ストーンズが切り取った静物画
二人のうちロック・ギタリストだったほうの弟の自慢のひとつだったのが、ローリング・ストーンズのライヴ盤『スティル・ライフ』(1982)1曲目「アンダー・マイ・サム」のことで、これを出だしのリフからソロ部も含めキース・リチャーズと同じように弾けるっていうもの。だからミック・ジャガーにぼくはなり、部屋でふたりでよく遊んだ。それの前にこのアルバムには、デューク・エリントン楽団の「A列車で行こう」(ビリー・ストレイホーン作)が導入として使われている。ラストのアウトロがジミ・ヘンドリクスの弾く「スター・スパングルド・バナー」。
アウトロの真似はむずかしく、イントロ部はぼくの持つエリントン楽団のレコードで「A列車」をちょろっと鳴らし、すかさず弟に弾きはじめてもらった。ドラマーやベーシストやサイド・ギタリストやキーボード奏者はもちろんなしだから、やっぱりイマイチだったんだよなあ。じゃあ実際にバンドでやればよかったんじゃないかと、いまでは思うけれど、当時10代〜20代頭のころの五歳差ってのはデカかったんだぞ〜。ムリだ。ぼくも弟も高校生時分を中心にスクール・バンドをやっていたわけだから。
やっていた音楽の種類はまあおんなじようなもんだったけれどね。ぼくのほうがレッド・ツェッペリン・コピー、弟のほうは甲斐バンド・コピーだから。けっこう気持ちの入った甲斐バンド好きで、ぼくが東京に来てからも、弟が甲斐バンドのライヴを観にきたりしたこともあった。ぼくがマイルズ・デイヴィス来日公演を追っかけていたのと同じメンタリティだったのかもなあ。甲斐よしひろは活動中だからまだ可能だが、その気はずいぶん前からないらしい。
ともかくロック・バンドのライヴ盤とは、真似するアマチュア連中にとっては格好の教材なのだ。もちろんレッド・ツェッペリンもローリング・ストーンズもそのほかも、ライヴ収録後にスタジオでオーヴァー・ダブしたり音を差し替えたりなど、手はくわえてある。1981年のアメリカン・ツアーからとった『スティル・ライフ』だってそう。だけどそれでもまだやりやすいんだっていうのは、みなさんご納得いただけるはず。
あ、そうだ思い出したぞ。B 面の「タイム・オン・マイ・サイド」も弟とよくふたりで真似して遊んだ。こっちはストーンズのオリジナル曲じゃない。弟とぼくも1960年代のストーンズ版初演じゃなくこの『スティル・ライフ』のをなぞっていた。っていうか弟がどうだったか知らないが、この曲をぼくがはじめて知ったのが『スティル・ライフ』でのことであって、ストーンズ・オリジナルじゃないってこともはじめのうちはわかっていなかった。
「トゥウェンティ・フライト・ロック」(エディ・コクラン)も「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」(ミラクルズ)も「ジャスト・マイ・イマジネイション」(テンプテイションズ)も、ぜんぶ、ストーンズのこのライヴ・アルバム・ヴァージョンがまず最初の道案内役だったんだ。この(音楽)世代の白人ロック・バンドにはそういった功績だってある。
ストーンズの『スティル・ライフ』は、ロニー・ウッドが正規メンバーになって以後なら『ラヴ・ユー・ライヴ』(1977)に次ぐライヴ・アルバムだけど、あの二枚組とはかなり雰囲気が違う。あっちのほうはなんだか(いい意味で)まがまがしい感じがしていた。わりとはっきりした黒人音楽トリビュートというかオマージュでもあって、それはエル・モカンボ・サイドのことだけじゃなく、作品全体がそうだなあと聴こえている。
それに比して『スティル・ライフ』は R&B/ロックンロール・アルバムだよね。しかもどす黒くはなく、軽くて爽快な感じだって、むかしもいまも変わらずする。だから真似しやすいのか…。そこらへんの正確なことはやっぱりわかりきらない。ほかに『ラヴ・ユー・ライヴ』とのサウンド面での大きな差は、鍵盤奏者イアン・マクレガンがいて、さらにもっと大きなのはサックスでアーニー・ワッツが参加していることだ。
それからビル・ワイマンのベースが(ストーンズにしては)わりとクッキリよく聴こえるというのもほかにあまりない特徴だ。もちろんビルもいつだってふだんから弾いているんだけど、どうもね、ちょっとなかなかわかりにくいというか、ミキシングの際に音量を下げられているんじゃないの?おそらくはミックの意向で?じゃあどうして『スティル・ライフ』ではこんなに聴こえるの?そのへんは、どなたか詳しいかたにお任せしたい。
歳月の経過とともに聴き手は変わるけれど音楽じたいも変わるっていうのは、ぼくがふだんから繰り返していること。ストーンズの『スティル・ライフ』でもこれを痛感する。かつてはストレートなロック・ナンバー、たとえば2曲目「アンダー・マイ・サム」、3「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」、10「スタート・ミー・アップ」、11「サティスファクション」などが大好きだった。
ほかだと、やっぱりこのサックス奏者自身のことが好きなアーニー・ワッツが目立ってソロをとる6曲目「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」、9「ジャスト・マイ・イマジネイション」なんかでのそれが、やっぱりジャズで鍛えた旨味だと感じていて好きだけれど、それがそもそも直接的にはリズム&ブルーズ・フィールだともわかっていなかった。関係は深いんだけどね。
ストレート・ロックな曲であるはずのエディ・コクランの5曲目「トゥウェンティ・フライト・ロック」なんかは、このリズムの、なんちゅ〜かこう〜、ヨレて突っかかり止まったり進んだりする感覚がむかしは嫌いで、なにこれ?もっとストレートにふつうにやってちょ〜、って感じていて、聴く際にスキップすることすらあったのがいまでは正反対だ。すごい解釈だ、さすがはストーンズ!と、いまでは感心する。
この『スティル・ライフ』ヴァージョンの「トゥウェンティ・フライト・ロック」、これはクラーベ・パターンの延長線上にあるリズム感覚なんだよね。たったの二分間もない小品になっているけれど、特に出だしなど毎コーラス冒頭部での引っかかる感じがラテンっぽくて、最高だ。リフレイン部ではふつうのストレートな8ビートになってはいるが、そこもスムースじゃない感触があるのが好き。むかしは嫌いだったんだけど。
アーニー・ワッツのソロがいいなあとずっと感じ続けていた「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」「ジャスト・マイ・イマジネイション」二曲のリズム&ブルーズ楽曲カヴァーでも、こっちはいまでもやっぱりこのサックス奏者のことが本当に好きだけど、ちょっと違う印象も出てきている。それは、いままでもボンヤリ無自覚に感じとっていたものかもしれないが。
「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」では、冒頭部からチャーリー・ウォッツがフロア・タム(じゃないかなあ?)を叩くパターンで表現するノリがいちばんの聴きものだといまでは感じる。ちょっとね、言いすぎかもしれないが、ブラジルの音楽でスルドが使われているときの感触に近いような気がするんだよね。ストーンズとチャーリー・ウォッツでサンバとかスルドとか、おかしな妄想かもしれないが。
おかしなぼくだけの妄想だったんだという、テンプテイションズの「ジャスト・マイ・イマジネイション」。このストーンズのライヴ・アルバム『スティル・ライフ』で、いまのぼくがいちばんグッと来るのがこれだ。『サム・ガールズ』収録のストーンズ版初演よりも、そしてテンプテイションズのオリジナルよりも、好きだ。
いちばんいいなと思うのが、ビル・ワイマンのベースで特にわかるシンコペイション。この作品だと珍しく(?)ビルのベースがストーンズ作品で聴こえやすいのが謎の美点だと上で書いたが、この9曲目「ジャスト・マイ・イマジネイション」でいちばんクッキリ聴こえるよね。そのエレベのラインが実にいいなあ。ちょっぴりカリビアン・ニュアンスのある跳ねかただ。アーニー・ワッツのサックスがソロ(短い)でもオブリガートでもいい味。
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