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2018/11/02

マイルズとブルーズの真実 〜「ビッチズ・ブルー」はヴードゥーのチャイル

 

 

チック・コリアの在籍時代、マイルズ・デイヴィスはブルーズを抽象化して表現していた。パッと瞬時に気がつく主だったところだけをあげておくと以下。最後のはギター・ロック・ピースだからチックはいないけれどね。録音順に。

 

 

「マドモワゼル・メイブリー」(『キリマンジャロの娘』)rec. 1968.9.24

 

「フルロン・ブラン」

 

「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(『イン・ア・サイレント・ウェイ』)rec. 1969.2.18

 

「ビッチズ・ブルー」(『ビッチズ・ブルー』)rec. 1969.8.19

 

「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」rec. 8.20

 

「ライト・オフ」(『ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンスン』)rec. 1970.4.7

 

 

これらの前にある「スタッフ」(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』)も同様のブルーズ・グルーヴァーかもなと思うんだけど、ゆえあって今日は外すことにした。「マドモワゼル・メイブリー」がプレイリストのトップに来る意味を重視したかった。ベティ・メイブリーへのオマージュあると同時にジミ・ヘンドリクス・トリビュートでもあるからだ(「ウィンド・クライズ・メアリー」)。

 

 

これら六曲、たしかに12小節の3コードとかそのヴァリエイションといったブルーズ楽曲の定型パターンではない。だから<ブルーズ>を認識するのに型を見ないとわからないというばあいには、これらがブルーズだと言われてもピンと来ないかも。でもたぶんそんなかたは少数派だろうと思う。

 

 

六曲ともなによりブルーズ・フィールがあるし、型の面だけ聴いたって、そこかしこにブルーズの、特に和声進行が抽象化されて活かされている。ものによっては明確な残骸があるじゃないか。たとえば「マドモワゼル・メイブリー」はブルーズ・ケイデンス(終止形)を持っている。「イッツ・アバウト・ザット・タイム」で聴けるベース・ヴァンプ(はしばしば複数楽器が合奏する)の下降型もブルーズ進行的だ。「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」「ライト・オフ」のリフもそうかな。

 

 

いちばんわかりにくいのが曲「ビッチズ・ブルー」かもしれない。しかしたとえば13分過ぎから右チャンネルで弾くチック・コリアのソロにあるブルーズ的まがまがしさを聴いてほしい。まるでジョン・リー・フッカーがフェンダー・ローズを弾いているかのようじゃないか。マイルズはこれを録音するずっと前から言っていた:「どうにかしてマディ・ウォーターズやジョン・リー・フッカーのヴォイシングを自分の音楽に活かせないか」と。

 

 

右チャンネルのチックは、実は曲「ビッチズ・ブルー」を通しずっとブルーズを弾いているようなフィーリングで(左がジョー・ザヴィヌルの二名鍵盤体制)、その原因は曲の構造と、もとからのフィーリングがブルーズだからにほかならない。ハーヴィー・ブルックスのエレベとベニー・モウピンのバス・クラリネットが土台になって典型的に表現するヒュ〜ドロドロ感は、1968年10月に発売済みのジミヘン「ヴードゥー・チャイル」(『エレクトリック・レイディランド』)からそのまま借用している。「ヴードゥー・チャイル」がブルーズ・ソングなのは説明不要だ。

 

 

しかしマイルズ自身、「ビッチズ・ブルー」にたどりつく前の1968年9月に「フルロン・ブラン」を録音しているんだよね。聴こえにくいがよく耳をすませてほしい。F のブーガルー・ブルーズである「フルロン・ブラン」(はジェイムズ・ブラウン「コールド・スウェット」のマイルズ版)で用いられているベース・パターンは、曲「ビッチズ・ブルー」で使われるそれの祖型、というかほぼ同じ。

 

 

1968〜70年にかけてこんなにもブルーズだらけなマイルズ・ミュージックだったのに、いまだにこれを指摘するひとがかなり少ないのは、たんに抽象化されているからに違いないと思う。でもブルーズ・フィールは間違いなくある。それもグルーヴィなかたちとなって表現されているから、ダンサブルでもある。すなわちダンス・ブルーズなマイルズが、この時期たしかに存在した。

 

 

この1969年前後といえば、マイルズは主にジャズ・ミュージックにおけるリズム面での革新に積極的に取り組んでいて、好成果も出したと言えるはず。一つ前へ進めるときは、別な要素は保持したまま、あるいは悪く言えば因習的なものをそのまま残して土台とするのがマイルズのやりかただった。いつもずっと。

 

 

ジャズのリズムとサウンドのロック/ファンク化を推し進めるにあたり、マイルズは(1965〜67年のかのクインテット時代には)まれな例外を除き直截はいったん遠ざけていたブルーズ・エクスプレッションにふたたび寄りかかったのだろう。そこをキープしておけば、あるいはむしろそのほうが、ほかの部分の革新を進めやすかった。

 

 

たぶんそんなことで、1968〜70年のマイルズ・ミュージックに(アブストラクトなかたちをしているが)ブルーズがこんなにたくさんあるのだと思う。ブルーズとは、あるいはブルーズ進行や終止形とは、つまり主に和声面でのブルーズ表現とは、これすなわち(演奏者にも聴き手にも)明快さ、わかりやすさ、シンプルさをもたらすものだ。

 

 

一面は保守的に置いておいて、他面で革新行為を行う 〜 マイルズというだけでなく、だれでもどんなことでも、わりとふつうのことなんじゃないかな。

 

 

こういうふうに見てくれば、アルバムでいうと『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』『ジャック・ジョンスン』あたりだって、とっつきやすく聴きやすくわかりやすいのかもしれない。それに、なんたってグルーヴィだから、聴いて楽しいよ。

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