ナット・キング・コール、トリオ時代の歌とピアノ
現在(でも売っているかどうか、実は知らないが)一枚の CD アルバムになっているナット・キング・コールの『ヴォーカル・クラシックス&インストルメンタル・クラシックス』。ご存知ないかたでもタイトルだけで御察しのとおり 2in1 盤で、LP レコードではヴォーカルものとインストルメンタルものがバラ売りの二枚で発売されていた。大学生のころからかなりの愛聴盤だ。そりゃあもうナット・キング・コールとフランク・シナトラとサム・クックなどの男性歌手が好きなのだ。画像左の緑色のが『インストルメンタル・クラシックス』。
レコード二枚をそのままくっつけただけだから 2in1嫌いのみなさん(ぼくもそう)にはイマイチかもしれないが、でも考えてみればこの時期(1940〜47)キャピトルに録音していたナット・キング・コールの音楽は、一枚片面一曲単位の SP で発売されていたんだし、これはヴォーカル作品、これはピアノ演奏だけと、ことさら区別して考えていたわけじゃない。LP レコードにする際に会社が分けただけのことだから、あまり堅苦しく考えなくていいんじゃないかな。
CD『ヴォーカル・クラシックス&インストルメンタル・クラシックス』では、12曲目の「トゥー・マーヴェラス・フォー・ワーズ」までがヴォーカルもの、13曲目の「ザ・マン・アイ・ラヴ」以後がインストルメンタルもので、どっちもぜんぶ、基本、ピアノ・トリオ(ちょっとだけのラテン・パーカッション参加あり)。この当時はピアノ+ギター+ベースの編成が標準的だった。
前半部、ナットの歌が入るものはもちろんいい。なめらかでヴェルベットのような声。それで歌詞を大切に扱いつつ、しかし同時にフレイジングでおふざけっぽい遊びも入れているよね。それを端的に言えばジャイヴ風味ということになる。キャピトル時代の前のデッカ録音ではそれがもっと顕著で辛口だけど、甘さが混じるようになったキャピトル時代初期のこういったトリオものでの歌いまわしは、ジャイヴ味を残しつつ円熟味が出て、まろやかになって、いいねえ。とろけそう。
実際、ナットはキャピトル時代のトリオ活動あたりから人気が出て、アメリカ中でモテモテだったのだ。そりゃこんな声と歌いかたでラヴ・ソングをやられたら、女性も男性もコロッとイかれててしまうよなあ。このへんのセクシーさもサム・クックは受け継いだけれど、ナットの持つ、甘さとないまぜのクールなジャイヴ味は、あまり真似されていないよねえ。ナット自身、オーケストラ伴奏で歌うようになってからは辛味が消えた。この時期のトリオ録音でだけ聴けるワン・アンド・オンリーなミックスだった。
大学生のころはこれを真似してソラでそっくりに歌えた「スウィート・ロレイン」でもそんなところが聴けるし、有名になった「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」にも同様の陰影がある。「フォー・オール・ウィー・ノウ」みたいなひたすらスウィートなだけのバラードも悪くないし、しかし恋愛対象を称える「エンブレイサブル・ユー」などでは、途中ちょっとリズムを変化させて辛味ニュアンスを付け、甘いだけのものにはしていない工夫も聴きどころ。こういったリズムの変化、チェンジ・オヴ・ペースは、ヴォーカルものでもインストルメンタルものでも、このアルバムで同じようにたくさんある。
こういったチェンジ・オヴ・ペースは、聴けば、あらかじめアレンジされていたものだとわかる。アレンジはたいていがピアノとギター(ほぼすべてオスカー・ムーア)とのユニゾン・デュオで表現されている。そのあいだベース(ほぼジョニー・ミラー)は定常ビートを刻みながら支えるといった仕組みになっているよね。ピアノとギターでこういうフレーズを合わせようというのは、たぶんナットの発案だったんだろうなあ。
ヴォーカルのうまさについては世にたくさんの褒め言葉や賞賛者がいるナットなので、アルバム後半のインストルメンタルものを中心に、ピアノ・スタイルのことにも触れておこう。ナットは、大ヒットを出しスター歌手となってからのある時期以後はスタンド・マイクで歌うようになり、まれな例外機会を除きピアノをあまり弾かなくなった。ただしかしそうなってからでも、しかもドラマーも参加するようになってからでも、名義が<ナット・キング・コール・トリオ>だったことからも、察せられるものがあるはず。
アルバム『ヴォーカル・クラシックス&インストルメンタル・クラシックス』前半部のヴォーカルもののなかでナットのピアノの味がいちばんよくわかるのは、9曲目の「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」(これもリズム・アレンジに要注目)かな。ここでもピアノとギターのユニゾンで変形テーマを弾いているが、歌が終わってギター・ソロも終わってのピアノ・ソロ部で、右手シングル・トーンでアール・ハインズ直系の弾きかたを聴かせるが、ナットの持ち味はアタック音が強烈で歯切れがいいってことなんだよね。緩さがまったくない。
ここはヴォーカルと対比させたらおもしろい。発声と歌いまわしはあんなに甘いナットなのに、ピアノのキーを叩くのとフレイジングには辛さ、厳しさ、そしてスムースさよりも、強すぎる?と思うほどの一音一音のアタックでぶつ切りにしてぶつけてくるような味がきわだっている。歌とピアノで好コントラストになって、トリオでの演唱全体に幅と奥行きを持たせているなあと思う。
アルバム13曲目以後のインストルメンタルものになると、甘いヴォーカルがないせいか、ナットはたぶんそこに気を配り、さほどの強さ、厳しさをピアノ・サウンドで表現していない。かえってスムースさを前面に出したような弾きかたになっているよね。でもちょっとだけだ。ナットのピアノ・スタイル本来の味である、右手単音弾きでの歯切れいい強靭さは、やはり全体を通し言えること。
同時期のジャズ・ピアニストで、同じくアール・ハインズ直系のひと(って、まあ全員そうなんだが)で比較するとなれば、たとえばテディ・ウィルスン。テディも名手だが、かなり洗練されていて、ややフェミニンな優しい味もある。比してナットのピアノは男性的に力強く、しかも(ヴォーカルの味とは反対に)黒人音楽家らしいファンキーさすら感じられる、というのがぼくの見方。さらにスピーディで爽快。
インストルメンタルものには、ゲストでボンゴ奏者が参加するラテン・タッチな曲が三つある。18「バップ・キック」、22「ルンバ・アズール」(かの有名曲ではない、ナット自作)、24「ラフ!クール・クラウン」。この1940年代後半に、ジャズのピアノ・トリオ演奏にボンゴだけ入ってラテン調エキゾティズムを出すのは、あまりなかったかこともしれない。
しかしナットが直接関係していたわけじゃなくても、まったく同時期にチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらビ・バッパーたちは、どんどん積極的にジャズとキューバ音楽の接合に取り組んでいたじゃないか。同じジャズ界のなかで同じ時代を生きて、ナットがちっとも意識しなかったとは思わない。無縁ではありえなかったはずだ。ジャズのなかには誕生期からラテンがあるんだし。
そんな部分も、戦後になってオーケストラ伴奏でラテン・ソングを、それもスペイン語のままで歌うようになるナット・キング・コールの姿を、ある意味、予見していたと考えていいかも。関係ないのかも。
ギターのオスカー・ムーアがぼくも本当に好きで、マジでうまいなあと思うんだけど、今日は話題をナットの歌とピアノに限定したので、割愛するしかなかった。また別の機会に。
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