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2018/12/06

どうしてロニー・バロンに惹かれたか

ロニー・バロンの最高傑作『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』(1979)については、以前一度詳述した。今日はまた違うことを思い出したので、メモしておきたい。
昨日(といっても11月頭ですよ)、ぼくの YouTube アップローズのひとつに、あるコメントがついた。ロニー・バロンのソロ・アルバム『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』から「シンギング・イン・マイ・ソウル」を上げてあるものに、「このすごいアルバムのほかの曲もどうかアップしてくれないか?」とね。それで、あっ…、と思って Spotify でさがしてみたけど、ないんだよね、このアルバム。そもそもロニー・バロンは一枚もない。これが代表作なんだから、これがなければほかもない。

だから、ぼくは権利なんかいっさい持っていない赤の他人ですけれど、こういったことは公共奉仕みたいなもんなんだからファイルをつくって上げたんだよ、YouTube に、ロニー・バロンの『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』一枚丸ごとをさ。上げてくれないかとコメントしてくださったかたも、そうでないかたも、関係ないかたも、みなさんの音楽の楽しみの一助ともなれば幸せです。

そんなわけで、2018年11月初旬に聴きかえしたロニー・バロンの『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』。そうしたら再発見というか、いままで忘れていたことを思い出した。大学生のころ、ロニー・バロンがだれなのかちっとも知りもせず100%完璧なジャケだけ買いだった『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』のどこが、あの当時、あんなに気に入ってヘヴィ・ローテイション盤になったのかということだ。

一言にすれば、このちょっと気どった、キザな声の出しかた、歌いかたが好きだった。これが初ロニー・バロンだったんだから、こんな歌いかたの歌手なのかどうか、わかるわけもない。ドクター・ジョンの『ガンボ』的なニュー・オーリンズ・クラシックス集であることもわかっていなかったはず。ただ、なんだか、この声の出しかたがカッコイイなあ〜って思ったのだった。このことをふと思い出した。ケレン味好き?

なんだか都会的な感じがして、そんでもってソウルフル、だとあのころ思っていたんだよね。そこが当時のぼくのお気に入りになったはず。忘れていた。『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』で、ロニーはいろんな声を出している。よく変えているよね。たぶん一曲づつぜんぶ違う声を使っているから、10曲のアルバム全体で10通りの声を使い分けている。

大学生のころは、こういう歌手なんだと思っていて、それから歌手業がメインでピアノもついでに弾くひと、という認識だった。それくらい『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』でのヴォーカル表現の多彩さは、いま聴きかえしても鮮明だ。あのころぼくは、なんて上手く旨い歌手だろうと感じていたはずだ。当時、ピアノ演奏のほうは添えもの的に聴いていただけ。

1曲目「トリック・バッグ」からそれはすでに目立っている。つまりカッコつけたキザさ。そこがいいとぼくは思っていたんだよね。気取ってスマしたようなクールな声の出しかたがね。曲後半部はリピート・パターンに乗ってのヴォーカル・インプロヴィゼイション披露となっているのもうまい演出じゃないか。その後半部では、また違う声の色を使ったりしている。メイン部でも 'They came running down' 部のおしりのほうなんかの音程の取りかたとその声、好きだなあ。

しかも「トリック・バッグ」には男主人公と義理の父の会話パートがあって、そこでロニーは二種類の声を使い分けているよね。会話に設定された歌詞内容は笑えるものだけど、おもしろい試みだなあ〜って、大学生のころ感じていたはず。ロニー・バロンっていうこのひとは、いろんな声を出せる歌手なんだ、うまいなあ〜という印象だった。

2曲目の「ウォーリード・ライフ・ブルーズ」ではまた別の声。しかしこれ、かのスリーピー・ジョン・エスティス以来の伝承ブルーズ・スタンダードだけど、ロニーはだれのヴァージョンを下敷きにしたんだろう?同じピアニストだからビッグ・メイシオの?違うよなあ。どなたかおわかりのかた、教えてください。あるいはロニーのオリジナル・アイデアかなあ。声は、終盤部でファルセットに移行するが、最後の最後でまたチェンジ、かなり気取ったヴォーカルになる。

こんな具合が3曲目以後もどんどん続き、とにかく『ブルー・デリカシーズ Vol. 1』でのロニー・バロンは一曲ごと、また同じ曲のなかでも、声をどんどん変えているんだよね。あの大学生当時、おもしろ〜い!とボンヤリ感じていただけだったが、いま2018年11月初旬に聴きなおすと、あきらかなプロデュース意図を感じる。理由があってかなり故意にやっていることだなあ、これは。

どういうわけでそんなヴォーカル・プロデュースをしたのかはわからないので、そこは放っておこう。やはり主役の声の使いかたがアルバム中最も際立っている4曲目のコーラス・ナンバー「シンギング・イン・マイ・ソウル」、ガムでもくちゃくちゃ噛みながらしゃべるようなフィーリングで歌う5「ドゥーイン・サムシング・ロング」、クラーベ・パターンに乗ってわりとシャウト気味な6「ライツ・アウト」、メロウ・ソウルな8「ハッピー・ティアーズ」。

そして、アルバム終盤の二曲。7「ピンク・シャンペイン」では、女声とコーラスでずっと進む。このフィーメイル・ヴォーカルはだれなんだろう?ゲスト参加?あるいはひょっとしてロニーが声色を使ってオーヴァー・ダブで重ねた?もしかりに後者だったなら降参だ。どっちにしてもけっこうユーモラスな曲調で楽しい。

ラストのパーシー・メイフィールド「リヴァーズ・インヴィテイション」。この曲では、また大胆に違う声でロニーは歌っている。アルバム中、ここでのこの声がぼくはいちばん好きだった。これはいまでもそう。いかにもニュー・オーリンズの音楽家らしいラテン調のリズム・アレンジに乗って、ロニーはやや翳のあるくぐもった声質を使っている。ちょっぴりこわい歌詞内容をわざと聴きとりにくくしてあるかのようだ。しかもこの曲、ちょっと歌ったら、あとは残り時間の約八分間、ほとんどがサックス・ソロなので、歌の印象が後口に残らない。

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