ブルーズがブルージーになったのは大恐慌のせい?〜 ブラインド・ウィリー・マクテル
(このプレイリストは、以下で話題にする CD アルバムの内容と似たようなもんです)
SoulJam 盤2017年のブラインド・ウィリー・マクテル『ダーク・ナイト・ブルーズ:1927-1940 レコーディングズ』。CD 二枚組で全51曲。現在ではこのアンソロジーがこの音楽家入門にはいちばんいいかも。入門者だけでなくファンでもふだん聴きにはこれで充分じゃないだろうか。この時期のブラインド・ウィリーは JSP の四枚組ボックス(2003)も持っているが、ソウルジャム盤に付け加える必要はあまりないし、リマスターされて音質も向上している。フィジカルでなら、っていう話だが。
ところでブラインド・ウィリー・マクテルが、最近のある時期以後リヴァイヴァルした(でしょ?)のは、ボブ・ディランのおかげだよね。1993年の『奇妙な世界に』(World Gone Wrong)とかあのへんから、ディランだけでなくアメリカの多くの音楽家のなかで再評価の動きが高まった。そのずっと前からタージ・マハールや、それを下敷きにしてオールマン・ブラザーズ・バンドが「ステイツボロ・ブルーズ」をやったりしたが、1990年代以後のディランらのとりあげかたは、ちょっと意味合いが違うように思う。
ディランはそのもっと前からブラインド・ウィリー・マクテルのことを語っていて、関連曲だって1960年代からありはする。オリジナル楽曲での直截の言及だって遅くとも1980年代にはできていたけれど、おおやけになるのは1990年代に入ってから。あのへんから、なんというかこう、アメリカーナ的なもの&その根源や周辺の検証が進んでいくようになっている。ディランなんかはそんなムーヴメントを牽引するひとりかもしれない。
そのすこしあとのちょうど21世紀に入ったころから、ブルーズに、世間一般で言う典型的ブルーズ臭さが薄くなりかけていると感じているんだけど、同じ時期にブラインド・ウィリー・マクテルのような人物が再評価されているのが偶然だとは思えない。アメリカ(産)大衆音楽史でブルーズが典型的にあんなに<臭く>なったのは、1960年代のリヴァイヴァル以後か、1950年代のシカゴ・ブルーズからか、はたまたあるいは、もっと前の1930年代あたりから以後かもしれない。
ジョージア・ブルーズ・マン、ブラインド・ウィリー・マクテルのばあいレコーディング・デビューは1927年10月18日だけど、そのすこし前の20年代半ばにはすでにギターとヴォーカルの腕前が完成していたようだ。ソウルジャム盤『ダーク・ナイト・ブルーズ』は、そのデビュー・レコードからはじまっている。しかしこのアルバム題から、似たようなタイトルの、たとえばブラインド・ウィリー・ジョンスンの「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」みたいなドロドロのエグい世界を想像したら大外れ。
ブラインド・ウィリー・マクテルのブルーズは、暗かったり重かったり苦しみの(直截の)表現だったりなんてことはほぼない。レパートリーだってブルーズもあるが、伝承曲もバラッドもラグタイムもポップ・ソングもヴォードヴィルもヒルビリーも宗教歌もある。そんなところを上のプレイリストでも聴きとっていただけるはず。黒人/白人という区分でぼくたち素人が抱くかもしれない音楽性の差だって、ないんだ。
それらの多くがカラリと明るく、ライトでポップだ。なかにはモーン調というか、たとえば「ママ、'テイント・ロング・フォ’・デイ」「ロー・ライダー・ブルーズ」とか、あるいはルース・ウィリスといっしょにやった「ペインフル・ブルーズ」とか、ルビー・グレイズとやった「ロンサム・デイ」とかはブルージーと言えるかも。ここまで録音は1932年以前で、CD では一枚目の話。
CD『ダーク・ナイト・ブルーズ』だと二枚目になる1933年以後録音になると、ブルージーなモーン調が増えているという事実が興味深い。さらに共演者が定期的に入るようになり、それはだいたいセカンド・ギターのカーリー・ウィーヴァー。当時の妻ケイト・マクテルがサイド・ヴォーカルで参加しているものもある。「デス・ルーム・ブルーズ」「ダイイング・ギャンブラー」「イースト・セントルイス・ブルーズ」「コールド・ウィンター・デイ」「クーリング・ボード・ブルーズ」「ダイイング・クラプシューターズ・ブルーズ」など、ブルージーでメランコリックなものがいくつもある。
ブルージーといっても戦後のシカゴ・ブルーズみたいなものとはすこし違うのだけど、あきらかに1933年録音以後のブラインド・ウィリー・マクテルの音楽は、それ以前に比べたらやや落ち込んでいて暗く沈んで憂鬱そうに嘆いているかのように聴こえる。明るいダンシングなラグライムや陽気なポップさは失っていないものの、やや調子が変化しているよね。
ブラインド・ウィリー・マクテルのこの変化の原因に、1929年以後の、かの大恐慌があったのは間違いないように考えるのが妥当な判断だと思うんだよね。あそこからアメリカ社会が経済的に本格復帰したのは、第二次世界大戦に参戦してようやくというところだった。ダウ平均株価が1929年10月の水準に戻ったのなんて、1954年のこと。
そんな1929〜1941年のあいだに、アメリカ音楽のありようが大きく変化したと思うんだよね。ロック台頭につながるリズム&ブルーズの母胎だったジャンプ・ミュージック、の源流たる黒人スウィング・ジャズ・ビッグ・バンドなど、このあいだに誕生している。この問題は大きなテーマなので、ぼくひとりで考えて書ける日が来るとは思えず、今日のところはおいておく。
ブラインド・ウィリー・マクテルのばあい、CD『ダーク・ナイト・ブルーズ』二枚目になると、キリスト教信仰のことを歌ったものがグッと増えているという事実もある。一枚目には「ロード・ハヴ・マーシー・イフ・ユー・プリーズ」一曲しかなかったのに、二枚目には「ロード・センド・ミー・アン・エンジェル」「エイント・イット・グランド・トゥ・ビー・ア・クリスチャン」「アイ・ガット・レリジョン、ソー・アイム・グラッド」「ガッド・ドント・ライク・イット」「アイ・ガット・トゥ・クロス・ザ・リヴァー・ジョーダン」(ヨルダン)と、こんなにあるもんね。ちょっぴりそんなことが織り込んである曲だったらもっとある。
べつにブラインド・ウィリー・マクテルに限った話じゃなくて、大恐慌前〜中〜後のアメリカを生きた音楽家に共通して言えることなのかもしれない。こんなようなことは、たとえばかの9.11(2001年)以後のアメリカ音楽はそれ以前と決して同じではなくなったとか、例のハリケーン・カトリーナ(2005年)以後もまたそうだとか、そのあたりはリアルタイムで知っている最近のことだけど、1929年以後の大恐慌がアメリカ音楽にどれだけの激変をもたらしたのかは、時代も音楽の種類も録音も、遠く古いせいか、あんがいふだん意識にないばあいがあるかもしれない、ぼくはね。
ボブ・ディランがブラインド・ウィリー・マクテルをおおやけに本格的にとりあげ再評価した1990年代以後表面化したことと、アメリカーナの動きと、このふたつを踏まえた上でこの古いブルーズ・マンの音楽について書こうかなという心づもりではじめて途中まで進んだが、論の筋道が変わっちゃったなあ。まあいいや。このまま手直ししないでアップしようっと。
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