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2018/12/17

シカゴ・ブルーズの25年(1)

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1981年の LP 四枚組が初版だった P ヴァイン盤アンソロジー『シカゴ・ブルースの25年』。現在持っていて聴いているのは二度目の CD リイシュー(最新版)で2008年のリリース。これ以前に一度内容を拡充して CD で再発されていたらしいが、なぜだか見逃していた。大学生のころ、ブルーズ、シカゴ・ブルーズのことなどなんにも知らないのにこんな四枚組を買ったのはどうしてか、それは忘れてしまった。

 

 

日本人ブルーズ・リスナーにはまったく説明不要の CD では三枚組の『シカゴ・ブルースの25年』だから、これがなんなのかの説明はぜんぶ省略し、一日一枚づつとりあげて三日間にわたりメモしておきたい。現在聴きかえして感じる個人的雑感をちょちょっとね。ちゃんとしたことは CD 附属の分厚い日本語ブックレットをご覧いただきたい。

 

 

『シカゴ・ブルースの25年』三枚にはそれぞれテーマが掲げられている。順にダウン・ホーム・シカゴ・ブルース、ストレート・シカゴ・ブルース、モダン・シカゴ・ブルース。たしかに聴いてみると、この区分は理解できる音楽性の違いや変化がある。しかしそんな截然と分かたれるというものでもない。連続していて、行ったり来たりしているのは当然だ。

 

 

ディスク1のダウン・ホーム・シカゴ・ブルーズとは、第二次世界大戦後のシカゴ・ブルーズがどんなものだったかのひとつの典型だから、ほぼ万人にわかりやすい。簡単に言えば南部ミシシッピ・デルタ・ブルーズの感覚をそのまま保持しつつ、楽器だけ電化してモダン・バンド化したようなもののこと。この P ヴァイン盤には未収録だが、シカゴ・ブルーズのシグネチャーたるマディ・ウォーターズもハウリン・ウルフもそうだった。

 

 

第二次世界大戦前からもちろん北部の大都会シカゴにはブルーズ・メンがたくさんいて録音していた。シティ・ブルーズやブギ・ウギなど、レコード作品も多い。『シカゴ・ブルースの25年』の一枚目では、南部ミシシッピ出身で、戦後シカゴに北上して移住し、ダウン・ホーム感のある(弾き語りやそれに近い)ブルーズをやっているものと、戦前からの流れを汲む都会派の洗練シティ・ブルーズ系のものが併行している。

 

 

都会的なジャズ(都会的でないジャズはなし)が好きというぼくの傾向からすれば、ディスク1の10〜17曲目にあるシティ・ブルーズ系のものにやはり惹かれる。ここはたぶん日本の多くのブルーズ・ミュージック愛好家とは違っているところだね。エディ・ボイド、J.T. ブラウン、メンフィス・スリムなど、ブギ・ウギ系でありつつ、当時のリアルタイムなリズム&ブルーズの影響下にあるような都会派ブルーズのことが、本当に大好き。

 

 

ところで、ディスク1で23曲目にある J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」。18曲目以後のこのポジションは、一枚目のなかでも、電化デルタ・ブルーズから一歩踏み出たシンプルな初期バンド・シカゴ・ブルーズという意味の位置なんだけど、ルノアーの「レット・イット・ロール」は都会派のバンド・ブギ・ウギだなあ。だから、一枚目中盤部に入っていてもおかしくない。

 

 

それで、疑問なんだけど、ラッキー・ミリンダー楽団がやったのに、同名の「レット・イット・ロール」という曲がある。ジャンプ・ミュージックだけど、だからつまりジャズで、ミリンダーのそれは女性歌手アニスティーン・アレンが歌う1947年録音。J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」(レッツ・ロール)は1951年録音だ。聴き比べてみてほしい。かなり近いものじゃないだろうか?

 

 

「レット・イット・ロール」

 

ラッキー・ミリンダー楽団 https://www.youtube.com/watch?v=dHVtTHJCQE4

 

 

 

「一晩中レッツ・ロール」って、まぁありふれたそういう意味の常套句だから、それだけで同じとか似ているとか近いとかっていうのはおかしい。だけどこのふたつのばあい、音楽的に近接しているものがあると思うんだよね。ブギ・ウギが土台になっていて、ブンチャブンチャとリフを刻んで、歌詞はセックスのことで、楽曲形式は定型ブルーズ。それでもってジャンプするというかロールするようなフィーリングの曲調。

 

 

ロック・ミュージックにもつながっていくことだと思うけど、こういった近似現象が、1940〜50年代のアメリカン・ブラック・ミュージックの世界で、同時多発的に、起こっていたんだとぼくは考えている。そこにジャズだブルーズだリズム&ブルーズだロックだなどとの区分は意味をなさない。芋づる式にぜんぶがつながり一体化していたというか<おんなじ>ものだった。

 

 

『シカゴ・ブルースの25年』収録の J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」もまたそんな一例っていうことなんだろうね。だから、1950年代前半の初期モダン・シカゴ・バンド・ブルーズでも、リロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェル「(イン・ジ・イヴニング)ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」の焼き直しがあったり(16、リトル・ブラザー・モンゴメリー「キープ・オン・ドリンキン」)、ブギ・ウギがあったり、洗練された R&B 調のものがあったりなどしながら、ミシシッピ由来の泥臭いダウン・ホーム感覚と徐々に溶け合っていったのだろう。

 

 

北部の洗練された(ある種ジャジーな)クールな音楽感覚と、南部ミシシッピ由来の泥臭い感覚とが、このシカゴという大都会で出会ったという(地理的な意味でもそんな)ところに、このウィンディ・シティを全米有数のブルーズ・メッカにした理由があったのかも。融合前のカオス状態が『シカゴ・ブルースの25年』ディスク1で聴けるんだと思う。

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