知られざるカリビアン・マイルズ
マイルズ・デイヴィスのカリブ〜ラテン・ミュージック志向が鮮明になってくるのは1970年代からということになっていて(それも実はさほど言われないのだから、一度じっくり腰を据えて取り組まないといけないかも)、それ以前の、特にアクースティック・ジャズをやっていた、かの黄金のクインテット時代やその直後あたりの録音にあるカリビアン(&ラテン〜アフリカン)・マイルズのことにはほぼどなたも言及なさらない。しかし、たしかにそんな音楽要素があるんだ。
そして五人だけじゃなく、ギタリストをくわえたり鍵盤奏者を複数にして人員を拡充したり、ハービー・ハンコックに電気鍵盤楽器を弾かせたり、メンバーを変更したりするようになるその移行期が、マイルズ・ミュージック変遷のありようを考える際、本当はあんがい最も重要なことになる。しかもそこにかなり鮮明なカリビアン・マイルズがあるんだよ。二曲ね。でも、ここ、強調してある文章はいまだ一個も見たことないから、今日ぼくが書く。
音源が長年お蔵入りしていたせいで見過ごされてきただけじゃないかな。
音源が長年お蔵入りしていたせいで見過ごされてきただけじゃないかな。
二曲とは「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」のこと。前者は1967年12月、後者は68年1月の録音。この二つは、その前と後ろのマイルズ・ミュージックをつなぎ、電化&ファンク化していく音楽性の変化をスムースにつなぐ役目をする、かなりな重要曲で、しかもそれらじたいが聴いて楽しいのに、1981年までリリースされなかった。聴けば、当時発表のアルバムのどれにも入りそうにないユニークさだから、理解できないわけでもないのだが。
「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲が日の目を見たのは、1981年のボス本格復帰直前の2月にリリースされた未発表作品集『ディレクションズ』でのこと。LP 二枚組だった。ところで今日の話題から外れるので展げないが、このレコードは、マイルズの音楽史において最大の意味を持っていたとさえいえる重要曲「ディレクションズ」の初お目見えでもあったんだよねえ。う〜ん…。
曲「ディレクションズ」とアルバム『ディレクションズ』のことはまたじっくり再考してみるとして…、といってもいままで散々書いてはきているがまとめていないので、一つの文章に整理するだけでも意味はありそうだからそのうちやるとして、今日は1981年発売のその未発表集アルバムが初出だった「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の話。
この二曲は、ハービー・ハンコックがボスの指示で電気鍵盤楽器を弾いた最も早い時期のセッションで誕生したもの。さらにどっちにもエレキ・ギター奏者が参加(前者1967年にはジョー・ベック、後者68年にはバッキー・ピザレリ)。この二点以外はかの黄金のクインテットと同じ編成と楽器だが、曲創りの根幹が変化していることがかなり大切なことだ。
以前もベース・ヴァンプという言葉を使ったことがあるが、ちょうどこの1967年末あたりからマイルズは、曲の主旋律のカウンターポイントみたいなものとして、あるいは曲中ずっと、あらかじめ作曲しておいたベース・ラインを置くようになり、しかもそのラインをウッド・ベースとギターと電気鍵盤楽器で重ねるように同時演奏させていたりもする。その背後のトニー・ウィリアムズはスネアのリム・ショットとシンバルを中心に8/8拍子を刻む。「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の両方にあてはまることだ。
インプロヴィゼイションはトーナル・センターというかピヴォットのようなものだけを意識して展開されているが、じゃあ抽象化へ向かっているかというとその逆で、ポップな明快さを獲得しつつある。カリブ〜ラテン風味なリズム&ブルーズ/ソウル/ファンク・ミュージックへ接近しているよね。特にリズムがファンキーでタイトな8ビートのせいで、1967/68年当時の時代の音になりつつあると思うけれど、この二曲「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」は発売されなかったから、当時のレコード・オーディエンスの耳に届いていないし、ライヴでもやらなかった。
しかも発表されたのが1981年2月だったもんで、そのころのマイルズは1970年代のあんな音楽を演奏・披露済みの音楽家だったわけだから、「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」みたいなものはもはや時代にアピールする力をかなり弱めていたんだと思うんだよね。リアルタイムで発売しにくかった曲調だとはいえ、たとえば『マイルズ・イン・ザ・スカイ』『キリマンジャロの娘』、そしてなんたってマイルズの全カタログ中最重要と断言してもいい『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』で用いられる根幹の手法が、1967/68年のこの二曲にはあって、しかもその初の二例なんだけどね。
さらにさ、二曲とも濃厚なカリビアン・スパイスがまぶしてあるよね。カリブ〜中南米を経由してアフリカ大陸まで俯瞰できそうな音楽じゃないか。あくまで醒めたクールネスがあるのがいかにもマイルズらしいところで、そこはラテン音楽っぽくないかもだけど、アフリカ音楽にはそういうクールなの、たくさんある。それ以上に、「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲は、なんたって楽しい。文句なしにおもしろい。ぼく的には三点 〜 カリビアン要素、重ねてあるベース・ヴァンプの反復、8ビート・リズムがね。
こんなにカリブ音楽の香りが直截的にするのはこれ以前も以後もマイルズのなかにあまりないが、リズム・スタイル、複数楽器で重ねたベース・ヴァンプを曲構造の土台に置いてすべてを構成すること、和声的にはトーナル・センター・システムを使いほぼフリー、そしてこれらを採用してなおかつボスの強い主導下で曲創りと演奏が展開したこと 〜〜 これらはその後のマイルズ・ミュージックの根本手法となって揺るがないようになった。初採用が「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲だったんだよ。
それより前の録音品でその兆候を、と探すと、『ソーサラー』にある「マスクァレロ」「プリンス・オヴ・ダークネス」、『ネフェルティティ』の「ライオット」が、変形された8ビート・ラテンのリズムを持っていたなあということになる。曲創りと演奏の手法はまだまだ従来的だけど、三人のリズム隊が演奏するパターンには新潮流が見える。トニーのことが強調されがちだけど、ハービーの叩くブロック・コード・リフにも注目したい。ちょっぴり「ウォーターメロン・マン」(やリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」)的ブーガルー・ピアノ・リフのニュアンスがあるからだ。 #BlueNoteBoogaloo
「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」以後となると、音楽創りがほぼそれら二曲と同様のマナーにのっとったものになっていくので数が多すぎるのだが、無名曲のなかから同様に創造された典型的カリブ〜ラテン(〜アフリカ)路線なマイルズ・チューンだけちょちょっと拾って並べておいた。プレイリスト最後の「スパニッシュ・キー」は有名だが、その前の四曲、特に「スプラッシュ」「スプラッシュダウン」(1968年暮れ録音)は、これまたお蔵入り音源だったので、どなたも言及しない。
だけどかなりおもしろいよね。曲題からしても同趣向のものだったとわかるけれど、ちょうどこう、言えるかどうかわからないが、マイルズがモータウン・ソング的なポップネスを獲得しつつあるといった趣じゃないだろうか。フェンダー・ローズ奏者が二名いて、左がチック、右がハービー。ハービーの弾くのがファンキーでソウルフルでいいなあ。リズムも明快。ボスもポップなラインを吹いている。
「スプラッシュ」も「スプラッシュダウン」も(「キリマンジャロの娘」も「フルロン・ブラン」も、さらに言えば、もうすこしだけあとの「ディレクションズ」「イッツ・アバウト・ザット・タイム」なんかも)、曲の組み立ては「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」で初トライした手法でやっているんだよね。
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