音楽への渇望 〜 音が、好き(2)
今日の文章は、ラテン語たん(@Latina_tan)の9月29日のこのツイートにヒントを得て、自分なりに置き換えて考えてみた内容です。実は(1)も似たような経緯がありました。
朝起きて、空腹でもない口渇感でもない、他のなにものでもない欲求が高まったとき、それは「音楽に属するものへの欲求」だと、一拍遅れて気づく。自室にいるときは、寝ている時間を除き、常にずっと絶え間なく音楽を再生しているわけだから、六時間(程度が最近の睡眠時間)もそれなしの時間が経過すれば、そりゃもうほしくてしかたがないわけだよ。
といっても、寝ているあいだも夢で音楽を、いや、夢じゃなくてたんに寝ている脳のなかで再生されているだけか、わからないが、寝ながら脳内で音楽を聴いていることがかなり多い。これはここ最近はじまった話じゃなく、音楽キチになってしばらくが経った大学生のころからそうだ。
あのカセットテープ型のウォークマンは、ちょうどぼくが大学生のころに発売された。これさえあれば、いつでもどこででも音楽が聴けるんだ、部屋のオーディオ装置の前にすわらなくたって!と思ったら迷わず買った。それで、通学は自転車だからヘッドフォンを装着できないが、外出先で文字どおりずっと(ヘッドフォンで)音楽を聴くようになった。
ウォークマンも最近は MP3プレイヤーになっているんだよね?iPod が発売されて以後はそれを使うようになっていたので、ソニーさんにはずいぶんと不義理をはたらいてしまっている。もはや iPod も使わず、iPhone でなんでも済ませることができている。ネットで音楽をストリーミング再生することが一般的になったので、ストレージ内にローカル・ファイルを入れる必要はあまりない。
携帯型音楽プレイヤー(として使えるもの)や音楽ストリーミング・サーヴィスについては、どうもまだ否定的な意見をお持ちのみなさんもいらっしゃる模様。だけど、音楽がなくちゃ、どこにいてもそれを聴かずに時間が過ぎるのは耐えられないという人間にとっては、もってこいのものなんだね。自室内では、もちろんオーディオ装置でずっと聴いている。
ひとりでいるときに無音状態が一定時間以上続くのは、ぼくのばあい、精神的にしんどいことなんだけど、書いたような具合で、可能な限り音楽に触れあいながら過ごすことができるので、それさえあればだいじょうぶだ。自分の特にお気に入り、好物品であれば申し分ないけれど、必ずしもそうでなくともいい。ちゃんとした音楽、あるいは音の並びであれば、それが耳に入ってくれば、それでオーケー。
寝ている状態から目が覚めて、音楽への渇望を感じると書いたのは、だから本当のところ、ちょっとウソなのだ。寝ているあいだもずっと音楽が脳内再生されていることが多いし、特になにも聴こえている自覚なしに寝て(って言いかたはヘンでしょうか?)目が覚めた朝には、ベッドに横たわった状態のまま、あっ、これをいま聴きたいぞ、というのがパッと瞬時に出るばあいが多い。というか、脳内で再生ボタンが押される。
特定のなにかではなく、よく知っているがなんの曲か思い出せないもののメロディ(やリフやリズム)が脳内で鳴りはじめることもある。その際には、フィジカルの再生ボタンを押す前に、これ、なんだっけ〜?としばらく脳内検索している。たどり着ければかなりスッキリ。でも判明しないときもあって、そんなときはなんでもいいから鳴らしはじめて聴いている最中にアッ、これだ!となるケースもある。
とにかく、僕にとっての音楽欲求は、食欲、睡眠欲などと並ぶ生理的本能で、しかもたちが悪いことに食欲、睡眠欲みたいに一定量を享受すればしばらくのあいだなしで過ごせるというものじゃない。常にいつも浴び続けていないと、音楽欲求、渇望感がわいてくるものなのだ。
いつでもどこででも常に触れあっていたい、耳に流れ入れておきたい、そうじゃなくちゃ「おなか」が空いて空いてどうしようもなくなる 〜〜 それがぼくにとっての音楽。酸素や水分なしで過ごせる人間はいないでしょう、それと同じことが、ぼくのばあい、音楽についても言えるのだ。
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