マイルズ・バンドでのジミー・コブおそるべし
マイルズ・デイヴィス・バンド史で1975年一時隠遁前のドラマー歴は、フィリー・ジョー・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット、アル・フォスターでぜんぶだということになっていて、たとえばジミー・コブは地味めな資質もあって度外視されているかもしれない。という書きかたはよくないな、ぼくだけがそう思っていたかもしれない。
ここ数ヶ月の記事内容ですでにおわかりのとおり、マイルズの(黄金の)セカンド・クインテット(1964〜67)で聴ける8ビートのラテン・リズムなジャズ・ブルーズっぽいもの、すなわちいわゆるブルー・ノート・ブーガルー #BlueNoteBoogaloo のマイルズ的展開に強い興味が出てきている。マイルズ・ミュージック史でその起源をさぐると、どうも1961年の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』にある「テオ」かもしれないということになるんだなあ。
あの「テオ」は8ビートではなくて3/4拍子のジャズ・ワルツなんだけど、でもジミー・コブのドラミングを聴いてほしいのだ。シンバル+スネアのリム・ショット&打面打ち+タムを組み合わせながら、かなり込み入った複雑なビートを叩き出しているじゃないか。三拍子とはいえ、ポリリズミックな6/8ビート、すなわちハチロクのノリを予言・内包しているかのよう。
マイルズの全音楽キャリアをじっくりたどっても、こんなドラミングはそれまでちっとも聴けないんだなあ。1961年の「テオ」でいきなりどうしてこんなことになっているんだろう?しかもこの曲はスパニッシュ・スケールを使ったアンダルシアふうな旋律展開を持っていて、マイルズも(ゲスト参加の)ジョン・コルトレインも、そんなソロ内容を聴かせている。
ってことはこの1961年3月21日録音の「テオ」は、メロディにおいてもリズムにおいても、1960年代後半のブーガルー・マイルズを先取りしたものだっていうことになるよ。どうこれ?たとえばのほんの三例として今日のプレイリストには「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」(『ソーサラー』)、「ライオット」(『ネフェルティティ』)を選んでおいたので、それらで聴けるトニー・ウィリアムズのドラミングと、「テオ」でのジミー・コブを比較してみてほしい。
つまり、ああいったものは突然変異的にトニーがやりはじめたってことではなくって、先鞭がつけられていたということだよね。マイルズ自身の音楽のなかにおいてでもさ。「プリンス・オヴ・ダークネス」「ライオット」では、リム・ショットを中心に複雑怪奇な変形ラテン・ビートを生んでいるあたりも酷似していると思うんだ。むろんトニーのはロック・ミュージック由来の8ビート系で、ジミー・コブのは3/4ビートなんだけど、なんだかちょっとこれは…。
ところでところで、ジミー・コブのドラミングにはあんがい(?)黒いフィーリングがあるよね。地味めの堅実な叩きかたのジャズ・ドラマーにしては、ノリがブラック・ミュージックっぽい。ふつうのメインストリーム・ジャズよりも、ややブルーズとかゴスペル方面に寄ったかのようなスタイルを持っているんじゃないかなあ。そう聴こえるんだけど。
この点、同じモダン・ジャズ・ドラマーで言えば MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のコニー・ケイに似た資質を持っていたかもしれないよね。ジミー・コブのばあいは、ウィントン・ケリーとの親交も含め、ダイナ・ワシントンの専属伴奏ドラマーだったことにも、黒い音楽性を持つ一因があったかもしれない。ふつうのバラードではなんでもなくリリカルにやるが、ブルーズ・スウィンガーなどで真価を発揮していると思うよ、マイルズ・バンドでも。
そんなところ、スタジオ録音でもわかるけれど、1961年のブラックホーク・ライヴやカーネギー・ホール・ライヴでの、たとえば「ウォーキン」や「ソー・ワット」を聴いてほしい。ボスもウィントン・ケリーもすばらしいが、背後で支えるジミー・コブのドラミングがツボをおさえた見事なドライヴァー役を果たしている。カッコイイなあ。
ジミー・コブ、おそるべしだ。
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