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2018/11/15

今この時代だから、ネヴィルズの『イエロー・ムーン』を

岩下啓亮さん(@iwashi_dokuhaku)の以下のツイートに刺激されて書きました。

ニュー・オーリンズの黒人バンド、ネヴィル・ブラザーズの1989年作『イエロー・ムーン』のテーマは、ずばり<人権>だ。媒介はボブ・ディラン。直截的にはアメリカでのアフリカ系住民の置かれた状況を歌ったものだけど、置き換えれば、どこの社会でも生きづらさを感じ苦しんでいるマイノリティの問題に当てはまる普遍的内容を持ったアルバムと言える。日本でも種々の問題が表面化している今だからこそ、ネヴィルズのこの一枚のことを書く意味はあるかも。

アルバム『イエロー・ムーン』で最も直截的に人権問題が表現されているのは、もちろん4、5、6曲目の流れだ。ここがアルバムのおヘソ、肝みたいなもんで、しかも、メドレーではないにせよ一種のトリロジー的なものとしてど真ん中に置かれている。4はサム・クックの「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」、5はネヴィルズ自作の新曲「シスター・ローザ」(詞はシリル作)、6がボブ・ディランの「ウィズ・ガッド・オン・アワ・サイド」。

アルバム中、ボブ・ディランの曲がもうひとつあって、9「ザ・バラッド・オヴ・ホリス・ブラウン」。サム・クックの「チェインジ」創作にだってボブ・ディランがインスピレイション源となって働いていたのはご存知のとおり。自作の「シスター・ローズ」も公民権運動のさなかにあったローザ・パークスのことを扱ったラップ・ナンバーだ。ラップにしたのには、シリルなりの(同時代的)啓蒙意図があった模様。

これらを踏まえると、アルバム『イエロー・ムーン』全体で、ひとつの大きな輪を描いているのだとわかる。アフリカ系の血脈を持つというその誇りを胸に高らかに宣言するかのような調子ではじまって、おヘソを通過のあと、ハイチその他カリブ海に行ったり、あきらかな(スピリチュアルな意味での)アフリカ大陸再上陸を見せたりもしながら、アメリカ合衆国南部の大都会にして同国のアフロ・クリオール文化首都たるニュー・オーリンズの人間の音楽なんだという意味を、くっきりと表現している。

ネヴィルズが1989年に、こういった『イエロー・ムーン』を創ったのには、シリルによれば、自分たちの子どもたちの世代の黒人が過去の歴史を忘れつつある、公民権運動なんか知らない黒人も増えている、アメリカ合衆国でアフリカ系として生きるとはどういうことか 〜〜 すなわち一言にすれば black lives matter をしっかり伝えていく必要を感じたからということらしい。

しかし『イエロー・ムーン』は、21世紀に入って10年以上が経過した、むしろいま2018年にこそ、強い意味を放ち意義を持つようになりはじめているかもしれないんだよね。日本でもさまざまなマイノリティ差別排撃が問題視されているが、アメリカでだって 9.11、ハリケーン・カトリーナ、そして同国史上初の黒人大統領を経ての現在の政権の、社会の、国民たちのありようを見れば、そして実は全世界が同種のものになりつつあるのかもしれないと危惧を抱くばあいには、ネヴィルズが『イエロー・ムーン』に込めた音楽的意味を、もう一回考えて、とらえなおしてみるのも、いいことかもしれない。

それになんたって、『イエロー・ムーン』は音楽的に楽しい。書いたようにニュー・オーリンズ音楽のアフロ・クリオール性を、これでもかとサウンドやリズムに投げ込んだのがこのアルバムだから、社会的意味を読み取らなくたって、聴けばそれだけでじゅうぶん愉快な時間を過ごせるものだ。カリブ/アフリカ音楽要素が濃いしね。

でも、だからこそ、そんな衣の下にある中身の、硬派でシリアスな投げかけに耳を傾ける価値があると、ぼくだったら思う。

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