シカゴ・ブルーズの25年(1)
日本人ブルーズ・リスナーにはまったく説明不要の CD では三枚組の『シカゴ・ブルースの25年』だから、これがなんなのかの説明はぜんぶ省略し、一日一枚づつとりあげて三日間にわたりメモしておきたい。現在聴きかえして感じる個人的雑感をちょちょっとね。ちゃんとしたことは CD 附属の分厚い日本語ブックレットをご覧いただきたい。
『シカゴ・ブルースの25年』三枚にはそれぞれテーマが掲げられている。順にダウン・ホーム・シカゴ・ブルース、ストレート・シカゴ・ブルース、モダン・シカゴ・ブルース。たしかに聴いてみると、この区分は理解できる音楽性の違いや変化がある。しかしそんな截然と分かたれるというものでもない。連続していて、行ったり来たりしているのは当然だ。
ディスク1のダウン・ホーム・シカゴ・ブルーズとは、第二次世界大戦後のシカゴ・ブルーズがどんなものだったかのひとつの典型だから、ほぼ万人にわかりやすい。簡単に言えば南部ミシシッピ・デルタ・ブルーズの感覚をそのまま保持しつつ、楽器だけ電化してモダン・バンド化したようなもののこと。この P ヴァイン盤には未収録だが、シカゴ・ブルーズのシグネチャーたるマディ・ウォーターズもハウリン・ウルフもそうだった。
第二次世界大戦前からもちろん北部の大都会シカゴにはブルーズ・メンがたくさんいて録音していた。シティ・ブルーズやブギ・ウギなど、レコード作品も多い。『シカゴ・ブルースの25年』の一枚目では、南部ミシシッピ出身で、戦後シカゴに北上して移住し、ダウン・ホーム感のある(弾き語りやそれに近い)ブルーズをやっているものと、戦前からの流れを汲む都会派の洗練シティ・ブルーズ系のものが併行している。
都会的なジャズ(都会的でないジャズはなし)が好きというぼくの傾向からすれば、ディスク1の10〜17曲目にあるシティ・ブルーズ系のものにやはり惹かれる。ここはたぶん日本の多くのブルーズ・ミュージック愛好家とは違っているところだね。エディ・ボイド、J.T. ブラウン、メンフィス・スリムなど、ブギ・ウギ系でありつつ、当時のリアルタイムなリズム&ブルーズの影響下にあるような都会派ブルーズのことが、本当に大好き。
ところで、ディスク1で23曲目にある J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」。18曲目以後のこのポジションは、一枚目のなかでも、電化デルタ・ブルーズから一歩踏み出たシンプルな初期バンド・シカゴ・ブルーズという意味の位置なんだけど、ルノアーの「レット・イット・ロール」は都会派のバンド・ブギ・ウギだなあ。だから、一枚目中盤部に入っていてもおかしくない。
それで、疑問なんだけど、ラッキー・ミリンダー楽団がやったのに、同名の「レット・イット・ロール」という曲がある。ジャンプ・ミュージックだけど、だからつまりジャズで、ミリンダーのそれは女性歌手アニスティーン・アレンが歌う1947年録音。J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」(レッツ・ロール)は1951年録音だ。聴き比べてみてほしい。かなり近いものじゃないだろうか?
「レット・イット・ロール」
ラッキー・ミリンダー楽団 https://www.youtube.com/watch?v=dHVtTHJCQE4
「一晩中レッツ・ロール」って、まぁありふれたそういう意味の常套句だから、それだけで同じとか似ているとか近いとかっていうのはおかしい。だけどこのふたつのばあい、音楽的に近接しているものがあると思うんだよね。ブギ・ウギが土台になっていて、ブンチャブンチャとリフを刻んで、歌詞はセックスのことで、楽曲形式は定型ブルーズ。それでもってジャンプするというかロールするようなフィーリングの曲調。
ロック・ミュージックにもつながっていくことだと思うけど、こういった近似現象が、1940〜50年代のアメリカン・ブラック・ミュージックの世界で、同時多発的に、起こっていたんだとぼくは考えている。そこにジャズだブルーズだリズム&ブルーズだロックだなどとの区分は意味をなさない。芋づる式にぜんぶがつながり一体化していたというか<おんなじ>ものだった。
『シカゴ・ブルースの25年』収録の J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」もまたそんな一例っていうことなんだろうね。だから、1950年代前半の初期モダン・シカゴ・バンド・ブルーズでも、リロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェル「(イン・ジ・イヴニング)ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」の焼き直しがあったり(16、リトル・ブラザー・モンゴメリー「キープ・オン・ドリンキン」)、ブギ・ウギがあったり、洗練された R&B 調のものがあったりなどしながら、ミシシッピ由来の泥臭いダウン・ホーム感覚と徐々に溶け合っていったのだろう。
北部の洗練された(ある種ジャジーな)クールな音楽感覚と、南部ミシシッピ由来の泥臭い感覚とが、このシカゴという大都会で出会ったという(地理的な意味でもそんな)ところに、このウィンディ・シティを全米有数のブルーズ・メッカにした理由があったのかも。融合前のカオス状態が『シカゴ・ブルースの25年』ディスク1で聴けるんだと思う。
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