『ビッチズ・ブルー』はこわい?〜 あの時代の刻印
そう、「こわい」「おそろしい」と言われたことがある。大学生のころのこと。マイルズ・デイヴィスの二枚組アルバム『ビッチズ・ブルー』について。このことは、しかし当時もいまでも、わりと理解できることではある。しかもマイルズのこの作品のサウンドについて、ポイントを突いている表現かもしれないので、ちょっと思い出して、それがどんなことだったのか、憶えている限りのことをメモしておこう。
いまでも女性関係はダメなぼくだけど、これはむかしからホント〜にどうしようもないという意味で、愛媛大学の学生だったとき、たぶん一回生か二回生(この言いかたは西日本でしか通じない)のころ、米文学購読(とかなんとか、正確な授業名は忘れちゃった)で、同学年のある女子学生の隣の席に腰掛けたことがある。
関係ないけれど付記しておく。当時の(いまも?)愛媛大学法文学部には法学科と文学科があって、文学科のなかに各専攻があった。英文学専攻とか哲学専攻とか、そのほか数個。その専攻は、入学してすぐには決まらない。一回生の終わりか二回生の終わり(どっちだったか忘れちゃった)に、それを選ぶんだけど、しかし教員数が多くないので人気のある専攻(はっきり言って英文学専攻のことだけど)は抽選みたいなのが実施される。だから、書類提出時に第二、第三希望まで書く欄があった。
たぶんこれは、大学入学時の18歳は、まだどうなるともわからない、なにを専門的に学びたいかが自覚できていない存在なんだから、一年間か二年間は文学科のなかで専攻を決めず視野をひろく持って学び、そのなかでじっくりと自分にどんなことが向いているのか考えてほしいという意図もあったんだろうと、いまなら思う。
しかし、こういう方向に進みたいという考えがもう心のなかに決まってある学生のためにもそうでない学生にそれを考えてもらうためにも、一回生時から専門領域の講義や演習を受けられる枠が、限定的だけど用意されてあって、だからぼくは(上で「米文学購読」と書いたような)そんな、いわゆる一般教養科目ではない専門科目を、可能な範囲でどんどん受講していた。それで取得した単位は、専攻に進んでのち、加算されることになっていた。そう、いまでもこれがあるのかな、一般教養科目と専門科目の区別。
そんなことで、一回生か二回生のときの、たしか夏休み前の暑い時期の米文学購読の、ある週の授業に出席するのがぼくは遅くなって開始時刻ギリギリかちょっと遅れて(といっても、むかしは教師のほうがずっと遅れて教壇に登場していた、その慣習のなかそのまま育って大学教師になってしまったので、ぼくも10〜15分程度遅れて教室に行っていた時期が長い、筒井康隆の『文学部唯野教授』にもそんな描写が出てくる)教室に入ったのだ。
夏の暑い時期に急いで走るようにして教室に入ったので、汗もかいていたと思うし、すこし息が上がっていたはず。そのまま着席したのが、上のほうで書いた、とある同学年女子学生の隣の席。教室の机が横長であることは大学ではふつうだけど、そのときのその教室は椅子も長椅子というか、ソファじゃないけれど、机の横長サイズに合わせたもので、並んで一つの椅子に数名が座るスタイルだった。
その女子学生(名前も顔も忘れた)の隣に、息が上がって汗もかいた状態で、しかも勢いよくドンと、さらに密着するような距離で座ったのは、そこしか席が空いていなかったから。それしか理由はなかった。人気授業の開始時刻に間に合わないくらいの到着だったんだから、席が埋まりかけているのはあたりまえのことだ。
それでそのままふつうに授業を受けて終わったのだが、数日経ってから、席が隣になったその女子学生が、どうしてだかぼくに話しかけるようになった。態度が変わった(と当時は気づいていない)。これはなんだろう?と、あのころ不思議な気分だったんだけど、18か19歳だったんだから、そんなこと、理解してもよさそうなもんだよねえ。アホだ。
とにかく当時のぼくにはあまり意味がわからなかったが、その女子学生とときどきしゃべるようになって、ぼくが音楽、特にジャズ好きだというのを彼女は知り、「戸嶋くん、レコード貸してくれない?たくさん持っているんでしょ、なにかこれがいいっていうのを、私ジャズはわからないから、適当に選んでくれない?」と言われ、貸したなかにマイルズの『ビッチズ・ブルー』も混ぜておいたのだ。
ええ、そうです、ぼくは本当になにもわかってなくて、その女性はジャズが聴きたいんだなと(この把握じたいは間違っていなかっただろうけれど)、たんなる音楽的意味として思っただけなので、でもどんな嗜好の持ち主かわからないからぼく自身がすでに好きだったレコードを10枚くらいかな?貸したんだ、大学まで持っていって。
というのは不正確で、実際にはレコードからカセットテープにダビングしたものを貸した、んじゃなく、あげたんだ。今日の本題にあまり関係がないことを先に書いておく。その女性は、大学がその後すぐ夏休みに入ると、ぼくんちに遊びにきた。そのころのぼくは実家暮らしだから、両親と弟二人もいた。
ええ、そうなんです、自宅に遊びに来てもそれでもなお、ぼくは彼女の気持ちに、なにも気づいていなかった。20歳前あたりの男女が部屋のなかでふたりになったらなにができるのかもわかっていなかった。いや、たんに読みかじる知識としては持ってはいたかもしれないが、実感も体験もないので、知っていた、わかっていたとは言えないね。
だから、そのときも、ぼくは部屋のなかでその女性とふたりで座ってお話して(たぶん大学生活のこととか英文学関係のこととか、音楽の話もかな)、いっしょに並んでジャズのレコードを聴き…、っていうそれだけ。ただそれだけだった。う〜ん、アホでしたね。いまでもあまり変わらず。
母はさすが女性で、以前も書いたがぼくの実家はお店で当時すでに生花も売っていたから、母は店頭から何本か抜いて花束をつくり、帰りがけのその女性に手渡したのだった。そのときも、ぼくなんか、たんなるプレゼント、遊びに来てくれてありがとうというお礼かおみやげみたいなものだったんだろうという、それしか意味がわからなかったもんなあ。まあでもやっぱりそれだけのことだったかもしれないが。
マイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』。その女性にあげたカセットテープ10本かその程度のなかにそれを入れておいたのが、しばらく経ってほかのアルバムのものとあわせて、感想が返ってきた。『ビッチズ・ブルー』はなんだかこわい、おそろしい、これは、戸嶋くん、なんなん?と言われたのだった。
前から書いているように、ぼくが『ビッチズ・ブルー』のことをおもしろい、楽しい、カッコイイと心底感じ入るようになったのは、大学四年目の終わりごろの三月お彼岸のお墓参りから帰ってきての自室で二枚目 A 面の「スパニッシュ・キー」を聴いて、天啓みたいなもの、背筋がゾクゾクするようなあの体験があって以後のこと。あのとき以後は、本当にすごい音楽だと楽しめるようになった。
しかし、それ以前も、わからないなりにこの『ビッチズ・ブルー』の音楽はただならぬものだ、なんだか知らないがすごいことが展開されているぞ、と直感してはいたのだ。じゃなきゃああんなに聴かない。むろん、世評があまりにも著しく高いというのも繰り返し聴いていた理由だ。ぼくにとっては、特に油井正一さんが絶賛なさっていたのがかなり大きかった。でもぼくなりに「なにか」を感じていたはずと思う。
でもその「なにか」がなんなのか、ちゃんと自覚できていなかった。だから、今日思い出しているその女性に『ビッチズ・ブルー』をカセットに録ってプレゼントしたのは、そんなモヤモヤ感の表出だったかもしれない(は違うのだろうか、たんにやっぱり自分が好きだっただけか)。とくにジャズとかに興味を持ったわけでもなかった(といまではわかるけれど)だれかが、それでも聴いてさえもらえれば解明の糸口を見つける手助け、きっかけをくれるかもしれないとかいう、そんな細い糸をたぐるような心持ちがぼくのなかにあったかもしれない。彼女はそんなこと、思いもしなかったはず。ぼくだって彼女のなんらかの気持ちに1%たりとも気づかなかった。
その女性が『ビッチズ・ブルー』のことをこわい、おそろしいと感想を述べたのは、しかしわりと的確にこのマイルズ・ミュージックの質感を言い当てていたんだよなあと、いまでは思う。直接的にはベニー・モウピンの吹くバス・クラリネットの、あのトグロを巻くような木管サウンド、あれが出す雰囲気にはたしかに怖ろしい感じがある。
それだけじゃない。アルバムのほぼ全体のサウンドもリズムも荒々しくハードで、不穏で落ち着かないフィーリングが強いよね。いま考えたらあの二枚組アルバムは、1969年8月の(かのウッドストック・フェスティヴァルの翌日から三日間での録音セッション)時点での、アメリカ黒人音楽家であるマイルズ・デイヴィスが抱く不安、時代の不穏なフィーリングを、うまく音楽に乗せて表現できていたんじゃないかなあ。
録音に参加した人員数そのものだって多い。フェンダー・ローズの電気ピアノ奏者は、多くの曲で三名が同時演奏。ドラマーも二人合同演奏でパーカッション奏者もいる。ベーシストもウッド・ベース奏者とエレベ奏者の二名が同時に弾く。しかもそれらはクラシカル・ミュージックのオーケストラのように整然と合わせて演奏したりなどしない。ゴッチャゴッチャの混沌状態だ。
リズムも多重的だけど、サウンド・テクスチャーも複雑。それがしかもカオス状態のままどんどん進む。だれがどこでなにをやっているかもわかにくいし、整ったソロらしいソロもあまりない。「リズム・セクションの上に上物ソロが乗る」みたいな構造が崩れているもんね、『ビッチズ・ブルー』では。マイルズやチック・コリアがキュー出しはしているけれど、だいたいがヤミ鍋みたいなまま、まがまがしく、同時進行している。そう、まがまがしいよな、この音楽は。
そんな音楽を、現在56歳であるぼくのいままでの音楽体験や知識から、こういうものだと言い表すことはむずかしいことじゃない。実際、いままで書いてきている。がしかし、なんのきっかけだったかわからないが昨夜ふと思い出した大学生のころのあんなエピソードで、『ビッチズ・ブルー』ってどんな音楽?という表現を、あのときその女性がけっこう的確にしたなあ、とふりかえったのだった。
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