my ideal
音楽さえあれば、それでいい。音楽を存分に心ゆくまで楽しめれば、満足だ。生コンサートも、岩佐美咲のをはじめいくつか足を運べる。そりゃあ首都圏に住んでいればもっとどんどん行けるだろうけれど、いまのぼくにはこれでちょうどいい。たまに現場に足を運べればゆっくりできる余裕もあって、現地グルメを味わったり、まあまあ悪くないホテルの部屋でくつろげる。
んでもって、旅行に出ても、結局ぼくはいつも音楽を聴いている。移動の交通機関のなかではヘッドフォンで聴き、ホテルの部屋ではスピーカーで鳴らし、ライヴ・イヴェントが行われる現場に到着しても開演時間までヘッドフォンで、また移動時やお買いものしたりお食事したりするお店のなかでも、だいたいずっと音楽といっしょ。それも自分好みのやつ。
そう、現場体験も好きなんだけど、自室そのほかのなかで録音作品を楽しむことのほうにもっと充足感があるというタイプなんだよね。だいたいはマンションの自室内でだけど、部屋のなかには CD がたくさんあって、ギターもウクレレもデジタル・ピアノもある。特に CD だなあ。それがそこそこ整理されてあって、聴きたい CD を(多くのばあいは)思いついたらすぐ手に取ることができる。それで、どんどん聴きまくる。
音楽を聴き、感じたこと、頭に浮かんだことを文章にし、こうやって公開することだってできている。ただの趣味でやっているプライヴェイト・ブログだから、ここに金銭はいっさい発生しないから、いっさいなんの拘束もない。自分の感じたまま、書きたいことをそのまま書きたいだけ、書ける。自由だ。
そう、音楽だけに囲まれ、それを聴いて文章を書きまくり、それで生きる 〜 そんな生活を送れたらなあ、そんな人間になれたらなあって、そんなふうに若いころ、これがぼくの理想だとボンヤリ考えていたんだよね。いま、ぼくは現実にそうなっているじゃないか。
音楽を呼吸し、音楽を食べ、それで生きている人間なのかもしれない。満足ゆくまで音楽が聴ければ、それがぼくの人生のすべてで、それが楽しみで、そこにこそ幸福を感じるという、そんなタイプかもしれないから、つまり、いまのぼくは理想的に幸せな人生を送っていると言える。糖尿病以外、深刻な病気もないし、糖尿にしたってお薬をちゃんと飲んでいれば正常数値内にあって問題なし。
それに、体と心のバランスが、いまちょうどいい具合に取れている。若いころのほうが肉体的には健康だったけれど、気持ちが慌ただしくざらついていた。さらにいまよりもっと年齢を重ねれば精神的にもっと成熟し、もっと静かでもっと落ち着いた心境になっていくかもしれないが、そのときは身体的衰えが深刻になっているだろう。
だから、いま50代半ばにあるいまのぼくは、あと数年か十年程度かな、それくらいが人生のピークなんだろうと思う。いまはちょうど絶頂期。ぼくを癒し、満足感を与えてくれて、幸せな気分にし、思い残すことはないという、そんな心持ちにさせてくれるのは、音楽だ。拡大すれば、フィクション作品。
人の孤独や悲しみは、フィクションによって癒やされる。
« ゲテモノ地下芸人?スクリーミン・ジェイ・ホーキンス | トップページ | いま高知市内のホテルの部屋で、オーガニック・ビートルズを聴きながら、踊っています »
「自分語り」カテゴリの記事
- ASD(=ぼく)が苦手に感じる人たち(2023.11.16)
- 公営住宅へのアクセスをもっと容易にしてほしい(2023.08.31)
- 現在の体調(8/5土午後2〜3時以後)(2023.08.07)
- 心底くだらないとASDが思ってしまう日本の文化(2023.07.25)
- 偏食と好き嫌いは違う(2023.06.27)
« ゲテモノ地下芸人?スクリーミン・ジェイ・ホーキンス | トップページ | いま高知市内のホテルの部屋で、オーガニック・ビートルズを聴きながら、踊っています »
コメント