ネットでつながる脱走兵たち 〜 HK、フランスと日本
在仏のアルジェリア系音楽家 HK。彼の2013年作『プレザント・レ・デゼルトゥール』がかなりよかったよねえ。いまはこうやって Spotify にあるものをリンクしておけばだれでも簡単にシェアできるので、ホ〜ントいい時代になったと、心の底から思う。でもそれはわりと最近になって実現したことだ。
HK の『脱走兵たち』を買ったころはまだみんな CD で聴いていて、ぼくだってほかに手段を持っていなかった。みんなそれで満足で、この音楽いいぞ、フランスのシャンソンをアルジェリア系の HK がシャアビにアレンジしてやっているこれはマジですばらしい!と、聴いたひとはみんな宣伝し、ある時期以後はアマゾンでも買えるけれど、当初はエル・スールで手にしていた。
ブログをはじめる前の話だった。開始後約一年が経って、記事にしたのがこれ。
これを書く際に、ネットに音源がないかなと、まだ Spotify はやっていなかったので YouTube で探したけれど見つけられないので、この曲だけは!とアルバム10曲目の 'En groupe, en ligue, en procession' を自分で YouTube にアップしたのがこれ。
だぁ〜ってね、グルーヴィでしょ。こんなふうになっていればシャンソンだっておもしろい。リズムとサウンドがね、いいよ。歌詞の意味内容に寄りかかりすぎな音楽ジャンルだったのが、一転、グルーヴで聴かせるワン・トラックに仕上がっていると思うんだ。アルバム『脱走兵たち』のなかではこれが個人的にいちばん楽しい。
フランスのど真ん中で、シャンソンを、それもマグレブ移民音楽に解釈したのには、やはり HK なりのスタンスというかアティテュードというか、前言をひるがえすわけじゃなく、やはりそれでも歌詞内容をちゃんと踏まえた上での、ある種のレベルみたいなものを感じとっているぼく。それはこんなふうなサウンドとリズムが与えられなかったら意味を持たなかったものだ。すくなくとも鋭さと深みはなかった。
そんな HK の音楽には、共感できるひとが多いと思う。その証拠に、ついこないだ、まったく見知らぬ、共通点もなさそうな、アルファベット文字表記人名のかたから、Facebookのお友達申請が来た。どなただろう?フランス在住となっているけれど、ホントだれ?どうしてぼくに?と思っていたら、すかさずご挨拶メッセージが来た。それには:
HK がジャン・フェラの詞を歌うあなたのヴィデオを YouTube で見た。それであなたを発見し、ここでこうやってリクエストを送っている
とあったのだ。どうやらフランス語を母語とするフランス人男性らしい。
こういうときは、ありとあらゆるネット活動を同じ本名と同じアイコンに揃えてやっているメリットを感じるね。同種のことは、実は Twitter でも Instagram でも増殖中で、ことばと国籍を超え、一個の音楽が、それがいいねと、楽しいと、それはあなたがアップしたんだろうと、それでつながることができはじめている。
音楽は壁を越える共通言語だと言うつもりはない。それはたぶんウソだ。だけど、遠く隔たった一面識もない赤の他人同士をつなげる細い糸のような働きをするばあいも、たぶん、あるかも。フレンドさん関係になったそのフランス人男性とは、その後一個のイイネも交流もなにもなく、ただたんに HK の音楽がいいよねという認識を最初に確認し共有しただけなんだけどさ。
それでいいと思うんだよね。HK の『脱走兵たち』で大胆に変貌したシャンソンがいいぞという、このことだけは確実に言えることで、しかもそれが母国フランスとここ日本とでシェアされているのだから。
それでじゅうぶんじゃないか。
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