リー・モーガンに聴くブリティッシュ・インヴェイジョン #BlueNoteBoogaloo
くどくてごめんなさい、大好物なんで。これまた #BlueNoteBoogaloo のひとつ、リー・モーガンの『ザ・ランプローラー』(1965年録音、66年発売)。それにしてもこのレーベル公式プレイリストには本当にいろいろ教えていただいて、それは数の問題だけではなく、とても大切なことを学んだ。それでいくつも CD 買ったよ。買わなくても Spotify で聴けるものばかりだけど、そこは、ほら、やっぱりね、そうなんだよ、ぼくも。でもさ、音源がちゃんとあって、データ類もネットにぜんぶきちんと載っているものばかりなんだなあ…、マジでそろそろ考えないと…(なにを?)。
まず最初に書いておくが 'The Rumproller' はアンドルー・ヒルの曲だけど、この曲以外でこんな英単語をぼくは見たことがない。ヒルの造語かなあ?rump と roll でくっつけて…?、ってことはこりゃまたスケベな意味のニュアンスがあるのかなあ。わからない。どなたかちゃんとおわかりのかた、教えてください。どうでもいいようなことかもしれませんが。
んでもって、リー・モーガンのアルバム『ザ・ランプローラー』も、これまたドラムスがビリー・ヒギンズなんだよ。う〜ん、多いぞ。というかぜんぶを調べるのが面倒だからやっていないけれど、レーベル公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』の曲は、ぜんぶビリー・ヒギンズが叩いているかもしれない。ブルー・ノートじゃなくても、たとえばエディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』もヒギンズだったし、ほかにもいっぱいありそう。ってことはやっぱり裏テーマはヒギンズなのか?
リー・モーガンのアルバム『ザ・ランプローラー』でブルー・ノート・ブーガルー的と言えるのは1曲目「ザ・ランプローラー」、3曲目「エクリプソ」(あれっ、トミー・フラナガンの1970年代作品に同題があったなあ)、4曲目「エッダ」と、この三つかな。5曲目「ザ・レイディ」なんか、ハーマン・ミュートを付けて吹くモーガンのバラード吹奏がきれいでいいけれども、今日の話題からは外れる。
もう一個よけいなことを。2曲目「デザート・ムーンライト」は作者がリー・モーガンにクレジットされているが、みなさんおわかりのとおり日本の童謡「月の沙漠」だ。これってトラディショナルとか PD とかじゃなくて特定の個人作者がいるんだけど、いいのか、モーガン?日本と縁深いジャズ・マンだから、どこかで聴き憶えたんだろうなあ。
話題にしたい三曲。これらのうち、「エクリプソ」はボサ・ノーヴァ調と言えるよね。だからビリー・ヒギンズのドラミングがぴったり似合っている。でも淡々とした曲調じゃなくて、どっちかというと爆発的に激しくハード。ソロはリー・モーガンのより、こういうのをいくつもやってきたテナー・サックスのジョー・ヘンダスンのほうがいいように思う。マッコイ・タイナーとハービー・ハンコックを折衷したようなピアノのロニー・マシューズが弾く新感覚も好き。
「エッダ」はウェイン・ショーター作。いかにもこのころのウェインが書きそうな曲で、サビ部分でだけ4/4拍子のストレート・ジャズになるけれど、それ以外の部分ではラテン調の8ビートで楽しい。まあでも和音構成やリズム・スタイルもあわせ、当時のいわゆる新主流派ジャズに分類できそうな典型だ。
で、新主流派ってなんだったのか?ということを、今年五月からずっと話題にしてきている<ブルー・ノート・ブーガルー>も混ぜて、というかたぶんそれら不可分一体だったから、アルバムの最重要曲である1曲目「ザ・ランプローラー」も含め、ちょっと考えてみたいんだけどね、今日というよりそのうちジックリと。さっきパッと思いついたことは、いわゆるブリティッシュ・インヴェイジョンを当時活躍中の米ジャズ・メンなりに消化した結果がそれらだったんじゃないかということ。
もちろんそれらジャズ曲の録音時期と英国ロック勢のアメリカでの大流行時期とその両方を見ると、前者のほうがちょっとだけ早い。ハービーの「ウォーターメロン・マン」が1962年、モーガンの「ザ・サイドワインダー」が63年の録音だけど、ビートルズの北米上陸は1964年だったよね。同年一月にシングル「抱きしめたい」(I Want to Hold Your Hand)が出現、爆発してからじゃないかな。
だからそれ以後のジャズ・メンの録音にロック・ビートの影響が出るようになって、今日とりあげているリー・モーガンの『ザ・ランプローラー』もその地平線上にあるのは間違いないように、最近ぼくは考えるようになっている。アメリカのジャズ、それも新主流派やブーガルー・ジャズのなかにビートルズがイコンとなったロック・ビートがあった、それが1964年以後のファンキー・ジャズ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクを産んだトリガーだった、とは、いままで読んだことがないけれど、どうやら間違いなさそうな気がする。
しかしその約二年ほど前からのジャズ・ブーガルーのなかにある、あんなポップでファンキーでノリのいい8ビート演奏は、たぶん1960年代ロックンロール・クレイズの先取り、あるいは同時期の共振だったのかもしれないよな。ビートルズやローリング・ストーンズ、キンクスなどなど英国でのロック爆発の大元の源流と、米国のブーガルー・ジャズのルーツは、重なっているじゃないか。そう考えれば自然だ。
UK ロック勢は、もちろんアメリカの黒人ブルーズやリズム&ブルーズや白人ロックンロールを範として学び、というか初期はもろコピーして、そのまんまやっていた。彼らのお手本となった北米大陸産のそんな音楽にカリビアン〜ラテンなビートが抜きがたく流入しているとは常識的だ。その根源は西アフリカにあり?だから、アメリ合衆国に上陸した英ロッカーたちは、侵略というより、ある意味<帰国>だった。本人たちは理解していたんじゃないか(と当時からの各種発言でわかる)。
となると、ハービーやモーガンやらがはじめて、その後ひとつの流れになって、今年五月にレーベルが公式プレイリストまで作成し公開した『ブルー・ノート・ブーガルー』とブリティッシュ・インヴェイジョンとの関係、同一性も見えてくるはず。それらジャズでもロックでも、カリビアン/ラテン・ビートなグルーヴ・オリエンティッド・ブルーズだってこと。
グルーヴ・オリエンティッドなラテン・ブルーズが、ジャズへ行けばこうなって、ロックへ行けばああなったということだったんじゃないだろうか?同じ1960年代に、もとをたどれば同じ故郷からやってきたと言えるものを変化させ、一を足し二を引いて我がものとし、自分たちの衣装を着せて表現した。それがブルー・ノート・ブーガルー(や新主流派)であり、ブリティッシュ・ロック。
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