Work If You Can Get It (Brunswick 8015)

 

B 21983-1 Things Are Looking Up (Brunswick 8015)

 

B 21984-1 May Man (Brunswick 8008)

 

B 21985-1 Can't Help Lovin' Dat Man (Brunswick 8008)

 

 

NYC, November 12, 1937.

 

 

Teddy Wilson (piano solo).

 

 

B 22025-1 Don't Blame Me (Brunswick 8025)

 

B 22026-1 Between The Devil And The Deep Blue Sea (Brunswick 8025)

 

 

NYC, November 17, 1937.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Hot Lips Page (t)?, Pee Wee Russell (cl), Chu Berry (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g, sb, d), Sally Gooding (v).

 

 

B 22192-2 My First Impression Of You (Brunswick rejected)

 

B 22193-1 With A Smile And A Song (Brunswick rejected)

 

B 22194-2 When You're Smiling (Brunswick rejected) omits SG

 

B 22195-2 I Can't Believe That You're In Love With Me (Brunswick rejected) omits SG

 

 

NYC, January 6, 1938.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Buck Clayton (t), Benny Morton (tb), Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Freddy Green (g), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 22192-4 My First Impression Of You (Brunswick 8053)

 

B 22194-3 When You're Smiling (Brunswick 8070)

 

B 22195-4 I Can't Believe That You're In Love With Me (Brunswick 8070)

 

B 22255-1 If Dreams Come True (Brunswick 8053)

 

 

NYC, March 23, 1938.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Bobby Hackett (cornet), Pee Wee Russell (cl), Tab Smith (as), Gene Sedric (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Al Hall (sb), Johnny Blowers (d), Nan Wynn (v).

 

 

B 22611-2 Moments Like This (Brunswick 8112)

 

B 22612-2 I Can't Face The Music (Without Singin' The Blues) (Brunswick 8112)

 

B 22613-1 Don't Be That Way (Brunswick 8116) - omits NW

 

 

NYC, April 29, 1938.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Bobby Hackett (c), Jerry Blake (cl), Johnny Hodges (as), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Al Hall (sb), Johnny Blowers (d), Nan Wynn (v).

 

 

B 22822-2 If I Were You (Brunswick 8150)

 

B 22823-1 You Go To My Head (Brunswick 8141)

 

B 22824-1 I'll Dream Tonight (Brunswick 8141)

 

B 22825-2 Jungle Love (Brunswick 8150)

 

 

NYC, July 29, 1938.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Jonah Jones (t), Benny Carter (as), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Nan Wynn (v).

 

 

B 23305-1 Now It Can Be Told (Brunswick 8199)

 

B 23306-2 Laugh And Call It Love (Brunswick 8207)

 

B 23307-1 On The Bumpy Road To Love (Brunswick 8207)

 

B 23308-1 A-Tisket, A-Tasket (Brunswick 8199)

 

 

NYC, October 31, 1938.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Harry James (t), Benny Morton (tb), Edgar Sampson (as), Benny Cater (as), Lester Young (ts), Herschel Evans (ts), Teddy Wilson (p), Albert Casey (g), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 23642-1 Everybody's Laughing (Brunswick 8259)

 

B 23643-1 Here It Is Tomorrow Again (Brunswick 8259)

 

 

NYC, November 9, 1938.

 

 

same personnel.

 

 

B 23687-1 Say It With A Kiss (Brunswick 8270)

 

B 23688-1 April In My Heart (Brunswick 8265)

 

B 23689-1 I'll Never Fail You (Brunswick 8265)

 

B 23690-1 They Say (Brunswick 8270)

 

 

NYC, November 28, 1938.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Bobby Hackett (c), Trummy Young (tb), Toots Mondello (as), Ted Buckner (as), Bud Freeman (ts), Chu Berry (ts), Teddy Wilson (p), Albert Casey (g), Milton Hinton (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 23760-1 You're So Desirable (Brunswick 8283)

 

B 23761-1 You're Gonna See A Lot Of Me (Brunswick 8281)

 

B-23762-1 Hello, My Darling (Brunswick 8281)

 

B 23763-2 Let's Dream In The Moonlight (Brunswick 8283)

 

 

NYC, January 30, 1939.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Roy Eldridge (t), Ernie Powell (cl, ts), Benny Carter (as, ts), Teddy Wilson (p), Danny Barker (g), Milton Hinton (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

 

 

B 24044-1 What Shall I Say? (Brunswick 8314)

 

B 24045-1 It's Easy To Blame The Weather (Brunswick 8314)

 

B 24046-1 More Than You Know (Brunswick 8319)

 

B 24047-1 Sugar (Brunswick 8319)

 

 

NYC, May 10, 1939.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Karl George (tp), Shorty Baker (tp), Floyd Brady (tb), Jake Wiley (tb), Pete Clark (as), Rudy Powell (as), Ben Webster (ts), George Irish (ts), Teddy Wilson (p, arrange), Albert Casey (g), Al Hall (sb), J.C. Heard (d), Thelma Carpenter (v), Buster Harding & Edgar Sampson (arr).

 

 

B 24498-1 Why Begin Again? (Brunswick rejected, and Tax [Sd] m-8018 [LP])

 

 

NYC, June 28, 1939.

 

 

Teddy Wilson and His Orchestra:

 

Karl George (tp), Shorty Baker (tp), Floyd Brady (tb), Jake Wiley (tb), Pete Clark (cl, as, bs), Rudy Powell (cl, as), Ben Webster (ts), George Irish (ts), Teddy Wilson (p, arrange), Albert Casey (g), Al Hall (sb), J.C. Heard (d), Buster Harding & Edgar Sampson (arr).

 

 

B 24824 B Jumpin' For Joy (Brunswick 8438) - ES arr

 

B 24826 A The Man I Love (Brunswick 8438) - TW arr

 

 

NYC, July 26, 1939.

 

 

same personnel as previous session with Thelma Carpenter (v).

 

 

B 24931 A Love Grows On The White Oak Tree (Brunswick 8455) - TC v, BH arr

 

B 24932 This Is The Moment (Brunswick 8455) - TC v, TW arr

 

 

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Regarding CDs.

 

 

All of them are available on Classics label (France) chronological series. 7 CDs separately. There are some trivial mistakes among discographies printed on leaflets.

 

 

"Teddy Wilson 1934-1935" (Classics 508)

 

"Teddy Wilson 1935-1936" (Classics 511)

 

"Teddy Wilson 1936-1937" (Classics 521)

 

"Teddy Wilson 1937" (Classics 531)

 

"Teddy Wilson 1937-1938" (Classics 548)

 

"Teddy Wilson 1938" (Classics 556)

 

"Teddy Wilson 1939" (Classics 571)

 

 

Sony/Legacy label (USA) released all Billie Holiday things on 10-CD-boxed-set "The Complete Billie Holiday on Columbia (1933-1944)" (Legacy 88697538062).

 

 

In April 2018, Mosaic label (USA) released 7-CD-boxed-set "Classic Brunswick & Columbia Teddy Wilson Sessions 1934-1942" (MD7-265 88983460662). This set excludes not only Billie Holiday stuff entirely (quite understandable), but also some other tunes (I don't know why).

265

 

 

2018/08/12

ソングライター、シンド・ガライ 〜 夏向き

 

 

この CD でシンド・ガライ本人の歌はついこないだはじめて聴いたばかりなので、なにか言えるような人間ではありませんが、それでも本当にこれはいい!と、ほかの歌手たちがカヴァーした曲もいい!と、感じているのは間違いのないことだから、自分用のメモとしてチョチョっと書いておこう。そして、これまた bunboni さんに教えていただいたものだ。感謝します。この記事がなかったら、エル・スールへの入荷に気づくのが遅れて、買い逃した可能性がある。

 

 

 

キューバでヌエーバ・トローバという流行があったよね。だからもちろん旧っていうか大元のトローバがあって、19世紀終わり〜20世紀はじめごろ、ちょうど独立期のキューバ(や周辺のカリブ諸国でも?)におけるシンガー・ソングライターたちのことを、中世の吟遊詩人になぞらえてトロバドールと呼び、そんなひとたちの自作自演をトローバと言った。

 

 

CD アルバム『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』附属リーフレットの解説文1ページ目には、サンティアーゴ・デ・クーバを中心に活動したトロバドールたちの名前がたくさん並んでいるが、なかでもペペ(ホセ)・サンチェスとシンド・ガライの二名あたりは、特別すぐれた存在で知名度もあるんじゃないだろうか。

 

 

その解説文によれば、シンドは舞台俳優でありかつ、歌手兼作曲家だったそうで、音楽関係のことはともかく、俳優でもあったとはぼくは知らなかった。がしかしさもありなんと思う。世界のいたるところで、ポピュラー・ミュージックの発生はライヴ・ステージでの演劇や芸能と密接な関係があったのだとは、みなさんご存知のとおり。北米合衆国の音楽だってそうなんだ。キューバでもブラジルでも、インドネシアでも、そしてもちろん日本でも。

 

 

ちょっと脱線するようなしないようなこと。日本テレビ日曜夕方の番組『笑点』。おなじみのとおり落語家、お笑い芸人、マジシャン、楽器をやりながら歌う芸人(音楽家?)など、ごたまぜで登場する…、でもなくて前半部の演芸コーナーと後半部の大喜利コーナーに二分されているけれど、小屋での寄席演芸ライヴのやりかたをコピーしているものなんだよね。音楽好きのお芝居好きで落語好きっていうのは、理解しやすい至極まっとうなありようだ。

 

 

キューバのトロバドールとシンド・ガライ。彼らも19世紀後半の舞台演劇と結び付いたかたちで曲を書き、そして歌ったはず。トロバドールという以上はもちろん自作自演のシンガー・ソングライターで、しかしたぶん、書いて歌った曲がほかの歌手にカヴァーされるなんてことは、その当時から頻繁にあったことなんだろうと推測できる。

 

 

レコード商品が人気流通品になって以後はもちろんそうなった。CD『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』収録の全14曲のうち、シンド自身が歌うのは四曲だけ(1、12、13、14)で、ほかはカヴァーなんだよね。シンドが1968年に亡くなって以後のトリビュート・アルバムから収録したもののよう。

 

 

アルバム収録曲はすべてシンドの自作だけど、ひとつ、10曲目の「トルメントス・フィエロス」だけ、曲はシンドだけど詞を別なひとが書いている。しかし雰囲気に差はない。さらにぼくにとっての驚きは、シンドの自演曲(といっても全部デュオなんだけど)と他演曲とのあいだに差異が聴きとれない。一貫したフィーリン(グ)がアルバム全体にある。

 

 

といっても、曲「ラ・バラソエーサ」。6曲目にマノロ・ムレット・ヴァージョンがあり、13曲目にプライヴェイト録音からというシンドとマリガリータ(孫)とのデュオ・ヴァージョンがあり、この二つはムードが違っている。6曲目のマノロ・ムレットのは、フィーリンっぽい、というよりこれはまさにフィーリンだ。ホセ・アントニオ・メンデスのギター弾き語り音源をみなさんお聴きでしょう、それとソックリだ。

 

 

だから、この「ラ・バラソエーサ」は曲そのものがフィーリンの先取りだったのか?とか思って13曲目のマルガリータとデュオでシンドがギターを弾きながら歌うものを聴くと、あんがい?そんなふうではない。ふつうのカンシオーンだなあ。何年ごろの録音か推測できないが、やはりひとりでギターで弾き語るとフィーリンに近づくということなのか?それもシンガー・ソングライター然とすれば?

 

 

 

このことはフィーリンの本質にかかわりそうで、ホセ・アントニオ・メンデスの弾き語り音源集とあわせて考えてみたいテーマなので、今日は掘り下げないことにする。また、たとえば7曲目「ネウローシス」(ドゥオ・カブリサス・ファルチ)、10曲目「トルメントス・フィエロス」(アドリアーノ・ロドリゲスとドミニカ・ベルヘス)、11曲目「ジャ・エス・タルデ」(ドゥオ・アルメナーレス・マルケス)といったビート・ナンバー(これら以外はフリー・リズム)は、ボレーロやソンのリズム感覚に通じるものがある。

 

 

ってことは、トローバというかシンド・ガライらのカンシオーンは、キューバ歌謡のおおもと、大源流ということになって、そんな大きなテーマは、到底ぼくなんかの手に負えるものじゃないから、夢想だけしておいて、これらについてはこのへんですごすごとケツまくるしかない。

 

 

ところで CD アルバム『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』全体をひとつの空気感が貫いていると上で書いたのが間違いないぼくの実感で、シンド自演も他演も、商業録音も私家録音も関係なく、スーッとひとつのトータリティでもって一枚聴き終えることができると感じている。

 

 

それがなんなのか、ぼくがなにを感じとっているのか、よくわからないというか言葉になりにくいんだけど、今年の日本のあまりにひどい猛暑下で聴くのにちょうどいいヒンヤリした涼感みたいなものがあるなあ、と思うんだ。おかしな感想かなあ。

 

 

なんというか、熱くないんだよね、シンド自演も他演もぜんぶの14曲が。クールな感触がある。このへんも、退散するといいながらまたちょろっと書いちゃうが、シンドの曲のなかに、フィーリンの持つあんなクールネスに通じるものがあったのかも。しかし(後年の)ソンなんかは熱い音楽だよなあ。シンドの曲はビート・ナンバーでもヒヤ〜ッとしている。おかしい。がしかし、これが、ぼくの実感。

 

 

アルバムの14曲、どの演唱も伴奏がおおげさではなく、バンド形式はひとつもなく、すべてがシンプルなギター弾き語りばかりで、このへんは、シンド自身の録音はもちろん、カヴァーしたひとたちもトロバドールのスタイルを尊重して継承したということなのだろうか?

 

 

14曲がすべてシンドの自作曲であることが最大の共通項であるのは、もちろんそうだ。だから、トロバドールは、基本、みずからの弾き語りシンガー・ソングライターというのが本質だという見方に、すこし疑問を投げかけないといけないのかもしれない。他演でも同様のものが仕上がるわけだから、コンポーザーという面で最も秀でていたと言えるかも?

 

 

SP から起こしたシンドの自演は、二曲とも息子のグアリオネクスとのデュオ歌唱で、ギターはシンド自身だけど、そのデュオ歌唱のなんだかフワ〜っとしたハーモニーでもないようなというか、ハモっているのかいないのかよくわからないようなポリフォニーがひろがりを感じさせるものだけど、2〜11曲目のカヴァー集も、多くが似たような自由二重唱であるのも、アルバム全体でのトータリティを感じさせる一因かもしれない。

 

 

はたしてシンド自演の SP が(ひょっとしてぜんぶ?)「シンドとグアリオネクス」で発売されたからカヴァーする歌手たちもそれにならったのか、あるいはそもそもそういうものとして書かれた曲だったのか、そこまではぜんぜんわからない。

 

 

ともかく、シンド・ガライというトロバドールは、そうだから自作自演こそ真骨頂なんだろうという脳みそ先行のぼくの頭でっかちは、アルバム『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』を聴いてみて、大きな部分が消し飛んだ。ソングライターとしてこそ、再評価したい。

2018/08/11

岩佐美咲「佐渡の鬼太鼓」(特別盤)のカップリング曲を聴く

 

 

 

 

岩佐美咲のオリジナル曲「佐渡の鬼太鼓」については、以前ぼくなりに書いたつもりなので、ご覧いただきたい。

 

 

 

この「佐渡の鬼太鼓」特別盤 A、B、C の三種類が、昨8月8日に発売され、ど田舎愛媛県大洲市のぼくんちにも今9日午後に到着。カップリングの四曲で一個のプレイリストをつくり、現在無限ループ再生中だけど、なんだこりゃ?すんごくいいぞ。こりゃもうなにか書けそうな気がしてきた、というかもう、書かずにおらりょうか。ぼくが書かずにだれが書く?(思い上がりもいいところ)。

 

 

三枚の「佐渡の鬼太鼓」特別盤に収録されているカップリング曲を整理すると、以下のとおり。

 

 

ABC共通「旅愁」 (西崎みどり、1974)

 

作詞:片桐和子/作曲:平尾昌晃

 

 

A「手紙」(由紀さおり、1970)

 

作詞:なかにし礼/作曲:川口真

 

 

B「大阪ラプソディー」(海原千里・万里、1975)

 

作詞:山上路夫/作曲:猪俣公章

 

 

C「風の盆恋歌」(石川さゆり、1989)

 

作詞:なかにし礼/作曲:三木たかし

 

 

美咲ヴァージョンのアレンジャーがどなたなのかは記載がない。ぼくの根拠レスなヤマカンでは、たぶん野中”まさ”雄一さんなんじゃないかという気がする。ここのところの美咲が歌って作品化されているもので野中さんが編曲と明記されているものに相通ずるサウンドに聴こえるんだけど、違っているかもしれない。

 

 

上記四曲のうち、美咲ヴァージョンをぼくが過去に耳にしたことがあるのは「風の盆恋歌」だけ。2018.2.4. 恵比寿で聴き、それをパッケージ商品化した DVD(or Blu-ray)『岩佐美咲コンサート2018』にも収録されている。今回の 8.8 CD ヴァージョンについては後述したい。

 

 

 

それ以外の三曲の美咲ヴァージョンを聴くのは、ぼくははじめて。だからやや意外な感じがしたものがある。由紀さおりの「手紙」だ。いや、むかしから由紀さおりのものを聴いていたはずなのに、いつのまにやら身勝手にねじ曲げたイメージが脳内にできあがっていたらしい。美咲ヴァージョンを聴き、意外だと思って、由紀さおりヴァージョンも聴きなおしたら、美咲のものはほぼそれに忠実になっている。

 

 

由紀さおりの1970年オリジナル・シングル・ヴァージョンは Spotify で見つかった。これだ。

 

 

 

しかし、YouTube で検索したら見つかったこの2009年ヴァージョンのほうがもっと好きだ。コメント欄には否定的な意見もあるけれど、かなりいいぞこれ。1970年オリジナルが持っているちょっぴりラテンなフィーリングをグッと拡大し、離別の歌が持ちがちな過度に濃厚な情緒を中和、爽やかで軽快な雰囲気を高め、由紀さおりという歌手の持ち味であるアッサリとしたナイーヴさを前面に出し、歌手本人もそういう方向で歌っている。それにしても、由紀さおりさん、きれいですね、容姿も声も(関係ない話だった)。

 

 

 

ナチュラルでスムースでナイーヴな歌唱表現こそが岩佐美咲本来の持ち味なんじゃないかとぼくは判断しているのだが、そういうところ、つまり濃厚な情緒を、まるで引きずるように、号泣せんばかりに、出しすぎるような、グリグリとやりすぎるような、そんな一般的な<演歌><抒情歌謡>のステレオタイプに、はまっていないところ 〜〜 そういうのが美咲と由紀さおりとの共通点じゃないだろうか。

 

 

一言にすれば、成熟した大人が持つアッサリした爽やか感。テレサ・テンやパティ・ペイジもそうだった。テレサや由紀さおりたちがそれをそういうふうに表現できるのはみなさんご存知だろうが、美咲はまだ若いじゃないか…、と思われそう。でもそれは違うんだ。芸の持つ力とはそういうもんじゃない。生物学的年齢が若くて人生経験が浅くとも、ひとたびマイクの前に立てば、それを超える表現をなしうる、ばあいによっては性別をも超える 〜〜 それが芸の力であり、歌手の、音楽の、ものすごさ、おそろしさなのだ。

 

 

 

 

美咲も、そんな超越的破壊力を持っているんだよね。素直にスッと歌うからこそ、由紀さおりのように大きな歌の深い世界を表現できるし、聴き手の心に沁みてくる。そんなタイプなんだ。それを、今日はじめて聴いた美咲ヴァージョンの「手紙」で再確認した。いやあ、すごいね。美咲ヴァージョンは、基本的には由紀さおりの1970年オリジナルを踏まえているようだが、それと同等の表現ができているとは、驚きでもあった。がそれは、もはや失礼だと言うべきだ、いまの美咲に対しては。

 

 

今日、ぼくが言いたいことの本質は、ここまででぜんぶ言い切ってしまった気分。だけど「風の盆恋歌」についてだけは、以前から 2018.2.4 ヴァージョンのことを散々書いてきてはいるけれど、それでもやはり今日、言葉を重ねておく必要がある。今日さっきから聴いている CD ヴァージョンのアレンジは、あの日、恵比寿ガーデンホールで聴き DVD でも確認したものと同じだ。ってことは、あれの準備段階から野中”まさ”雄一さんさんが仕事をなさっていたということなのだろうか?

 

 

アレンジにもとづいた伴奏は同一だけど、美咲のヴォーカルはかなり深化している。間違いなく二月四日よりあとにじっくり歌いこんで、「風の盆恋歌」という歌を、さらにいっそう自家薬籠中のものとした歌唱表現になっている。その結果、あの 2.4 ヴァージョンよりも激情や濃厚さが薄くなり、今日繰り返しているが、素直で爽やかでナチュラルなフィーリングが出てきている。

 

 

石川さゆりの「風の盆恋歌」とは、ご存知のようにあんな内容なもんだから、やりようによってはしっとり濃厚すぎるパッショネイトなフィーリングになりがちだよね。ところが 8.8 発売の美咲ヴァージョンではアッサリ感すら漂わせ、ナイーヴな衣をまとって、それでこんな内容をさらりとこなしているなんて…。言葉が出ない…。そのせいで、つまり逆の意味で、また泣きそうだ。

 

 

お持ちのかたは、美咲の「風の盆恋歌」を 2.4 ヴァージョンと 8.8 ヴァージョンで聴き比べていただきたい。ややドスが効いていた 2.4 ヴァージョンに比して、8.8 ヴァージョンでは声にキュートな可愛らしさすらあるじゃないか。・・・(ちょっと中断してタオル…)・・・。

 

 

全体的にそうなんだけど、「若い日の美しい私を抱いてほしかった」(一番)、「この命ほしいならいつでも死んでみせますわ」(二番)、「生きて添えない二人なら」「遅すぎた恋だから、命をかけてくつがえす」(三番)など、この歌で特にヤバい部分で、美咲はリスナーにあえて訴えかけず、泣かせようとはせず、特別に強い表現もせず、逆に爽やかなキュートさを出しながら歌っているようにぼくには聴こえる。

 

 

2.4 ヴァージョンも聴きなおしたが、こうではなかった。もっと濃厚なシットリ系演歌という路線を強く出している。8.8 ヴァージョンは濃厚すぎず、かといってドライにもなりすぎない、しかもアイドル系女性シンガーの持つ可愛らしさをも出して、こんな「風の盆恋歌」みたいな内容をしっかり歌い込んでいる。

 

 

これは、かなり、すごいことなんじゃないだろうか。ど演歌ふうな空気を出していた 2.4 ヴァージョンと比べ、これはアイドル時代への逆戻りじゃない。美咲の歌がいっそう深くなった、成長したという証拠なんだよね。由紀さおりがむかしからそういう歌いこなしをしているように、スムーズで素直にスッと伸びるきれいな声でもってサラッとこなしているからこそ、歌に大きな深みと凄みが出るんだよね。

 

 

あぁ、またタオルを…。

2018/08/10

『ビッチズ・ブルー』はこわい?〜 あの時代の刻印

 

 

そう、「こわい」「おそろしい」と言われたことがある。大学生のころのこと。マイルズ・デイヴィスの二枚組アルバム『ビッチズ・ブルー』について。このことは、しかし当時もいまでも、わりと理解できることではある。しかもマイルズのこの作品のサウンドについて、ポイントを突いている表現かもしれないので、ちょっと思い出して、それがどんなことだったのか、憶えている限りのことをメモしておこう。

 

 

いまでも女性関係はダメなぼくだけど、これはむかしからホント〜にどうしようもないという意味で、愛媛大学の学生だったとき、たぶん一回生か二回生(この言いかたは西日本でしか通じない)のころ、米文学購読(とかなんとか、正確な授業名は忘れちゃった)で、同学年のある女子学生の隣の席に腰掛けたことがある。

 

 

関係ないけれど付記しておく。当時の(いまも?)愛媛大学法文学部には法学科と文学科があって、文学科のなかに各専攻があった。英文学専攻とか哲学専攻とか、そのほか数個。その専攻は、入学してすぐには決まらない。一回生の終わりか二回生の終わり(どっちだったか忘れちゃった)に、それを選ぶんだけど、しかし教員数が多くないので人気のある専攻(はっきり言って英文学専攻のことだけど)は抽選みたいなのが実施される。だから、書類提出時に第二、第三希望まで書く欄があった。

 

 

たぶんこれは、大学入学時の18歳は、まだどうなるともわからない、なにを専門的に学びたいかが自覚できていない存在なんだから、一年間か二年間は文学科のなかで専攻を決めず視野をひろく持って学び、そのなかでじっくりと自分にどんなことが向いているのか考えてほしいという意図もあったんだろうと、いまなら思う。

 

 

しかし、こういう方向に進みたいという考えがもう心のなかに決まってある学生のためにもそうでない学生にそれを考えてもらうためにも、一回生時から専門領域の講義や演習を受けられる枠が、限定的だけど用意されてあって、だからぼくは(上で「米文学購読」と書いたような)そんな、いわゆる一般教養科目ではない専門科目を、可能な範囲でどんどん受講していた。それで取得した単位は、専攻に進んでのち、加算されることになっていた。そう、いまでもこれがあるのかな、一般教養科目と専門科目の区別。

 

 

そんなことで、一回生か二回生のときの、たしか夏休み前の暑い時期の米文学購読の、ある週の授業に出席するのがぼくは遅くなって開始時刻ギリギリかちょっと遅れて(といっても、むかしは教師のほうがずっと遅れて教壇に登場していた、その慣習のなかそのまま育って大学教師になってしまったので、ぼくも10〜15分程度遅れて教室に行っていた時期が長い、筒井康隆の『文学部唯野教授』にもそんな描写が出てくる)教室に入ったのだ。

 

 

夏の暑い時期に急いで走るようにして教室に入ったので、汗もかいていたと思うし、すこし息が上がっていたはず。そのまま着席したのが、上のほうで書いた、とある同学年女子学生の隣の席。教室の机が横長であることは大学ではふつうだけど、そのときのその教室は椅子も長椅子というか、ソファじゃないけれど、机の横長サイズに合わせたもので、並んで一つの椅子に数名が座るスタイルだった。

 

 

その女子学生(名前も顔も忘れた)の隣に、息が上がって汗もかいた状態で、しかも勢いよくドンと、さらに密着するような距離で座ったのは、そこしか席が空いていなかったから。それしか理由はなかった。人気授業の開始時刻に間に合わないくらいの到着だったんだから、席が埋まりかけているのはあたりまえのことだ。

 

 

それでそのままふつうに授業を受けて終わったのだが、数日経ってから、席が隣になったその女子学生が、どうしてだかぼくに話しかけるようになった。態度が変わった(と当時は気づいていない)。これはなんだろう?と、あのころ不思議な気分だったんだけど、18か19歳だったんだから、そんなこと、理解してもよさそうなもんだよねえ。アホだ。

 

 

とにかく当時のぼくにはあまり意味がわからなかったが、その女子学生とときどきしゃべるようになって、ぼくが音楽、特にジャズ好きだというのを彼女は知り、「戸嶋くん、レコード貸してくれない?たくさん持っているんでしょ、なにかこれがいいっていうのを、私ジャズはわからないから、適当に選んでくれない?」と言われ、貸したなかにマイルズの『ビッチズ・ブルー』も混ぜておいたのだ。

 

 

ええ、そうです、ぼくは本当になにもわかってなくて、その女性はジャズが聴きたいんだなと(この把握じたいは間違っていなかっただろうけれど)、たんなる音楽的意味として思っただけなので、でもどんな嗜好の持ち主かわからないからぼく自身がすでに好きだったレコードを10枚くらいかな?貸したんだ、大学まで持っていって。

 

 

というのは不正確で、実際にはレコードからカセットテープにダビングしたものを貸した、んじゃなく、あげたんだ。今日の本題にあまり関係がないことを先に書いておく。その女性は、大学がその後すぐ夏休みに入ると、ぼくんちに遊びにきた。そのころのぼくは実家暮らしだから、両親と弟二人もいた。

 

 

ええ、そうなんです、自宅に遊びに来てもそれでもなお、ぼくは彼女の気持ちに、なにも気づいていなかった。20歳前あたりの男女が部屋のなかでふたりになったらなにができるのかもわかっていなかった。いや、たんに読みかじる知識としては持ってはいたかもしれないが、実感も体験もないので、知っていた、わかっていたとは言えないね。

 

 

だから、そのときも、ぼくは部屋のなかでその女性とふたりで座ってお話して(たぶん大学生活のこととか英文学関係のこととか、音楽の話もかな)、いっしょに並んでジャズのレコードを聴き…、っていうそれだけ。ただそれだけだった。う〜ん、アホでしたね。いまでもあまり変わらず。

 

 

母はさすが女性で、以前も書いたがぼくの実家はお店で当時すでに生花も売っていたから、母は店頭から何本か抜いて花束をつくり、帰りがけのその女性に手渡したのだった。そのときも、ぼくなんか、たんなるプレゼント、遊びに来てくれてありがとうというお礼かおみやげみたいなものだったんだろうという、それしか意味がわからなかったもんなあ。まあでもやっぱりそれだけのことだったかもしれないが。

 

 

マイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』。その女性にあげたカセットテープ10本かその程度のなかにそれを入れておいたのが、しばらく経ってほかのアルバムのものとあわせて、感想が返ってきた。『ビッチズ・ブルー』はなんだかこわい、おそろしい、これは、戸嶋くん、なんなん?と言われたのだった。

 

 

前から書いているように、ぼくが『ビッチズ・ブルー』のことをおもしろい、楽しい、カッコイイと心底感じ入るようになったのは、大学四年目の終わりごろの三月お彼岸のお墓参りから帰ってきての自室で二枚目 A 面の「スパニッシュ・キー」を聴いて、天啓みたいなもの、背筋がゾクゾクするようなあの体験があって以後のこと。あのとき以後は、本当にすごい音楽だと楽しめるようになった。

 

 

しかし、それ以前も、わからないなりにこの『ビッチズ・ブルー』の音楽はただならぬものだ、なんだか知らないがすごいことが展開されているぞ、と直感してはいたのだ。じゃなきゃああんなに聴かない。むろん、世評があまりにも著しく高いというのも繰り返し聴いていた理由だ。ぼくにとっては、特に油井正一さんが絶賛なさっていたのがかなり大きかった。でもぼくなりに「なにか」を感じていたはずと思う。

 

 

でもその「なにか」がなんなのか、ちゃんと自覚できていなかった。だから、今日思い出しているその女性に『ビッチズ・ブルー』をカセットに録ってプレゼントしたのは、そんなモヤモヤ感の表出だったかもしれない(は違うのだろうか、たんにやっぱり自分が好きだっただけか)。とくにジャズとかに興味を持ったわけでもなかった(といまではわかるけれど)だれかが、それでも聴いてさえもらえれば解明の糸口を見つける手助け、きっかけをくれるかもしれないとかいう、そんな細い糸をたぐるような心持ちがぼくのなかにあったかもしれない。彼女はそんなこと、思いもしなかったはず。ぼくだって彼女のなんらかの気持ちに1%たりとも気づかなかった。

 

 

その女性が『ビッチズ・ブルー』のことをこわい、おそろしいと感想を述べたのは、しかしわりと的確にこのマイルズ・ミュージックの質感を言い当てていたんだよなあと、いまでは思う。直接的にはベニー・モウピンの吹くバス・クラリネットの、あのトグロを巻くような木管サウンド、あれが出す雰囲気にはたしかに怖ろしい感じがある。

 

 

それだけじゃない。アルバムのほぼ全体のサウンドもリズムも荒々しくハードで、不穏で落ち着かないフィーリングが強いよね。いま考えたらあの二枚組アルバムは、1969年8月の(かのウッドストック・フェスティヴァルの翌日から三日間での録音セッション)時点での、アメリカ黒人音楽家であるマイルズ・デイヴィスが抱く不安、時代の不穏なフィーリングを、うまく音楽に乗せて表現できていたんじゃないかなあ。

 

 

録音に参加した人員数そのものだって多い。フェンダー・ローズの電気ピアノ奏者は、多くの曲で三名が同時演奏。ドラマーも二人合同演奏でパーカッション奏者もいる。ベーシストもウッド・ベース奏者とエレベ奏者の二名が同時に弾く。しかもそれらはクラシカル・ミュージックのオーケストラのように整然と合わせて演奏したりなどしない。ゴッチャゴッチャの混沌状態だ。

 

 

リズムも多重的だけど、サウンド・テクスチャーも複雑。それがしかもカオス状態のままどんどん進む。だれがどこでなにをやっているかもわかにくいし、整ったソロらしいソロもあまりない。「リズム・セクションの上に上物ソロが乗る」みたいな構造が崩れているもんね、『ビッチズ・ブルー』では。マイルズやチック・コリアがキュー出しはしているけれど、だいたいがヤミ鍋みたいなまま、まがまがしく、同時進行している。そう、まがまがしいよな、この音楽は。

 

 

そんな音楽を、現在56歳であるぼくのいままでの音楽体験や知識から、こういうものだと言い表すことはむずかしいことじゃない。実際、いままで書いてきている。がしかし、なんのきっかけだったかわからないが昨夜ふと思い出した大学生のころのあんなエピソードで、『ビッチズ・ブルー』ってどんな音楽?という表現を、あのときその女性がけっこう的確にしたなあ、とふりかえったのだった。

2018/08/09

ストーンズが切り取った静物画

 

 

二人のうちロック・ギタリストだったほうの弟の自慢のひとつだったのが、ローリング・ストーンズのライヴ盤『スティル・ライフ』(1982)1曲目「アンダー・マイ・サム」のことで、これを出だしのリフからソロ部も含めキース・リチャーズと同じように弾けるっていうもの。だからミック・ジャガーにぼくはなり、部屋でふたりでよく遊んだ。それの前にこのアルバムには、デューク・エリントン楽団の「A列車で行こう」(ビリー・ストレイホーン作)が導入として使われている。ラストのアウトロがジミ・ヘンドリクスの弾く「スター・スパングルド・バナー」。

 

 

アウトロの真似はむずかしく、イントロ部はぼくの持つエリントン楽団のレコードで「A列車」をちょろっと鳴らし、すかさず弟に弾きはじめてもらった。ドラマーやベーシストやサイド・ギタリストやキーボード奏者はもちろんなしだから、やっぱりイマイチだったんだよなあ。じゃあ実際にバンドでやればよかったんじゃないかと、いまでは思うけれど、当時10代〜20代頭のころの五歳差ってのはデカかったんだぞ〜。ムリだ。ぼくも弟も高校生時分を中心にスクール・バンドをやっていたわけだから。

 

 

やっていた音楽の種類はまあおんなじようなもんだったけれどね。ぼくのほうがレッド・ツェッペリン・コピー、弟のほうは甲斐バンド・コピーだから。けっこう気持ちの入った甲斐バンド好きで、ぼくが東京に来てからも、弟が甲斐バンドのライヴを観にきたりしたこともあった。ぼくがマイルズ・デイヴィス来日公演を追っかけていたのと同じメンタリティだったのかもなあ。甲斐よしひろは活動中だからまだ可能だが、その気はずいぶん前からないらしい。

 

 

ともかくロック・バンドのライヴ盤とは、真似するアマチュア連中にとっては格好の教材なのだ。もちろんレッド・ツェッペリンもローリング・ストーンズもそのほかも、ライヴ収録後にスタジオでオーヴァー・ダブしたり音を差し替えたりなど、手はくわえてある。1981年のアメリカン・ツアーからとった『スティル・ライフ』だってそう。だけどそれでもまだやりやすいんだっていうのは、みなさんご納得いただけるはず。

 

 

あ、そうだ思い出したぞ。B 面の「タイム・オン・マイ・サイド」も弟とよくふたりで真似して遊んだ。こっちはストーンズのオリジナル曲じゃない。弟とぼくも1960年代のストーンズ版初演じゃなくこの『スティル・ライフ』のをなぞっていた。っていうか弟がどうだったか知らないが、この曲をぼくがはじめて知ったのが『スティル・ライフ』でのことであって、ストーンズ・オリジナルじゃないってこともはじめのうちはわかっていなかった。

 

 

「トゥウェンティ・フライト・ロック」(エディ・コクラン)も「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」(ミラクルズ)も「ジャスト・マイ・イマジネイション」(テンプテイションズ)も、ぜんぶ、ストーンズのこのライヴ・アルバム・ヴァージョンがまず最初の道案内役だったんだ。この(音楽)世代の白人ロック・バンドにはそういった功績だってある。

 

 

ストーンズの『スティル・ライフ』は、ロニー・ウッドが正規メンバーになって以後なら『ラヴ・ユー・ライヴ』(1977)に次ぐライヴ・アルバムだけど、あの二枚組とはかなり雰囲気が違う。あっちのほうはなんだか(いい意味で)まがまがしい感じがしていた。わりとはっきりした黒人音楽トリビュートというかオマージュでもあって、それはエル・モカンボ・サイドのことだけじゃなく、作品全体がそうだなあと聴こえている。

 

 

それに比して『スティル・ライフ』は R&B/ロックンロール・アルバムだよね。しかもどす黒くはなく、軽くて爽快な感じだって、むかしもいまも変わらずする。だから真似しやすいのか…。そこらへんの正確なことはやっぱりわかりきらない。ほかに『ラヴ・ユー・ライヴ』とのサウンド面での大きな差は、鍵盤奏者イアン・マクレガンがいて、さらにもっと大きなのはサックスでアーニー・ワッツが参加していることだ。

 

 

それからビル・ワイマンのベースが(ストーンズにしては)わりとクッキリよく聴こえるというのもほかにあまりない特徴だ。もちろんビルもいつだってふだんから弾いているんだけど、どうもね、ちょっとなかなかわかりにくいというか、ミキシングの際に音量を下げられているんじゃないの?おそらくはミックの意向で?じゃあどうして『スティル・ライフ』ではこんなに聴こえるの?そのへんは、どなたか詳しいかたにお任せしたい。

 

 

歳月の経過とともに聴き手は変わるけれど音楽じたいも変わるっていうのは、ぼくがふだんから繰り返していること。ストーンズの『スティル・ライフ』でもこれを痛感する。かつてはストレートなロック・ナンバー、たとえば2曲目「アンダー・マイ・サム」、3「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」、10「スタート・ミー・アップ」、11「サティスファクション」などが大好きだった。

 

 

ほかだと、やっぱりこのサックス奏者自身のことが好きなアーニー・ワッツが目立ってソロをとる6曲目「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」、9「ジャスト・マイ・イマジネイション」なんかでのそれが、やっぱりジャズで鍛えた旨味だと感じていて好きだけれど、それがそもそも直接的にはリズム&ブルーズ・フィールだともわかっていなかった。関係は深いんだけどね。

 

 

ストレート・ロックな曲であるはずのエディ・コクランの5曲目「トゥウェンティ・フライト・ロック」なんかは、このリズムの、なんちゅ〜かこう〜、ヨレて突っかかり止まったり進んだりする感覚がむかしは嫌いで、なにこれ?もっとストレートにふつうにやってちょ〜、って感じていて、聴く際にスキップすることすらあったのがいまでは正反対だ。すごい解釈だ、さすがはストーンズ!と、いまでは感心する。

 

 

この『スティル・ライフ』ヴァージョンの「トゥウェンティ・フライト・ロック」、これはクラーベ・パターンの延長線上にあるリズム感覚なんだよね。たったの二分間もない小品になっているけれど、特に出だしなど毎コーラス冒頭部での引っかかる感じがラテンっぽくて、最高だ。リフレイン部ではふつうのストレートな8ビートになってはいるが、そこもスムースじゃない感触があるのが好き。むかしは嫌いだったんだけど。

 

 

アーニー・ワッツのソロがいいなあとずっと感じ続けていた「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」「ジャスト・マイ・イマジネイション」二曲のリズム&ブルーズ楽曲カヴァーでも、こっちはいまでもやっぱりこのサックス奏者のことが本当に好きだけど、ちょっと違う印象も出てきている。それは、いままでもボンヤリ無自覚に感じとっていたものかもしれないが。

 

 

「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」では、冒頭部からチャーリー・ウォッツがフロア・タム(じゃないかなあ?)を叩くパターンで表現するノリがいちばんの聴きものだといまでは感じる。ちょっとね、言いすぎかもしれないが、ブラジルの音楽でスルドが使われているときの感触に近いような気がするんだよね。ストーンズとチャーリー・ウォッツでサンバとかスルドとか、おかしな妄想かもしれないが。

 

 

おかしなぼくだけの妄想だったんだという、テンプテイションズの「ジャスト・マイ・イマジネイション」。このストーンズのライヴ・アルバム『スティル・ライフ』で、いまのぼくがいちばんグッと来るのがこれだ。『サム・ガールズ』収録のストーンズ版初演よりも、そしてテンプテイションズのオリジナルよりも、好きだ。

 

 

いちばんいいなと思うのが、ビル・ワイマンのベースで特にわかるシンコペイション。この作品だと珍しく(?)ビルのベースがストーンズ作品で聴こえやすいのが謎の美点だと上で書いたが、この9曲目「ジャスト・マイ・イマジネイション」でいちばんクッキリ聴こえるよね。そのエレベのラインが実にいいなあ。ちょっぴりカリビアン・ニュアンスのある跳ねかただ。アーニー・ワッツのサックスがソロ(短い)でもオブリガートでもいい味。

2018/08/08

転調

 

 

というみなさんおなじみのものがあるよね。曲の途中で、特に後半(終盤)部で、パッと別のキーに変わる(たいていは上がる)ことで、聴き手をハッとさせ劇的な効果を生み出し盛り上げる、あれだ。かなりの快感。だからやみつきになるけれど、同一パターンを繰り返しすぎた快感はやがてつまらなくなるように、音楽も最後まで一調とかワン・コードのものがいいなと思ったりすることもあったりするんだなあ。

 

 

転調はもちろん世界の音楽にある。といってもぼくは世界の音楽をあまり知らないが、民俗音楽や、それを土台にした大衆音楽では、いわゆる転調は少ないのかもしれない。そもそも転調はコーダル・ミュージックの世界での出来事だしね。そうじゃない音楽だって多い。さらに転調は、たぶん西洋のクラシック音楽で用いられるようになったのがはじまりなんじゃないかと思う。

 

 

西洋クラシック音楽の影響は世界のいたるところにおよんでいるので、古典楽曲での効果的な転調に感激してポピュラー・ミュージック界でも用いられるようになったんじゃないかと推測している。日本の大衆歌謡(は流行歌でも演歌でも歌謡曲でも J-POP でもどれもだいたい同じ)での転調は、多くのばあい、キーを一個(半音)か二個(全音)上げるというかたちになっている。

 

 

特に曲終盤部でこれをやって、一個か二個キーを上げて転調し、激情的な演歌やパッショネイトなフィーリングを表現したJ-POP(いま同じことを二回言った)で、それをいっそう強調し、聴き手の感情を揺り動かすのを狙っている。その結果、レコードや CD や配信など商品がより多く売れたらいいなという、作曲者や制作側の意図だよね。

 

 

 

しかし直前のリンクはジェフ・ベック&ロッド・スチュワートの「ピーピル・ゲット・レディ」(1985)。もちろんカーティス・メイフィールドの書いたインプレッションズ時代の曲で、彼らによる1965年ヴァージョンがオリジナル。それからしてすでに転調がある。しかしそれがなくとも、ジェフ・ベックらは転調を入れた可能性があるだろう。

 

 

 

もちろんこんな例は世界のポピュラー・ミュージックのありとあらゆるところで聴けるもので、いちいち具体例なんかあげていられないから、みなさんちょっと脳内検索して思い出すなり聴きかえすなりなどしていただきたい。そしてそういった大衆音楽界での転調は、やはり西洋クラシック音楽でそれが行われているのを範としたんだとぼくは思っている。

 

 

西洋クラシック音楽界において、曲終盤部での大胆な転調が著しい効果を生み出しているのが、いちばん上で Spotify のリンクを貼ったモーリス・ラヴェルの「ボレロ」(作曲、初演とも1928年)なんじゃないかと思う。画像はそのアルバムじゃなく、ぼくの持っているレナード・バーンスタイン指揮のものを出しておいただけ。この「ボレロ」には、転調がそれまでも一般的だった西洋クラシック音楽の歴史のなかでも特異に聴こえる点がいくつかある。

 

 

さほど重要でない、というか一般的な事項から書いておくと、ロマン派の時代にすでに大胆で複雑怪奇な転調は多くなっていた。古典形式における転調は、メイン・キーと関係を持つ近親調へ行くのが一般的だったのが、ロマン派以後はそれも弱くなって、だから「ボレロ」でラヴェルが C メイジャー(ハ長調)→ E メイジャー(ホ長調)と転じているのも、1928年なら奇異じゃない。かなり遠く関係も薄いキーだけどね。

 

 

もっと重要なこと。それはラヴェルの「ボレロ」終盤部におけるあの C→ E への転調があんなにも効果的なのは、曲全体がワン・パターンだからだ。まず、リズムは本当に一個の定常ビートが最初から最後まで維持されて、ぜんぜん変化なし。単調とも言いたいほど平坦なオスティナート・リズムがずっと続いている。

 

 

その上に乗る旋律だって二つのラインしかない。それを仮に A、B とすると、最後の二小節でだけ変化するものの、ラヴェルの「ボレロ」は AとB の2パターンの旋律をただひたすら延々とリピートしているだけなのだ。これも単調というか平坦というか、約16分間、リズムはずっと同じ、メロディはたった二つをひたすら反復するだけっていう、全体的には大きな一つのクレッシェンドでできているが、よく発表できたな、こんな変化なしの曲。

 

 

「ボレロ」はもとはバレエ楽曲なので、踊るためにはリズムもメロディもワン・パターンの反復形式になっていたほうがやりやすいという面はあったはず。しかしラヴェルはたぶんそんな理由だけでこんな淡々とした曲を書いて発表したんじゃない。ワン・グルーヴ反復継続の快感とその最後の最後でトンじゃうことのメタファーとして、あの大胆な転調を入れたんだというのがぼくの見方。

 

 

西洋クラシック音楽では、書いたようにロマン派以後、大胆で複雑な転調が一般的となり、しかも一曲のなかで頻繁に繰り返すようになって、じょじょにもとのキー(主調)がなんだったのか、どのキーに転じたのか、それらを把握しにくくなって、現代音楽で調性概念が崩壊することに結びついた。

 

 

ポピュラー・ミュージックの世界には無調の楽曲や演奏はあまりない。あくまで商品としてなるべくたくさんの一般大衆に売れないと(=ポピュラーにならないと)意味がない世界だから、調のない音楽はやっぱり人気が出にくいだろう。だから作者や演奏者も避ける。一部のジャズでも聴けるアトーナルな演奏は、やっぱり一過性のものでしかなかった。

 

 

しかしラヴェルが「ボレロ」で示したような暗喩としてのワン・グルーヴ維持と転調フィニッシュの快感は、似たようなものが、特にブラック・ミュージック界になかなかあるようにぼくには思えている。特にアメリカのブルーズやファンク・ミュージック、またアフリカン・ミュージックの一部でよく聴けるように思う。

 

 

基本のビートはずっと同じものを維持し、そのワン・グルーヴ(ペダル・フィギュア、またはベース・ヴァンプ)の上で<平坦な>ラインを楽器奏者も歌手も演唱。ワン・パターンの運動継続が快感を生み、オーラスの大波=フィニッシュ=転調に結実する、これはまさにファンク・ミュージックなどのやりかただ。ファンクでは必ずしもフィニッシュで転調はしない。しないばあいがほとんどだ。そのままいつまでも続けていることが多く、レコード商品ならフェイド・アウト処理、ライヴ・ステージでなら突然パッとぶった切って終わる。

2018/08/07

いまでも新しいクール・ファンク 〜 スライ『フレッシュ』

 

 

『暴動』を経て蘇ったバンド、新生スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『フレッシュ』(1973年6月30日発売)。かなりクールだよね。これがあのスライなのか?『スタンド!』までのように楽しくにぎやかに跳ね回るホットな感じはまったくない。もちろん前作『暴動』(1971)でそれが消えたわけだけど、しかし『フレッシュ』は落ち込んでいるばかりではない。生命感があって、しかもスカしたクールネスもあるっていう。だからぼくとしては『暴動』より『フレッシュ』のほうが好み。なんだかジャジーでもあるしね。

 

 

『暴動』でのリズム、特に打楽器はリズム・マシンを中心に組み立てていたが、『フレッシュ』だとそれをそのまま続けて使い、しかもバンドの新ドラマー、アンディ・ニューマークの生演奏ドラミングと混ぜているのが最大の特徴だ。アルバムの随所で聴ける。

 

 

生演奏ドラミングには湿った質感というか、う〜んとうまく言えないが、こう、つまり肉体(fresh ならぬ flesh)感が宿る…ってあたりまえなことだけど、リズム・マシンのあのカチャカチャっていう乾いて無機質なあんな感触と混ざって、『フレッシュ』では不思議で形容しがたいグルーヴを生んでいるよね。

 

 

そのグルーヴ感がどんなものだか的確に表現することは、ぼくの筆力ではむずかしい。1曲目「イン・タイム」で、まず最初ドラム・マシンが鳴りはじめたなと思った次の瞬間にアンディの生演奏ベース・ドラムが来て、そのほかも入ってくる。ギター、ベースとくわわってスライが歌いはじめ、ホーン・セクションが入ってくるあたりで、かなりの快感。この「イン・タイム」の乾いているんだか湿っているんだかわからない摩訶不思議な音の質感がマジでいいね。

 

 

アルバム『フレッシュ』のことは、ここまででぜんぶ言い尽くしてしまったような気分。スライのヴォーカルも、『暴動』のようにはひどく落ち込んでも荒れてもおらず、アルバム『スタンド!』やシングル曲「サンキュー」までのような艶ややかすら感じられる。絶望感はやはり漂っているが、暗く落ち込んでいるようなところからはすこし上向いている。いや、ちょっと開き直ったというか…、うんまあわかりませんが。

 

 

絶望と開き直りみたいなものをアルバム『フレッシュ』でぼくが一番実感してしまうのが、スライの曲ではない9曲目「ケ・セラ、セラ」。そう、古めのアメリカン・ポップス愛好家のみなさんもご存知、あのドリス・デイ1956年のヒット曲。もとは映画の挿入歌だった。こんな感じ↓

 

 

 

だからこれはちょっとノーテンキな、ということじゃないにしても、まあ楽観主義な歌なわけ。それをスライはこんなにもアーシーでソウルフルで、かなりブルージーで(ギター・サウンド)、しかも重たく暗い絶望に富む一曲に仕上げてしまった。原曲が超有名ポップ・ソングなだけに、それだからこそ、いっそうスライのこの気分が沁みてしまう。これはちょっとしんどくて聴けないときがある。

 

 

アルバム『フレッシュ』全体にこんなヘヴィな感触が濃厚に漂っていて、しかしサウンドとリズムには軽く跳ねるライトネスもあり、必ずしも『暴動』のように落ち込み路線まっしぐらはない。黒人同胞(特にブラック・パンサーなど急進派)のプレッシャーから解放された 〜 『フレッシュ』の録音は1972年にはじまっている 〜 ということも影響したかもしれない。

 

 

アルバム10曲目「イフ・イット・ワー・レフト・アップ・トゥ・ミー」は、1968年ごろまでのスライでよく聴けたようなわらべ歌系の一曲で、しかしあっという間に終わってしまう短いもの。こんな路線の楽曲もまじっている、それも「ケ・セラ、セラ」の次にそれが来るというのはおもしろい。これ、ホント、かつてのあのころのスライ・ナンバーにそっくりだよ。シリアスでヘヴィなブラック・ミュージックの愛好家にはそこがイマイチかも。

 

 

重たいのか軽いのか、暗いのか明るいのか、そのへんがよくわからないが、有機と無機のリズムとサウンドを合体させ、唯一無二の不思議な質感のファンク・グルーヴを編み出してしまったスライの『フレッシュ』。『ヴードゥー』 のディアンジェロなど、現在の21世紀型音楽につながっているのは、このアルバムのスライだよね。いまでも新しい。

2018/08/06

グナーワ・ディフュジオンにぼくが感じていたものとはなにか

 

 

(こないだ、フランス在住のカビール音楽家アムジークのことを書いた際にぼんやり浮かんだことの続きです)

 

 

20世紀末に、新宿丸井地下ヴァージン・メガストアのワールド・ミュージック・コーナーで発見して買ったグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』(1999)。あの当時、どうしてあんなにハマって聴きまくったのか、そのすこし前から狂い聴きしていた ONB(オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス)のデビュー・ライヴ・アルバムとともに、ぼくにとってのマグレブ音楽入門、ひいてはアラブ音楽入門だったわけだけど、いったいなんだったのか?ああいったミクスチャー・バンドはその後しぼんだように見えるのだが、それも本当なのだろうか?

 

 

マグレブ系ミクスチャー・バンドが尻すぼみになったかどうか、時流に疎いぼくにはなんとも判断できない。たしかにそうなんじゃないかと見えているんだけど、それでも HK などはかなり現役トップ・ランナー感が強く、2013年には『脱走兵たち』の大傑作もリリースしているし、だからやっぱりわかんないや。でも、ONB とグナーワ・ディフュジオンの二つのバンドは、たしかに不活発になっている。

 

 

この二つのバンドこそ、ぼくにとってのワールド・ミュージック新世紀を切り拓いてくれた存在で(それ以前は中南米とサハラ以南のアフリカばかりだった)、いまでも大きな感謝の気持ちを忘れていないつもり。そしてこの二つのバンドにはかなり大きな違いが二つある。一点は、ONB が大規模な寄り合い所帯で、だれがリーダーとも言えず(いちおうユセフ・ブーケラが主導権を握っていたが)いわば大部屋で大勢がゴッタ煮になって騒いでいるようなバンド、というかプロジェクトなのに対し、グナーワ・ディフュジオンのほうはアマジーグ・カテブのカリスマ的リーダーシップがすべてのワン・マン・バンドだ。

 

 

二点目。こっちのほうがいまのぼくには重要だ。この2バンドとのそれぞれ初邂逅だった二作『アン・コンセール』と『バブ・エル・ウェド・キングストン』で比較してもはっきりしているが、前者 ONB のほうはにぎやかな祝祭感が強く、なんというかこう、ディスコで騒いでいるような高揚があるのに対し、後者グナーワ・ディフュジオンは暗く、沈み込むようにダウナーだ。

 

 

現在2018年7月末時点でのぼくにとっては、グナーワ・ディフュジオンのほうがしっくり来るし、聴いていて、たとえば20世紀の作品である『バブ・エル・ウェド・キングストン』でも、いまの時代の空気感にピッタリ来るというか、そのなかにいるぼくが強い共感をおぼえるようなものだ。これは、いったいなんなのか?

 

 

ここで正直に言ってしまわないといけないのだが、ぼくにとってのグナーワ・ディフュジオンとは、これすなわち1999年の『バブ・エル・ウェド・キングストン』のことであって、この一枚こそが「すべて」。その後の作品に対する共感度は低いんだ。初体験で惚れちゃったということはもちろんある。しかしそれだけじゃないような気もするんだよね。

 

 

グナーワ・ディフュジオンは、というかアマジーグは、この作品後ますます政治的戦闘姿勢を強め、ポリティカルな反米姿勢を鮮明すぎるほどに打ち出すようになって、反骨精神を最大のバネにして、たとえば2003年の『スーク・システム』のような傑作も生み出した。これを大手ワーナーから発売できたというのが信じられないくらいだ。

 

 

しかし同時に、『バブ・エル・ウェド・キングストン』にあった大きなもの、ぼくにとっては大切だったものが、失われたわけではないが薄くなっていったように感じないでもない。ちゃんと聴けばそれはまったく失われてなんかおらず、悲しみや苦しみが根底にあってこそアグレッシヴな姿勢をとることができている。鬱が攻撃性となって現出するというようなもんかな。

 

 

『バブ・エル・ウェド・キングストン』あたりだと、特にシャアビ(ふう)・ナンバーに色濃く出ていると思うんだけど、深く沈み込んだ暗く苦い気持ちがめくるめく美しい旋律に乗せて、宝石のキラメキとなって直截的に表現されている。と、ぼくは、いま2018年になってようやくそう感じるようになった。美しい。本当に、美しい。

 

 

これを踏まえると、たとえばレゲエやラガマフィンなどを基調とする曲の数々でも、『バブ・エル・ウェド・キングストン』では、そんな重く暗い沈む悲哀と一体化している官能美を表すシャアビ要素がそこかしこに溶け込んでいるんだなとわかる。純音楽的には、というか、音の高さ、強さ、並びかただけを聴いて、1999年当時から気づいてはいたかもしれないが、たんにミクスチャーなのだとしか思っていなかった。

 

 

グナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』で各種音楽要素が渾然一体化しているのは、マグレブ伝統音楽要素とアメリカ合衆国やカリブなどの大衆音楽要素のフュージョンとか、ふつうの意味でのいわゆるミクスチャーとかじゃないのだった。うんまあ、真の意味でのミクスチャーとは、今日ぼくが言いたいような意味で一体化しているもののことを言うのだろう。たんについ2018年までぼくがわかっていなかっただけだ。

 

 

でもいいじゃないか。ようやく気づけたんだから。2018年、56歳になって。あの20世紀末というか1999年に、グナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』に、新宿丸井地下で偶然出会って、あの音楽が当時からいまでも、ぼくにどう聴こえているか、ぼくになにをもたらしてくれているか、どんなものとして、いま2018年7月のぼくに作用し、ぼくの心にどう触れてくるか、なんとなく書けたのかなあ。

2018/08/05

シドニー・ベシェのヴィクター録音集に聴けるデューク・スタイル

 

 

シドニー・ベシェが日本で初 CD 化されたのが BMG ビクター盤1990年の『シドニー・ベシェ』。とだけ書いてもあれなタイトルだけど、英副題が『The Legacy of Bluebird』ということで、つまり1930年代のブルーバード(ヴィクターの傍系)とヴィクター・レーベルへの録音集。1932〜1941年の10回のセッションからのセレクションで、計22曲。かの「ブルーバード栄光の遺産」シリーズの一枚だ。

 

 

このアルバムのなかには、特別な意味を持つセッションがふたつ含まれている。ひとつは1、2曲目の1932年9月15日録音。これはベシェの生涯初リーダー・セッション(ニュー・オーリンズ・フィートウォーマーズ名義)だ。もうひとつは14曲目の「ザ・シーク・オヴ・アラビイ」で、1941年4月18日録音。これがなんとすべての楽器をベシェひとりの多重録音でこなしたワン・マン・バンド。

 

 

さらにもう一個特筆すべき重要点がある。ひとつのセッションでということじゃないが、ベシェは計10回のヴィクター・セッションで、デューク・エリントンの曲を四つもとりあげている。これは同時代のジャズ・マン(ベシェのほうが先輩)としては例外的なことなんだよね。ほかにはほぼだれもいない。今日話題にしたい CD アルバム『シドニー・ベシェ』はそこから二曲、「ザ・ムーチ」(19)と「ムード・インディゴ」(21)を収録。

 

 

特に「ザ・ムーチ」はデューク最大の代表的レパートリーでシグネチャー、まさにトレードマークだったから、この時代にはほかのだれもカヴァーなんかしたこともない。できないんだよね、あのジャングル・サウンドを体現したあの一曲は。それを1941年という時点ですでにカヴァーした音楽家の例が、ほかにあるかのかなあ、ないだろう。

 

 

アルバム『シドニー・ベシェ』19曲目の「ザ・ムーチ」では、ベシェらもかなり健闘して、デュークのやったようなサウンド表現にトライしている。トランペットのヘンリー・グッドウィンとトロンボーンのヴィク・ディキンスンがプランジャー・ミュートを付けてグロウルし、そのあいだを縫うようにベシェの湿って濁った音色のソプラノ・サックスが走る。サビ部で金管がミュート器を外しパッと明るい世界になって中和するという、あのデュークのアレンジ・スタイルも踏襲している。

 

 

 

そんなわけで、このベシェ・ヴァージョンの「ザ・ムーチ」では個人のソロは出番なし。全編アレンジされたものをみんなが演奏しているのもやや珍しい。ことにベシェはニュー・オーリンズ出身のジャズ・マンで、典型的なニュー・オーリンズ・スタイルのジャズはやらなかったとはいえ、この時代のコンボ録音でソロなしの曲をやるのはちょっとした冒険だったかもしれないよなあ。

 

 

といってもベシェはそもそも音楽性の幅がひろい人で、たんなるすぐれたいちリード楽器奏者、マルチ・インストルメンタリストにして歌手、というだけでなく、いい曲も書くし(「小さな花」)、バレエ音楽のスコアも残している。ジャズとはアド・リブ・ソロ音楽だという(おかしな?)固定観念を、ジャズ史上最初の偉大なソロイスト自身がひっくりかえしているじゃないか。

 

 

それでもやっぱりひとりのリード奏者として考えたら、「ザ・ムーチ」だけでなく、デュークの曲のああいった雰囲気をベシェはわりとよく表現できるサウンドを、特にソプラノ・サックスで出していたように思う。ベシェのソプラノ・サックス最大の特徴とは、透明度100%ではないところだからだ。格別美しいのだが、そのサウンドにはちょっとした濁り、ディストーション、三味線でいうサワリ音成分が混じっていて、だからこそぼくたちには至高のものだと響いてくるんだよね。

 

 

ひょっとしてベシェが同時代人としては例外的にデュークの曲をたくさんとりあげたのは、自身も作曲をやるからデュークのコンポジションが抜きに出ているというのが強く沁みていたいうこと以外にも、自身のソプラノ・サックスの持つあんな濁りみ成分が、デュークのやるジャングル・サウンドに相通ずると感じていたからかもしれないよね。

 

 

そういうのが CD アルバム『シドニー・ベシェ』でいちばんよくわかるのが、18曲目のベシェ自作「ブルーズ・イン・ジ・エア」。いやあ、いいですねえ、こういったサウンド。ベシェら各人のソロ部だけでなくアンサンブル・パートも実にすばらしく、ベシェの譜面書き能力も実感する。ソプラノ・サックスでブワ〜ッと濁ったダーティなサウンドを出しているのが快感だが、その最中に背後で入る金管アレンジも見事だ。

 

 

 

さらにこの「ブルーズ・イン・ジ・エア」は1941年10月14日録音のベシェ自作曲だけど、アレンジ手法にだってあきらかにデューク・スタイルの痕跡が聴けるように思う。はっきり言って痕跡なんてものじゃなく、そのまんまというに近いものがあるかも。だからやっぱりベシェはデュークのコンポージング能力をかなり尊敬していたんだと思うんだ。ベシェのヴィクター録音集のなかにデュークがいる。

 

 

CD アルバム『シドニー・ベシェ』で聴ける1941年近辺だと、同年9月13日に録音した「アイム・カミング・ヴァージニア」「奇妙な果実」の二曲も印象的。ビリー・ホリデイによる黒人差別告発を、ニュー・オーリンズ・クレオール(であることの意味は大きいんですよ)のベシェが切々と吹く後者もいいが、ぼくは前者、ビックス・バイダーベックも得意にした「アイム・カミング・ヴァージニア」がかなり好き。

 

 

 

なにがそんなにって、最大の理由はトランペットのチャーリー・シェイヴァーズがもうホントにぼくは好きなんだ。シェイヴァーズは黒人だけど、この手の、有り体に言えば<ビックス・バイダーベック後>ともいうべきコルネットやトランペットのことが、心の底からぼくは本当に大好きだ。ディキシーランド〜スウィング・ジャズ系で、白人であることが多いが、こうして黒人のなかにもいる。明るくて、華やか。レックス・スチュワートなんかもここだ。

 

 

チャーリー・シェイヴァーズのそんなパキパキ、ポキポキっていうような歯切れのいいトランペット・スタイルは、この CD『シドニー・ベシェ』だと20曲目「12番街のラグ」でも発揮されている。こういうのが、特に1920〜30年代録音ものが、いいっていう、ぼくの奥底からの本心は、同世代だとかなり熱心なジャズ・ファンにも共感してもらえない。というか、世代問わず存命のかたではほぼ出会えず、さびしい思いをしています。

 

 

 

そんなわけだから、CD アルバム『シドニー・ベシェ』では、オープニングを飾るベシェの生涯初リーダー録音の1932年9月15日の二曲「メイプル・リーフ・ラグ」「アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー」や、また、サッチモことルイ・アームストロングのホット・ファイヴが隠しテーマになっている、中盤8〜10曲目、1940年録音の「ワイルド・マン・ブルーズ」「セイヴ・イット・プリティ・ママ」「ストンピー・ジョーンズ」も、大好物。

 

 

1932年のそれらではトランペットがトミー・ラドナー(ラドニア)。1940年のそれらでは「ワイルド・マン・ブルーズ」でのトランペットがシドニー・ド・パリス、残り二曲ではレックス・スチュワートのコルネット。特に「ワイルド・マン・ブルーズ」「セイヴ・イット・プリティ・ママ」は、1920年代後半にサッチモが名演を残しているのを、二人ともかなり意識しているなと聴きとれるんだよね。

 

 

さらに、「セイヴ・イット・プリティ・ママ」「ストンピー・ジョーンズ」を録音した1940年9月6日は、その前の月に亡くなったジョニー・ドッズ追悼セッションでもあって、だからベシェもそれを踏まえての吹奏ぶり。しかしながらドッズだって1925〜27年はサッチモ・バンドのメンバーだった。だから同じコルネット奏者、レックスの演奏ぶりにそれを意識しているところがあるんだよね。このときのピアニストはアール・ハインズだしね。

 

 

「ワイルド・マン・ブルーズ」https://www.youtube.com/watch?v=PASIYeu7OD4

 

「セイヴ・イット・プリティ・ママ」https://www.youtube.com/watch?v=W6_3VtyTgHU

2018/08/04

わたしはタイコ、魂を清め邪気を払う 〜 ハイチのチローロ

 

 

チローロ「ドラム・ソロ」

 

 

 

ハービー・ハンコック「ディス・イズ・ダ・ドラム」

 

 

 

アフリカとラテン(含むカリブ)とジャズと、三つの音楽の関係がぼくにわかっているはずありませんが、とにかく最高に楽しく心地良いハイチのドラマー、チローロの音楽。ぼくが持つチローロの音源はたったの CD 一枚だけ、というか CD で探す限り、世界にこれしかないらしい『ベスト・オヴ・チローロ』(The Best of Tiroro: The Greatest Drummer In Haiti)。中村とうようさんの選曲・編纂・解説のもので、2002年のライス(オフィス・サンビーニャ)盤だ。その解説文末尾に、1994年にオーディブックで発売したものだとある。それのリイシューってことだね。2013年にもリイシューされたらしい。

 

 

チローロはハイチのドラマー(生没年不明だが1910年代?〜70年代末?)。いちおう念のために付記すると、ドラマーといってもいわゆるドラム・セットを演奏するわけじゃない。とうようさんの解説文によれば「丸太をくり抜いて一枚の皮を張っただけのドラム」とのこと。ジャケット絵やいくつかの写真では、コンガとかジェンベみたいな縦長の樽型に見えるけれど、皮はもっと薄いものを使っているかもしれないという音が聴こえる。バタとか、あるいはなんらかのトーキング・ドラムに近い?そのへんはぼくにわかるはずもない。

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トーキング・ドラムと書いたけれど、『ベスト・オヴ・チローロ』を聴いていると、まさにしゃべっているような、会話(自問自答)しているかのような、そんな闊達自在で多彩なドラム・サウンドが聴こえる。むろんタマみたいな西アフリカのトーキング・ドラムとは違う音なんだけど、チローロの音楽を聴いているとリズムの色彩感に感動するよね。

 

 

大きくノルかと思うと、細かい装飾音を重ねていったりロールを入れたり、テンポは曲によって違っているのはもちろん、一曲のなかでもどんどん変化する。『ベスト・オヴ・チローロ』収録の音楽は、ほぼすべてがチローロひとりでひたすらドラムを叩いている(+アルバム後半では歌も)だけのものだけど、決して飽かせず、自由奔放な、でありかつデリケートなフレーズのインプロヴィゼイションに、こ〜りゃカッコイイ!と快感しかない。

 

 

タイコのみを演奏するだけなのに、単調(モノトーン)なんていう世界の正反対にあるチローロの音楽。それはハイチという、カリブ海諸国でも最もアフリカ比率の高い国だからなのか、格別西アフリカの音楽のリズムを体現しているもののように聴こえる。北アメリカ合衆国の南の海で。このことを踏まえると、チローロから北上し、米合衆国黒人音楽、ことにジャズ(から派生したロックなども)とかラテンとかファンクとかヒップ・ホップなどにあるリズム・ニュアンスの謎を解くきっかけになるかもしれない。

 

 

チローロのドラム・ミュージックは、むろんそれじたいが楽しくおもしろく快感だ。CD アルバム『ベスト・オヴ・チローロ』は、これを流し聴きしているだけで気持ちいいんだけど、上で書いたようにチローロに至るまでにアフリカからなにがどう流入し、チローロ(的なもの)からなにがどう北上したのかを考えると、ゾクゾクしてくるよね。

 

 

たとえば、ふとあるきっかけがあって昨晩聴きなおしたファニア・オール・スターズの『ライヴ・アット・ザ・チーター』二枚。サルサ、つまりニュー・ヨーク・ラテンの音楽だけど、どの曲のどこがどう?なんて指摘も不可能なほど、チローロのリズムが<そのまんま>ここにある。正真正銘掛け値なしだ。ファニアのチーターはネット配信でもいつでも簡単に聴ける。Spotify で聴けるチローロはたぶんこのへんかなあ。

 

 

 

Apple Music だとこのへんもある。

 

 

 

 

ファニアのチーターのリズムのことは、かなりアフリカンだなと聴こえるパートもあるし(それも、ある曲の途中でパッとかたちが瞬時に変貌し、そうなる)、そのほか書きたいことがいっぱいあるので、今日はこれ以上言わず別の機会に。『ベスト・オヴ・チローロ』を聴くと、そんな北米ラテンだけでなく、ハイチやプエルト・リコやキューバなどカリビアン・ミュージック、そして北米ニュー・オーリンズのビート感、さらにそこから誕生したジャズをはじめとするアメリカン・ブラック・ミュージックの種々のリズムの根幹があるなあと、これは間違いない最近の実感だ。

 

 

チローロと、米国人ジャズ・ドラマー、マックス・ローチとの関係は、わりとよく知られていることらしいから、書かなかった。『ベスト・オヴ・チローロ』附属のとうようさんの解説文にも詳しい記述がある。ただひたすらチローロのタイコ演奏にだけフォーカスしたライス盤『ベスト・オヴ・チローロ』。ポピュラー・ミュージックのリズム、ノリ、タイミングの感覚の真髄を感じとることができるはず。チローロから敷衍すれば、いろんな音楽のことも説明できるかも。リズムこそ音楽の核心部分だから。

 

 

だから、こないだ日曜日に当ブログに文章をアップしたハービー・ハンコック1994年のアルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』は、チローロ・トリビュート作品だったんだよね。今日いちばん上でご紹介したチローロの「ドラム・ソロ」が、CD『ベスト・オヴ・チローロ』の1曲目。何年の録音かは判明しないようだけど、1950年代??ハービーはそこからサンプリングして使った。そのナレイションはチローロじゃないけれどね。

2018/08/03

Directions in Music by Miles Davis

 

 

 

 

このエンリコ・メルリンさんの1996年の論考。どなただか存じ上げませんが、このかたのおっしゃる "Coded Phrases" とは、簡単に言えばキュー出しみたいなもののことなんだろうか?ササッと読んでみただけだとそんな印象。なんども繰り返し出てくるものだから、キーワードなんだよね。キューのことだったとしても、おもしろい内容だし、1968〜75年のマイルズ・デイヴィスのやりかたを的確に描写したものだと思うので、ご紹介かたがた、すこしコメントしておきたい。

 

 

マイルズ・デイヴィスの手法に抜本的な新方向が出てきたのがチック・コリアとデイヴ・ホランドがバンドに加入した1968年の秋あたり。初公式録音が同年9月24日の「マドモワゼル・メイブリー」「フルロン・ブラン」(『キリマンジャロの娘』)。そして同年暮れにジョー・ザヴィヌルがゲスト参加するようになって、決定的な新展開が訪れる。

 

 

ジョーがマイルズと初共演した1968年11月27日の3トラックのうち2つはジョーの曲「ディレクションズ」だ(ほか一個もジョーの曲)。CD ジャケットだとイマイチわかりにくくなっているがご記憶だろうか、『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』の三作の表ジャケットには "DIRECTIONS IN MUSIC BY MILES DAVIS" とかなり小さく記されている。

 

 

あの三作にだけそう記されていて、最初、高校の終わりごろに買ったときは、これはなんの意味だろう?たんに新方向ってことなだけだよね、それ以前のマイルズ作品と比べたらたしかに違う感じだし、プロ・ライターのみなさんもそうおっしゃるのを読むし…、とかって思ってたんだ。ジョーの「ディレクションズ」をマイルズも1968年の暮れにスタジオ録音で完成させたという事実は、1981年に二枚組の未発表集『ディレクションズ』がリリースされるまでちゃんとは確認できなかったことだ。

 

 

ジョーの曲「ディレクションズ」は、いろんな意味でそれまでマイルズがやっていた曲、やりかたとは異なっている。まず、キーが違う。この曲は E メイジャーなんだけど、このキーはジャズ演奏家はあまり使わない。しかし一方、ロック・ミュージックでは主要なものなんだよね。たくさんあるが、この時期のマイルズ関連でいうと、たとえばジミ・ヘンドリクス。のたとえば「パープル・ヘイズ」も E メイジャー。

 

 

あ、そうそう、これも最近になってようやく気づいたが(^_^;)マイルズ『キリマンジャロの娘』の A 面ラスト「プチ・マシャン」のメロディ・ラインのかたちは、ジミヘンの「パープル・ヘイズ」のそれに似ているじゃないか。このマイルズ作とクレジットされている曲を書いたのはギル・エヴァンズひとりだ。マイルズ/ギル/ジミヘンのトライアングルにかんしては以下で書いたつもりだったが、書きなおさないといけないなあ。

 

 

 

それはいい。ジョーの「ディレクションズ」をマイルズがやったという話。キーが E なだけでなく、さらに重要な変化がある。この曲にはいちおうのテーマ・メロディ・ラインがあるけれど、テーマ演奏後のアド・リブ・ソロ部は、E のキーだけそのまま使って自由に展開していいということでやっていて、それ以外、テーマ部とソロ部に関係はない。

 

 

またジョーの書いたテーマを演奏中から(エンリコさんのことばを借りれば)ベース・ヴァンプがあって、この1968年11月マイルズ・ヴァージョンのばあい、それはウッド・ベース(デイヴ・ホランド)とフェンダー・ローズ(は三名いて個人を特定できる耳をぼくは持たない)を重ねて創ってある。このベース+鍵盤のダブル・ペダル・フィギュアが、この「ディレクションズ」という曲の最も根底にある土台で、いちばん重要で不可欠なものだ。

 

 

だから、「ディレクションズ」にはいちおうのテーマ・ラインがありはするものの、それは演奏の際にはなんの役割も果たしておらず、そしてぼくも前から言うように、このすこしあとくらいからスタジオでもライヴでも、マイルズが演奏するものにはテーマそのものがまったくなくなっていくんだよね。

 

 

ジャズの伝統マナーだと、テーマ部の持つ和音構成にもとづいてソロを展開するということになっているわけだけど、マイルズのばあい、1969年のあたまごろから、この概念が消える。ソロのよりどころとなるのはテーマのようなものではなく、一個のベース・ライン(フィギュア)、ヴァンプ、コードかモード、あるいはちょっとした短いモチーフというかショート・パッセージみたいなものだけ。しかもそれら曲構成のパターンはビートをも指し示し、ハーモニーの土台であるだけでなくリズム面でもキーとなっている。

 

 

スタジオでの初演奏の際には、想像するにマイルズかサイド・マンかジョーのようなゲストか、とにかくだれかがそんなかたちを用意していって(譜面化はされてなくとも)、それでリハーサルやテイクを重ねていくうちに整って充実していったものを、テオ・マセロは1968年以後マイルズのスタジオ・セッションの<すべて>を録音したわけだから適切に切り取って、リリース商品とするべく編集したんだろう。それにはマイルズ本人も立ち会ったケースが多い。

 

 

エンリコ・メルリンさんの論考でも重視してあるように、ライヴ演奏の際がもっと問題だ。マイルズのライヴ・コンサートがワン・ステージでひとつながりの<一曲>みたいになって以後(ぼくの知る限りでは1967年の欧州ツアーからそうなった)、次の演奏曲へと移行する際の、だからキューとして、エンリコさん用語では coded phrases が演奏されている。

 

 

スタンダード・ナンバーや自作曲でもテーマを持つものをやっていた時代には、主にマイルズがそのテーマ・メロディのさわりをチラッと吹いて、それも移行前の曲の演奏途中最後にリズム・セクションがまだそのパターンを維持したままのときに吹いて、さぁこの曲へ行くぞという合図にしている。それがキュー出し。

 

 

しかし「ディレクションズ」をスタジオ録音し、チックとデイヴだけでなくドラマーもジャック・ディジョネットになった(が、なぜかアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』収録素材ではトニー・ウィリアムズが叩いている、謎だ)その翌1969年のツアーからは、そもそもテーマなんかない曲をどんどんやるようになって、マイルズによるキュー出しの基になるものが変化した。

 

 

それがエンリコさんが coded phrases という表現でいちばんおっしゃりたいことだとぼくは解釈している。たとえばスタジオ録音はアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』に収録されて発売された「イッツ・アバウト・ザット・タイム」。これにもテーマがないというか、要するに song じゃない。ウッド・ベースとフェンダー・ローズでダブル演奏されるリズミカルな短いパッセージの反復しかない。それがこの曲の土台、というかまあ<テーマ>だ。

 

 

だからさ、「ディレクションズ」のやりかたとおんなじなのだ。「ディレクションズ」では、書いたようにベース・ヴァンプというかペダル・フィギュアみたいなものをウッド・ベースとフェンダー・ローズで重ねて合奏しているのがこの曲の、テーマ・メロディ部じゃなくそれが、土台になっているんだけど、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でも同様のことになっているじゃないか。

 

 

もっとも、「ディレクションズ」ではペダルは一個。それが延々と反復されているが、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」では3パターンある。その三つがジョン・マクラフリン、ウェイン・ショーター、マイルズのソロのあいだ同じ順番で登場し、ソロ展開の土台となり、というよりもそもそもこの曲を構成し、どこでもって「イッツ・アバウト・ザット・タイム」という曲だと認識するか、いまどこを演奏しているか、(ぼくらは)どこをいま聴いているか、のアイデンティティになっている。

 

 

そんなわけで1969年以後のマイルズ・バンドのライヴ演奏では、次の曲へ行くぞという合図、キュー出しは、マイルズがトランペット(や、ある時期以後はオルガンでも)で、そんなベース・ヴァンプというかペダル・フィギュアをちょろっと吹いて指し示すという具合になっている。それが coded phrases。

 

 

ジョーの曲「ディレクションズ」は、いちおうはテーマ・ラインを持つ曲だけど、ライヴでは(開始時に)演奏されないようになり、ある程度演奏が進んでから、ばあいによってはかなり終わりがけの演奏終了間際になってから、はじめてそれが出現する。だからいわゆるテーマなんかじゃない。申し訳程度のコピーライト支払い行為でしかない。

 

 

それでも1969年バンドのライヴでは最初にテーマを演奏しているが(でもチックがあのベース・フィギュアを弾いているのが土台だ)、それが1970年以後は消えてなくなって、取って代わってベーシスト(デイヴ・ホランドかマイクル・ヘンダスン)が一定のパターンを演奏するペダル・フィギュアに乗ってマイルズ以下がソロを取るというやりかたになっているよね。キーが E のこのベースによるショート・パッセージだけが肝なのだ。それでしか「ディレクションズ」だとアイデンティファイできないのは、たぶん演奏者本人たちも同じだったはず。

 

 

ライヴで演奏するほぼすべての曲がそうなっていったし、1969年夏の『ビッチズ・ブルー』録音セッションあたりからはスタジオでの演奏も同じことになった。作曲行為、曲創りの意味合いが根底から変化したのだった。マイルズがそんなやりかたを録音史上はじめて採用したのは、1959年録音の「フラメンコ・スケッチズ」(『カインド・オヴ・ブルー』)だったんだよ。

2018/08/02

ナターリア・ラフォルカデの汎ラテン・アメリカン古謡 Vol. 2

 

 

メキシコ人女性歌手ナターリア・ラフォルカデ。といってもぼくはぜんぜん知らず、ジャケット・デザインとアルバム題だけで推測して期待して買った今2018年新作『ムサス Vol. 2』(Musas: Un Homenaje Al Folclore Latinoamericano En Manos De Los Macorinos, Vol. 2)が初ナターリアだったのだ。だから vol. 1 をあわてて追って買った。こんなやつ、いないよねえ。ナターリアは知名度のあるシンガー・ソングライターらしいのに。

 

 

そう、このプロジェクト?バンド?とにかくかのロス・マコリーノス(ミゲル・ペーニャ&フアン・カルロス・アジェンデ)とやっているこれの二枚目がよかったんだ。じ〜っくりよくよく聴き込むとちょっとあれかな、と思わないでもないんだけど、第一印象の極上さを信用して、なにかちょっとメモしておきたい。一枚目はまだオーダーしたばかりで届いていないので、一耳惚れだった二枚目のほうについてだけ。

 

 

ナターリアはメキシコの有名シンガー・ソングライターと書いたけれど、『ムサス Vol. 2』は(Vol. 1は未聴だからなにも言えない)は、上で副題を書いておいたのでおわかりのとおり、中南米のフォルクローレをとりあげた内容。これが初ナターリアだったのは、ぼくにとって幸運だったのかどうかわからないが、声にちょっぴり幼さとかイノセンスを残しているように聴こえ、言ってみればアイドル・ヴォイスかもしれないので、そんなトーンでこんな渋く悲哀に富む曲群をやるのは、ちょうどいい適切さに感じる。

 

 

『ムサス Vol. 2』の全13曲のうち、ラスト12曲目「ガボータ」(マヌエル・ポンセ)はナターリアの歌わないギター・デュオ・ピース。すなわちロス・マコリーノスのみをフィーチャーした、アルバムのコーダのような役割なんだろう。だから1〜12曲目までに話題を限定してさしつかえないと思うけれど、そのうちナターリア自作は三曲のみ。ほかは他作と伝承曲で構成されている。

 

 

他作曲も20世紀前半に書かれたものが中心で、だからトラディショナル・ナンバーとあわせ、そしてそういったものとあわせるようにソックリな曲想で書かれたナターリア自作と、それら全体で <フォルクローレ> だという意味づけなんだろうね。メキシコ系ばかりでなく、キューバなどのカリブ音楽、(ブラジルを含む)南米大陸音楽にも踏み込んだ、汎ラテン・アメリカン古謡集といったところ。

 

 

なかにはボサ・ノーヴァ・スタイル(8曲目、マルガリータ・レクオーナの「エクリプス」)もあったりして、これはこのアルバムでは例外的かな?と思わないでもない。それ以外はほぼすべてが伝統スタイルの演唱で、アレンジャーをだれが務めているのか、附属ブックレットの字の小ささと地の紙色と文字色のコントラストの低さに、読むのを断念するしかなかった。が、たぶんナターリアとロス・マコリーノス三人の共同アレンジとプロデュースかな?

 

 

(ナターリア自作、他作も含め)フォルクローレ・ナンバーのリズムは、3/4とか6/8とかの三拍子系統が多いのも、いかにもラテン・アメリカン・フォークロアの世界だ。アイドル・ヴォイス的な適度な幼さを残しているというぼくの印象のナターリアだけど、適度っていうのは、かなりキュートで可愛い声質でありかつ落ち着いていて、しっとりと沁みてくるような歌いかたをして、それでもってラテン・アメリカ歌謡の深い根っこ部分を掘っているなという、そういうイメージなんだよね。

 

 

一曲だけナターリアじゃない女声が聴こえるが、10曲目「デスデニョーサ」(ベニグノ・ララ・フォステル)で、あのオマーラ・ポルトゥオンドが参加している。なんでもオマーラは『ムサス』の一作目にもゲストとして歌っていたらしい。しかしここでのオマーラの声はかなり若い。失礼ながらとてもこの年齢の老婆歌手とは思えないみずみずしさ。ナターリアと並んで聴こえてきても、デュオ部分でも、まったく遜色ないばかりか、むしろ自然体で無理なくスッと歌っているオマーラのほうが…。

 

 

そう、つまりナターリアの歌は、やはり良くも悪しくも<意欲的>なのだ。ラテン・アメリカ歌謡の核心部分に降り立って表現しようというこのプロジェクトの壮大さゆえ、やや構えたような姿勢が声のトーンに聴きとれるような気がぼくはする。決して否定的な意味ではない。ナターリアは大健闘し、成功をおさめていると確信している。

 

 

そんなナターリアの意欲を、しかし浮き足立たないように地道に支えているのが、やはりロス・マコリーノスのギタリスト二名、ミゲル・ペーニャとフアン・カルロス・アジェンデ。ヴェテランだし、彼ら二名のギター演奏にだけフォーカスしてアルバム『ムサス Vol. 2』を聴くことだってできるほどのナイス・ワークだ。見事というしかない。

 

 

ナターリア自作の1曲目「ダンサ・デ・ガルデニアス」の強いダンス・ビートに乗ってナターリアが歌うのにクラリネットやトランペットがからんだり、ロス・マコリーノス二人だけの伴奏で歌う2曲目「アルマ・ミーア」(マリア・グレベール)でのしっとり感や、カーボ・ヴェルデのモルナっぽい5曲目「ドゥエルメ・ネグリート」(伝承曲)もいいし。

 

 

こんな哀感もなかなかないと思うほどの(しかしキュート・ヴォイスでそれを歌うわけだが)6曲目「ルス・デ・ルナ」(アルバロ・カリージョ)が沁みるし、7曲目「デレーチョ・デ・ナシミエント」(自作)がキューバのアバネーラ・リズムであるのも個人的にはポイント高し。古いバルス・ペルアーノである9曲目「ラ・リョローナ」が、これまたしっとりしすぎていると思うほど。哀切感も強いが、声質はかわいい。

 

 

これも激しいパッションをダンス・ビートで表現する11曲目「テ・シゴ」(オスカル・アビレス)にもグッと来るが、なんたってアルバムの実質的ラスト・ナンバー、12曲目「ウマニダード」(アルベルト・ドミンゲス)のメキシカン・ボレーロが最高にすばらしく、聴き惚れる。伴奏はロス・マコリーノスのギター二台だけというに等しい。これは、いいなあ。

2018/08/01

#notBlueNotebutBoogaloo 〜 エディ・ハリス

 

 

ジャズ・テナー・サックス奏者エディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』。1965年8月録音66年発売のアトランティック盤で、だから当然、レーベル公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』には入らない。がしかし、まったく同傾向の一曲がある。そう、言うまでもない、アルバム・ラストの「フリーダム・ジャズ・ダンス」。アルバム全体を通すと、まあふつうのモダン・ジャズ作品かなと思うんだけど、この一曲の魅力は絶大だ。

 

 

 

エディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』も、ドラマーがこれまたビリー・ヒギンズなんだよね。エディ・ハリス自身は、たぶんなんでもない、って言うと語弊があるのか、ふつうのメインストリーマーだろうと思う。黒人ジャズ・サックス奏者にしては音色が軽く薄くてクールなのが特色だけど、それゆえにファンからは軽視もされてきた。しかし今日話題にするアトランティック盤『ジ・イン・サウンド』はやや感じが違う。ブラック・グルーヴィだよね。

 

 

全六曲のこのアルバムでおもしろいのは、多く見て四曲。でも『ブルー・ノート・ブーガルー』的視点に立って絞ると二曲だ。アルバムのおしりにある5曲目「ス・ワンダフル」と6曲目「フリーダム・ジャズ・ダンス」。やっぱり特にマイルズ・デイヴィスもカヴァーした後者だけど、前者はボサ・ノーヴァ・アレンジで、これもいいぞ。楽しいよ。ほか、3曲目「ラヴ・フォー・セール」、4曲目「クライン・ブルーズ」(後者はエディ・ハリス自作)もグルーヴィだ。

 

 

コール・ポーター作のスタンダードにおけるエディ・ハリスの吹きっぷりはかなりすごい。クールとのイメージとは正反対のゲキアツなサックス・ソロを聴かせてくれていて、伴奏のビリー・ヒギンズも猛プッシュ。ソロのあいだ、だれか(ビリー?)がウン!ウン!とうなり声をあげているのがまあまあ音量大きめに入っているが、うん、たしかにこれは気持ちが入っているなあ。

 

 

次のノリのいいオリジナル・ブルーズとあわせ、それら二曲こそがふつう一般のモダン・ジャズ・ファンにとっては美味しいものってことになるはずだ。あ、そうそう、エディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』は、基本、カルテット編成なんだけど、3、4、6曲目にだけトランペッターが参加している。レイ・コドリントン。どんなひとか、ぼくはよく知らない。当時の新人じゃないかなあ?

 

 

ベースを弾くロン・カーター(当時マイルス・デイヴィス・バンド在籍中)もいいが、ピアノのシダー・ウォルトン(大好き!)のブルーズ・ピアノはやっぱりうまいな、と思っていると、次の5曲目で軽いタッチのボサ・ノーヴァにアレンジしたガーシュウィン・スタンダードが来る。こんなふうな「ス・ワンダフル」はほかでは聴けないよねえ。

 

 

前から言っているが、ビリー・ヒギンズはこういうのを叩かせると本当に上手いんだ。ブルー・ノート作品ならデクスター・ゴードンの「カーニヴァルの朝」(『ゲティン・アラウンド』)とかもあったよね。カルテット編成でやるエディ・ハリスの「ス・ワンダフル」では、やはりリム・ショットを効果的に入れている。と同時にスネアをブラシでなでなでしているのが、まるでシェイカーみたいに聴こえたりも。

 

 

音色がクールなエディ・ハリスのばあい、こういったやりかたの「ス・ワンダフル」みたいに(フェイク?・)ボサ・ノーヴァでちょうどいい適切なノリを表現しやすいと思うんだよね。ブラジルの、たとえばショーロのサックス奏者って、ピシンギーニャもそうだけど、みんな音色が薄いでしょ、スカスカで。あれでちょうどいい。エディ・ハリスも、だから、ここではいいんだ。

 

 

しかしその次、アルバム・ラストの「フリーダム・ジャズ・ダンス」は、どうしたんだこれ?突然こんな、それまでこの音楽家のなかになかったような、ブラック・ラテン・グルーヴが、つまりブーガルー・ジャズが誕生しているじゃないか。突然変異みたいなもん?しかも、モダン・ジャズ界でならディジー・ガレスピー、ホレス・シルヴァー、セロニアス・モンクらの持つあのユーモア感覚、旋律がひょこひょこと上下する滑稽味でもってファンキーさとするあの感覚がこの「フリーダム・ジャズ・ダンス」オリジナルにはある。

 

 

これをエディ・ハリスが書いたっていうんだから、マジで降って湧いたような天才の発揮だよなあ。しかもこの曲はワン・コードのモーダル・ナンバーだ。テーマ演奏部では旋律の上下が大きいのでわかりにくいかもしれないが、三人のソロ部でならずっとコードが変わっていないと気付きやすいはず。

 

 

コード・チェンジをシンプリファイしてモーダルなアプローチにし、さらにそれを活用してエディ・ハリスもレイ・コドリントンも、ところどころアラブ音楽ふうにソロ・ラインをくねくねと展開するパートがあったりもして、そんでもってそのボトムスを支えるリズムはラテンな8ビート・ブーガルーで、ブーガルー・ジャズ・ドラマー、ビリー・ヒギンズが大活躍。

 

 

カヴァーしたマイルズ・ヴァージョンではそれらがすこし消えているものなんだけど、エディ・ハリス・オリジナルの「フリーダム・ジャズ・ダンス」、これほど楽しいモダン・ジャズ・ナンバーもなかなかないよね。愉快でカッチョエエ〜〜。だ〜いすき!

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