モダン・ブルーズ・ハープ入門の教科書はこれ
『ベスト・オヴ・リトル・ウォルター』(チェッカー LP 1428、1958年発売)。これぞ、モダン・シカゴ・ブルーズにおけるテン・ホールズ・ハーモニカ(ブルーズ・ハープ)の教科書だ。電気アンプリファイド・ハープは決してリトル・ウォルターの発明ではないけれど、普及一般化させたのがウォルターであったことを疑う者などいないはず。そしてアンプリファイド・ハープのサウンドは、モダン・シカゴ・ブルーズのイメージを決定づける象徴にして最大要因だ。マディ・ウォーターズのレコードなどでも聴けばわかる。
いま持っている『ベスト・オヴ・リトル・ウォルター』は1994年の MCA 盤で、三曲のボーナス・トラック入り。それはオリジナル・レコード収録曲の別テイクなどで、聴いてみても、まあだから12曲目まででオッケーなんじゃないかという気がする。ところで、このころのチェス(系)原盤ブルーズの日本盤リイシュー CD 解説文は、(たぶん)ぜんぶ小出斉さんがお書きになっていて、『ベスト・オヴ・リトル・ウォルター(+3)』もそうなのだが、これのばあいは奏法解説役ゲストとして、ブルーズ・ハーピストの石川二三夫さんが迎えられている。
それでオリジナル・レコード分の12曲について、すべての曲のキーと使用しているハープのキー、2nd ポジション云々がぜんぶ記されているのだ。こ〜れは!マジでずいぶん助かったものです、1990年代後半にですね。本当にありがとうございます。みなさんご存知と思いますが、テン・ホールズは一個一個キーが決まっているダイアトニックなので、曲のキーにあわせて持ち替えなくてはならない。ブルーズ・ハーピストは腰に巻いたベルトのようなケースに何個も入れて持ち、ステージに上がる。そしていま、ハープじゃないけれど、ふたたび助けられている日々です。サンキュー、石川さん!
『ベスト・オヴ・リトル・ウォルター』収録曲で、しかも歌なしのインストルメンタルでウォルター不朽の名演となるのは、たぶん7曲目「ジューク」(1952)や 9曲目「オフ・ザ・ウォール」(1953)とかだよね。しかもこれらのシングル・レコードは当時大ヒットした。マディのレコードより売れたんだよね。そのほか、ビルボードの R&B チャートのトップ10入りしたトラックがいくつもある。ある意味、当時のポップ・ヒットだったとすら言える。
「ジューク」「オフ・ザ・ウォール」以外にも、2曲目「サッド・アワーズ」、11「ブルー・ライト」がインストルメンタル・ブルーズで、しかし前者二曲が跳ねるような楽しさ、簡単に言えばブギ・ウギのダンシング・パターンをそのままモダン・バンド化したようなものであるのに対し、後者二曲はスローでブルージー。でも泣いているかのようだとか哀しげだとかいう感じには聴こえない。ぼくにはね。
苦しみ、かなしみ、つらみ、そういったものよりも、ゆっくり落ち着いて通りを歩いているような、しかも南部感覚もあって、ある意味イナタいフィーリングをぼくは感じている。ジミー・リードでみなさんおなじみの、あの雰囲気だ。だから、内面に深い闇を抱えていたかどうか知らないがそうだとしても、聴いた感じ、さほどのことにはなっていないんだ、表面的には。涙がポロポロこぼれ落ちたりしているようなハープ演奏だとは思わない。
それよりも、どんな曲でもリトル・ウォルターはハープの音を細かく震わせる、すなわちトレモロ奏法を頻用しているのがイイ。一個のピッチでずっと吹きながら音を揺らして、それが聴くひとによっては泣いているかのようだとなるんだろうけれどそれよりも、アンプのヴォリュームを上げているばあい音にしばしばファズがかかって歪んでいるのとあわせ、独特の快感になるんだよね、ぼくには。たとえば「ラスト・ナイト」のハープ・ソロ出だしのブワ〜〜ッ。あれはいい。
ブルーズとは、ただたんなる bad feelings の表出なんかではない。それが根底にあったとしても、音楽商品となるからには、なんというかある意味<突き抜けて>客観性を獲得していないといけない。リトル・ウォルターにしろ、あんなにもレコードが売れて、いまだにバイブル・ハーピスト視されているのは、万人にアピールできる種類の魅力 = 客観性があるからであって、決して個人的感情のただの吐露なんかじゃないはずだ。
こういったことは、音楽に限らずあらゆる表現にあてはまること。ことさら気持ち悪い種類の私小説みたいなものを例外として、ほかは表現者個人のフィーリングが、いったんこう、なんというか、濾過されているというか裏ごしされているというか、それだからこそかえって内面にあるものが聴く者にしっかり伝わりやすいというかさ。聴きやすいからこそね。
そんなことをふだんから考えているので、リトル・ウォルターのアンプリファイド・ハープを聴いて、楽しく愉快でブルージーで心地はいいが、かなしみに共感していっしょに泣くなんてことはありえない。こんなブルーズ・ハープ名人の芸は、そんなチンケな域にはない。客観的表現として、一定領域を突き抜けているのだ。
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