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2018/08/23

ビバ!ラ・ムシカ!〜 ファニアの『チーター』

 

 

ニュー・ヨーク・シティのディスコテーク(みたいなとこ?)、チーターで、1971年8月26日に行われたファニア・オール・スターズによるラテン・ミュージックの生演奏ライヴを収録した『ライヴ・アット・ザ・チーター』の Vol. 1&Vol. 2 バラ売り二枚。だけど、今日は二枚一組の作品として扱おう。レコードでは聴いたことがないぼく。CD とネット配信だ。音楽万歳!ホ〜ント楽しいったらありゃしないよね。

 

 

ファニアのチーターは、特別ラテン・ミュージックに傾倒しているというわけじゃないふつうの(ノース?)アメリカン・ジャズやアメリカン・ロックなどの大衆音楽好きだって、みんな知っている。サルサという言葉が音楽のことを指すようになりかけごろのライヴだけど、ちょうどサンタナの二作目『天の守護神』はすでに発表済み、三作目『サンタナ III』の製作中あたりかな?そんな時期のパフォーマンスだし、あの時代のことを考えても、みんなが共感を示すのはわかりやすいことだ。

 

 

ファニア・レーベル、ファニア・オールスターズのこと、そのチーター・ライヴがサルサ・ミュージック史でどんな位置にあるものなのかということなど、そんなことを論じるのは、到底ぼくに不可能で、ただただこのレコーディッド・ミュージックを聴いて楽しんでいるだけだから、ちょっとした個人的感想文を記しておきたい。1991年(だっけな?)の CD リイシューではじめて聴いたけれど、その後はもう大好きでたまらないという、この事実だけは間違いないので。

 

 

ファニアのチーター二枚全体で、ぼくがあるときふと気づいて、これはおもしろいと、音楽的にどうこうっていうのはよくわからないけれども、全体でここがいちばん興味深いと感じるようになっているのが8曲目の「ポンテ・ドゥロ」。これまたいかにもなサルサ・ナンバーで、それのルーツがソンの(延々反復の)モントゥーノ部にあることがこれまたとてもよくわかる演奏。

 

 

しかしこの「ポンテ・ドゥロ」は、おしりの約一分間だけ、それ以前の約八分間とはパターンが違うんだ。八分目あたりで、パッとチェンジする。一曲全体がだいたいパーカッション群の乱れ打ちと短いヴォーカル・パッセージの反復と、この二つで成り立っていて、その上にトランペットとトロンボーンのアンサンブルやソロも乗ったりはする。そのあいだもずっと打楽器群は鳴りっぱなし。そうそう、このライヴ盤にいわゆるドラム・セットは使われていないんですよ。

 

 

八分目ごろにパーカッション勢のめっちゃ激しい応酬になったかと思うと、パッとすぐにそれらがそれまでの時間とは違ったリズム・パターンを一斉にやりはじめ、ベースも入り、ホーン群も乗る。だれかが叫んでいる。リズムのノリは激しくなって、ちょっとディープでコアでヘヴィな感じに変貌するんだけど、たったの一分間だけなので、まるで瞬時の疾風か、短時間の台風襲来か、夏場のスコールか、そんな雰囲気で、あっという間に終わってしまうんだよね。

 

 

一曲の最終盤でパッとパターンがチェンジしてノリが深くなり、そこでは、よりグルーヴィでよりディープな芯の部分に掘り込んで聴かせるようなものっていうと、ぼくはたいていいつもスライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲「スタンド!」を連想する。1969年5月発売の同名アルバム収録。

 

 

 

 

「マウンテンズ」(プリンス)https://www.youtube.com/watch?v=_WmPeLOLDnA

 

 

ところで、以前、ハイチのドラマー、チローロの記事で、ファニアのチーターとの関連を、特にリズム面にフォーカスして、書くぞと予告したような感じになってしまっているが、しかしもちろんそんなことを詳細で具体的に解説する能力などぼくにはないのだ。だけど、両方をお聴きのみなさんなら、ご納得いただけることだと思う。

 

 

西アフリカ由来で、カリブ圏で揺籃された "アメリカ" の大衆音楽の根幹のグルーヴを、チローロも表現していたし、1971年のチーターでのファニアのライヴにもそれがかなりはっきりと流れてきているだけでなく、わかりやすく表出されているよね。サルサのばあい、そこに北米合衆国のジャズやリズム&ブルーズなんかも混じってきていたと感じる。

 

 

1960年代末ごろから1970年代半ばにかけてが、北米合衆国(産)のポピュラー・ミュージックがいちばんおもしろかった時期だったかもしれないと思うんだけど、そのあたりでは、ジャズだ、ロックだ、ソウル(〜ファンク)だ、ラテンだ、なんだとかいわずに、みんなが共振しあっていたと、これは間違いない真実だったと、ぼくは確信している。

 

 

そんなアメリカン・ミュージックの真実のど真ん中に、その要石として、1971年のファニア・オール・スターズの『ライヴ・アット・ザ・チーター』があるんだと、そういう理解をぼくはしている。

 

 

サンタナやスライなど(もっと時代が下ってのプリンスや)のことにここまで言及したけれど、ほかにもたくさんいるじゃないか。ジミ・ヘンドリクスだってボブ・ディランだってスティーヴン・スティルスだって、ドクター・ロニー・スミスだってハービー・ハンコックだってマイルズ・デイヴィスだって、同じ時代の音楽を生きた。

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