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2018/10/26

『カインド・オヴ・ブルー』はイージーでくつろげる音楽

 

 

だというのが、マイルズ・デイヴィスのこのアルバムについてのぼくの見方、というか偽らざる実感。だから高いテンションの糸がピンと張りつめたような緊張感のある音楽だという世間一般のとらえかたとは真反対なんだよね。それに、この音楽家のキャリア全体を見渡すと、むしろそういった、いわばイージー・リスニング傾向の音楽アルバムのほうが多いし、本質でもあるんじゃないかと思っている。この私見もイージーだけど。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』は、都会の夜がよく似合うムーディーな音楽じゃないか。それにだいたいぜんぶが予定調和のなかにおさまっている。オリジナル・レコード裏ジャケに寄せたビル・エヴァンズの「まるで東洋の墨絵のように」やりなおしの利かない一回性の即興演奏というのはウソで、実はスタジオでなんどもリハーサル・テイクを重ねて完成形に近づけていたという事実は、いまや公式音源(『カインド・オヴ・ブルー』レガシー・エディション)でも証明されている。

 

 

緊張感の高い、くつろぐ暇がない音楽とは、次になにが起きるか、どっち向いて飛び出すか、予想がつかず、だから聴き手もまったく気を抜けずドキドキしながら一音もゆるがせにできないような、そんなようなもののことであって、マイルズの『カインド・オヴ・ブルー』はその対極に位置するような音楽作品だ。おかしいかなあ、ぼくのこの見方。『ちょっとブルーな感じ』っていうアルバム題だって、いかにもな雰囲気重視アピールじゃないかと思うんだけどね〜。

 

 

夜中、ベッドに向かう前の入眠準備で、部屋の照明を暗くして『カインド・オヴ・ブルー』をごく小さな音量で聴いていると、心安らぐもんねえ。静かでムーディな音楽だし。テンションの高い音楽だと集中して聴かないといけないし、精神的に高ぶって、おやすみ用 BGM には向かない。ところがマイルズのこのアルバムを聴いていると、リラックスできて安心感が増し、落ち着いて眠りへの準備をすることができる。ばあいによっては聴きながらそのまま寝入ることだってできる。

 

 

そんな音楽がマイルズの『カインド・オヴ・ブルー』。イージー・リスニングなムード(モード)・ミュージックなんだよね、ぼくにはね。長年あまりにも繰り返し聴き込んできてすっかりおなじみのものとなったのでそんな受け止めかたになってきているだけかもしれないが、わりとむかしからこうだなあ。音がね、やさしい。そっと心を撫でてくれるような、そんなソフト・タッチなサウンドじゃないかな。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』で緊張感を表現する役割を一手に引き受けているのはジョン・コルトレインじゃないかと思うんだけど、このアルバムでは、なんだかサウンドに鋭角な斬り込みが弱く、ボスの創るフワッとソフトなムードに合わせるかのようなやわらかい吹きかたに傾いているよね。ほぼ同時期のアトランティック・レーベルでの作品と比較すれば明白だ。

 

 

コルトレインにしてからがそうなんだから、ほかの五人はもちろんムード重視のくつろげる表現を、それもかなり意識して意図的にやっているとすら言えるかもしれない。ボスがもともとそんな志向の持ち主であったことは、チャーリー・パーカー・コンボ時代、からのそれを卒業して『クールの誕生』プロジェクトをやったころからはっきりしているが、ほかのメンバーだって『カインド・オヴ・ブルー』ではそれに合わせたスタイル。

 

 

ピアノは2曲目の「フレディ・フリーローダー」がウィントン・ケリーで、ほかはぜんぶビル・エヴァンズ。このエヴァンズも、どっちかというと繊細でやさしい、いわば女性的なタッチでピアノを弾くひとだよね。ウィントンはブルーズ・スウィンガーだけを任されているが、その曲だって決して速すぎない中庸テンポで、リラクシングなくつろぎブルーズ・フィールを出している。

 

 

アルバム『カインド・オヴ・ブルー』のなかで、それでもちょっぴりテンション高めの部類に入るのかな?と思わないでもないのが、3曲目「ブルー・イン・グリーン」、5曲目「フラメンコ・スケッチズ」ということになるかもしれない、聴くひとによってはね。でもぼくが聴くと、都会のナイト・クラブでのんびりしているような、そんなシチュエイションの BGM に聴こえる。この二曲はマジで美しいけれど、しかし聴いて、そんな緊張感高まりますかね?神経とがりますか??逆に心が静かになるんじゃないですか?

 

 

こんなようなことはアルバムの全曲について言えること。一枚全体で『ちょっとブルーな感じ』なムードを表現しただけのイージー・リスニングであって、結果的にモダン・ジャズ界屈指の名盤ということになったけれど、マイルズ本人は、時代を切り拓くなんてそんな気持ちはなかったとぼくなりに理解している。モーダルな作曲演奏法が流行りだし時流に乗ってちょこちょこっとやってみたというお気楽ミュージックが『カインド・オヴ・ブルー』。

 

 

ふりかえってみれば、時代の節目節目でマイルズが発表してきた(のちに時代を形作ったと言われるようになる)名作は、だいたいが静かなイージー・リスニングだよ。1949年『クールの誕生』、57年『マイルズ・アヘッド』、59年『カインド・オヴ・ブルー』、69年『イン・ア・サイレント・ウェイ』とね。同69年の『ビッチズ・ブルー』がかなり荒々しいトゲトゲした音楽だったのはやや例外的。1970年代の野生的ファンク時代の予告だったのだろう。

 

 

今日書いたこんなふうなことは、まあジャズなんてぜんぶ、いや、音楽ってなんでも、しょせんはムードと雰囲気、フィーリングを楽しむものなんだから、べつにマイルズに限定された話じゃない、普遍的な真実だということになるのかもしれないね。そうとはお考えじゃないリスナーのみなさんも(一部に?)いらっしゃると、またマイルズにかんしては、みなさんもぼくも、ことさらシリアスに語りすぎる傾向だってあると、そう実感しているから、今日この文章をしたためた次第です。

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