名作『中南米音楽アルバム』リイシュー!
日本におけるラテン音楽紹介の第一人者といえば、ぼくらにとっては中村とうようさん。そのお弟子さんとも言うべき存在が田中勝則さん。そんなとうようさんの先輩格にあたる、というだけでなく、そもそも日本にはじめて本格的にラテン音楽を紹介し評論活動を行った偉大な人物が高橋忠雄さん(1911〜81)だ。高橋さんが1941年(昭和16年)に編んだ『中南米音楽アルバム』が、孫弟子、田中勝則さんによってブラッシュアップされ、今2018年夏に蘇った。これほどの慶事があるだろうか。
日本におけるラテン音楽評論の系譜をたどると、まず第1ページ目におかれるのが高橋忠雄さんということになる。タンゴやルンバのレコードが日本で本格発売されるようになったのが昭和10年前後らしいが、高橋さんはそのころから活躍されていた草分けで、戦後も NHK ラジオのラテン音楽番組でディスクジョッキーを、1948年から20年以上も務められていた。
1960年代から、そんな高橋忠雄さんのお仕事を引き継がれたのが永田文夫さんと中村とうようさんだったんだね。最も重要なことは、そもそも日本におけるラテン音楽評論は、かつて主にタンゴにかたよっていたのだが、高橋さんは特定のものにこだわらず、スペイン語、ポルトガル語の別すらなく、ひろくラテン音楽(中南米音楽)全般を総体としてとらえ聴き紹介し評論していこうという姿勢をお持ちだったという点。とうようさんのあんな主義は、つまりはそういう部分も継承したのだった。
そんな高橋忠雄さんの残された最も偉大で最も印象深い仕事こそ『中南米音楽アルバム』ということになる。1941年時点で可能な範囲の、中南米の幅広い音楽を網羅し、上で述べたような高橋イズムが鮮明に打ち出された作品。でありかつ、日本におけるラテン音楽紹介・評論の本格的スタート地点だったのだと言えるはず。いや、日本における、と断り書きすることもない、1941年時点で世界を見渡しても、類似する作品はまったく存在しなかったはず。タンゴならタンゴと特定のジャンルだけの編纂盤ならあったろうけれども、ラテン・アメリカ音楽全体をひろく視野に入れたセレクションなんて、ヨーロッパでもアメリカ合衆国でもつくられていなかった。
『中南米音楽アルバム』のオリジナルは12曲。1941年なので SP 盤六枚セットで販売されたということだろうか?さらにレコード発売元がどこだったのか?この二点については、田中勝則さんの解説文に明記がないのだが、たぶんひょっとして1940年発足の中南米音楽研究会が発売?したということかなあ?中南米音楽研究会は、その後『中南米音楽』誌となり、それは現在の『ラティーナ』誌の前身だ。
今2018年発売のディスコロヒア盤『中南米音楽アルバム(改訂版)』は、オリジナルの12曲に、田中勝則さんが8曲をくわえている。サイズ的な理由だけだろう。田中さんも高橋忠雄さんのオリジナル選曲意図を殺さないように細心の注意を払っているし、また追加分はどの曲なのか、ブックレット冒頭の曲目表で一瞥して容易に判別できるよう工夫を凝らしてある。同様に、以下で k で示す。
1)ホァン・ダリエンソ楽団「デレーチョ・ビエホ」:タンゴ(アルゼンチン)
2)エドガルド・ドナート楽団「ラ・ミマーダ」:ミロンガ(アルゼンチン)
3)メルセデス・シモーネ「ミロンガ・センティメンタル」k:ミロンガ(アルゼンチン)
4)イスマイル・モレーノとクージョ民俗楽団「君の悲しみ」:ガート(アルゼンチン)
5)ロス・クァトロ・ウァソス「六月と七月の間」:クェッカ(チリ)
6)マルタ・デ・ロス・リオス「トゥクマン州の空の下」:サンバ(アルゼンチン)
7)マルタ・デ・ロス・リオス「火花散る私」k:バイレシート(アルゼンチン〜ボリビア)
8)ドゥオ・ラス・カントゥータス「ボリビアへ」k:クェッカ(ボリビア)
9)ロス・トロバドーレス・デル・ペルー「エル・ウァケーロ」k:マリネーラ(ペルー)
10)フェリクス・ペレス・カルドーソのトリオ・ティピコ・パラグァージョ「アベニーナ」:ポルカ・ティピカ・パラグァージャ(パラグァーイ)
11)フェリクス・ペレス・カルドーソのパラグァーイ民俗楽団「忘れ得ぬ君」:ガローパ(パラグァーイ)
12)ティト・ギサール「大きな田舎家」:メヒカント(メキシコ)
13)ティト・ギサール「陽は沈みゆく」k:ウァパンゴ(メキシコ)
14)リタ・モンタネール「あなたを憎む」k:クリオージャ(キューバ)
15)レクォーナ・キューバン・ボーイズ「ルンバ・タンバ」k:ルンバ(キューバ)
16)エンリケ・ブリヨーン楽団「トリゲニータ」:ルンバ(キューバ)
17)コンフント・マタモロス「陽気なコンガ」:コンガ(キューバ)
18)バンド・ダ・ルア「我が家の思い出」:サンバ・カンソーン(ブラジル)
19)カルメン・ミランダとマリオ・レイス「アロー・アロー」k:サンバ(ブラジル)
20)シロ・モンテイロ「ただ一人」:マルシャ(ブラジル)
田中勝則さんの追加分も、どうしてここにこれを入れたのか、理由や経緯がちゃんと説明されてあり、高橋忠雄さんのオリジナル・セレクションと有機的な関連付けがあるとわかるようになっているのも文句なしにすばらしい。高橋忠雄+田中勝則の、時空を超えたタッグによる新アンソロジー『中南米音楽アルバム(改訂版)』とも呼ぶべきで、以下、区別せずいっしょに扱って、ちょっとだけ不要な言を重ねておきたい。
タンゴ(ミロンガ含む)がまず最初に三曲あるのは、1941年初版当時の日本におけるラテン音楽愛好傾向を勘案してのことだろう。高橋忠雄さんは1930年代末にアルゼンチンに旅行されていて、現地でさまざまな音楽に触れられたとのこと。タンゴだけでなく、のちにフォルクローレと呼ばれるようになる<田舎の音楽>も実体験されたようだ。初版『中南米音楽アルバム』は、そんな現地体験にもとづく研究成果発表という側面もあった。
田中勝則さんの解説文にくわしいが、ブエノス・アイレスの1930年代末には、タンゴもあるがそのほかの<田舎の音楽>もさかんにやっていて、それは文字どおりアルゼンチンの地方都市の民俗歌謡(しばしばダンスをともなう)だけど、周辺隣国から人や音楽の形式が流入してやっていたものもあったらしい。上の曲目一覧の右に音楽の型式と発祥国を書いておいたが、11曲目までのレコードはたぶんどれもブエノス・アイレスで録音されたものだろう。
言い換えれば当時のブエノス・アイレスはたんにタンゴの街だったというだけでなく、人的・文化的に多種多彩な国際都市で、だから音楽も雑多なものがあふれていたということなんだろうね。実際、『中南米音楽アルバム(改訂版)』収録のブエノス・アイレス録音のレコードには、多民族構成での演唱がいくつもある。アルゼンチン人の伴奏でボリビア、ペルー、パラグァーイの歌手が歌ったりしている。
高橋忠雄さんの音楽的コスモポリタニズムとは、1930年代におけるブエノス・アイレスのそんなカラフルさを総体としてそのまま受け止め受け入れよう、日本に紹介して本格評論していこうという、そんな素直でストレートな、しかしなかなかむずかしい面もある意識にもとづく純な営為だったのではないかという気がする。汎ラテン・アメリカン・ミュージックというような高橋さんの視点は、そうやって養われたものだったかも。
そんな、中南米音楽全般を区別せず<全体的に>とらえようという高い意識と姿勢は、『中南米音楽アルバム(改訂版)』なら、12曲目以後の中米〜カリブ〜ブラジル・セクションで、よりくっきりと表れていると言えるはず。1941年に、ルンバやタンゴやだけでなく、(のちで言う)フォルクローレや、さらにメキシコ、キューバ、ブラジルの同時代の最新音楽まで一堂に紹介したような人物って、世界でほかにだれがいただろうか?高橋忠雄さんだけだったのでは?まさにラテン音楽紹介における世界のトップ・ランナーだった。
ぼく個人の嗜好だけからすれば、このアルバムで15曲目のキューバ・セクションに入ると、いきなり気分が浮き立つ。胸がワクワクして軽くなり、俄然楽しくなってくるもんね。心からそう感じる。レクォーナ・キューバン・ボーイズのルンバやコンフント・マタモロスのコンガで心沸き立たない音楽好きって、はたしているのだろうか?と思ってしまうほど楽しさ満点。リズムがすんごくいいね。
19、20曲目のブラジル・セクションに来れば、実はもっとうれしい。いきなりカルメン・ミランダとマリオ・レイスの「アロー・アロー」だもんね。これは田中勝則さんの追加セレクションだけど、前後とまったく違和感がない。ってことは前後の高橋忠雄さんの選曲も図抜けてすばらしかったという証拠だ。カルメンとマリオの「もしもし」は異様に輝いているよねえ!すばらしすぎてことばがない。
アルバム『中南米音楽(改訂版)』は、その後、シロ・モンテイロのマルシャで幕を閉じる。1930年代にサンバよりも盛んだったカーニヴァル音楽マルシャは、いわばキューバのコンガと兄弟分。やはりウキウキするようなダンサブルなフィーリングが楽しいったら楽しいな。でも、これ、シロはもっと時代が下っての都会的なサンバ歌謡で才能を確立した歌手だ。それ以前のこんなみずみずしいダンス歌謡にシロの才能を、しかもリアルタイムで、見出して(汎ラテン・アメリカン・ミュージック選集に)チョイスしていた高橋忠雄さんは、やっぱりすごかった。
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