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2018年10月

2018/10/31

ちょっと気分だから、連続(ソウル)トレイン、といってもジャズ

 

 

なにを隠そう、アトランティック盤やインパルス盤など、とにかくぜんぶを考慮に入れてもいちばん好きなジョン・コルトレインのアルバムが、プレスティジ盤『ソウルトレイン』(1958)。録音は1958年2月7日のワン・デイト・セッションだけど、同年同月4日には、再起動したマイルス・デイヴィス・バンドで録音済み(コロンビア盤『マイルストーンズ』の一部)。

 

 

つまりセロニアス・モンク・コンボでの修行を終え、ふたたびこのボス・トランペッターのところへ戻って、しかし以前とは見違える活躍を聴かせるようになりはじめた時期だよね。ボスのコロンビア録音でもその目覚ましい吹奏ぶりはよくわかるし、かつてはオミットされていたリリカル・バラード演奏などでもしっかりソロ・パートを任されるようになっている。

 

 

プレスティジ盤『ソウルトレイン』はそんな時期の録音だけに、中身は文句なしに充実している。なんたってぼくはこの一枚のことが、大学生のころから好きで好きでたまらない。アトランティックやインパルスのものに比してもどうしてこんなに好きなのか、自分でも理由がわからないのだが、むかしは A 面のほうをよく聴いていた。いま聴きかえすと B 面分だって同じすばらしさだからなあ。

 

 

たぶん、むかしのぼくは「グッド・ベイト」「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」というふたつの曲そのものが好きだったということなんだろうか。緊迫感だって漂うばあいがある B 面(特にラストの「ラッシャン・ララバイ」)と違い、この A 面二曲はたいへんにくつろいだリラクシング・ムード横溢なのが好きだったのかも。

 

 

その後、「グッド・ベイト」のことが嫌いになってしまい、なんだ、このほんわかひょこひょこ路線でのどかなメロディは〜っ?!とか思いはじめてしばらくのあいだは、たとえばホレス・シルヴァーやソニー・ロリンズが書く同傾向の曲もやはり嫌いだったから、要はその時期、ユーモラスなファンキー・ナンバーを受け付けなかったってことなんだろう。あれはどうしてだったのか、いまやわからず憶えてもいない。

 

 

<ファンキー>とは、決して「モーニン」(ボビー・ティモンズ)みたいなゴスペル調アーシー・ジャズのことだけを指すのではなく、同じく黒人教会にルーツを持ちながらもユーモア感覚を活かしたスカしてクールな感覚でもあるんだと、これに気付きはじめたのはスライ&ザ・ファミリー・ストーンを知ったころだ。そして、中村とうようさんがそんなことを明言してある文章にも、すこしあとに出会った。

 

 

それで、たとえばボビー・ティモンズ他はスライと(そのままだと)つながりにくい気がするけれど、ホレス・シルヴァーのファンキー・チューンなんかはあんがい簡単につながっているなあと、するとファンキーと呼ばれるこのクールなユーモア感覚は、たとえばいわゆるジャイヴ・ミュージック(系ジャズ)からの流れかもしれないし、アフリカ音楽のなかにもあるなあとか、こんな理解ができるようになったのは、本当にごくごく最近の話だ。

 

 

ふりかえって、トレインが『ソウルトレイン』でやる「グッド・ベイト」のことも評価しなおすようになって、むかしみたいにもう一回好きになっているけれど、愛好の中身が今度は違っている。あるいは、大学生のころに、こんなくつろぎユーモア・タイムがいいなあと聴きながらぼんやり感じていたのは、なにかを察知していた?いやいや、それはないだろうね。

 

 

「グッド・ベイト」でもそのほかの曲でも、トレインの例のシーツ・オヴ・サウンド手法が完成に近づいているのを容易に聴きとれるけれど、この点はみなさんが、というかそもそもレコード初版時からアイラ・ギトラーが指摘していることだから、いまさらぼくが言うことなんてなにもない。ただこれ、息継ぎ(ブレス)しんどいだろうなぁとも思う。

 

 

アルバム2曲目のきれいなリリカル・バラード「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」。A 面のなかではどっちかというとこっちのほうが好きだった。これはいまでも変わらない。そしてこのプレスティジ録音以後トレインの定番レパートリーになって、インパルス時代にもライヴではしばしばやっていた。あの長すぎるカデンツァ付きでさ。あまりにも長いんだ。その吹奏内容も時代によって変化している。

 

 

それらひっくるめて、この1958年初演が、いまではいちばんしっくり来る気がしている。それだって10分以上もあるけれど、必ずしもトレインの独擅場じゃなく、ブロック・コード・ワークが美しいレッド・ガーランドのピアノ・ソロ、かなり内容がいいポール・チェインバーズのベース・ソロも聴かせるものだ。トレインの吹奏も、わりとシンプルでストレートなのが、このラヴ・ソングのチャーミングさをきわだたせている。そう、近年、ぼくはこういった嗜好に変化していて、凝った複雑なソロ展開は遠ざけはじめているんだよね。

 

 

B 面に入って「ユー・セイ・ユー・ケア」はまあまあテンポが速いけれど、それでも急速なフィーリングじゃなくリラクシングなのがいい。トレインのフレーズ創りもぴったりいい感じだし、ドラムスのアート・テイラーってうまいんだなあってわかる。次の「シーム・フォー・アーニー」ってあまり知らない曲だけど、これもポップ・スタンダードなんだっけ?トレインがここでとりあげなかったら埋もれちゃっていたものかも。

 

 

ラスト「ラッシャン・ララバイ」はアーヴィング・バーリンの書いた正真正銘スタンダードで、ジャズ・メンもよくやる。ヴィク・ディキンスン(トロンボーン奏者)の中間派ジャズのヴァンガード盤のものも有名だよね。あのヴァージョン、大好きなんだよね、ぼくは。

 

 

そんなバーリンの曲をトレインが激速調にアレンジして吹きまくる。鬼気迫るというか、アトランティック〜インパルス時代を予告したような勢いだよなあ。すごいの一言。マイルズ・コンボでも1960年の欧州ツアーではアホみたいに吹きまくってボスをあきれさせた、あの超多弁ぶりがすでにここにある。そんな饒舌トレインに、ぼくは心から共感する。トレインの心中になにがあったのか、わかるわけもないけれど、ぼくなりに…、ね、まあなんだかちょっとさ…、わかるとは言わないんだけど。

2018/10/30

コルトレイン唯一のブルー・ノート作品

 

 

ジョン・コルトレインがリーダーのブルー・ノート作品は『ブルー・トレイン』(1957)だけ。プレスティジのだって、契約期間中にリアルタイム・リリースされたものは、実は三枚しかなかった。かの有名な『ラッシュ・ライフ』だって発売は1961年だったんだよ。あれっ?なんか、マイルズ・デイヴィス関係の事情とちょっと似ているなあ。

 

 

ともかく今日はプレスティジ録音作の話はしない。トレイン唯一のブルー・ノート作品『ブルー・トレイン』のことだけ。オリジナル・レコード分は5曲目までだ。1曲目のアルバム・タイトル・チューンと3曲目「ロコモーション」が(ほぼ)定型ブルーズで、それ以外も、スタンダード・バラードの4曲目「オイラは不器用」(I'm Old Fashioned)を除き、すべてトレイン・オリジナル。

 

 

などと言ってはみたものの、このサックス奏者もかつてのボス・トランペッター同様、ユニークで印象に残るオリジナル・チューンを書く能力はなかったと思う。簡単なリフとかブルーズとかそのヴァリエイションとかモードを並べただけとか、そんなのばっかりだよね。『ブルー・トレイン』でもそれがよくわかる。デューク・エリントンとかセロニアス・モンクとかホレス・シルヴァーなどを基準にしているぼくがいかんのだけども。

 

 

マイルズのばあいは、そんな能力の欠如を、トランペット・ソロ内容ではなく整合性の取れたグループ一体のトータル表現と、巧妙なアレンジ(しばしばアレンジャーを起用)と、躍動的なリズム・セクションのフル活用とで十二分に補っていた。トレインはといえば、死の一歩手前みたいなギリギリのアド・リブ勝負で補ったような、そんなジャズ・マンだったのかもなあ。そんな気がする。

 

 

だから1960年代のトレインがああいった方向へ進むのは、音楽家としての資質上、必然だったと言える。ふりかえれば、50年代録音は、内容がグンと向上する58年より前のものだとやはりイマイチに聴こえたりもし、だからリーダー作品でもテナー・サックスだけ聴いていると物足りない…、と思いませんか、みなさん?ぼくはそうなんだけど。

 

 

『ブルー・トレイン』のばあい、トランペッター(リー・モーガン)とトロンボーン(カーティス・フラー)が参加した三管編成で、テーマ演奏部その他で分厚い響きになるのはぼく好みだ。しかし、モダン・ジャズばかり聴いているみなさんのあいだでは、三管編成とかって、たとえばアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズなんかでも、ウケが悪いそうだ、と、むかしうかがった。

 

 

どうしてだろう?ってことはないなあ、ハード・バップ・コンボはたいていクインテット以下の人数だし、なんたってぼくの好みじゃないピアノ・トリオが大人気だったりする世界で、戦前ジャズ(とそのスタイル)においてはあくまで<本番>はビッグ・バンドだっていう、そんな世界とは180度違っているよねえ。アート・アンサンブル・オヴ・シカゴみたいな存在や、類するバンドやアルバムもあったりはしますが。

 

 

三管編成って、だからいちばん中途半端で分が悪いのかも。くどいようですが、ぼくは好きです、三管ホーン・アンサンブル。『ブルー・トレイン』で一番好きなのがそんな3ホーンズの重なり合いだから。さて、書いたように曲そのものにおもしろみが薄いもんだからアド・リブ・ソロ内容を、あるいはリズム・セクションの演奏を、聴くということになるけれど、いちばんいいなと感じるのが、個人的にはピアノのケニー・ドルーだ。管楽器ならカーティス・フラーがいい。

 

 

トレインもマイルズのファースト・クインテット時代よりはぜんぜんいいけれど、まだセロニアス・モンク・コンボでファイヴ・スポットに定期出演していた最中の修行中の身で、1958年にマイルズ・バンドに復帰以後の活躍を知っているからこの程度ではう〜ん…、まあ悪くはないんですけど。

 

 

リー・モーガンも1957年時点ではまだまだだったと判断せざるをえないトランペット吹奏内容だと思う。そこいくとカーティス・フラーはもうすでに立派だ。さらに、好みの問題でしかないが、ぼくはこのトローンボニストのちょっとくぐもって野暮ったいような音色とフレイジングがど真ん中ストレートの好物なんだよね。ただそれだけのことかもしれないが。

 

 

どの曲のソロもいいんだが、特にスタンダード・バラード「わし、不器用ですけん」でのソロが絶品だ。テーマとソロ部をあわせ、テナー・サックス、トロンボーン、ピアノ、トランペットの順で登場するけれど、カーティス・フラーの吹くパートだけ鈍く黒光りし、このスタンダード・バラードの持つ(歌詞を含む)曲想にピッタリ似合っているじゃないか。

 

 

それから「ぼかあ不器用なもんで」でもそうだけど、ケニー・ドルーのソロにはブルージーな部分が聴き受けられるのも好き。ふつうのバラードでもそうなんだから、曲「ブルー・トレイン」「ロコモーション」の二曲のブルーズ・ソングならなおさらだ。それらふたつでのいちばんの聴きもの、というか個人的好物がケニー・ドルーのブルージー・ピアノだ。

 

 

しかし、曲「ブルー・トレイン」では、曲とアレンジ構成もすこし興味深い。メイジャー・ブルーズなんだけどそうだとはっきりしてくるのは一番手トレインのソロに入っての1st コーラスでのことであって、テーマ演奏部はちょっぴりマイナー・キーをまとっているかのごとく惑わせる偽の衣装を着ている。これ、ホント、どういう和音構成になっているんだろう、このテーマ演奏部は?各人のソロ・パートではリズムの変化があるのも楽しいね。

 

 

もう一個のブルーズ形式楽曲「ロコモーション」。これはワン・コーラスが長い(数えていないが、とにかく最定型の12小節よりずっと多い)ので、コード・ワークがブルーズ・チェンジだと気づかれにくいかも。やはりカーティス・フラーとケニー・ドルーがいいね。このピアニストの弾きかたはなんでもないもののようだけど、このフィーリングをそうやすやすと出せるもんじゃないよね。

 

 

2曲目「モーメンツ・ノーティス」とラスト5曲目「レイジー・バード」は、ハード・バップ愛好家にはいいものだろうと思う。

2018/10/29

ぼくにとっての初ティナは『プライヴェイト・ダンサー』、わりとジャジー

 

 

ぼくにとっての初ティナ・ターナーだった1984年の復帰作『プライヴェイト・ダンサー』を Spotify で探すと、30周年記念リリースとかいうのが見つかる。こんなのがあったのか。ついさっきまでまったく知らずに人生をやってきて、CD リイシューもペラペラの一枚もの(リリース年記載なし、たぶんアメリカ盤)をずっと前に買ったままだった。初めてのティナだったんだから、そりゃあ即買いで、そのまま来たさぁ〜。2015年にリマスターで内容拡充されてされていたなんて、つゆ知らず。

 

 

しかしそんな音質を向上させ内容も拡充して出しなおすほどの意味が、ティナの『プライヴェイト・ダンサー』にあるのでしょうか?、みなさんに。ぼくにはあるよ、そりゃあ初めての…、あ、もうやめときますが、とにかく思い出深いアルバムではあるんだよ。そして個人的には音楽的にそこそこ充実もしていると感じている。

 

 

どうしてこれが初ティナだったのかははっきり憶えている。テレビで PV が流れまくっていたからだ。MTV 全盛期だったもんねえ。ティナだけじゃない、米英のメイジャー・シンガーたちはみんな PV つくって MTV で放送してもらっていた。いまならさしずめ YouTube などで流すようなもんかな。ティナのこのアルバムからの曲は、ラジオでも当時実に頻繁に聴いたしね。

 

 

それで、ティナ・ターナーという、なんだか名前だけは聞きかじっていた(有名らしい)女性歌手の声を生まれてはじめてテレビで聴いたんだ。たしか姿も見せていた、PV で。YouTube で確認できると思うけれど、それをする気はない。30周年記念リリースとかの追加分も今日は無視して、1984年に買った(アメリカ盤じゃなく)インターナショナル盤レコード収録曲を聴きなおして、いま感じることをメモしておこう。

 

 

第一印象は二点。けっこうジャジーじゃないかということと、ファットなシンセサイザー・サウンドが、いかにも1980年代的(で古くさい?)だということ。ほぼ同時期のマイルズ・デイヴィスと重なっていたが、それは当時自覚なしだった。けれど、ティナのこれに好意的だったのは、この二点が大きな理由だったんだろうと、いまふりかえるとそうに違いない。

 

 

シンセサイザーのこういった使いかたは、ティナやマイルズだけでなく、1980年代の音楽家の多くが同様にやっていたんだから、どうこう言うようなことじゃない。でもいま聴いてみると、マイルズよりもティナのこのアルバムでのほうが、いい感じに抑制が聴いて、ちょうどいいポップさだ。ジャジーさも出せている。プロダクション・スタッフの違いか、主役の違いか、そこはわからない。あっ、シンディ・ローパー登場も同時期だったねえ。

 

 

ジャジーな感じがするなあというのは、1984年当時ぼくは気づいていなかったはず。いま2018年に聴くと、たとえば大ヒットした名曲(と、いまでも確信する)2曲目「愛なんてなんなのよ」(What's Love Got To Do With It)もそうだし、それ以上に5曲目「プライヴェイト・ダンサー」が完璧なスムース・ジャズだ。フュージョンと呼んでもいいんじゃないかな。伴奏メンツを確認するのは面倒だからしない。

 

 

9曲目のビートルズ・カヴァー「ヘルプ」も、当時は、こりゃまたずいぶん悲痛な絶叫調になっちゃってるなあ、まあこの曲の歌詞からすればわかりやすい解釈だけど、うんたしかになにか助けてくれ〜っ!って強く求めているんだよね、って、それしか感じていなかったが、いま聴くと、これ、ジャズ・ヴァージョンなビートルズじゃん。それもリズム&ブルーズ・クイーンがやるジャジー・ビートルズ。間奏のサックス・ソロはメル・コリンズかなあ?その部分は完璧なジャズだ。

 

 

ところでティナのこの『プライヴェイト・ダンサー』収録の全10曲は、書き下ろしの新曲とカヴァー・ソングとが半々になっているんだけど、オリジナルのなかでの最優秀が2「愛なんてなんなのよ」、5「プライベイト・ダンサー」だとすれば、カヴァーのなかでなら4「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」(アン・ピープルズ)と6「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(アル・グリーン)という二曲のハイ・ソウルが要注目かな。

 

 

失恋後のつらい心境を綴った「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」は、生演奏だったのをシンセサイザーやコンピューター・プログラミングに置き換えただけでアン・ピープルズ・オリジナルにほぼ忠実だけど、楽しいラヴ・ソング「レッツ・ステイ・トゥゲザー」のほうは、アル・グリーンのとかなり違っている。まず、ティナのヴァージョンは、最初にサビを置いて、全体の導入部、いわばヴァースみたいなものとしているよね。

 

 

しかしそれが功を奏しているかどうかは微妙だ。その部分はテンポ・ルパートだからだ。A メロ部になってはじめてあのリズムが効きはじめる。しかしそうなってからでも、アル・グルーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」にあった、あのふわっと軽くやわらかくやさしいノリとタッチは、ティナのヴァージョンでは若干損なわれているかも。

 

 

主役歌手のヴォーカル・スタイルも、アル・グリーンのソフト・ヴォイスに比しティナは重たくずっしり来るパンチの効いた声と歌いかた。だから「レッツ・ステイ・トゥゲザー」という曲の持ち味を弱めちゃっている…、とは思っていないが、解釈と、その結果のできあがりのフィーリングは、だいぶ違っているよね。これはこれでティナなりの立派な表現だ。

 

 

それに、なんたってティナのアルバム『プライヴェイト・ダンサー』は、「愛なんてなんなのよ」という名曲に出会えたという喜び以上に、アン・ピープルズとアル・グリーンをぼくに紹介してくれたのだ。この事実は、その後のぼくの音楽人生の歩みを考えたら、本当にありがたかった。ティナ、この恩義は一生忘れません。

2018/10/28

美咲にお世話になってます

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ぼくの住む愛媛県大洲市のスーパーのフラワー・コーナーで発見した切り花長持ち液の商品名が「美咲」。まぁそりゃあ美咲っていう名前はわさみんこと岩佐美咲独自のものじゃあない。美しく咲く、咲かせるという意味なんだから、お花関係の商品に使われてまったく不思議じゃないよね。

 

 

でもそれを発見したのは、2018年2月4日に渋谷は恵比寿で美咲の生コンサートを体験し、感動のまま空路愛媛に戻ってきて数日が経過したころだったのだ。CD や DVD で観聴きするだけでゾッコンなのに、現場で生で、美咲の姿を見て歌を聴いて、そ〜りゃもうすばらしい体験だったさ。一生忘れられない感動だ。

 

 

自宅にお花を飾ろうと思いはじめたのも、美咲に会って帰ってきてから。これがどういう因果関係があるのか、美咲に会えたことと自室にお花をちょこっと飾ったらいいんじゃないかと思いついたのと、どう結びつくのか、自分でもわからない。がしかし時期的にピッタリ合致していたのも間違いない事実なんだよ。

 

 

それで、最近は専門のフラワー・ショップで買っているけれど、最初はスーパーのお花コーナーに行っていた。で、発見したわけよ、切り花長持ち液「美咲」をさ。ぼくのばあい小さな飲用グラスに水を入れお花を飾っているんだけど、そのお水に液体「美咲」をちょこっと入れたら水が濁りにくく、お花の寿命も長くなるんだ。美咲の名前どおり、けっこう長く美しく咲いていてくれる。

 

 

不思議なパワーを持っているよねえ、美咲って。それをちょこっと入れとくだけで元気な状態が長持ちするなんて。なんでもないような透明なものなのに、それだけで寿命が延びるんだ。だから、ぼくはいつも美咲を入れている。入れない日はない。お花の水は毎日換えるけれど(デスクとトイレとバス・ルームの三ヶ所に飾っている)、換えるたびに美咲も入れる。

 

 

毎日水換えするんなら本当は美咲は必要ないのだろう。しかし、もはやぼくには美咲なしの生活は考えられないんだから、美咲がなんとしても必要なんだ。毎日毎日ちょちょっと味わうだけで、姿を観ながら歌声を耳にするだけで、それだけでぼくたちは生きられる、生きている実感がある、今日の、明日へ向けての、活力が生まれ出てくる、そんな美咲の姿と歌声と同じように。

 

 

ぼくが自室内でいつもすわっているデスク前すぐに、岩佐美咲カレンダー、ブロマイド、そして美咲を入れたお水に飾ったお花が、三つ並んでいるんだよね。三大美。要はすべてが美咲のおかげ、美咲があるから歌うから、どんなものでもだれでも、元気でいられる。

 

 

そういうものだよね、美咲って。

2018/10/27

故郷へ 〜 ラシッド・タハ

 

 

今2018年晩夏、ラシッド・タハの訃報に接し、真っ先に聴いたのが1998年の『ディワン』だった。アラブ・ロッカーみたいなラシッドが、アルジェリア〜マグレブの音楽伝統に回帰した…、はちょっと違うと思うんだけど、でも歌っているレパートリーは、一部の自作を除き、そんなようなものばかりだ。さながら故国出身の先輩音楽家たちへ敬意を表してのオマージュ集といったところか。

 

 

『ディワン』の全11曲中、ダフマーン・エル・ハラシの曲がいちばん多く、三つもある。モハメド・エル・アンカみたいな大物や、そのほかほとんどがシャアビの名曲ぞろいで、どっちかというとシャアビやライの歌手ではなくロック・シンガーだと思えているラシッド・タハ(+スティーヴ・ヒレッジ)がどう料理しているのかが、最大の聴きどころになるだろう。

 

 

基本、シャアビの音楽伝統にのっとりながらやっているが、『ディワン』で最も伝統から遠いなと感じるのが、ラシッド・タハのヴォーカルだ。ご存知のとおり、アラブ歌謡ふうな朗々たる発声とコブシまわしをやらないひとで、どっちかというとボブ・ディランみたいにボン、ボンと吐き出しながら連射して投げつけるような、ある意味、ていねいではない投げやりな歌いかただよね、ラシッドは。

 

 

『ディワン』にあるカヴァー・ソングの大半のオリジナルや有名カヴァーは、やはりだいたいがアラブ伝統に即したような重厚で華麗な歌いかたをしていることが多いと思うから、このアルバムでのラシッド・タハ・ヴァージョンは、やはりかなりの異彩を放つ。いわばシャアビ伝統ソングのロック化に成功しているとでもいうか。

 

 

こんなところが、あたかもアルジェリアの古典へ回帰したみたいな作品に見せかけながら、ラシッド・タハなりの現代的姿勢を、いつも変わらず同時代にアピールしようとする音楽アティテュードを、スティーヴ・ヒレッジとのタッグで実現してくれているところが、実に頼もしいと思う。頼もしかった、と過去形で言わないといけないのがさびしくてしかたがないけれど。

 

 

それでも、シャアビ伝統そのまんまに近いかなと思えるようなものだってある。三曲あるエル・ハラシ・ナンバーなどはそうかな。特にアルバム・オープナーの超名曲「Ya Rayah」は、古典マナーそのままというに近い。ドラム・セット(打ち込み?)が使われているのだけがロックっぽいかなと感じる程度で、それ以外はほぼエル・ハラシ・ヴァージョンをなぞっている。

 

 

こういうところは、ラシード・タハ+スティーヴ・ヒレッジなりの敬意の表しかたなんだろうね。声の出しかたと歌いかたが、やはり上で書いたようなロック・シンガー・スタイルなもんで、だからそのへんはシャアビやアラブ古典純粋主義者のみなさんはお気に召さないところかも。でもラシッドなりにエグザイルの(気持ちの)帰郷を表現できていると思うんだけどね。

 

 

『ディワン』のなかには、けっこう現代的というかクラブ・ミュージックっぽい感じに仕上がっているものだってある。エレキ・ギターやシンセサイザー、コンピューターだって大胆に使われている。2曲目「Ida」や、古典的にはじまる3「Habina」だってそうだし、さながらクラブ・ボサ・ノーヴァとでもいうような6「El H'mame」、催眠的幻惑ビートの7「Enti Rahti」、完璧なクラブノリの9「Bani Al Insane」(ちょっと ONB っぽい)、などなど。

 

 

しかしアルバムでの白眉は、4曲目「Bent Sahra」じゃないかと思う。このワン・トラックはすごいぞ。ベドウィンのアハメッド・ケリフィのこの曲を、伝統的にやるかとちょっと見せかけて、すぐにデジタルなクラブ・ビートが入り眩暈を起こしそうに回転し、そこに女声コーラスのマントラみたいなのが入るんだ。女声マントラはずっと聴こえ続け、その背後でスティーヴ・ヒレッジの創るアンビエンスが漂っているが、強いビートは効いたまま。ラシッドはやはり乱暴に投げつけるように声を吐く。

2018/10/26

『カインド・オヴ・ブルー』はイージーでくつろげる音楽

 

 

だというのが、マイルズ・デイヴィスのこのアルバムについてのぼくの見方、というか偽らざる実感。だから高いテンションの糸がピンと張りつめたような緊張感のある音楽だという世間一般のとらえかたとは真反対なんだよね。それに、この音楽家のキャリア全体を見渡すと、むしろそういった、いわばイージー・リスニング傾向の音楽アルバムのほうが多いし、本質でもあるんじゃないかと思っている。この私見もイージーだけど。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』は、都会の夜がよく似合うムーディーな音楽じゃないか。それにだいたいぜんぶが予定調和のなかにおさまっている。オリジナル・レコード裏ジャケに寄せたビル・エヴァンズの「まるで東洋の墨絵のように」やりなおしの利かない一回性の即興演奏というのはウソで、実はスタジオでなんどもリハーサル・テイクを重ねて完成形に近づけていたという事実は、いまや公式音源(『カインド・オヴ・ブルー』レガシー・エディション)でも証明されている。

 

 

緊張感の高い、くつろぐ暇がない音楽とは、次になにが起きるか、どっち向いて飛び出すか、予想がつかず、だから聴き手もまったく気を抜けずドキドキしながら一音もゆるがせにできないような、そんなようなもののことであって、マイルズの『カインド・オヴ・ブルー』はその対極に位置するような音楽作品だ。おかしいかなあ、ぼくのこの見方。『ちょっとブルーな感じ』っていうアルバム題だって、いかにもな雰囲気重視アピールじゃないかと思うんだけどね〜。

 

 

夜中、ベッドに向かう前の入眠準備で、部屋の照明を暗くして『カインド・オヴ・ブルー』をごく小さな音量で聴いていると、心安らぐもんねえ。静かでムーディな音楽だし。テンションの高い音楽だと集中して聴かないといけないし、精神的に高ぶって、おやすみ用 BGM には向かない。ところがマイルズのこのアルバムを聴いていると、リラックスできて安心感が増し、落ち着いて眠りへの準備をすることができる。ばあいによっては聴きながらそのまま寝入ることだってできる。

 

 

そんな音楽がマイルズの『カインド・オヴ・ブルー』。イージー・リスニングなムード(モード)・ミュージックなんだよね、ぼくにはね。長年あまりにも繰り返し聴き込んできてすっかりおなじみのものとなったのでそんな受け止めかたになってきているだけかもしれないが、わりとむかしからこうだなあ。音がね、やさしい。そっと心を撫でてくれるような、そんなソフト・タッチなサウンドじゃないかな。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』で緊張感を表現する役割を一手に引き受けているのはジョン・コルトレインじゃないかと思うんだけど、このアルバムでは、なんだかサウンドに鋭角な斬り込みが弱く、ボスの創るフワッとソフトなムードに合わせるかのようなやわらかい吹きかたに傾いているよね。ほぼ同時期のアトランティック・レーベルでの作品と比較すれば明白だ。

 

 

コルトレインにしてからがそうなんだから、ほかの五人はもちろんムード重視のくつろげる表現を、それもかなり意識して意図的にやっているとすら言えるかもしれない。ボスがもともとそんな志向の持ち主であったことは、チャーリー・パーカー・コンボ時代、からのそれを卒業して『クールの誕生』プロジェクトをやったころからはっきりしているが、ほかのメンバーだって『カインド・オヴ・ブルー』ではそれに合わせたスタイル。

 

 

ピアノは2曲目の「フレディ・フリーローダー」がウィントン・ケリーで、ほかはぜんぶビル・エヴァンズ。このエヴァンズも、どっちかというと繊細でやさしい、いわば女性的なタッチでピアノを弾くひとだよね。ウィントンはブルーズ・スウィンガーだけを任されているが、その曲だって決して速すぎない中庸テンポで、リラクシングなくつろぎブルーズ・フィールを出している。

 

 

アルバム『カインド・オヴ・ブルー』のなかで、それでもちょっぴりテンション高めの部類に入るのかな?と思わないでもないのが、3曲目「ブルー・イン・グリーン」、5曲目「フラメンコ・スケッチズ」ということになるかもしれない、聴くひとによってはね。でもぼくが聴くと、都会のナイト・クラブでのんびりしているような、そんなシチュエイションの BGM に聴こえる。この二曲はマジで美しいけれど、しかし聴いて、そんな緊張感高まりますかね?神経とがりますか??逆に心が静かになるんじゃないですか?

 

 

こんなようなことはアルバムの全曲について言えること。一枚全体で『ちょっとブルーな感じ』なムードを表現しただけのイージー・リスニングであって、結果的にモダン・ジャズ界屈指の名盤ということになったけれど、マイルズ本人は、時代を切り拓くなんてそんな気持ちはなかったとぼくなりに理解している。モーダルな作曲演奏法が流行りだし時流に乗ってちょこちょこっとやってみたというお気楽ミュージックが『カインド・オヴ・ブルー』。

 

 

ふりかえってみれば、時代の節目節目でマイルズが発表してきた(のちに時代を形作ったと言われるようになる)名作は、だいたいが静かなイージー・リスニングだよ。1949年『クールの誕生』、57年『マイルズ・アヘッド』、59年『カインド・オヴ・ブルー』、69年『イン・ア・サイレント・ウェイ』とね。同69年の『ビッチズ・ブルー』がかなり荒々しいトゲトゲした音楽だったのはやや例外的。1970年代の野生的ファンク時代の予告だったのだろう。

 

 

今日書いたこんなふうなことは、まあジャズなんてぜんぶ、いや、音楽ってなんでも、しょせんはムードと雰囲気、フィーリングを楽しむものなんだから、べつにマイルズに限定された話じゃない、普遍的な真実だということになるのかもしれないね。そうとはお考えじゃないリスナーのみなさんも(一部に?)いらっしゃると、またマイルズにかんしては、みなさんもぼくも、ことさらシリアスに語りすぎる傾向だってあると、そう実感しているから、今日この文章をしたためた次第です。

2018/10/25

アクースティック・ツェッペリンでの愛好曲

 

 

レッド・ツェッペリンのアクースティック・ソングということで、いまのぼくがいちばん好きなのは『III』の B 面とか四作目の「限りなき戦い」などもいいけれどそれよりも、『フィジカル・グラフィティ』おしりのほう(二枚目 B 面だった)の二曲、「ブギ・ウィズ・スチュ」「ブラック・カントリー・ウーマン」なんだよね。

 

 

しかしこれはオリジナル・レコード収録曲と限定すれば、という話であって、現行のデラックス・エディション(はどのアルバムも二枚組以上)収録曲にまでひろげれば、『コーダ』三枚目にあるボンベイ・オーケストラがやった「フォー・ハンズ」「フレンズ」も、かなりの愛好曲というか演奏解釈ということになる。うん、あのふたつ、かなり好き。

 

 

ツェッペリンがアクースティック路線の曲をやるときには、ジミー・ペイジがもとから持つあんな志向・嗜好もあって、ブリティッシュ・トラッド/フォークなロック・ソングになっているばあいが多かった。それは一作目から四作目までずっと基本的にはそう。『III』の B 面でフル展開したあと、四枚目の「限りなき戦い」「天国への階段」「カリフォルニア」の三大傑作に結実したのだと言えるはず。ときにケルト神話と結合することもあった。

 

 

ツェッペリンのなかにある、そんな英&愛トラッド/フォーク要素がアクースティック・ロックに結合したものについては、また別な機会に考えてみたいので今日はおいておく(ってか、そもそも書けるのか、ぼくに?)。現在のぼくの好みでだけ、上で触れた四曲+αについてだけ、ちょちょっとメモしておきたい。いやあ、ほ〜んとあのへんが大好きなんですよ〜。

 

 

『フィジカル・グラフィティ』(旧二枚目 B 面)の「ブギ・ウィズ・スチュ」と「ブラック・カントリー・ウーマン」。これは録音現場での会話をはさみ、まるでメドレーのようなつながりになっている。その流れも実にいいよね。「ブギ・ウィズ・スチュ」のほうでホンキー・トンクなピアノを弾くのが、曲題どおり(ローリング・ストーンズの)イアン・スチュワート。こういったバレルハウスふうブギ・ウギ・ピアノのうまい人だ。

 

 

弦楽器はギターとマンドリンが同時に聴こえるので、ジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズがそれぞれどちらかを弾いているんだろう。どっちがどっちみたいな判別ができる耳は持ち合わせていないが(ジョンジーがマンドリン?)、四枚目のアルバムにあった「限りなき戦い」とちょっと似た弦楽器編成だ。ギター&マンドリンのからみあいもそれと同じく楽しい。曲想は180度違っていて、「ブギ・ウィズ・スチュ」のほうは、たんなる即興ブルーズ・ジャムだ。

 

 

ジョン・ボナムの叩くドラムスの音はひしゃげたロー・ファイな音に加工してあるが、ここではそれがいい雰囲気で、打鍵ハンマーに鋲でも打ったようなピアノのサウンドとあわせ、バレルハウス〜ホンキー・トンクな曲想をよく表現している。そう、こういったのは1920〜30年代のブルーズ・ピアノ・ミュージックなんだよなあ。そういうのが大好きなもんだから。ここまでよく再現してくれてうれしい。スチュのアイデアだったのかなあ?

 

 

ギター&マンドリンのからみあいといえば、飛行機がどうしたとかいう会話をはさんで流れてくる「ブラック・カントリー・ウーマン」もそうだ。これにかんしてはジョンジーがマンドリンというクレジットがある。彼はベースもオーヴァー・ダブしている。イントロ部からのペイジのギター弾き出しで変拍子を使ってあるとわかるんだけど、ボンゾは最初それに合わせるのにちょっぴり戸惑って、ベース・ドラムスのペダルを踏む拍を演奏途中で変更している。でもスネアなどのおかずも入れはじめてからはいい感じにスウィングしているよなあ。気持ちいい。

 

 

さらにロバート・プラントがハーモニカを吹くのがこの「ブラック・カントリー・ウーマン」ではいいフィーリングをかもしだしている。途中からぶわ〜っと入ってきて、まるで1950年代のシカゴ・ブルーズでも聴いているかのような心地よさ。曲調にふくらみももたらしているのがナイス。ハーモニカで、少しづつ変えながら同一フレーズを重ねてぐいぐい進むあたりなんか、快感だ。ヴォーカルと重なっているので、オーヴァー・ダブだね。

 

 

『コーダ』にある「プア・トム」のこともちょっぴり書いておこうかな。おそらくは『III』用の録音セッションでやった曲かもしれないが、ツェッペリンがアクースティック・サウンドをやったすべてのなかで、この曲だけがビートの効いたアップ・テンポ・グルーヴァー。このバンドにしては珍しい。やはりハーモニカが入る。これがお蔵入りしていたのは理解できる。どのアルバムのどこにも入る曲じゃない。

 

 

『コーダ』デラックス・エディション(2015)三枚目の「フォー・ハンズ」(フォー・スティックス)と「フレンズ」。これは1972年10月にインドのボンベイ(現ムンバイ)で現地人演奏家たちを起用してのセッションで録音されたなかのふたつ。約二年半前に詳述した。

 

 

 

いやあ、楽しいなあ、ツェッペリンにあるこういったインド傾向の曲を、現地インドの演奏家にやらせてフル展開するのって、最高じゃないですか。「フォー・ハンズ」のほうにはペイジもプラントも参加していないけれど、でもオーケストラ・アレンジはペイジが手がけた可能性がある。「フレンズ」にはギターとヴォーカルが聴こえるので、それが両名だろう。

2018/10/24

そしてだれもいなくなっても

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Whatever you do, do with all your might.

 

 

今日の文章は、文明堂チョコラーテさん(という見ず知らずのかた)のこの2018年10月19日のツイートがきっかけで書いた内容です。

 

 

 

歌手、音楽家によっては、レコード、CD、配信をだれも買ってくれなくなったり、ライヴ現場にだれも来てくれないばあいには、やる気が消え失せるというばあいもあるみたいだよね。ブログなど(そのほかなんでも)を書いて公開するのも、ほぼだれも読みにきてくれないという状態になれば、やる気がなくなって更新しないようになり、最終的には閉鎖してしまいたいとか、それも似たような心理なのかな、わかりませんが。

 

 

上でリンク貼った文明堂チョコラーテさんの文章にある忌野清志郎は立派だ。そこでは沢田研二の一件に触れてあるが、っていうかあのコンサート中止騒動のニュースに際し思い出されて書かれた内容だけど、どっちかというとジュリーのほうのファンであるぼくは、こういう対比は好きじゃない。エスタブリッシュメント vs レベルの構図みたいでさ。それに、清志郎のような考えはジュリーだってしっかり持っているんだよね。中止の真因は…、やめとこう。

 

 

とにかく、客が些少でも全力を尽くす、わざわざ時間とお金を使って来てくれた客がひとりでもいれば、そのたったひとりの客が心ゆくまで楽しんで満足して帰ってもらえるようにフル稼働する、それが人間たるもの、ちゃんとした態度だと、ぼくも心からそう思っている。信じている。実際、この考えを果たせる歌手、音楽家、芸能人が好きだし、ぼく自身もそうありたいと思って実行しているつもり。

 

 

音楽は、ただの趣味だけど、でもひとによってはばあいによっては、人生に、生き死ににかかわるものだよね。ぼくのばあいはそうなんだけどさ。だからブログに書くネタがなくなるということは、たぶん、考えられない。死ぬまでネタ切れにはならないと思う。もし書かなくなるとすればもっと別の、たとえばただでさえずっと前からあやしい医学的聴力がゼロになるとか、視力を失って文字入力法が音声認識以外なくなるとか、あるいはなんらかの肉体的 or 精神的な損傷でダメになってしまうとか、そんなことしか考えられない。

 

 

そういうふうにならなかったら、生物学的に不可能になるまでぼくは書きつづける。なぜならばぼくにとって音楽を聴き文を書く、これすなわち、生きるということとイコールだからだ。生きることをやめるわけには、まだいかないよ。だからブログも一種の生存証明のような面だってある。ちゃんと元気でやっていますよっていう。でも、これは、どなたかへ向けての証明書ではない。公開することじたいが100%自己満足なのだ。

 

 

したがって、どなたも読みにきてくれなくなったって、更新しなくなったり閉鎖したりはしない。読者の多寡、有無は関係ない。音楽を聴きたい、書きたい、書いて公開したい、ただこの一心でやっているだけ。実際、2015年9月3日にはじめたころには読者がどれだけいたのかわからないし、いまでも把握していない。なぜならアクセス解析を見ない習慣だからだ。

 

 

自分のためにやっているだけ、というとちょっとウソだけど、どなたが読みにきてくださっているかとか、アクセスの多い少ないだとか、どんなアクセス痕があるかだとか、いっさい関係ないから、アクセス解析を見る意味がないんだ。忌野清志郎じゃないが、客の多寡はどうでもいい。どなたが読みにきてくださっている/いないにも関係なく、ぼくは全力を尽くし、ていねいに細部にこだわって、推敲を重ね、アップしている。

 

 

自分が好きでこだわってやっている趣味のことだ、他人は関係ないだろう。それをやることでみずからが楽しめればそれでいいだろう。それに、たぶんだけど、ぼくが書く文章は、内容によってはどなたの関心もひかない可能性があるように思えている。たとえば2017年大晦日にアップした、100年前のジャズ録音開始期にかんするものなどは、そうだったんじゃないかなあ。世には珍奇なもの好きがいるから、わからないけれども。

 

 

歌手や音楽家や芸能人が、たとえライヴ現場の客がゼロでも全力を尽くすように、猛獣がうさぎを捕らえるのにも全力を尽くすように、簡単なことでも手を抜かず、だれも見ていないからとあきらめたりやる気をなくしたりせず、このひとに読んでほしいからなどという考えなんかも捨てて、自分のこと以外いっさい無関係で、ただひたすら邁進したい。

 

 

ていねいにていねいに、常に力を抜かずイージーに考えず、たとえ客がたった10名の小さな地方都市の小屋でのライヴでも超満員の東京ドーム公演に臨むかのような心持ちで全力でやっていく忌野清志郎のように、ぼくもたとえどうなってもガッカリせずあきらめず、いつも元気にフル稼働で、音楽を聴き、文章を書いて、公開していきたい。それで、清志郎のようにみずからが楽しみたいし、楽しんでいる。清志郎のように他人に楽しんでいただけるかは、副産物だ。

 

 

そしてだれもいなくなっても、やめたりはしない。

2018/10/23

音楽への渇望 〜 音が、好き(2)

 

 

今日の文章は、ラテン語たん(@Latina_tan)の9月29日のこのツイートにヒントを得て、自分なりに置き換えて考えてみた内容です。実は(1)も似たような経緯がありました。

 

 

 

朝起きて、空腹でもない口渇感でもない、他のなにものでもない欲求が高まったとき、それは「音楽に属するものへの欲求」だと、一拍遅れて気づく。自室にいるときは、寝ている時間を除き、常にずっと絶え間なく音楽を再生しているわけだから、六時間(程度が最近の睡眠時間)もそれなしの時間が経過すれば、そりゃもうほしくてしかたがないわけだよ。

 

 

といっても、寝ているあいだも夢で音楽を、いや、夢じゃなくてたんに寝ている脳のなかで再生されているだけか、わからないが、寝ながら脳内で音楽を聴いていることがかなり多い。これはここ最近はじまった話じゃなく、音楽キチになってしばらくが経った大学生のころからそうだ。

 

 

あのカセットテープ型のウォークマンは、ちょうどぼくが大学生のころに発売された。これさえあれば、いつでもどこででも音楽が聴けるんだ、部屋のオーディオ装置の前にすわらなくたって!と思ったら迷わず買った。それで、通学は自転車だからヘッドフォンを装着できないが、外出先で文字どおりずっと(ヘッドフォンで)音楽を聴くようになった。

 

 

ウォークマンも最近は MP3プレイヤーになっているんだよね?iPod が発売されて以後はそれを使うようになっていたので、ソニーさんにはずいぶんと不義理をはたらいてしまっている。もはや iPod も使わず、iPhone でなんでも済ませることができている。ネットで音楽をストリーミング再生することが一般的になったので、ストレージ内にローカル・ファイルを入れる必要はあまりない。

 

 

携帯型音楽プレイヤー(として使えるもの)や音楽ストリーミング・サーヴィスについては、どうもまだ否定的な意見をお持ちのみなさんもいらっしゃる模様。だけど、音楽がなくちゃ、どこにいてもそれを聴かずに時間が過ぎるのは耐えられないという人間にとっては、もってこいのものなんだね。自室内では、もちろんオーディオ装置でずっと聴いている。

 

 

ひとりでいるときに無音状態が一定時間以上続くのは、ぼくのばあい、精神的にしんどいことなんだけど、書いたような具合で、可能な限り音楽に触れあいながら過ごすことができるので、それさえあればだいじょうぶだ。自分の特にお気に入り、好物品であれば申し分ないけれど、必ずしもそうでなくともいい。ちゃんとした音楽、あるいは音の並びであれば、それが耳に入ってくれば、それでオーケー。

 

 

寝ている状態から目が覚めて、音楽への渇望を感じると書いたのは、だから本当のところ、ちょっとウソなのだ。寝ているあいだもずっと音楽が脳内再生されていることが多いし、特になにも聴こえている自覚なしに寝て(って言いかたはヘンでしょうか?)目が覚めた朝には、ベッドに横たわった状態のまま、あっ、これをいま聴きたいぞ、というのがパッと瞬時に出るばあいが多い。というか、脳内で再生ボタンが押される。

 

 

特定のなにかではなく、よく知っているがなんの曲か思い出せないもののメロディ(やリフやリズム)が脳内で鳴りはじめることもある。その際には、フィジカルの再生ボタンを押す前に、これ、なんだっけ〜?としばらく脳内検索している。たどり着ければかなりスッキリ。でも判明しないときもあって、そんなときはなんでもいいから鳴らしはじめて聴いている最中にアッ、これだ!となるケースもある。

 

 

とにかく、僕にとっての音楽欲求は、食欲、睡眠欲などと並ぶ生理的本能で、しかもたちが悪いことに食欲、睡眠欲みたいに一定量を享受すればしばらくのあいだなしで過ごせるというものじゃない。常にいつも浴び続けていないと、音楽欲求、渇望感がわいてくるものなのだ。

 

 

いつでもどこででも常に触れあっていたい、耳に流れ入れておきたい、そうじゃなくちゃ「おなか」が空いて空いてどうしようもなくなる 〜〜 それがぼくにとっての音楽。酸素や水分なしで過ごせる人間はいないでしょう、それと同じことが、ぼくのばあい、音楽についても言えるのだ。

2018/10/22

これが NY トップ・セッション・マンの実力だ 〜 ラルフ・マクドナルドの太鼓の音

Unknown

打楽器奏者ラルフ・マクドナルド。このひとの名前は、1970年代の(いわゆる)クロスオーヴァー、フュージョン・ミュージックを身近なものとして青春を過ごした人間には、絶対に忘れることなどできないものだ。そんなラルフの初ソロ作、1976年の『サウンド・オヴ・ア・ドラム』(マーリン)。ニュー・ヨークのファースト・コール・パーカッショニストとはいったいどれほどの実力の持ち主なのかを思い知る傑作と言える。

 

 

まずは、ラルフ・マクドナルド『サウンド・オヴ・ア・ドラム』、全六曲の音源リンクを貼っておこう。

 

 

1「サウンド・オヴ・ア・ドラム」

 

 

 

2「ウェア・イズ・ザ・ラヴ?」

 

(ロバータ&ダニー https://www.youtube.com/watch?v=MBT1neIA0tc

 

 

 

3「ジ・オンリー・タイム・ユー・セイ・ユー・ラヴ・ミー」

 

 

 

4「ジャム・オン・ザ・グルーヴ」

 

 

 

5「ミスター・マジック」

 

 

 

6「カリプソ・ブレイクダウン」

 

 

 

1曲目のアルバム・タイトル曲は、グローヴァー・ワシントン Jr.のサックスが爽やかに香る雰囲気で、いかにもな1970年代中期ジャズ・フュージョンの趣。ラルフ・マクドナルドが参加することもあった同時期の渡辺貞夫さんの音楽に通じるものがある。貞夫さんのばあいは西海岸系のセッション・メンを起用することが多かったけれど、ニュー・ヨークでも同じような流れだったんだろうね。

 

 

ニュー・ヨークのセッション・メンを起用…、という点で、このラルフ・マクドナルドの『サウンド・オヴ・ア・ドラム』を支えている中核は、チャック・レイニー(ベース)、エリック・ゲイル(ギター)、リック・マロッタ(ドラムス)の三人。曲によってリチャード・ティー(鍵盤)やアーサー・ジェンキンス Jr(クラヴィネットなど)なども参加。まさに当時のフュージョン・シーンを反映、レコーディング時にはすでにトップ・セッション・マンの評価を確立していたラルフの周辺といった人脈だね。

 

 

さらにラルフの周辺人脈というよりか、ハリー・ベラフォンテのバンド以来ラルフにぴったり寄り添ってきていた二名、ウィリアム・ソルター&ウィリアム・イートンも当然のように参加し、やっぱりこのトップ・パーカッショニスト初のソロ作品なんだから…という気持ちの盛り上がりを感じる立派なプロダクションだよね。

 

 

1曲目はいかにもなフュージョン・サウンドで、聴くひとによっては時代を感じて「古っ!」って思っちゃうようなものだけど、2曲目以後は現代的な意味や訴求力、さらにリズムやサウンドのひろがり&普遍性をも感じるトラックが並び、2018年に聴いてじゅうぶんイケる音楽だと思うなあ。すくなくともぼくはかなり好き。しかもフュージョンというより、やっぱりインストルメンタル・ソウル/ファンクだしね。

 

 

2曲目の「ウェア・イズ・ザ・ラヴ」は、上記のとおりロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイに提供したものだったけれど、自身で解釈しなおしたラルフ・マクドナルドは、同じ曲だと判別しにくいかも?とすら思える部分もある多様性で長めにひろげて展開、特にパーカッション・サウンドで汎カリビアンなグルーヴをも表現している。ハーモニカはトゥーツ・シールマンス。ポップでいいね。

 

 

それでも個人的にラルフ・マクドナルドの『サウンド・オヴ・ア・ドラム』でオオ〜ッ!ってなるのは3〜6曲目のハード・グルーヴァーだ。ときにスウィートでメロウな雰囲気すら漂っていたりもするけれど(特にストリングスのサウンドが、それはアーサー・ジェンキンスの編曲指揮)、ボトムスはタイトでグルーヴィだ。しかもハードに刻み込んででいるのがいい。

 

 

1990年代以後的な意味を最も強く発散しているのは、たぶん4曲目の「ジャム・オン・ザ・グルーヴ」だろう。たしかにクラブ DJ が使いやすい感じがするよね。ぼくも大好き。特に後半部、繰り返しブレイクが入って、その間ラルフのパーカッション・ソロをフィーチャーしているようなパートは、サウンドやリズム・メイクも、打楽器パフォーマンスの腕も、な〜んてうまいんだ!と感心しちゃうよね。曲全体のグルーヴもすばらしい。

 

 

3曲目「ジ・オンリー・タイム・ユー・セイ・ユー・ラヴ・ミー」の、この細かく刻みながら大きくゆったりと乗って波のうねりのような心地いいグルーヴを生み出しているのなんかは、さらにもっと快感なんだよなあ。ぐわ〜っとからだを揺すって、そのワン・グルーヴの最後にシャッ!と手か指を動かしてキメる、そんなふうに部屋のなかで聴きながらダンスできて楽しい。ちょうどいいノリだ。いやあ、心地いい!クラヴィネットも粘っこくてサイコー!しかも背後でラルフはかなり高度な芸を、それと気づかれないほどのていねいさで繰り出している。これぞ、職人芸、まさにトップ・セッション・マンというものだ。

 

 

5曲目「ミスター・マジック」のサルサなノリや(ヴァイブ=デイヴッド・フリードマンが効いていていいね)、6曲目「カリプソ・ブレイクダウン」の、テーマはいちおうカリプソだろうけれど(ラルフは両親ともトリニダード・トバゴ出身)音楽としてカリプソがあるかどうかはよくわからない曲の、スケールの大きなリズム展開にも大いに納得し、感心する。エリック・ゲイルのギターがカリビアン香。

2018/10/21

ジャイヴもファンクもラテン系?〜 スリム・ゲイラード

 

 

 

 

スリム・ゲイラードのこの二枚組 CD がリリースされたことは、bunboni さんの以下のブログ記事で知りました。読んだ次の瞬間、速攻購入。翌日に届き、なんども繰り返し聴き、本当にすごく楽しんでいます。感謝いたします。

 

 

 

スリム・ゲイラードみたいな音楽芸人の本質にはそぐわないかもしれないが、ノーマン・グランツのもとでレコーディングしたものが集大成されて復刻されたのを聴きながら、ちょっとシリアスなことが頭に浮かんだので、自分なりに考えたことを書いてみようっと。それがぼくらしいでしょ。音楽の感想なんて、なにが「正しい」とかってないんだからさ。

 

 

それは、ジャズのなかにあるジャイヴやファンキーや、(ジャズの)一形態としてのジャンプ・ミュージックや、その孫のような存在にあたるファンク・ミュージックやなんか、ぜんぶひっくるめてラテン系、中南米由来なんじゃないかってことだ。これが言いすぎなら、北米合衆国のそんな音楽のすべてには、ラテン要素が必ずある。最低これならオッケーなはず。

 

 

もう結論をまとめてしまったが、スリム・ゲイラードの『グルーヴ・ジュース:ザ・ノーマン・グランツ・レコーディングズ+モア』には、ラテン・ミュージック(っぽいもの)が実にたくさんあるよ。しかもそれがジャイヴな味と合体したり、愉快でファンキーなラインを描いたりするもんね。しかもリズムがタイトに跳ねてファンクっぽいノリになっていたりもする。いやあ、それにしても、この(CD なら)二枚組、あまりにも楽しすぎる。

 

 

『グルーヴ・ジュース:ザ・ノーマン・グランツ・レコーディングズ+モア』収録の全53トラック。1946〜53年のレコードで、整理すると以下のようになる。

 

 

1曲目:JATP

 

 

2〜17曲目:MGM シングル

 

 

8〜44曲目:マーキュリー、クレフ、ノーグラン・リリース

 

 

45〜53曲目:別テイク

 

 

1946〜53年というと、北米合衆国における黒人大衆音楽のなかにある中南米、というかカリブ音楽要素が、その前後より一層クッキリと表面化していた時期だ。端的に言えば、キューバ発祥のマンボ・クレイズの真っ只中だったよね。だから、この時期のスリム・ゲイラードのなかにラテン・ミュージック要素が濃くてあたりまえかもしれない。

 

 

『グルーヴ・ジュース:ザ・ノーマン・グランツ・レコーディングズ+モア』から、そんなフィーリングの曲でパッと気がついたものを抜き出しておいた。

 

 

3 Arabian Boogie

 

7 Money, Money, Money

 

8 Puerto-Vootie

 

14 Organ-Oreenee

 

16 When Banana Skins Are Falling (I'll Come Sliding Back To You)

 

17 Bongo Cito

 

18 Soony Roony (Song Of Yxabat)

 

21 Babalu (Orooney)

 

26 Yo Yo Yo

 

29 The Hip Cowboy

 

34 St. Louis Blues

 

38 Make It Do

 

39 This Is My Love

 

42 Mishugana Mambo

 

 

この一覧は、ちょっと聴けばだれでもわかる鮮明なものだけということであって、部分的に、または薄味で、ラテンが溶け込んでいるものを『グルーヴ・ジュース:ザ・ノーマン・グランツ・レコーディングズ+モア』から拾っていくともっとある。上掲曲なら、ラテン「的」アメリカン・ソングというより、ラテン・ミュージックそのものとすら言えるかも。

 

 

なかにはさほど濃厚ではないものだってある。たとえば「セント・ルイス・ブルーズ」。ここでのスリム・ゲイラードの解釈は、バリトン(?)・サックスとリズム・セクションが合奏しながら反復するリフ・パターンにラテン的ニュアンスを出すといったもの。でも間違いなくジャンプ・ブルーズにはなっている。W. C. ハンディのこのクラシックがね。

 

 

もっとおもしろい、というかある意味この録音集で最も楽しいと思わせてくれるのが「ザ・ヒップ・カウボーイ」。曲題で察せられるとおりカントリー&ウェスタン調で、スリム・ゲイラードはヴォーカルでヨーデルまで披露するけれど、中間部のトロンボーン・ソロを経て主役が「カウボーイ・マンボ!」と言った次の瞬間から出るトランペット・ソロのパートがキューバン・ミュージックなんだよね。トランペッターもソンふうな吹きかたをしている。その後、ジャンプ・ミュージックになって、最後はノヴェルティに帰着する。

 

 

カリプソなジャンプ/リズム&ブルーズっていう、いかにもルイ・ジョーダン的と言えるものからはじまって、マンボなどキューバ音楽テイストを吸収し、プエルト・リコなども俯瞰しながら、アメリカ黒人大衆音楽のなかでも<はみ出し者>であるスリム・ゲイラードの音楽にあるジャイヴに跳ねるリズムを付与し、軽妙なポリティカル・インコレクトネスをポンと愉快に表出しポイズンまでも混ぜていくのが、このアルバムの楽しさだなあ。

 

 

その上で、なお、リズムをシャープかつタイトなものにしたりして、その跳ねる反復パターンが、のちの1960年代半ば以後のファンク・ミュージックまでも予言しているし、そんなリズムのルーツをたどると、結局それはマンボなどキューバン/ラテンなノリに行き着くんだということまで、この録音集『グルーヴ・ジュース:ザ・ノーマン・グランツ・レコーディングズ+モア』でのスリム・ゲイラードは示してくれている。

 

 

いやあ、こんなにも楽しく愉快で、なおかつ示唆深い録音集があっただろうか。ただたんに聴いて笑って楽しい時間を過ごしていればいいナンセンス・ミュージックではあるんだけど、スリム・ゲイラードのジャズ芸能のなかに、こんなにも奥深いものが潜んでいるなんて、ぼくはちょっとビックリです。降参しました。

2018/10/20

アラブ古典歌謡への道標 〜 在りし日のエジプトの花々

 

 

国内盤タイトルがこれまた『在りし日のエジプト』である仏 Buda 盤 "Nostalgique Egypte"。フランス語での原副題に "1925-1960" とあるので、その時期のレコード音源なんだろう(と思ったら、ジャケ裏に一曲づつ年号記載があった)。フランス盤で持っているけれど、オフィス・サンビーニャのサイトに日本盤での演者名・曲目一覧があったので、以下そのままコピペ。年数は自分でジャケ裏を見ながら。

 

 

1. ウム・クルスーム/美しきバラ(1947)

 

2. ロール・ダカーシュ/バラたち(1947)

 

3. マフムード・ショココ/きみへのバラ(1954)

 

4. モハメッド・ファウジ/ヘンナの花々(1955)

 

5. サミ・シャワ/バシュラフ・フセイニ(1953)

 

6. アブデル・ハリム・ハーフェズ/愛している(1960)

 

7. シャデア/だめよ、アフメッドさん(1959)

 

8. モハメッド・アブドゥル・ムタリブ/いまもあなたを愛している(1957)

 

9. ファリッド・エル・アトラッシュ/あなたと(1942)

 

10. モハメッド・アブドゥル・ワハーブ/ウードのタクシーム(1959)

 

11. モハメッド・アブドゥル・ワハーブ&レイラ・ムラッド/どれだけあなたを待つのだろうか(1938)

 

12. モハメッド・アブドゥル・ワハーブ&ナガット・アリー/美しき我が恋人(1935)

 

13. アスマハーン/あなたと過ごした夜(1937)

 

14. セキナハ・ハッサン/私が死んだとき(1928)

 

15. サレハ・アブデル・ハイ/なんて可愛い(1928)

 

16. モヘッディン・エフェンディ・バユン/ラシュシュ・イブラヒミ(1924)

 

17. エル・ハジ・タティフ・エフェンディ/タクシーム・バヤティ(1925)

 

 

これらのなかには、歌なしの楽器演奏オンリーというトラックだってわりとある。ぜんぶ単独楽器のソロ演奏。5曲目、サミ・シャワ「バシュラフ・フセイニ」(ヴァイオリン)、10曲目、モハメッド・アブドゥル・ワハーブ「ウードのタクシーム」(ウード)、16曲目、モヘッディン・エフェンディ・バユン「ラシュシュ・イブラヒミ」(タンブール)、17曲目、エル・ハジ・タティフ・エフェンディ「タクシーム・バヤティ」(ウード)。

 

 

これらのうち、ヴァイオリンは西洋から入ってきた楽器と言えるだろう、あくまで直接的には。楽器の起源みたいなことをたどるとまた違った見方ができるのかもしれないけれども、クラシック音楽のストリングスやオーケストレイション法といっしょに流入したと考えるのが一般的だと思う。サミ・アル・シャワはアラブ大衆音楽における古典期のヴァイオリン名人だ。そのほかのウードやタンブール奏者もそう。

 

 

しかしやはり『在りし日のエジプト』でぼくが聴くのはヴォーカリストたち。このアルバムに収録されている曲の年代だと、その当時のエジプトは、カイロで映画産業が華やかだったころで、それを舞台にしていろんな歌手、音楽家たちも活躍し、20世紀前半のアラブ歌謡の隆盛を築いた。アルバム収録曲も、単独のレコード録音と映画に挿入されたものとが混じっているんじゃないかと思う。

 

 

たとえば1曲目のウム・クルスーム「美しきバラ」は、ジャケ裏にはっきりとどれどれの映画からと書いてあるし、音を聴いても導入部でドラマのワン・シーンのような雑踏音のようなものが聴こえる。そこからクレッシェンドでオーケストラのサウンドが入ってきて、ウムが歌いはじめる。

 

 

そのウムの声の色気、艶やかさに聴き惚れちゃうんだなあ。コブシまわしも華麗かつ細やかで、さらに同時に大胆でもある。さすがこの声こそアラブ歌謡の女王と呼ばれるだけある風格だと、声そのものだけで納得させられるだけのものがあると、ぼくですら聴いたらわかってしまう。それほどのすばらしいパワーのある歌だ。うむ、納得。

 

 

ウムと同格のような、とまでいかなくても人気の大物スター歌手は、『在りし日のエジプト』でなら、たとえば6曲目「愛している」のアブデル・ハリム・ハーフェズ、9「あなたと」のファリッド・エル・アトラッシュ、11「どれだけあなたを待つのだろうか」12「美しき我が恋人」のモハメッド・アブドゥル・ワハーブ、13「あなたと過ごした夜」のアスマハーン、あたりだろうか。どの歌手も声に高い気品が漂っている。庶民性よりも、近寄りがたいとすら思わせる気高さを感じるんだけど、そこがかえってぼくなんかは好きになってしまうところ。

 

 

そう、いつでもすぐ会いにいけるという存在じゃないほうが、ぼくにはいいばあいもある。おそろしく、こわく、近寄りがたいヴェールをまとっている歌手や音楽家のそんなオーラのようなものを、こんな古く遠い時代の、しかも場所も音楽の種類も遠いものから感じとり、聴きながらぼくは妄想に耽り、上々気分なんだよね。簡単には会いにいけないほうがいいことがある、ぼくのばあいはね。会えるほうがいいばあいだってあるけれど。

 

 

『在りし日のエジプト』収録歌手・演奏家は全員故人なので、会える可能性などない。でもそれもまたいいんだよね。レコードでも CD でもネット音源でも録音された音楽を聴いて、それにぼくには確としたリアリティを感じる。音のなかにね。音そのものだけが好き。スピーカーから聴こえてくる声や楽器音に宿るリアリティってものもあるのかも。っていうか、ぼくにはそれだけがリアリティかも。音楽の、というより、人生の。

 

 

そんなぼくの感じる声の(決してヴァーチャルではない)リアリティは、上記ビッグ・ネームだけではない全員の歌手の声に強く漂っている。間違いなく感じるセクシーさがあるんだよね。個人的に特にお気に入りなのが、4曲目、モハメッド・ファウジ「ヘンナの花々」(これは演奏の回転するリズムが大好物だ)、6曲目、アブデル・ハリム・ハーフェズの「愛している」(ピアノ・イントロも花のかぐわしい香りのようで、歌手の声も余裕と気品たっぷり)。

 

 

さらに、アイドルっぽいチャーミングさをふりまく(キスの音まで入っている) 7曲目、シャデア「だめよ、アフメッドさん」は可愛いし、8曲目、モハメッド・アブドゥル・ムタリブ「いまもあなたを愛している」も好物だ。ちょっとこの後者の男性歌手は、なめらかさよりざらつきを感じさせる塩辛味のある声だけど、パワフルだ。

 

 

11、12曲目のモハメッド・アブドゥル・ワハーブはさすがの存在感だけど、正直に言うとぼくはイマイチ好みな声と歌いかたではない。ちょっともっさりしているように感じてしまうんだけど、ぼくの耳がおかしいんだろうかなあ。ソングライターとしてのアブドゥル・ワハーブなら号泣するほど大好きだけどね。

 

 

それより、13曲目、アスマハーン「あなたと過ごした夜」が最高にすんばらしい。も〜う、本当に大好きでたまらない。苦しそうに身悶えているかのような、もう明日死ぬかのような、このアスマハーンの声の切迫したトーンに、いつも心動かされてしまう。どうしてこんなに哀しい声なんだ、アスマハーン、好きだぁ〜!

2018/10/19

マイルズ「ソー・ワット」の来し方行く末、アーメン

 

 

今日のこの文章は、Twitter での音楽友人 Good Times Roll さん(@goodtimes_cow)のこのツイートにインスパイアされて、書いた内容です。

 

 

 

1) Ray Charles / Hallelujah I Love Her So (1956 single)

 

2) Art Blakey & the Jazz Messengers / Moanin' (1958 album "Art Blakey & the Jazz Messengers" aka "Moanin'")

 

3) Miles Davis / So What (1959 album "Kind Of Blue")

 

4) James Brown / Cold Sweat (1967 single)

 

5) Miles Davis / Frelon Brun (1968 album "Filles De Kilimanjaro")

 

 

これら五曲の関係というか流れを考えてみたい。ほぼ説明不要かとも思うんだけど、ご存知のみなさんは、どうぞ笑って無視してください。簡単に言って、アメリカ大衆音楽における、黒人ゴスペル、由来のリズム&ブルーズや(ファンキー・)ジャズ、からいわゆるファンク・ミュージックが産まれ、その後それがジャズ界にフィード・バックされて、その後のことは今日のプレイリストに入れていないが、ジャズも含め、一般にひろく拡散浸透することとなった。

 

 

そんな連綿とする流れ、系譜を、今日のプレイリストで示したつもり。(2)アート・ブレイキーの「モーニン」(ボビー・ティモンズ作)から(3)マイルズ・デイヴィス「ソー・ワット」へのパクリは、ぼく自身も以前一度詳述したし、ジェイムズ・ブラウンの「コールド・スウェット」からマイルズの「フルロン・ブラン」への動きがあることも、説明済みだ。

 

 

 

 

 

「モーニン」→「ソー・ワット」のことは言っているひとが複数いるので、共通認識になりつつあるのかもしれない。マイルズ1968年のアルバム『キリマンジャロの娘』オープナーの「フルロン・ブラン」がかなり重要だというのは、日本語ではたぶん言っているひとがいないかもなので(英語でもボブ・ベルデンさんだけ?)、いま一度繰り返しておかなくちゃね。妄想じゃないはずだ。

 

 

「フルロン・ブラン」(茶褐色のスズメバチ)とは、これまた当時のマイルズの恋人ですぐのちに妻となるベティ・メイブリーへの言及。マイルズはこれを録音した1968年9月24日にもう一曲「マドモワゼル・メイブリー」も吹き込んでいる。「フルロン・ブラン」は、基本、F のブーガルー・ブルーズで、特にトニー・ウィリアムズのドラミングに JB「コールド・スウェット」で叩くクライド・スタブルフィールドの強い影響が聴ける。

 

 

がしかしそれだけではない。曲全体の創り、構造、そして演奏時のバンド全員のノリが、 あの JB ファンク・アンセムにインスパイアされたものとなっているよね。JB がファンクを編み出したとは言えないかもしれないが、1967年のシングル盤両面「コールド・スウェット」が、ひとつの時代のブレイクスルーだったのは間違いないんじゃないだろうか。

 

 

マイルズやジャズ界にとって重要なこと、それは、彼らがここまではっきりといわゆるファンク・ミュージックからもらったものを隠さなかったのは1968年の「フルロン・ブラン」が初で、その後はマイルズだって、このやりかたでどんどん進むようになり、1970年代のあのファンク大爆進につながったのだということ。「フルロン・ブラン」こそ、マイルズやジャズ・ミュージック史においては、大きな意味を持つ最重要なワン・トラックなのだ。そしてそれは、 JB「コールド・スウェット」を下敷きにしていた。

 

 

ところがそんな JB の「コールド・スウェット」が、今度はマイルズの1959年「ソー・ワット」から直接のインスピレイションを得てできあがった曲だったんだよね。これは JB とともに共作者として登録されているアルフレッド・エリスもインタヴューで明言している。それを読み両曲を連続再生してみれば、あぁ間違いないなとわかる。特にエリスも言うホーン・リフのパターンが、とてもよく似ている。

 

 

似ているというか、これは同系のものだ。なんの系統かというと、アメリカ黒人キリスト教会における「エイメン」(アーメン)詠唱ということになる。上でリンクを貼った記事でぼくも以前指摘した、マイルズ「ソー・ワット」がアート・ブレイキー「モーニン」から盗んだものこそ、教会アーメンの詠唱をホーン・リフ化して反復するというものだった。

 

 

マイルズの「ソー・ワット」を、レイ・チャールズとかアート・ブレイキーとかジェイムズ・ブラウンみたいな、いわば真っ黒けにエグいファンキー・ミュージックの系譜に位置付けて、そのルーツはゴスペルというか教会アーメンであるなんて、どなたの文章も読んだことがないけれども、間違いなくそのフィーリングはある。みなさんも感じとることができるはずだ。

 

 

そんな「モーニン」への影響源として、レイ・チャールズ1956年のシングル曲で57年のアルバムにも収録された「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」があるというオスカー・ピータースンの発言(が、デイヴッド・リッツ著のアリーサ・フランクリン伝で読めるというのは、和訳書 p. 81 のことですかね?)は、かなり納得しやすいはず。ボビー・ティモンズの書いた「モーニン」はゴスペル・ジャズなんだし、アート・ブレイキーのドラミングも似ていれば、ホーン・セクションもリズムもあわせてストップ・タイムを繰り返しながら、教会アーメンを反復しているところも同じだ。

2018/10/18

Crucially, the Stones, unlike Jimmy Page and Robert Plant, always showed their workings, ensuring that heroes like...

 

 

嫌いなのじゃない。好きだからだ。

 

 

まず、具体例から列挙しておく。ぜんぶやるとキリがない音楽家なので、再確認せずともいま瞬時にパッと思い出せるものだけ。作者名記載がどうなっているかはレッド・ツェッペリン作品の最新盤(2014、2015年)附属ブックレットを見た。以下「自作」と書くものは、すべて剽窃、盗作だ。

 

 

・Babe I’m Gonna Leave You("Led Zeppelin")〜 ジョーン・バエズ・ヴァージョンのアン・ブリドゥン作「ベイブ・アイム・ゴナ・リーヴ・ユー」から。自分たちの名前の横に "Bredon" との記載あり。

 

 

・Dazed And Confused("Led Zeppelin")〜 ジェイク・ホームズ「デイズド・アンド・コンフューズド」から。自分たちの名前の横に ”inspired by Jake Holmes” との記載あり。

 

 

・Black Mountain Side("Led Zeppelin")〜 バート・ヤンシュ・ヴァージョンのアイリッシュ・トラッド・フォーク「ダウン・バイ・ブラックウォーターサイド」、デイヴィ・グレアム・ヴァージョンのケルト民謡「シー・ムーヴズ・スルー・ザ・フェア」から。自作とのクレジット。

 

 

・How Many More Times("Led Zeppelin")〜 ハウリン・ウルフ「ハウ・メニ・モア・イヤーズ」、アルバート・キング「ザ・ハンター」、その他。自作とのクレジット。

 

 

・Whole Lotta Love("Led Zeppelin II")〜 マディ・ウォーターズ(ウィリー・ディクスン作)「ユー・ニード・ラヴ」から。自分たちの名前の横に "Willie Dixon" との記載あり。

 

 

・The Lemon Song("Led Zeppelin II")〜 ハウリン・ウルフ「キリング・フロア」、ロバート・ジョンスン「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルーズ」、アルバート・キング「クロスカット・ソー」その他。自分たちの名前の横に "Burnett" との記載あり。

 

 

・Bring It On Home("Led Zeppelin II")〜 サニー・ボーイ・ウィリアムスン II(ウィリー・ディクスン作)「ブリング・イット・オン・ホーム」から。自作とのクレジット。

 

 

・Hats Off To (Roy) Harper("Led Zeppelin III")〜 ブッカ・ワイト、ミシシッピ・フレッド・マクダウェル「シェイク・エム・オン・ダウン」その他無数のパッチワーク。Trad. Arr. Charles Obscure とだけの記載だから、盗作とは言えない。

 

 

・Rock And Roll([4th album])〜 リトル・リチャード「キープ・ア・ナキン」から。自作とのクレジット。

 

 

・When The Levee Breaks([4th album])〜 カンザス・ジョー・マッコイ&メンフィス・ミニー「ウェン・ザ・レヴィ・ブレイクス」から。自分たちの名前の横に "Memphis Minnie" との記載あり。

 

 

・Custard Pie("Physical Graffiti")〜 ブッカ・ワイト「シェイク・エム・オン・ダウン」、ブラインド・ボーイ・フラー「アイ・ワント・サム・オヴ・ユア・パイ」、ブラウニー・マギー「カスタード・パイ・ブルーズ」など。自作とのクレジット。

 

 

・Kashmir("Physical Graffiti")〜 デイヴィ・グレアム・ヴァージョンのケルト民謡「シー・ムーヴズ・スルー・ザ・フェア」が大元。自作とのクレジット。

 

 

・Boogie With Stu("Physical Graffiti")〜 リッチー・ヴァレンス「ウー・マイ・ヘッド」から。自分たちの名前の横に "Mrs. Valens" との記載あり。

 

 

・Nobody's Fault But Mine("Presence")〜 ブラインド・ウィリー・ジョンスン「イッツ・ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」から。自作とのクレジット。

 

 

・In The Evening(”In Through The Out Door”)〜 剽窃ではないけれど、リロイ・カーの「イン・ジ・イヴニング」(ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン)に関係しているかもしれない。自作とのクレジット。

 

 

・We're Gonna Groove("Coda")〜 これは Ben E King、James Bethea にだけクレジットされていて、自分たちの名前は書いていないので剽窃とか盗作ではないけれど、最初1982年にレコードが発売されたときはどうだったんだっけ?


 

 

 

レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジとロバート・プラント。もうおじいちゃんなんだから、人生の残り時間を数えたほうが早いんだから、そろそろちゃんとしたらどうか?というようなことを、こないだ2018年8月に、音楽サイト『ラウダー』から名指しで言われていたぞ。今日の記事題は、その一節から拝借したもの。英語なので、ひょっとしたら本人たちだって読んだかも。

 

 

 

ふだんから繰り返しているが、1960年代デビューの英国ブルーズ・ロック勢のことが大好きなのは、それじたいが楽しくおもしろい、カッコイイ、気持ちいいというのが最大の理由だけど、あるいは、アメリカ黒人ブルーズはじめブラック・ミュージックへの最大の道案内人役を果たしてくれたからだということのほうが大きなことかもしれない。

 

 

『ラウダー』の言うように、そういった UK ロッカーたちは、たったひとつのバンドを除き、出典、原作者、権利者、じゃなくてもその時点で判明している拠り所をクレジットしてくれていた。だからこそ、ぼくのように最初はなにも知らなかったリスナーだって、そんな原作者名記載を手がかりにして黒人ブルーズの世界へと分け入ることができたのだ。ああいったロックの世界には、ひとそれぞれ、ご感想がおありだろうけれども、間違いない事実、功績だと思う。

 

 

しかし、それら原作者名クレジットがなければ、なにも知らない人間が未知の世界へ足を踏み入れるきっかけがつかみにくい。最初からアメリカ黒人ブルーズに親しんでいるかたがたは問題ないだろうけれども、そうじゃない人間のほうが、一般の多くの(日本の)洋楽リスナーのなかには多いんじゃないだろうか。となればやはり、音楽家が敬意と感謝を示す意味でも、出典クレジットは必須だ。なにより、法を犯しちゃいかん。気持ちの倫理にだってもとる。

 

 

それがどうだ、ツェッペリンのばあいは。違法行為だらけじゃないか。『ラウダー』の言うように、いや、ずっと前からみんなが言ってきたように、ジミー・ペイジとロバート・プラントは、アメリカ黒人ブルーズ・メンや、同時代の英ロッカーや、トラッド・ミュージシャンたちの作品から無断で借用し、つまり、原作者名や権利者名のクレジットなしで、自分たちの名前だけを作者としてレコードや CD に記載し、そのまま知らん顔をしてきた。

 

 

違法行為だから、とうぜん裁判沙汰となる。ほかの音楽家でも同種の訴訟になるケースは多々あれど、ツェッペリンほどひどくはない。なにより、ジミー・ペイジとロバート・プラントには罪の意識がない。自分たちがなにをしてきたかの自覚がないんだ。だから、現在の最新リマスター盤(2014、15年発売)のブックレットに申し訳程度に書き添えてある原作者名(上記)は、裁判で負けて命令されたから、というだけのしるしなのだ。

 

 

1994年だったか95年だったかの、例のジミー・ペイジ&ロバート・プラント名義のコラボ作品『ノー・クォーター』が発売されたころは彼らの活動が近年では最も活発だった時期で、二名もいろんなメディアに登場していた。そのなかに、日本の地上波テレビで放送されたプラントのインタヴュー映像があって、それを見たぼくは耳と目を疑った。プラントはこう言ったのだ:

 

 

「あのころは、だれだってみんなやっていたし…」

 

 

ウソつけ!アンタらだけじゃないか。ほかはローリング・ストーンズもだれもかれも、みんな、ちゃんと原作者名か権利者名か参照元の名をしっかり記載していたよね。ツェッペリンのばあい、権利者から訴えられて敗訴し、申し訳程度に権利者名を添えてあるものだけじゃない、もっとあるんだと、みんな知っている。

 

 

こういったことは、法的に適正でなければならないというだけじゃない。音楽でもなんでも作品を創り出す人間がはたすべき最低限のマナーじゃないだろうか。(主に)アメリカ黒人ブルーズが、レッド・ツェッペリンにとっても最大のインスピレイション源だったんだろう。その名前を記載しておくことは、なにも恥ずかしいことじゃなかったはずだ。明記しないでここまで来ていることのほうがはるかに恥ずかしいよ。

 

 

ある時期以後、ちゃんとすると決心したぼくは、実際ぼくなりにそうしてきているつもり。蟻がなにか言っても、いずまいをただそうとも、巨象に微塵の影響も与えることはない。だけど、この音楽家の大ファンだからこそ、だんだんと恥ずかしくなって、言わずにおられなくなった。だから、今日記して公開しておくことにしたのだ。

2018/10/17

come on, let the good times roll! 〜 ストーンズのブルーズ賛歌ライヴ

 

 

ローリング・ストーンズの『ラヴ・ユー・ライヴ』。いまから41年前、1977年のちょうどいまごろ(に、これを書いている)9月23日に二枚組ライヴ・アルバムとして発売された。1975年夏の北米ツアー、1976年のヨーロッパ・ツアー、1977年のトロント公演(エル・モカンボ・クラブ)からの音源を収録。ロニー・ウッド正式参加後初のライヴ盤で、現在までも、ストーンズの公式ライヴ盤では、結局のところ、これがいちばんなのかもしれない。

 

 

いやいや、数年前(もっと前だっけ?)に、まず最初は公式ダウンロード形式でだけ販売された1973年ライヴ『ザ・ブリュッセル・アフェア』や、その前年72年ライヴの DVD『レイディーズ・アンド・ジェントルメン』も公式CD として販売されているが、長年公式には存在しなかったそれらは、やっぱりちょっと遅きに失した感がある。内容は極上だけど、『ラヴ・ユー・ライヴ』で定着したイメージは抜きがたい。

 

 

さらに『ラヴ・ユー・ライヴ』にはこの作品ならでは!という、とても強いアピールがあるんだよね。大きく分けて二点。そしてその二点は深く関連して、このライヴ・アルバムの主題をあぶりだしている。一点は、オープニングとクロージングでフィーチャーされているスティール・バンド・アソシエイション・オヴ・アメリカのパーカッション・アンサンブル。もう一点は、アメリカ黒人ブルーズへのオマージュで構成されているということ。

 

 

二点目のブルーズ・オマージュという面はわかりやすいはず。レコードでは二枚目 A 面だったエル・モカンボ・サイドに典型的に象徴されているから。ここの四曲がこのアルバムのハイライトだということではみんなの意見が一致するはず。三つ目の「リトル・レッド・ルースター」(ハウリン・ウルフ)が終わると、右チャンネルから "come on, let the good times roll!" とのお客さんの大きな声が飛ぶのが鮮明に記録されている。そう、ブルーズをやったり聴いたりの体験とは、そういったものだよね。

 

 

アルバム『ラヴ・ユー・ライヴ』のほかの部分も、選曲といい演唱といい、よく考えてみたら黒人ブルーズに即したものになっている。ストレートな定型ブルーズは(ほぼ)ないものの、ブルーズを土台とする、というよりも本質的にブルーズそのものであるようなものがどんどん並んでいるじゃないか。ぼくにはそう聴こえるんだけどね。そんなところも、いまやこのバンドは時代遅れかもしれないが、2018年の時流に乗っていることとリスナーが楽しめるかどうかということは、必ずしも関係がない。

 

 

アルバム・ラストに「シンパシー・フォー・ザ・デヴル」があるよね。1968年のアルバム『ベガーズ・バンケット』がどんな作品だったかをよく思い出してほしい。アメリカの、特に南部黒人の、ブルーズ・ミュージックへの捧げものだったよね。そのシンボリックなワン・トラックとして、悪魔の音楽と呼ばれるブルーズへの共感(sympathy)を表現するものとして、曲「シンパシー・フォー・ザ・デヴル」が幕開けに置かれていた。

 

 

そして『ベガーズ・バンケット』での「シンパシー・フォー・ザ・デヴル」ではパーカッション・アンサンブルがフィーチャーされていたよね。アンサンブルというかゲスト参加はロッキー・ディジョーンのコンガだけだったけれど、チャーリー・ウォッツのドラムスとあわせての打楽器重なり合いで、このブルーズ・シンパシー・ソングのいろどりをにぎやかにしていた。

 

 

『ラヴ・ユー・ライヴ』でのスティール・バンド・アソシエイション・オヴ・アメリカは、オープニングの「庶民のファンファーレ」で彼らだけがフィーチャーされている以外は、ラストの「シンパシー・フォー・ザ・デヴル」でだけストーンズと共演しているんだよね。アルバムの幕開けと締めくくりに登場するということと、アルバム幕閉めのブルーズ賛歌が持つ意味合いを『ベガーズ・バンケット』開幕と同様のものにしているということと、エル・モカンボ・サイドのことやなどなど、今日書いてきたことを考え合わせると、ストーンズがアルバム『ラヴ・ユー・ライヴ』で掲げた主題、あ、いや、というかぼくが勝手に読み込んだ作品の意味みたいなことは、これ以上、説明不要だよね。

2018/10/16

Thanks for sharing! Sometimes i LOVE the internet!

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と、言われることが、最近、増えてきた。ちょっと前、そうだなあ、数年前まではあまりなかったことだ。主に自分で YouTube にアップロードしている音源へのコメントとして付くのだが、Spotify での自作プレイリストについても言われることがある。っていうか、Spotify など(音楽その他の)ストリーミング・サーヴィスが普及一般化したので、みなさんの音楽聴きの意識も変化してきたということじゃないかと思うんだ。それで YouTube ファイルにつくコメント内容も傾向が変わってきたのかなと。

 

 

この点、同じくインターネットを利用するものだけどダウンロード・サーヴィスは性格が異なっている。以前も書いたけれど、手元に物体があるかなしかだけで、LP や CD などフィジカル商品を買うのとダウンロード購入は、同じことだ。そのひと個人だけもので、他人は関係ない。一人で所有するということだから。どっかのサーヴァーに音楽を置いて、必要なときにそれをみんなが参照しにいくというのが YouTube や Spotify(その他)のストリーミング聴取で、個人所有じゃなくて公共共有。かなり違った考えかたじゃないかな。

 

 

ネットでそうやって音楽を聴くためにサーヴィス内を検索したりして、あるいはどなたかの紹介で、見つけるようになって、個の手もとにそれを収録したものが(フィジカルでもデジタル・ファイルでも)存在しなくとも、アクセスすれば聴けるという、そういった考えかたは、まさに2010年代型インターネット時代の音楽享受のかたちじゃないかな。ネット活動そのものも、かつてのようなダウンロード型は激減し、アクセス型になったよね、ほぼ100%近く。

 

 

(ネットにつながった)スマホでもパソコンでも一個あれば、あとはヘッドフォンでもスピーカーでも出力装置さえあれば、たったそれだけで音楽を手軽に楽しむことができる。自分で所有していなくてもいいんだ。まあぶっちゃけますが、ぼくはいまだなんだかんだで CD 買う人間だから、ネット聴きがメインにはなっていないんですけれども、いまのところはさ。そんなぼくでも、CD はそれでしか入手できない音楽を聴くためにだけ買うというようなことに、今後、なるかもしれない。あるいはネットで聴けてもなおどうしてもこれは所有したいというものだけに限定するとか。

 

 

一言にすれば、音楽好きのみんなで共有する、シェアするという楽しみ、幸福感が出てきつつあるということじゃないだろうか。名前も顔もどんな人かもわからなくていい、ただ、この音楽家が、アルバムが、曲が、好きだという、その一点だけでつながっていくことができる。笑われるかもしれないが、それが同好の友人となって、どんどん増えていき、体験が、人生が充実していく。すくなくともぼくはそんなふうにちょっぴりだけなりつつある。

 

 

そうだからこそ、反面、せめてときどきは路面店に足を運び、商品のフィジカル・リアリティを目にし手にとって、現実の友人と顔を合わせ言葉を交わし 〜〜 っていうようなことを求めるようになっているのかもしれないよね。どんなお店の商品もネット経由でオーダーし仕入れているとは思うんだけどさ。多くのみなさんがふだんはデジタル・ファイルの世界に住んでいるから、ときどきは現実の物体や人間に触れ合いたいとかさ、そういったことがあるのかも。

 

 

ぼくのばあいはその点、徹頭徹尾、ヴァーチャルな世界で生きているのだと言えるかも。書いたようになんだかんだで CD を買っているから、それを売る商売が消滅するまでは買い続けると思うから、ここだけ現実物体での充足感があるってことかなあ。でも、そうやって CD で聴いた音楽がよかったなと感じて(Spotify でも YouTube でも)ネットでシェアして、結果、サンキューとか言われると、楽しさや充実感倍増だよ。

 

 

モノを手元に置いておかないと気が済まない、音楽を買った、聴いたという気になれない、というのは、ぼくもいまだそう。だけど、そんな時代は急速に去り行きつつあるというのが現実だ。一ヶ所に置かれたファイル(群)に、ネット経由でみんながアクセスして聴く、シェアするというのが、ごく一般的なふつうの音楽の聴きかたになってきている、あるいはもうそうなったという、これが2018年秋にわかった真実だ。

 

 

YouTube や Spotify のできる前は、物体をコピーして、あるいは買い増して、配りまくっていた人間の独り言でした。

2018/10/15

あらさがしをするな 〜 エリック・クラプトン篇(其の二)

 

 

1990年代のエリック・クラプトンについてこんな記事題ばかりつけていると、アンタ本当はあらしか見つけていないんでしょ?!とか思われるかもしれないが、本意ではない。失恋歌ばかりの1994年のブルーズ・カヴァー・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』にもいい部分があるから、そんなところを見て書いておきたい。こんなやつ、こんなもの、としか自のことでも他のことでも思わないようになったらオシマイだ。

 

 

具体的な内容に入る前に、『フロム・ザ・クレイドル』最大の功績かもしれないと思うことを。それはこのアルバム、この音楽家と限った話じゃなくて、この世代の英国(ブルーズ・)ロッカーのかなり多くに言えることだけど、きっかけにして、ブルーズなどアメリカ黒人音楽の世界へ分け入る道案内になってくれたかもしれないということだ。

 

 

『フロム・ザ・クレイドル』では、それまでクラプトンがあまりやらなかった、というか正式アルバムには収録しなかったブルーズ・ソングをとりあげているから(15「ドリフティン(・ブルーズ)」が『E.C. ワズ・ヒア』にあったのが唯一の例外か)、ますますオリジナル・ヴァージョンのブルーズを聴いてみようと、ロック・ファン、クラプトン・ファンに思わせてくれたかも。

 

 

こういったことは、原作者をほぼ100%近くクレジットしなかったジミー・ペイジ&ロバート・プラント(レッド・ツッェペリン)を除き、英国ロッカーたちに感謝しないといけないとぼくだったら思う。ブルーズ・ロック勢を手引きにしてアメリカ黒人ブルーズに入り、実際、プロのブルーズ演奏家にまでなったひとだっている。亡くなったハーピストの妹尾隆一郎さんだってそうだった。

 

 

クラプトンの『フロム・ザ・クレイドル』。よくないなあと感じている部分からまず先に書いておくと、ガナり節ヴォーカルだ。特にひどいのが1曲目「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」(リロイ・カー)と10曲目「イット・ハーツ・ミー・トゥー」(タンパ・レッド)の、二曲のエルモア・ジェイムズをカヴァーしたもの。リキみすぎだろう。なんでこんなにガナりたてるのか?もっとナチュラルにすっと歌えばいいじゃないか。まあしかしそういうのも「表現しなくっちゃ!」という強い気持ちの素直な表れだと、好意的に解釈したい。

 

 

そしてこの二曲も、エルモアをそのままコピーしただけとはいえ、ギターでのスライド・プレイはかなりいいよね。ギター演奏はアルバム『フロム・ザ・クレイドル』全般にわたって上出来だと思う。ほぼエレキに専念しているから、アクースティック・ギターを弾くのは三曲だけ。7「ハウ・ロング・ブルーズ」(リロイ・カー)、11「マザーレス・チャイルド」(バーベキュー・ボブ)、15「ドリフティン」(ジョニー・ムーア)。これら三曲がまたいいよね。

 

 

ある意味、エレキでぐいぐい弾くものよりも、リラックスしたフィーリングのあるそれら三曲のほうがいいかも。エレキだと、ヴォーカルほどでないにしてもやっぱりギター演奏にリキみが聴けるばあいもある。アクギだとそれがスッと抜けているからね。特に7「ハウ・ロング・ブルーズ」がかなりおもしろいよ。なぜならここでのクラプトンはジャグ・バンド・ミュージックに解釈しているからだ。

 

 

リロイ・カーの「ハウ・ロング・ブルーズ」が、どれほど多くカヴァーされてどれほど多様なヴァリエイションとなって姿かたちを変えているかは、ぼくが説明する必要などない。だからクラプトンがこんなフィーリングで料理したって驚くことはない。リロイの原曲はピアノとギターでやる洗練された北部のシティ・ブルーズだった。クラプトン・ヴァージョンの肝はハーモニカをくわえたこと。それでグッと身近で下世話な米南部ふうのテイストが出ている。前作『アンプラグド』でも、ジャグ・バンド・スタイルでやる「サン・フランシスコ・ベイ・ブルーズ」がよかったじゃないか。

 

 

そのハーピストはジェリー・ポートノイ。マディ・ウォーターズのバンドで吹いたひとだよね。ジェリーのハーモニカは、エレキ・ブルーズも含め、アルバム『フロム・ザ・クレイドル』全般にわたって最高なのだ。この作品でのソロでも歌をラップするオブリガートでも、いちばん聴けると思うのがジェリーのハーモニカじゃないかな。どの曲が、と指摘する必要はない。ぜんぶ、いい。

 

 

エレキ・ギターを弾きながら、基本、1950〜60年代のシカゴ・ブルーズを土台にしたようなことをやっているものだと、歌でガナらずギターでもスムースにやって弾きすぎない曲なら好きだ。たとえば2「サード・ディグリー」(エディ・ボイド)、同じくエディ・ボイドの5「ファイヴ・ロング・イヤーズ」(イントロ弾きはじめがカッコいい、ちょっと派手すぎかもだけど)、おなじみの3「リコンシダー・ベイビー」(ロウエル・フルスン)、オリジナルどおりブギ・ウギでやる6「アイム・トア・ダウン」(フレディ・キング)など、好き。ほかにもいいのがある。

 

 

そしてなんたって、当時からいまでも、クラプトンの『フロム・ザ・クレイドル』でいちばんいいと感じているのが、上で書いたジャグ・バンドふうに楽しい「ハウ・ロング・ブルーズ」を除けば、13曲目「サムデイ・アフター・ア・ワイル」なんだよね。これはオリジナルであるフレディ・キングの1962年フェデラル録音とはすこし違っている。

 

 

フレディ・キングがナチュラルに弾き歌うのに比べたら、クラプトンはやっぱり格好つけすぎみたいな部分があるけれども、でもそんなところも含めて、この、ずっと12小節音楽をやってきた音楽家の一途な思いが伝わってくるようなこの「サムデイ・アフター・ア・ワイル」のことがぼくは心から好きだ。しかも、気持ちが入っているなとわかるにしてはガナっていないし、ギターもひたすらエモーショナルなだけ。歌もギターもすばらしいぞ、これ。ホーン・セクションのリフも効果的。バンド全員で颯爽と上昇するのが大好きだ。

2018/10/14

ナット・キング・コール、トリオ時代の歌とピアノ

 

 

現在(でも売っているかどうか、実は知らないが)一枚の CD アルバムになっているナット・キング・コールの『ヴォーカル・クラシックス&インストルメンタル・クラシックス』。ご存知ないかたでもタイトルだけで御察しのとおり 2in1 盤で、LP レコードではヴォーカルものとインストルメンタルものがバラ売りの二枚で発売されていた。大学生のころからかなりの愛聴盤だ。そりゃあもうナット・キング・コールとフランク・シナトラとサム・クックなどの男性歌手が好きなのだ。画像左の緑色のが『インストルメンタル・クラシックス』。

 

 

レコード二枚をそのままくっつけただけだから 2in1嫌いのみなさん(ぼくもそう)にはイマイチかもしれないが、でも考えてみればこの時期(1940〜47)キャピトルに録音していたナット・キング・コールの音楽は、一枚片面一曲単位の SP で発売されていたんだし、これはヴォーカル作品、これはピアノ演奏だけと、ことさら区別して考えていたわけじゃない。LP レコードにする際に会社が分けただけのことだから、あまり堅苦しく考えなくていいんじゃないかな。

 

 

CD『ヴォーカル・クラシックス&インストルメンタル・クラシックス』では、12曲目の「トゥー・マーヴェラス・フォー・ワーズ」までがヴォーカルもの、13曲目の「ザ・マン・アイ・ラヴ」以後がインストルメンタルもので、どっちもぜんぶ、基本、ピアノ・トリオ(ちょっとだけのラテン・パーカッション参加あり)。この当時はピアノ+ギター+ベースの編成が標準的だった。

 

 

前半部、ナットの歌が入るものはもちろんいい。なめらかでヴェルベットのような声。それで歌詞を大切に扱いつつ、しかし同時にフレイジングでおふざけっぽい遊びも入れているよね。それを端的に言えばジャイヴ風味ということになる。キャピトル時代の前のデッカ録音ではそれがもっと顕著で辛口だけど、甘さが混じるようになったキャピトル時代初期のこういったトリオものでの歌いまわしは、ジャイヴ味を残しつつ円熟味が出て、まろやかになって、いいねえ。とろけそう。

 

 

実際、ナットはキャピトル時代のトリオ活動あたりから人気が出て、アメリカ中でモテモテだったのだ。そりゃこんな声と歌いかたでラヴ・ソングをやられたら、女性も男性もコロッとイかれててしまうよなあ。このへんのセクシーさもサム・クックは受け継いだけれど、ナットの持つ、甘さとないまぜのクールなジャイヴ味は、あまり真似されていないよねえ。ナット自身、オーケストラ伴奏で歌うようになってからは辛味が消えた。この時期のトリオ録音でだけ聴けるワン・アンド・オンリーなミックスだった。

 

 

大学生のころはこれを真似してソラでそっくりに歌えた「スウィート・ロレイン」でもそんなところが聴けるし、有名になった「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」にも同様の陰影がある。「フォー・オール・ウィー・ノウ」みたいなひたすらスウィートなだけのバラードも悪くないし、しかし恋愛対象を称える「エンブレイサブル・ユー」などでは、途中ちょっとリズムを変化させて辛味ニュアンスを付け、甘いだけのものにはしていない工夫も聴きどころ。こういったリズムの変化、チェンジ・オヴ・ペースは、ヴォーカルものでもインストルメンタルものでも、このアルバムで同じようにたくさんある。

 

 

こういったチェンジ・オヴ・ペースは、聴けば、あらかじめアレンジされていたものだとわかる。アレンジはたいていがピアノとギター(ほぼすべてオスカー・ムーア)とのユニゾン・デュオで表現されている。そのあいだベース(ほぼジョニー・ミラー)は定常ビートを刻みながら支えるといった仕組みになっているよね。ピアノとギターでこういうフレーズを合わせようというのは、たぶんナットの発案だったんだろうなあ。

 

 

ヴォーカルのうまさについては世にたくさんの褒め言葉や賞賛者がいるナットなので、アルバム後半のインストルメンタルものを中心に、ピアノ・スタイルのことにも触れておこう。ナットは、大ヒットを出しスター歌手となってからのある時期以後はスタンド・マイクで歌うようになり、まれな例外機会を除きピアノをあまり弾かなくなった。ただしかしそうなってからでも、しかもドラマーも参加するようになってからでも、名義が<ナット・キング・コール・トリオ>だったことからも、察せられるものがあるはず。

 

 

アルバム『ヴォーカル・クラシックス&インストルメンタル・クラシックス』前半部のヴォーカルもののなかでナットのピアノの味がいちばんよくわかるのは、9曲目の「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」(これもリズム・アレンジに要注目)かな。ここでもピアノとギターのユニゾンで変形テーマを弾いているが、歌が終わってギター・ソロも終わってのピアノ・ソロ部で、右手シングル・トーンでアール・ハインズ直系の弾きかたを聴かせるが、ナットの持ち味はアタック音が強烈で歯切れがいいってことなんだよね。緩さがまったくない。

 

 

ここはヴォーカルと対比させたらおもしろい。発声と歌いまわしはあんなに甘いナットなのに、ピアノのキーを叩くのとフレイジングには辛さ、厳しさ、そしてスムースさよりも、強すぎる?と思うほどの一音一音のアタックでぶつ切りにしてぶつけてくるような味がきわだっている。歌とピアノで好コントラストになって、トリオでの演唱全体に幅と奥行きを持たせているなあと思う。

 

 

アルバム13曲目以後のインストルメンタルものになると、甘いヴォーカルがないせいか、ナットはたぶんそこに気を配り、さほどの強さ、厳しさをピアノ・サウンドで表現していない。かえってスムースさを前面に出したような弾きかたになっているよね。でもちょっとだけだ。ナットのピアノ・スタイル本来の味である、右手単音弾きでの歯切れいい強靭さは、やはり全体を通し言えること。

 

 

同時期のジャズ・ピアニストで、同じくアール・ハインズ直系のひと(って、まあ全員そうなんだが)で比較するとなれば、たとえばテディ・ウィルスン。テディも名手だが、かなり洗練されていて、ややフェミニンな優しい味もある。比してナットのピアノは男性的に力強く、しかも(ヴォーカルの味とは反対に)黒人音楽家らしいファンキーさすら感じられる、というのがぼくの見方。さらにスピーディで爽快。

 

 

インストルメンタルものには、ゲストでボンゴ奏者が参加するラテン・タッチな曲が三つある。18「バップ・キック」、22「ルンバ・アズール」(かの有名曲ではない、ナット自作)、24「ラフ!クール・クラウン」。この1940年代後半に、ジャズのピアノ・トリオ演奏にボンゴだけ入ってラテン調エキゾティズムを出すのは、あまりなかったかこともしれない。

 

 

しかしナットが直接関係していたわけじゃなくても、まったく同時期にチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらビ・バッパーたちは、どんどん積極的にジャズとキューバ音楽の接合に取り組んでいたじゃないか。同じジャズ界のなかで同じ時代を生きて、ナットがちっとも意識しなかったとは思わない。無縁ではありえなかったはずだ。ジャズのなかには誕生期からラテンがあるんだし。

 

 

そんな部分も、戦後になってオーケストラ伴奏でラテン・ソングを、それもスペイン語のままで歌うようになるナット・キング・コールの姿を、ある意味、予見していたと考えていいかも。関係ないのかも。

 

 

ギターのオスカー・ムーアがぼくも本当に好きで、マジでうまいなあと思うんだけど、今日は話題をナットの歌とピアノに限定したので、割愛するしかなかった。また別の機会に。

2018/10/13

ジョガドール、ベンジョール 〜『アフリカ・ブラジル』

 

 

(『ラティーナ』誌2018年10月号に掲載された今福龍太さんの文章に触発されて書きました)

 

 

ことブラジルにおいてはサッカー(フチボル)は音楽だ。一体化していて関係は深い。1916年作曲とされるピシンギーニャの「1対0」が最有名なフチボル賛歌だと、ぼく(だけ?)は思っているが、ジョルジ・ベン(ジョール)にしても同じこと。ベンジョールとサッカーは切り離せないんだ。1976年の傑作『アフリカ・ブラジル』もまさにそう。

 

 

ベンジョールのこのサンバ・ファンク名盤においては、音楽の律動はまさにサッカーの律動そのものだ、とサッカー好きの音楽好きが聴いたら間違いなくわかると思うんだよね。アルバムに三曲のサッカー・ソング(1「アフリカの槍先〜ウンババラウマ」、4「わが子たち、わが宝」、9「ガヴィアの背番号10」)があることを指してだけ言っているのではない。音楽のグルーヴが、アルバム全体で、サッカーのそれと同質だという意味なんだ。

 

 

だからぼくの言うベンジョールの音楽『アフリカ・ブラジル』はサッカーだというのは、歌詞内容のことじゃない。サッカーがこのアルバムの<テーマ>だとかいうんじゃないんだ。この音楽のリズム、あるいはグルーヴが、まさしくサッカーそのものだということなんだよね。どの曲が?とかいう問いは成立しない。音楽アルバム全体を貫く根幹のグルーヴのありようが、ピッチ上で展開されるサッカーの躍動感と同じなのだ。

 

 

ぼくの持つこの感覚を(通常の)言葉で的確に表現するのはむずかしい。サッカーの試合が行われるスタジアムでの生観戦で、あるいはテレビやラジオやネットでのサッカー中継放送で、ばあいによってはハイライトだけを抜き出して編集したダイジェストみたいなものでもいい、とにかくサッカーの試合の様子を観(聴き)ながら、あるいはかつてサッカー選手経験のあるかたがたなら、ベンジョールの『アフリカ・ブラジル』を聴いて、このフィーリングに共感いただけるかもしれない。

 

 

後方の守備陣でゆっくりボールをまわしているときのリズムは、この『アフリカ・ブラジル』にはあまりない(つまり、すこしはあるんだけど)。中盤から前線で、ミッドフィルダーやアタッカーが相互にからみあいながら攻撃に転じてギアを上げゴールを狙う動きに出たときのチームの動物的感覚が、このベンジョールのアルバム『アフリカ・ブラジル』の音楽だ。グルーヴの種類が酷似している。

 

 

サッカーのピッチ上での選手の動き、ステップの踏みかた、走りかた、ボールをまわしパスを出したりドリブルで突進したりする、そして最終的にシュートを放つ、そんな一連の律動は、音楽アルバム『アフリカ・ブラジル』におけるリズム感覚 〜 特に打楽器群の織りなすグルーヴ +エレキ・ギターの特にカッティング・ビート、いや要はリズムを形成しているものすべて 〜 と完璧に同質ものじゃないか。

 

 

それでもやはり特にこの曲が、ということはあるので選り出すと、あんがい1「ポンタ・ジ・ランサ・アフリカーノ(ウンババラウマ)」、4「メウス・フィーリョス、メウ・テソウロ」はそんなにサッカー感が強くない。9「カミーザ・10・ダ・ガーヴィア」は、やはりフラメンゴ時代のジーコのあのゆるやかで華麗な動きをよく表現できているなと感じる。

 

 

しかしもっともっとサッカーの、特にオフェンスの躍動感と同じグルーヴだなと感じるものがいくつもある。ぼくの印象では、たとえば2曲目「エルメス・トリズメジスト・エスクレヴェウ」は、アタッカーにボールがわたる前の攻撃的中盤の選手がボールを持っているときのリズムだし、ブラジルというよりカリブ音楽みたいな3「オ・フィロゾフォ」や5「オ・プレベウ」もそう。

 

 

6曲目「タジ・マハール」、8「ア・イストリア・ジ・ジョルジ」、そしてなにより最高の歓喜を、それはサッカーでシュートがゴールに突き刺さりスタジアムが沸くときのそれと同じ大きな歓喜を、招くようなフィニッシュである10「カヴァレイロ・ド・カヴォーロ・イマクラード」と11「アフリカ・ブラジル(ズンビ)」が、最高のサッカー賛歌だ、というよりサッカーそのものだ。いやあ、しかしそれにしてもこの10、11曲目の激しい躍動感はすごい。ここまでサッカーの動きとよろこびを表現する音楽って、なかなかないんじゃないかなあ。

2018/10/12

マイルズB面名盤のA面三つ

 

 

以前、マイルズ・デイヴィスのプレスティジ時代にある B 面名盤三枚のことを書いた。これら三つ、ある意味、B 面のほうがおもしろく出来もいいという見方ができる面があると思うんだ。

 

 

 

それでも、リリース順に『コレクターズ・アイテムズ』(1956.12)、『ウォーキン』(1957.6)、『バグズ・グルーヴ』(1957.12)のそれぞれ A 面のなかにだってなかなかいいものがあるので、というかふつう A 面が話題になるものだからその話を今日はしたい。まず、なかなかいいどころか大傑作に違いないのが『ウォーキン』A 面の二曲。どっちも12小節定型ブルーズだ。

 

 

これら二曲「ウォーキン」「ブルー・ン・ブギ」(後者はディジー・ガレスピー作)については、以前一度詳しく書いた。ここにぼくの意見は載せておいた。これ以上の感想はいまのところない。一点だけ、ホレス・シルヴァーの重要性を、この記事の時点でもまだ見くびっていたと気づきはじめている。各ホーン奏者のソロ背後で弾くピアノ・フレーズのリズムの跳ねかたを聴いてほしい。

 

 

 

三枚の A 面は、録音順だと『コレクターズ・アイテムズ』のものが1953年1月30日といちばん早く、二番目が『ウォーキン』A 面の1954年4月29日録音、三番目が『バグズ・グルーヴ』A 面の1954年12月24日。前者ふたつのセッション・デイトにはそれら収録曲しか録音されていないが、最後者の日付には「ベムシャ・スウィング」「スウィング・スプリング」「ザ・マン・アイ・ラヴ」も収録されていると、ご存知のとおり。

 

 

最も話題性が高いのが「バグズ・グルーヴ」の2テイクなのでその話からしよう。説明不要、ミルト・ジャクスン作の超有名スタンダード・ジャズ・ブルーズだけど、このマイルズ・ヴァージョンって、あぁ、正直に言ってしまいますけれど、楽しいのだろうか?ブルーズがあんなにうまいミルトが参加している自身のオリジナル・ブルーズなのに、ぼくにはイマイチ。おもしろくないような…。

 

 

そう感じる理由も自分なりにはハッキリしている。セロニアス・モンクがピアノを弾いているからだ。嫌いじゃないんだけど、ぼくがブルーズに求めるものをモンクは表現しない。一言にすれば湿り気。言い換えればブルージーさ。むろん、乾いて硬質なジャズ・ブルーズを好ましく思うときだって、そういう演奏だって、あるんだよ。チック・コリアの「マトリクス」とかさ。

 

 

しかし時代と、その日のモンク以外の演奏メンツの資質を考えあわせると、どうもこのピアノ・スタイルだけが浮いているような気がして、しかもマイルズの背後では指示により一音も出さないし、う〜ん…。だからミルト・ジャクスンのソロのあいだはまだそんなに悪くないように聴こえなくもないが、ピアノ・ソロ部は…、う〜ん、まぁちょっとその〜〜。「バグズ・グルーヴ」という曲だって、ほかの演奏機会、たとえばミルトみずから参加の MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)ヴァージョンなどでもいい内容に聴こえるので、曲のせいじゃないんだなあ。

 

 

ただ、たぶんセロニアス・モンクのおかげでこんなフィーリングになっていると思うここのこのブルーズ演奏「バグズ・グルーヴ」だけど、録音した1954年よりもっと先、ちょうど1960年前後あたりになってからは、たとえばエリック・ドルフィーらが似たような演奏をやりはじめたように思う。はたまた、2010年代的なジャズ・ブルーズ演奏に聴こえなくもない。そう考えると、空恐ろしくなるモンクの先見性なのだけど。

 

 

同じヴァイブラフォン奏者が同じような時期に同じトランペッターのレコーディング・セッションに参加してのブルーズ演奏というと、いつもいつもこれの話ばかりで恐縮ですけれど「ドクター・ジャックル」(『マイルズ・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』、1955年8月5日録音)。これは文句なしにサイコーだよ。これをお聴きいただければ、「バグズ・グルーヴ」についてのここまでの発言は理解していただけるかも。

 

 

 

そんなわけでアルバム『バグズ・グルーヴ』にかんしては B 面しか聴かないのだ。残るは『コレクターズ・アイテムズ』A 面。はっきり言ってこれも B 面しか聴くことはないんだけどね、ふだんは。A 面は B 面となんの関係もない。ただ一点、どっちにもソニー・ロリンズが参加しているということを除いては。

 

 

『コレクターズ・アイテムズ』A 面最大の話題は、かつてのボス、チャーリー・パーカーの、それもテナー・サックスでの参加だね。だからソニー・ロリンズとのツイン・テナーで三管編成のコンボ。バードが参加しているせいか、あるいは録音時期のせいか、まだビ・バップの香りが残っているのを感じ、ハード・バップとの端境期みたいな演奏に仕上がっているよね。

 

 

でもかつてのパーカー・コンボ時代との最大の違いは、トランペッターの大成長だ。も〜うまったく違う。4トラックともオープン・ホーンで吹いているが、音色に艶が出はじめているし、歯切れも粒立ちもよく、フレイジングも立派だ。しかもマイルズ独自の味である水平的メロディ重視の展開(=アンチ・ビ・バップ的)も成熟に近づきつつある、ように聴こえる。

 

 

そういうのが約一年後の『ウォーキン』A 面録音セッションで(ほぼ)完成を見たと考えていいんじゃないかな。かつての(というか、マイルズのなかでは終生そうだった)師匠チャーリー・パーカーの、へなへなに衰えていた時期とはいえ参加を得て、ぼくの成長を聴いてくださいというような気持ちがあったような、そんな演奏だよね。音だけ聴いてそういった気持ちだったと判断できるように思う。

 

 

2テナー体制の二名。1953年のパーカーとロリンズはかなり似ているので、音だけ聴いて判別するのはやや困難。だけどやはり聴き分けポイントがある。「ザ・サーペンツ・トゥース」2テイクでは、連続して出てくるテナー・サックス・ソロの先発がロリンズ。「コンパルジョン」ではパーカーが先発。「ラウンド・ミッドナイト」では、ラスト合奏部分を除き、パーカーだけ。

 

 

さてさてところで、チャーリー・パーカーがアルトじゃなくテナー・サックスを吹いた正式録音機会は生涯で二回しかない。そのうち一回がこれ。もう一回は自分のバンドでの1947年8月14日のサヴォイ録音で、4曲12テイク残っている。そのサヴォイ・セッションも、レコードの名義はマイルズ・デイヴィス・オール・スターズだった。

2018/10/11

ビートルズのつくりかた 〜 BBC ライヴ

 

 

1994年に CD 二枚組でリリースされたビートルズの『ライヴ・アット・ザ BBC』。2013年に Vol. 2 がやはり二枚組で発売されているが、今日は1994年盤だけを話題にする。ぼくにとってのこのアルバムのおもしろみは、既発曲のラジオ・ライヴではなくて、四人の雑談、司会者との会話(どっちもジョークがちりばめられていて楽しい)などが聴けるのと、それ以上に、ビートルズ・ヴァージョンは初お目見えだった米リズム&ブルーズ/ロックンロール・ソングがどんどん聴けるところ。附属解説を読むと、レコード・デビュー前にバンドのレギュラー・レパートリーだったものも多いらしい。コンテンポラリー・ヒットもある。

 

 

まず先に、一曲だけ収録されているレノン - マッカートニーのオリジナル楽曲だけど未発表だったものでここではじめて世に出たものがあるのでそれから。ディスク1の7曲目「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」。1963年4月4日録音、同年6月24日放送。ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタズに提供されたもの。これのビートルズ・ヴァージョンは、まあでもどうってことないかなと思う。

 

 

ビートルズによるものは初リリースだったカヴァー・ソングをぜんぶ抜き出して、録音、放送年月日と合わせ、アルバムでの登場順に、以下、一覧にしておく。

 

 

I Got A Woman (Ray Charles) rec. 1963.7.16, trans. 1963.8.13

 

Too Much Monkey Business (Chuck Berry) rec. 1963.9.3, trans. 1963.9.10

 

Keep Your Hands Off My Baby (Goffin-King) rec. 1963.1.22, trans 1963.1.26

 

Young Blood (Leiber-Stoller-Pomus) rec. 1963.6.1, trans. 1963.6.11

 

A Shot Of Rhythm And Blues (Terry Thompson) rec. 1963.8.1, trans. 1963.8.27

 

Sure To Fall (In Love With You) (Perkins-Claunch-Cantell) rec. 1963.6.1, trans. 1963.6.18

 

Some Other Guy (Leiber-Stoller-Barrett) rec. 1963.7.2, trans. 1963.7.16

 

That's All Right, Mama (Arthur Crudup)

 

Carol (Chuck Berry)

 

Soldier Of Love (Cason-Moon)

 

Clarabella (Frank Pingatore)

 

I'm Gonna Sit Right Down And Cry (Over You) (Thomas-Biggs) rec. 1963.7.16, trans. 1963.8.6

 

Crying, Waiting, Hoping (Buddy Holly)

 

To Know Her Is To Love Her (Phil Spector)

 

The Honeymoon Song (Theodorakis-Sansom)

 

Johnny B. Goode (Chuck Berry) rec. 1964.1.7, trans. 1964.2.15

 

Memphis, Tennessee (Chuck Berry) rec. 1963.7.10, trans. 1963.7.30

 

Lucille (Collins-Penniman) rec. 1963.9.7, trans. 1963.10.5

 

Sweet Little Sixteen (Chuck Berry) rec. 1963.7.10, trans. 1963.7.23

 

Lonesome Tears In My Eyes (J and D Burnette-Burison-Mortimer)

 

Nothin' Shakin' (Fontaine-Calacrai-Lampert-Gluck)

 

The Hippy Hippy Shake (Chan Romeo) rec. 1963.7.10, trans. 1963.7.30

 

Glad All Over (Bernnett-Tepper-Schroeder) rec. 1963.7.16, trans. 1963.8.20

 

I Just Don't Understand (Wilkin-Westberry) rec. 1963.7.16, trans. 1963.8.20

 

So How Come (No One Loves Me) (Felice and Boudleaux Bryant) rec. 1963.7.10, trans. 1963.7.23

 

I Forgot To Remember To Forget (Kesler-Feathers) rec. 1964.5.1, trans. 1964.5.18

 

I Got To Find My Baby (Chuck Berry) rec. 1963.6.1, trans. 1963.6.11

 

Ooh! My Soul (Richard Penniman) rec. 1963.8.1, trans. 1963.8.27

 

Don't Ever Change (Goffin-King)

 

Honey Don't (Carl Perkins) rec. 1963.8.1, trans. 1963.9.3

 

 

ビートルズのばあい、黒人リズム&ブルーズをそのまま下敷きにしてあることも多いけれど、白人ロッカーによるカヴァーがあるものはそれを参照しているのが、当然のような気もするけれどおもしろい事実だ。たとえば「アイ・ガット・ア・ウーマン」。レイ・チャールズのオリジナルではなく、間違いなくエルヴィス・プレスリー・ヴァージョンに沿って展開している。

 

 

この世代の UK ロッカーたちには、そういうケースがかなりあったんじゃないかと、そのほかのバンドや歌手、ミュージシャンたちの例を見てもよくわかる。ローリング・ストーンズみたいに黒人ブルーズやリズム&ブルーズ楽曲をそのまま真似て、というのは、どっちかというと少数派だったかも。

 

 

アーサー・クルダップの「ザッツ・オール・ライト、ママ」についてもまったく同じことが言える。そのほか多くがそうなので、みなさんご検証いただきたい。レコード・デビュー前から1964年ごろまでのビートルズが、どこからどう学んで、なにをとりあげどうやって、それをお手本に自分たちのオリジナル曲もどうやって創っていくようになったか、よくわかる。初期の自作曲も『ライヴ・アット・ザ・BBC』に多いので、比べたら楽しい。

 

 

こないだデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』に聴けるラテン・シンコペイションのことを書いた。BBC ライヴにおける初お披露目だったものでも、同様のリズム・スタイルが聴けるばあいがわりとある。ジャズやブルーズやロックなどをそのまま聴くだけでは気が済まず、特にカリブ中南米要素を探しもとめる癖のあるぼくは(まるでフレモー&アソシエみたい)、ビートルズの BBC ライヴでもそのあたりにニンマリする。

 

 

随所にそういったものがあるけれど、なかもで顕著だなと思うのが、リトル・エヴァの歌った「キープ・ユア・ハンズ・オフ・ベイビー」、アーサー・アレクサンダー(ジョンのお気に入りだったようだ)の「ソルジャー・オヴ・ラヴ」、ジョディマーズ「クララベラ」、エルヴィスの「アイム・ゴナ・シット・ライト・ダウン・アンド・クライ」、バディ・ホリーの「クライイング、ウェイティング、ホーピング」。

 

 

それから、マリーノ・マリーミの「ザ・ハニムーン・ソング」、チャック・ベリーの「メンフィス、テネシー」、リトル・リチャードの「ルーシール」、ジョニー・バーネットの「ロンサム・ティアーズ・イン・ユア・アイズ」(最高だ!)、チャン・ロメーロの「ザ・ヒピー・ヒピー・シェイク」、リトル・リチャードの「ウー、マイ・ソウル」とか、そのくらいかな。

 

 

もちろんビートルズならでは、という独自解釈を施した結果なのではなく、カヴァーした先のヴァージョンが元からそうなっているだけではあるけれど、そんなところも、しばらくが経過してオリジナル楽曲にしみこんでいくことになっているので、いわば彼ら四人が教科書を見ながら学習している記録として、のちの全盛期へつながるものを聴きとれば、楽しさ倍増。

 

 

カントリー・テイストな曲だってあるし、さらにまた、ジョンのややザラついた濁り成分を持つ声質に比し、ポールの、ロック・シャウターとして迫力があって、かつ、なめらかなバラディアーとしてもうまいという部分の好対照も、どんどん続けて飛び出してくる『ライヴ・アット・ザ・BBC』の聴きどころかも。

2018/10/10

リー・モーガンに聴くブリティッシュ・インヴェイジョン #BlueNoteBoogaloo

 

 

くどくてごめんなさい、大好物なんで。これまた #BlueNoteBoogaloo のひとつ、リー・モーガンの『ザ・ランプローラー』(1965年録音、66年発売)。それにしてもこのレーベル公式プレイリストには本当にいろいろ教えていただいて、それは数の問題だけではなく、とても大切なことを学んだ。それでいくつも CD 買ったよ。買わなくても Spotify で聴けるものばかりだけど、そこは、ほら、やっぱりね、そうなんだよ、ぼくも。でもさ、音源がちゃんとあって、データ類もネットにぜんぶきちんと載っているものばかりなんだなあ…、マジでそろそろ考えないと…(なにを?)。

 

 

まず最初に書いておくが 'The Rumproller' はアンドルー・ヒルの曲だけど、この曲以外でこんな英単語をぼくは見たことがない。ヒルの造語かなあ?rump と roll でくっつけて…?、ってことはこりゃまたスケベな意味のニュアンスがあるのかなあ。わからない。どなたかちゃんとおわかりのかた、教えてください。どうでもいいようなことかもしれませんが。

 

 

んでもって、リー・モーガンのアルバム『ザ・ランプローラー』も、これまたドラムスがビリー・ヒギンズなんだよ。う〜ん、多いぞ。というかぜんぶを調べるのが面倒だからやっていないけれど、レーベル公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』の曲は、ぜんぶビリー・ヒギンズが叩いているかもしれない。ブルー・ノートじゃなくても、たとえばエディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』もヒギンズだったし、ほかにもいっぱいありそう。ってことはやっぱり裏テーマはヒギンズなのか?

 

 

リー・モーガンのアルバム『ザ・ランプローラー』でブルー・ノート・ブーガルー的と言えるのは1曲目「ザ・ランプローラー」、3曲目「エクリプソ」(あれっ、トミー・フラナガンの1970年代作品に同題があったなあ)、4曲目「エッダ」と、この三つかな。5曲目「ザ・レイディ」なんか、ハーマン・ミュートを付けて吹くモーガンのバラード吹奏がきれいでいいけれども、今日の話題からは外れる。

 

 

もう一個よけいなことを。2曲目「デザート・ムーンライト」は作者がリー・モーガンにクレジットされているが、みなさんおわかりのとおり日本の童謡「月の沙漠」だ。これってトラディショナルとか PD とかじゃなくて特定の個人作者がいるんだけど、いいのか、モーガン?日本と縁深いジャズ・マンだから、どこかで聴き憶えたんだろうなあ。

 

 

話題にしたい三曲。これらのうち、「エクリプソ」はボサ・ノーヴァ調と言えるよね。だからビリー・ヒギンズのドラミングがぴったり似合っている。でも淡々とした曲調じゃなくて、どっちかというと爆発的に激しくハード。ソロはリー・モーガンのより、こういうのをいくつもやってきたテナー・サックスのジョー・ヘンダスンのほうがいいように思う。マッコイ・タイナーとハービー・ハンコックを折衷したようなピアノのロニー・マシューズが弾く新感覚も好き。

 

 

「エッダ」はウェイン・ショーター作。いかにもこのころのウェインが書きそうな曲で、サビ部分でだけ4/4拍子のストレート・ジャズになるけれど、それ以外の部分ではラテン調の8ビートで楽しい。まあでも和音構成やリズム・スタイルもあわせ、当時のいわゆる新主流派ジャズに分類できそうな典型だ。

 

 

で、新主流派ってなんだったのか?ということを、今年五月からずっと話題にしてきている<ブルー・ノート・ブーガルー>も混ぜて、というかたぶんそれら不可分一体だったから、アルバムの最重要曲である1曲目「ザ・ランプローラー」も含め、ちょっと考えてみたいんだけどね、今日というよりそのうちジックリと。さっきパッと思いついたことは、いわゆるブリティッシュ・インヴェイジョンを当時活躍中の米ジャズ・メンなりに消化した結果がそれらだったんじゃないかということ。

 

 

もちろんそれらジャズ曲の録音時期と英国ロック勢のアメリカでの大流行時期とその両方を見ると、前者のほうがちょっとだけ早い。ハービーの「ウォーターメロン・マン」が1962年、モーガンの「ザ・サイドワインダー」が63年の録音だけど、ビートルズの北米上陸は1964年だったよね。同年一月にシングル「抱きしめたい」(I Want to Hold Your Hand)が出現、爆発してからじゃないかな。

 

 

だからそれ以後のジャズ・メンの録音にロック・ビートの影響が出るようになって、今日とりあげているリー・モーガンの『ザ・ランプローラー』もその地平線上にあるのは間違いないように、最近ぼくは考えるようになっている。アメリカのジャズ、それも新主流派やブーガルー・ジャズのなかにビートルズがイコンとなったロック・ビートがあった、それが1964年以後のファンキー・ジャズ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクを産んだトリガーだった、とは、いままで読んだことがないけれど、どうやら間違いなさそうな気がする。

 

 

しかしその約二年ほど前からのジャズ・ブーガルーのなかにある、あんなポップでファンキーでノリのいい8ビート演奏は、たぶん1960年代ロックンロール・クレイズの先取り、あるいは同時期の共振だったのかもしれないよな。ビートルズやローリング・ストーンズ、キンクスなどなど英国でのロック爆発の大元の源流と、米国のブーガルー・ジャズのルーツは、重なっているじゃないか。そう考えれば自然だ。

 

 

UK ロック勢は、もちろんアメリカの黒人ブルーズやリズム&ブルーズや白人ロックンロールを範として学び、というか初期はもろコピーして、そのまんまやっていた。彼らのお手本となった北米大陸産のそんな音楽にカリビアン〜ラテンなビートが抜きがたく流入しているとは常識的だ。その根源は西アフリカにあり?だから、アメリ合衆国に上陸した英ロッカーたちは、侵略というより、ある意味<帰国>だった。本人たちは理解していたんじゃないか(と当時からの各種発言でわかる)。

 

 

となると、ハービーやモーガンやらがはじめて、その後ひとつの流れになって、今年五月にレーベルが公式プレイリストまで作成し公開した『ブルー・ノート・ブーガルー』とブリティッシュ・インヴェイジョンとの関係、同一性も見えてくるはず。それらジャズでもロックでも、カリビアン/ラテン・ビートなグルーヴ・オリエンティッド・ブルーズだってこと。

 

 

グルーヴ・オリエンティッドなラテン・ブルーズが、ジャズへ行けばこうなって、ロックへ行けばああなったということだったんじゃないだろうか?同じ1960年代に、もとをたどれば同じ故郷からやってきたと言えるものを変化させ、一を足し二を引いて我がものとし、自分たちの衣装を着せて表現した。それがブルー・ノート・ブーガルー(や新主流派)であり、ブリティッシュ・ロック。

2018/10/09

ある秋の夜、プリンスの「グッバイ」が終わったら鈴虫の音が聴こえてきて、最高だった

 

 

という体験を、今年、実はなんどもしている。一度目がすばらしすぎたので忘れられず、夜がふけて鈴虫の音が聴こえだすとアルバム『クリスタル・ボール』三枚組(やほかのなんらかのプレイリストみたいなものでもおーけー、ラストにあれば)を聴いてしまう。この曲と体験にグッバイできない。

 

 

(アルバム or プレイリストの)ラストだから音が消えると同時に鈴虫の鳴き声が…と言っても、「グッバイ」がよすぎるので、いっときになんども反復再生しているんだよね。たぶんだけど、いまの気持ちではプリンスのありとあらゆる全楽曲中、この「グッバイ」がいちばん好き。美しい。あまりにも美しすぎる。プリンスのファルセット・ヴォーカルは、ときどきキモいと言われることがあるけれど、そんなことないよ。特にこの「グッバイ」では、まさに美じゃないか。

 

 

美しいというのはこの曲「グッバイ」の歌メロディと歌詞がそうだから。歌詞のどこがどう、なんて詳しいことは書けないが、それを表現するメロディはどこをとっても全体がきれい。こんなにきれいなバラード(トーチ・ソング?)は、滅多に聴けるもんじゃない。すくなくともぼくの聴いている範囲の全アメリカン・バラード中、というとウソみたいだから全プリンス楽曲中と言いなおすけれど、最もきれい。と断言したい。

 

 

その美しさには、出だしからため息しかでないが、特にコーラス部はなんど聴いても涙が出る。"For that matter, whatever to make you reconsider / Is there truth when you make love to a lie?" 部分で、メロディがなんども折り重なってぐいぐい上昇していくところ。なんてすばらしいんだ。毎コーラスでこれが反復される(同メロを持つアウトロ部では違う歌詞)。

 

 

そして、ここは毎コーラスもアウトロ部も同じ歌詞の "Excuse me, but is this really goodbye?" で、ボロ泣き。ここから取った '(Excuse Me Is This) Goodbye' がこの曲のオリジナル・タイトルだったらしい。曲の最初から最後までずっと指を鳴らす音がきわめて効果的に使われているのもイイ。スウィート・ソウル系の音楽ではわりとよくある。プリンスだってほかにも使ってある曲があるね。

 

 

出だしはベース・ドラム音の反復だけで入ってくる。最近はそれが聴こえはじめただけで胸いっぱいになってしまうんだけど、そのベース・ドラムはコンピューターを使って出しているデジタル・サウンド。そのほかこの曲「グッバイ」のベーシック・トラックの大半はコンピューターで創っているはず。それらはおおよそ1991年ごろにミネソタのペイズリー・パーク・スタジオで録音済みだったようだ(Prince Vault の情報)。いわゆる『(ラヴ・シンボル)』アルバム向けの初回セッションでのことだったそう。

 

 

ヴォーカルをいつ重ねたのかは判然としないが、コーラス・ハーモニーはもちろんぜんぶがプリンスひとりでの多重録音。そのコーラス・ワークには1950年代のドゥー・ワップ・シンギングの痕跡があるよね。そういえば、曲「グッバイ」の、甘くつらく切なく哀しい曲調もドゥー・ワップ・ソングに多いもので、1990年代におけるプリンスのそんな reminiscent。

 

 

オーケストレイションはいつものようにクレア・フィシャーが手がけている(とライナーノーツに書いてある)。といっても生演奏のストリングス(ホーンズはないはず)だけじゃない。シンセサイザー・サウンドも混ぜてある。そのフワ〜っとしたヴェールのようなサウンドをクレアが書いたんだね。混デジタルだってオーケストラ・アレンジと言えるけれど、それが録音されたのは1994年12月と、これまた Prince Vault による。

 

 

それで当初プリンスは、『イマンシペイション』にこの '(Excuse Me Is This) Goodbye' を収録する予定だったらしいが、あの三枚組収録曲は、ほかにもたくさんなんども差し替えがあったように「グッバイ」もとりやめとなり、代わりに「ザ・ホーリー・リヴァー」が入ったようだ。聴き比べたら、どうしたって「グッバイ」のほうがいいけれど、結果的にはちょっぴりひそやかに、未発表集アルバム『クリスタル・ボール』のクローザーとして、そっと「グッバイ」が置かれたので、結果オーライかな。

 

 

同じく三枚組の『イマンシペイション』にも、こんな感じのトロトロ大甘ソウル・ナンバーみたいなのがいくつかあるよね。オリジナルもカヴァー・ソングもどっちにも。しかもつらく苦しいハート・ブレイキングな曲も、これまたどっちにもある。「グッバイ」がどっちの傾向なのか、いまのぼくにはちょっと判断がつかないが、とにかく、美しい。あまりにもきれい。ここまで美しい歌は、ない。最高に大好き。とにかくいまは、これがぜんぶの音楽のなかで、いちばん。

2018/10/08

世に言う名盤ニガテ盤 10

 

 

(キング・クリムズンとハレドは配信されていないようです)

 

 

世間的に名盤とされていてなんどもトライしてるのだが個人的にピンとこないアルバム。みなさん、おありのはず。それを書くのは、生涯にわたっての愛聴盤十選を書くよりも、自分の個性や趣味や考えかたがクッキリ出るんじゃないかという気がする。十作どころじゃない、かなりたくさんあるけれど、とりあえずいますぐパッと思いつくのだけ、リリース年順に並べた。

 

 

ソニー・クラーク『ソニー・クラーク・トリオ』(ブルー・ノート)(1958)

 

エリック・ドルフィー『アウト・トゥ・ランチ』(1964)

 

オーティス・レディング『オーティス・ブルー』(1965)

 

ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968)

 

キング・クリムズン『イン・ザ・コート・オヴ・ザ・クリムズン・キング』(1969)

 

サイモン&ガーファンクル『ブリッジ・オーヴァー・トラブルド・ウォーター』(1970)

 

ジョン・レノン『イマジン』(1971)

 

ボブ・マーリー『キャッチ・ア・ファイア』(1973)

 

フェラ・クティ『ゾンビ』(1976)

 

ハレド『クッシェ』(1988)

 

 

説明なしでも、ふだんのぼくの文章を読んでくださっているかたがたならこのまま理解していただけそうなものと、やはり付言しておいたほうがいいのかなと思うものとが混じっているように思う。いずれににしても、ぜんぶについてちょちょっとメモしておこう。

 

 

『ソニー・クラーク・トリオ』。ぼくがこのジャズ音楽家のことを好きなのは、いままでも書いてきているがコンポーザー、アレンジャー、バンド・リーダーとしてであって、この点ではちょっぴりホレス・シルヴァーにも相通ずるものがあるとすら高く評価している。いっぽうでいちピアニストとしてはイマイチに感じているんだよね。だから、作編曲能力を存分に活かせる複数ホーン奏者参加の編成じゃないピアノ・トリオ作品では、自作曲で構成されたタイム盤が好き。

 

 

エリック・ドルフィーのことは大好きだ。ぜんぜん苦手じゃない。だがしかしこのブルー・ノート盤だけ、35年以上前からなんど聴いてもおもしろみがわからない。どうしてだろう?自分でもこの己がフィーリングを理解できない。乾いて硬質な感触なのがダメなのかなあ?いやあ、わかりません、マジで。チャールズ・ミンガスとやったのなんか、最高に好物なのに、これだけ真反対の印象。ドルフィーのリーダー作だって、ほかは愛聴盤なのになあ。

 

 

オーティス・レディングは、ぼくにサザン・ソウル苦手意識を植え付けた歌手。それもビートルズやローリング・ストーンズの曲をやっているのを聴いて、生理的に受け入れられないと感じてしまったが、しかしその大学生のころから「ドック・オヴ・ザ・ベイ」とかには好印象だった。そのほかの(ロック・ナンバーではない)ものだって好きなんだけど、最初に持ってしまった苦手意識がなかなか完全には払拭しきれていない。アルバムはぜんぶ持っていて聴いている。『オーティス・ブルー』だって二枚組のデラックス・エディションを聴いているけれどね。

 

 

ザ・バンドの『ビッグ・ピンク』は、しかし近年ぐんぐん好印象へと急変化しつつあるので、今日ここに選んだのはちょっとおかしいけれど、長年どうもちょっと…、だった。二作目も苦手で、ザ・バンドでいいなと思っていた(いる)のは、長年、『カフーツ』とライヴ盤の『ロック・オヴ・エイジズ』だった。あ、やっぱり趣味がモロに出ちゃってる…。

 

 

どうにもダメなキング・クリムズンはおいといて、サイモン&ガーファンクルとジョン・レノン。二名ともソングライターとしてはかなり好きな部類に入るんだけど…。S&Gではアートが歌っていることも多いよね。う〜ん…。ジョンだってビートルズのころには、特に1967年前後に書いて歌ったものは、超絶的に好きだけどね。「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」「アイ・アム・ザ・ウォルラス」とか、全ポップ史でも比肩しうるものがないかも?と思うほど、好き。

 

 

ボブ・マーリーとフェラ・クティは、はっきり言っちゃいますが、レゲエとアフロビート、のルーツ的なそれっていうかジャンル本来の部分としてっていうか、かなり苦手、全体的に。だから選ぶのはどのアルバムでもよかった。要はぜんぶ嫌いだからどれでも一枚なんでもいい。でもレゲエとアフロビートが嫌いなのは、たぶん音楽そのもののことじゃないね。まとわりつく言説がだ〜っいきらいなだけだ。ちょうど1960年代末〜70年代前半ごろのジャズ喫茶でアルバート・アイラーやジョン・コルトレインについてやかましかったのに嫌悪感があるのと同質のものだ、ぼくのなかでは。いわゆる砂漠のブルーズのことを大好きなのは、そういった言葉が出はじめる前に知ったから。

 

 

ハレドの『クッシェ』になぜかなじめなかったぼく。個人的マグレブ音楽体験は、前から繰り返すように1998年の ONB(オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス)のデビュー・ライヴ・アルバムではじまったけれど、それ以前に一枚だけ持っていて聴いていたのがハレドの『クッシェ』だ。そのくらい超有名盤だったもんねえ。これにはまっていたら、ライやその他マグレブ音楽への接しかたが、またすこし違ったものになっていたかも。でも、ハレドのことはその後大好きになって、現在まで来ている。

2018/10/07

ロックにおけるラテン・シンコペイション(1)〜 ビートルズのデビュー・アルバム篇

 

 

アメリカ(産、由来の)音楽のどこにでもあるラテン・ビートなアクセント。ロックにもあるからビートルズにだってある。そのデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』(1963)は、レコードでは片面七曲づつだった。アメリカン・ソングのカヴァー六曲、オリジナル八曲で構成されている。そのなかで、特にラテンっぽいシンコペイションが聴けるなと、個人的に感じすぎかもしれないが、列挙すると以下のとおり。カヴァー・ソングはオリジナル歌手名も付記。

 

 

3「アナ」(アーサー・アレクサンダー)

 

5「ボーイズ」(シレルズ)

 

6「アスク・ミー・ワイ」

 

7「プリーズ・プリーズ・ミー」

 

9「P.S. アイ・ラヴ・ユー」

 

10「ベイビー・イッツ・ユー」(シレルズ)

 

11「ドゥー・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ザ・シークレット」

 

14「トゥイスト・アンド・シャウト」(トップ・ノーツ)

 

 

これらのなかで、というだけでなくアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のなかでいちばんの好物なのが、勢いのいい元気なロックンロールである幕開けの「アイ・ソー・ハー・スタンティング・ゼア」を除くと、3「アナ」(アンナ)と10「ベイビー・イッツ・ユー」。

 

 

「アナ」と「ベイビー・イッツ・ユー」で聴けるリズム・パターンは同じだ。この、ちょっともたついているかのようでもあるけれど、ひっかかって跳ねているようなビートの感触が好きなのだ。主にドラマーがスネアとベース・ドラムでそれを表現している。ベースやリズム・ギターもそれに協調。

 

 

「アナ」がアーサー・アレクサンダーの、「ベイビー・イッツ・ユー」がシレルズの、どっちもコンテンポラリーなポップ・ヒットだけど、両者ともアメリカン・ブラック・ミュージックの歌手たちだ。1960年代初期のアメリカ大衆音楽というと、リズム&ブルーズの流行からロックが誕生し、その最初の大隆盛期を終えて落ち着いて、黒人音楽界だとモータウンなどまた違ったポップさを持つ音楽が生まれはじめていたころだ。

 

 

その時期には、黒人白人問わず、ポピュラー・ミュージックにおけるラテン・ビートの痕跡は、ばあいによっては抜きがたいどころかますます強調されるようになっていたのかもしれない。プロフェッサー・ロングヘアなどニュー・オーリンズ(出身)の音楽家もリズム&ブルーズ界で活躍していた時期だ。はたまた、ラテン・アクセントが表面上は薄められていたばあいもあったのかもしれないなあ。

 

 

「ベイビー・イッツ・ユー」の作曲者はバート・バカラック。ティン・パン・アリーの流れを汲むブリル・ビルディングのソングライターだ。あっ、『プリーズ・プリーズ・ミー』にはジェリー・ゴフィン&キャロル・キングのコンビもいるなあ。4曲目「チェインズ」。これは特にラテン・ビートとは関係なさそうだけど。

 

 

ともかく、1950年代半ば〜後半のロックンロール・クレイズが冷めてこそのブリル・ビルディング産音楽の流行だったのだ。しかし、ロックのなかにあるラテン・アクセント(はもともとリズム&ブルーズの、さらにさかのぼってジャンプ・ミュージックの、さらに言えば古典ジャズのなかにあるカリブ要素の継承だ)は、表面上はやわらかくまろやかに薄められたとはいえ、ポップ・ソングを書く職業ソングライターたちのペンのなかにだって、やはり忍び込んでいたのだ。

 

 

レコード・デビューの直前直後あたりのビートルズには、アメリカン・ソングのカヴァーが多いよね。四人もそんな曲群のなかに混じっているラテン・シンコペイションを、意識してかせずか、もちろん嗅ぎとっていたはずだろう。それはちょうどリヴァプールという、奴隷貿易で栄えた港町の歴史を、あたかも DNA 的に背負い込んでいたかのようじゃないか。

 

 

5「ボーイズ」もシレルズの曲だけど、これ、リズム・パターンが曲「ルシール」なんかでも典型的に用いられている例のやつだよね。ブルーズ〜ロックンロールで聴けるごくごくあたりまえなものだけど、そんなビートの跳ねかた aka シンコペイションをビートルズもそのまま表現している。

 

 

6「アスク・ミー・ワイ」もラテン・ビートが確実にある。リズム・ギターがシングル・ノートで弾くのとそれに合わせたベースの合奏リフが跳ねている。ストップ・タイムをうまく使っているのと軌を一にしているじゃないか。

 

 

7「プリーズ・プリーズ・ミー」にも、かなり薄いけれど、特に「カモン、カモン!」と反復する部分などにラテンなビートの跳ねかたの痕跡があるし、9「P.S. アイ・ラヴ・ユー」は、次のアルバムにあるラテンなポップ・カヴァー「ティル・ゼワ・ワズ・ユー」の予兆のように聴こえるリズムだ。特に和音で弾くリズム・ギター。

 

 

ジョージの「ドゥー・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ザ・シークレット」とか、ただ砂糖をまぶしただけの取るに足らないラヴ・ソングだと思われていそうだけど、主旋律が出てからの毎Aメロ終わりで「say the words you long to hear」と歌うところの「ヒア」部分で、リズムをまくしたてるように重ねるあたり、ラテン・シンコペイションを、ぼくだったら薄くだけど感じる。

 

 

アルバム中最も有名な歌になって、ビートルズの書いたオリジナル・ソングだとすら思われているらしいラスト14曲目「トゥイスト・アンド・シャウト」は、そもそもトップ・ノーツのオリジナルからしてほんのり薄いラテン・テイストがあったじゃないか。ってか、ツイストというダンスにラテンなノリがあるよね。ビートルズが直接下敷きにしたアイズリー・ブラザーズのヴァージョンともなれば、まごうかたなきラテン R&B だ。

 

 

 

2018/10/06

ボサ・ノーヴァまで射程に入れる職業作曲家ノエール・ローザの時代の転換

 

 

オフィス・サンビーニャ盤のノエール・ローザ二枚。先週の『ヴィラの詩人』同様、上のリンクは今2018年に再発された商品だけど、記事本文は、ずっと聴いてきて手もとにある1999年盤に沿って書く。つい二、三日前に2018年盤二枚も届いたんだけど、やはり違いが大きく、まだ聴き込んでいないのでなにも言えない。収録曲や曲順なども違いますが、適宜読み替えてご容赦ください。

 

 

『ヴィラの詩人』と同じ1999年にその続編のような感じでリリースされた『ノエール・ローザの時代』(No Tempo De Noel Rosa)には、ノエールの自作自演もあるけれど、基本、職業作曲家として他の本格歌手に提供し歌われたものを収録し、ノエールのソングライターとしてのスケールの大きさ、重要性を示そうというのが眼目のアルバムだろう。

 

 

1932年ごろまでは自作自演録音の多かったノエールだけど、33〜34年あたりからそれが減ってほかの歌手に曲を提供する機会がグッと増えたのは、それだけプロ・ソングライターとしてアクティヴになってきていたという証拠だ。『ノエール・ローザの時代』でいちばんたくさん歌っているのはマリオ・レイス、いちばん多く伴奏を務めているのはピシンギーニャの楽団。実際、アルバム11曲目、マリオ・レイス「サンバが終わった時」(Quando O Samba Acabou、1933)らへんから、楽曲の出来がグンとよくなる。その後1935年ごろには女性歌手向けにも曲を書きはじめる。

 

 

このことと関係あるのかないのか、先週の自作自演集のときにも書いたんだけど、ノエール自身が歌うものでも、1935年ごろから伴奏が小規模になってショーロ・バンドがやるようになり、楽曲のスタイルもサンバ・ショーロみたいなショーロっぽいサンバが多くなる。それまでは(ノエールと関係なくとも)ピシンギーニャ楽団など(一般には1932年ごろから)大編成オーケストラがサンバの伴奏をすることが多かったんだけど、ベネジート・ラセルダのコンボなどが多く伴奏するようになる。このあたりはどういうことなのか、時代がモダンで軽めのフットワークを求めていたってことかなあ?

 

 

ただ、ノエールのソングライティングは、サンバ本格時代の前の、なんというかボヘミアン資質の弾き語りみたいなもの、甘めのラヴ・ソングやサンバ哲学などを織り込んだダンサブルなカーニヴァル(っぽい)・サンバ、そののちの小粋なサロンふうサンバ・ショーロと、三つの時代それぞれにフィットできる幅と柔軟性と深さを持っていたということは、間違いなく言えること。

 

 

さらに、アルバム・ラスト24曲目のアラシ・ジ・アルメイダが歌う「三つの笛」(Tres Apitos)はノエール死後の戦後録音(生前の未発表曲、1940年代末ごろ?録音)だけど、サンバ・カンソーンはもちろん、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサ・ノーヴァまで射程に入っているかのような曲だもんなあ。いやあ、いまさらですが、ノエール・ローザ、すごい。

 

 

マリオ・レイスやピシンギーニャや、アラシ・ジ・アルメイダやベネジート・ラセルダがかかわっていないものも含め、アルバム『ノエール・ローザの時代』では、6曲目「さようなら」(Adeus、1932年)、9「また明日」(Ate Amanha、1932)、10「黄色いリボン」(Fita Amarela、1932年) あたりから俄然グンと曲がよくなっている。ポップでダンサブルなサンバで、しかもすわって聴いているだけで楽しい。10曲目はマリオ・レイスとフランシスコ・アルヴィスの二大スター共演。

 

 

11曲目、マリオ・レイスの「サンバが終わった頃」(Quando O Samba Acabou、1933年)となると、たぶんだれが聴いても傑作だと感じることができるであろうような強い魅力を放っている。10「黄色いリボン」からそうだけど、現代感覚もあって、しかもメロディアスで抒情的で、ノエールの弾き語りでしばしば聴けたような凝ったひねりはなく、とても魅力がわかりやすい。大傑作である12「祈りとしてのサンバ」(Feitio De Oracao、1933年)もそうだ。

 

 

先週も書いたが、音楽を含むすぐれた作品はときどきメタ・フィクショナルな特性を帯びるという35年来のぼくの持論が、これら二曲にもあてはまるのはうれしい。アルミランチの歌う13曲目、マリオ・レイスの14曲目「哲学」(Filosofia、1933年)を経て、15曲目「ヴィラの魅惑」(Feitico Da Vila、1934年)がこれまた名曲で、エリゼッチ・カルドーゾも歌った。ダンス感覚を持ちつつも野卑でなく、裏ごししたなめらかな歌謡性をあわせ持っているのがイイ。

 

 

1936年のカーニヴァルで大ヒットしたというアラシ・ジ・アルメイダの17曲目「不幸な噂」(Palpite Infeliz、1935年)を最後に、大編成オーケストラが伴奏のダンス・サンバに取って代わって、上で触れたショーロふうのサンバであるショーロ・サンバ楽曲が並んでいる。ぼくの個人的嗜好だけからしたら、先週の『ヴィラの詩人』のときもそうだったんだけど、こういうサロン・ミュージックっぽいこじゃれたこじんまり(ショーロっぽい)サンバが大好物なのだ。

 

 

19曲目のノエール自身の歌うラスト・レコーディングはそうじゃないが、20曲目以後たくさん並ぶアラシ・ジ・アルメイダの歌うものは完璧なる室内楽としての小粋なサンバ・ショーロ。伴奏も、サウンドを聴けばベネジート・ラセルダのコンボだとわかる。楽しくて、大好きだぁ〜。しかも(アラシではない23曲目も含め)、その歌謡性には夜の音楽のヴェールが降りていて、サンバ・カンソーンの時代を準備している雰囲気があるんだよね。

 

 

そして、上でも触れたアルバム・ラストの24曲目、アラシの歌う「三つの笛」のこのモダンなフィーリング、新傾向は、もはやボサ・ノーヴァを予告していると言ってもさほど大げさじゃない。たんに録音が新しいから解釈も時代に即している、グッとテンポを落とし落ち着いている、ストリングスとギター(ジョゼー・メネージス)+ピアノ(ラダメス・ニャターリ)が伴奏だしというだけでなく、ノエール・ローザのソングライティングが、もとからそんな懐の深さ、現代性を備え持っていたからだと考えたい。

2018/10/05

知られざるカリビアン・マイルズ

 

 

マイルズ・デイヴィスのカリブ〜ラテン・ミュージック志向が鮮明になってくるのは1970年代からということになっていて(それも実はさほど言われないのだから、一度じっくり腰を据えて取り組まないといけないかも)、それ以前の、特にアクースティック・ジャズをやっていた、かの黄金のクインテット時代やその直後あたりの録音にあるカリビアン(&ラテン〜アフリカン)・マイルズのことにはほぼどなたも言及なさらない。しかし、たしかにそんな音楽要素があるんだ。

 

 

そして五人だけじゃなく、ギタリストをくわえたり鍵盤奏者を複数にして人員を拡充したり、ハービー・ハンコックに電気鍵盤楽器を弾かせたり、メンバーを変更したりするようになるその移行期が、マイルズ・ミュージック変遷のありようを考える際、本当はあんがい最も重要なことになる。しかもそこにかなり鮮明なカリビアン・マイルズがあるんだよ。二曲ね。でも、ここ、強調してある文章はいまだ一個も見たことないから、今日ぼくが書く。

音源が長年お蔵入りしていたせいで見過ごされてきただけじゃないかな。

 

 

二曲とは「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」のこと。前者は1967年12月、後者は68年1月の録音。この二つは、その前と後ろのマイルズ・ミュージックをつなぎ、電化&ファンク化していく音楽性の変化をスムースにつなぐ役目をする、かなりな重要曲で、しかもそれらじたいが聴いて楽しいのに、1981年までリリースされなかった。聴けば、当時発表のアルバムのどれにも入りそうにないユニークさだから、理解できないわけでもないのだが。

 

 

「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲が日の目を見たのは、1981年のボス本格復帰直前の2月にリリースされた未発表作品集『ディレクションズ』でのこと。LP 二枚組だった。ところで今日の話題から外れるので展げないが、このレコードは、マイルズの音楽史において最大の意味を持っていたとさえいえる重要曲「ディレクションズ」の初お目見えでもあったんだよねえ。う〜ん…。

 

 

曲「ディレクションズ」とアルバム『ディレクションズ』のことはまたじっくり再考してみるとして…、といってもいままで散々書いてはきているがまとめていないので、一つの文章に整理するだけでも意味はありそうだからそのうちやるとして、今日は1981年発売のその未発表集アルバムが初出だった「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の話。

 

 

この二曲は、ハービー・ハンコックがボスの指示で電気鍵盤楽器を弾いた最も早い時期のセッションで誕生したもの。さらにどっちにもエレキ・ギター奏者が参加(前者1967年にはジョー・ベック、後者68年にはバッキー・ピザレリ)。この二点以外はかの黄金のクインテットと同じ編成と楽器だが、曲創りの根幹が変化していることがかなり大切なことだ。

 

 

以前もベース・ヴァンプという言葉を使ったことがあるが、ちょうどこの1967年末あたりからマイルズは、曲の主旋律のカウンターポイントみたいなものとして、あるいは曲中ずっと、あらかじめ作曲しておいたベース・ラインを置くようになり、しかもそのラインをウッド・ベースとギターと電気鍵盤楽器で重ねるように同時演奏させていたりもする。その背後のトニー・ウィリアムズはスネアのリム・ショットとシンバルを中心に8/8拍子を刻む。「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の両方にあてはまることだ。

 

 

インプロヴィゼイションはトーナル・センターというかピヴォットのようなものだけを意識して展開されているが、じゃあ抽象化へ向かっているかというとその逆で、ポップな明快さを獲得しつつある。カリブ〜ラテン風味なリズム&ブルーズ/ソウル/ファンク・ミュージックへ接近しているよね。特にリズムがファンキーでタイトな8ビートのせいで、1967/68年当時の時代の音になりつつあると思うけれど、この二曲「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」は発売されなかったから、当時のレコード・オーディエンスの耳に届いていないし、ライヴでもやらなかった。

 

 

しかも発表されたのが1981年2月だったもんで、そのころのマイルズは1970年代のあんな音楽を演奏・披露済みの音楽家だったわけだから、「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」みたいなものはもはや時代にアピールする力をかなり弱めていたんだと思うんだよね。リアルタイムで発売しにくかった曲調だとはいえ、たとえば『マイルズ・イン・ザ・スカイ』『キリマンジャロの娘』、そしてなんたってマイルズの全カタログ中最重要と断言してもいい『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』で用いられる根幹の手法が、1967/68年のこの二曲にはあって、しかもその初の二例なんだけどね。

 

 

さらにさ、二曲とも濃厚なカリビアン・スパイスがまぶしてあるよね。カリブ〜中南米を経由してアフリカ大陸まで俯瞰できそうな音楽じゃないか。あくまで醒めたクールネスがあるのがいかにもマイルズらしいところで、そこはラテン音楽っぽくないかもだけど、アフリカ音楽にはそういうクールなの、たくさんある。それ以上に、「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲は、なんたって楽しい。文句なしにおもしろい。ぼく的には三点 〜 カリビアン要素、重ねてあるベース・ヴァンプの反復、8ビート・リズムがね。

 

 

こんなにカリブ音楽の香りが直截的にするのはこれ以前も以後もマイルズのなかにあまりないが、リズム・スタイル、複数楽器で重ねたベース・ヴァンプを曲構造の土台に置いてすべてを構成すること、和声的にはトーナル・センター・システムを使いほぼフリー、そしてこれらを採用してなおかつボスの強い主導下で曲創りと演奏が展開したこと 〜〜 これらはその後のマイルズ・ミュージックの根本手法となって揺るがないようになった。初採用が「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲だったんだよ。

 

 

それより前の録音品でその兆候を、と探すと、『ソーサラー』にある「マスクァレロ」「プリンス・オヴ・ダークネス」、『ネフェルティティ』の「ライオット」が、変形された8ビート・ラテンのリズムを持っていたなあということになる。曲創りと演奏の手法はまだまだ従来的だけど、三人のリズム隊が演奏するパターンには新潮流が見える。トニーのことが強調されがちだけど、ハービーの叩くブロック・コード・リフにも注目したい。ちょっぴり「ウォーターメロン・マン」(やリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」)的ブーガルー・ピアノ・リフのニュアンスがあるからだ。 #BlueNoteBoogaloo

 

 

「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」以後となると、音楽創りがほぼそれら二曲と同様のマナーにのっとったものになっていくので数が多すぎるのだが、無名曲のなかから同様に創造された典型的カリブ〜ラテン(〜アフリカ)路線なマイルズ・チューンだけちょちょっと拾って並べておいた。プレイリスト最後の「スパニッシュ・キー」は有名だが、その前の四曲、特に「スプラッシュ」「スプラッシュダウン」(1968年暮れ録音)は、これまたお蔵入り音源だったので、どなたも言及しない。

 

 

だけどかなりおもしろいよね。曲題からしても同趣向のものだったとわかるけれど、ちょうどこう、言えるかどうかわからないが、マイルズがモータウン・ソング的なポップネスを獲得しつつあるといった趣じゃないだろうか。フェンダー・ローズ奏者が二名いて、左がチック、右がハービー。ハービーの弾くのがファンキーでソウルフルでいいなあ。リズムも明快。ボスもポップなラインを吹いている。

 

 

「スプラッシュ」も「スプラッシュダウン」も(「キリマンジャロの娘」も「フルロン・ブラン」も、さらに言えば、もうすこしだけあとの「ディレクションズ」「イッツ・アバウト・ザット・タイム」なんかも)、曲の組み立ては「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」で初トライした手法でやっているんだよね。

2018/10/04

やってくれ、バニー!

 

 

これまたエピック・イン・ジャズのシリーズ(は全六枚)から一枚、『テイク・イット、バニー!』のことを書こう。バニー・ベリガンが自身のオーケストラを結成する(のがいつか、はっきりしないが、1937年の前半ということになっている)直前の1935〜37年1月にかけてコロンビア系レーベルに録音したなかから12曲を厳選したアンソロジー。これのオープナーが、かの「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」だ。

 

 

といってもバニー自身によるくだんの名演ではない。くだんの名高いのはヴィクター録音(1937年8月7日)で、自己の楽団を率いてのもの。『テイク・イット・バニー』に収録されているのはその前年の録音(36年4月13日)なのだ。でもかなりいいぞ。言うなればファースト・ヴァージョンみたいなものかな。「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」という曲がぼくは大好きなのだ。好きな女性に思いのたけを伝えても相手にされないままの男の話。やるせない感じのバニーのプレイが実にいい。どっちのヴァージョンともトランペット&歌もバニー自身。

 

 

 

 

 

ところでエピック盤アルバム『テイク・イット、バニー!』にはいただけないところがあって、それは5曲目からアルバム・ラストまでの計八曲は、オリジナルの SP 盤にあるチック・ブーロックのヴォーカルを削除してあること。いまではもとどおりのものが聴ける CD アルバムがあるけれどね。 LP レコードに再録する際に、ヒット・ポップ歌手だから…、というのと、バニー・ベリガンらの楽器演奏をフィーチャーして、歌はバニー本人の「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」だけにしたいという、たぶんこの三点が理由でのデリートだったんじゃないかと推測する。残念だ。

 

 

『テイク・イット、バニー!』でもわかるバニー・ベリガンのトランペット演奏の特色とは、丸くまろやかな音色で華麗に吹く、しかも豊かな歌心があってリズム感も抜群、といったところかな。ちょうどルイ・アームストロングとビックス・バイダーバックの双方をお手本として学び、足して二で割って折衷したような感じだ。いやあ、理想的ですね。1942年に33歳の若さで死んじゃったのが悔しい。アルコール依存が最大の原因だったが、リー・ワイリーとの破局も大きなショックだったようだ。

 

 

ともあれバニー・ベリガンは、1930年代後半スウィング・ジャズ黄金時代の、まさにミスター・トランペットみたいな存在だったんだよ。エピック盤『テイク・イット、バニー!』収録曲のなかで、1曲目の「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」を除くと、いちばん好みなのは5〜7曲目の1936年2月24日セッションのもの。八人編成のバンド。

 

 

その次が、1、8、9曲目の1936年4月13日セッションで、これはエディ・コンドン、アーティ・ショウ、ジャック・ティーガーデンを含む九人編成。ふつうはここが聴くひとみんなにとってのクライマックスだろう。異議はないし、ぼくも好きなオール・スター・バンドだ。『テイク・イット、バニー!』は、基本、一個のセッションでの録音は連続収録されているが、1「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」だけ外してトップに持ってきているってわけ。

 

 

だからやっぱりそのハート・ブレイキングな失恋歌のヴォーカルとトランペットに注目してほしいってことなんだね。ヴィクター盤があんな有名になったもんだから、 LP 化する際にもやはりこれを目玉に、という会社コロンビア側の目論見をはっきりと感じる。そんで、ここではっきり言いますが、個人的にはこの「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」、ぼくはあまりにも高名なヴィクター録音より、このヴォキャリオン録音のほうが好きなのだ。甘みより苦みがまさっているせいかなあ。

 

 

1936年ヴォキャリオン・ヴァージョンの「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」では、歌と次のテナー・サックス・ソロが終わってのトランペット・ソロ・パートに特に注目したい。ストップ・タイムを繰り返しながらグイグイと音域を上げていくように反復しながら吹くこのスタイルこそ、ルイ・アームストロング直系なのだ。特に1920年代後半〜30年代前半ごろのサッチモのオーケー録音をバニーは間違いなく強く意識し範としている。そういえば前半部の歌のなかにも、サッチモ・スタイルでスキャットが織り交ぜられているじゃないか。ふつうに歌ってのフレーズ終わりでダバダバとやるっていうやつ。

 

 

そんなバニーのトランペットは、発音がハキハキしてい歯切れよく明瞭で、いわば滑舌のいいおしゃべりを聴いているようで、気持ちいいんだよね。2曲目以後もそれはまったく同じ。ものによってはスウィングというよりシカゴ派のディキシーランド・ジャズに近い演奏もある(2、3)。しかし4曲目は3曲目と同じ日(1937.1.22) のセッションなのに完全なスウィング・スタイルなのもおもしろい。4はコール・ポーターの有名曲「レッツ・ドゥー・イット」だ。トランペット・ソロの内容もいい。

 

 

 

5曲目以後は、書いたようにヴォーカル削除ヴァージョンで、しかしネットで音源を探すと、チック・ブーロックの歌がある SP オリジナルどおりのものと、それを抜いた『テイク・イット、バニー!』ヴァージョンとの両方がアップされているみたいだから、どんな感じか、一個だけちょっとご紹介しておこう。たとえばアルバム5曲目の「イッツ・ビン・ソー・ロング」。この曲でのクラリネット(ジョー・マーサラ)のサウンドとフレイジングも、ぼくは本当に大好きなんですよ、こういうの。わかっていただけますかね?

 

 

 

 

 

6曲目の「アイド・ラザー・リード・ア・バンド」以後も、すっかりスウィング黄金時代の<あの>サウンドができあがっていて、いかにも自分でバンドを率いるべきだというバニーの気持ちはよくわかる。ちょうどバニーもかつて在籍したベニー・グッドマン楽団やグレン・ミラー楽団(『テイク・イット、バニー!』2曲目はグレン・ミラーのバンド)みたいな、あんな感じをコンボ化したものだ。

 

 

ただ、BG 楽団黄金時代にも GM 楽団最盛期にも、こんなバニー・ベリガンみたいに吹ける輝かしいサウンドを持つトランペッターはいなかった。ザ・ブライテスト・オヴ・ブライト・トランペッターズ、それが1930年代後半のバニー・ベリガンだったんだよね。

2018/10/03

アラブのプリンス 〜 あのころのロック

 

 

1) Around The World In A Day(Around The World In A Day)

 

2) The Cross(Sign O' The Times)

 

3) 4 The Tears In Your Eyes(The Hits/The B-Sides)

 

4) Thunder(Diamonds And Pearls)

 

5) 7([Love Symbol])

 

6) Rave Un2 The Joy Fantastic(Rave Un2 The Joy Fantastic)

 

7) The Greatest Romance Ever Sold(Rave Un2 The Joy Fantastic)

 

8) Glam Slam(Lovesexy)

 

9) Anna Stesia(Lovesexy)

 

10) Lovesexy(Lovesexy)

 

11) Positivity(Lovesexy)

 

 

今日こそはいまいちど言わせてほしい。プリンスの『ラヴセクシー』、一曲づつトラックが切れたのを発売してほしいぞ。ワーナーがそれを持っているのは、何種類かのベスト盤に単独で収録されているのが数曲あることからわかっている。こだわりにこだわった本人も、そろそろ許してくれるんじゃないだろうか。『ラヴセクシー』のトラックを切ってほしいというのは、個人的には自分で勝手にオーディオ・エディターを使ってやっているから困らないのだが、ネットでシェアするのが目的のプレイリストにできないじゃないか。

 

 

それなもんだから、今日のこのプレイリスト、『ラヴセクシー』からは一曲単位で抜き出せないのでしかたなくアルバムをそのまま丸ごと置くしかなかった。このアルバムにアラブ/インドなプリンスがいちばんたくさん入っているから、もしお時間とお気持ちのあるかたは、ちょっと覗いてみてください。ほかのものは一曲単位でピック・アップして並べた。

 

 

この Spotify プレイリストでは、だから1時間17分と表示されるけれど『ラヴセクシー』が丸ごとぜんぶ入っているからで、曲を切っているから抜き出せる自前の iTunes では計56分程度。アラブ〜インド音楽ふうなプリンス楽曲を探して抜き出して、聴いて楽しいような曲順で並べたもの。旋律展開がアラブふうというものだけでなく、シタールやタブラなどインド楽器を使ってあるだけのふつうのロック/ポップス・ナンバーも選んでおいた。

 

 

それはある意味、1978年レコード・デビューのプリンスがやる<あのころの>ロック/ポップスという意味合いも持っている。説明不要だが、1960年代後半〜70年代初期のロック(など)・ミュージックのなかには、アラブ/インド要素、特にタブラとシタールを混ぜ込むのがごくごくあたりまえなことだった。どんなアルバムにも最低一曲はあったというような感じだよね。

 

 

世代的に見て、プリンスもちょうどそのあたりのロック/ポップス/ジャズなどのレコードに親しんで思春期を過ごし、それが音楽家としての自己を形成する際の大きな素地となっていたに違いない。メインストリームなアメリカ大衆音楽のなかからはその後消えてしまったが、プリンスの音楽のなかには溶け込んでいて、ときおりひょっこり顔を出しているってわけ。

 

 

今日のこのプレイリスト、探し漏れはもちろんあるだろう。自分でもすでにいくつか気づいているが、もうこれで充分だ。あるいはこの曲を入れるのはちょっと…、というセレクションだってあるかも。そこはぼくなりのアラブ/インドなプリンスというプライヴェイトな楽しみなので、みなさんにご納得いただける客観性はもとから目指していない。

 

 

1曲目「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」が無国籍なエキゾティック・プリンスだっていうのは、しかしある程度多くのかたにアピールできるわかりやすさじゃないかな。言い換えればサイケデリック・ミュージックということで、アルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』が精神旅行をテーマとしていたのを象徴している。

 

 

2「ザ・クロス」はキリスト教への言及。曲もゴスペルっぽいニュアンスがある。そしてイエス・キリストは、いまでいう中近東地域の人間だ。キリスト教というとヨーロッパ(と、その諸国が植民地支配した地域)のイメージがあるかもしれないが、もとからユダヤ/アラブ世界と密接なつながりがある。プリンスはそこを踏まえて曲創りをしたかのようだよね。そんな一曲。

 

 

3曲目「4 ザ・ティアーズ・イン・イン・ユア・アイズ」も似たような曲想だからいいとして、4「サンダー」、5「7」あたりは、ちょっと個人的妄想が過ぎるかもしれない。たしかにシタールなど入っているが、まあふつうのアメリカ音楽だよなあ。でも使用楽器のもたらす響きのおかげで、やや国外に出ているようなニュアンスも付いていると勝手に思っている。

 

 

ぼくはまだそんなに熱心には聴きこんでいないアルバム『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』から持ってきた6、7曲目には間違いないアラブ音楽香味がある。隠し味的に中近東要素が忍び込んでいるのは間違いないと思うんだよね。特に恋愛名曲「ザ・グレイテスト・ロマンス・エヴァー・ソールド」のほう。もちろん音楽家本人はしっかり計量して加えている。

 

 

その次の8〜11曲目『ラヴセクシー』からのセレクションが、今日のハイライトのつもり。以前も書いたが、アラブのミューズを呼び寄せまじわりたいというのがテーマのようになっているアルバムで(というのがぼくの見方)、それがプリンスの持つファンクネス、ポップさ、ロッカー要素などとあわさって渾然一体となっている大傑作だ。

 

 

選んだ四曲のなかでも、宗教儀式みたいな「アナ・ステシア」はことさらアラブのミューズ(との音楽家の関係)ということをはっきりと表現したものだし、またアルバムのラスト・ナンバーだから今日のプレイリストのクロージングでもある「ポジティヴィティ」なんか、なんだこりゃ〜、すごいなあ、まるで完璧なアラブ・ポップスじゃないか。クネクネうねりまくる旋律が幻惑的で、すばらしく妖しい魅力を放っている。

2018/10/02

思うようにはならないものだ

 

 

という意味の原題(You Can't Always Get What You Want)を持つローリング・ストーンズの「無情の世界」(これも気に入らない邦題だけど、原題が長いのでやむなく使う)。ビートルズ「ヘイ・ジュード」への返歌なのかも。シングル発売されたりアルバム『レット・イット・ブリード』に収録されているオリジナルはそうじゃないが、ライヴでは常にギター・ソロのショウケースとなってきた。それが本当に大好きだ。だから、オリジナルのスタジオ録音ヴァージョンは、個人的にイマイチ。ギター・ソロを聴きたい。というかいつもそれしか聴いていない。

 

 

ほかにも持っていて漏れがあるんだけど、ぼくの持つストーンズの「無情の世界」を、スタジオ・オリジナルを含め録音順に並べたプレイリストが以下。収録アルバムと収録年月、場所を書いておく。長年、この曲のストーンズ公式ライヴ・ヴァージョンは、『ラヴ・ユー・ライヴ』のものしかなかったはずだけど(その次が『フラッシュポイント』のかな)、いまでは充実してきている。Spotify で見つけられないものは、YouTube リンクを書いておいた。

 

 

1) Let It Bleed(1968,10)

 

2) Ladies & Gentlemen(1972.6, Texas, USA)

 

3) The Brussels Affair(1973.10, Europe)

 

 

4) L.A. Friday(1975.7. Ca. USA)

 

 

5) Love You Live(1976.6, Paris, France)

 

6) Hampton Coliseum, Live, 1981(1981.12, Virginia, USA)

 

 

7) Live At Leeds Roundhay Park 1982(1982.7, Leeds, UK)

 

 

8) Flashpoint (1989.11, Florida, USA)

 

 

書いたようにスタジオ・オリジナルをあまり聴かないのでライヴ・ヴァージョンに話をしぼると、ソロを弾くミック・テイラー時代、ロニー・ウッズ時代と、ほぼいつもずっと演奏され続けてきている。ストーンズではロニー時代がいちばん長いということに結局なったので、その数はかなり多い。公式発売ヴァージョンと限定しなければ、無数にあるはずだ。

 

 

ロニーがソロを弾くストーンズ公式の「無情の世界」は、ぼくもさらにたくさん持っていて、上のプレイリストにぜんぶは選ばなかった。数が多いのと、同じような時期のライヴ収録だと内容もかなり似通っていて差がないんだ。ぜんぶは必要ない。それでも1975年のと76年のは両方入れた。そうするべきだと思ったから。

 

 

じゃあロニー時代の「無情の世界」(のギター・ソロの話しかしないが)のことから書こうかな。やはり1975年、76年のものが頭抜けてすばらしい。76年のパリ・ライヴから短く編集されて『ラヴ・ユー・ライヴ』に収録されているものが、ロニーといわずミック・テイラーといわず、最もおなじみのものだ。かなりいいよね。『ラヴ・ユー・ライヴ』の「無情の世界」におけるロニーのソロがいいというのは、定評みたいになっている。

 

 

『L.A.フライデイ』(は、ストーンズ公式ダウンロード音源しかぼくは持っていない)になっている1975年のツアーのときも『ラヴ・ユー・ライヴ』と同じくキーボードでビリー・プレストンが参加していて、「無情の世界」でもシンセサイザーでビヒャ〜とまるでストリングス・セクションに似せたような幕をたてこめるのがいい雰囲気。スタジオ・オリジナルの(特に少年合唱隊の)雰囲気をちょっぴり再現している。フレンチ・ホルン(アル・クーパー)のサウンドは、現在までライヴによって似せたりまったくなかったり。

 

 

1975、76年のツアーというと、ロニーはまだバンドに参加して日が浅かった(というか75年のときはまだ正規メンバーじゃなかったんだっけ?)せいか、認めてもらおうとしてのことかどうなのか、どんな曲でもかなり気持ちを入れてがんばってソロを弾いている。相当弾きまくっているというに近い。その代表作が「無情の世界」だ。

 

 

1975年のでも76年のでも(これ、ソロ内容はやはりほぼ同じだなあ)、ソロの途中で短く細かいフレーズを反復しながらグイグイ盛り上げるあたりの構成は、立派なブラック・ミュージック・マナーだ。<ちゃんとした>ソロ展開を、という一部のリスナーさんたちは、こういうの軽蔑なさいますが、「アフター・アワーズ」や「フライング・ホーム」など1940年代のジャンプ・ミュージック以来の伝統であります。一般大衆の気持ちの盛り上がりをバカにしないでください。

 

 

そんな立派なソロを聴かせてくれていたロニーなんだけど、「無情の世界」でのソロも、1981年や82年のツアーから以後は、ペース・ダウンしてしまう。はっきり言いますが、おもしろみが消えた。バンドの定常番頭となれて安心してしまったということなのか?あるいは別な理由なのか(腕が落ちたとは思わない)、曲じたいはいつどこで演奏しても差が生まれえないものだからソロで聴かせてきたんだと思うのに、これじゃあなぁ〜。あぁだらしない。あのころのロニー、カム・バック!

 

 

1975、76年ツアー時の「無情の世界」におけるソロがあんなに美味しい感じになっているのは、その時点で公式には未発売でも、バンドで正式録音したライヴ・テープ、すなわちミック・テイラーが弾きまくる1972、73年ツアーのテープを、ロニーも聴かせてもらっていたからなんじゃないかとぼくは推測している。そうか、ここまでやるんだ、こうじゃないとストーンズでソロを弾いたということにはならないんだと、そう思って気持ちを引き締めたんじゃないかなあ。

 

 

ロニーがそうまで思うほどすごいミック・テイラーがソロを弾く「無情の世界」。1972年ライヴの『レイディーズ・アンド・ジェントルメン』、73年の『ザ・ブリュッセル・アフェア』と、公式発売は二種類だけど、どっちも最高だよ。ぼくとしては73年ヴァージョンに軍配をあげたい。好きで好きでたまらないんだ。あのミック・テイラーのソロがさ。音色も、よりまろかやでコクがある。フレジング展開は、やはり72年も73年も似てはいるが。

 

 

「無情の世界」という曲は、歌詞内容や曲題に反するかのように、曲想は爽やかで荘厳で気高い雰囲気を強く漂わせているものだけど、バンド全員の演唱もそうならギター・ソロ内容だってそれを具現化している。ロニー・ヴァージョンも出来のいいものはそうだけど、ミック・テイラーのソロのほうがそんな調子をより鮮明に表現できている。

 

 

特に『ザ・ブリュッセル・アフェア』(も、ストーンズ公式配信のものでしか聴いていない)での「無情の世界」におけるソロには舌を巻くしかない。録音状態がいいのでギターの音色もよくわかる。ミック・ジャガーが歌い終えるやいなやワン・ノート二音で入ってすぐに細かいフレイジングで展開する出だしで、もう心奪われてしまう。その後も鳥肌もののソロ展開。

 

 

個人的に残念なのは、ソロ後半からテナー・サックス(トレヴァー・ローレンス)に交代してしまうこと。10年近く?前、公式サイトから『ザ・ブリュッセル・アフェア』をダウンロードして最初に聴いていて、「無情の世界」のギター・ソロに、なんて立派なんだ!と感激しながら聴き惚れていたらサックス・ソロにスイッチしてしまって、とっても残念な気分だった。

 

 

できれば最後までミック・テイラーで行ってほしかったなぁ。

2018/10/01

TOP band of horn funk

 

 

アメリカン・ブラック・ミュージックのファンでタワー・オヴ・パワーが嫌いだというひとを想像することができない。いるにはいるんだろうけれども。16ビートの刻みがチョ〜気持ちいいよね。1970年にデビューし、2018年現在でも現役活動中。1999年にライノが編んだ CD 二枚組のワーナー盤アンソロジー『ワット・イズ・ヒップ?:ザ・タワー・オヴ・パワー・アンソロジー』が出て以後は、ふだんはこれで愛聴している。

 

 

このアンソロジーは、デビューから1999年の『ソウル・ヴァシネイション:タワー・オヴ・パワー・ライヴ!』までからのピック・アップ・セレクションで、全35曲。これでこのバンドのだいたいの美味しいところはほぼ聴けるんじゃないだろうか。

 

 

タワー・オヴ・パワーでも、もちろんふつうに聴いていてのソウルフルなメロウ・バラードやミドル・テンポのだって続けて流れてくればいい緩急になって気分いいんだけど、個人的にこのバンドの持ち味は16ビートのアップ・テンポ・グルーヴァーにあると思っている。だからアンソロジー『ワット・イズ・ヒップ?』からそんなものだけ抜き出すと、といっても数がやはり多いので厳選すると、たとえばこんな感じになる。

 

 

・You Got To Funkefize (1972)

 

・What Is Hip? (1973)

 

・Soul Vaccination (1973)

 

・Can't You See (You Doin' Me Wrong) (1974)

 

・Squib Cakes (1974)

 

・Oakland Stroke (1974)

 

・Only So Much Oil In The Ground (1975)

 

・Just Enough And Too Much (1975)

 

・Stroke '75 (1975)

 

・A Little Knowledge (Is A Dangerous Thing) (1991)

 

・Soul With A Capital "S" (1993)

 

・Souled Out (1995)

 

・So I Got To Groove (1997)

 

 

このとおりにプレイリストを作成したリンクが上のもの。1975年の次が1991年とあいだが空いているのはみなさんご存知の事情によるもの。90年代以後はすっかり名声を確立し、タワー・オヴ・パワーもリスペクトの対象となり、また1970年代半ば以後ハード・ファンク度を増していたこのバンドは安定感を増した。

 

 

上記セレクションから、さらに好物中の大好物と、もう聴いていたらサブイボ立つほどの快感だと身震いするのが、「ワット・イズ・ヒップ?」「ソウル・ヴァシネイション」「スクウィブ・ケイクス」「ソウル・ウィズ・ア・キャピタル "S"」の四曲だ。いやあ、カッコイイですねえ。たまら〜ん。

 

 

タワー・オヴ・パワーもまたフュージョン・バンドみたいな側面もあって、どこがかというと、基本、歌手の伴奏バンドなのだ。インストルメンタル・ナンバーもあるけれど、バンド自前の、あるいはほかの、歌手のバックにまわってこそ、そのグルーヴの真価を発揮する。

 

 

そんなことが、たとえば悶絶死寸前のノリのよさを持つ「ワット・イズ・ヒップ?」や「ソウル・ウィズ・ア・キャピタル "S"」なんかでも実感していただけると思う。そしてやはりフュージョン・バンド同様に、歌のあいまに入る楽器ソロが長く、聴かせどころでもある。さらに歌と楽器ソロとどっちの背後でも、ホーンとリズム・セクションの演奏が超絶的にすんばらしい。特に短めのフレーズをスタッカート気味に反復するホーンズのカッコよさこそ、やはりタワー・オヴ・パワーならではの持ち味。

 

 

上記セレクション唯一のインストルメンタル・ナンバーである「スクウィブ・ケイク」。やはりなんだかんだ言って楽器演奏音楽に違いないジャズ・ミュージックの愛好家だからなのか、この一曲を聴くとても気持ちいいぼく。でもこの曲、(ジャズふうな)楽器ソロと呼べるものが続くものの、やはりその背後での伴奏こそが聴きものだよね。もちろんソロもいいんだけどさ、グルーヴこそが命。タワー・オヴ・パワーのばあいは、それを特にベーシスト、ドラマー、ホーン隊が生み出している。

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